日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

3月・・・今年は特別でしょうか

2020年03月29日 | Weblog
 こんにちは。せっかくの日曜日だというのに雪で寒い一日です。
 桜が満開になっていました。雪降る中の桜を見るのは何十年ぶりのような気がします。なにはともあれ、こんな季節もあることに気づかされる休日となりそうです。

 さて、今週とうとう東京五輪が延期になってしまいました。健康な体がスポーツの第一条件であれば、新型コロナがまだ拡大しているなかではむりからぬことだと思いました。考えてみれば、この東京五輪には「お・も・て・な・し」から始まり、いろいろ因縁の多い五輪になってしまいました。
 国立競技場建設をめぐっては設計の段階でももめました。当初の計画より3倍(1300億円から3462億円)になってしまった。依頼した故ザハ・ハディトさんがデザインをして膨れ上がってしまいました。高額すぎるということで日本の建設会社(大成建設・梓設計・隅研吾建築都市設計事務所)と再契約したことがありました。

 さらに新国立競技場の建設がはじまったと思いきや、今度は現場監督(32歳)の男性が納期をめぐって「身も心も限界」と自殺もありました。現場での残業時間が193時間とあいかわらず、日本の過労死限度を超えている仕事内容です。

 あまりの暑さのためにマラソン会場を東京から北海道に変えたこともありました。
 一時、東京で準備をしていた人たちも混乱をしたことだと思います。
 そして、今夏の「新型コロナウイルス感染」での、「開催延期」でした。
 まったく、因縁つきの東京五輪になってしまいました。
 とはいえ、1年でできるか否かはまだ未定です。

 とくに残念に思うのは東京五輪より、通常のスポーツが延期していることがとても残念に思います。ラグビーのトップリーグは今年は「中止」を出してしまいました。チケットも買っていたので、いまさらですが「やっぱりコロナは怖いんだ」と思ってしまいました。野球もサッカーも早く開催できることを祈るばかりです。
 
 3月も終わります。今年はほとんど「新型コロナウイルス感染」で世界中が混乱している状況です。よくよく考えてみれば今月の読んだの共通するのは「ウイルス感染に困惑する人たち」でした。少しも明るい話題の本でなく、悲壮感ただよう本ばかりになってしまいました。それぞれの場所や時間は内容はちがいます。最近は、生きていればどこかで遭遇してしまうことが多いように思えます。今回の新型コロナで、それも身近になってしまったような気もします。できれば、生きているうちは遭遇したくはないことばかりですが、現実はより身近に試練を人間に与えているようにも見えます。

 それというのも、これまでの社会をふり返れば「こうなることも無理からぬ」と思える暮らしの変化があったのではと思えます。免疫力が弱くなる長時間な働き方、民族という遺伝子を死守しようとする人類、さらには差別をつくりあげる格差経済・・・など。ウイルスに対抗すべき人類の形がますます弱くなる傾向になるようにも思えた1ヵ月でもありました。そもそもウイルスは人類と一緒に生きてきた生物でもあります。ウイルスにとっては人類よりはるか昔から存在していたものもあるともいえます。それが、なんらかのきっかけで人類に対抗するような形で出て来たのにすぎないのではないかと思います。そして、たまたま出てきてウイルスとの相性が悪かったか、人類がウイルスに抵抗できない体がながい年月によってつくられてきたということもあるのでは思います。

■p29 あらゆる業務は止った。あらゆる職人たちは、自分の道具を捨て、新しい仕事はおろか、以前に請けていた仕事さえなくなった。その結果、ひとい飢饉があやってきた。それは想像を絶したものだった。パン、いや、どんな種類の食べ物も、手に入れることができなくなった。最後には、ペストより、食糧の問題の方が重要かつ緊急なことがらになった。
 

今回の「新型コロナウイルス感染」のことがあり、昔人々はどう立ち向かっただろうかと思い『ペスト大流行―ヨーロッパ中世の崩壊』を読んでみた。時代14世紀初頭からヨーロッパに感染拡大したペストと人々の様子を研究したものである。こちらは『復活の日』より、より具体的に表や当時の絵画などから読みとれる感染の様子を伝えていて生々しい。

 13世紀後半から14世紀はヨーロッパ中が群雄割拠(下剋上)の時代もあり世の中はペスト感染には対応できていなかったということもあったのでしょう。ちゃんと診療できた人たちは一部であったようにみえます。さらに、原因をつきとめる医療もまだ未発達の時代ということもありました。宗教によって解決しようとしたりもありました。
 
 時代によっ病気への対応がちがっています。ペストが時代から考えると今回の「新型コロナウイルス」はいち早い対応さえできれば終息もできるような気がします。しかし、昔も今も、患者に対応した医療機関が充実していないこと感染を広げるいちばんの原因なのではと思います。それだけに、政治は言葉だけでなく医療予算を多くもつことが大事です。医療予算によって、感染の拡大、縮小のカギを握っているように思えます。いくら情報が発達しても、具体的に処置するのは医療機関です。
 また、新型コロナで影響をうける人は感染者のみでなく、日々の生活をおうっている人たちも同じです。飲食店などを営む人たちは休業でお客さまがこなくなって通常の生活も困難になってきていますし、小さな会社ではテレワークなどはできなく、仕事が回らなくなってしまっています。
 人の暮らしは今も昔もそれほど変わらないでしょう。変わったことは命を守る技術が発達したことではないのでしょうか。しかし、その医療を充分に受けさせる・受ける体制が十分に整われていくのかが大事でしょう。
 
 
 
  事故現場、会議室いじょうに頑張っています。会議室での混乱が現場にツケがまわってくる現実があります。『死の淵を見た男』では会議室人たちよりはるかに職場を大事にしている人の姿がありました。
 

 自分の「死」はどこでだれがいてくれるのでしょうか。「老老介護」ということがよく聞くようになりました。誰でもなく自分自身の最後はどんな形でいるのでしょう・・・などと考えた一冊です。
 

■p89「世の中ってそういうものですよ。火星にロケットをうちこむのには、夢中になって金をつかうのに、いま世界総人口に対してまともな医者と、医療設備がどのくらいの割合であると思います? ネパールじゃしょっ中天然痘がはやっているんですぜ」技官は皮肉をこめていった。「毎年の防衛予算の半分もくれりゃ、どんな流行病だって撃退してみせますがね」
 
■p147 「残念ながら、うちの製品じゃなさそうだ。だけどソ連の実験が、こんな大流行をひきおこしのかもしれません。――とにかく、このくらい、手きびしい新種ウイルスなら、りっぱに戦略的価値をもつね」
 
■p216 こみあわないで、ゆったりとした車内にもかかわらず、乗客の顔はどれもつきつめた不安な表情でいろどられた。――彼らもようやく、このラッシュ時の周辺にあらわれ出した、歯のぬけたような空間の不気味さに気づきはじめ、事態が容易ならなぬ段階に来ていることにさとりはじめたのだった。五月だというのに、合オーバーをきこんで、首に絹マフラーをまき、汗をかいている男がいた。車内をちょっと見合わたせば、花びらのように白いマスクが点々と見え、人びとはあらためて、このガラガラにすいたラッシュ時の上り電車の中で、隙間風の吹くよううそ寒い感じにおそわれるのだった。
 
■p258 十四世紀のペストで、ヨーロッパの人口は半分になった。だが、ヨーロッパは生きのこった。スペインかぜで二千万人が死んだ。だが、そんなものは、二十世紀初頭の文明には、かすり傷にすぎなかった。二つの大戦、地震、大洪水、飢饉・・・人類は生きのこった。
 
■p316 人類がもっと早く、自己の存在のおかれていた立場に目ざめ、常に災厄の規模を正確に評価するだけの知性を、全人類共通のものとして保持し、つねに全人類の共同戦線をはれるようにな体制を準備していたとしたら―—災厄に対する闘いもまた、ちがった形をとったのではないでしょうか?
 
■p363 人はその浮かびたたようもろい朽葉の上に住んでいた。大地の漂白のかた時の間に、枯葉の上に生ずる黴のようにはびこり、聚落をつくり、やがて縦横に菌糸を結び、高い胞子の塔のをたて・・・文明を謳歌し、憎しみと争いをくりかえし、かたときそのまたかたときの間に、知恵を、栄誉をほこりあった。
 
■p434 人類が氷の大陸に流刑されたものをのぞいて絶滅しまって以来、その本来の発生地である”土の大陸”に復活する最初の日である。—―しかし、最初の日であっても、復活のその日そのものではない。人類は動物相の中でも、圧倒的劣勢種族になりさがってしまった。
 
 「新型コロナウイルス感染」ということが身じかになってきた2月末ごろ、小松左京の『復活の日』を思い出して読んでみた。(映画にもなったようであるが見ていない)
 物語は、ある国が開発したMM-八八菌(培養した)ウイルスを生物化学兵器として利用した。ところが運んでいる小型機が山中に墜落してしまう。物語は、各国で謎の死に方をめぐってはじまる。それぞれの覇権がいりまじる中、その生物化学兵器のウイルスが世界中を席巻しはじめてしまう。ウイルスに感染し死滅していく人類はどう対応をしていくのだろうか・・・。
 
 ここ2カ月ばかり毎日「新型コロナウイルス感染」は確実に世界中を侵食している。そしてここ数日のあいだには、オーバーシュート(爆発的患者急増)、ロックダウン(都市封鎖)、クラスター(感染者集団)という、ききなれない「戦闘」を連想させる言葉も聞いた。いったいこれから世界中はどうなっていくのだろうかと思う。そして、日々増える感染者の数字をみるたびにますます不安は大きくなっていくような日々をむかえている。
  
 
 
 毎年のこととはいえ、この時期になると桜を見に町をうろうろしてしまう。桜は満開。その近くではブルーシートを敷いて、アルコール、おかず、うた、笑い・・・。楽しい声がいっぱいきける季節だ。そして散ってしまうまえに一度みておきたい一本のお気に入りの桜を見に行く人もいる頃なのでしょうか。まあー本当に自然はすごいものだと感心してしまう。だれに言われることもなく、自分の生きている場所で一生懸命(?)生きて花を咲かせてくれる。

 とはいえ今年はさんざん。新型コロナウイルス感染ということで、心うかれる春とはならないですね・・・。スポーツも、映画も、山歩きも遠慮してしまいがちになってしまう。事実、映画館などはしまってしまうほどだ。
 こんなときでもできることを思案しては日々おくっている状態というのが現実だろう。町を歩いていると、人の生活はコロナに負けじとはじまっているようにも見えます。事実、町を歩けばいつもの生活をしいようと買い物に仕事にでかけていく人をできるだけ多く見かけることで、自分もがんばろう、と思えることが大切なことなのでしょうね。
 ボーっとして当たり前に動く電車をみていると、今日も頑張っていこうと思うときがあります。踏み切りの向こうに頭だけ出している桜の花がとてもきれいに見えました。

 

 今月最後のブログの更新ができました。やっと本棚も不十分ながらまとめてみました。正直、新型コロナが生活の大分を支配しているような日々が多くて、やるべきことを忘れてしまいがちです。感染に注意することは大事なことですが、そうは言っても防げないこともあります。感染源がどこでどうなっているのか、見えないところで思うばかりです。ただ、マスクをしたりすること、よく眠ること、よく食べること等など・・・。いまはそれだけですかねえ。



 4月が始まります。人の異動もある季節です。
 入学、入社式、異動それぞれの人生の第一歩をむかえる季節です。今年の春は新型コロナでそれもやらないところも多いようです。それでも、学ぶ、働くことには違いありません。どんなことであれ、できるところから始めて頑張っていきたいものです。
 さて、新型コロナは今後はどうなっていくのでしょうか。これが終息しないかぎり気持ちとしても次に踏み込めないばかりが、二の足をふむでしょう。拡大すればするほど人類の危機ということもいえます。ペストが500年ほどの前の古い話ではないのではと思います。なぜなら、ウイルスは日々の私たちの生活と共存してきたからです。これまで、ウイルスが人類に危機的状況に陥れてきたこともあったのだと思います。それは、ウイルスが危機状況をつくる以前に人間が危機的状況を自らつくってきたことへの裏返しのようにも思えます。とりあえず、無理をしないようにしたものですが、どうなるのでしょうか。
 どんな4月にするのか・・・。
 少しでもコロナが終息するといいですがね・・・。そして、少しは明るさがみえる月にしたいものです。
 それでは今回はこの辺でしつれいします。読んでくれた人、ありがとうございました。

少しずつ、温かくなってきました。

2020年03月22日 | Weblog
 こんにちは。
 季節は春らしきなってきました。世の中は「暑さ寒さも彼岸まで」とはよくいったものです。まさに、お彼岸が過ぎてからの日中の温かさは、春がきたことを静かに体感させてくれています。休日に散歩にでかける距離も少しずつながくできるようになってきたこともうれしい一つです。毎回歩く散歩道も、この時期ばかりは足元や頭の上の木々の色まで変わってきていいものです。きょうも、あさいちばん空高くツバメが飛んでいました。すこしずつ、冬のあいだいにはなかった日々の空や水の中にみることができる季節となってきたようです。

 さて今週、明けても暮れても「新型コロナウイルス」のニュースでもちきりでした。いったいつになったら終息するのだろうか・・・と思うばかりです。そんななかで「東京五輪2020」にも暗い影を落とし始めました。すでに、WHOでは世界的な「パンデミック」状況にあることを伝えているようです。そんな中4年に一度のオリンピックを開催したい日本。世界中のコロナウイルス感染状況が報告されるたびに開催に「延期」の重しをつけられていく日々のようです。事実、フランス、米国の水泳連盟はIOCに「延期」の通告を提出しているほどです。いまいちばん困っているのは、選手たちでしょう。練習もできる環境もせばめられコンディションもつくれない状況なのでしょう。日本でも日本五輪理事のなかにも「選手ファースト」を考えれば「延期」もやむを得ないとしていました。
 20日(金)東京五輪の聖火がギリシャから宮城県の航空自衛隊松島基地に運ばれた様子をテレビ放映していました。日本での五輪式典の始まりでした。それでも、新型コロナウイルス感染拡大で規模を縮小して強風の中、行なわれたそうです。おそらく、本当は「オッカナ、ビックリ」状態であるのでしょう。
 「復興五輪」といわれる今回の式典はつながっていくのでしょうか。


 こんな状況です。桜が身近に咲き始めたことを忘れてしまいます。それでも、静かに、日々着実に花を開かせていることに安堵することもできます。このまま増え続けるとなると、やはり「延期説」が強くなっていくのだと思います。大事なことは、いつまでも結論をのばしていることではなく、はっきりさせることで次にやることに頑張ることだと思います。これまでの状況からは「完全な形」などありません。
 スポーツも音楽も、身近なイベントも中止・延期するなかでやるべきことは、まずは身近なスポーツの再会。当たり前の生活を取り戻すことだと思います。今回のコロナウイルス感染で多くの企業、とりわけ中小企業は疲弊しています。倒産も多くでている状況です。さらには、不況となって、真っ先に人件費をけずろうと「肩タタキ」が復活しはじめることも多くなってきました。こんなときこそ大企業は「内部留保」とやらを使ってみるとくんおではないのでしょうか。それを、出すようにする政治も必要になってくるのではと思います。学校も行けずにいる児童・・・。みんなこれまでの当たり前の生活を取り戻すことだと思います。
 等など・・・こんなことばかりで何が「東京五輪」といところが正直なところです。


 東京で暮らし始めておよそ半世紀ばかりたつ。その時間のながれの中でたくさんの、めずらしいと思えるところに建つものを見てきた。たかだか半世紀のなかで見てきた都市での建築物の特徴は予想もしないところに突然建ち並ぶ住居群だ。だれがこんなところに建てたのだろうと思いを多くもつようになった。100~200年前、ここいらはきっと海だったろうと思えるところに林立する住居には驚く日々である。もちろん建設する前にちゃんと地質調査もして、岩盤の強度も計算されつくしていたことだろう。それでも事実、沖縄県辺野古新基地の地盤の軟弱なこともあったことによって、沖縄県が工事を中止するよう求める裁判もあった。そんなことを思い返せば「本当に大丈夫だろうか」という疑問も起きている。国がこんないい加減な地質調査で工事がはじまっているのに、マンションやオフィスビルを見るたびに思うことが多い日々である。交通の利便性などはあるのだろう。まあ、一生住んでみたいとは思えない。おしなべて東京では見上げる建物が年々ふえていくように思う。

 きっと景色はいいのだろう。それにしても毎日高い建物から眺めている景色をみてどんなことを思うのだろうか。それぞれの思惑の中に立並ぶ集合住宅の群れ。これからも建設されることだろうと思う。しかし、私は好きになれない・・・けれど。
 昨年の台風被害の二子多摩川のタワーマンションを思い出すとなおさらです。


 普通であれば、今頃は朝から夕方まで選抜高校野球をみているころだった。強くても弱くても一喜一憂していたころだろう。プロ野球、Jリーグもスポーツ満載の週末になっていたにちがいない。そして、大手企業の春闘が終り、中小企業の春闘もはじまる。集会にもいっていたかもしれない。
 今年はどれも新型コロナウイルスによって中止になったり、延期になっている。サッカーのヨーロッパ選手権でも無観客試合だった。なにか物足らないです。

 とはいえ、まだコロナは続きそうだ。それも世界中で拡散して終息は見えない状況になっているのが現実だ。人、カネ、モノが動かないなかでは株も上がるわけはないです。株どころではない。全てのものが動きが鈍いということは、企業は利益があがらないとなり、とうとう「希望退職」もでてきた。すこしも政治は機能していないも同じ状況でもある。だいたい、こうなってくると、経済は政治を信じなくなっていくのではないのだろうか。それが心配である。これまでの安倍政権が問われる時となるだろうか。


 せっかくの3連休。どこへも行かず近所を散歩するくらいでした。それでも桜が咲いてくると楽しいものです。新緑も美しく見えます。
 来週は少しは仕事もゆっくりできそうです。
 ボチボチのんびり行きたいものです。
 では、今週はこのへんで。
 読んでくれた人、ありがとうございました。
 

新型コロナウイルスから考えること・・・

2020年03月15日 | Weblog

 こんにちは。3月もそろそろ終わりをつげています。
 毎日、新型コロナウイルス感染のニュースはきかいない日々はない毎日です。春といえば、各スポーツのスタートの季節。ところが、今年はそれぞれのイベントが中止・順延というなかでスポーツも3月になっても無観客であったりしています。やっぱり、スポーツは「応援」でしょうとつくずく思いますね。静かなところでの大相撲中継は何か「異様」にも見えます。と、みんな感染拡大のニュースばかりです。

 そして、とうとう今週「緊急事態宣言」をいれた「改正新型インフルエンザ等対策特別措置法」が可決した。それによると、感染症が発生した場合、厚生労働相からの首相への報告。政府は感染症の症状を確認したうえで政府対策本部を起ち上げ行動計画を作成。専門家の諮問委員会の意見を聞き、今後の感染症の拡大がみられる場合「緊急事態」を宣言する・・・ということになっている。まあ、とにもかくにも首相の権限をこれまでよりも強くするということなのでしょうか。それにしても、これまでの首相の国会答弁の経過から心配されることばかりが思い出されますがね。まして、野党の弱体化というなかで「付帯決議」の「・・・やむを得ない場合を除き、国会へ事前に報告する」がやるのでしょうか、という心配もあります。

 さらに、今回の感染は世界中にひろがっていた。WHO(世界保健機関)ではとうとう「パンデミック」を表示した。とくにヨーロッパの感染状況にはどめがかからない実態からそうなったのだろうか。新聞にると、19世紀コレラが地球を一周するのに20年かかったそうだ。今回の新型コロナは昨年末から2カ月半で110ヵ国を超える国や地域で約12万人が感染したとのこと。これは、とくに人・モノの移動や流通が進歩したおかげだろう。ますます、発達する移動機関の便利さがあるなかで、今回のようなウイルスの感染も便利のなかに便乗している「恐怖」でもあることを忘れてはいけないことなのだろう。

 「便乗」でマスクや消毒薬が品不足のなか何十倍の値段で売られているニュースも多くきいた。実際、マスク・消毒薬はいまだの薬局の店先で見かけなくなった。どこにあるのだろうと思えば、ネットなかにあった。ところが、通常数百円の値段が万単位で値札がついていた。さらにトイレットペーパーも。
 こんな世のなかに生れたことを恨んでしまう生活がだんだん多くなっていくようにも思う。いったい、どうなってしまうのであろうか。



 先週と今週「新型コロナウイルス対策」として会社では通勤の混雑を避けるための「オフピーク通勤」を実施した。ふり返れば、仕事の内容もいつもと、残業も同じようだった。変わったことといえばちょっと、朝夕の出勤時間での混雑を避けられたくらいだろう。個人的には、この対策はとてもよかったとい思う。
 他の会社では、自宅待機(テレワーク)や在宅勤務などを実施しているところがあったようだったが、ほとんど大企業や公務員くらいしかできない現実だろうと思う。実際のところ、これらの制度は一社だけがどんなに頑張ってもむりなことであり、お客に不平不満をつくることが起きてくることぐらいだろう。とくに、道具をつかっての仕事をやっている現場では、次の現場にまわす仕事を完成させるために自分のところだけがんばってみても限界があるよう思えた。けっきょく、だれかが「無理」をすることになってしまうようになっている。それが、残業だ。

 それにしても、時差出勤、在宅勤務、時間短縮とできるだけ混雑をさけるために実施したのだが、できる範囲でやっていくしかないのだろう。だいたい、朝の通勤電車大混雑は異常だ。あげくの「お客さま同士のトラブル・・・」とい社内アナウンスとなってくる。今週は、時差通勤が混雑は避けられた週でもあったせいか一度も聞くことはなかった。さらに、ほとんどが時間通りの運行ができていた。時間通りに運行するために時間通り運行するために「〇分停車します」というアナウンスも自慢げに聴こえた週でもあった。いつも、こうであればストレスを感じることもなく通勤できるだろうし、接触感染もないと思う。



 天気がいい休日には多摩川へ散歩に行く。あらためてその様子を眺めてみれば、川の形や風景が大きく変わった。昨年の台風19号によって、川の形や土手の景色が大きく変わっている。歩いていたところの足もとさえ大きく変形してしまった。大きなねむの木のが流されているし、ときどきツリークライミングをしていた大きな木さえなぎ倒されてなくなってしまった。いっけん対岸の土手までの見わたしはよくなったが、夏の暑い日などの木陰になるような木がなくなった。そして残ったものは台風前にはなかった大きな漬物石になるようなものがゴロゴロと多く残っている。いまだにスポーツを楽しむグランドは一部しか修復ができていない。

 さぞかし今まで小魚を食べにきていた鳥たちもこの変容に驚いたことだろう。それでも、時がたつにつれ、エサとなる小魚がいちばんいる場所を探しあてては降りることだろうと思う。それでもやはり鳥たちの数も台風前よりは少なくなった。少し時間が必要なのだろうか。
 一方、ブルーシート小屋のオジサンの暮らしも復活している(名も知らぬオジサンがまた住み始めている)世の中、自然界でもそうだろうが人間がいちばん先に居住所をつくるようにも思える。台風19号去りし後、またここでオジサンは過ごしていくのだろう。
 なんにつけ、生きていくことは生活すること。鳥も人も魚もである。それがお互い様である。同じ被害をうけた者どうし、また少しずつ再建していくのだと思う。それは、生きている者同士の寛容さと知恵がつくっていくのだろうと思う。どっかりと流れて石をまんなかにして・・・。



 今週、世界各国で移動禁止や入国制限措置などを取り始めた週だった。
 世界中で自国の人びとをウイルス感染から守るためにでてきた処置でもあるのだろう。当分この制限は世界共通の方法として実施されていくほかないのだろうか。政治ができる措置として最低ことをやるしかない。
 一方で気になるのはこの状況で「東京五輪」はできるという疑問である。まだまだ終息というトンネルの出口がみえない状況。走行中の「水際対策」という移動制限はいつまで続くのだろうと思う。米国のトランプ大統領でさえ「1年延期説」を言っている。野球メジャーリーグの選手でさえ一斉に練習場から離れて自主避難を始めているニュースもあったくらいだ。いまの状況だと選手たち移動さえもできない状態。コンディションつくりも難しいかもしれない。
 


 最近は、1カ月が早いように思える。新型コロナウイルスの影響もあるのだろう。
 図書館も、前回は15日(日)までだった閉鎖がとうとう31日(上の告知)までに延長されてしまった。当分、図書館にはリクエストした本を取りに行くだけになってしまうだろう。図書館では遊べなくなってしまったことに、一つ自分の居場所が失ったようにも思えてしまう。残念なこととはいえ、辛抱するしかないようだ。

 少しでもはやく終息を期待したいが、こればかりは仕方がない。また毎日「コロナ感染」のニュースを多くみることになりそうだ。またニュース解説の後の新型コロナウイルスの状況を聞く日々だろうか。まずは、できるだけ人の混雑をさけながら日々暮らしていくほかあるまい。とはいえ、混雑する場所にもいかなくてもならない。
 そんなときいちばん疲れるストレスをためることのないよう工夫も必要になってくる日々だろうか。ストレスといえば、もう一つ感じてしまうのは、日々のニュースのなかに株価が下がったとか、上がったとか、経済が大事だとかいう為政者の発言もストレスを多く感じることがある。株価が下がった上がったといわれても、普通のことじゃない今、何が関係あるの?と思うことがある。今はもっと大事なことがあるんじゃないのかと言いたくなることもある。日常生活に負担にならないような政治をすべき人が利益誘導するようなことを最も大事に発言するようなニュースには、違和感を感じる。そんなことを言う前に、この騒ぎのなかで、生活が成り立たなくなっていく人のための予算をつくったりすることがまず第一だろう・・・と思う。

 もうじきお彼岸ですねー。
 桜も咲き始まる季節が始まろうとしている。中止、延期、自粛・・・の多い日々。散歩の途中、公園の近所を通ったら多くの小学生がサッカーを楽しんでいました。普段あまり目にすることがなかったので驚きました。やはり、「学校が休校で外へ出ないように」ということの影響でしょうか。こんな当たり前の生活がなぜかめざらしく見えてしまう日々でもあります。
 今年も桜ぐらいは楽しく見られるお彼岸があればいいですね。
 それでは今週はこのへんで。
 読んでくれた人、ありがとうございました。



9年前・・・3.11にどこにいましたか? 9年後の今。

2020年03月08日 | Weblog

 こんにちは。
 まだ寒い日が続いています。少し温かくなり、少し寒くなりとこの時期は「三寒四温」とことば通りにいくような季節です。それにしても、あいかわらず「新型コロナウイルス」ニュースは毎朝みる日々です。その声に押されるようにして、出勤の日々でもありました。ところで、ニュース解説者がどれだけ言ったら身近に感じることができるのでしょうか。正直なところ、毎日同じことを繰り返しているように聞こえます。見ていて思うことは、全国放送とはいえ、昨日いったことと違う、今日の励行をいってほしい気がします。



 さて、今週はどんなことがあったのでしょうか。
 ニュースをみて思い出したことがありました。ちょうど3月ということもあるからなのでしょうか「福島第一原発事故」で放射能漏れがあり、ニュースでは「ただちには体に影響はない」という言葉を多くきいたように思います。といことはいずれにせよ、体に影響があるということでしょう。そのことには、ちっともふれていなようなニュースを思い出しました。
 そして、今回も同じように聞こえました。今週読んでいた新聞に「有識者床屋談議とほぼ互角」(別府・タッポンZ/毎日新聞)なんていうようなという川柳を思い出した。誰でも知っているようなことばかり、聞いていた。あまり役にたつような情報が少なすぎる。
 一方では便利ななかに危険な兆候があったと思えたのは「トイレットペーパー」や「ポケットティッシュ」などが店頭から消えたことに対しての情報だった。この時期、花粉症なので手離せない携帯品の紙類がないことに困る日々でもある。困ったことに、事実このデマが拡散しているいう事実にあわてている日々の人のことを考えてみたことがあるのだろうかと思い、S NSというのは便利な部分、大変危険なものなのだなとあらためて思えた一週間だったように思えた。
 
 もうひとつ、自民党の河井克行前法相の妻・河井案里参院議員の公職選挙違反のについてが報道されています。公職選挙法を運動員もろとも違反していたわけですから議員は辞職するのは当たり前なのでしょう。それが、ワールドスタンダードだと思います。とはいえ、検察官定年延長をすればうまく解決してくれだろうともくろんでいるような気がします。まさの権力の暴走がはじまろうとしていることではないかというニュースでもありました。



「日々の忘れかた」
新型コロナウイルスの感染
景気連続悪化
ビザ免除停止・・・無観客試合
「特効薬」を・・・と思いをもち
あまい期待は日々裏切られていく
空気のなかに警鐘はがなりひびき
寒さのなかをぬけていく
それでも今日のことは今日のことで
明日に引きずらず眠りにつく
昨日、何人の感染者? ひとつの記憶だけが残る
きょう一日をいつもと同じように送る
記憶だけはかたすみにあっても
ゆがんだ、どこか自分のちがう思いは忘れていくような
今日をつくる自分でありたい
「長生きするとロクなことがないなー」とつぶやく春か
「長生きはしてみるもんだなー」と思う今日になるのlか
眠るまえのつぶやきのなかに
おくれる今日でありたい

※日々の生活のなかに否が応でも耳に入る、今流行の新型コロナウイルス感染。毎年のインフルエンザの方がはるかに多いのに・・・。騒ぐ理由はなによりも「特効薬」なるものができていないことなのだろう。その影響で、日々の暮らしに見えない恐怖がある。そんな日々のくらしのなかに何がたよりになるのだろうか? ということを思ことがある。



 いまいちばん騒がれている「新型コロナウイルス」になって、政府は緊急事態宣言なるものを口にしはじめている。しかし、出ることは、担保のないいせいのいいことばが多い。「一斉休校」もその一つ。学校が休みになって共働きの人たちにとっては大変な重荷になる。大企業の在宅勤務ができる人はいいのだろうが、会社を休めない人にとっては子どものことが気になってくる。それではと、民間業者が「弁当宅配サービス」「シッター家事代行」などという会社があらわれる。ここにきてもお金がかかることを強制しているかのようだ。

 民間業者といえば、わたしがよく利用する図書館が、「緊急事態宣言」にのって一部閉鎖していた。本来図書館があるべき業務がなくなり、たまたまリクエストした本のみが借りられるようになっている。では、借りたい本を全部クエストすればいいとなるのだが、これではまとめて借りれることができない。関連の本も見過ごしてしまう。一方で、これが民間の限界だなと思えてしまう。利用者は税金をはらって利用している。それを考えれば、市民の知る権利(大げさか)がどうなっているのだろうかと思えてしまう。もっと工夫が必要だろう。利益ばかり追求する民間業者の本来の形を今回の状況でわかったような気がする。
 では公務員ならどうなっていたのだろうか。きっとこうならなかったと思える。こんな時だから仕方がないではなく、市民(利用者)のことを考えれば利用できる工夫が求められたのではないのではないのだろうか。
 今回、民営化でのデメリットなのかもしれない。今の閉鎖ということは、貧しさがさらに貧しさを知らしめるているように考えてしまった。コロナ感染拡大防止では、業務ができないということは少し分かるが、貸出し中止には誰もが想像してはいなかったことだと思う。ならば「切ってしまえ」、といわんばかりのやり方を思うと、民営化は失敗だな、おそきに思った休日だった。そしていつも、世話になっている図書館員はいなかった。民営の理屈から言えば業務をしていなのだからとまさか、賃金カットでもされているのだろうかと心配になってくる。


 3月。新型コロナウイルス感染のニュースを見るたびに9年前の3月のことを思い出していた。9年前の見えない恐怖といえば「放射能」だった。水にまじり、川にまじり、雨水にまじり・・・空気に混じりと言われ見えない恐怖が日々あった。そして原発圏内に住む人々は自分の住み慣れた家を棄て全国に避難したのだった。そして9年後。いまだに帰る気持ちになれない人々はたくさんいるだろう。そんななかで、人のつながりがうまくいって無事避難できた人はまだいい。しかし、避難先で孤独になった人たちのなかでも心や体を壊してしまった人も多い。こういった人々にとっては少しも解決していないのだろうと思える。

 見えないくらいなのだからいつ感染してもおかしくはないのだろう。それが、いつ、どこで・・・かはわからない。なぜなら、感染者のなかには感染する理由が見つからなうような条件で過ごしている人も多い。普通に生活し、仕事をしてたまたま感染してしまったということなのだろう。インフルエンザに罹ったように。
 まあ、できることは特別ないように思える。普通によく食べ、眠り働き日々を送るだけしか浮かばない。いま大事だな思うことは、自分の体をいつも通り、安心して動かせる日々を送ることぐらいだろうと思う。仕事がきつかったら無理せず休むこと、睡眠がたらないと思ったら、面白くもないテレビなどさっさと消してフトンにはいって眠ってしまうことだろう。少しでもいいから、これまで元気であった自分の習慣を奪われないように過ごすことでしかないのだろうし、気をつけていてもかかる時はかかるということではないかと思う。この機会をもっと自分の体力や働き方を考えてみてはいいのだろうと思うのだ。
 そんな気がする日々。
 今週はこの辺で終わりです。また来週から少し忙しくなるだろうなあ。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

3月。桜が咲き始めるころですが・・・

2020年03月01日 | Weblog
こんにちは。
すこしずつ寒さが和らぐ季節になってきました。毎日通る散歩道でもソメイヨシノという桜がいち早く花を咲かせていました。その下を通る人は必ず上を見上げては花を眺めています。花粉症はありますが、やっと待ちに待った春らしさがやって来たんだと思うひとときでもあります。身近なところにも花が咲き始めるのを見るにつけ、温かさを感じるこのごろです。
 散歩も楽しくなってくるのもこのころです。

 さて今週は先週に引きつづき「新型コロナウイルス」のニュースが日々流れていました。そのなかでは日々感染者の数が増えていく様子がニュースなので報告され行きました。そんな中で思うのは、感染者が増えるのはまだあるのだろうという感じがします。寒さもあるし、対応への遅れがますます感染者を増やしていく・・・ということは実感できるところです。
 でも、日々感染者の人数ばかりを聞かされていると不安ばかりが煽られているように思えます。そんななかで、感染して病院から退院していった人もいると思います。そんな人の状況なども聞かせて欲しいと思います。聞いていると、だいたい罹患している人で悪くなるのは高齢者が多いと見うけられるます。ならば、高齢者への注意とかもっと具体的なニュースなど欲しい気がしましたが・・・。

 「学校一斉休校」に関しても、全部が全部休みになると、共働きをしている人にとっては負担が増大します。もっとその地域社会の独自の取り組みのようなものもニュースで紹介していくことが求めれているように思えます。
 対応する予算は少ない・・・とも思います。こんな時だかこそ政治は国の威信よりは働く人への予算が必要なのではないのでしょうか。国を支えているのは政治家たちではなく、日々育て働いている人たちなのだから。


 散歩道に桜の花がちらほら見らえるような季節になって来たなーと、空を見上げては感心している。何があろとうと、自然はその時期になると自分をしっかり表現している。それも、静かに、けなげにという言葉が似合うような花を咲かせては喜ばしてくれている・・・。

 それに比べて人間のあさましさをみる今年の春である。
 中国から端を発した新型コロナウイルスに今も恐怖を感じている日々である。ただでさえ、老体にはこのウイルスには特効薬なるものがまだできていないことに、さらに怖さがばかりつのる。怖さに拍車をかけるように「見えない怖さ」といこともある。危険になっているはわかるが、その姿かたちがどこまできているのか、明日なのかあさってなのか・・・誰にも分からない。ただわかっているのは、どこで感染者が何人、死亡何人というニュースくらいだろうと思う。分からないことにもう一つ付け加えるのなら「流言飛語」というものがある。誰がどこでどんな目的のために拡散させているのかまったくわからない中、その情報を受けとめた人たちが、薬局の前に長蛇の列をつくっていたりする。(私もその一人だが・・・)

 そして世の中があまりにも便利になりすぎて、そのデメリットに触れようとしないことがまた恐怖である。ここは冷静に・・・などといわれても、電車の中で、お店で、公共機関で感染を防ぐための「手洗い・うがいなど」と方法ばかりが聞こえてくる。そんなことは言われまでもなく分かっていることなのだから、違うことを考えてほしいものだと思う。
 拡散する誤った情報に対する対応のしかたとか、相談すべきところの紹介とか。ちょっとした人々の知恵のようなものを絞りだして紹介してほしい。
 「オカシイ・・・」どこから流れてきた「噂」によって右往左往している日々。「ある日コンビニから〇〇が消えた」とかなる。そんななかで、日々の中で育てられた人と人のつながりも忘れて行動していく。気がつけばとんでもない事態をなっている・・・。みんなであわてている世の中はいいことなど考えられない。そんなことを思う。

 今年もどっしりと腰を据えて咲く桜の花である。この時期当たり前のように咲いている花なれど毎年ちがう状況下で頑張る花、すごい・・・よ。

 
 この時期、大手企業や官公庁では「新型コロナウイルス対策」が実施されている。これが「オフピーク通勤」であったり「在宅勤務」などということなのだろう。やれる会社はうらやましい限りである。
 私のところはと思っていたが、いちおうそれらしいお触れがまわってきたのが今週だった。「とうとう来たか・・・」と思っていたら、就業時間を45分短縮で出退勤をする二つのグループに分けての内容だった。(①9:45~17:00②10:00~18:00)
 さすがに人手不足はゆがめない事実である。それでも、ひねり出した「コロナ対策」だったのだろう。私自身としてはうえれしいことだ。45分違うと電車での混雑は雲泥の差だからだ。世の中の流れもあるのだろう。それにつけてももっと大事なことはぬけてはいないかと思う。残業である。こちらがどれだけいい形にしても客がそれに対応していなくては、残業は同じだろうと思う。要は、どういようかと思ったところで、仕事は関連性のたまものだから無理をどこかでやっているわけだろう。それが、どこかを整理していくことも大事なことだろう。今回の対策は、出来る範囲でやれることでいいと思えば一歩の前進だろうと思う。実施期間は1週間だという。さてどうなるのだろうか。人手不足もあり、どうしていくのか。やれることを探して進しかないと思う。

 

 3月が始まりました。今年の3月はこれまでの3月とは違うなと思います。いつもであればプロ野球やサッカーが動き出して躍動感ある3月がはじまろういう雰囲気でした。そして、高校野球も楽しみの一つとして待ち遠しい時期でもありました。花粉症もその楽しみに忘れるくらいでもありました。今、スポーツが自粛気味のなかでいったいこれから始めることが出来るのだろうかいう危惧もあります。

 今年は「新型コロナウイルス」で世間が楽しく見える季節にはちょっと違う月となっています。いったい、この騒ぎがいつまで続くのだろうか・・・という不安感も日々持つようになりました。ですから、楽しそうなことをあまり感じる日もすくなくなったように思えます。
 電車にのればほとんどの人がマスクをしてる日々です。冬の間はマスクは防寒用にもなっていました。今年は感染防具になっています。過日、地下鉄でマスクをしていない人が咳をしたところ、腹をたてた人が突然、非情通報ボタンを押して電車が停まったこともありました。通常なら考えられないことが起きていることにちょっと怖さもあります。花粉症の私などはいったどうなっていまうのでしょうか・・・ね。



 さて、新型コロナウイルスという名前がまだ消えない月に突入しました。なにかいいニュースがない中、いいことがあるといいですね。
 ちなみ、今までのつけが新型コロナウイルスという形になってでたきた世界中だと思えます。一つに経済優先の人間の生きかたがつくりだした怪物のように見えます。コンビニなどで24時間営業のなかで、人手不足という現実で無理をする日々がありました。人への話す言葉がパワハラ、セクハラ、そして精神的に弱って「ひきこもり」などをつくったり、さらには過労死が多いのにいまだに突然現れる現実・・・。
 そんな中で、人間が何につけ抵抗力(抗体として)がなくなっていることへの警告でもあるように思えます。なんの予告もない出来事がこれほど多く起きているのが近年の状況にも見えます。昨年の台風があれほど大きくなるとは、気象庁くらいはわかっていたくらいでしょう。そして、今年新型コロナウイルスが大流行してきました。過去軌跡をたどってみてみれば、原因がきっとあるはずなのです。それはほとんど私たちには公表されることはないのかもしれません。それでも、どうにか抵抗して前へ進む日々を模索するだけなのでしょう。

 今後がどんな形で変えていかなければいけない、ということを気づかせているときなのかもしれません。

 では、今週はこのへんで。
 読んでくれた人、ありがとうございました。