日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

動きやすくなりました……

2014年10月26日 | Weblog


 こんにちは……
すずしくなりました。天気もようやく安定する季節になってきました。
 いまごろが、スポーツ、食欲、芸術、読書の秋と日本中の常識がやってきました。この時期、休日の散歩がいつよりちょっと距離がにびてきます。秋風が吹く中、散歩がいちばんいい季節でもあります……ね。
 ひと夏、都内を騒がせたデング熱も温度がさがってきたからでしょうか、あまり話題にならなくなってきました。
 最近、散歩に出かけると挨拶に「いい天気ですね…」が多くなりました。多摩川でも多くの人が歩いています。「歩く季節」といってもいい時期になったということですね。

 さて、今週は安倍政権が期待していた女性閣僚が相次いで辞任したいました。それも、「金と政治」の問題での辞任劇でした。もっているお金は使うのが気持ちもはれるでしょうし、ときには必要な行為です。それも、全部自分のためになるのであれば「生活費」ということになるのでしょう。
 それは、あくまでも自分で働いて得たお金という話です。

 今回、辞めた小渕優子経済産業相の場合は公金を使っていた。つまりは市民が働いて、納税の義務によってできたお金でした。公的資金(政治資金)は個人のために使っては違反になるのが政治の世界です。さらに、使われたお金は公的なものですから自分の財布のなかのお金とはべつものです。まあ、ひらたくいえば「横領」です。他人のお金をだまって、それも自分の利益のために使ったいうことでしょう。もっと、いえば「泥棒」にあたるのではないかと思います。なんでこんなことをするのか……。他人のお金ということなのでしょう。とんでもないこと。政治家にあるまじきこと。

 もっと根は深いところにあるのだと思います。政治家とお金が時々、問題にされ、そのガス抜きような「辞任劇」です。それを許す、自民党の体質は以前と変わっていないということがわかります。変わったことといえば、戦争をしっている議員がいなくなってきたことでしょう。
 いちばん、税金が使われる戦争をしらない政治家が増えてきたとうこと。
 だから、集団的自衛権行使などということもでてくるともいわれています。
 自分の行為の一部をお金で済ませてしもうとした人間の形。それも、まじめに働いて納めた税金を使って「利益」を得ようとした非常識な犯罪も同じです。

 いっぽう、こちらはまじめに働いていた女性たち。
 広島市内の病院に勤務していた理学療法士の女性が妊娠したため、降格され男女雇用機会均等法に違反したという事件。最高裁判決は妊娠によって、不利益な扱いは原則禁止という判決。女性の訴えをみとめこれまでの裁判を破棄したというもの。

 女性が多い職場では、結婚をした女性が妊娠するのは当然。さらに、仕事も時間も軽減するということをやらなければ、妊娠した女性にとっては仕事も労働ではなく「拷問」のようになってしまう。それも、その「拷問」で職場から追いだそうとする労務管理。これが、「マタハラ」(マタニティーハラスメント)となるのでしょう。

 まさに今のぼくの職場も同だなー。
 確かに、男女雇用機会均等法に照らせば、妊娠した人の仕事は軽減されるべきでしょう。でも、職場の実態は、人員が減り、さらには長時間労働(残業)で忙しさは慢性的です。だから、無理をきいて…と思うようになってしまいます。よくよく、考えてみれば、職場の長時間労働になる原因は、妊娠した女性がいるからではなく、経営者の怠慢からくることを忘れているからでしょう。
 だから、人を増やすという現実を知っていても、経営者がそれをやらない、という実態が問題にされるねきなのでしょう。

 判決の日に、外国人の記者がインタビューに応えて「根本的な問題は、会社の長時間労働」ということをいっていました。
 これは「真実」だなと思いました。それを、一人の妊娠した女性のせいにしてしまう、会社の風土、そしてそれを解決しない経営者、労働組合の責任は大きいです。それが仕事のはずです。


 今月は読書の秋到来…といいたいところです。
 しかし、ぼくの場合は今月は、新規の仕事(月一度の新聞の新聞編集・校正)の準備で日々追われていました。だから、仕事に関した本ばかりさがしては読んでいました。今月の仕事は下旬に無事終わりほっとしています。終わって思うことは、ぼくの能力が足らないのでしょうか、いまだにうまくできたかという気持ちでいっぱいです。
 すきまを見つけて読んだ本でした。少しずつ再読する本もあるようにしたいものです。

 

◎眠る魚/坂東眞砂子(集英社)
▼日本人が二人集まると、小さな日本が生まれる。エヘァテ島に住む僅かな日本人の中でにも立派な日本人社会が発生している。福島第一原発の事故以来、原子力問題が話題に上っても誰も真正面からぶつかることはしない。発生の是非を巡って意見が対立して、人間関係まで破壊するのが恐いのだ。しかも、この意見対立は、人や動物も含めた命の安全を第一とするか、経済論理を第一とするかという、人生の立脚点をどこに置くかに根ざして話して簡単に解決できるようなことではない(p26)

▼私は国を信じない……、愛国心というの言葉には虫唾が走る。そんなものは一部の富と権力を手にした者たちが、自分の欲と利益のためにおっ始める戦争に国民を駆り立てるための方便だと思っている(p26)

▼見えないのは同じように、ばい菌には神経質になっても、放射能には無頓着。ばい菌は殺菌すればいいが、放射能物質は殺せない。半永久的にそこに存在する。想像を絶する脅威は人を盲目にする(p63)

▼故郷は、もう心の拠り所ではなくなった。母国と私を結ぶ砦だったのだ。母国と私と結ぶ細いけれど強い糸が自分の意思とは無関係に暴力的に断ち切られたのだ(p64)

▼日本は税金を取る代償に、国民を保護そてくれるかどうか。福島の事故で土地も家も奪われた人々の状況を考えると、国民から取るものは取って、保護や保障となると無視する国だとしか思えない(p68)

▼お金は麻薬だ。それが無くなると思うと、資本主義の世界にどっぷり浸かった中毒患者たちは挑戦する。たちが悪いとことには、「先進国」では、お金が無くなるとほんとうに路頭に迷い、餓死しかねないことだ(p107)

▼「僕は、アオイロコとは、生命エネルギーが枯渇する現象だと思っています……」「人とは、生命エネルギーの詰まった袋のようなものです。大きな精神的ショックによって、その袋に穴があき、エネルギーが洩れはじめると、もう止めることはできません……」(p122)

▼住むということは、生活の記憶を場所に刻みつけることだ。その記憶が、その場をひとつの宇宙へと広げる。家は、単なる雨露を凌ぐ箱から、ひとつの宇宙に変貌し、幼少期から思春期を育む子宮となるのだ。大人になっても、その家がどこかに存在することは、好きな時に自分を育んだ子宮に戻れるという安心感を与えてくれる(p150)

▼人は危険だと認識しつつ、その場に踏みとどまる続けるほど強くない。危険だと知れば、耳を閉ざし、忘れようと努める。逃げられないとなれば、危険を無視する。危険を告げる情報に頑なに耳を閉ざし、忘れようと努める。忘却とは、自己防衛本能のひとつだろう(p154)

▼この国は、今やその気になれば、至るところに災禍の影を思い出せる場所となってしまった。逃げなくては思った(p172)

▼人は、とてつもない危機的事態に陥った時、ただ「信じられない」と呟きつづけることしかできないかもしれない。たぶん、これが思考停止と呼ばれる状態だろう(p226)


【感想】
 自分が住んでいる故郷は、いちばんの安息の場所になるだろう。
 まして、生まれてそこに住む住人たちとの関わりをもって育ってきた人間にとってはかげがいの「安息の住処」となっているのだろうと思う。
 今年、8月この原発事故によってよぎなく故郷を離れなければならなかった主婦(58歳)が自殺した裁判があった。判決では、「原発事故がうつ病と自殺の原因」と認定し損害賠償を支払う命令がでた。
 判決では「58年間暮らした山木屋の人々とのつばがりや養鶏場の仕事を原発で失い、不慣れなアパート暮らしを余儀なくされた。耐え難いストレスが主婦をうつ病状態にさせ、自殺の原因になった」ということだった。

 今、福島の原発事故のおきた周辺の住民、およそ13万人は全国に避難している状態だという。いつ帰れるかもしれないまま、放射能漏れはあり、原子炉の廃炉の作業はいつおわるのか時間ばかりすぎていく中で日々を送っている状態だ。避難している人にとっては、日々の生活のなかで安息の地を奪われたという気持ちなのではないかと思う。それが、東京電力であり、それを推進してきた国であり、それを支持・宣伝してきた文化人だったりと…、あらゆるものが「安全」というウソをまきちらした結果として……。

 この小説は、それらを実にうまく表現していると思うし、人間の弱さ、ずるさを暴露している作品であると思える。
 これと、同じ状況を思い出したのは沖縄の辺野古基地移設問題だと思う。
 基地移設賛成、反対がおこり、政治があらゆる懐柔策で人々を混乱させる。同じ土地に住むひとたちが内戦のように感情の対立をむきだしにして政治を判断していく。結果として反対の市長が当選しても、そこに住む住民の意思であったはずの選挙は、国によって無視「なかったこと…のように」され、強行されていく。それを、県外の人々は、さらに「無視:なかったことのように」していく……。これが、日本人の風土とでもいうように……を思い出した。

 いまいちばん大切なことを故郷を強く思うこと、故郷がなければ、大切なこと(人)を強く思うことなのかもしれない、と思えた。
 この小説は、最後は主人公がガンになってしまう。それでも、本当に必要なことを故郷から得ようとしているのだろうと思った。
 原発事故後、病に倒れ、それでもこの作品を書きたかった作者の執念のようなものを強く感じた。

◎和解/志賀直哉(新潮文庫)
【感想】
 「和解」を読んで、最後まで主人公とその父親との反目しあっている理由がよくわからなかった。結婚したことが原因なのか、それとも、主人公の子供を死なせてしまったことへの反目なのか、よくわからなかった。
 それでも最後は、父と息子の和解が出来ている小説だった。

 これを読むきっかけは、だれにでもあるであろう長い年月をかけた確執とかがどうやって分かり合えるようになっていくのか? という疑問があったからだった。お互いがなぜ、反目するのか? について考えてみたかったからだ。
 うらを返せば、どちらにも自分が正しいという意見をもっていて、それを相手が認めない、認めたら自分が負けのように思えてしまうからだろうと思う。
 お互いが、その点を自分でわかって話せばお互いの弱さを出し合って認めあうことで「和解」ができるのではないかと思ったからだ。認めることが負け、ではないということをお互いが知る機会であるということがもっと大事なのだと思う。死んでから何もできないより、生きているうちに傷を見せ合うことで和解したほうが生きていくのに楽だろうと思う。
 そんなことを思った一冊でした。


 今週、マンションの11年目の総会があった。
 総会に出席して思うことがあった。マンションを維持して住みよくしようとしていくのに意見もでないのはどうしてだろうか……、という疑問だ。
 さらに、毎年管理会社が紹介する保険や工事関係会社をすんなり受けてしまうのはどうしてかな? と思った。
 お金を出すほうと、それいよって利益を得ようとする側でもっと「攻防」があっていいのではないかと思った。毎月ローンを払って、身銭をきって管理会社にまで金をはらっているのであれば、もっと安くて、親切な工事会社や保険会社を紹介するようにならないのか…と思った。
 ますます、ボロになっていくマンションである。できるだけ安く、維持してきれいに住みたいと思う。

 新聞を読んでいたら、昨日「特定秘密保護法に反対する学生有志の会」」が都内でデモを行った、という記事を読んだ。
 今は、誰でも政治テーマを持てるのに若い人はどこへ行ったのかと思っていいたが、いました。自分の主張を何であれ自分の体で表現することは大事な時期だと思います。できることをみつけ頑張ってほしいと思います。
 これが、どんな形で続くのか頑張って欲しいきがします。

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がんばれ若造諸君!!いつも集会やデモにいっても若い人を探すのが大変な日々です。アルバイトや就職活動など大変なのかなあと思っています。でも、仕事であれ、遊びであれ、平和がなければできないのですから。
気がつけば、今年も2ヵ月ばかりに……。来月には年賀状が発売されたりして「空気」が少しずつ年末に動き始めますね。今年はどんな年だった?など思う月になってくるのでしょうか。
 まだ、この寒くもなく、暑くもない季節を楽しみたいと思います。来月は今年最後の山歩きも友だちと計画しています。今度は、のんびり気を使わないようにしたいと思います。

 明日から仕事が始まります。今週はどんな一週間になるのでしょうか。
 職場の人手不足は解消できるのでしょうか。上司にはいってあるわけで、あとは上司が自分の仕事としての決断をして、職場の人に納得するような説明をしてほしいものです。それが仕事なのだと自覚してほしいものです。
 
今回はこのへんで失礼します。
*読んでくださった方、ありがとうございました。



寒さが身にしみる季節になってきました

2014年10月19日 | Weblog


 こんにちは……。
 少しずつですが、涼しいから、寒いになってきました。うっかりすると、カゼをひいてしまいそうな季節になってきました。
 先週は、台風ばかりにおびえていた日々でもありました。今週は、気候も安定して秋晴れとなっています。こんな日は、外に出て思いっきり秋の空気を満喫したいものです……ね。この季節「読書の…、芸術の…、スポーツ」の秋とよくいわれます。短いこの季節ですが、皆さんはなにをやって満喫しているでしょうか。

 さて、今週ホットなニュース。
 昨日東京ドームでおこなわれたセリーグクライマックスシリーズで、なんと阪神タイガースがジャイアンツに4勝1敗で日本シリーズに出場することになりました。やった……!!。こんな年もあっていいと思いました。さぞかしジャイアンツファンは悔しいことでしょう。
 職場にも熱狂的なジャイアンツファンがおりまして、クライマックスシリーズ観戦しておみやげまで買ってきてくれた週でもありました。みんなでお菓子を食べて応援してくれ!!といったところでしょうが、惨敗。お土産の効果もなく残念なことです。いまごろは、やけざけでも飲んでいることでしょうか。
 今年は阪神タイガースが日本シリーズはいただきます!!

 自民党の小渕経産相が政治資金の使いみちをあやまっていたと報道されていました。どこまでいっても「金権体質」は変わっていなかったようです。それにしても、「知らなかった」という台詞はばいでしょう。
 他の議員のことならともかく、自分の財布のなかみを知らないなどとはどんな生活をしているのか想像がつきます。今年、女性はセクハラ、パワハラで弱者のイメージが強く残っていました。政治の生命線であることまで否定するような「知らない」発言にはあきれてしまいます。それを、大臣に選んで安倍首相のいわゆる「任命責任」もああるのでしょう。

 鹿児島県の九州電力川内原発1、2号機の再稼働問題が少しずつ、動いている。いまのところ一進一退の状況。市内ではほとんどが反対の意向であるようですが経済の活性化にむて再稼動を望むものもいるようです。しかし、住民への説明が不十分ななかで再稼働はどうなの…? という気もします。
 福島原発の処理問題もまだ前途多難な状態で不透明です。それでも、再稼働を強行する意味があるのでしょうか。


 17日(金)の夕方、東京日比谷公会堂で「10.17戦争へに道を許さない東京集会」にいってきました。
 この日、ぼくは2時間休をとり、職場(ぼくの担当する仕事がなかったので)をはなれての参加でした。気がつけば、参加者はぼくだけでした。これが現実かあ…と、思いつつの参加でした(閉会後知人の何人かと会いました)。
 
 今、日本には3本矢ならぬ、3つの問題があります。
 一つは、原発再稼働問題、二つ目は憲法問題、三つ目は今日の行われた沖縄基地問題です。どれも、安倍政権が引き起こした政策に対する問題だということです。とくに、現実味を帯びているのは今集会の沖縄辺野古基地問題だと思います。11月には、この辺野古基地問題の集大成でも沖縄県知事選挙があります。そこで、ある意味一定の方向性が示される予定でもあります。

 講演では沖縄国際大学教授の前泊博盛さんが講演をしました。
 いったい安倍政権はなにをしようとしてるのか、沖縄の基地問題を中心に講演が行われました。ぼくが、印象に残っているのは「日本人は危険なことや、どうしようもない悲劇がせまっているときに、心のなかでなかったことにしようする」という発言でした。このフレーズはどこかで聞いたことがあると思っていたら、最近読んだ、坂東眞砂子著『眠る魚』という小説の「……人は危険だと認識しつつ、その場に踏みとどまり続けるほど強くない。危険だと知れば、耳を閉ざし、忘れようと努める。危険を告げる情報に頑なに目と耳を閉ざし、忘れようと努める。忘却とは自己防衛本能なのだろう」(p154)というフレーズだった。

 こんなことを思うとやはり、今の日本は危機的状況なのかもしれないと思えた集会だった。これからも、政府の戦争に近づく閣議決定なるものが出されるのだろう。それを、どう理解していくのかが大事だと思えた。
  

 まだまだ続くだろうと思う。
 主催者は「安倍政権が退陣させるまで」といっていた。少なくとも来年の夏ごろには、集団的自衛権の骨格が明らかにされるといいます。その時では、遅いといいます。日々のなかで、安倍政権のやろうとしてる政策が最後には戦争につながっていくのでしょう。
 まだまだ、途中です。
 一人で行っても、集会参加者と連帯することが大事なことなのだろう。
 できることは限られているかもしれません。そんななかで参加していこうと思います。参加者のなかの一人のオジサンに聞いたことですが、なぜ参加するのかという問いに「私はもう年です。できることといったら、孫を戦争に参加させたくないと思うことくらいです……」と。


 気がつけば、家族から「父は左翼です…?」といわれるようになっていました。ぼくは、そんな気がないのに……。
 とは言うわりに子供は「右翼だろう……」と冗談話があります。なぜなら、ブルーインパルスって自衛隊がやっているのだろう、といいます。それでも、『戦争反対』ということだそうです。そんな会話が最近あることに気がつきます。(下段の写真は大好きなブルーインパルスの飛行)この一枚を撮るために一泊二日の旅行をかねたそうです。これは、いったいどうなってるのかなあ……ですわ。
 こんな戦闘機を買うお金があるのなら、ちょっとは社会保障費にまわせば消費税10%もすることがないと思うのですが。アメリカがイラクの化学兵器はあるといって爆撃した二の舞になります。双方の意見も聞いてみないと、まさに攻撃をしている方が正義で爆撃されているほうが悪にされてしまいます。あげくの果てに、なんの罪もない人たちが爆撃機の犠牲になってしまうのです。問答無用……のような状態が、結局、人々を不幸に陥れているのです。

 今回もあまりまとまらない更新となりました。そろそろ、読者はあきてくるのでしょうか。今日は、これから、今週、ぼくにとっての新規の仕事の予習。
 なんせはじめての仕事です。どうなるか、実際のところわかりませんが、ぼくなりに準備をしておかないと…。新聞をつくるのは、すべて準備が大事な作業です。スポーツと同じです。練習が大切なように準備がすべてのような気がします。来週はこの仕事の顛末でものせようと思います。
*読んでくださった方、ありがとうございました。

台風19号が接近中……

2014年10月12日 | Weblog
 こんにちは。
 10月にはいり、連休にはいりました。けれども、台風19号が接近中とのこと。
まいってしまいますね。
 最近は、台風の被害が尋常ではなくて、つねに被害者をつくって去っていきます。災害が起こるとき、人と自然も関係が「疲弊」しているのでしょうか、災難が大きいようです。
 連休は台風の情報を気にしながらの日々が続きました。

 今週は「憲法9条がノーベル平和賞?」というニュースが流れました。
 きけば、神奈川の主婦がきっかけをつくったそうです。ちいさな一歩が世界をかけめぐった週でもありました。自分にできることをやることがノーベル平和賞までのぼりつめた瞬間でもあるように思えます。
 そんな気がしたニュースでした。

 台風の情報が気になった連休でした。先週の段階では「山はちょっと無理かな…」という情報がとびかっていました。天気予報によると、土曜日の段階では沖縄あたりで、まだ強風と雨をふらしている状況でした。一緒にいく友だちのなかでは「中止」という思惑があったような、山歩きでした。
 天気予報ではいまだに、沖縄あたりで停まっているような状況で、「日曜日は大丈夫」という判断で決行しました。

 当日決行はさんざんでした……という感想ばかりが残りました。
 それも台風ではなく、人間のわがままというやつで……。
 というのは、ぼくが配布した一日の行動予定表のなかに持ち物などを記述して渡しておきました。ところが台風の曖昧(自分勝手な判断)な情報のため混乱していたのでしょうか、突然の決行になったせいか、結局、昼飯も持たず参加した人がいたのには驚きました。昼飯を頂上の売店でとろういう人にはまいりました。売店が休みだったらどうするの?

 まあ、世の中にはこんな人もいないことはあるまい…とあきらめました。結局、参加者のみんな(5人)で気を使いことなきをえました。
 とても疲れた一日でした。こんな日もあるわな……、と思いつつ帰りました。でも、こんなことはたいした時間を使ったことでもなく、昼飯のときだけなので、トータルで雨も降らず楽しい一日だった思います。

 高尾山もミシュランに宣伝されて以来、とても観光客がおおくなったようです。頂上はもう、人、ひとの波です。高さも、交通も便利なところがあるからでしょう。この日は、初心者もいたため、高尾正面から登りましたが久しぶりの表から山歩き……。もう、原宿の表参道なみですわ。
 「これは、おれのとは違う……」と思いつつ帰ったきた一日でした。

 来月は紅葉の季節。気を使わない友達とゆっくりきてみようと考えています。前日、体調不良でいけなくなった友だちと一緒にコースも変えていきます。(この友だちとはまともに、計画とおりいかないこと再三あるのですが、なぜか、楽しい山歩きになるのです…なぜでしょうかね)前回は、頂上でビールを飲みすぎて下山してしまったり、昼寝をしていたら寝すぎたり…と計画が頓挫することが多々あるのですが、なぜか楽しいのです。不思議な友だちなのです。


 今週、今月最初の集会とパレード(デモとはいわない)「閣議決定!憲法違反の集団的自衛権行使に反対する10.8日比谷野音大集会&パレード」に参加してきました。
 弁護士会主催の集会。めずらしい……と思いつつの参加でした。すでに新聞などで発表されています。講演者はどこかで聞いたことがあるような有名人ばかりでした。新聞報道によると、この日集まった人は3000人。野音は参加者で満杯の状態でした。
 この集会は、今年7月1日に政府が集団的自衛権行使を閣議決定したことに対する弁護士からみた集会でした。憲法を9条をないがしろにしたこの決定は立憲主義に反するとの強い主張のもと行われた集会でもありました。

 印象に残った発言は上野千鶴子さん(社会学者)の「憲法を/解釈だけで変えられる/七月一日は『壊憲』記念日」という言葉でした。
 おりしも、10月8日(1967年)は、「羽田闘争」で死亡した京都大学の学生、山崎博昭君の命日であるそうです。
 歴史をひきずって今もその流れのなかにいるということなのでしょう。そのなかの2014年という歴史のなかで生きているにすぎないということでしょう。それでも、平和への主張は同じものできているということなのでしょうか。

 昼間働いて、夜参加することはいったいどうしてなのだろう。
 お金もないし、時間もない…、といってしまえばできることといえば今はこれくらいという自分への回答としてむけられているように思う。
 少しでも社会とのかかわり、こうしてあたりまえのことを崩されないように暴力でない社会、子供に暴力を残さないようにと頑張っている人とつながる。
 それが平和なのではないかと思う。
 単純であるがそんなことだと思った。


 季節は足早に寒さをつれてきたようだ。山歩きをしていて、汗をかいたあとは空気が寒さで体をつつんでしまう季節になってきたように思える。
 自然の美しさばかりいってられない。自然が大きな災害をつくっているのも事実である。台風19号も近づいているという。便利な生活にもう一方にあるのは不便ではなく「危険」なのかもしれない。
 あいかわらず、放射能はdこかに流れているのだろう。

※今回は文字ばかりですいません。写真もとらず過ぎていった日々でした。
 また、明日から仕事があります。新しい仕事もまっています。開き直ってがんばるしかないようだ。また、これまで、一緒に仕事をしてきた職場の人が病気になった。それも、重いと連絡があった。病院にいって検査もしてくるともいっていた。少しでも軽ければいいが……心配なところ。

*読んでくださった方、ありがとうございました。

10月がはじまった……

2014年10月05日 | Weblog

 こんにちは……。芸術、スポーツと自分の身のまわりをゆっくり考えるのにいい季節になってきました。

 台風18号が接近中です。九州、四国、関東へのむかって移動中とのこと。また、集中豪雨で災害がおきなければいいのですが。
 今週、御嶽山で噴火した災害で多数の死者がでたニュースがありました。
 秋は紅葉のシーズン。誰しも山の紅葉を見たみたいと思うのでしょう。まして大自然の大きなスクリーンにうつる木々の変化は素晴らしい。
 この日、登山者は紅葉の美しさに感嘆の声をあげていた。数分後、その声が恐怖の言葉になった。こんなはずではなかったと思います。

 自然の変化を見極めた瞬間にそこいたいと思う。ここを機会に、一歩踏み出せる気持ちをつくっていこうと思っていたかもしない。それが、一転して悲劇にかわってしまった瞬間。今回の噴火は、自然からの警告のような気もします。自然と接するということは「危険ととなり合わせ」ということをつくずく感じさせた悲報だった。美しいものを見た瞬間、見たくないものに遭遇してしまった瞬間。表裏一体の人生そのものだ、と思った。
 山歩きをする一人として、このことは忘れないこととしてはじめていきたい。亡くなられた人たちのことは忘れないようにしていきたい(合掌)。
 

 また、今月からニュース切抜きを始めます。ながい間、さぼってしまってすいません。
◎「マドンナ旋風」から25年/9/30/朝日
 女性初の衆議院議長を務めた。
 「山がうごいた」「やるっきゃない」などなつかしい言葉。この時代社会党という政党が強かった。野党として、まじめにがんばっていたような気がする。「消費税反対」では声を大にして、世論に「反対」を訴えていた。声も大きかったが、庶民の台所をいちばん知っていた政治家のように思う。
 今、台所ではなく資本家の懐ばかり気にしている政治家たちよりはましなようような気がする。戦争はもちろん否定していたはず。こんな政治家がいまはいない。


 今週、送別会に参加してきた。辞めたのは、他の職場の女子、20歳代……。
 いつも、その容貌がなんともなんびりした性格から、職場の人たちとの会話は少なかったという。それゆえ、仕事をしていても上司からはあまり評価されずに日々を送っていたようだった。怒ることも、笑うことも自分の働いている職場で表現できなかったことは、誰にでも経験があるだろう。それでも頑張っていた彼女ことは知っていた。ときどき、話も聞いていた。笑っていた……。
 それでも、なんらのきっかけか「自分の夢」を形にしたいと思い辞職を決意したのだという。
 そして、今しかない…、ここでグズグズしていては…と思ったのかもしれない。それでも、何が彼女の決意に拍車をかけたのだろうと思う。



 そして、今週末ある絵画作家の個展にいってきた。ここでは古希になっても現役の画家にあった。作品はほとんどが、本の表紙の装丁画になる。それを見ていたら、20歳であろうと70歳であろうと自分を表現しようと一生懸命なんだなと思えた。まさに、世界中の人口からみたら砂粒のような人間。それでも、一つの命にはいくつもの人間がいる。その中の一つを見つけて、その人なりの表現をしながら一生を終えるということが大事なのではないかと思えた。

※詳細はこちらでどうぞ。安田みつえさん 

 昨日の私に別れをつげ、今日をまた始める。これは生きることで大事な形だ。昨日を変えることはできない。けれども、昨日を反省することはできる。そして、それを今日に自分なりに違う(昨日よりましな)日をつくることがきっと、大事な生き方のだろうと思えた。
 そして、それらを支えてくれる人間関係。少なくともいい。大事な関係をつくる今日にしたいと思う。そんな日々をつくってくれる人たちを「抱きしめて」いたいと思わせる人たちと会えるといいと思う。

 10月が始まりました。今月も、デモや集会が多いようです。これも、政治が近年になく悪くなっているのが身に重くのしかかっているような気がするのも現実であるということでしょう。今月も、できる範囲で参加していこうと思います。そこで、何を考えたのか「更新」するときに述べていこうと考えています。できれば、ないほうがいいのしょうが仕方がありません。
 少しでも、周囲の人が関心をもってくれればそれでいいのではないのでしょうか。そして、今より少しは政治がよくなればいいのではないのでしょうか…ね。

*読んでくださった方、ありがとうございました。