日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

迷走の末、西に向かった台風12号

2018年07月29日 | Weblog

 こんにちは。
 昨日から台風12号が迷走しているようすです。週末には関東地方に接近しては雨や風、たつ巻などを残して西へむかっていました。先週から西日本の豪雨災害があったばかりだったのに、またしても…と心配するところです。
 日曜日には関西地方の被害状況が気になるところです。

 さて今週は台風12号の進路を追ってニュースが流れていったように思います。恒例の隅田川の花火大会も29日(日曜日)に延期されました。連日の猛暑で「暑い」の言葉が少しのあいだ聞かれなくなった思いきや被害の大きさに沈黙するばかりの休日になってしまいそうです。
 そして「政権のやりたい放題」の国会が閉幕しました。国会審議で期待した「働き方法案」もけっきょく残業代はずしの形で野党の猛反対のなか強行突破採決したのでした。さらに、西日本で集中豪雨のなか「赤坂自民亭」では与党議員が酒宴をしていました。野党議員が「博打法案(カジノ法案)の審議より、今は豪雨災害の対策が先でしょう」の意見の中でも強行採決が行われた国会でした。いったいこの国の政治哲学はどこへいってしまったのでしょうか。
 「森友・加計問題」は置き去りにしての法案採決の日々が見せつけられた日々でもありました。

 この間、与党国会議員関係者の収賄疑惑や差別発言がありました。それでも、すべて置き去りで自分たちの意見をなにが何でも通してしまう行く末は「ファシズム」へ向かっているのではと気をもむ日でもありました。
 そんな中で沖縄県の翁長知事が「辺野古新基地」反対の行動で法廷闘争に頑張っていました。これはこれからの貴重な民主主義のありかたが問われると思います。そして、法律の本来あるべき「誰のための」がわかるような気がします。




 はやいものです。7月も終わりです。
 最近、近所の本屋さんに久しぶりに立ち寄ってみました。新刊書の前で高校生らしき二人が「夏休みに読む本を探しに…」という声が聞こえてきました。学生さんたちは夏休みになったことを忘れてしました。どうりで、朝の通勤時間の電車が思いのほかすいていることに気がつきました。
 夏休み…。ぼくが最初に読んだ思い出にある本は『怪盗ルパン』という本でした。小学校4年生くらいだったでしょうか。内容は忘れました。でも「おもしろかった」という感動はありました。その感動を今もあじあうために読んでいるのかもしれません。いろいろな感動があっていいと思います。



※決壊する河川,崩壊する山々,危険をはらむ土砂ダム…….東日本大震災から半年後,紀伊半島を襲った台風は百名近くの犠牲者を生んだ.いったい何が起きたのか.どんな危険が身を襲ったのか.奈良県十津川村,和歌山県那智勝浦町の現場を,ノンフィクション作家が行く.豪雨のリスクに無縁な地は日本にはない.首都水没予測も含め,豪雨災害の実態を伝える迫真のドキュメント(岩波書店紹介より)
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■p35 私は台風二号で村が孤立する中で、そうしてこれまで営々とつながってきた十津川の文化、十津川人の魂を守らなければならないと強く感じました。山に入って木を切れば飯が食えた時代は終わり、山を捨ててネクタイを締めて会社に行く生活をする時代になったけれど、そのなかで失われた大切な何かが、この村の歴史の中にある。

■p124 そうした自分の気持ちに置き換えれば、災害で家族を亡くした悲しみというのは、時間は経つにつれて忘れるのではなく、むしろ甦ってくるものなんですよね。その気持ちを表に出してしまったら、僕の場合は前に進めなかったけれど、こうして一年が過ぎてみれば、遺族にとってこの災害はまだまだ終わっていないし、つらい日々が続いていることが分かるんです。

p142 災害は社会を反映する鏡。その地域や都市の開発の過程で、水田を宅地化していれば貯水池が減ってリスクが想定よりも上がるし、これまで人が住んでいなかった場所に工場ができれば、それだけで災害の様相も変化する。同じように生活のあり方が変化すれば、人々の避難行動も変化していくわけです。だからこそ、あらゆる都市づくりはその計画段階で水害がどのように起こるかを考慮し、対策を打っていかなければならないはずなのですが、ほとんどそれを考えてこなかったのが日本の都市の一つの現実だとお思います。

p143 災害というものは本来、被災した側から調べるもの。

感想……………………………………………………………………………………………………………………〇
 ぼくが、町の道も畑も田んぼも水で埋まってしまった景色を見たことが一度だけある。一面が大きな池のようになってしまっている景色である。四国に帰省した夏だった。台風によって住んでいるまわりがすべて埋まってしまった景色だった。それでも、水道や電気は停まらなかった。お盆の夏休みも終わり東京に帰れたのは一週間後だった。帰る前日気分が悪くなり病院にもいったので覚えている。水が引くまでどこへも出られなかったためのストレスだったの診断だった。水がありがたいものである反面これほど怖い存在だということを身をもって知った瞬間でもあったように思う。

 『ドキュメント豪雨災害』(稲泉蓮著・岩波新書
)という本は、2012年に紀伊半島を襲った台風での災害の模様を伝えた本である。2011年に東日本大震災の後に起きたことで地元の人以外は記憶にうすれてしまっているかもしれない。
 まさに、この災害の模様は今月起きた西日本災害を映しだしているようにみえることが注目に値する。
 なぜこうした災害が起きてしまうのか、そしてそこに住んでいる人々は対応していくのかということを説き明かすヒントになっていると思える。
 それが日本の地域の特徴であるからということではなく、いつでもどこでも起こりうることだということがわかってくる。

 たとえば本書でいう東京の「ゼロメートル地帯」では水害対策が喚起されなかればならないことを書いている。土地が狭いために、地上高く建設されるビル。そのビルを利用する人々が通う交通機関。都内は多くの地下鉄が走っている。水は上から下へ流れることから、荒川や多摩川が決壊すればただちにゼロメートル地帯に洪水が起き、さらに地下鉄へと流れていくということが懸念されている。
 2020年の東京五輪もある中ますます大きなビルが建ち、そこに人を運ぶ交通網も整備される。しかし、人々の経済優先の建築が水害の問題を置き去りにしていけばさらに被害は甚大になっていく。それが「災害は社会を反映してる」ということでもあろうと思う。
 
 水は生命とってとてもありがいたもの。しかし、その水を生活に生かしていくためには、水を凶器にしない工夫された対策がなによりも大事なことを訴えている。それは、災害あにあってしまった地域の人たちが中心になってその対策を提起していくことが大切だろう。
 そして、その提起を受け入れる政治姿勢がだいだだろう。豪雨にしていまうのは人間の生活のメカニズムの結果であって、お天気のせいではないということを肝に銘じていかないといけない時期にきているのではないかと思う。

※最近、本屋さんにいっても立読みはするものの買わなくなってしまった。いちばんの理由に賃金がさがり、それに比例いして小遣いが下がったということだ。新刊書の紹介がを見るたびに「読んでみたい」と思うのだが高い本には手が届かないのが現状だ。半年もまてば図書館にあるのでそれを期待する日々である。半年もたつと「思ったより面白くない」という本も多くあるのも本当のところだ。そんなとき「どうして、この本を読みたかったのか」ということを思いだすこともある。忘れないようにメモしておきたいものである。
 『ドキュメント豪雨災害』は、買っておいたから読めたものである。もしなかったら読まずに終わっているただろうと思う。そう思うと「本との出会い」は人と人のめぐり合いのようなもので、会えることことが偶然かと思う。
 そんなことを大事に思いつつこれからも送っていきたいと思う。



※長崎に原爆が落とされた翌日、B29搭乗員だった米兵捕虜が斬首された。見習士官として上官の命令に従った青年佐田野は、戦後、絞首刑をおそれ逃亡をはかる。そして――。戦争の罪と罰を問う緊迫のノンフクション。第54回日本エッセイスト・クラブ賞受賞作(本紹介より)
■p82~83 中野学校の内容は、その特殊性から戦時中はもちろん、戦後になっても国民に明らかにされてこなかった。創立されたのは昭和十三年七月、廃校となったのは二十年八月である。この間七年、わずかな期間だが二千百三十一人の学生が卒業し、この中で戦死者は二百八十九人(『陸軍中野学校』)いる。
 同校ができたのは昭和十三年は、言ほんの将来の転換期と言える年だった。前年七月にに、中国の盧溝橋で日中両軍が衝突して日中戦争がはじまり、十一月になると日独伊三国防共協定が締結され、国内では改正大本営令が公布されて軍事色は一段と濃くなった。近衛文麿内閣(第一次)は十三年、中国との和平工作を打ち破り、国家総動員法(生活関連だけでなく教育、言論まで政府が統制する法律)を四月に施行した。中国大陸の侵攻を強化して十がつまでに南京、広東、武漢を占領し、さらに十一月になると、東亜新秩序建設方針を声明した。中国以外の南アジア諸国にも「解放」政策を広げ、共栄圏確立を口実に軍隊を派遣する挙に出た。この方針は、大東亜戦争の導火線となり、やがて太平洋戦争へと戦禍はかくだいすることになる。

■p91 新聞は特攻隊の華々しい戦果を連日報道しているが、戦局は日を追って悪化していた。いくらカラ元気を出しても、勝つ――とは、ほとんど国民は思っていなかった。ひたすら敵に後ろをみせたくない、卑怯者、非国民になりたくない、その一心で一日を生きることに慈しみを強くした。

■p211 原告アメリカ合衆国ハ米国第八軍司令官ノ召集シタル軍法委員会ニ被告人サタノオサム(SATANO・OSAMU)ヲ左ノ理由ニ因リ起訴ス
元日本帝国軍人ニシテ当時ノ知レタル称呼陸軍見習士官被告人サタノ・オサムハ、米国並ニ其連合諸国及諸属領日本国ト交戦期間中、本起訴理由書ニ付属スル罪状項目中ニ掲ゲタル時及場所ニ於テ、戦争法規並ニ戦争慣習ニ違反セリ
罪状項目 被告人サタノ・オサムハ、1945年8月10日或イハソノ頃、当時日本帝国陸軍西部軍司令部付一見習士官トシテ勤務中、日本国九州福岡市近郊所在油山又ハソノ付近ニ於テ、故意且不法ニモ西部軍司令部ニ監禁サレタル米軍俘虜八名中ノ姓名不明ノ俘虜一名ヲ刀ニテ斬首殺害セリ。連合国最高司令部・法務部長・アルヴィ・シー・カーペンター

■p224 「判決、被告人を重労働五年に処す」――トンプソンの声が法廷に響いたとき、その喜びはどんなに大きかったかは、想像に余りある。ちぎれるほどハンカチを握っていた手が緩んだのではなかったか。


感想……………………………………………………………………………………………………………………〇
 いま政治はどこを向いているか? という質問がときどき言われているように思う。特に安倍政権になってから「森友学園」問題で一部映像に「教育勅語」が暗唱する園児が映し出されたとき、その流れは一政治家だけの責任になるこよよりも根は深い気がした。そして、あのような光景のなか戦争は足元をがんじがらめにして「命令」に身動きできなくなっていったのではないかということが考えられる。それがある意味茶番に見えるかもしれないが、多くの人がその方向になったら茶番どころか現実になってしまうのではないかと思う。

 「戦争」という言葉から思い出すのは父の脇腹を貫通したあとの傷跡だ。
 いまは亡き父親が一度だけ、その傷の理由を言ったことが思い出される。戦争とは、殺し合いなのだということがリアルに語っていたように思う。
 『逃亡(油山事件)戦犯告白録』(小林弘忠・中公文庫)は、戦争の傷跡を引きずった人の話である。その人は戦犯として、裁判にかけられ判決を受けるまでいかに逃げ、逮捕され、裁判に向き合っていったのかを書いたノンフィクション。
 逃亡生活3年を経て、逮捕され巣鴨拘置所での生活。裁判では5年の判決が出される。
 
 戦争経験者が年々亡くなっていくなか、この本の訴えはすべての人が犠牲になることの悲劇をも訴えていることだろう。命令のよって人の命が左右される悲劇が読みとれる。
 戦後、戦後というまえにこういった本を読んでみるのもいいと思う。いまでは、実体験者の人が身じかにいることが少ない。戦争によって、破壊されるのは物だけではなく人の大切なこころまでも失っていくことが怖い。

※PS:『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』加藤洋子著(新潮文庫)も合わせて読むといいと思います。日本が戦争へと突き進んで行ってしまった様子を分かりやすく書いています。興味のある方はこちらもおすすめです。




【大塚駅】
 久しぶりに大塚駅に降りた。40年ほど前は、駅も地面にあったと思う。いつの間にか地上に上がっていた。これも、都市という地形のせいだろうか、それとも駅そのものが利益をあげる建造物になる必要があったからだろうか。都内の駅は地下にもぐったり、駅が生き残っていく場所も年々変わっていくようだ。

 20歳台のころ、会社の仕事を覚えるために来たことがある。入社して2年目くらいできたのだろう。印刷業界は『メディアの興亡』という小説があるが、まさにその時代と同じように、印刷業界の分岐点だった時代でもあったのだろう。鉛からからフィルムへと新しい技術も覚えなくては会社も時代の流れに乗り遅れてしまう…ということだったかもしれない。

 駅を降りて15分くらい歩いた「写研」という会社の学校に通った記憶がよみがえる駅である。一週間くらい朝から午後5時まで研修を受けていた。いま思うと勉強していたパソコンでもなかった。一部手動で動かし級数を調整してシャッターをきる電算写植機というしろものだったと思う。「男はつらいよ」という映画で、タコ社長の会社にあった写植機と同じだった思う。自分の打つべき文字を「文字盤」というガラスの板から文字を探した。探し当てた文字を写真機のようにシャッターをきってその文字だけのフィルムに写す機械であったように思う。最初は何がなんだかわかあなかったが、通ううちに全体の流れの仕組みがわかってくて楽しかったように思う。さらに、他の会社から研修生もきていて、話し合って覚えていくことがよかった。
 職場に帰ってきてからは、応用編という形で少しずつ、自分が働いていることへの自覚ができていくのが楽しかった。先輩の助言もよかった。

 2度目の学校に通ったときは、今度は今のパソコンのようなものでもない。(今のパソコンのソフトより、大変優秀なソフトだった思う)。
 仕事の勉強もよかったが、職場の雰囲気がよかった。従業員それぞれが自分の趣味をちゃんと話せる職場だった。もちろん仕事の話もしたものだった。
 人間のつながりの中に仕事があり技術の習得があったように思う。

 最近は、新規採用をしないところで、人材派遣会社から派遣社員を依頼して仕事をするようになった。だから、「即戦力」という言葉もはばをきかせるようになった。しかし、派遣社員さんは仕事はするが、人間関係が希薄であり、労働というなかで人の人との関係が仕事を育てつくりあげるということはできなくなったように思える。職場でも新規採用をして、その人の技術を覚えさせ、さらには人として育てる…ということができなくなってきたようにも見える。(これが、会社の生き残りの経営だと、誰が言い始めたのだろうか)
 だから人が仕事を教えて、そのための工夫しながら、その仕事の面白さは伝わらないまま終わっていくのだろうと思える。さらに、派遣会社に頼りすぎてしまったせいか、今の若い人たちが後継者を育てるという大事な仕事が抜け落ちているようにも見える。その結果、職場が仕事さえ終わらせれば終了という形になっているようにも見える。

 時代の流れの中にさからえず会社はいつのまにか、人を育てることが仕事でもあることを忘れたようだ。まして、企業が次世代に受け継がれていくことをかんがえれば、人材会社から派遣社員ではないのだろう。本当に育てる気があれば、正規社員から育てることが大事なのではなのだろうか。
 今の会社は、今の駅のように爪先立ちで不安定なところがあるように思えてしょうがない。事実、他人にばかりたよって自らの人を育てることを忘れかけている会社は、先もみえてくるだろうか…ね。そんなことを考えさせる「大塚駅」でした。



 台風12号が夕方になってからおそまってきたようだ。
 今月は「命を守るために…」というアナウンスを聞く日々が多かった。
 例えば「命を守るために、ためらわずエアコンのスイッチを…」だとか「水分を十分に摂って…」などいう声が耳に残った7月である。
 確かにこの猛暑なかで、一日中いたら「熱中症」にかかって命も危うくなるのもわかる。事実、7月になって「熱中症」によって亡くなった人も多く報道されていた。

 とはいえ、「勝手なことをいうな」という気持ちもある。言われなくても暑くなれば涼しいところに移動する。しかし、移動がかなわないことが多すぎるから「熱中症」になるのだろう。つまり無理をして生きていることが多すぎるのが今の日本の働き方ではないかと思う。60歳すぎて安心して生きていける社会とか安心して子どもが産める社会とか…。産めなくてもお互いが尊重できる社会をつくることが大事なではないか。
 そんなことは当たり前…などと思えなくなってきたからなおさらそう思えてしまう7月だった。なにか、他人事のような言い方が多くなって聞けた月でもあった。悲しいかな…。

 夕方の多摩川を散歩すると、トンボがいっぱい飛んでいました。
 暑い、暑いといっているうちに着実に空気は秋にむかっているように思います。
 とはいえ、まだまだ暑い日が続きますかね。読者の皆様も無理をしないことを心がけて日々を送ってください。有給休暇のある人はちゃんととって、休んでください。ゆっくり休むことが大事です。

 最近、定年退職した人から電話がありました。田舎に帰り、今は「サンデー毎日」を送っているそうです。でも、あまりにも暇なので悩むこともあるそうです(何とも贅沢なことか?)。帰る田舎が健在なだけいいなあーと思います。ぼくなどはもうどこへもいけなくなりました。ここが田舎みたいなものです。今週は8月にはいります。そしてお盆です。墓参りは一人で静かにいっててこようと思います。そして、やっと年金が振り込まれる月でもあります。少ないと思います。少ないでしょう。これからのことも、年金が振り込まれて考えなくてはね…。

読んでくれた人、ありがとうございました。 

猛烈なあるいは「危険な」暑さのなかで思う

2018年07月22日 | Weblog

 こんにちは。
 毎日「暑いですね」という挨拶の日々です。この暑さはこれまで何十年も前にきっとあったと思う暑さなのだろう。それは知っていても、現実いまの暑さには身の危険さえ感じる毎日です。事実、熱中症によって亡くなる幼児、高齢者が救急車で搬送されるニュースで知ることができましす。とうとう、2020年の東京五輪の競技期間がこんなに暑くなるという予想から赤信号が言われだしてもいました。(経済効果でもあるチケットの値段どころではないでしょう)
今年の暑さは「ガマンしてはいけない」という生命への警告を発しているようです。

 「ガマン」をしていけないのはもう一つあるように思います。まさに、天候と同時に危険な水域を越えたのは「政治」の世界も同じでした。

 西日本災害が起きている真っ最中に「赤坂自民亭」で楽しんでいる与党議員たちの様子。案のじょう、豪雨によって広島などの災害地の人々の生命が危険にさらされているときでした。それに輪をかけてひどいと思えたのは、なぜ、この時に「統合型リゾート実際法案(カジノ法案)」なの…?いうやりきれなさがありました。そして、国会の多数の強行採決の日々。いまや公明党は自民党の「カバン持ち」のようにも見えました。いったいどうなってしまったのだろうか。(昔の創価学会員が熱く語った平和論はどこ吹く風という感じがしまたがね…)

 それはこれまでの安倍政権の政治のリアルな面だと思います。
 「森友・加計問題」や「医科大裏口問題」などどれも解決がなかった国会でした。よくみてみれば、どうでもいような法案(私からみれば)ばかり採決され可決していった法案の山盛りの日々でもありました。
 まさに「誰のための政治」を疑う国会であったように思えます。
 安倍首相「身を切る改革」という言葉も信じられないです。ウソと忖度で終わった国会に見えました。
 こんな中、通常国会は昨日終わったようです。このままでは今後がどうなっていくのか危ぶまれていくのではと思えます。




【バス停で待つあいだ】

 数年前からバスで会社に通うようになった。ぼくの通勤は、電車、バス、徒歩という通勤は想定外であった。千代田区勤務でったころは、乗り換えても地下鉄ぐらいで、少なくとも二つの交通機関で終わるのが通常なのだろうということで就職したはずだった。ところが東日本大震災後によって翌年からバス通勤になったのである。

 当初、本社が千代田区にあったころ、工場部分のみ板橋に移転す経緯があった。そこで、本社からの異動に当たっては余儀なくされたころは、「移動手当」というものが不便さを補う形で賃金にはいっていたものだった。これはある意味「働き方改革」ということが先駆けであったとようにも思えます。ところが、全員が移動してしまうとこの手当はなくなってしまった。
 東日本大震災によってなくなってしまったとは思わない。けっきょく、労働組合がそれ以前に消滅させしまっていたことが事実だからである。

 バス通勤は不便だ。
 時間がよめない。交通量が多くなった費などは渋滞でなかなか前へ進まない。昨年、大雪の日にバスに乗ったものの駅に着いたのは1時間後だった。これでは歩いたほうが早かったということもあった(歩くと30分ほど)。
 とはいえ、一年のほとんどはバス通勤もしている。便利なのだが、雪や渋滞などで遅れることを覚悟しなければならない。それを見込んでちょっと早く出たりすることもしなかればならない…。なんともめんどうなことばかりがバスにはついてくるようだ。もちろん、バス会社の責任ではあるまい。

 週に一度、出向で午前中にバスに乗る機会がある。バス停で待っている人はほとんどが高齢者である。高齢者にとってはとても貴重な交通手段だということがわかる。まして、「免許証返納」ということになれば、ますますバス利用者は増えるわけである。バス利用者も増えるということは、バスの乗務員も増やす必要があるはずであるが、なかなかうまくいってない状況だという。
 それは、保育士さんが増えないとことと同様な理由にもつながっているとも聞く。給料が安い、労働がきつい、バス運転手の常務するための経験がたいへんだという。

 最近、耳にしたことだが派遣会社は、交通費として電車の定期代は出すがバスの定期代は自前だそうだ。なんで…、と思っているが現実だった。
 私のところに来ている派遣会社の人はバスにならず、駅から歩いてくるが「バスの定期代は出ない」と。事実だったんだと再確認したのだった。
 今回の「働き方改革関連法案」では、賃金そのもはかえなくても「手当部分」は正規社員と同じにするとあった。バスの定期代も同じように払われるようになることはいいことだ。少しでも、通勤時間は負担を軽くすることが大事なことだと思う。
 政治はこの状況については、具体的にしていくのはこれからだろう。日本の交通政策は自動車関連にはお金を使うが、弱者が使う交通機関には金を使いたがらないようだ。



 今週、出向先に2度行きました。2週間ほど忙しかい毎日が続いていました。19日(木曜日)には60歳を超えてからの初の最終電電車での帰宅もありました。さすがに、あたりを見渡せば、車内には私の同年齢のオジサンは少なかったようです。暑さも日増しにきつくなり出向する日には、バス停で待っていると影が真下になっていましたし、熱中症も時間の問題だなーと思うつつ通った週でもありました。いったい、この暑さはいつまで続くのだろうかと思う。
 2020年の東京五輪の開催日と日程でも、暑さのために変更が必要ではないかということも語られ始めていましたね。
 今週はバテ気味の一週間だった。来週は、少しは余裕ができるといいと思っている。暑さがいちばんきつい日々だ。夏休みになった子どもたちは楽しいそうだが…。

 さて来週は、ちょっとゆとりができるといいと考えています。
 休みもそろそろとってみることも必要な時期にきていることも感じています。
 今回はこのへんで失礼します。
 読んでくれた人、ありがとうございました。
 

暑中お見舞い申しあげます。

2018年07月15日 | Weblog

 こんにちは。
 毎日暑い日が続いています。季節はまさに真夏「真っ最中」でしょうか、気温が35度超えもニュースになっています。人が涼を求めて動き出すころなのでしょうか。多摩川を散歩していると今年初めてのニーニーセミも声も聞こえはじめていました。足元ではバッタが忙しく飛び跳ねています。この時期、帽子も出かけるときの必須着用となっています。郊外の市民プールへの歩道には、大きな浮き輪を持ったたくさんの親子連れが出会います。ぼくも、昔は子どもと一緒にでかけたプールでした。この時期は、どこのプールも満員です。地元の人は何回も通ううちに、ピーク時を避けて行くようになります。



 さて、今週は西日本の「豪雨災害」のニュースをよく聞きました。九州から四国、中国地方をおそった集中号豪雨は多くの方が亡くなられており、家屋の損害も大きなニュースのなっていました。日本の地形からして、せまい山すそや小川の走る近隣に多くの住民が住んでいます。それは、昔からそこが故郷として住み継がれた土地でもあるのでしょう。住み慣れた土地で「まさか…」と思っている余裕もなくダムから放水された大量の水は、山を削り、石をころがし、住民の住む裾野に土砂として流れていきます。泥と石と、さらには大木をも押し流してきたものです。

 災害は時間が経つにつれその被害状況があきらかになってきています。かたや、この被害が起きるであろう時刻に自民党議員のお仲間たちは「赤坂自民亭」で楽しむ映像が流されていました。なんとも、非常識な無分別な方々なのでしょうと思えてなりませんでした。これが、今の政権に就く政治家の実態なのではないかと思えてなりません。こうなると、人災でもあるような気になってきます。(政治家の「緊張感」のない政治のために、日本の方向が災害にうちのめされているような景色に見えます。これも「赤坂自民亭」の人たちはきっと「想定外」で始まるのでしょうか…)。
 この災害をみていたら、国会議員を増やすべきところはこんな地域の人たちではないのかな、と思えてきました。党利党略の議員の数を増やすのではなく地域の事情を考えた議員をつくることが大事なことではないかと思えました。



 1カ月ほど前に始まったサッカーワールドカップロシア大会もいよいよ残り1試合(決勝)になりました。今回は、日本代表が思いがけなくベスト16入りを果たして毎日がワクワクする日々でした。それでも、最後は自力のある代表チームが残ったようです。以外だと思えたのは、今回はおなじみの南米代表が残っていないことでした。ネイマールを中心に多彩な攻撃力をもつブラジルも負けていました。残った代表チームは全部、ヨーロッパの国だったことも印象的でした。「自由奔放な圧倒的な攻撃力ブラジル…」というこれまでのブラジルらしくなかったようです。

 ブラジルはネイマールを中心としたチームであることはわかっていましたが、第二のネイマールのような選手の活躍が目立たたかったのが敗因のではないかと思います。ほとんどのブラジル戦との相手国はネイマールをマークしてゴールから遠い距離で反則をもかえりみずマークしていたようにも見えました。事実、ある試合ではネイマールのアンダーソックスは相手選手の足元へのディフェンスによって、穴ぼこだらけでしたね。

 ゴール前の迫力がありますが、ゴールから遠く離れたところのネイマールは恐怖にはなりません。ですから、なるべくゴールに近づけるまえにボールを奪取するよりも、ネイマールという選手を止めてしまえばいいとなっていたかのように見えました。そして、あいかわらずのディフェンスの悪さをつけば勝てることを多くの対戦国が実践していたようです。

 ベルギーのルカクもストライカーです。ネイマール同様対戦チームから徹底的にマークされてもいいわかですが、ネイマールとちがうところは自分の体格をいかしてちゃんとアシストできる選手であったことでしょう。ディフェンスにも積極的に顔を出し、最終ラインをできるだけ守りやすいようにしているのも印象的でした。そして、ベルギーはルカクもいいのですが、ルカクと同様にシュートのうまい選手が二列あたりから猛スピードでボールをもらいにいく選手が目立っていました。カウンターでの攻撃力は一番であるでしょう。そして、最終ラインにみえる選手たちのきれいな人のラインは絶品ですね。みごとなコントロールで統率され、守りやすい状況をつねにつくりあげようとしていました。けっしてバラバラにならないようにしていたように見えた。
 その結果、イングランドを破り史上初の3位になれたのでしょう。






 思い返せば、2年ばかり千代田区に出向して本社に異動して思ったことが一つだけあった。 
 なんとなく暗い……。
 初めは、これはぼくが年をとって再雇用者となった身で本社の若い人たちとの会話も合わないし、仕事の流れには乗っていないポジションだからだろうと考えていた。これで年金満額65歳まで働くのだろうと日々送っていた。
 最近、ある役員が辞めて行った。ぼくたちの職場の真向かいに机があり一日中、座って何かをやっていたようだ。ほとんど席を立つこともなく過ごしていた人だ。意見を言えばまさに人の意見を「罵倒」するような人だっただけに、会話をする様子をみたことがなかった。ときおり、仕事のミスが出ると「始末書」や「事故報告書」について部下に助言(軽蔑のように聞こえる)をしていた。
 その人が辞めてからどうなるのだろうかと見守っていたが、少しずつ人の声も前よりは聞こえる日々があるように思えた。

 その様子を思い浮かべたら「呪縛」という言葉を思い出した。いまはまさにこの「呪縛」が「忖度」に代わっているような世の中のように思える。それがいちばん表れたのは「森友・加計問題」ではないかと思えた。時の権力者の意向をうまくとりまとめるために、言われないことまで気を回し権力者への「忖度」によってわが身を守るという世界だ。わが身もそれなりの身分であれば「保身」がはたらき、「忖度」見返りとして「身の安全」ができるということになる。これが、まさに「一石二鳥」の考えだ。そのことによって、なんとも無駄な税金がたくさん使われたことか。なんと、世の中は理不尽であることか。
 
 過日読んだ新聞記事におもしろいのがあった。その内容は「『健康な食生活』という呪縛」(朝日新聞7月14日・高橋のぶ子)という題のコラムである。健康な食生活というブームもあり、多くのテレビ番組では健康にいい食物の紹介が多く語られている。テレビを参考にしてその食物を買っていたらいつの間にか、冷蔵庫がいっぱいなってしまった。来る日も来る日も放送された番組の紹介で買っていた冷蔵庫の中味を見ていたら呆然となってしまった…。これはテレビ番組の「コレも大事、アレも大事」という呪縛そのものではないかと気づいたのだった。ためしに、これをやめて自分の好きなものを食べて、飲み過ごしてみたら、体重も増えることもなく、体調良く、肌のむくみもなかった…というのである。

 では、あの健康番組はいったいなんだったのか、ふと考えたという記事である。

 自分の毎日のなかに、繰り返される事実に常に「相づち」をうたねばならない生活があるのではないのだろうかと思う。確かに「もっともだ」思えることも多い。「災害にはボランティアで復興へ」となれば、手伝いにというのが自分の人情という気持ちにインプットされる。そして、暑い中ボランティアに行く。それは、大変な人と一緒に暮らすことことへの恩返しのようなものだ。そして「できる範囲で」という気持ちでいくのでしょう。

 それが、なにもやらない人に「こうしましょう…、あーしましょう」などと日々いわれても土台無理な話。それも、自分の経済基盤もあやふや生活の中でである。いつも思うが「○○やりましょう:という最後に「出来る範囲でね」を付帯決議ではないが語ってほしい気がする毎日である。なぜなら、みんなと同じにしなくてはならないことはないのだから。
 日々繰り返される政権側にたつ人たちの「そんなのありか」と思えるほどのできごと。つい最近では、「赤坂地面亭」での騒ぎ、そして文科省の人の「裏口入学」問題。こんなことばかりが、本来やるべきこと以上に多くなるといつの間にか「あたりまえ」のようになるのが怖いと思える。そして、そんな人たちに自分の保身のために「忖度」し始めることが、なんとも恐ろしいことではないのでしょうか。そして、それが政治家や官僚だけに、最も危険なにおいを放っているように思えてしまう。なぜなら、政治家は法律をつくり思い通りに人々を誘導できるという大変重要な職業を担っているからである。それが、悪法であろうと、人が傷つくことであろうと最終的には「法律」に則りはかっていく社会である。そして最終的には憲法までも変えて、自分の行き場をいいようにしていこうと動きもあることも見過ごせない…。

 話を戻して、日々の中で「なんかオカシイ」と思うことが多い。
 辞めていった役員がどんなことをしていたのか知る余地もないが、ぼくが異動先ら戻ってきたとき感じたことは、今の社会の核心をイメージしている出来事なのではないかと思えた。できれば、嫌な人と一緒に仕事はしたくない、部下にもしたくない、と思ってできたのが人事だろう。この人は、これから伸びるだろう、いい経営者になるだろうというのではなく、「自分の言うことをちばん聞く」人を選んでいり風潮が大いと社会も職場も暗くなっていくのだろうと…。そして、その人たちだけの世界をつくることが「安心・安全」というカン違いを起こし、あげくの果てには「内部告発」された大企業も多いことだろう。(内部告発者ということをやらなければ働けなくなってきている会社って、いったいどんなものなのだろう)。


【セミ】
 今年初めてのセミです。ニイニイゼミでしょうか。このセミはなかなか見ることはできません。なぜなら、木の模様に擬態していて、とても小さい体格だからです。こうして写真の写せることはめったにありません。散歩途中で声を聞き木を見まわしながら音のする方へと耳をかたむけてやっとその姿を見つけました。このセミは夏が来て最初に町中で鳴くき始めるセミのようです。声をきける期間も短く、クマゼミやアブラゼミが鳴き始めるころはその姿や声を聞くことは困難です。季節が移り変わる時間系列と同時にかわっていくようです。

 子どもの頃は、セミの鳴き声のなかで遊んでいたように思います。夏休みが近づくと、カブトムシやカナブンを探しては捕えては、一緒に遊んでもらっていたようです。夏休みの宿題の自由テーマには、クラスの一人くらいは「昆虫採集」をテーマに提出する人もありました。お菓子の箱に綿をつめて、たくさんの虫がいました。ほとんど遊んでいる場所にいるような昆虫類でしたが、お菓子箱の中の昆虫はきれいで宝石のようでした。

 今思うとなんと残酷なことをしていたのだろうと思います。子どもの頃は「可愛そう」などという気持ちより「珍しい」と思う気持ちが強くありました。夏の間だけの楽しみのような気さえしていました。必ず夏にめぐり合う昆虫でもありました。今よくいわれている「絶滅危惧種」などというのは少しも考えているわけはありませんでした。日々の遊び仲間のような、一年一度めぐりあう昆虫たちでした。野山に行っては名前の知らない虫たちをいっぱいつかまえて虫かごにいれて、眺めては逃がしていました。

 「子どもは残酷」といいますです。それは、自分よりもっと弱い生き物にしか目がいかなかったのでしょう。何匹の虫の死骸をつくってもいました。そのなかで死んでしまのはかわいそうだと思うこともありました。とくに、虫に興味がわかなくなってからの年代につれ、虫たちの死がかわいそうに思えるようになった大事な時期だったのかもしれません。

 その虫の生態をしれば知るほど季節のなかでめぐり合うことの大切さを思います。一年に一度だけ夏の暑い時期にだけめぐり合う虫たちがとてもいとおしいと、最近思うようになりました。小さな命を私たちの前に見せては一年の流れを感じさせてくれる生き物はかわいいですね。

 ちなみにセミは卵を木などに産んで、産み終わったメスは死にます。4~5年後にやっと木々が土に降りて起きて幼虫になり、また近くの木にのぼり羽化します。そして飛ぶそうです。一夏が終わる前に死んでしまうそうです。短い一生です。世の中のスピードではなく最初から最後まで自分の速さで生きていく虫です。昔は子どもたちの生きたおもちゃであったように思えます。今は、こんな小さな虫にも生きていること、死ぬことを自覚させてくれる大事な虫です。なんの役にもたっていないようだ虫ですが、とんでもありません。虫のいのちは地球をすくっている生き物です…よ。




 梅雨があけて、暑い毎日がやってきました。あまりの暑さのために「熱中症」で倒れる人が多いのには驚いています。最近の暑さは、人間の耐えられる許容範囲を超えて、命さえ危険にさらしています。気候が変わったのか、それとも人間自体が弱くなってしまったのか…、世の中はっきりしません。
 私は、人間自体が弱くなってしまったように思えます。子どもの頃からの環境の変化に順応しながら成長していくおだろうと思えます。夏には太陽の下で涼しさを自然のなかでさがす行動をしながら遊んでいるように思います。大人のようにすぐに、クーラーのある部屋に飛び込んでしまうと、遊びの楽しさがなくなってしまうように思えます。
 野に放て、子どもは小さな体を動かしながら生きる方向を見せつけるものだと思います。

 サッカーワールドカップも終わったようです。
 日本人もけっこうやれるようなサッカーがみられたのは楽しいワールドカップでした。残念なのは、クロアチアに優勝してほしかったですね。それでも2位です。やっぱり、クロアチアの技術はユーゴスラビアのすばらしい技術だということを改めて記憶した大会でした。
※クロアチア対フランスの決勝は2対4でフランスが勝ちました。もう少しだったのに…。それでも、いい試合をしたのでしょうね。


 さて来週一週間は忙しくなりそうです。こうなると「同一労働・同一賃金」が気になってきます。いったいいくつまで働くのだろうかという不安もあります。

 今週、バスのなかに忘れ物をしてしまい、バス会社の「忘れ物取扱い」という営業所に行ってきました。忘れ物はすぐに返していただいたのですが、担当のおばさんと、いろいろと話し込んでしまいました。そのおばさん定年は10年前に終わって、70歳になるそうです。家にいるよりは働いていた方がいい層そうです。これまで会社をたくさん異動してきて、今のところがきっと仕事での「終の棲家」のになるようです。私は、どこで何をしたいのだろうと思いました。
 忘れ物を手元にもどしてもらって「世の中人の善意で支えられるているんだろうなぁ。でもときどきまれに悪意を持った人とも一緒に暮らしていることを忘れてはいなのだろう。悪意に足を引っ張られたら、どこかで自分を見失っていることだろうと思う。とはいえ、これまで助かったという気持ちさせてくれた人たちのことわ忘れないようにしたいもの…。悪意のみちた人は忘れてしまいたい。それでも絶対許さない人間でいたいと思う」と。

 今週はこの辺で失礼します。
 暑さもまだまだ続きます。無理のないよう送ってください。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

天気大荒れで被害をみつめて

2018年07月08日 | Weblog

 こんにちは。
 関東地方では、休日は雨模様という当初の予報はちがってよく晴れています。土曜日は千葉県で地震がありました。一方、西日本では天気が大荒れで豪雨が災害が発生していました。各地で河川の氾濫や土砂崩れなどの被害が拡大して救助活動続いています。新聞報道の写真をみていると川の水が氾濫して道や家の境目も埋め尽くしていることがわかります。この梅雨前線はこれからも続いて行くもようとか、大変な状況です。救助も追いつかない状況もあるともなっています。(死者71人不明との新聞報道)

 今日本を被っているのは災難ばかりです。
 集中豪雨、地震、原発の放射能、基地…と安倍政治と思える一週間でもありました。豪雨の中では毎日、雨と風の音と、崩れる音が多い日々です。楽しい人の声より自然の怖さをめのあたりにしている日々だと思えます。(合掌)

 そしてそれぞれの個人への災難。
 今週はいやなことばりの日々でした。




 災難は大きな自然災害のなか、今週私にも災難がありました。
 先月の私の給料が多く払われて、総務の担当者から「過給支払いの件について」の電話があったりました。過給払いについて、三十数年間働いていて初めてのこと(こんなことがあってはならない)。最後は人間の目で確認するそうなのですが、今までミスは聞いたことがありませんでした。翌日、上司や役員が謝罪にきましたが、私の気持ちの中では「何をいまさら…」という怒りでした。

 「始末書」もでてきましたが、何をやっても無駄なように思えました。なんともやりきれないことにも思えました。おそらく、こうなったミスには何らかの伏線があったのでしょう。思い返せば役員の報酬について思い出されました。そのことについて、誰もが気にせずいた結果として私のミスにつながってきたのではないかと思えました。

 それにしても、結局上司も担当者にも「自分のことではない」という深層心理があるのでしょう。そんなことのようにも見えました。
 責任はどうとるのか。紙切れ一枚で終わりにしてしまうような気がします。災難にあった、私のことは返金で終わらせようとしているのが見えかくれしていることがわかりました。

 こういう事例がけっこうあるようです。会社のミスで何カ月も過給支給された返却をもとめた事例でした。そんな場合は、会社は返却を求めることが出来るとなっています。しかし、会社のミスで行なわれたものなので、過給された人は分割で返納していくとができるということです。
 あとは、誰も過給に気づかずそのままいくということです。そのままでいけば、会社の過給部分は何らかの名目で処理されていくのでしょう。(実際は、それはおもてに出てこないようですが)。

 ただでさえ、薄給になりこのうえ傷口に塩をぬるようなことに本当にまいってしまいました。これからは、私がどう返納していくが問われてきそうです。(現在思案中)。
 一部年金支給者になって、その分給料が安くなっていく月の出来事でした。自分たちで契約書をつくっておいて、それはないよ…と思います。それでも、担当者以下責任者の今後はどうなるのでしょうか…。今回もこれからもなんの責任も問われなく終わるのでしょうか。ほんとうにまいった月初めでした。
 誰にも災難があるとうことではないでしょう。ある日突然、病気や事故になったりすることがありまが、それが自分であることはほとんど考えないでしょう。そんなとき、どう乗り越えていくのか…。人それぞれ違うのでしょう。そんなとき、日々の会話が大事だなと覚えます。解決策を少しでも聞ければいいのです。そんなことと、生活をしていくなかでたくさんの問題をかかえて解決の糸口を模索しているように思えます。災難は、なんでも個人で解決するのは最終的判断になるのですが、猶予があればそれに付随したことをいろいろ話す時間が大切なように思えます。




【神頼み】
 人間はわがままなもので、都合が悪くなると「神頼み」のようなことを考えるようです。自然災害によって飢饉なども長い歴史の中で経験してきました。
 人間の力ではどうしようもない自然災害は止めようもできません。受け入れるしかないのだと思います。それでも、いまほど発達した、暮らしやすい環境にしたのは人間です。それも、政治という機会のなかで莫大な税金によってつくってきたのだと思います。しかし、自然災害はそれさえも簡単に破壊して甚大な災害をつくってしまいます。

 川の防波堤を洪水にそなえて工事をしてもそれ以上に自然の驚異的な力のまえでは木の葉のように簡単に破壊されてしまうのが現実でしょう。それも、検証し、もっと強い防波堤をつくることが災害の教訓によって出てくるのだと思えます。そうしたことに税金などをつくのであれば、人は災害にまたむかっていけるし、希望をもつことができるのではないのでしょうか。

 今週、オウム真理教という教団がおこした1995年の地下鉄サリン事件の首謀者と幹部6人の死刑が執行されたというニュースがありました。こちらも、神頼みの人たちの教壇であることにはかわりはないと思います。そして、その信者の人たちは、まじめで人でエリートと呼ばれる人も多くいたといいます。それなのになぜこんな凶悪なカルト集団になってしまった真相はまだ解明されていないということです。そんな中にあって、「死刑」より解明をもっとするべきだという意見もありました。それでもなぜ「死刑」は執行されていったのかはときの法務大臣以下与党の思惑もあるでしょう。

 今回の「死刑執行」について様々な有識者の意見が新聞に載っていました。作家の中村文則さんは「なぜ人がカルトに深入りしていくのか。教義に感銘して信者になるよりも、『やさしくされたい』という気持ちから入る人が多いと思います。そお意味では、この事件の課題は現在につながっています。…コ今回の死刑のやり方はも最悪で、全て最後まで最悪のままだったと思います」と述べています。また映像作家の森達也さんは「無差別殺傷として地下鉄サリン事件はは、多くの人々に直接深刻な影響を与えましたが、社会のありようにも変容をもたらしました。『正義か悪か』という二分論が強まり、悪や敵とまいなされた者を社会から排除する動きが噴出したのです」という宗教の背景をもっと知るべきだという意見がありました。

 事件被害者の救済をしている弁護士の中村裕二さんは「私は、今回の死刑執行は終わりではなく、破壊的なカルト教団と社会がどのように向き合いべきかを考えるスタートだ、とみるべきだと思います。…被害者への健康診断や医療などの取り組みが重要です。国が中心になってやってほしいです。経済状態が苦しく『賠償金を早く欲しい』という声も多くありました。オウムの後継団体『アレフ』が支払うと約束した賠償金を支払わない状態が続いているためです。…被害者救済はまだ道半ばです。…世界が死刑廃止の方向に向かっている中、一日7人もの死刑を執行したことは国際社会の批判も浴びるでしょう」(朝日新聞7月7日掲載されていたもの)

 時代背景によって「神頼み」も内容も変わっていくのしょう。
 さらに、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎、熊本県)の宗教関係施設が国際遺産に指定されました。こちらも宗教です。江戸時代の権力者の利用され、最後には弾圧され信者は迫害をうけたことは知られています。遠藤周作の『沈黙』という小説にはこのことが書かれています。信者が迫害されててでも命がけで守ろうといしたものは、キリスト教というより人間として尊厳であったように思える小説でした。

 「宗教」は人間の政争の道具で使われた時代が多々あったと思います。その抗議として事件が起きたことのようにも思えます。「神頼み」のように安易に入りやすい心の拠りどころとしてあります。だから一言にくくって「こわい」という気持ちをもつことは、その時代の反映でもあるということだと思います。非難されるべくは宗教ではなくその時代背景が大きいと思えました。 




 「災難」は生きていれば、いつでも、どこでもついてくる…ように思える一週間でした。それが自分の失敗でか他人の失敗でかが違いくらいではないかと思います。そして、それがどこまで許せるのかという「許容範囲」が問われるものでもあります。「今日範囲」は自分でどうにか解決できる範囲のことを言うのでしょうか。他人がしくじって自分に迷惑をかけたとしても、四苦八苦したものの解決できそうなことなら「仕方ない」と思えてしまいます。それでもまさの犯罪的で人の尊厳にふれるものは、「忘れてもと許せない」こともあるようです。人はけっこういやなことを忘れながら生きているからいいのです。

 大事なことは、忘れられる時間を持つことが大事だとも思えます。「過労死」などは、忘れられる時間もなく体力もなくなったとき起きるではないかと思えます。忘れなくなると眠れなくなりますし、悪くなると「躁鬱」にもあるようにも思えます。もうひとつ、忘れることを助けることができることは、人との会話ではないのでしょうか。

 職場で働いていると再雇用者より若い人の方が圧倒的に多いには話しすらさを日々経験しています。スマホばかり見ている状況では話す機会が奪われいるように見えます。一人の時はいいのですが、何人かでいるときでもスマホばかり見てる人には嫌気さえ覚えます。そんなに大事なことを見てるのでしょうか。いま必要なことなのでしょうか…などと思います。ふと、この若ものたちのストレス解消はどうしているのだろうか…と心配になります。

 河島英五の「酒と泪と男と女」に♪忘れてしまいことや、どういしょうもない寂しささに♪にお酒があります。でも、やっぱり人です。
 老いてくると、他人のことなども考える体力なくなって「勝ってにしろ」と思うばかりの日々です。そのくせ、困ったときはよろしくとわがままです。これは自分も認めるところでしょうか。
 まあ、どうにか一つ一つ考え行動していく中で解決の糸口をみつけていくしなないような気がします。

 それでは今週はこの辺で失礼します。
 とんだ災難に遭われた方にも思いをもって生きていきたいと思います。そして出来る範囲で、出来るところから始めていきたいとものです。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

 

梅雨があけました。

2018年07月01日 | Weblog

 こんにちは。
 毎日傘の携帯がつくづくのかと思っていましたが、今週関東地方も梅雨があけました。想像では7月終わりごろかなと思っていたのでこんなに早くあけてしまって、これまでの「梅雨明け時期」とはちがって早いのに驚いているところです。今年はアジサイをみたのも短かかったような気がします。それというのも梅雨明けが早まるということの告知だったのでは思えました。
 梅雨が終わると、今度は暑い毎日がやってきました。昼間は日傘がほしいくなるくらい強い日差しになっています。空高く飛んでいたツバメが気持ちのよさそうに飛んでいました。セミもなき始めてきました。

 これからは、折り畳み傘を扇子に持ち替えて通勤が始まりそうです。
 そしていよいよサッカーワールドカップも決勝戦が近づいてきました。



 今週、サッカーワールドカップロシア大会のグル―プ予選が終わりました。日本代表のグループH(セネガル、コロンビア、ポーランド)戦も終わりました。各国の代表チームも「勝ち点」を得るために必死で勝利にむかっていました。ところが、日本代表の最終戦(ポーランド戦)では、日本は積極的に負けに徹した後半戦の終了10分前の内容でした。観客からは「ブーイング」の嵐。試合が終わるころは、観客のほとんどはいなくなっていました。
 これまで、予選試合は勝ちにいくか同点にして時期分けに持ち込むかが目標でした。今回のポーランド戦では、勝ちにいくでもなく引き分けにいくでもなく、「イエローカード」をなるべくもらわない戦術に変容したもようでした。
 それは、決勝トーナメント(ベスト16)に進むための「屈辱」あるいや「茶番」の試合と酷評された試合になっていました。

 なぜこうなってしまうのか。
 それは予選の勝ち点のありかたでした。最終対戦、コロンビア対セネガルはコロンビア勝ち点3(1勝1敗)、セネガル勝ち点4(1勝1分)、日本勝ち点4(1勝1分)、ポーランド(2敗)の状況のなかの対戦でした。試合途中コロンビアがセネガルに勝っていました。この時点で日本代表はポーランドに負けていました。この状況では2位。そこで、西野監督はセネガルと並んでいる状況の中、決勝トーナメントに進むにはフェアプレーポイントに賭けることになりました。「不本意」ではあるがギリギリの決断でした。その結果「負け」でいいという選択肢になったようです。

 この試合内容に各国のメディアから多くの酷評が出されました。「あぜんとする茶番劇。日本代表には好感をもっていたが、次のゲームでは打ちのめされたいいと思う(英国メディア)。「日本はポーランド戦で試合以上のものを失った。日本だから許される。ブラジルやドイツではない(豪メディア)」。
 ロシア紙スポルト・エクスプレス「単なる醜悪」「日本は最後の260秒間をグラウンド中央で80本のパスを回すだけで、ポーランドは抵抗もせず座り込む選手まで出た」「日本とポーランドはサッカーにつばを吐いた」。ドイツ紙ビルト「W杯で最も恥ずべき10分間」「日本は試合終盤の10分間、ただボールを回すだけ。最も悪い形でのスタンディングサッカー。誰も取りに来ないなら、こちらも何もしないという…。ポーランドも2点目を取りに行くモチベーションはゼロ。結果、22人がサッカーをやめた」。
などがあった。

 そんな酷評のなかでも、日本代表を擁護する評もあった。
 「試合を見ていて、こんなに疲れたのは初めてのことだ。…西野監督の采配は、まさにギャンブルといっていいだろう…。賛否はあるだろう。確かに、あの戦い方を日本チームがやる印象はなかった。こういうやり方もできるようになったと受けとてめいる。結果が出なければ、なにを言ってもいいわけになる。日本のサッカーは美学ばかりが先行し、現実的な戦い方ができなかった。これでひとつの壁を越えたことになる(元日本代表監督・岡田武史)」などが印象的だった。

 こんな試合もあるんだ、と思った。
 試合に負けて、次へ進む究極の選択だ。予選リーグは「勝ち点」の世界だ。試合よりいかに勝ち点をとるかが大切になる。さらに「フェアープレイポイント」というルールである。ルールを重視すればこれも視野にいれての試合となるのだろう。今回は、のルールを生かすためには得点をとることより「反則」を起こさないことが、後半戦は試合の目的となってしまった。
 「清く、正しく、美しく」というのは、ある意味では強者の論理に聞こえてくる。弱者の勝ち方もあることがわかった。それには、監督が多くの批判を一身に受けることが覚悟である。だから、西野監督のとった行為は「次にたたかうための撤退の仕方」を暗示しているように思えた。
 これがいちばん難しい戦略ではないのだろうか。
 決勝トーナメントがベルギー戦。大変強い。非常に強い。フィジカルもめっぽう強い。「赤い悪魔」は世界ランキング3位(いつからこんなに強くなったのか?)。監督がそれを考えたて、ポーランド戦には先発メンバーをほとんど変えたことは大きな意味があるのだろう。先をみて、うまく撤退する術が監督の仕事だとしたらころこそ監督の姿ではないかと思う。次は勝ち負けの世界である。大変だがこれが生きた試合内容をみせてほしい、なと思う。西野監督の采配が楽しみだー(わが国の首相はみならってほしいところだ)。悲観的だがか勝てないだろうなあー。できれば、大会後の西野監督の手記が読みたいですね。



 強行につぎ強行の与党政権の愚の姿をみた国会。思いおこせば、首相家族の問題もあった「加計問題」や「森友問題」を置き去りにした強行国会でもあったようにも見えた気がした。そんなことを思いつついたら「働き方改革関連法案」も同じように野党の警告をないがしろ突っ走って成立させてしまった。野党はこの法案を企業の「働かせ放題法案」ともいっていた。まさに、いちばん大事な労働者の労働時間に関する法律であるはずだが「過労死」の実態をもう少し丁寧に審議すべきところを、それさえもなく、企業の論理丸出しの強行法案にも見えた。それがなえか、いやな戦争の「屍を乗り越えて」を想起させた法案でもあった。

 今回の法案も「働き方の多様化」のような形からつくられた法案のようだ。
 要は、残業を多くやってしまうと残業代が膨大になってしまう企業がどうやったら残業代も払わず、安く労働者を労務管理したらいいのかという疑問に答えているような中身でもあるように見える。
 とくに「高度プロフェッショナル制」は「年収が高い一部の専門職」となっているが、事実は残業が多いから年収も高いのであることが事実なのではないかということが聞こえてこない。年収1075万円以上の給与所得の金融、ディーリング、研究家発関係などの職種に適用されることになっています。
 大切なことは、こういった条件があっても本人の同意と労使による委員会での決議がなければ適用されない、ということになっています。また、本人が適用後に撤回できる仕組みになっているとのこと。とはいえ、企業は適用者の労働時間を把握する義務はなく、一方でか健康確保措置が義務づけられています。年104日、かつ4週で4日は休ませなければならない。在社時間も把握する必要があります。

※年収1075万だけの人がこれだけあるのは、超多忙で多くの残業代があるからではないかと思いますが…。結局これを「高度プロフェッショナル制」になれば、残業代がなくなり1075万円以上も収入はなくなるということになるわけdすよね。まして、仕事の成果ってなんだろうということもあります。もし、本人が撤回したければ、すぐにできるものなのか、という疑問もあります。

 ほかに「残業時間の上限規制」では、残業時間の罰則つき上限規制。残業時間に法的な拘束力の上限が設けられる。残業の上限は「月45時間、年360時間」と明記し、繁忙期などに臨時に超える必要がある場合でも45時間を超えて働かせるのは年間上限は720時間以内としている。

※これも要は労働時間に残業時間が減る傾向に持っていっていない。残業時間が月80時間とか月100時間未満という数字だけでその本質が問われていない。例えば、「過労死」でなくなった人たちの残業時間は多いといわれいる。しかし、月80時間以内の人もいるはずである。大事なのは、残業が多くなってしまう働き方の中味であり、企業体質なのではないのだろうか。これではなんの可決にもなっていないように思える。罰則をつくっても、「過労死」だ出てからでは意味がないのではないのだろうかと思える。

 「勤務間インターバル制」(=努力義務)というのは、仕事を終えてから次に働き始めるまでに、時間を空けさせて働き手の休息を確保する制度。
 例:11時間の場合には、午前0時まで働いたとしたら始業時間は午前11時にする。といったように「不眠不休」で働くことを禁止させる仕組み。これが残念なことに「努力義務」ということになっている。つまり、やってみたけれど無理。努力はしたが無理もありうるということ。一部大企業では実施されているが中小がしたら、実際はどうなるのか。まして人手不足のなかである。
※これは「過労死」に一定の解決策として注目していいと思うが実際のところ、これこそやらない企業は罰則をと思う。労使協議で決めるとなっていれば、中小企業のなかには労働組合もないところが多い。せめて労働組合をつくることへの協力も盛り込むべきであるのではないのだろうか。

 「有給休暇を取らせる義務」実際の取っている人はいるのだろうか。
 有給休暇は義務ではなく、労働者の権利であることを忘れてはいけないと思う。まして、取らせるではなく、取れるような職場環境の改善が必要なのではなのだろうかと思う。小さな工場では、足りない人数でまわっている。そんな中で休みがとれると思っているのだろうか。人員の確保なしでは取れない状況が大事だだなあーと思う。「机上の空論」であっては、せっかく税金を使って審議したのだから「もったいない」なのだが。罰金で済ませることではあるまい。

 「同一労働同一賃金」パートや契約社員、派遣社員といった非正規社員の待遇改善の是正を企業に促すのが「同一労働同一賃金」だ。今では雇用者の約4割を占めるほど多くなっていることを見れば必要な項目となるだろう。
 正社員と同じ仕事の内容や責任、転勤や異動などをしれいれば当然のことだと思う。でも中身が場当たり的な費用のみが同じにしようとしていないかという点はきがかりなところ。正社員と同じ項目をみてみると、通勤費や手当部分や休暇部分がある。でもこれも当然だが、基本給や賞与といったところの改善が必要なのではないのだろうか。生活するうえで一番の基本は生活給=基本給ではにあのだろうか。ここから生活の基盤のらゆる費用がでていくのであるから、ことらも改善が必要なことだと思う。

※実際、私は再雇用者になっていちばん必要なのは、基本給や賞与などである。給与の部分が減額されて、賞与もなくなって仕事に対するモチベーションがなくなったような気がする。きれいごとではなく、経営者も「痛み」をともなってこその経営者であろうと思う。

 手当だけではなにも解決されないし、働く意欲もなくなる。ないよりはいいということもあるが、基本はやはり基本給の増額だろう。同じにとまでいかなくても、近づけることが大切なことだろう。65歳定年もあるのであれば、退職後の保障も大事。少子高齢化のなかで、高齢者を安く使おうとしている会社はいいとは思わない。【参照・6月30日朝日新聞】


 





『通勤』 月曜日のホームにて
カバンがあたる
背中に腕に
人の窮屈さがあたる朝である
靴がふまれる
痛みが脳天に昇る
足を忘れる痛みがはしる

どこへいくのだろうか
骨が突き刺さる
息が窮屈のすきまから出ていく
流れる音もとがって突き刺さる

朝の通勤時間
乗客は荷物となって運ばれていく
「車内トラブルのため」のアナウンスに
どれほど「思い」があるのだろう
痛みある視線が心に刺さったまま
朝にはあたりまえになってしまった景色
追われては逃げていく

吉野弘さんの「夕焼け」を思い出す
あの娘はいまどこにいるのだろうか
どこに座っているのだろうか




【梅雨明け】
 6月が始まって、少しずつ雨が多くなってくるころ「今年も梅雨が始まった」と憂鬱になっていたようです。そして梅雨あけは7月の終わる頃だろうと想像していました。ちょうど高校野球の都予選の終わりごろで毎日空模様を心配しながらと日々でした。ところが、今年ははやい梅雨明けになっています。
 気象庁によると、関東地方が梅雨明けの記録をみると1951年以降、最も早い梅雨明けだそうです。どうりでと思いました。気温も30度以上の地域がのきなみ多くなり「熱中症」への警告が日々聞かれるようになりました。

 関東で最も暑いよく聞く地域に埼玉県熊谷市があります。
 若いころ、一時期住んだこともある土地であったので「なるほど」と納得してしまうことがあります。それでもエヤコンなどのなかった貧乏学生だった時代。あったのは扇風機だけでした。今思うととんでもない気温のなかで生活していたように思えるますが、暑かったのは事実であっても今ほど熱くはなかったような気がします。なぜなら、熱中症などということは周りの友達にはいなかった記憶があります。

 この時代唯一涼を求めていたのが喫茶店でした。それも一人ではほとんどいなくて友達といました。そのほかには、友だちの住んでいた寮が林に囲まれていてヒンヤリして気持ちがいいのでよく学校の帰りには寄っていました。
 あるいはデパート。何にも買わないお客には大変迷惑だったかもしれませんが、うろうろしていました。さらには、水ぶとんなどという人もいました。汗をかきながら眠れてしまうのも「若さ」ゆでしょうか。
 そう思うと、最近の暑さは異常なものなのでしょうか。一日に何度か耳にしたり、読んだり「熱中症」という言葉が多くなりました。怖いのは、寝ていても熱中症になり死亡することさえあるともありました。どれだけ暑いのと…疑問に思えたりもします。

 いまはエアコンがあたりまえになってしまっていますから、涼を求めるのに移動することもなくなりました。その分、体力も落ちてくるのでしょう。体を動かすことによって涼しさをありがたさを感じます。どんな時に涼しさのありがたさを感じているのでしょうか。
 多摩川の土手を散歩して、涼しくなるとトンボの大群を見るころは「秋が近さ」を覚えます。今年は、季節がはやく変わっていくのでしょうかね。
 梅雨があけて暑いという声を聞くと熊谷を思い出しました。若いころの土地です。今ではすっかり町並みも変わってしまったんだろうなあーと思います。




 7月が始まりました。梅雨もこんなにも早くあけるのは思ってもいませんでした。今年は、関東地方は水不足でもあるのでしょうか。これから毎日「暑い」という言葉が挨拶の頭につくのでしょうか。
 サッカーワールドカップもいよいよ最終盤になってくる一週間にもなってくるのでしょうか。始まってみると、時間が過ぎていくのか早いものです。来週の最初あたりで決勝戦が行われいるのでしょうか。さて、今回のワールドカップの優勝国はどこになるのでしょうかね。私としては、今回はウルガアイあたりに優勝してほしい気がします。確かウルグアイは第1回ワールドカップの優勝国ではなかったのではないのでしょうか。アジア勢で唯一残っている日本にも頑張ってほしいものです。次回の出場枠が減らされないようにベスト4くらいまでは残ってほしいものです(ちょっとムリでしょうか)。

 そういえばボーナスの季節でもあるのですね。私には関係ない季節の楽しみですが…。これも、「同一労働・同一賃金」の中で考えてほしいものです。本当に一時金は一年間の生活補填のお金ですからね。いやになってしまいます。

 私にとって7月は、身の周りのものを少しずつ整理していきたい月にしてきたいと考えています。もう、読めない本なども処分していくしかありませんね。それから、今頃になってしまいましたが住宅ローンの勉強を少しずつしていきたいものです。

 連休は山歩きをにいければと思います。
 ということで今週はこの辺で失礼します。読んでくださってくれてる人はどうな労働環境の中で働いているのでしょうか。少なくとも、「働き方関連法案」は関係ないことではないと思います。ですから長々と更新してみました。これはほんの「さわり」程度です。まだまだ中身が込み入っているそうです。「付帯決議」というのもあるそうです。この法案が働く者にいい方向にいけばいいのですが、つくった政治が政治なので期待はできそうにありません。
 「うそつき・仲間意識の強い」あげのはてには「ご飯論法」なるものがでてきて。ことの真相がいまだに不明の状態だと思えます。

 ではこの辺で。読んでくれた人、ありがとうございました。
 ※今週はいろいろありまして、更新が遅れました。読んでくださる方には大変ご迷惑をおかけしました。まあ、書く方も「気楽」に更新しています。無理をせず行きたいと思います。