日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

8月も終わり・・・コロナは続く!

2021年08月29日 | Weblog
 こんにちは。
 毎日暑い日が続きます。それでも、朝夕は少しずつ風が涼しく感じられるときもあるようになりました。「暑いですね」という挨拶から「涼しくなりましたね」に変わるのももう少しですかね。いま、いちばん頑張っている声はセミたちでしょうか。散歩道にはシャワーのようにあふれています。みじかい命をせいいっぱい生きて土に還っていくその潔さに感心してしまいます。

 このセミの声と一緒に終わっていくのは甲子園の球児たち活躍でしょうか。とうとう今日は決勝戦になっています。高校球児の夏が終わると、秋近しを感じるのも今ごろ思うことです。決勝戦は、本家と分家の戦いのようです。それでも、どちらも同じような野球をやっているように見えて、どこかが違っているのかもいしれません。その違いを見つけながら観戦するのも楽しいかもしれません。

 さて、今週いちばん注目したのは、横浜市長選挙の結果でした。パラリンピックの開催される中、どんな結果になるのだろうと思っていました。
 結果は、カジノを含む統合型リゾート施設(IR)に反対する候補者の山中竹春さんが他の候補をおさえ勝ちました。横浜市は、これまで林文子市長がIR設置に反対していたものの、任期期間中に誘致にまわったことに対する政治家に対する不信感がおおきな原因をあったのかもしれません。さらに、菅首相のおひざ元でもあったため、大臣の小此木八郎の立候補にも話題を提供していました。これまでにIR誘致に対する収賄罪などもあり、その問題も取り出されている最中の選挙でもありました。
 49.05パーセントの投票率で圧倒的な勝利で勝った山中市長の今後の姿勢が期待されるところです。

 私が思うところ、コロナ感染拡大の時期にカジノをつくる事態が疑問です。いま大事なことは、カジノより病院や保険所をつくることでしょう。遊ぶことも大切な一つにはちがいありませんが、ここ数年はコロナをどう収束させていくかが大事なときだと思います。富裕層の政治より、命を大切にする政治への転換が大事なことです。国の政治も場当たりともいわれているのは、ちゃんとしたものがないからでしょう。
 病気をしたら病院が必要なのに、その病院をは減らしてきたこれまでの医療政策がもっと深刻に政治に反映されるときがきているのではにかと思えます。デルタ株が蔓延している最中、酸素ステーションやワクチン接種会場を町のどまんかに突然つくったりすることも方法の一つでしょう。大事なことは、自分の住んでいる自治体へのワクチン供給の確保だと思います。




 「パンとサーカス」という言葉を新聞でみつけた。SNSでもその言葉が話題になっているという。その中味は、権力者が政治に対する批判精神を忘れさせるための方法として出てきた言葉だそうです。パンは生活の糧を、サーカスは政治への批判を忘れさせるための娯楽をということだそうです。
 現在、それにあてはめるのは「パン」は何千食、放棄された選手村の弁当。「サーカス」は東京五輪とパラリンピックとなるのでしょうか。

 いずれにせよ、国民の政治に対する批判を政治家からそらせる方法なのでしょうか。
 現在はコロナウイルスのデルタ株が全国に蔓延して「緊急事態宣言」もさらに拡大される状況。病院も逼迫・・・と。国民の不安はつのるばかりです。「東京五輪・パラリンピックを中止に」という声も聞こえてきました。そんな中の強行開催には政治家(与党)に対する批判は多いはずです。たよりない野党勢力の一分の反抗。その結果が横浜市長選の結果なのでしょう。さらには、小田急線での人を平気で殺そうとする傷害事件。日常生活のなかにもその不安はひきつがれてくるようになってきました。ますます、「安心・安全」な場所が失われる日々を感じてしまいます。

 オリンピック選手、パラリンピックの選手もそんな中、自分のこれまでの練習の結果を出そうと必死に活躍していました。とくにパラリンピックの肢体不自由ななか、それを感じさせないほどの活躍をみせてくれます。政治家にとっては「サーカス」なのでしょうが、見る人にとってはその活躍ぶりは神のようです。
 「すごい、すばらしい」と素直に思えるのです。不自由な体でも活躍をみるたびに人間として尊厳(リスペクト)さえ思い浮かびます。
 いま政治家(与党)の政治家に足らないものはこの尊厳なのでしょうか。
 誰にでも、他への尊厳が足りなければ、自暴自棄になってしまうかもしれません。為政者がの権力を保持するために、私たちにサーカスを見せてられるほど、何も持たない人になってしまう。そこで、相手を傷つけることで自分の立場を保持してしまうこともあるかもしれません。それが、電車内で暴れたり、硫酸を他人にぶちまけたり、と方法がでてくるということも今の社会の一分になってしまっているのかもしれません。
 

 今週、今年2回目のアルバイトの更新をする。3ヵ月も経ったおもうと早いものだと思う。これまで、契約書には休みに規程などの不備が多かった。有給休暇のあり方も、正規社員とは違うのは(時間給休暇)なぜだろうと質問をしたことがあった。返ってきたことは「例がない」とのお役所返答にはあきれたこともあった。
 コロナ禍のなかいちばん被害を受けているのは、非正規やアルバイトの就業への補償だろう。とくに飲食業のアルバイト。緊急事態宣言で開店時間が制限されるなか、アルバイトはなかうなったりするともきく。あまりニュースにもならない。
 ウーバーイーツなどのアルバイトはひどいときく。けがをしても労災がないという。いったい、どういう仕組みになっているのだろうか。
 本来、働いて賃金を得ていれば労働者。その労働者がけがをしたら雇い主が補償する必要があるのではないか。そのための保険だろう・・・。
 なにか法律的に抜け道があるのだろう。そんな仕組みを見て見ぬふりをしているのも政治の責任なのだろうなあ、と思う。
 私の身分は現在は契約はパートさんと同じ条件で働いているが、これがコロナに感染したら契約期間の補償してくれるのだろうか・・・フト思う。
 
 

最近、コロナ感染ということが身じかに聞くようになってきた。
 「とうとう来たか」という思いを持った週だった。
 一つに、仕事先のお客さんが「濃厚接触で病院へPCR検査をしにきてます」との電話があった。そのために、仕事の段取りが変わるとの内容。もう一つは、理事会の予定が、管理会社でコロナ感染者がでてこちらも「濃厚接触者」で「今月の理事会は中止にして来月にしてほしい」とのことだった。
 ワクチン接種が二度済んだと思って安心するのは、都会に住む人間にとっては免罪符になってはいないのだろう。ただ、とりあえず「安心」する材料に過ぎないのでは思う。実際は、ワクチン二度接種しても感染する人もいるともいう。

 いったいいつになったら収束するのだろう? と日々思うことだらけ。
 実際、通勤電車では「三密」は忘れ去られたかのように当たり前になっている。さすがにマスクは99.9パーセント着けている日常になっているが、これも安心の材料にすぎないのだろう。
 安心の材料といえば、数すくない他人との接触のなかでその人のよさやいやらいさに気づくこと。そんな人間関係をつくっていくのは難しくなっている時だと思う。
 今週はこんなところ・・・。
 最後に、世の中広いようでせまいものだ。妻が難病で以前入院していた病室に一緒にいた人に松本美恵子さん(東京都立多摩総合医療センター)とう人がパラリンピックの「車いすフェンシング」の代表選手になっていた。市報にのってびっくりしてしまった。メダルをねらえるほどではないのだが、ここまで頑張った彼女はすごいなあ、お思う。応戦したいが無観客であるし、テレビでがメダル獲得選手ばかりの放送でとうとう最後までみることが出来なかった。開会式で車椅子にのった姿をみて感動したものだ。それだけで残念に思う。負けても勝ってもその勇姿を見たかった。

 今週はこの辺で失礼します。
 来週はもう9月です。少しは涼しくなりといいのですが・・・。
 では今週はこの辺で失礼します。
 読んでくれた人、ありがとうございました。
 

 

コロナ感染拡大・・・大雨注意報! さんざんな盆休みでした。

2021年08月15日 | Weblog
こんにちは。
 毎日、雨が降り続いています。
 いつもであれば、いまごろは帰省をしたり、墓参りをしたりと夏の風物詩を体感しているころなのでしょうか。昨年は高校野球も中止であったりしていても、どこかで気が紛れていたのだと思います。

 さて、今年は天気の悪い日々をおくっていくなか、コロナ感染も増えていくなか心配な夏になっていました。連日、都内では連日の感染者は5000人超えです。いったいどうなっているのだろうかと思います。そんなんかで、病院は逼迫という形がつくられ、もし、感染したとき、命の「安心・安全」に不安が増えるばかり、というのところが正直なところです。ますます、「命を守る政治」という言葉が重く現実になっていくようにも思えます。
 今年は、東京五輪もあり、その中での人の移動がウイルスが感染拡大に拍車をかけたということはあると思います。終わってしまえば、引き戻すことはできないのですが、やはり東京五輪はやるべきではなかったのではつくづく思います。


 65年目の夏です。日本にとっては戦後76年でもある。
 今年の夏は、西日本、東日本、集中豪雨により「経験したことがない」の連発が多く聞かれた夏だったようだった。この欄を書いている時でも、土砂災害、川の氾濫など事故のニュースは連日報告されていた。ここ何年かの雨は、必ず被害をつくって去っていくことも特徴だろう。雨がふるたびに「警報」が告げられ、災害が引き起こされた。せまくりくる大水になすすべもないなか、ひたすら避難をしている。それでも、避難にまにあえばよいが、遅れてしまえば生命の危険さえある。

 そういえば、こんな状態は日本だけではないようだ。
 今年7月末に起きた、ドイツ、ベルギーで起きた220人が亡くなった大洪水が記憶に新しい。これまの災害もあったが、それぞれ注意して土のうなどを用意していたものの、洪水はそれ以上のものだったという。激しい降雨が前例のない規模になり住民の意識も警告が重く受け止められていなかったことが原因にあるようだ。そして、ドイツの社会学者・マルティ・フォス教授いわく「ドイツは、日本のような自然災害に対応する文化がなかった」(毎日8月13日)といっている。

 それを読んで「自然災害に対応する文化」があったのは、数十年前だろうと思えた。いまや、科学技術によって災害は少なくなっているというのがあるのも事実だろう。しかし、ほんとうにそれは、科学技術の幻想があるのではないかと思えた。現実の自然災害は人間の想像をあはるかに超えた中にあると思えるのが、ここ何年かの被害の大きさだと思う。事実、福島第一原発の津波による原発建屋爆発など、人間の知恵をつくしたところで、自然はその先々まで破壊しうるエネルギーがあることは承知のところだろう。
 いまや、地球規模で災害のないところが消えつつあることは目の前の現実が警告している事実であるのだろう。「世界の平均気温が19世紀後半の平均から1.1度上昇した。EUの試算によると、気温上昇が3度上昇に達した場合、域内の経済損出は少なくとも年1700億ユーロに達するという(同8月13日)。
 
 一方、自分が住んでいる都内を見わたせば、こちらでは新型コロナウイルス感染が増大していた。こちらも「経験したことがない」感染状況だ。お盆の時期で人の移動が活発になっているとはいえ、毎日数字が増え続けることに怖さを感じてしまう。政府がこんな状況のなかでも、東京五輪を実施したことを考えれば、国民に自粛しろといっても「オカシイダロー」となってしまうのは本音だと思う。やることが逆で、「五輪も中止するほどだから自粛に協力してください」だろうと思えた。やっぱり、パラリンピックも中止するべきだなーと思う。もっとやるべきことがあるのではないのかと思う。いまは、感動するための「命を守る」ことが優先させることだろうと思うのだが・・・。

 そんなことを思いながら、冷たい雨の中盆休みが終わっていく。



 なんとも寂しい盆休みであった。自粛しているつもりはないけれど、雨が降り、豪雨氾濫、コロナ感染者最高数・・・などというニュースなどと聞きながら過ごしていると、こんなときどんなことをすればいいのだろか。
 傘をさしながら近所を散策する日々だったようだった。
 プロ野球やJリーグが始まったようだ。プロは生活があるから仕方がない。これが仕事だから、と思いながら見ている。
 「緊急事態宣言」がまだまだ続いているなか、政府の対策もあまり期待できないなか、コロナ感染者は犠牲者になっていくようになってくる。人災なのかもしれない。
 今年は、ゆっくりと甲子園での野球観戦を楽しみにしていた。だが、ほとんどが雨で「中止・順延」という形になってしまった。雨の中、田んぼのようになった甲子園球場に無常に降り続いた。
 そんななかで、甲子園出場校の選手の中にも感染者が出てきた。けっきょく、その高校は出場を辞退した。これまで暑いなか猛練習をしてきて、一瞬のうちに感染してしまい「夢かなえず」として去っていくのだろう。それこそ、東京五輪やパラリンピックを中止して、甲子園に感染予防を徹底させていたら、辞退することもなかったのかもしれない。
 東京五輪・パラリンピックはまさに「国策」として、高校野球よりはハードルを高くしていたのだろう思う。自国の高校生の夢をコロナ感染という事態で終わりにしてしまった代表校は無念だったろうと思う。
 とはいえ、五輪後ますます増え続ける感染者数。「原因は五輪ではないか」ということは暗黙了解なのかもしれない。なによりもその「暗黙了解」がいちばん怖い形であるように思えた夏だった。

 読んでくれた方、ありがとうございました。
 今週はこれで失礼します。悲しい盆やすみでした。

東京五輪、祭りのあとに・・・

2021年08月08日 | Weblog
 こんにちは。
 毎日暑い日が続きました。まさに熱射の日々でもありました。今日は台風の影響で朝から雨です。雨音のなかで久しぶりの涼をとっている状況です。それでも、この雨がいつ災害の雨になってしまうのか心配の多い休日でもあります。
 毎朝、通勤途中で見かけていたツバメの子育ての様子も終わったようで、いまは空になった巣だけが残っていました。
 今年は昨年よりは巣を見かけることがすくなかったようになりました。今年は一つだけでした。
 今年は、東京五輪のロードレースの競技スタート地点でもあったためか競技場付近がきれいになったためでしょうか、これまでの景色が消えてしまいました。そのおかげでツバメの巣作りも少なかったようになったのでしょう。


 連日オリンピックで盛りあがっていた。コロナ禍でのオリンピックはどうかな? と思っていたが、始まってしまえば案の上、一瞬でもコロナのことは忘れているようだ。メダル、メダルの応援団の声がどれだけ届いているのは疑問だがメダルがけっこう多い。日本五輪史上の多い獲得数だという。だが、一方で都内の感染者もケタ違いの多くなったのも今週でもある。メダルの獲得数と比例してありがたくない感染者数がうなぎのぼりに増えている。今週、感染者数は5000人を超えた状態となった。予想では五輪が終わるころはこの倍だと言う声もある。このようすでは、病院は逼迫するどころか、パニックになってしまうかもしれない。もっと、強くいえば政治に命さえも奪われるかもしれないと思えてしまう。「安心・安全」どころではなく、ますます「危険」にむかっているのではないかとさえ思えてくる。土曜日の新聞には、日本の感染者は100万人を超えたともあった。

いったいどうなったのだろうか思う。
この状態を重くみた政府の田村憲久厚労相は感染による入院対象者を中等症は自宅でからと言っていたが「原則入院に。重症リスクの低い人が在宅なる」と言いかえていた。さらにこれまでの5県(北海道、京都、福岡、兵庫、石川)に加え、福島、茨木、栃木、群馬、静岡、愛知、滋賀、熊本の8件を「まん延防止重点措置」に決めた。そして、最近、コロナ感染にストレートに発するようにった尾身会長は「全国に緊急事態宣言を出した方がいいという意見があったことを述べた。歯止めがかからなくなったら『ックダウン』都市封鎖)の法制化を討論しなければならなくなる」と警告していた。

 こんななかでも東京五輪が開催された。なんと強引なことをしてくれる、と思っていた。誰もがこんな時期に開催することに疑問を持ったことだと思う。それが「五輪開催反対・中止」という声で表れた大会でもあった。
 前回の大会は誰もが歓迎できる大会だったのに対して、今回はそれぞれの声が交わった大会になったように思う。そして、わかったことは、オリンピックでさえ政治の道具になっていた事実だろうと思う。
 命を削ってまでやることではないだろうとも思った。いつにまにか国民の意向など無視されていったオリンピックでもあったということなのだろうと思う。その結果、オリンピックではコロナ感染は増え続けている。国民の感染を犠牲につきすすむ商業主義のオリンピック・・・。なにか銃撃戦はないものの、戦争への道筋に似てはいないかと思った。そんな中、少しずつ国民の生活は医療同様にひっ迫していっている。
 今、命さえも一部の利益誘導の流れの中に奪われようとしているのではないかとつくずく思えた五輪であった。

 これで本当にパラリンピックなどできるのと思うばかりである。
 

 オリンピックの競技を見ていると、選手の一生懸命さには感動する。ただ、その感動をどう生かすのか、という先が見えないのが現実だろう。感動のあたえてくれる選手にはゴールがあるからだ。でも、いまのコロナにはゴールさえもないような日々が続いている。政治もそのゴールにむかうべき方向さえも示していない。ゴールを示さない政治では「がんばろう」などと気持ちも失せる。

 「緊急事態宣言」は拡大するばかり。その原因は人の移動。そのことがいちばんわかったのは今回の東京五輪であったことが実感できた。そして、宣言の内容が、都内どこへいっても聞こえるようになった。「緊急事態宣言で・・・」とのアナウンスが一日一度は聞こえてきた。
 それが理由にますます、暮らしが苦しくなっていく。そんな現実は宣言の中では聞こえてはこない。それぞれの個人への判断でまかされている。
 
 毎日アルバイトに通う電車のホーム。ワクチン接種できたとしても、正直いつどこで感染するのかはわからない。ただ言えるのは、人がたくさんいるところは避けた方がいいという暗示と、手洗いなどの日常くらしかいない。それさえも無駄にしようとしている今の流れは、考えた方がいいように思えた。
 

 いまごろはおお盆の前の帰省気分で楽しくもあった。しかし、今年もそのことが消えた。なんせ、政府みずから「お盆の帰省へ自粛」を求めているからだ。今のコロナ感染の状況を考えると仕方がないのかな・・・とも思う。いまできることはそれくらい、と思うしかないのだろう。
 しかし、あきれることは、そんな状況を政府とIOCがつくっているからではないかと思う。政府というより、それを支える富裕層がためにだろう。
 今回のオリンピックで選手のなかでもコロナの「陽性者」が多く出たという。そのために競技をあきらめてしまう人もいる。これはあきらかに「アスリートの健康」をないがしろにしているIOCの責任でもある。
 
 ふり返れば、2013年「復興五輪」に招致活動し、原発の「アンダーコントロール」発言、「おもてなし」。さらには「人類がウイルスに打ち勝った証として・・・」等など、どれも不透明で未解決であるにもかかわらず始まって終わる。
 そして、差別発言、演出者の辞職。まさに「東京五輪黒歴史」をつくりあげた大会だったように思えます。それでも、頑張って五輪を支えた人びとの努力にどれだけ、これから援助がでくるのだろうかと思います。
 それができれば、これまのオリンピックが終わるような気がします。
 とはいえ、これまでの疑問がどれだけ解決されようとしているのか、さきは見えません。
 今回の五輪は、「これまでのオリンピックの終わりと、始まり」であってほしい気がしました。
 
 久しぶりに更新しました。更新した内容はどれもグチばかりだった。こんなことばかりを思うオリンピック期間はこれまでの人生のオリンピック観戦では史上初でした。
 今回、日本のメダルの多さ史上初なのに、最悪の国内感染数が史上初の多さがあった。なんとも素直になれない話だなと思う。
 やっとコロナと五輪の喧騒のなかお盆をむかえようとしています。すこしはいいことがあったかと見わたせば、和歌山の友だちが夏野菜をいっぱい送ってくれました。箱を開けた瞬間、それぞれの野菜のにおいがしました。夏が始まったなーと思いました。わたしが愚痴っているころ、小さな農園で野菜をつくっている友のことが頭に浮かびました。日々、黙々と働いている人たちが頭に浮かびます。

 今年のお盆ももうすぐです。
 昨年同様、昨年以上にスゴモリ生活になるのだろうか。
 読んでくれた人、ありがとうございました。