こんにちは。暑中お見舞い申し上げます。
台風6号が関東に接近・・・というニュースが金曜日ごろから報道されていました。ところどころでは集中豪雨があることも伝えられいます。東海地方は台風が去ったときから「梅雨明け」が伝えられていました。関東地方はいまだにその宣言はないようです。
通勤途中で見かけていたツバメの巣からはすでに姿が見えなくなっていました。毎朝、朝一番にみかけた飛んでいる姿はそれであったのでしょうか。代わってセミの鳴き声が聞くようになってきました。自然は、誰に何にもいわれなくと着実に進んでいるようなっています。
さて、今週に参議院選挙の結果が出ました。あい変らず投票率の低さが目立っていたようです。さらに18歳から19歳の若者投票率が低かったことが話題になっていました。どうししてこうなってしまうのかは学校教育の影響でしょうか。高校生や大学生などの投票率が低いということは、この国の将来にかかわることでもあり重要なことなのではと思います。主権者教育ということがまだまだなのでしょうか。学校の教員に政治的中立という立場で主権者教育ということをするということに難しさがあるのことも事実であるようです。まして、「道徳教育」というのが足かせになっているようにもみえますが。
はやいもので、今月も終わりです。梅雨であるために青空がなつかしく感じた月でした。片手に傘をもう一方の手に本をという毎日でした。両手がふさがってしまうこの時期の「通勤読書」はなんとも「億劫」なきさえした毎日でした。それでも、通勤電車のなかで読む本はゆっくりゆられていい感じで読めるのが好きな理由になっているようです。いつかは、帰りの電車で、乗り換えるべきところが夢中で読んでいたのでしょうか気がつけば次の駅まで行っていたこともありました。
さて、今月の本は読んでいて、フムフム・・・とたくさんうなずけるものでした。元来、単純な性格である者ですから「本当か」と思うより「なるほど」と言う方が多いようです。「信じやすくあきやすい」という性格でもあるからでしょうか。『呪いの言葉の解き方』という本は「納得」とも思えるほどでした。著者の上西充子さんは、「働き方改革」国会ではよく目にした名前でもあり、月刊誌の仕事でも聞いた名前でもありました。一度もその姿は見たこともありませんでしたが、原稿用紙では知っていたので興味もありました。
『「寅さん」こと渥美清の死生観』は、大好きな映画『男はつらいよ』のおなじみの俳優・渥美清さんのことが書かれていたので、読んでいて新しい渥美清という俳優の人間像が浮かび上がってきて楽しいものでした。芸能記者として、渥美清さんが亡くなるまで付き合いを通してますます人間像がでてくる内容はとてもいい本棚とも思えました。今年、年末『男はつらいよ』50作目が封切りなるそうです。渥美清さんなきあと、どんな映画になっているのか楽しみに待っているところです。
p33-34 「文句を言うと、職場の雰囲気を壊す」と思ってしまうと、我慢するか辞めるかしか選択肢がないように見えてしまう。けれdも「使用者が現場に強いていることこそが問題がある」ととらえるようことができるようになると、同じ状況が違って見えてくる。「文句を言うと、職場の雰囲気を壊す」のではなく、すでに職場は壊れているのだ。壊れているのに、無理やり、個々人の努力でカバーするように強いられているのだ。一人ひとりの我慢と無理によってなんとか現場がまわすのではなく、お客さんに適応に対応できるだけの人員体制の整備を求めること、それは「文句」ではなく、正当な要求だ。(「労働をめぐる呪の言葉」)
p35 とはいえ、問題解決に動くのは、緊張するし労力もかかる。自分に不利益がかかるリスクもある。誰かが状況を改善してくれるならともかく、自分が状況の改善に動くことは、コストに見合わないように見える。だから、何も言わずに辞めることを自分なら選ぶ、という感想が学生から寄せられる。(「労働をめぐる呪の言葉」)
p36 ・・・就職したあとも、結婚したあとも、子育てにおいても、何かしら問題にぶつかって、自分で解決することが必要な局面は、きっと出てくる。(「労働をめぐる呪の言葉」)
p37 そして、「変えることができてきてよかった」「おかしなことは指摘していける職場こそがよい職場だと思う」といった、彼らの声を紹介する。それが、ほかの学生たちの「発声練習」につながることを願って。(「労働をめぐる呪の言葉」)
p70 使用者を登場させず、大事な論点を隠す。政権の意向に沿った印象操作をニュースでおこなう。公共放送としてのNHKの役割が強く疑われるが、そのような印象操作が、その後も「働き方改革」をめぐっては、繰り返されていくことになった。(「労働をめぐる呪の言葉」)
p111 「ケアレスマン」・・・「十分にありうること」と想定して、それを許容でき、対応できる職場であるのか。それとも、そういう事態に陥った者を排除し、困難のなかに孤立させる職場であるのか。いまの日本の職場は、まだまだ後者であるように見える。労働者は生活者であるということに目を向けず、「働く以上は」と、仕事への献身を求め続けているように思える。(「ジェンダーをめぐる呪の言葉」)
p115 湯浅は貧困状態に至る背景には「五重の排除」があると語る。
第一に、教育課程からの排除。この背後にはすでに親世代の貧困がある。
第二に、企業福祉からの排除。雇用機会が得られないこと、あるいは雇用されていても食べていけない状態に陥っていること。低賃金、不安定雇用、雇用保険・社会保険からの排除、福利厚生からの排除、労働組合からの排除など。
第三に、家族福祉からの排除。親や子どもに頼れないこと。
第四に、公的福祉からからの排除。生活保護行政が窓口で追い返す「水際作戦」を取っている現状が批判されている。
そして第五に、自分自身からの排除。第一から第四の排除を受け、しかも自己責任論によって「あなたのせい」と片付けられ、さらに自分自身がそれを内面化して「自分のせい」ととらえてしまう場合、人は自分の尊厳を守れずに、自分自身を大切に思えない状態に追い込まれると湯浅は語る。
p117 「呪い」に縛られていると、自分でなんとかしなくてはいけないと思い込まされて、できない自分の姿は、見せてはいけないのだと思い込まされている。そうやって問題を閉じてしまう。そうではなく、問題を「開く」こと、ひとりではできないことは「できない」と言い、適切な助けを求めることこそが大切なのだ。自分の薄い“溜め”を補うためにはどうすればよいか、どこに助けを求めればよいか、というとらえかたが大切なのだ。(「ジェンダーをめぐる呪の言葉」)
p177 (メディアは国会を報じない)二〇一八年一月から働き方改革法案の国会審議に関わっていくなかで、私は、不都合な事実にまったく向き合わず、何も問題がないかのようによそおう安倍政権の姿勢かを、どうして世の中に知ってもらえるだろうかというも問題関心を強めていった。
p256 (あとがき)私たちは、言葉を通じてものを考え、状況を認識し、自分の気持ちを把握する。言葉によって、私たちの思考は、行動は、縛られるもし、支えられもする。「呪いの言葉」は、いとも簡単に、私たちを縛ってしまう。その言葉の背後に、私たちは「世間の目」を感じて、あるいは、迎えたくない破局を想像して、怯えてしまう。そういう効果をねらって、力を持つ者は、言葉によって私たちを支配しようとする。ならば、そういう言葉を「呪いの言葉」と認識することが、まず第一歩だ。「あなたは私を縛ろうとしているのですね」と。・・・「そんな言葉であなたに縛られなければならない謂れはない」と思うことができれば、その「呪いの言葉」に対抗する手立てを考えることができる。
p192 「芸能界ってそういうところよ。伸びてくる者の芽は摘む。人気が出てくりゃ、やっかむ。失敗すれば喜ぶ。心底腹を割って話せる人間なんかいやしない。いや、少ない。外面は和気あいあい、仲良く見せることもあるが、皆、戦々恐々といて生きているんだよ。少しぐらい厳しいことを言われても、恨んだり妬んだりしていては置いてきぼりを食ってしまう。全部自分のために言ってくれると思わなくちゃ・・・。吉川英治じゃないが、”我以外皆我師”これがいいんじゃないか・・・この言葉からすれば君も立派な僕の師匠だ」
p195 「・・・今の気持ちだ。それでだ、ようするに人生は山あり谷ありだ。楽しいこともあれば悲しいこともある。それが一喜一憂していたのでは人生の本当の意味はわからない。楽しいことは楽しいこととして、苦しいことは苦しいこととして、その一つを見つめ、素直に受け止め、じっと噛みしめる。そのすべてが自分の成長のためであり、人生を豊かにしてくれる。それは人生の節となる。乗り超えた時は大きな喜びとなり、自信となり、楽しい思い出となていくもの・・・」
p198 もし、過去の栄光・名誉と平凡な人生を選べと言われたら・・・交換できるとしたら、俺は喜んで栄光を棄てるね。浅草で遊んでいた無名の大根役者で結構、静かに・・・静かに、この世とおさらばできるなら、どれほどそっちの方が楽か」
『男はつらいよ』第50作目が今年年末封切られるようです。寅んがいなくなった『男はつらいよ』はいったいどんな映画になっているのかが楽しみとなっています。聞くところによるとこれまでの映画を部分的に使い50作目をつくるということが言われています。さて、どんな映画になっていりのでしょうか。
渥美清さんは1996年8月4日(享年68歳)、肺がんのため亡くなりました。『「寅さん」こと渥美清の死生観』には亡くなるまで、芸能記者として渥美清さんを取材した記録です。そこには、映画から離れた暮らしのなかの渥美清が語られていました。映画の中で不器用でバカ正直な寅さんは日々の生活のなかでは繊細で「芸」をきわめるために多くのことを記者の語っていました。
これまで多くの事件をあつかってきた松本清張の作品の語っている。とりわけ、社会的弱者からの視点が注目すべきところだという。弱者か強者にたいするしたたかな反発・・・。
月末にはかならず有給休暇を取得するようになった。再雇用となりもっと休もうと思っているのだがお客との関係もあるのでなかなか休めない。とくに、雑誌の締め切りには間に合わせないといけないという気もある。だから、月末になってしまう・・・。
とはいえ、いつまでもできるわかではあるまい。いつかは「引退」しなければ誰も引き継ぎこともできまい。これまで毎年、契約更新の時に「引き継ぐものを選んでおいてほしい」と要望している。だれがなってもかまわないのであるが、いずれ誰かがやらないといけない仕事なのである。病気などでできなくなったときどうすrのだろうか・・・と考える時がある。しかし、それは私の責任ではあるまい、とも思う。できるなら、自分が元気な時に余裕をもっているときに引き継ぐことができればとも思う。どれだけ考えているのかはわからない。
「働き方改革」で有給休暇をある意味、強制的にとるようになったことが言われた。そんな休みかたはろくなものではあるまい。唯一これがわが会社の「働き方改革」なのだろうか。さみしい限りである。そいうえば、今週、本業と副業の兼業を推進することが厚労省で推進されていることを聞いた。ひらたく言えば、正社員として働いて他の会社にもアルバイトして働くことを推進しているという。しかし、労働基準法では「複数職場の労働時間は通算する」との規定がある。それが、いったいどうなるかというのが問題になっていた。本業と副業の労働時間を合算すれば過労死ラインを超えて労働するようになる。つまり現行の労働基準法では長時間労働は違法になるということになる。いったいどれだけ働けせればいいのか・・・。これではますます過労死が増えるのではないのだろうか。
今週、参議院議員選挙が終わった。結果は、ぼくの応援する社民党はあい変らずの1議席確保で終わった。「もう1議席」くらいはなかなか甘くないようだ。それでも、政党として今後も活動できる投票数が確保できたことでこれまで通りできるとのことだった。今回とくに目立ったことは、野党共闘はいっていの成果はだしたものの、新しい波みたいに「れいわ新選組」と「N国党=NHKから国民を守る党」というのががんばったようだ。これから国会も、弱者の声として「れいわ新選組」の声を聞かないわけにはいかなくなったと思う。それでも、健常者でさえものすごく体力を必要な国会議員活動なのに、「れいわ新選組」の二人はどうやって議員活動するのだろうか。まさに「命がけ」には強力なサポート体制が必要になってくるのだろうかなあ。「N国党」も政党要件をみたしどんな活躍があるのだろうかと思う。そもそも、NHKでの政権放送では、NHKのことを批判していたのには驚いた。最近のNHKの在りかたも疑問視されたきた中にあってタイムリーなこともあったように思う。だいたいワンセグ機能の携帯を持っているだけで受信料を払う義務があるかないかで、最高裁は「払う義務がる」との判断をだした。これは考えようによってはすべての携帯電話は払うようになるということだろうか。それなら、もっと報道の中立化を思えば、政権寄りの放送が目立つ昨今である。そんなこんなで投票した人もいると思う。今後の放送にどんなことが起きてくるのか、活躍も期待したい。
でも、これらの声を救い上げれなかったこれまでの政党はいったい何をしてきたのだろう・・・とも思う。
関東地方も梅雨があけたようです。全国的に猛烈な夏の暑さがやってくるのでしょうか。またしても、熊谷m多治見、館林なる地名が登場する季節になってきたようです。そして、今年も「熱中症」での災害がまたたくさん出そう。それにしても、この暑さ「異常」にも思えてしまう。それも年々暑くなっているような気さえする。これからは電気代もばかにならない季節になってくる。
暑さのためか、今回はなかなかまとまりませんでした。(反省)
暑中お見舞いを数すくない知人にだす時期になった。みんさん元気であろうか。
8月になります。さて、どんな月にしたいのでしょうか。
今週このへんで失礼します。読んでくれた人、ありがとうございました。