日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

はやいと思いつつ・・・2月が終わりました・・・

2021年02月28日 | Weblog

 こんにちは。
 寒さはまだまだ続いています。ときどき温かさがあると思うと花粉の季節でもあるので、温かさがうれしいのですが、一方では花粉症の季節となり、やや不安な季節でもあります。そしてコロナ禍のなか、クシャミは肩身のせまい通勤電車の中です。桜でも種類によっては満開で咲き始めている木もあります。
 多摩川の散歩の途中、ヒバリの声もきくことがありました。少しずつ春が近づいているのでしょうか。

 さて今週は「緊急事態宣言解除」のニュースを多くききました。それにしても、宣言解除をしても商店などの自粛などをやることには変わりはないのですから、あわてて解除をすることもないのではと思います。解除すれば、東京五輪もやりやすくなるとは思えますが、その一方で感染拡大の不安は消えないのでしょう。事実、感染者の数はあるのですから「油断」は禁物ではないかと思います。


 今月は「読書週間」でもないのに結構本を読んでいました。こんなことはめずらしいことでしょう。やはりコロナ禍のなかで出かけることがなくなった分、本で紛らわしているのでしょうか・・・。
 休日、本屋さんに立ち寄ることが多いのですがこれまで以上に混んでいます。これまで並んだこともなかったのにですが、最近では並んでいることが多い日々です。とはいえ、本が高いですねー。こうなると、どうしても、文庫本になるのを待って買う習慣になっています。だから、負け惜しみではありませんが、〇〇賞作品とかはあまり興味がなくなったように思えます。
 これからどれだけの本が読めるかはわかりませんが、できるだぇ近くに本がある生活は持ちたいとおもっています。
 さて今月は、コロナ禍でしょうか読む本がたくさんありました。


 山形の田舎から出てきて、小説家になるまでどれほどの本を読んで調べたのだろうかという気がする。一冊の本を書き上げるために多くの本を資料として求め、調べ分析して小説の一説に入れていく作業をどれおほどやったのだろうということを考えてしまった。気がつけば、13万冊という膨大な本が自分の身の周りに集まってきてしまった・・・というお話なのだろう。
 正直「本は読まなくても死なない」。けれでも、人生を一歩楽しくしてくれる道具であることを気づかさせてくれた一冊だったと思う。

p98 いわばこれは、僕と本との新婚旅行なんです(笑)。こうして一回撫で回してやると、やっと自分の本になったという気がする。本も他人行儀じゃなくて、僕に向かって轟いてくれるようになるんですね・・・。

p125 こうやって、本が人の手から手へ渡っていくとおもしろいことがいろいろ起りますね。本はそのたび新しい読者を迎えて生き返る。いい本というのは、寿命がとっても長い。繰り返し繰り返し、集められたり、散ったりしながらそのたびのその人の文脈の中に組み込まれていく。いろんな知恵が、本という形に纏められ、逆にこんどは人間がそれをうまく次世代に伝えていく道具となる。

p135 少し前までは、見たこと聞いたこと面白いことを人に話したいという、人間が本来持っている欲求を素直に出すこができる状況と時間があったんですね。いまはそれをテレビが代行しているようなところがあります。

p137 日本の学校教育は、どこかで根本的に間違ったんじゃないでしょうか。むずかしいことばかありやらせ、文章を読む、書くということを嫌いにさせているんじゃないか。日本語に対する抵抗感を知らないうちに植えつけられているのではないか。

p176 いっくり読みたいときはゆっくり読める。あるいは、この先どうなるのかと心が急ぐ時は、どんどんページを繰っていく。これは電子ブックにはないんです。「ページ風を立てる」という言葉がありますが、これは電子ブックはどうやってもできない。特に小説にいたっては流れというものがあります。それは電子ブックだと見えないんですね。


 「絶滅危惧個人商店」という題名に興味を持ち読んだ一冊である。
 この本がおもしろいと思うのは、絶滅危惧にちかいほどの商店がなぜ今まで生き残っているのかを店の人に聞いてレポートしていることだった。近所には近くで便利なコンビニや専門店のチェーン店ができているにも関わらずである。本を読んでみれば、多くの人たちが昭和の人たちでお店の地域の人たちとの関わりが商売のなかで語られている。その話を聞いて思い浮かぶのは「信頼感」ということなのだろうと思う。企業で言えば「信用」だろうか。
 私の利用する散髪屋さんもその意味においては「信用」は大きい。なぜなら、坐っているだけで安心して任せておけるということだろう。それは一朝一夕にできたものではない、ということもあるのだろう。
 商売はそんなことが大事だと思わせる。
 今年からNHK大河ドラマで渋沢栄一も物語が放送されている。その渋沢栄一も商売を信用をもとに大きくしていったとのだろう。そんなことを思うと、これまで培ってきた信用【信頼)をおけるお店がどれだけあるのだろうと思う。

p100 「今、デジタルだけど、(自分たちの世代は)そんなものねー、時代ね、鉱石ラジオに『お~、聞こえる、聞こえる』ってびっくりしたんだから。生業ちゅうのは変化していくてもんだ。


 
p29 彼らは青春のやり場を求めている。健康な肉体と精神を持っていればいりほど、よごれた社会生活は見ていられなくなるだろう。彼らのけがれない心と身をまもともぶつけていっても悔いのない、青年の場は、今や日本のどこを捜しても見当たらないと、彼らは考え、最後の安住地を求めて行くのではないだろうか。戦後、登山人口が急増していく原因は、とごれた社会生活への不満が大きな要因をなしていると私は考える。殺人、強盗、汚職、誘かい、交通地獄、悲惨きわまる大量殺人事件、それらの社会不安に輪をかけたように、テレビからピストルの音と女の悲鳴がとびだしてくる。物価問題にしろ、住宅問題にしろ、なにひとつとして不安でないものはない。

p34 冬山の天気は変わりやすいですね、といった人がいる。これはあまりに適切なことばとはいえない。冬山の天気は悪い方に安定しているいったほうがいい。冬山は冬中ずっと天気が悪いのだ。人間が近づくことを夏まで許されないものだと考えれば間違いない。

p40 国電の窓からコブシが見える。吉祥寺の本宿小学校のコブシ、阿佐ヶ谷のプールの近くのコブシ、中野駅の北高台に見えるコブシなど、毎年のおなじみが最近、植えられるものより、切られていくものの方が多い。淋しいかぎりである。

p172 渋谷蓉子さんは大井川町の出身で女子美大を卒業したばかりで目下花嫁修業中であるが、大学時代から山が好きで、特に南アルプスについて隅から隅まで熟知しているということであった。

p254 「山へ持って行った弁当の残りはお土産として持ち帰って来い」というものだった。つまり、山ではなかなることがあるかもしれないから、弁当だけは離さず、そして常に余裕を以って持参せよということだった。


 これまでも、これからもあまり話題にのらない「ウンコ」の話である。毎日、排泄を繰り返し生活していることには暗黙の了解なのである。そして、ときに自分の健康状態を考える目に見える大事なものだということも忘れている日々でもある。
 私の子どもの頃、農家にとってはウンコは捨てるのではなく肥料として畑にまいたものだった。化学肥料はお金を出せなければならず、お金もなかったのだろうと思う。畑に肥料してしてある形を眺めているだが、その肥料で育てられた野菜が朝晩のおかずになってしまうと、肥料のことなど忘れて食べていたと思う。

 最近では、ウンコが身近になっている時は一年の一度の健康診断のとき検便として提出するときぐらいだろう。自分の健康をいちはやく確認できるはずのものがどうして今日までそれほど話題にならなかったのだろうとこの本を読むと納得することができたように思う。要は、生活の形が変わったからだろうか。さらには、トイレ産業があまりにもトイレをきれいなものだという幻想をうえつけ、そのことによって利益をえるようになったという企業ぐるみの政策があるように思う。つまり「きれいは儲かる」といことなのだと。
 『ウンコはどこから来て、どこへ行くのか』はそのこと詳しく書いている。
 企業の利益誘導の政策がどれほど、ウンコを汚いものしてしまったかということがわかるような一冊だと思う。

p9 子どものにとって、ウンコは一番初めに会う、いちばん身近な「自分」であり、「他者」である。きっと、その「身近さ」となるのは「得体の知れなさ」が、子どもを「ウンコ」に惹きつけてやまないのではないかと考える。

p11 ウンコは汚物に生れるのではない。汚物になるのだ、と。そして現在、もはやウンコは汚物とさえ意識される間もなく、一瞬で水に流され、次の瞬間には目の前から見えなくなり、その存在はまるで無かったかのように、忘れられてしまう。

p21 それでは、ウンコはいつから、誰によって、なぜ汚い物と認識されるようになったのだろうか。ウンコは古今東西、昔から今に至るまでずっと変わらず汚い物ではないのだとすれば、いったいどのようなプロセスと歴史的変遷を経て、「汚物」へと変容したのだろうか。なぜウンコは汚物と呼ばれるようになったのか、どういう点で汚れているのか――。

p36 考えてみると当たり前のことであるが、ウンコをすることは古今東西、老若男女、富める人も貧しい人も、生きている以上「必ずする」行為である。つまり、ウンコをすることは世界共通なのである。・・・一方、それを受けとめるトイレはここ東西、老若男女その形状も歴史も位置づけも様々である。

p69 「肥」を「育」と見るということは、つまるところ「いのち」を育むものとして、人びとがウンコの認識していたということになるだろう。「有用」であるというばかりではなく、生きとし生けるもののつながり、そして生と死とつばぐひとつの「環」の中にウンコを位置づける耕す人びとの考え方が「単なる物とそてだけでなく精神的な係わりの深さ」

p138 ・・・世の中に水洗トイレが普及し、便所の臭いが身近なものでなくなっていく時代と連動しているように思えてならない。生きることから「におい」が削ぎと落されていく過程で、他人や動物、ついには自分の「におい」まで私たちはいつの間にか嫌悪感を抱くようになり、「消臭」や「無臭」を追い求める現代社会では、それが過度ともいえる様相を呈している。

p168 かつて糞尿を下肥として利用していた時代と比べて、私たちが食べるもの、トイレや台所から下水道に流すものの中には、様々な物資が混入するようになった。

p190 一九七三年と二〇二〇年二起きた二度のトイレットペーパー騒動には共通点もあったが、私たちはその決定的な相違点も目のあたりにした。

p193 しかし、その歴史を振り返ると、ウンコは中世には「畏怖」され、「信仰」され、近世、近代には「重宝」され、「売買」され「利用」され、近代、現代には「汚物」と名づけられ「処理」され「嫌悪」され、その結果「排除」され、そして「忘却」されつつ、今日に至る。
●●

 ちょうど今月でコロナ禍一年である。去年の今ごろは、東京五輪を開催するのか、延期するのかすったもんだして月にむかっていたころだろう。地元の桜まつりやお祭りがことごとく中止になった月がはじまったときでもあったように思う。

 とはいえ、自然は着実に裏切らず花を咲かせ、春のかおりをつたえてくれてるように思う。それを人間に求めるのと、あの手この手の利権がからみひとすじなわではいかないのが現実なのだろうか。あげくの果てに、人に隠れて「自粛」を呼びかけている政治家がお忍びで宴会をやっていたりする。最近では、首相の息子が父の威厳をつかって、官僚に接待攻勢をやっていたと報道もされて、それはすべて発覚されて問題になっている始末である。
 人は利権に引き付けられて忖度し、いつかその中心に自分が「される側」に夢見て生きているように見える。花に集まる虫は、その日の命をひたすら守るために生きている。そして、花から花へ受粉を繰り返し実をつかせる・・・。こう思うと虫のほうがよほどまともだと思うことがある。


 バタバタと過ぎていった2月だった。
 思えば、コロナ禍になって一年。ようやくワクチンができて、医療関係者や高齢者などから接種することになった。それでも、すべての人にいきわたることはできないと思う。散髪屋さんでの話で「若い人はあいらめたほうがいい」とまでも言っているのを聞いたのは記憶に新しいことだ。
 私もきっとそう思っている。結局、ワクチンも格差が反映して自分のところにまわってくるころになって、病院で診察するように「接種料金」が取られるのではないかという思いもある。
 
 そろそろ東京五輪の話題もコロナ禍のなかで議題になってくるのだろうか。
 やっても「無観客」がいいとこかもしれません。やはり、やることにはちょっとムリがあるように思えます。世界中の選手が一堂に東京にきたらどうなるのだろうか・・・。だいたい来るのは選手だけでなく、スタッフや報道・・・その何倍の人がいるようになることを思うと「やっちゃいけない」とも思いますが・・・ね。
 緊急事態宣言も解除が出る都市はこれからも、大変なことには変わりはないのでしょう。さらに、コロナ禍で多くの失業者が出ていることなど、少しでも仕事に再度挑戦すできる保障をつくっていくことが東京五輪よりも先行すべく対ではないのでしょうか。
 読んでくれた人、ありがとうございました。



少し、温かくなってきました。

2021年02月21日 | Weblog

 こんにちは。
 毎日が少しずつ温かくなってきました。多摩川の散歩道の河津桜が何本かは花をつけはじめていました。コロナ禍でもなかでも自然は季節をつげる形になっているようになっています。
 先週、東北地方で起きた地震の影響はいまだの「余震」という形で続いているようです。思えば、コロナも自然現象の一つなのでしょうか。その発生を人間が出る時期を早めたようにも思えます。急いで、ワクチンが世界で利用し始めてきました。
 国民がすべてが受けることはできないのでしょう。ワクチン接種も始まったばかり、感染症に対する対応がいま始まったばかりといえるのではないのでしょうか。




 建物の経年劣化があるように、取り付けれた機器にも劣化が続いています。「インターホンが壊れました!」という声が聞こえてきました。インターホンを修理すべく連絡はするが、「現在は生産がストップし、さらには会社がつぶれました」という返事。こんなときは、新しい会社をさがして、インターホンを発注しなければなりません。管理会社に連絡して、担当のものが休日に検査のためやってきました。管理会社も専門家されていて、こういう場合は「建築技術部・計画修繕課」という肩書の人と一緒に専門家がチェックをするためにやってきました。10~20分ほど、分解してなかをみたり、つながるのかのチェックをして帰っていきました。その担当の人がいうには「インターホンはカラーのディスプレイになります」との返答でありました。まだ、いつその工事をするのかは未定であるが、あそらく近い将来に始まるのではないかと思われます。

 とはいえ、都会というところはなんとも不便なところなのだろうかと思えた。人と人が会うのことがこれほど不便なこととはインターホンが壊れて初めて知ったようなところありました。
 いつも心に自動ロックをかけているような生活。いつになったら鍵のいらない人たちとめぐり会えるのだろうか。


 今週、先週の仕事の愚痴があったように、とても忙しかった。再雇用者としては「表彰」されてもおかしくないくらいなのだろうか…と自画自賛!。まさに、お客のミスを穴埋めするための仕事だったようなところがある。それも、時間内でである。そんな時は「亀の甲より年の功」である。与えられた材料をふんだんに生かし(手抜きもあり)ページをうめていく雑誌つくりはけっこう楽しくもあった。自分の手抜き加減が後世の人々にどう評価されるかもしれないなどと思う余裕さえないなかでの仕事だった。
 でも、ときどき思うことがある。こんな数十ページにも満たない雑誌でも自分の想像がきっと入っているのだろうと思うことでつながっているのだろうと…。何十年かあと、誰かが「あの資料」というときにどこかの図書館で利用するかもしれないなーと思う。作家さんたちは、自分の連載記事をたまったらきっとこの雑誌をまとめて一冊の本として出すことだろう。

 そんなことを終わって考えた週だった。
 忙しくても、自分の関わった証拠が保存されていることが担保として仕事をしているのだろう。いつの間にか自分の思いまで(手抜き・いい加減さも)一緒に残ることになるのだろう。再雇用となって5年目の春。この繰り返しはいつまでつづくことだろうと思う。
 仕事に対する人の思ひは人それぞれである。できるなら、最後は形あるものにして残すことができる仕事でよかったと思う。だいたい私は、口べただかろうできたことだということも反映している。それでも、人を口でだます仕事よりまだいいと思える。昨年、生命保険に入ってものを解約した。それというのも、担当者の口ぐるまにのって、気がついたら担当者はさっさと定年して辞めていった。後任が、保険の話をしに来た。そのとき、きいていたものとは全然ちがっていた。あー、あとのまつり・・・・「騙された」と思った。これでも仕事である。当の本人はすでに職場を去ったあとだった・・・などいう経験を思い出す。元金もくずれて解約したのだった。誰にでもあるような話だろう。けれども、本人にとっては、これで人生の設計図が崩れれてしまうということも多々あることだと思う。証拠が残ってしまう仕事。
 
●●

 2ヵ月おきに散髪にいった帰り道。散歩のつもりで西荻窪から井の頭まで歩くようになった。天気のいい日にはなるべく遠まわりを楽しみながらいくようになった。冬がちょっと休んでいるような日曜日。
 風がなくなれば日向は温かくなっていくることに体も動き出すというのも、人間も動物の本能なのかもしれない。これも、人間が自然の一部のなかで生きているとう証なのだろう思う。

 とはいえ、去年からコロナ禍での日々である。「少しが自粛、不要不急のお出かけ」というスローガンが常に聞こえてきそうだ。それでも、半年先の東京五輪より、自分たちの今日の楽しみであるのだろうと思う。だいたい、このご時世で東京五輪などと言っているのは、関係者くらいではないのだろうか。各国の代表選手たちもろくに練習などできていないのではないのだろうか。代表を選ぶための競技会さえできないなかで、まったく「東京五輪・・・」とはオカシイと思えてしまうこの頃だ。

 それに拍車をかけたのが森会長の「女性蔑視発言」だったように思う。結局、東京五輪がコロナ禍で危ぶまれているなか、焦ってしまったのだろうか「つい、ポロット・・・」本音がでしまったように思う。それでも、立場がその言葉の重要性をニュースにしてしまったのだろう。大問題になり、あげくの果てに、更迭されて後任の女性の橋本聖子議員が後任されたという顛末である。人はどこかで本音をいいたがっているのだろう。
 これまでの与党の国会議員がお忍びで「自粛」を口にしながら、自分たちはちゃっかり、豪遊していたこともニュースになったことも記憶に新しい。一部は議員をやめることになった。それでもいすわる理由をなにやかやでこじつけて辞めずにいるのも日本の政治状況(ほとんど有権者を馬鹿にしている)なのだろう。

 こんなことを思い出しながら歩く。井の頭公園でボートをこぎながら楽しんでいる人たちのたくさんいることもわかるような気がする。「自粛」という中で「政治家がやていることを思えば、自分たちだって楽しんで何が悪い」と思うだろう。それが当然であるのかもしれない。そんな人たちのなかの人たちの中にも、私も「東京五輪なんてどうでもいい」と思っている人が多いのだろうと思えている。むしろ、これから始まるプロのスポーツイベントちゃんとやることの方がよほど大事で身近なスポーツの楽しみ方なのだろう。
 まずは身近なスポーツを楽しむ理由がもっと大事になってくる春になってくるのだろう。


 これからの日々は、温かさがあったり、寒さがもどったりとなっていくのだろうか。とはいえ、まだまだ寒さは続くようです。先週末、東北地地方を襲った地震の余震は続いているとも聞きます。そしていまでもコロナ禍のなかです。
 最近は少しずつ都内でのコロナ感染者が減ってきていいます。事実、感染者の人数のうえでは少なくななっているように見えます。そんななか、緊急事態宣言も解除するような動きも活発になってきれいます。
 本当にそれでいいのかと思う・・・という気がしますが・・・。解除に先だってなによりもするべきことがあるのではないかと思う。人間はよく忘れる。とくにいやな記憶は忘れたい、そんなことはないのだろうか、これまでのことをふり返ると歴史は流れてきたようです。
 以前、菅首相が「新型コロナウイルスに打ち勝った証として東京で五輪・パラリンピック 開催」といったことを思い出した。それはあまりにも謙虚さを失った言葉と思えて、ほんとうにそんなこといえるのかな? とも思えました。なんせウイルスは人類の歴史よりも古い時代から生きてきた生き物です。そして、これまでの人類をつくってきたウイルスに対して傲慢でおこがしくもあるように聞こえましたが。そう思いませんか・・・。
 オリンピック開催で都内の感染者数が増えることだけは繰り返してはならないのだと思えます。

 今週はこの辺で失礼します。来週はちょっとゆっくりできそうです。
 とはいえ油断大敵!ボチボチいきます。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

思えば、昨年の今ごろはコロナ禍、真っただ中でした。

2021年02月14日 | Weblog

 こんにちは。
 2月ももう半ばです。はやいものですね。月日が過ぎていくのは自分の気持ちとはかけ離れていくことをつくずく感じるこの頃です。次々に過ぎていくなかでさまざまなニュースや出来事に翻弄されている毎日です。

 今週、東京五輪委員会会長の森善朗氏が女性差別発言がきっかに辞任したニュースがありました。すぐに対応して、後任には川淵三郎氏があげられましたが、本人も引きうけたつもりでいたのですが一転、辞めてしまいました。
 まったくお粗末な出来事にように見えてしまいました。いまほど、差別発言は世界の流れからして発言したり、実行したりしてはいけない時なのに、ましては差別を禁止するべきスポーツ界の重鎮が発言してしまうとは・・・。なんともなさけないやらです。
 コロナ禍で東京五輪も危ぶまれているなかです。ボランティアでなくともやる気をなくしてしまいます。うらを返せば、いまどきの政治やそのほかの組織の重鎮はこんな程度だったのかと思えてしまいます。これを払しょくすることにどれだけの労力が必要なことが考えたことがないのではないかと思います。これが、今のよのなかを席巻している人たちの言葉だと思うとこれまでのことはいったいなんなんだ・・・とも。

 つい最近の新聞の投稿欄の「東京五輪よりも、コロナ禍での医療への予算を」ということが載せられていました。菅首相のひごろ「国民の命と暮らしを守る」ということを言っているなかで、五輪ができるかどうかの議論をよりも、コロナ禍ということを考えれば、中止をいえる勇気が必要になってきて、莫大な開催費用へ予算をつくかうよりも、今は医療へまわすほうが国民はいいのではないかと思います。それが、スポーツをより身近に感じる気持ちだと思います。



 毎週、休みの日には体を動かさないと・・・ということもあって必ず散歩を続けている。天気のいい日には公園の野原を横切り、花の咲く散歩道を探しては歩く休日になっている。
 きょうも天気のおかげでゆっくりと歩く道には子どもたちの歓声や大人の激励を聞く散歩道だった。けっこう都会の大人たちは子どもと一緒に遊んでいる光景を多くみる日々だ。
 私が子どもの頃は、ぜったいに子どもと大人が遊んでいる光景などはみることもなかったように思う。大人は朝から晩まで仕事をし、子どもは一日中暗くなるまで子どもどうしで遊んでいたのだった。だから、子どもが危険なことをしても大人がいないから、子どもたちで助け合っていたのだろうと思う。そこにはガキ大将もいた。まさに、遊びを仕切る子どもだ。強気をくじき、弱気を助け・・・というガキ大将だ。
 いつごろから、それがなくなったのだろうか。だれでもが平等であるかのような世界のなっているようだ。

 そういえば、最近のマンガでの子どもたちの会話に違和感を覚えることが結構ある。あまりにも気をつかうばかりで距離をおいた言葉づかい。これが最近の子どもの会話なのかと驚く。

 まだまだ働ける・・・と思いながら働いているけれど。
 現実は、なかなか厳しいようだ。これが「待ち・準備時間8割。仕事2割」ほどなら余裕で片づけて終わるのだろう。しかし、これはあくまでの理想の姿である。その理想を65歳の老体はいつも考えながら仕事をしているのが現実だろう。
 いちばんきついと思うのは、お客の都合が悪いこと。そのために客につきあって進めていくようになること。約束は、完全に反古にされたようなものの場合も同じ。

 そんなときは、絶対に相手のペースにのらないようのらないように自分のペースに引き込んでいくことに仕事以上にやることが大事だと思う。それには、こちらの都合もよく理解してもらうように、日ごろ準備をしておいたものを使って丁寧に仕上げておくことを怠らないことだろう。それが、急なつごうの時、役に立つのだろう。
 これまで丁寧にやってきてあげた分を考えてもらって、お客が無理をいわないようにすることに仕向けていく・・・。それが大事だなと思う。

 もう、若い人と同じペースでは出来なくなっている分、違うところで頑張るしかないことだろうと思う。そんなことばかり考えているここ2週間である。「生涯現役」なんて、嫌いな言葉になっていく。ちゃんと後継者を育てる気のある人の言葉ではないだろう。それと「仕事が好き」という人、信じられない。ただただ、行くところがないからだろう。それがあるから仕事をしているのかもしれない、などなど。
 さて、ご同輩はどん秘策をお持ちだろうか・・・。



 昨夜(13日夜)、大きな地震にはびっくりしました。これから寝ようかと思っていたら、少しずつ揺れ、徐々に大きく揺れていくなか起きてしまいました。携帯ラジをつけてみたら「福島沖の海底60㎞で地震が発生」ということが聞えてきました。東北地方を中心に起きた地震に、10年前の地震を思い出してしまいました。

 あのときは、まだ会社で仕事をしていました。午後から揺れて、夕方になっても時々揺れていました。首都の鉄道はほとんどが運転停止状態で帰ることもできませんでした。会社でテレビをみていたら、津波がたくさんの家や自動車をのみこんでいた状況が放映されていました。その景色が映画の世界ではなくて現実に起きていることに驚きもありました。
 外へでてみると、道路には何キロも渋滞が続いていました。身動きもとれず会社で一泊して、翌朝動き出した電車に乗りかえった経験を思い出していました。
 みなさんはどちらにいたのでしょうか。

 あの時は、若いということもあって、どうにか頑張れたのだと思います。昨夜の地震のときはあわてているというより、あきらめているような気持がありました。これで終わりなら、終わりでいいやー!!。これが自然の流れなのだから・・・。
 なにか、日本がコロナ禍で地震があって・・・と人類最後の時のような時代になってしまっていくような気になります。いったいこんな状況にしてしまったのは何だったのでしょうか。地球温暖化により、今後人類最大の食糧危機がくるなどというドキュメント番組などをみていると、「地球はもう昔にかえれないのかもしれない」とか「地球が何億年前の惑星にもどっていくのだろうか」という気にもなってきます。いろいろな、人間はなにをしていかなかればならないのでしょうか。

 地震のあった翌日、朝から災害状況のニュースが報道されていました。災害直下の東北の各県では、けがをした人や鉄道の運休の被害状況が体と心を痛めていました。原発事故のあった福島では、10年前の事故処理への影響が伝えられています。「安全上の問題はない」ということでしたが、どうだかわかりません。現地の人にとっては地震も恐怖ですが放射能が心配でしょう。
 まだまだ「余震」とやらがあるようです。大きくならないことを祈るばかりです。


 昨日東北地方で起きた地震の余震が続いているようだ。こまったことにこの寒さだ。さらにコロナ禍だ。今後の地震の動きがどうなっていくのだろうか。余震も小さくなってほしい。東北の人だけでなく関東の人間もそう思っている。
 地球の半分は春がもう近くにきているのに、地球はほとんど病気のままだ。

///////////お仕事の愚痴///////////
 仕事は、お客のわがままにどれだけ付きあっていくかが、と思う。お客の事情もあるのだろうが、何の連絡のなく遅きにつきた。と思うことがある。それでもどうにか仕事して片づけていくしかない。
 例えば原稿の入稿について・・・。おそい、遅すぎる!!。来週末には一冊の本にしなければならないのに!!。編集者の嘆きですわ。
 そんな気持ちで、今週と来週はつづくようだ。無駄なことはいっさいあきらめて整理してすすめていくしかない。ここは、「亀の甲より、年のこう」ですすめていくしかないようにするしかないようだ。
 あーまいった。そして、どこで手をぬくかがポイントだろう。
遅ければおそいほどいいものはできないということをお客に表現しなければなるまい。これが仕事の掟をはっきりわからせなければなるまいなー。(客には言わないが)
 そう思いながらつづくだろう。
 まいった!!!
 またしても今週は愚痴でした。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

2月・・・緊急事態宣言の延長!の2月が始まる

2021年02月07日 | Weblog
 こんにちは。
 2月にはいりました。
 毎日、コロナ、コロナで送っていることには変わりは変わりはありません。そして、寒い・・・。日々コンディションは最悪の日々ですが季節はしっかりと廻っています。今週「春一番」がきたようです。一日中、会社にいればわかりませんでしたがニュースで報道していました。その風にのってコロナも新たに変異した新型コロナも聞きます。ほめられることではありませんがウイルスも生き物であって、必死の生きる場所にあったに変化してうっているのでしょう。こうなってくると、人類はある意味リスペクトして知恵をしぼって対応していくしかないのでしょうか。それが、いま一番大切な時期だとも思えます。

 今週、1月にから続いた「緊急事態宣言」が延長されました。当然なことだと思えます。同時に、緊急事態宣言に一緒に新型コロナウイルス対応の関連改正案(新型コロナ特措法)が成立しましたね。内容は、感染拡大を防ぐものだということはわかります。ただ、そのことによって本当に防ぐことができるのかとう疑問も残っているなかでの成立であったように見えます。特徴的なのは、感染で入院や疫学調査を拒否した人は罰則(刑事罰・行政罰の過料の導入)を設けていることです。これは犯罪者扱いのようになってしまうのではないかと疑問視されていることがあげられています。
 「感染者がなぜ、入院や疫学調査に協力できないのか」という現実を無視したものだという不安視されているともいわれています。
 例えば、非正規雇用者などは10日以上にも入院すればその間の収入がなくなり、悪ければ解雇されるという現実があるということです。フリーランスの人たちはまった補償もない状態だといいます。

〇・・・・〇・・・・〇

 これらの問題を解決することなしに法律をつくって強行しようしていることじたい「悪法」にも見えます。とくに、日本は非正規社員の人たちが職場を支えているといっていいところがほとんどだといえるのではないかと思います。
 あいかわらず、自民・公明党の与党の「強権政治」は続いているようにも見えました。審議4日間のなか、ちっとも現実を反映していないことが強行されていっているようで、安倍政権時代と変わってはいないように見えます。
 これでほんとうに感染防止ができるのでしょうか。これでは、ますます軽度な感染者の協力も遠のくのではないのでしょうか。
 毎日コロナで不安の日々のなかで、大切なのは感染者を増やさないために、丁寧な協力と理解の活動ではないのでしょうか!!。




 昔、関西人と話していたら「関東の人ほど富士山は気にしていません」ということを思い出した。新幹線で大坂に帰るとき静岡あたりから富士山が見えるのだが「みんなきれい!」とかいうことを聞くが、少しも気にならなかったということだった。この人、昨年の1月で退社してしまった。いまごろ、何をしているのだろうかと思う。

 関東地方でいると、おおよそあらゆる場所から大きく、そして小さく見えた山は富士山だった。半世紀前に通った小学校の通学路からも見えてた。筑波山でさえ見えていた時代があった。その風貌は日本の顔のさえ思えるほどだった。一説に、都内の〇〇富士とか富士〇〇などとつく地名のところからは、富士山が見えたのだという。今は、近所にビルや工場などが立ち並び遮るものができたせいか、その姿はみえなくなった。その位置で、現在の位置がわかったことも便利な山だったのだが、開発は景色さえも変えていってしまう現実を生々しく伝えている。

 最近、いつも使う駅が新しくなって、その駅の窓からは富士山が見えるようになった。なかには、改札にはいる前にふりかえりその風貌をみる人さえみかえるようになった。冬には雪景色、夏には青々とした三角の山がみえることになるのだろう。やっぱり日本人は富士山が似合うのだろう。
 太宰治でさえ「富士には月見草がよくにあう」とことを言っていたではないか。そういえば、太宰治が三鷹に住んでいた時代、中央線の三鷹電車庫跨線橋 があったのだろう。そこからも富士山がよく見えたことだろうか。なぜなら、今でも冬の天気のいい日には、下り線路のほうを向けば富士山が見えている。
 それも、いつかは開発によっていずれ見えなくなる日がくるのだろう。ことごとく、発展は庶民の楽しみをとっていくような時代だ。

『豊かに』 吉野弘 
塚本正勝さん四十五歳
元・三井三池炭鉱の優秀な採炭夫
現在大牟田労災療養所で四十四人の同僚患者と共に神経機能障害回復の訓練を日々を送っている

昭和三十八年十一月九日第一斜坑で大規模な炭塵爆発事故発生。
千四百人の被害者中九百四十人は救出されたが、八百三十八人が
一酸化中毒のため神経機能麻痺。
大部分の人は治療の見込みのないまま現在まで
十年間のうつろな時を積み重ねている。
療養所の一室で塚本さんが今他の患者たちと言語機能の回復訓練を受けている。

文字を書いた紙が左右の黒板に何枚かずつ貼ってある。
その中の二枚を一組にして意味ある言葉にする。
塚本さんが椅子から立ち上がった・
その背に、同僚の声援と拍手が飛んだ。

右の黒板から「豊かにする」と書かれた紙を剥がし左の黒板の前に立ち考えて
「苦労を」と書かれた紙の下に貼りつけた。
苦労を。豊かにする塚本さんが陰でいつもう一人の塚本さんの手を借りて自分の運命を正確に揶揄してみせたかのように。

馬鹿笑いをする患者がいる。
「いいぞいいぞ」という患者がいる。
「ちがうぞ」と怒鳴る患者がいる。
塚本さんはニコニコして椅子に戻る。

「豊かにする」筈だった
「くらしを」は置き去りされて。
食べ盛りの三人の子をかかえた奥さん
みすえさん(四十五歳)はこの十年ずっと働き通しだった。

そして淋しく笑う。
「主婦ちゅうもんは、大体、男に頼って生きとっとです。それが、頼れん男になったとですよ。」

塚本さんは成長した長男の結婚を知らない。
「西洋剃刀だと、よく血が出すから」と電池剃刀を贈ってくれた次女を知らない。
奥さんから何度聞かされても忘れてしまう。

被災から十年いつも療養所にいなければならないか本人も家族も医者も、知らない。
療養所のグランドで塚本さんが他の患者たちと
野球をしているなぶしい陽射しに眼を細めながら。

これまでの十年と
このあとに自分に残された時間のすべてで
「苦労を豊かにする」と証言したことも知らずに
受けそこねた運命みたいなボールを笑顔で追いかけている。
//////////////////////////////////////////////////////////////////////
 コロナ禍のなか、みんなそれぞれ感染しないように日々を送っている。「今日の感染者数〇〇〇人」というニュースにため息がつづく。それでも、「自分だけは」はと思う日々だろう、と思う。ただ、もし感染してしまったのならどうるのだろうとという不安もある。不安の方が感染しないことよりも大きいのかもしれない。事実、健康なことが当たりまえに生きてきたことが疑わしく思える瞬間でもある。
 ただ、感染しない日々をまっとうに生きていくしかないのが今なのかもしれない。何を守ってとか、法律でしめあげたところで感染者はいなくなることはないのだからと・・・とも思う。
 そんな時「豊かに」(吉野弘)の詩が浮かんできました。
 毎日、暮らしを楽しくするため、働いたはずなのに、爆発時によって災難に遭う。突きつめてみれば、「人災」だろうと誰もが理解しはじめている。その被災者となってしまった。新型コロナウイルスも、もっとこれまでのことを考えれば何十年も前に「地域医療構想」なんぞで「病院を減らさなければ・・・」とか思っている人がいるでしょうか。そうすれば、病院のひっ迫とやら起きず、感染者ももっと減らすこともできたのではないのろうか。そのことを知っている人は、もう被災者の方にはいないようにも思えます。はるか彼方で高見の見物でもしているかのようにも見えます。
 そんな思いが「豊かに」という詩が語っているように思えるのだ。
//////////////////////////////////////////////////////////////////////


 2月がはじまったら、少しずつ日が延びてきているようになってきました。
 通勤帰りは明るい方がいいと思うのでありがたいなーと思う日々であります。
 今週、前回、記述した甲子園出場の優勝選手の逮捕の千葉地裁で判決がでていました。犯罪名は「強盗致傷罪」ということで、実行犯4人のなかの一人として判決を受けました。判決理由として「計画的で悪質」。その中の一人の選手だったこには「犯罪かもしれないと思いながらも、自らの意思で参加しており、酌むべき余地は乏しい」という見解でした。判決は懲役5年(求刑懲役6年)となりました。
 「理不尽な世界が多すぎる結果、理不尽な中にはいり、被害者に理不尽な犯罪をしてしまった」ということなのでしょう。
 世のなかにはもっと凶悪な・・・ということを常々考えてしまいますが、やっていることは同じでしょう。大事なことは、常にその中にいるという社会の理不尽を少なくしていことが大事なのでしょうか。思えば、身の周りに、理不尽ではなく、当たり前のことを探すのさえむずかしくなっているようにも思えます。当たり前が少しずつ政治の言葉になくなっていくような時代になっているように思えます。
 事実、政治家の犯罪は人間の営みを利権をもって正直に行なわれているかのようです。その一部始終を有権者はみていてまねているようです。いやな時代です。


 コロナ禍であっても、どうにか感染しない日々を送っています。
 そんなかでも、コロナ同様にますます人に感染してしまうものがあぶりだされていくようなことが多くなってきました。弱者を守る政治がいつのまにかいじめられていく世の中にならないように・・・と思う日々でもあります。
 それでは今週はこの辺で失礼します。
 読んでくれた人、ありがとうございました。