日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

1月も終わります。はやいものですね。

2019年01月27日 | Weblog


 こんにちは。
 寒さがきびしくなってきましたね。それも、これまでよりずっとと、思うほどの寒気が日本中をかこんでいるようにも見えます。寒さ対策と思い、マスク、帽子、手袋、マフラーと冬のアイテムを体中に着けて行動していることに気がつきます。まさに、防寒と戦うマシンロボットのようないでたちでもあります。でも、最近では「防寒イコール分厚い」という着方はなくなったようですがね。衣類の化学繊維のおかげで、薄くて軽くて動きやすい衣類が登場しています。
 とくに登山用の衣類は、究極の寒さ対策の衣類といえるのではないかと思います。
 とはいえ、登山用はお値段が高価であり低賃金のぼくなどには「高嶺の花」でしかありませんがね…。それでも、必要にせまられて求めることはあります。ぼくは季節の変わり目によくやるバーゲンです。そんなときぐらいしか買いにいきませんが…。

 さて今週のメインは?。
 週末の、全豪州オープンテニスの決勝には感動しましたね。大坂なおみ選手の活躍には驚きました。見ていて、気がつけばどこの国の…というより「大坂なおみ」という選手に拍手を送っていました。プレー中のミスを一生懸命に修正して自分のいつものスタイルを追求していく姿には、まさに修道者みたいにも見えていました。やっぱり、のぼりつめていくことは「自分との戦い」でもあったようにプレーが見えました。こんな感動…思い出せば2011年のサッカー女子ワールドカップ以来でしょうか(感動!!)。いまごろ日本中が昨日の活躍の余韻をあじわっている朝でしょうか…。

 インフルエンザも猛威をふるっていました。
 今週。ぼくもかぜをひいたようでした。週はじめには病院にいってきました。診断はインフルエンザではなかったのには安堵していました。それでも、体が弱くなたことを実感してした週でもありまいた。インフルエンザ予防といって、手洗いうがいの励行とはききますが、いちばん大事なのは栄養と休養でしょう。この時期はひと波を避け、体を冷やさないようにしていくのが大事な季節だと思います。自分の周りをみれば、近隣からの自転車通勤者よりも電車通勤者の方がカゼにかかったひとが多いようです。カゼのかかる前の体力が大事ではないかと思います。




 今年最初の「本棚」です。
 毎年感じることは年々本を読む数が少なくなっていくようです。その第一の理由は、本が高いくなっています。とくに新刊書は2000円台という値段が多いようです。だから、ぼくなどは「文庫本」になるまで待っている日々が多いようです。とはいえ、文庫本にならない本もあります。あとは、図書館を利用するようにしています。これも、運よくあればいいのですがなければすぐには読めません。それでも、図書館のネットワークを利用してさがしてもらったりもしています。星の数ほどあまたあるなかで、縁あって今年めぐるあう本もあります。そんなことを思いつつはじめましょうか。
 こんなことを思いつつ、今年の一冊目です。



 韓国や北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)という国はいまだに「近くて遠い国」の思いが払しょくされていないような気がすします。それでも、隣国であることにはかわりはありません。
 いっとき「韓流ブーム」という言葉を多くきいたときがありました。とくに、韓国ドラマ「冬のソナタ」によって、主人公の俳優に熱をあげた日本人が火をつけ役だったものであと思われます。この時期には音楽や舞踏などに興味をもった人も多いと思います。この韓流ブームで韓国まで旅行に行った人も知っているくらい身近なときもありました。スポーツでは、サッカーが相変わらず韓国と日本の試合には熱を帯びています。
応援にワイワイ騒いでいる根っこは、日本が戦争中、朝鮮半島に対する植民地支配の歴史があるからだろうと思います。試合中にいつのまにか日本に支配され、むごい支配をうけたことへの民族主義そのものがまる出しになるのでしょう。日本も負けずと民族主義が熱をもつ試合になるというのは暗黙のなかに了解事項となっているのだろうと思えます。
最近では、日本が朝鮮支配の時代(第2次世界大戦)中に広島や名古屋の軍需工場で「徴用工」として朝鮮人が損害賠償を求めた裁判で韓国の大法院(最高裁)で企業側に賠償を求めた判決がでたことも記憶に新しいこところです。

 世界の潮流からみれば、昨年、米国の大統領が北朝鮮の最高指導者・金正恩(キム・ジョンウン)と握手をかわしたことが世界的なニュースにもなりました。また韓国大統領・文在寅と南北国境線上での会談も話題を呼んでいました。北朝鮮が中国との関係の外交も続いているなど…。
 とはいえ、昨今では一方では「ヘイトスピーチ」という言葉を多く聞くようになりました。アジア諸国の外交が朝鮮半島を中心に進んでいるようにも見える一方での中で真逆なことをやっているように見えるように思えます。昨年日本政府は「出入国管理法」を成立させました。少子高齢化での労働力確保のために外国人の労働力を得ようという法案でした。これからこの法案によって多くの外国人が日本にやってくることを考えれば「ヘイトスピーチ」は、世界の孤立する日本国を印象づけるできごとだと思います。

 そんな中で北朝鮮についてである。日本とは国交がないために時々テレビに放映されるものだけしか印象に残っていないというのが日常だと思う。そこでは、韓国語で日本を批判、非難している光景ばかり目にするだけである。それでも、国内には、朝鮮の学校があるのも事実である。在日二世、三世がいる日本においては、唯一身近な北朝鮮だろう。それでも国交がないわけだから気楽に観光旅行などとはいかないのが現実。

 『朝鮮大学校物語』という小説は、朝鮮大学校に入学したミヨンという一人の少女の大学生活をめぐる話。大阪から東京の小平にある朝鮮大学校に入試から卒業までの4年間を描いたものになっている。日本で国交のない北朝鮮の大学に入学するということはどういうことなのか。政治に方向が日本のまったくちがう朝鮮大学というところは一つの国のようにも見えました。
 なんだかんだと…文句を言う前に相手の体制を理解して違いをわかっていくことも大事なことだと考えさせてくれる本でした。

※ほかに『苦海浄土』(石牟礼道子著/講談社文庫)や『椿海の記』石牟礼道子・河出文庫なども読んでいました。

『椿海の記』

土や泥がまだいきていたころの道の上には、そのような一日の人生の地紋が、さまざまに交わりながら残っていたのである。馬糞や、荷馬車のわだちや、馬のひづめの跡や、医者の乗ってゆく人力車の跡がついていたりした。荷馬車がこぼしてゆく米や粟の粒や木炭のかけらの間を、ほかの荷馬車に積まれて、びゅんびゅんと青い葉をつけた梢をふり立てながら、まだ皮つきのまま杉の木の檜の荷が通っていく。すると地面には、そのようにそびかれて行った木の跡がすじをひき、青い渋い梢の香りが、馬車の行ってしまった夕闇に残っていたりする。
 朝はまた花柴売りのお冴えしゃんの声で明けるときもある。(p76)

■味は代々の歴史。うまければ継がれ。まずければもっとうまい味がつくられていく。味によって人と人や近所がつながっていた時代。
家々の味という不思議に定まっていて、特別上等に作れる家というものは毎年味が落ちるということがなく、もしもその味が変われば、そこの家での婆さまが死んで、嫁御の味になったのだと、だんごをもらった家では推量するのである。だんごのお返しには、翌年の春の八幡さまの祭りのおこわや〆煮や、さなぶりのときのご馳走などを当てて忘れずにお返しする。貰いきりにしては義理を欠くので、お返しはをするために四季いろいろつくったが、面倒ばかりでもなく、結構それで忙しさも潤っていた。(p133)

■いちずな時代は後悔しない自分があった。
 家出しようとして、自動車まで用意して駅までゆき、汽車に飛び乗ろうとする寸前をお父さんにとっつかまり、そびき戻されてしまった娘の方に、圧倒的に町内では同乗した。末広の娘たちは、小母さんたちとはひところ異なる反応をみせ、「そびきもどされらしたげな」「すんなら、こん次は、まあだむずかしかろ」(p151)

■ぼくは、人が死んでいくのは仕方がないことだと思う。人にはそれぞれの死に方が運命や宿命によっていつかはやってくる。だから自分の立っているところで考えて行くしかないように思う。大事なことは生きている間にどんなことを思いながら生きてきたのか、ということだと思う。死にたいしては「諦め」が何よりも優先されているように思う。
 人間てなぜ死ぬの、千年も万年も生きたいわ…。
 千年も万年もかかわって、このように誰かの命と切れめなく生まれ替わって来たのにちがいない。それゆえ、数というものは数えられないもんじゃなか。と父親がいうのにはちがいない。なぜしかし終わらないのか、とわたしは思う。数えられなくても、知らなくてもよいから、終わってくれろ、と石の上でそのときおもっていた。青海苔におおわれた広い河原にも、その真ん中の石の上に、袂を抱えてかがみ込んでいるわたしの肩先にも、川の底を流れてゆくおもかさまの上にも、夢の中の粉雪が、さらさらと渡って行った。(p194)

■生命あるもの同士が出遭いながらこの世は動いているようである。もし、自分がいい出遭いをもとめていたいのであれば、いくつもの人と遭わなければならないだろう。その中には、自分にとって不都合な出遭いもある。それでも、時間がたてば、自分にとって楽しく、美しくなる出遭いだけが残るようにして行きたいと思う。大事なことは、いろいろな出遭いの中で、本当に自分のことを語っているのかとか、これでよかったのかということを考えることではないかと思う。そのことによって、自分の中に大事なことが残ってくることだと思うのだ。あるがままの他人を見て、あるがままの自分がそこにあるようにしたい。
 この世は生命あるものたちで成り立っている。この生命たちは有形にも無形にも、すべてつながりあって存在していた。赤ん坊というものはまず、言葉を知る前に、視覚と聴覚と、それから、見えない触覚のように満を持しているおどろくべき全感覚で、他の存在について知覚しながら育つのである。ものごとを在るがままに理解し、肯定するということならば、この世と幼児とは、出遭い最初からその縁を完了させてもいたのである。(P230)

■感想■
 この本は「ゆっくり読むこと」と解説で述べていることがわかるような気がする。
 熊本県水俣を舞台に幼児期の作者を囲む人たちの日々の生活を描いた作品である。そこには、海に囲まれた人々の言葉が生活と人をつなげていくことがわかってくる。海にたいする畏敬の言葉や関係が語りかけてくる。
 子どもは親や近所の老人たちをみながら育っていく。育って行くだけでなく、次への人間をつくっていくことが読めるように思う。
 ぼくの子ども時代も親たちや兄弟たち、さらには近所の人たちのかかわりを考えさせられる。

『苦海浄土』石牟礼道子・講談社文庫
■どんな死に方を背負って水俣の人たちは生きてきたのだろうか。水俣病による死は、ある意味では現代文明が強制的に弱者を死においやりながら生きていくてきた形そのものが残っているのではなのだろうか。それは、まるで権力者が自由に人間を人格として認めず非業の死をつくった時代ではなかったのではにか。
水俣病の死者たちの大部分が、紀元前二世紀末の漢の、まるで戚夫人が受けたと同じ経線をたどって、いわれなき非業の死を遂げ、生きのこっているではないか。呂太后をひとつとの人格として人間の歴史が記録しているならば、僻村といえども、われわれ風土や、そこに生きる生命の根源に対して加えられた、そしてなお加えられつつある近代産業の所業はどのような人格としてとらえられねばならないか。独占資本のあくなき搾取のひとつの形態といえば、こと足りてしまうかもしれぬが、私の故郷にはいまだに立ち迷っている死霊や生霊の言葉を階級の原語と心得ている私は、私のアニミズムとプレアアニミズムを調合して、近代への呪縛師としてならねばならぬ。(p74)

■やっと世間の人たちに注目するようになった『水俣病』である。それを解決する方法を政治家に求める市民たちの行動は大事なことである。政治家とのつながりをどこでどう持つか。通常は働くだけで、せいっぱいの非日常の世界となる。
「国会議員さんたちの来たらたぞー」
陳情やデモというものがいかなる形で行なわれるのか、それがどう受け入れられるか、しかと見とどけなければならない。(「昭和三十四年十一月」P99)

■水俣病患者をお見舞いに行って患者の様子を見ていると、死との対面をいやでも見つめることになる。どれをみても道半ばどれも納得していないである。それは、自分自身で見つめられない「死」との対面なのである。

わたくしは彼女のベッドのある病室にたどりつくまでn、幾人もの患者たちに一方的な出遭いをしていた。一方的なというのは、彼らや彼女らのうちの幾人かはすでに意識を喪失しており、辛うじてそれが残っていたにしても、すでに自分の肉体や魂の中に入りこんできてきている死と否応もなく鼻つきあわせになっていたのであり、人びとはもはや自分のものになろうししている死をまじまじと見ようとするように、散大したまなこをみひらいているのだった。半ば死にかけている人びとの、まだ息をしているそのような様子は、いかにも困惑し、進退きわまり、納得できない様子をとどめていた。(「五月」p141)

■感想■
 苦海浄土の世界には、海に棲む、魚、貝、海苔。そこで暮らしていたすべての人たちが括られて犠牲になったことにだという。
 これを人がするのか…と思える疑いを世界は考えたことだろう。けれどもその悲劇をつくったのも人間であるあることの反省がことどことく書かれている。
 生きとし生けるものが背負わされた宿命を地方の言葉でなまなましく語っている。





【駅もかわれば町も変わっていく…よくも悪くもね】
 今いるところに引っ越してきて20年。毎日利用する身近な駅もとうとう変わるようです。いまは小さな工事が行なわれいるところです。個人的には変わったところで、「結局は利用者のことはそっちのけで利益優先の動きがあるのだろうと…」と思います。例えば、開かずの踏切の不便を感じていた道路が、電車が高架線になり、踏切が消えたと思いきやこんどは自動車がたくさん通り、なかなか渡れない。そして信号がいつの間にかできている。
 以前が、すぐに渡れたところも法律(道路交通法)が人の異動を規制しはじめるということになる。結局は、前のほうがよかったのではないかと思うこともある。そして、いつのまにか産業道路のように自動車が優先になっているようになっている。そんなことの繰り返しである。

 駅の完成イメージがでていた。駅がきれいになったがこれからは利用者が前よりも階段を使うようになるようだ。これが便利なのかなあーと思えてしまう。便利ではなくて、利益を生む駅になっただけではないのかということが見えてくるようだ。2020年の東京五輪がどんな町に変容させていくのか…、あまりいい気持ちはしていない。


 いよいよ春闘が始まるようである。ベースアップや一時金といった働く人にとっては生活の根幹にかかわる大事な季節でもある。これまで「官製春闘」といわれ、いった労働組合はどうなっているのかということも言われたが、しっかり組合も頑張っている。

 不正改ざんの「毎月勤労統計」で明るみになったように政府関係のデータではもう破綻しているようなニュースが多い。信じられるものさえも消えたようだ。一国のデータがこんなにも簡単に不正に扱われいたとは驚きである。驚き以上にあきれているのが本音かもしれない。これで、官製春闘などということになれば、先が見えている。

 そして「再雇用契約者」はカヤの外でもある。これがなんとも歯がゆい。
 何が「働き方改革」かと憤懣をしている。
 そんなことを思いつつ、春闘が始まる。今年はいったい何が出てくるのだろうか・



 今月、とうとうメガネが壊れた。
 ここ1ヶ月ばかりメガネをかけず通勤していたら遠くのものが全然見えない(当たり前か)。それほど不便を感じることもなかった…。しかし、散歩をしていて遠きが見えずらいことで自動車の動きが見えなくなった。道路を渡るとき、おそらく見えていなかった自動車が突然目の前を横切った。車がきていたことが感じていなかった…。ちょっと怖かった。
 やはり、普通の見えるものが見えないというのは「恐怖」だなと思えてきた。ましてスピードが出る自動車である。

 メガネ店にいったら、「つくって10年目です」と言われた。前のデータが残っていたので、「同じように作ってくれればいいです」と言われて、「それでもいちよう検査をしてみましょう」と言われて検査を受けた。乱視が進んでいた。それを矯正するレンズをつくってもらうことにした。高齢になり、若いときは違うところが年々、弱くなっているんだときずく。大事なことは、この弱くなったところをいかに自分なりにカバーしていくかということ。
 メガネが壊れたことで気づく、体の年齢でもあった。修復可能なものをさがして修復していくしかあるまい。できないものは、あきらめるしかない。

 今月も終わる。
 今月の更新がなかなか進まない。まとめようにもまとまらないと思う1月だった。
 「そろそろ終わりかな」と思うこともある。少しは肩の力をぬいてのんびり町を社会を見た目線で今後も続けていきたいと思う。むずかしいことがたくさんある。
 その時々の考えたことを、これからも続けていけたらと思っている。
 まとまらないけれでもこんなところで今週は終わります。
 インフルエンザがまだまだ猛威をふるっています。のんびりできるところをもとめて、今週はこの辺で失礼します。今年もボチボチ進みます。
 読んでくれた人、ありがとうございました


寒さにくじけそうな日々です。

2019年01月20日 | Weblog


こんにちは。
毎日、寒いのが身にしみています。うっかりすると、その場で「低体温症」などとならないように体を動かす毎日です。関東では雨もすくなく乾燥注意報がでている日々でもあります。インフルエンザも流行り出して、帽子とマスクを着け通勤する毎日です。どんな、工夫をしていますか…。
 この時期は散歩をしていても花を見るのも少なくなってきました。唯一ではありますが、蝋梅とすいせんがたくましく咲いていました。きれいな花をいっぱい見たいものですがもうちょっとしないと無理でしょうかね。

 さて今週の気になるニュースは「宇宙」と「県民投票」です。


流れ星を人工的に発生させる小型衛星を載せた固体燃料ロケット「イプシロン」4号機が18日午前9時50分、宇宙航空研究所開発機構(JAXA)の内之浦宇宙空間観測所から打ち上げに成功した。(1/9/朝日)

 米国のトランプ大統領が「宇宙軍」をつくるいう記事を読んだことがあった。いよいよ、宇宙か…と思った。地球ではあちこちに軍隊派遣した国が宇宙ときたら、「鬼に金棒」ということか。世界支配はなお一層、強力になっていくように思えた。これまで、多くのロケットを宇宙に送っていた理由はこれですべて集約されるような「宇宙軍」だろう。今でも、世界の動きをピンポイントで撮影できる衛星が地球の周りを飛んでいることもよくニュースになっていることも思い出す。北朝鮮の核開発の動きがあった様子も衛星から発信された画像が新聞に載ったものを目にしたこともあった。今まで、こんな程度で住んでいたのが「宇宙軍」でもできたら、「怪しいものに宇宙からレーザー光線でもあて攻撃するかもしれない…」とも思えた。さすがにこの高さからでは大砲の弾も届かないけれども、世界征服も夢じゃなくなったかもしれない。

 となると…、世界中の軍事施設も地球から宇宙へとますます軍拡は広がるのではないか…、と人々の不安が起こるのかもしれない。
 先ごろ、日本では人工的に「流れ星」をつくるロケットが打ち上げに成功した。宇宙ビジネスへの展開が始まったのだろう。これまで、宇宙へは国家予算ほどのお金がないと無理であったのに、民間企業ができるようになったようだ。
 ということは、これが軍事用に転用されることは誰でも考えることだろうと思う。流れ星をレーザーや地上に届くほどの大砲でもできれば軍事用となるだろう。そんな危険がたくさんあるのだろうと思えてしまう。もっと、怖いのは流れ星になるのはいいが、流れ星にならなかったら宇宙のゴミになるだろうから、ますます地球の周りには宇宙関係のゴミだらけにならないだろうか。そのゴミをどうするのだろうか。

 地球がこのことによって軌道がくるわないのだろうかとか、人工的な流れ星によって他の星に悪影響をあたえて、星の軌道もおかしくなって地球との接近はないのだろうか…、なんとも怖いビジネスが登場してきたかと思えた。
 等など。これから始まる宇宙ビジネス。これまで、人間は公害など多くのことを解決してきたが、ことは宇宙である。まったく手の届かないようなところだから慎重であるべきだろうと思います。
 最近、大手電機会社が諸外国への原発計画がことごとく頓挫している状況に変わって、これからは宇宙開発計画があるのだろうと思えるようなニュースでもありました。とはいっても、ことは地球の危機をつくってしまうようなことになるではないかと(考えすぎかな)不安でもありますが…。


 米軍普天間事項上の移設先を辺野古へということで工事が進められてきた。ところが、新基地建設に対する県民の声は「反対」が多く、一時とめて議論をする場を求めていた。その結果、県民投票の条例に基づき「市民団体が9万筆以上の署名を集めて制定を求め、県議会で成立させた」という経過があった。県民投票をもって、政府の強硬なやり方がに多くの人たちが疑念をもっていたということがニュースにもなっていた事実もわかってきた。
 ところが、政府は権力をたってにして、強行に辺野古新基地建設に建設を進めてきた。それでは、本当に県民の人たちの意思を問うということで「県民投票」を実施を計画してきた。
 ところが、同じ沖縄である中、県民投票は参加しないという対応を求める市議会がでてきた。これはいったいどういうことなのか…と思う。

 海の向こうの英国で「EU(欧州連合)離脱の国民投票」があった。投票によって離脱賛成が多く票を集めた結果、離脱をした。政府は対策案を国会で審議していた。そこでは「離脱は反対」がほとんどだった。さらに混迷しているの今の英国の状況だろうと思う。
 でも、これは結果であって今後はどう動くのか、これまでのEUの有り方や、EUという組織に対する国民もこれまでよりももっと考えるだろうと思う。これが、民主主義なのではないかと思う。最後は国民が判断して選挙でもやればいいわけだ。

 そう思うと、県民投票に不参加(沖縄、宜野湾、宮古島、石垣、うるま)の5市議会はどうなっているのか、と思えてしまう。議会は不参加であっても、市民一人ひとりはどう思っているのか…と思えてきてしまう。こんなときだからこそ、一人ひとりの政治参加の機会をつくっていくことが大事ではないのかと思う。




【今年も立ち寄った駅の記憶をつづっていこう!】
 昨年から、何かにつけ立ち寄ってきた「駅」の思い出を書いてきました。とくに東京は駅が満載の都市で、きっと死ぬまでにはたくさんの駅のお世話になっているのだろうと思う。とくに小さな駅には、お世話になっている。日頃は降りることがない駅でも何らかの理由で降りているのだろう…。そんなことを今年も考えながらこのコーナーを続けていければと考えている。
 というところで次回をおたのしみに…。



 1月も後半にかかってきて、少しずつ自分の「今年のお仕事」が見えてきたように思う。
 まだお客に注文されいるうちは忙しくてもいいのかもしれない。「忙しい」と愚痴をいっても動き始めてしまえば、あとは印刷までは止まらないようだ。
 とにかく、体が丈夫なうちは人との関わりを大切にしていきたい一年もあるように思う。
 今月も月末で、忙しさがでてきました。明日から出向が続きます。まあー無理のない程度に、さらにはインフルエンザを避けていきたいですね。

 読んでくれた人、ありがとうございました。
 

ちょっと、遅れましたが…ことしもよろしくお願いします。

2019年01月13日 | Weblog


 こんにちは。
 気がつけばお正月も終わって「松の内」も過ぎて仕事も少しずつ動きはめました。散歩で見かけていた、門松も消えていました(当り前ですか)。
 正月休みが終わる日曜日に突然体調をくずして寝込んでいました。今週は体調ももどり、今日をむかえています。
 お正月休みはいかがでした。毎年のこととはいえ、故郷に帰ってのんびり過ごしたことでしょう。故郷に家族で帰れるうちはまだよくて、このごろは古里が遠くなっていくばかりです。両親ともいなくなると帰る気力さえ失せてしまうのが正直なところだと思います。両親が元気なうちは過ごせたことはいい思い出です。
 こんなとき、いつも思い出す映画があります。「男はつらいよ」です。寅がいつもひょいと柴又に帰ってくるシーン。柴又の人たちがバタバタとし始める。文句をいう、ケンカをする、モノが飛びかう、あげくの果ては寅が誰にも知らせることなく家を出ていく…。そして柴又のおじちゃん、さくら、ひろしなどが旅先の寅の今頃どこにいるのかな、と思いをしながら日常にもどっていく。あーあ、これが日本人の姿なのかなあ、と思います。

 さて、2019年が始まりました。今年はどんな年になるのでしょうか。ぼくの住む町には今年ラグビーワールドカップの試合会場もあるからでしょうか町全体で応援しているように見えます。とはいえ、日本全体がそうかといえば、まだメジャー級とはいかないと思うのも正直なところです。なんせ、ラグビーの生放送もなく、最悪だと思えたのは今年の「高校生ラグビー大会」の放送がなんとも頼りなくみえました。「なんでーこうなんてしまうの?」ですね。いちばん身近な駅も改築中とはいえ、完成が2020年だそうです。なんでも、「東京五輪」が最終目標のようなスポーツシーンのようです。淋しいいいね…。




『師走の病院にて』
北風が吹く12月の景色は首筋だけが寒い
通り過ぎていく人の形もちがっているように思う
アスファルトのうつる遠い影が消えては
また追いかけてくる人の姿がある

師走の病院にいく
暖かすぎる病室には熱に温められた肉体一つ
変わりはてたその姿には
人生がはじまろうとしている人
人生が終わろうとしている人を思う

どこかに生きた標識があったはずだと黙して目は語る
声にもならならないつぶやきが手のしわが語る
忘れ去られようとしている一つひとつの言葉が行動にならず生きていることにはがゆさがあるような場所でもある
病院の窓からは遠い景色に人の軌跡が立ちすくんでいる
今日も北風の首筋がさむい一日

誰でもないぼくのことを思う
平成最後の年であろうとなかろうと
ただただ、今日という一日を生きて
明日また目が覚めたとき今日のことを
ぼんやりとでも思える一日があればいい
また人のあれこれを思える日々であればいい
今日という日は
人類がまた一年過ぎたという記号が増えた日でもあることを気づく時間


【始発電車が出ていく駅】
 ことしもできるだけ、「駅」を追いかけていきたいと思います。東京に来て40年近くなりました。何かにつけ、多くの駅を降りていろいろな思い出をつくってきました。東京はそれだけたくさんの駅があるということでしょう。死ぬまできっと利用するだろう「駅」にはそれぞれの記憶(思い出)があります。今年はどんな駅をあるのでしょうか?。
 そんなことを考えながら続けていこうと思います。





 今年最初の「山あるき」に行って来ました。正月も終わり4日から仕事始めの人も多いようです。その4日(金曜日)では、平日ということもあって登山者も少なくとても静かな山あるきとなりました。
 今年最初ということもあって無理せずのんびり歩くことができた一日でした。
 気候は寒いのですが歩いているうちに温かくなります。これが、いちばん充実感を味わう瞬間でもありますよ。じっとしていると寒くてこごえそうですが、動いていると寒さも忘れるくらいに空気が澄んでいるため景色が美しく感じられます。
 それでも冬は行動する時間は夏と比べるとかくだんに短くなります。出発も夏よりは早めに立ち上がって行動することが大事です。4時ごろになると、山の中はうす暗くなってきます。気温も風が吹いていると一気に下がります。やっぱり、自然から勉強しながら今年も始まったやま歩きでした。

 今年のメインは「高尾山」になるでしょう。それも裏高尾や北高尾などです。今年は、相模湖にも方にも足をのばせればと思います。とにかく、静かな、適当に人がいてゆっくり歩ける低山をさがしていきたいと考えています。





 先週、正月休みの最終の日曜日、あろうことか体調を崩し一日寝ていました。
 ふとんの中でいくらでも寝られるほど…眠っていました。久しぶりにゆっくり眠れました。反省としては、今年元旦からいろいろ予定を消化しようと頑張ってしまって、体力と気持ちのアンバランスがあったような日曜日でした。無理はしてはいけませんね。それくらいわかっているつもりでしたが…。これもきっといい経験になるでしょう。若さにはかないませんね。

 今年もゆっくり仕事が始まりました。「再雇用契約社員」という肩書です。一年ごとに契約するのですが、何をもって査定しているのかわからないことがあります。職場では自分の担当したものだけをやっています。他のことをやると、迷惑がかかりそうなので手は出しませんが(出すほどの賃金でもありせんしね)という日々が始まりました。
 これはびっくりポンです。自分が担当している月刊誌の連載記事の著者(ジャーナリストとの大谷昭宏さん)が朝日新聞にのっていました。こんな有名な人だったんだ、と思いました。とても読みやすく、世相をユーモアを交えて書いていておもしろうなあーと読んでいたいたのです等など…。身近な人になったように思います。



 今年は年賀状が仕事の現役の人たちよりは退職してそれぞれの居住地でがんばっている人たちからの方が多くなってきました。これも、ぼく自身が同じようになってきたからでしょうか。それにしても、現役(30~50歳前半)の人たちはどうしてこうも年賀状を書かないのでしょうかね。会話も少ないし、忘年会、新年会もやらないし、見ていて仕事ではなく「人生」そのものが心配になってきてしまいます(余計なことと思いすが)。でも、こういうことって仕事にも影響してくるのでしょう。ぼくは、あまり口はだしませんが。

 13日(日)午後、知人のミニコンサートが駒込であったので夫婦そろって行ってきた。妻にとっては50年以上も続く知人である。幼なじみというのだろう。四国から東京に来てからも今まで続いていることにはリスペクトである。そして、知人が青春時代から今までクラシック音楽とのかかわり一筋にもリスペクトでもある。今回は、バイオイン、ヴィオラ、ベース、チェロとクラリネットの加わりカルテットでした。ぼくは、いちばん気にいったのは最後に聞いた結成10年をふり返って作曲したという「あゆみ」という曲がとても印象に残りました。聞く人には映画『ニューシネマパラダイス』の曲を思い出すきれいな音でした。
 クラシックときくと固いイメージですが、ときどき静かに聴いてみたいものです。題名が知らなくても、体にジーンとくる音があるかもしれないなーと思いました。
 ちなみに最近聴いた曲はショスタコヴィッチの『革命』というCDでした(これは『朝鮮大学校物語』という小説で主人公が音楽家の姉の住む北朝鮮を訪ねるシーンを思い出して聴きたくなっただと思います)。

 とまあ、今年の始まりはこんなところです。体調を崩し先週は更新できませんでした。のんびり、自分の体調を考えながら今年もいこうと思います。
 とりあえず、自分の体とパソコンが壊れるない限り更新していきたと考えています。
 今年は、昨年のような自然災害が多いのでしょうか。夏は暑すぎて、集中豪雨、水害など多くありました。北海道の地震もありました。ニュースにはなりませんがいまだ避難生活をしている人も多く人がいると聞きます。関東にも地震がおきないということはありません。そのときは、もう終わりでしょうね。2020年東京五輪もいいけれど、こういう人も多くかかえている日本でもあることは忘れることはできません。

 寒さも続きます。読者のみなさまもくれぐれもインフルエンザに見舞われないようご自愛ください。今年も一年間よろしくお願いします。
 読んでくれた人、ありがとうございました。