日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

1月も終わります・・・寒さは身にこたえる季節です

2020年01月26日 | Weblog

 こんにちは。

 気がつけば1月も後半です。はやいものですね・・・。そして、まだまだ寒さだけは続いています。こんなときいちばん居心地がいいのは、ふとんのなかでしょうね。とはいえ、誰もがそう思っていても仕事があるかぎり、寒い外へ出かけていく日々です。まだまだ日の出は遅くてちょっと暗い時間に出かけることも寒さをいっそう感じるのでしょう。マスクとマフラー、手ぶくりは必需品となっています。もう少しのガマンと思いながら日々がすぎていきます。

 さて、今週中国で端を発した新型肺炎が世界中にひろがっていくというニュースを聞く毎日でした。いまでも感染者が減ることもなく増え続けているというのが恐怖をつくっているように思えます。何よりも怖いのは、目にみえるものではないのでなおさらです。

 生物が生きていくために子孫を残すという本能があるように、ウイルスであっても同じです。自然界では、風に運ぶもの、鳥が運ぶものなど子孫を残す行動があるように、ウイルスも運ばれて子孫を残そうとしているのでしょうから。いちばんやっかいなのは、子孫を残すとために人の体を利用しているということでしょう。だから、世界中の感染者が移動するたびに、移動先で感染者が増えていくということなのでしょう。ウイルスにとってはこれはありがたいことかもしれませんが、人間とってはたいへん迷惑な話なのでしょう。来週はどうなっていくのでしょうか。できるだけ人の多い所に避けていくしかいないようなです。

 来週はいったいどうなっているのでしょうか。できるだけ早く終息してほしいものです。

 今年で再雇用4年目に突入します。65歳まで1年です。かといって日々の仕事は変わりはないのです。まあ、今年1月より中途採用の新人が来たということくらいでしょうか。新人二人が、これまで私のやっていた仕事の一部をやることになり、これまでの仕事が少し楽になることになりました。結果として、こえまでのことを体が覚えていて反応してしまうので、制御するの方がストレスになっているような気がいします。

 今月、安倍首相の施政方針演説に「一億総活躍社会」というのがありました。なんとも名前が戦中の「一億総玉砕」のような響きを感じているのは私だけだったでしょうか。それは、「人生百年時代の到来は大きなチャンスだ。働く意欲のある皆さんに、七十歳までの就業機会を確保する」ともあり「年金支給を開始の選択肢を七十五歳まで広げる」ともありました。
 なんとも身勝手なことを言っているのだろうかと思いました。もっと正直に言えばいいのに・・・。<少子高齢化でますます老人の年金が支給されずらくなってきたので、高齢者は死ぬまで働くことも選択肢としてありますよ>と。
 とはいえ、働くためにはその条件がそろわなくてはなりません。その条件が全然各企業任せになっていてうまくいくのだろうかと思います。本当にその気になれる人は少数でしょう。消費税は上がり、給料は変わらず、労働条件も変わらず・・・そんな中で75歳まで働く意欲など起きてこないのが現実なのではないかと思いますが・・・。そんなことを思いながら、当面は65歳にむけてまた始まります。

 元旦がはるか昔に感じるほどの神社の参道を歩く人たちをみるこの頃です。あの喧騒はなんだったんだろうと思います。まさの「戦いすんで日が暮れて・・・」というお店の残がいもありました。一年の始まりがまるで夢のごとくすぎていった1月でありました。人々のお願いがどれだけ叶うのか、これからが始まる一年でもあったと思います。できれば、夢などかなわないくても健康ば一年になることだけがいつわざる本音でもあるのではないのでしょうか。

 まだまだ今年、いったい何に背をおされながら頑張っていくのだろうかと思う1月でした。ただ、仕事によって日が暮れていくような気がしました。だんだん、生きていることを実感することが少なくなっていくように思います。朝がきて夜にになって・・・日々が去っていくようになっていることに感動も少なくなっていくようにも思います。それが「老い」なのかもしれません。
 今月も「本棚」は休みます。来月はがんばってみます。

 冬の散歩道ではなかなか花にあえないことが多くなった。それでも、いつの間にか梅や蝋梅の花を見かけたりすると「たくましいなあー」と感心してしまう。誰ぞの誉めらることもなく、静かに小さな花を咲かせているそのけなげさに、冬の寒さのなかに温かさを感じる瞬間でもある。あと何年働けるかとか、病気にならないかとか・・・齢を重ねて思うことは自分との対話なのかもしれないと思う。
 
 最後に、まあ、今日を精一杯生きているのだろうか。そんな疑念をつねに背負いながらまた一年が始まり、1月が終わっていく日曜日でした。
 今年こそはひと月に一回は山歩きができる年にしようと思います。残りの時間をいかにして自分が好きなことをしていけるかが、これからの課題のようになっていく日々だと思います。読者のみなさんはいかがでしょうか。
 2月からはまっとまともなページをつくるべく頑張ろうっと!ではでは。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

たいへん遅くなりましたが・・・今年もよろしくお願いします。

2020年01月19日 | Weblog

 初仕事…。

 遅まきながら、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 仕事もボチボチ始まりました。とりあえず、新年のあいさつがあり、今年も始まったようです。

 今年はどんな一年になるのでしょうか。ちまたでは、東京五輪のことばかりがもてはやされています。個人的には、東京五輪よりウインドウ10への移行や再雇用のこれからのことの方がはるかに大きな問題のように思えます。肝っ玉の小さいと言われようと、東京五輪では何も解決しないことは人生半世紀以上生きているとわかってくることだと思いますがね…。

 そんなこんなで、正月は「どうしたら無料でウインドウ10を更新できるのか」というケチくさいことに熱中していたお正月でした。何回やても「更新に失敗」のメッセージをみたことでしょうか。「本当にできるの?」という疑問さえもつようになってしまった休みでした。(ちなみに今だ更新できず)

 

 一方では、恒例の山歩きに行ってきました。今年初の山歩き、少しは「楽しく」という思いを胸に行ってきたのですが、こちらも大変でした。一日の工程では、陣馬高原から景信山へ。景信山で昼食と休憩をして小仏へ行き、下山するものでした。のんびりと…行こうと考えて歩いていました。風もなく、冬であっても歩いているときは寒さを忘れています。陣馬高原から景信山までは予定通りでした。ところが、昨年の台風被害によって、小仏(旧甲州街道)の登山道が「通行止め」には驚きました。それではと思い、城山まで生き日影の林道へと行ったのですがここでも「通行止め」でした。こうなると、エスケープとして、相模湖方面かまっすぐ行って高尾山方面にいくしかありません。時間は午後3時過ぎ。冬ではすぐ日が暮れて暗くなります。いちばん慣れていて安心出来る登山道をという判断の結果、高尾山まで行きました。何年ぶりか、薬王院へも立ち寄り、初詣もしました(ここまでくれば暗くなっても安心と思った)。

 そこで今年の教訓です。①早寝早起き、初動はできるだけ早め②常にエスケープできる2通り以上は頭のなかに入れておく、ということでしょうか。近くにしろ、遠くにしろ簡単な計画は頭に置いておく習慣が大切だということがわかった一日でありました。無理に動いたところ、逆に衝撃が体に逆効果をつくる年齢だなーとも感じた一年も始まりでもありました。

 

 もう一つ遅れた理由。これは未解決です。ウインドウ10関連でした。今月14日更新がなくなるとの情報(すでに何年か前からいわれていた)のため、無料のダウンロードに悪戦苦闘の日々を送っていました。なかなかこれが難しく、パソコンのシステムまで変更したり、ダウンロードの仕方を変えてみたりとしました。しかし、どれも「失敗。元に戻ります…」との警告をうけていました。そんなわけで今でもウインドウ7で頑張っています。ウインドウ10の更新をあきらめ、その代わりにウイルス対策セキュリティーソフトを購入して対応することも思案中です。

 いずれにしても、ウインドウ10は次回にはバージョンアップされていることでしょうか。

 まいりました。私のパソコン知識ではもう限界ですわ。

 1年の最初の月。のんびりと迎えたいところでしたがとんでもなくウインドウ10への移行などでしくじりバタバタとしていました。(いまだに更新できずです)パソコンがすでに生活の一部になって30年ほどたちます。仕事にもそうとうな場面でパソコンを使う日々があるようになってきました。仕事では100パーセント依存しています。これほど便利で生活の大部分をしめるわりには、いまでも他人さまのバージョンアップだ更新だなどといつになっても足元がおぼつかないのはどうしてなのでしょうか。きっと、すべてがパソコンに依存している生活習慣になっているからでしょうね。遠くのことを瞬時に自分のパソコンで見ることができたり、自分の金銭がパソコンの画面でやりとりできてしまう世界に、おそらく「麻痺」しているからでしょうね。

 自分の体でしかできないことを何か探している日々でもあるのでしょうか。山を歩いていると、「これだけは自分の体でしかわからない」と思う瞬間でもあります。いつまで続くられるか? きっといい眺めがある限りまた、歩いているのでしょうか。

 

 さて、みなさんはどんなお正月を送ったことでしょうか。一年の始まり、齢を重ねてみると、そんなに変化したという感じはしません。変化を望むほど野心があるわけでもありませんし、また日々を淡々と送っていくだけでしょうか。

 今年もおなじみの形で進めて行こうと思います。仕事も始まったばかりです。他人のことなど気にする年齢ではありません。それこそマイペースでいければ思う1月です。

 今年は「六〇の手習い」といい気持ちで何かを始めれたらと思います。それには暇とお金が必要になるのでしょうか。まあ、できる範囲を原則で・・・ということです。

 また一年間、昨年どうよう変わらぬご愛顧をお願い申し上げます。

 読んでくれた人、ありがとうございました。