こんにちは。
夏の高校野球の甲子園大会が終わったところから急に涼しくなりました。昼間はまだ暑さは残りますが、朝夕がとても過ごしやすくなりました。なにか、今年の夏は「暑い!」ということばかりを口ずさんでいた日々でした。その声が耳元にいまだに響いているかのようです。セミの声も少しずつ少なくなっていきます。ちょっと遅くなった墓参りのいったとき、ツクツクホウシが鳴いていました。そろそろ夏も終わりにむかっているようです。ふり返れば、もう8月も終わりです。今月はとても短く感じてしまいました。今週は、お盆休みという非日常かた仕事に付き合いに、約束に、遊びにと日常にもどってきた週でもあります。これからまた、年末に向かっていくのでしょう。
さて、今週は韓国と日本の外交関係が冷えきっています。いったいこれからどうなっていくのでしょうか。「徴用工問題」から「軍事情報包括保護協定」破棄まできてしまいました。このことによって日本観光業界は大打撃を受けているという新聞報道がありました。この根本問題はまさに8月のテーマでもある「戦争」というキーワードでしょう。これまでに、「慰安婦問題」などでも日本は韓国の要望に誠意ある回答が出せないままでした。解決が不可能であっても同じテーブルにつく努力を当自者としてやってきてはいないように見えます。どちらも強行姿勢をしたままではあとは実力行使となってしまうのではないのでしょうか。政治の問題は政治で解決することしかないように思います。
以前、内山節という学者の新聞コラムを読んだことがある。ぼくの理解と記憶によれば「世界が自国第一主義」を掲げている時代になってきてる。米国のトランプ大統領は「米国第一主義」、中国も米国の派遣を許さないように「中国第一主義」をつき進んでいる。ロシアも米国との覇権を競っている。そして、日本も米国に付随するように「安倍第一主義=経済最優先主義」にむかっているという。そこでは、相手を傷つけても突き進む形が起きているという。そういわれてみれば、米国は移民に対して差別を繰りかえしている。移民国家ということをわすれているかのように移民を排除していることをみれば納得するだろう。北朝鮮も韓国もこれからどう進んでいくのだろうか。
月末です。暑い日は読書には向いていないようです。ほとんどクーラーのきいた通勤電車の中で読むのですが、クーラーは入れているのでしょうがそれでも暑い。強力な目的を持っている読書であれば「勉強」という形で頑張るのでしょうが、趣味のような読書なのですぐあきらめてしまう。それでいいと思っている。趣味の読書である・・・。なんらかのしばりがないなかでその時節にあわしたりして読んでいきたいと思う。なんらかのきっかけで、その本を取って読んでいたのだから。大事なことは、なぜその本なのかだろう。今回は『井伏鱒二自選全集』第6巻めを利用して『黒い雨』を読んでみた。
p66 茸型の雲は、茸よりもクラゲに似た形であった。しかし、クラゲよりまだ動物的な活力があるかのように脚を震わせて、赤、紫、藍、緑と、クラゲの頭の色を変えながら、東南に向けて蔓延って行く。ぐらぐらと煮えくり返る湯のやうに、中から中から湧き出しながら、猛り狂って今にも襲いかぶさって来るやうである。蒙古高句麗(ムクリコクリ)の雲とはよく云い得たものだ。さながら地獄から来た使者ではないか。今までこの宇宙のなかに、こんな怪しなものを湧き出せる権利を誰が持ってゐるのだろうか。これでも自分は逃げのびられるだろうか。これでも家族は助かるだろうか。今、自分は家族を助けに帰ってゐることになるのだろうか。一人避難してゐることになるのだろうか。
p126 道に転がる死体は、この辺では幾分か少なくなってゐた。死体の恰好は千差万別だが、共通している一点は、俯伏せの姿が多すぎることである。それが八割以上を占めてゐた。ただ、一つ例外は、白神神社前停留所の安全地帯のすぐ傍らに、仰向けになって両足を引き付けて膝を立て、手を斜めに伸ばしてゐる男女であった。身に一糸もまとはず黒こげの死体となって、一升枡に二杯ほどあらうと思はれる脱糞を二人とも尻の下に敷いてゐた。
p156 爆発で中天に生れた入道雲を、僕はクラゲの形の大入道だと見た。近距離で見たのと遠距離で見たのでは形が違ってゐる筈だ。乗客のうちには、松茸型の雲だった云う人もゐた。
p200 僕が六日の日に避難するときには、このあたりの道ばたの大きな防水用タンクに、三人の女が裸体に近い恰好で入って死んでゐた。水はタンクの八分目ぐらいまで溜まってゐたやうだ。今度はタンクに決して目を向けないで通って行かうと思ったが、見まいとしながら、ちらりと見てしまったことは是非もない。逆さになった女の尻から大腸が長さにして三尺あまりも噴きだして、径三寸あまりの太さに膨らんでゐた。それが少し縺れを持った輪型になって水に浮かび、風船のやうに風に吹かれながら右に左に揺れてゐた。
p318 八月九日の朝は夜来の高熱も幾らか下火になって、意識恢復の微笑を自覚した。化膿熱と云ふ敗血症的な熱発である。この日は、軍医が見廻りに来て衛生兵に処置を命じた。被爆してから初めて軍医が見てくれたわけだ。しかし軍医は聴診器も当てなかった。
p331 あのころは、来る日も来る日も主人は痛がりました。体ぢゆうの筋肉が無くなって骨と皮ばかりですから、蒲団を敷いてゐても畳の固さが、ぢかに骨にこたへて痛いと申します。それでベッドぐらゐの高さに何枚も蒲団を積みまして、その上に羽根蒲団を二枚敷いて、羽根だからそんな抵抗がある筈はないと思ひましたのに、蒲団の下に畳の継合せがるか無いかちやんと分かるんです。ちょっと想像できないでせう。後で見たら、その畳は腐ってをりました。
p355 ピカドンの名称は、初めが新型爆弾、秘密兵器、新型特殊爆弾、強性能特殊爆弾といふ順に変り、今日に至って僕は原子爆弾と呼ぶことを知った。しかし今後七五年間も草が生えぬといふのは嘘だろう。僕は焼跡で徒長してゐる草を随所に見た。
p363 仕方がないので会社の事情を説明し、鉄道電話で石炭の今後の輸送事情を調べもらふやうに、言葉をつくして駅長にも助役にも嘆願した。その場へ憲兵が無言のままやってきて、靴音をたてながら壁の貼紙を一つ一つ見て廻った。
今年も8月15日には、敗戦から74年をむかえ令和初の「全国戦没者追悼式」が武道館で開かれた。追悼の対象者は、戦死した軍人、軍属約230万人と空襲や広島・長崎の原爆投下、沖縄戦で亡くなった民間人約80万人の計約310万人。千鳥ヶ淵戦没者墓苑では36万柱の遺骨を納めている。戦争の時代は終わってもいまだに「時代は変わっても戦後は続きますように」という声があった。
戦争はあったのだがその内容は、体験者から聞くか、あるいは歴史をひもとくか、さらにはその時代を描いた小説に接するしかない。とくに、戦後74年。戦争経験者も高齢者になって亡くなっていく。戦争の悲劇などを知ることができなくなっていく時代である。
そんな中でできることとして小説を読むこともその一つなのだろう。今年も『黒い雨』(井伏鱒二著)を読んでみた。読んで見えることは、原爆の投下されても人々は「新型爆弾」として理解できず、知らされず対応していことだ。あれほど、政治は戦争を駆りたてながら負けそうになると、人びとにはほったらかしになっている。
いまでも戦後、「平和は続いている」状態である。しかし、その現実に背を向けるかのような政治が今の政治だろう。そんなことを思いつつ終わる。
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p26 私は自分の人生を誰にも邪魔されたくなかった。恋をし、友だちと会い、勉強したり、本を読んだり、考えたり、音楽を聴いたりぼんやりと想像の世界に遊んだり、何時間も外をほっつき歩いたり…そうやって生きていくことの中に、親や家族、という概念がまぎれこむ余地はなかった。誰に何と言われようと、私は自分の人生を生きることで忙しかった。
p48 私は父に近づき、車椅子の脇で中腰になりながら、全神経を集中させる。くちびるの動きを見つめる。耳を父の口もとに近づける。吐息の中から、何か一つでもいい、言葉を聞き分けようと試みる。
p73 私は傲慢だった。自分の人生を生きることで必死だった。流れいく時間の残酷さを知らなかった。目を向けていたのは、自分の中を流れ、渦を巻く時間のついてだけであり、同じ時間が、まるで加速度がついたように、老いてゆく者の中が流れていることからは、半ば意識的に目を背けていた。見ないようにし、考えないようにしてきた。なんとかなる、と信じたようとし、信じたいあまりに、自分自身をうまくごまかしてきた。そして、気がつくと、父は何も話せなくなっていたのだった。文章にしても書くこともかなわなくなった。私が生れてはじめて…恥ずかしいことに、五十を過ぎてからやっと……自分の父親に真剣なまなざしを向け、見つめ、その人生を自分なりに解釈しようと始めた時、すでにその人は、車椅子の中でうつむき、沈黙棄していたのだった
p96 まだ三十にもなっていない男にとって、老いや死は遥かに遠い。彼らにとっての死は、通夜や告別式に象徴される儀式に過ぎない。凄絶な人生の折々の出来事、衰えて死に至るまでの経緯、死にゆく者の内側で巻き起こった嵐……それらを本気で想像せよ、肌で理解せよ、と言ったところで、そんなことはできるはずもない。求めるほうが無理というものである。
p143 父自ら、家庭から逃げていた。少なくとも家庭から目をそらす人生を選んでしまうように生れついていた。配偶者に恵まれなかったからではなく、また、家庭の居心地の悪さがそうさせたのでもないのだろう。何ひとつ、これといった確たる理由などないのに、気がつけばそういう人生を選んでしまう。世の中そんな人間もいるものだが、それが父だったような気がする。私のなかに父の血が流れている。父のそうした家庭運のうすさを考えるたびに、私は私自身を見る想いがする。
p232 父は私などよりも、ずっと欲望に忠実だったような気がする。父は烈しい情をもつ人であったが、反面、こわいほど理知的で頭がよかった。自分の中にあふれ出る過剰な感情を整理し、まとめあげ、歌や手紙に託して表現するという、優れた資質に恵まれていた。しかし、だからこそ、父は時として、深い暗闇の底に潜んでいる、見る必要もない魔物までも覗き込んでしまったのではないか。そんなふうに思える。ふつうの人間には見えない魔物。たとえ見えてしまったとしても、咄嗟に目をそらせばすむはずだった魔物を、父はあえて、まじまじと覗きこんだ。
p317 失われた時間を思った。遥か遠い昔からねじれたまま続き、決して巻き戻すことができなくなってしまった時間の中に、私はいた。
p340 母は生涯を通して、一度も私には言わなかった。またあそこに戻りたい、あの日々に帰りたい、と母は決して口にしなかった。あんな男、と私の前で父を罵ることがなかったのと同じように、母は自分が通りすぎてきた、人生でもっとも幸福で穏やかだった日々について、それが失われて二度と戻らないものであることをひと言も私に向かって嘆くことはなかった。
半世紀以上を生きてきて「後悔することばかり」と思いながら読んでいた小説である。後戻りし、やり直すこともできなくなればなおさら「後悔」は大きい。読んでいて「あの時」をふっりかえることばかりを思わせる小説。
『沈黙のひと』は、最初の妻とは離婚して再婚。再婚の妻とは二人の子どもができる。それでも、単身赴任先で3人目の女性と関係をつくる。その男・三國泰造が85歳の生涯を施設で終える・・から始まる。初婚、再婚でできた3人の娘たちが三國泰造のこれまでの生涯を語りはじめる。とくに、長女の衿子は父のこれまでの生涯を追いかけていく。そのなかで、あまりにも身勝手な父の生涯でったことに不満を抱きながら、自分も同じような生活であることを吐露する。
とはいうもの、父が自分の生涯の中で助けている女性もいたことがわかる。現実は不倫であっても、その女性は幸せな最期だったという。そんなことがあきらかになっていくなかで、衿子はどこまで父のこれまでの生き方を許せるかという自問でもある。
この小説を読んでいて、車谷長吉という作家を思い出した。身内のことを小説にした車谷さんは、身内から袋叩きにあったり、おどされたりと相当、悩んだというエッセーを読んだことが。おそらく『沈黙のひと』も、身内の出来事を小説したものだろう。それを思うと、相当な覚悟が必要だったにちがいない。それを思うと、小説は命がけなのだと思う。とくに、人間の不条理を描く小説は読んでいてやりきれないことを思う。それでも、生きていくことを目指している。そんなところに感動するのだろう。
とても面白かった小説だ。三國泰造という男、男からみたら見栄っ張りのようにみえるがこんな人もいることは事実だ。
昔、栄養ドリンクのコマーシャルに「24時間戦えますか」というのがあった。いまでは24時間働いている人がいたら「過労死」が疑われ、労基署は労働時間の是正をや過労死であれば「労災」を命令するご時世である。しかし、24時間営業があるということは、24時間働いている人もいるのだろう。ただ、その働き方から問題がまだ生じていないにすぎないだけなのだろう。「働き方改革」なるものが、ちまたではよく耳にするようになった。そのメインテーマに労働時間の短縮がある。でも、残業代を好きで稼いでいるのではないこともあまり事実になっていない。つまり、給料が安くて暮らせないという現実は出てこない。
コンビニの営業時間も24時間営業を短縮する実験をするという。一部、コンビニの営業時間を短縮するとのいうことだ。しかし、そうなった原因は、24時間営業するための人手がいない。そのため店長が、誰よりも多く働いていたら儲けどころではなく体がもたないことを本店に主張したのだった。人手いなかれば誰かがその分を補っている。今はそれさえも限界にきているということなのだろう。だから外国人に働いてもらうということになっていた。これも、いいかげんすぎないか。
「24時間戦えますか」はいまも水面下で生きている。それが、いつか爆発する時をまっているかのように。過労自殺が増えていくことも、老人の労災が増えていることもその犠牲者といえる。本当は、8時間労働ができる労働環境や賃金が大切なはずなのに・・・。
少しは涼しくなった。その分、日の出・日の入りがかわった。通勤バスを待つ夕方、これまでは明るかったが、これからは暗い停留所でまつようになる。まつ間に暗闇が停留所を包み込む・・・。疲れも倍増するような暗さでもある。仕方のないことだと思っていても、停留所に街灯でもつけてくれないかと思う。
10月から「消費税10%」になるとのこと。近所にたくさん住宅が建ち始めたのもその消費税のせいだろう。8%から10%とはいっても高い買い物だから大きい差額である。
最近はなかなかすすまないブログの更新作業である。もう限界なのだろうかね。すこし考えねばと思いながら今週はこの辺で失礼します。これで8月が終わります。暑すぎた8月でした。熱中症にもなりました。墓参りもいけず、今週やっと暑さを避けて行ってきました。
そろそろ涼しくなってきかしたので多摩川散歩も再開しようと思います。何か、歩いていないと生活のリズムが戻らい気がします。暑い夏、お疲れさまでした。
子どもたちの夏休みも終わりころでしょう。ああ、また電車が混雑するなー。のんびりいこう!!
読んでくれた人、ありがとうございました。