日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

1月の終わりに…サッカーアジア杯で日本優勝・オメデトウ

2011年01月29日 | Weblog


 こんにちは…。
 はやいものでもう1月が終わります。
今年の1年の目標など立てた方は、この辺で一度振り返ってみるのもいいものです。いかがでしたでしょうか。
 さて、季節はも「オニは外、フクはうち…」の「節分」や「立春」という言葉も聞こえてきます。会社から帰宅した夜、台所にすでに豆まき用の豆がありました。とはいっても、ひと袋に20粒くらい入っている豆袋が10個くらいのもの。なぜ、こうなのか?。これには理由がありました。一粒ごとにまくと散らばって後片付けが大変だということだそうです。なんんとも味気ないとうのか、迫力のない豆まきとなってしまいそうです。

 それから、へんな儀式があります。太巻きをつくり、それを切らず一本丸ごと、その年の恵方にむかって食べる儀式です。それも、食べている間は言葉を発してはいけないということだそうです。そして、願い事をするとかなう?のだそうです。
 それにしても、たって太巻きを食べている家族の様子を思うとおかしくなります。

 私の場合は「無病息災、云々」でしょう。
 そして「オニは外…」と。オニが私の不幸を全部背負って出ていけばいい一日だそうです。
それにしても、人間には誰しも、心にオニを持っているように思います。外国なら「悪魔」ということでしょう。この悪魔は人間を救うことはないのですが、日本のオニは人間の不幸を背負って外へ…という節分の日はなんとも憎めないです。
 人間とオニとの関係をもっと調べてみるときっと、切っても切れない関係にあるかもしれません。



 今月読んだ本…1月編。
今年から時間を見つけて、一日の隙間に読んだ本の紹介をしてみることにました。
 手にとった本は自分なりに何らかの理由があったのでしょう。読んだ後、初めの思いとどんなに変わっているのかを綴っていきたいと思っています。
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◎運命の人・山崎豊子著(文春文庫)
昨年末から読み続けているのは「運命の人」(全4冊)山崎豊子著(文春文庫)があります。
 これは沖縄返還(1972年)をメインテーマに書かれた小説。新聞社の記者が政府の外交機密文書を外務省女性職員から入手し、その文書を新聞に暴露した記事がきっかけに「沖縄返還密約訴訟」が争われた。小説では関係した人々(報道関係・政府関係・検察・弁護士)などを巻き込んでの人間模様が描かれれています。

「沖縄返還」とはいったいなんであったを問い直します。これまで、沖縄は日本政府によって(今でも)米軍基地問題を中心に切り捨てられてきた歴史がありました。明治時代には「琉球処分」という名で切り捨てたという苦い経験をもち、今でも米軍基地移設問題で延々と続いているところです。

 おりしも2009年12月2日に37年ぶりに元毎日新聞記者西山太吉(78)さんが「沖縄密約」はあったと証言しました。小説に書かれたようなものだったかもしれません。証言によって沖縄返還に関する「密約文書」はあったという真実が歴史の表舞台に現れた瞬間でした。小説にはこの流れを時の総理大臣や新聞社の様子をうかがえるところもあり、大変読みごたえあります。

これまでも沖縄は『琉球処分』(大城立裕)の小説でも書かれていますが、明治政府の廃藩地検の際も切り捨てられた歴史がありました。
 小説とはいえ、歴史のひとコマを描いた価値は大きいと思いました。作家・山崎豊子の作品にはこのようなところがけっこう多いので好きです。

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◎日本のサッカーはなぜシュートがきまらないのか・永井洋一著(合同出版)
 今、日本代表のサッカーチームはアジアカップで決勝戦までこぎつけていました。その勝因はいったいなにか?…と考えたときこの本に書かれていたことの逆を実践したように思えます。決勝戦までに、今までの反省をみごとに学習し実践しているように思います。

本によれば、南アフリカワールドカップの日本を分析している。例えばパス成功率はベスト16チーム中最低、決定力のなさも指摘している。チャンスはあるが、ここ一番の決定力で成功していれば、ゴールネットをゆらしベスト8も夢ではなかったとも…。

では今回、アジアカップでの活躍はなぜできているのか…。その答えにゴール前の正確なパスワークがあり、外国でプレーをする選手がほとんどゲームを組み立て、相手ディヘンスを切りくずしている国際基準があるからだと思えました。

 また、外国からきた代表監督は日本の文化(強いては日本人の行動パターン)との闘いであったかを書いていた。これは面白い指摘だと思う。昔から培ってきた日本の独自の文化が築かれてきた戦いのパターンをいかにうまく効率的にのばし、さらにそれを攻撃に結びつけるかという問題と直面している。
 文書に「絶好のチャンスをものにできなかったときに、そうした心理で納得してしまう私たちの気質こそが、勝負の分かれ目嗅ぎつけ勝負をたぐり寄せる「決定力」が育たない原因の一つではないかと、と私は思っています・34頁」と指摘したとこなるほどと思います。
 たかがサッカー、されどサッカーだと思った1冊でした。

 23日アジア杯サッカー決勝戦で日本がオーストラリアに延長後半、李選手のボレーシュートによって1対0で優勝しました。やった!!!。
 この得点も外国移籍、長友(イタリア・チェジェーナ)のセンタリングのアシストによっての決勝点だった。今回、アシスト賞があるとすれば、断然、長友選手だったに違いない。これも、やはり日本的なイメージよりも基準がちがったのだろう思う。香川選手の離脱はいたかった。
 お疲れさまでした。

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◎指導者バカ・西村卓二著(日経プレミアシリーズ)
 西村卓二といえば日本卓球代表チームの監督。監督の仕事は結果を残すこと…。それが一つ。だが、それだけでいい選手は育つのか…という疑問が常についてまわるのも監督の仕事です。そんな監督の悩みと考えを示した1冊でした。

 さらに試合より、練習の時のほうが監督として仕事は重要で厳しくするともいう。ムムム納得する。試合は、選手のはれの舞台。応援する側に回ってがんばれというしかないともいう。

 監督であるまえに一人の社会人と考えれば、人として当たり前の人間を育てるということだろう。選手生命は短い、その後の人生の方がはるかに長い。そう思えば、一時の有名選手で華やかな世界は消えるということだろう。選手にとって大切なのは選手生活で培われた人間関係、人と人との付き合い方だとも…。さらには、人として自信を持ってもらうことが大事だともいいます。

 どれをとっても、私たちの生活と共通する場面が多いのではないかと思いました。指導する…ということは一方で自分が選手に支えられていることに気がついたり、選手の欠点を諭してあげ気づかせることによって、克服する機会をつくりあげることだと思います。

 どれも仕事や家族、さらには社会の人間関係の間でも同じだと思えた1冊でした。

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◎あなたが変わるまでは私はあきらめない・努力するこころの育て方・井村雅代著(光文社)
 NHKラジオ番組「どよう楽市」のゲストで井村雅代氏の声を聞いてから読みたくなった本です。シンクロナイズドスイミングの監督であった井村雅代さんがオリンピックで何気なく応援していたスポーツの監督だったとは…。

 監督が北京五輪の代表チームに招聘されたときの話は面白い。多くの日本人にバッシングを受け、それでも中国監督になった。
 中国の監督になって思ったことは、もっと日本人が世界に出て日本のシンクロを広めること。そして、日本の文化を生かした「表現の細やかさ」など広めていって、これを世界基準にして審判団に訴えていくことが必要なのではないか…ということであったようです。

 いまや、シンクロでロシアやスペインと競っても今のところ世界基準(技術の正確性、力強さ)が先攻してしまっているため勝てない…だそうである。これが、今世界中のシンクロの世界基準だそうです。だから、日本の良さを世界に広めるためには、日本人監督が招聘されていくことも大切な理由になるそうです。

 だからといって、監督がいってすぐ変わるかと言えばなかなか大変だった様子でした。中国へ行ってそれがわかったようです。容姿は背が高く、すんなりした体型がまだ本当に生かされていなく、基礎体力も出来ていない中国選手に驚いたようです。挨拶も、それから筋力の作り方もできていなかったため、ここで日本の文化の登場で「愛想笑い」や「自分の思い伝える」ことがいかに大切かということが書かれてありました。

 「自分は何をすればいいのか考えて行動すること。それが大事なんです。みんながやっているからじゃなく、自分はどうするのか考える。小さな行動でも、自分なら何ができるのか・29頁」とあるように、一人ひとりの強い思いと実行の努力しか強くすることできないのだなと思います。

 「頑張れじゃだめなんです。何なのために頑張るか、そのための練習があります」というこだろうと思います。
 
 読み終えて、監督(指導者)の思いがあやふやだと選手も頑張れないのだな思います。選手には、自分にはできるという自信をつけさせるためにも、選手自身が努力を惜しまない心をつくってあげる環境、指導も絶対必要なのだと思いました。

 最後に今月はスポーツ関係の本が多かったようだ。それも、監督という指導する人が書いたものだった。それは、私があまりにも不安定で自信がないことあるのだろう。
 そんな思いもあり、一流の監督はどんな気持ちで、選手(人間)に助言し、自信の持てる人をつくっていくのだろうか…という気持ちもあったにちがいない。そのなかで、何よりも自分が自信のもてる生活を作りたいと思っていたのだろうという証だろう。

 いずれにせよ、本は読まなくても死にはしない。しかし、読まないより、読んで何らかの人の書いたものを読むという行為は今より少しでも違った見方も世の中に多いことに気づかされる。そんなことが、大切なのだと思う。
 他に読んだ本「犬を殺すのは誰か」(ペット流通の闇)太田匡彦著・朝日新聞。「本は物である」(装丁という仕事)桂川潤・新曜社などがありました。



 今月も最後の日曜日なりました。速い…と思った月でした。
 そろそろ、おおよその会社では前年度予算の消化や新年度予算の取り組みがはじまるころでしょう。労働界では春闘という言葉も聞こえてくる時期でもあります。
 他の会社からの新しい仕事を受注するころでもあります。ありがたいことに、営業の方から「こんな仕事はでやってみてくれませんか…」という相談を受けることもあります。

 相談されて「出来そうだとか面白い」と思う仕事もあります。どんな基準で決めるのかといえば、私は「職場の人数と技術、さらにどれだけ時間がかかりそうか…、あるいはお客様のこれまでの対応等など、今までのお付き合いでのどうか」と思いつつ決めます。あるいは担当者の熱意でしょう。

 実際、明らかに物理的(人数・技術・時間・手間賃)を考えても無理な場合はお断りを営業の方にいいます。
 無理をして健康を害してまでやることが本当の仕事だと思いません。それでは次がなくなります。

 実際のところ、新しい仕事にむかう時誰にどんな風に、いつ、どんな形でやろうかと悩みます。「やりたい…とできる」は違うと思うからです。まして、お客様に頓挫してしまった場合に大変ご迷惑をかけ、お客様、担当者の信用を落としてしまいます。そんな事を考えると、現時点の状況でできるか悩むところです。(その仕事ための新規採用を会社が考えてくれればまた別になりますが)

 自分の見聞を高めたいということで、営業の人の予定がしっかりしていて、サポートもしかっり頂けそうなら頑張ってみたい仕事も個人的にあります。しかし、仕事は一人では完結しません。多くの協力で成り立っているわけですから無理なものは断らなくてなりません。

 その断り方にまた悩むところです。
 「できない…」では理由になりません。なぜ、どうして、現時点ではこうだから…などと、結局できない理由を納得してもらわなくてはなりません。さらには、このことによってお互いの信頼がなくならないによう、次につなげるようにするための断り方です。
 悩んでしまっても仕方がありません。とりあえず誠意を持って対応するしかありません。
 
 …と思います。また一本白髪が増えそうです。出来れば、何の仕事に対してもスタッフがすぐ考えつき、じゃがんばろうや!と言える職場が大事だと思います。いま出来ない仕事でもいつか、できるような人数、時間的余裕がつくれる職場にすることが今の仕事の大切な目標だと思えます。小さな仕事も、チリと積もれば山となる…です。それが今一番対応できることだと思います。
 どう思いますか…。
それでは今日はこの辺で…。
 なにはともあれ…はやく温かくなってほしいですね。

 たまたまページを開いてみてくれた方、ありがとうございました。

■今週の主な動き(1月23~29日)
◎通常国会開会:第177通常国会が招集(24日)
◎ロシアドモジェドボ空港で自爆テロ25人死亡(24日)
◎東京秋葉原の無差別殺傷事件の元派遣社員・加藤被告に死刑求刑(25日)
◎相撲の野球賭博の元力士4人逮捕(26日)
◎鳥インフル猛威で宮崎、鹿児島、愛知三県の養鶏場感染(27日)










サッカーアジアカップ戦の日本代表の活躍はいい!!

2011年01月23日 | Weblog


 こんにちは…。
 まだまだ寒い日が続きそうです。朝の通勤時間は背中をますます丸くなってしまいます。
 さらに「今年は、インフルエンザが流行りそう」などというニュースがに身を震わせるいるところです。ちなみにこれまでにインフルエンザで医療機関を利用した患者が78万人、うち9割が新型だそうです。

最近都の福祉保健局がはやくも「インフル流行注意報」なるものが出されました。昨年9月に発令されて以来2番目と早いそうです。 
この見えないウィルスにどう立ち向かっていくのかということを考えると心配はまだまだ続きそうです。

自分自身のことを考えると調子が悪いとき身体がシグナルを送っていることにいち早く気が付けば予防もできるだろうと思います。私の場合もあります。働きすぎ、遊びすぎのとき身体にシグナルを出しているときどんな変化が起こっているのか気が付けばいち早く対応できるのだと思います。
 さて、どんなシグナルをもっているのでしょうか?



今週は休みます。



 はやいもので1月も終わろうとしています。仕事も昨年同様に進んでいます。
 職場ではカゼが流行しているようで、インフルエンザにかかってしまうと、できるだけ休んでもらうようになっています。会社の帰り、上階の隣人との会話にもインフルエンザに敏感になっていて、職場でも「全員がマスクをして仕事ををするのを見ると、ちょっと異様ですね…」などといっていました。

 今いる職場で半分以上が休んでしまったら、まさに「非常事態宣言」でも出して、管理者全員が「なぜこうなった…」か問われるでしょうね。そうならないように何ができているのかと思えばなーんにもしていないし…。とりあえず個人の健康管理でせいいっぱいというところでしょう。困ったことに今週は休みの連絡を受けるのが恐怖を感じた一週間でもありました。

 さて、私に今年から今いる職場内での新しい技術を取得するよう業務命令(?)が出まして日々、勉強中というところです。
 その理由は…と問えば、なんとも曖昧模糊としているところです。人の少ない職場環境を考えないところで、どれだけ出来るのだろうかと悩みます。これまでに経営者の考えることをちゃんと聞いたことがありません。まあ、そんなことを気にしていても仕事は待っていてくれません。

 
※この機械は写研の自動写植機です。これは2世代でしょう。この前に手動写植機があります。

時代の流れのなかで技術は進歩はするものだとはいえ、今回が何回目の勉強なのかと思うといろいろとやってきたと思います。
 思えば、入社以来、手動の写植機。(わからないでしょうネ…)こんな古い機械。いまじゃ博物館でなければご覧になれないレアーものですから。 
自動写植機(これは「男はつらいよ」という映画でタコ社長が経営する印刷会社で使っていましたネ)年末の大掃除の時は全部分解してネジ一本まできれいにした記憶があります。その後、DTPということでパソコンを利用するようになり、現在にいたりました。

 今年は記事データの出力です。すべてのデータを印刷できるようにする職場です。ちょっと勉強したものの、覚える内容は山ほどあるようです。さすがに若い時のようにはいきませんが、日々、現在の今の仕事と新しい技術と二足のワラジで覚えるべく励んでいるところです。

 いずれにせよ、思えば、大事なことは「いろんなことが起こると想定すればいい、大変なことが多いと想定すればいい」と考えています。むしろすんなり、いくとは思っていません。ながい人生経験でうまくいくことよりも、大変なことの方が多いと思えば気持ちが楽になります…。むしろ、その大変さが仕事だと思いますし、汚れた中年にもなるとジタバタしたところではじまらない…とあきらめていますヨ…。

 後はケースバイケースを経験して、最後は自分の思うように変えていくだけでしょう。

 ただ覚える環境がいいとはいえないのが実態です。これは、会社をあずかる監督(経営者)の問題でしょう。これまで、経営哲学を聞いたことがないのが残念に思うこともあります。だいたい、社員と話したいのか…?

 私の場合、とにかく日進月歩ではなく一歩一歩です。




◆…お◇ま◇け…◆
21日に行われたAFC(サッカーアジアカップ)で日本代表がアウエーのカタール3対2の逆転で勝ったことは感動しました。
 おそらく、これまでの日本代表のサッカー試合をみてきた中で最高の試合であった言えると思いましたネ。この試合ではさすがに血湧き肉躍る時間でした。なんせ、後半16分にセンターバック吉田選手(VVVフェロン)が退場したときには、これで終わりだな…と思ったほどです。

 試合を見ていて、なんとも日本人らしくない新しい形の得点シーンを3度も見られたことには驚きました。逆に、フリーキックやコーナーキックを得意としている日本らしさは全然出ませんでした。これが、ザッケローニ監督のめざすチームメイクかと思えました。

 とくに外国経験のある香川(ドルトムント)、本田(CSKAモスクワ)、長友(チェゼーナ)、長谷部(ウォルスブルク)選手などの活躍が目立ちました。これが「世界基準」のプレースタイルだのだろうと思えました。パスのスピード、ゴールエリアでのディフェンスの崩し方などどれをとってもこれまでの日本の形ではないなあーということが見えます。

 また、審判もアウエーということから、日本代表に不利なジャッジが多かったことに気づきます。この主審、どこかでみたことあるぞと思いきや、2004年度の大会でも準々決勝、ヨルダン戦のPK戦で日本代表の宮本選手がピッチ状態の交換を説得された主審のサレハ氏だったことを思い出しました。

 次は韓国戦。これにうまく勝てば決勝戦(25日火曜午後10時)。これも厳しい試合になれだろうと思います。
 カタール戦のような試合運びをすれば勝利もあるのでしょう。


 休日、妻と一緒に「能狂言」を見てきました。
これは娘が当日用事ができてしまって、そのピンチヒッターで私がチケットをいただいたので行けたのです。

 第一印象は「退屈で眠そうな」ものだろうな…と思って見にいきましたが、いやいや面白いものでした。これが「食わず嫌い」の目覚めというのでしょうか。
 ただ、言葉が武士言葉だそうでわかるまで時間がかかるそうで、主催者の説明では「英語を初めて聞いたときも分からないのと同じ。少しずつ聞きなれるしかありません」との説明がありました。

 「なぜ武士言葉」になったかといえば、江戸時代、幕府は全国共通後なるものをつくるため「能」を利用して、その中の言葉を武士全国共通語にしたいがために広めたそうです。武士社会では「能」は出世の必須アイテムになったそうです。
 例えば「ひかえー無礼者…」という言葉を普通に言ったら迫力も威厳もないでしょう。だから、武士言葉で、野太く…となるようです。(納得)

 ということで、実際は眠いところではありませんでした。床を蹴るし、野太い声は出すし、ぱっと目が覚めることが多かったです。
 でもやはり、私は歌舞伎の方が好きですね…。
 落語もいいです。解説によると、能狂言は神事であるようで、武士が楽しめる芸能ということで始まったそうです。人間の悲しみや、あわれみ、弱さ強さが表現されているそうです。
 人の命のいとうしさが、いつの世にもあったことが確認できるように思えるのだそうです。

 それから江戸時代には「拍手」という文化はなかったそうです。ですから、終わりが近づいての拍手はしないそうで、役者が全部いなくなってから拍手をするのが普通だったようです。拍手は外国の文化だそうです(これも解説によると)。

 狂言の方は笑いあがり面白いものでした。人の持っている面白さを表現しているように思います。滑稽といったほうがいいでしょう。
 狂言…能、狂言…能という形が5幕あるのだそうです。だから、本当は一日がかりになるとのこと。能ばかり見ていると気持ちがめいってしまうので間に狂言を入れるそうです。緊張をほぐしてまた緊張するということだそうです。(解説)

 役者の世界の言葉に「芸事の場合、けいこを1日休めば自分に分かり、2日休めば師匠に分かり、3日休めば客にばれるという。5日休んだら別人になるだろう」という厳しい言葉あるそうだ。休むのは必要だが、芸人にはない。それだけ、厳しい世界に生きていることは大変なことだろう。
 私には到底、できそうもない。観るのがせいいっぱいだナー。
 
 と思うと、日本文化を支えている「能狂言」の役者はえらいもんだ。
 とうてい、私などに気がつく範囲を超えたそれはすごい世界観があるのだとう…。それが日本の奥深さなのだろうな。
 そうすると、ますます日本のよさがわかるんだろう…と思いつつ、妻と丸いお月様をみながら歩いて帰りました。

 ではこの辺で、たまたま読んでくださった方、ありがとうございました


16年目の阪神淡路大震災を思う…

2011年01月16日 | Weblog


 新年がが始まったと思ったら、もう中旬です。
 時の流れは速いものですネ。
 年の始まりに、「今年こそこれは続けたい…」と思うことを考えてまみました。

 とは言っても自分の懐具合や環境によって制約がありますが今年1年ガンバテみたいことがあればなとなと考えてみました。
 これまでやってきた山歩きは続けたいと思います。歩くことは嫌いじゃないのでその利点を生かすとすればこれしかないように思えました。
 ダラダラとヨレヨレになりながら歩いていると、面白いことに自分の身体と会話をしているように思うことがありますよ(ちょっとかっこつけすぎかな)。

 次のピークを目指すとき、いまの条件ではさらに高いところへ行けるか、というとき誰に相談するでもなく自分自身に問い、答えを出し無理なら撤退、いければ歩き続ける、という自分との会話が面白いと思います。

 朝、起きてから帰りの時まで歩く…。山小屋も泊まりたいなあと思う。東京でいちばん高い山「雲取山」にも行きたいネ…。

 さらに、山歩きで唯一ホットできる瞬間。食事の時です。
 やはりメニューもレパートリーを増やしたいと思います。いかに短時間で、安くて、コンパクトでうまい食事をつくれるかが大切ということを年頭において頑張ってみたいものです。

 まあこんなところで…。
 今年はこんな具合でがんばっていこうと目標ができたゾー。
 まずは、こればかりは行動あるのみです。



 菅首相が第2次組閣が決めたようです。
 今回の組閣の特徴は「増税と社会保障」をいかに国民を浸透させるかということだろう。
 
 一方、巷ではいつのまにか「タイガーマスク運動」という名前がつけられ、どこの誰だかわからい慈善運動がはやっている様子です。あるところにはあるんだ!と思いますが。
 それにしても、寄付金がどこの誰だかわからい人が運ばれてくるという状態はいったいどうなっているのだろうかと思います。

 善意の寄付金はいいのですが、人と人のつながりを拒否しているような感じがする行動のように見えます。それが、なにかこころのころです。
 でも、なぜこのような人が寄付するのか…。世の中すてたものじゃないと思いつつ、なんとも不安がのぞいているように思う。

 わたしも、「タイガーマスク」なる漫画をテレビでみていた世代でした。
 「虎の穴」出身の伊達直人の活躍に胸を沸かせた。
 「草も木もないジャングルに、死を呼ぶわなが待っている…正義のパンチをぶちかませ…ゆけゆけタイガー、タイガーマスク」「強ければそれでいいんだ、力さえあればいいんだ…それだから、云々…」と歌詞も口ずさむこともできます。プロレスで活躍するタイガーマスクは、孤児院の子供たちとっては「希望の星」であったように描いていました。

 タイガーマスクが目の前で活躍する姿を応援するという「見える」存在であったのです。だから、子供たちも涙を流したし、生きる希望をタイガーマスクとと共に分かち合って応援していました。そこに、このマンガの特徴である、人として共有する大切なものを見出していたのだとう思う。
 今回はそれがない。なんとも不条理…ってなところです。

 本来、このようなことは政治が国民の税金をうまく還元して憲法25条にの「生存権」を保障する意味でやることでしょうね。
 世の中にとってはうれしい話題かもしれないが、政治家の無策を指摘しているようなところもあると思うと悲しい気もします。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 さて今日のスクラップはこの話題ではありません。
 今年は「阪神・淡路大震災」16年目をむかえた。
 16年前、夜明けの寒空に、ガレキにパジャマ姿でしゃがんで祈っていた女性の報道写真が記憶に残っているます

 その朝、テレビをみて心配して、兵庫に住む親戚には電話をけけましたがかかりませんでした。四国を中継して、親戚の安否を確認したときは、泣きたいほどうれしかった…事を思い出しました。

 死者6400人を超えた、都市型地震の典型的な災害だった。さらに、その死者も安いアパートに住んでいた若者が多かったという。さらには、耐震性の低いビル、マンションなど。

 このことによって、政治の世って多くの住居は耐震生を追求する時代になりました。また、ボランティア元年でもあったようです。
 実際、震災時での活躍は市役者や警察など税金でひごろ市民をまもっている人たちの活躍はたいした力にはならなかった。むしろ、無名の全国のボランティア市民がかけつけて、会話のなかから復興に大きな力をだした時代でもあったように思えます。

 その後、多くのNPOが起ち上がり、自然災害の復旧に日本だけでなく世界中で活躍できるようになった年でもありました。

 わたしも、そのNPOの紹介で毎週土曜日に「防災士」なる勉強会に参加していました。約1ヶ月間、夕方まで東京のあちことの会場で主催される勉強にかよった事を思い出した。
 勉強の内容は地震の特徴や、救助にかかわる実践でした。そのなかで「人を助ける前に自分の安全をまず確保」ということだった。そのことを徹底的にたたきこまれた記憶があります。

 今でも覚えている言葉は「トリアージ」という言葉くらいです。あとは忘れましたが…。
 大切なことは、多くの知識ではない、大きな声と、人と助け合うという協助の気持ちでしょう。

 震災後5年後あたり、甥の結婚式で、神戸を訪問したとき、素晴らしい復興に驚いてしまった。震災当時、高速道路が倒れ、家々から火が出ていた報道ニュースが、記憶だけの世界になっていた。その、復興の世界で本物の生き方をしている兵庫の市民をみたように思いました。

 しかし、復興後いいことだけではありませんでした。復興住宅で孤独死が増えているという。2008年46人だったが2010年は51人。それも、発見されるまで1か月もかかったりしている。もっと早く発見できれば、生きていたかもしれないという。(朝日1月15日)

 新しいものができると、どこかで誰かにそのひずみがでてくる。よかれと思ったことであっても、一方でそれが、誰かを弱くしてしまっている…。それも、回復可能の体力があればいいのだが、体力さえない弱者が犠牲になっていく結果はどこかおかしい。

 復興16年目、そのゆがみを背負って生きていることは確かだと思った。


 3年働いた娘が今年会社を「辞める」と言い出した。
 これまで、このことは聞いていたがその年が今年になったとは時の流れが速いのを悔やんだ……。

 いずれ、彼女もあきらめて、今の会社で頑張るだろうと思っていたのは私だけで、着々と学校にいく貯金もつくって辞める決心でいたことに驚きました。

 辞める理由を聞くと「会社に不満はない。それでもいまの会社は長くは働くとこらくところではない」という。
 思えばIT産業は日々進歩している。世界のマネージメントに追い抜き、追い越せの仕事である。常に新しいことへの変化。おかげで彼女は、通常、お金を払って見に行く多くの有名人と接することができていてうらやましいと思っていたのに…。

 入社当初、それは残業もはんぱじゃないほどやっていた。労基法違反も家での残業は放置されている。うまく考えるものだ。それでも、歯をくいしばって頑張っていた。それは、社内の同僚の支え、励ましがあった。だから、同僚はみなうらやましいほど、強い連帯感で仕事をしていたようだ。

 「それでも辞める…」とは。私の価値観をすでに越していると思った。「専門学校」に通うと決心は本物のようだ。給料もそこそこ高いくてよかったのに…と思うのは親の気持ち。せっかく、面接をあちこちしてやっと入ったのにと思う親…。

 「では、何がしたい」といえば、はっきり返ってくる。もう、こうなると、何にもいえなくなる。
 そういえば「私はなにをやりたかった」と逆に問われたら私はなんと言うのだろう。こんなに明確なことはいえないのかな…と思った。

 最後に条件を出した。「私が健康で定年まで働ける間、次の仕事につくこと」といった。また、うしろから応援団として、旗をふるしかないように思えた。

 自分もまあ、やりたいことを本当にこの仕事だったのか?と思うと正直自信ががないのでしょう。とはいいうもの、これで生活してきた自信はあります。
 うっかりしていられません…。

でも、これだけは言えると思うのだ。
 「どんなに単純な仕事でも、それに責任を持って仕事に対するモチベーションを追求していこうと思っているうちはどうにかなるだろう」と…。「こんなもんだ!とあきらめたら、仕事もただの作業になってしまって、他人様との関係もうすれて、自分のやっているありがみも他人様への感謝もなくなってそれは味気のない仕事になるだろう」と思うのだ。

 人はどこでどういう縁があって、自分がやりたいことが発見できるかもしれない。また、まったく発見できないこともあるかもしれない。
 いずれにせよ、つきたい仕事に対する努力をしている人のみがその縁を強くひきよせる力を持っていることは確かだ。さらには、そこでどんなふうに仕事をしているか、強いイメージをつくっている人が引き寄せる磁力が強いのは確かなことだと思う。

 ああ、まいってしまった…。

たまたま読んでくださった方、ありがとうございました。

 





初仕事…はじまりましたが…

2011年01月09日 | Weblog


 寒さも、本格的にきびしくなってきました。東京でも初氷の観測も報道されています。空気や水の冷たさがいちばん身にしみる季節です。

 そろそろ、正月気分も少しずつぬけて、一年の大半を過ごすであろう仕事がはじまりました。
 正月過ごした故郷や友だちの顔やおせち料理の味など思い出されることでしょう。のんびりとした夢の時間はとうとう、現実に引き戻されました。

 初仕事の日、さあ今年も頑張ろうと思いきや、家族全員がかぜをひいたようです。
 4日は、娘、翌日は私、さらに奥さんが次々に調子をくずした一週間の始まりでした。代表をして、奥さんが病院に行き診断された結果インンフルエンザではないそうで安心しました。
 …とまあ、年頭そうそうこんなありまさでした。
 今は、今年最初の祝日のおかげでどうにか治りそうです。
 おそらく、年末から新年と寒暖の差がはげしく、そのなかで緊張がゆるみほっとしたところで油断したのでしょうか。
 人の多いところに出かけることが頻繁にあるようになった平日は、うっかりするとかぜなども伝染されてくるのでしょうか。



 新企画です。
 「歌は世につれ、世は歌につれ…」というフレーズがつくづくそのとおりだなと思うことが多くなってきました。
ボーとして散歩していると、五感がなにを感じたのか、ふと口ずさむ一曲の歌詞やメロディーがあります。なんでこの曲?と思うとこれまでの回想やこれからの先が開けたり、勇気づけられたりすることもあります。
 そんなことを考えてブログに起こしてみました。
 今回は、寒い毎日、ふと真夏の太陽が懐かしくなり思い出した一曲がありました。



 イルカの「海岸通」(作詞・作曲:伊勢正三)
 あなたが船を選んでのは
 私への思いやりだったのでしょうか
 別れのテープは切れるものだとなぜ
 きづかなっかたのでしょうか
 港に沈む夕陽がとてもきれいですね
 あなたをのせた船が小さくなってゆく

 夜明けの海が悲しいことを
あなたから教えられた海岸通
 あなたと言うとおり妹ままで
 いたほうがよかったかもしれない
 あなたがいつかこの街離れてしまうことを
 やさしい腕の中で聞きたくはなかった
 まるで昨日と同じ海に波を残して
 あなたをのせた船が小さくなっていく
※by「IRUKA BEST」CRCP20422(PANAM)アルバムより

 とおい記憶にあるこの歌の季節は 真夏でした。
 学生のころ夏休みを利用して実家の墓参りにいった帰り。姉がきていて、東京の下宿に帰るまえに一日遊ぶに行くことになった車の中の出来事。車の中はクーラーをガンガンかけてカーステレオから流れてきた「海岸通」が流れてきたとき、姪2人も一緒になって大合唱でした…。

 歳をとることや、時代が変化していくことなんて何も関係なかった。ただ、声を出して、海が見たいなあと思いつつ歌っていた一曲でした。
 現実は厳しいもので、いまはみんなバラナラでそんな事があったと笑い合う機会さえなくなった。そんなことを考えると、あの時の一人ひとりの笑顔がわすれないだろう。きっと忘れなければ、また思い出す一曲です。


 …とまあ、ほんとんど私一人の思い入れの曲ばかり選ぶ新企画です。できれば、選んだ曲を語り合う場が欲しいのでしょう。
 ということで、今回はこの辺で(この企画は不定期です)。


 今年最初の仕事が始まり朝から職場では新年の挨拶やら、年末の話題などで多かったような気がした。私の会社でも社長の挨拶があったり、その部下の同じような挨拶があったり、やっと始まったという気がする。

 実質的に私の今年最初の仕事は、上司と一緒に、従業員一人ひとりとの面接だった。「燃えているな…」と思う人、「欠員で困っている人…」少なくなった人たちとの有意義な面接だった。それで、少なくなった部については、他の部署から人員を配置して補助をつける説明や依頼もした。それでも「困った」は消えないようだ。

 しかし、年頭あいさつでは、2人減員についての話題などどこ吹く風…で社長以下、その部下も何にも語っていなかったことには残念に思えた挨拶だった。

 一年のはじめ、今年ほど「これからどうなるんだろう…」と思った年もなかった。仕事は昨年同様にあるだろうが、それに対する人員の確保がないということは昨年以上いい仕事はまず無理だろうと、最初に考えたことだった。私が今の職場にはいって、およそ半分がいない。それに対するケアーがないといういうこともある意味で経営者としてどうなのかということも疑問に思った。

「やる気がない…」という言葉を聞くが、「やる気」を出す前に、自分の職場が消えていくような気もした。大袈裟なことかもしれないがそのことを目論んでいるのだろうかということも考えた一日だった。製造現場では一人の力はたいしたことはできない。一つのことに対して何人もの手が必要な作業場だ。

 挨拶を聞いていたら「やる気」はわかるが、それじゃどうしていくのか?ということが机上論のように聞こえた。具体的に、でどうする。人の確保は…、配置は…等など。実に「仏つくって魂いれず」状態のように思えた。世間ではこんなことは珍しくないのだろうと思えた。

人がいない。人を育てる余裕がない。余裕がなければ事故(ミス)が起きる。2005年4月25日に起きた京都福知山線脱線事故で死者107人、負傷者555人の死傷者をだした脱線はその教訓だと思っている。「安全対策」の強化というものの結局、機械が安全にするのではなく、最後は人の手だということが明らかになった事故だったと思う。ただ、この関係について労働組合と会社との綱引きがどこまでできているかが大切なことなのだろうと思った。

 と、思いうつつ「自分にできること」などを考えた。それしかあるまいと…。
 これが変化…?
 高齢になると、この変化への対応が遅くなる。まして自分の行動パターンを変化させることはもう一つの冒険に近い。それが、新しいものや楽しくさせることなら、行動パターンを変化させることは楽しいものになるだろう。これまでの経営陣の「しりぬぐい」的な変化を強制させていられるように思えている今、少し、つらいものにならだろうと思う。

それは、それとして、私の問題としてあるいは課題としてやっていくことを考えた方が気持ちは楽になる…。誰のために働いているのだと思うとなおさらだ。

 最近ラジオ番組を聴いていたら、今プロ野球現役投手の最長老の工藤公康選手が言った「前後裁断」という言葉を思い出した。投手をしていて、勝敗に一喜一憂するのではなく、常に「現状の進歩=今のいちばんいい状態の追求」をするということという。それは、過去は作れないが未来はつくれるはず…。と考えればつねに前へ進むために、ベストを追求しいくということ…となのだろう。そして、これがながく投げられる秘訣と…。これは、大切なことだと思う。

 それにしても、年頭挨拶を聞いていたら、カゼの身体に悪寒がした。その日、早引きした日でもあった。
 さて、今年はどんな年にしていこうかと思った。

 さて、こんなことを思いつつ今年が始まりましたが、体調をくずしてはもともこもありません。
 「たまたま読んでくださった読者の皆さま」はいかかでしょうか。
 …と、今年もこんな具合で出発していきます。一年間はまた、よろしくお願いいたします。

あけましておめでとうございます!

2011年01月01日 | Weblog


あけましておめでとうございます。

新年が始まりました。
時間があるとのんびり生きていると、現実はさっさと過去になっていく毎日がうらめしく思う新年です。永久の続くことはないと知っていても、1年365日の始まり。いっちょう、何か目標でもつくろうかと思う元旦です。

「足るを知る」という言葉があります。自分に与えられた役目、宿命を知る…ということなのでしょうか。日々の生活のなかで、それを暗唱していると、多くのものを求めたいということもなくなります。
 「今、自分ができること、欲していること」を知ることが大切で、そのなかで自分の領分を知るということなのでしょう。そのなかで最善をつくすのが私自信という生き方なのだと思います。大小、高低は他人が決めること、そこでは私は最高なのだと思います。

人間の欲望はそれは、恐ろしいほどで、アダム・スミスの「神の手」はあらゆるところに触手をだしてきます。それが経済成長です。さらに、欲望を満たすために他人の領分に侵入していくのが戦争です。
それが「足るを知らない」ということでしょう。

一番いい方法で手にとることが自分自身の生き方だということも知るのでしょう。

 今年はこの言葉を心の奥に持っていたい一年でもありたいと思います。
 ことしもよろしくお願いします。


未だ…目次作成中。あと50ページほどで終わります。


 大晦日から掃除をはじめて、いまだ終わっていないのが私の住む部屋だけだった。
 よく「散らかっているのでごめんなさい…」というところではない。この部屋では物置みたいになっているのが実態だ。

どうがんばっても、1リットルのボトルに2リットルの水は入らないというガラクタが多い。奥さんは、あきれて「捨てなさい」とのひとこと…。
 今年一年で貯めたものはお金より多いと思っている。拾ったものが多い。多摩川を散歩していたら、川の流れにとてもうまく削られた石ころ。さらに、土手で野球をやっていたチームがなくした野球のボール…など。

 さらには奥さんいわく「…読みもしない本ばかり」と…。
 そして私、「読みたいと思ったとき手元になければ読めないだろう!」と怒る。

 とうとう、自分自身がいやになって、一人怒ってみんなゴミじゃ……と、ごみ袋に投げつけている。
 本なんか読まなくたって死にはしないし、と思い次々と捨てる…。

 よくよく冷静に考えるとどれも何の役にたちそうにない物が多い。漬物でもすれば多いに役にたつ石も、やらないので役に立たない。
 捨てたものへの未練は大きい。だから、また見つけて、買っている本もあったりする。そして、同じものが2冊になっていることもある。

 それにしても50年も生きてくると、拾ったものも多いが捨てたものもけっこう多いだろうと考えている。
いつの間にか除夜の鐘の時間…。これで今年も終わりだ。しかし、よーく考えてみると、時間だけが昨年から新年で、私の目の前にあるゴミどもには関係がない。いってみれば、新年という時間の犠牲者たちなのだろう。旧年、新年ということがなければゴミは永遠に手元にあって私を喜ばしていてくれたのに…と思う。それが、私の宝物ように思いつつ喜んで…。

 と、はいっても時間は誰にでも共通に持てる大事なものだ。それをどう使うかが大事なのだ…。深夜に時間は有限な資源なんだと納得していた。時間には罪はないのだ。

 今年も、家族で初詣に行った。ちっとも進歩のないことを後悔しつつ元旦は終わっていく。「良い子のみなさんは決して真似はしないように…」という言葉を思い出した。そして、整理するももが必要だな…解決案が頭に浮かんだ。(なんとも遅いのだが)

 シンプル・イズ・ベストはいい言葉だが、悟りでも開かないとこうはならないだろう。でも、これって名言だよ。

 最後に今年最初の好きな「詩」を紹介します。

 天野忠の「きりん」です。

あんたが見つめているものは
あんまり高いので
わたしには見つめることができない
思いつめることを
思いあてることはとてもできない。

けれど
あの遠い世界と
だまってただ向き合って立っている
あんたの姿は
あんまり自然なのでよくわかる。
涙が出るほどわかる。

今年もぼちぼちはじめます。
原則的、一週間に1度の更新予定でいます。
中途半端になってしまった「神田川散策」は桜の時期になる予定。

「たまたま読んでくださった方、ありがとうございました」今年もよろしくお願いします。