日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

今年最後の大ショック!! 1年間愛読ありがとうございました!!

2019年11月24日 | Weblog

こんにちは。お元気ですか。

さすがに雨がふると冷たさを感じる季節となってきました。今年もあとわずかというところです。街路樹の葉も紅葉して、一年を静かに終えようとしています。これからもっと寒くなると思うと気がふさぎます。寒い、眠い、遠い、混雑・・・の通勤を想像するとちょっと「つらいなあ」と思えてきますよ。それでも、職場についてしまえば仕事のなかで、数少ないつながりにホッとする日々です。今年は忘年会があるのだろうかー。昨年はなかったようです。一年に一度くらい職場全員で一堂の忘年会もいいと思いますが・・・。

 さて、今週はやっとぼくにとってのいちばん忙しい週が終わりました。これから2週間ぐらいはゆっくりと仕事ができるのでしょうか。それでも師走、何かと忙しく気忙しい月にはいることになりますか。

 読者おみなさま、今年一年間はいかがでしたか。ぼくの方は年齢もありますが仕事でお世話になってなっていた知人が二人亡くなりました。そう思うと、誰にもいつどこで亡くなるか誰にも分からないものなのでしょうかね。そんな思いをもちながら11月も終えていきます。最近では「喪中」の葉書もきていました。それだけ、齢を重ねたということでしょう。

 

 はや63年目の12月をむかえようとしている。職場ではいつの間にかいちばんジジイになってしまったようだ。最近では、趣味のことや身近なことを話す人も少なくなっていることにつくずく感じるこのごろである。紅葉して枯葉の落ちているようすをみたりしていると人生早いなあーと思う。

 思えば30年前は、今日があるということも想像しただろうか。

 毎日がそれは楽しかったせいもあったからだろう。自分の行動するところではいつも何かが変化し続けていた気もした。悪かろうとも、それを跳ね返す気持ちのバネがあったと思う。それが、政治であれ仕事であれ、日々のなかに「日進月歩」を感じていたのだろうと思う。自分の主張がすこしでも何かをつくりだして、明日という日がまた変化していくような毎日だったようだ。

 早すぎると思うのは、いまがそれほど充実していない証拠だろう。65歳まで再雇用されて働いて、日々の変化もないし、労働条件などの話もなくなった。これが「働き方改革」の現実なのだろうかと思う日々である。いったい、何がかわろうとしているのだろうか。いちばん身近な働くことさえ変えようとしない現実で何が改革だと思う。変わったと思うのは昔より何もかもがずっと悪くなったことだけだろう。例えば、日常いちばん感じる会話(コミュニケーション)ができない、しないこと。当たり前のことが言いずらくなってきていること。そして、世の中が、ますます弱者へ重荷を背負わせるような日常が増えてきたことをつくずく感じる日々となった。オイルショック、バブル経済・・・。その結果が今日だろうか。それだけではないだろう。

 それでも生きていくことで何かがある・・・と思える日々がきっとくるのだろうと思える人とのつながりを求めていること間違いない。だから、笑い、涙があるのだろう。そんな日々を求めてまた始まるのだろう。とりあえず自分のやりたいことを、やるべきことを日々のなかで考えて行動していくなかでしか生まれないことは確かなことであるのだろう。

 63回目の師走がもう少しで来る。

 今月はお休みします。

 年末調整の書類を書いて提出したあとに、契約している保険会社の人が新任あいさつにやってきた。これまで、契約している保険会社の担当者は3代目である。昔、契約を担当した人は亡くなっているかもしれない。2代目は、最近定年退職したそうだ。そして3代目がやってきた。これまでの契約の確認とこれからのことを話していただいた。

 ところが話を聞いているうちに、最初に契約した人と話が違ってきていた。これまで聞いていた「65歳で満期契約で後には年金の一部のようにお支払いします」が「万が一、亡くなったら・・・お支払い」になっていた。さらには、一部掛け捨ての保険もあった。「ありゃーこれ最初に聞いた話と違う」というと「契約では」といい始めて、結局「万が一、亡くなったら」になっていた。そんなことは、これまで前任者からきいたことがなかった(聞かないぼくが悪いのか)。それでも、契約ので訪問したときにそんなことも言って欲しかった。それが全然なかったのは悔やまれて仕方がない。

 ぼくもいい加減だったが、担当者のいい加減さにもあきれてしまった。少なくとも他人のお金をあずかる人はもっと丁寧に詳細を教えるべきではないかと思う。とはいえ、最近の「桜を見る会」でさえ、税金で会を実施しているわりに詳細は闇の中状態などニュースできくと同じような気さえしてきた。「時の首相でさえやっていることだから・・・」と聞こえてきそうな気がした。

 そんなこんなで解約にしようと思った。トホホ・・・である。これが、今年一番の大ショック!!である。

 

 いやな11月である。こんなにも自分の契約した保険がいい加減に話されていたことには残念です。これも時代の流れ?

 これからのことを考えていこうかと思う日々である。12月はもうすぐです。巷では冬のボーナスとか忘年会とか何かとうれしいことばかりである。これらはぼくにとっては無関係なことのように思えてしまう11月でした。本当は、一緒に働いているのであれば必要なことなのだろうけれでもね。

 今月はこれで終わります。来月はいつもの通り、1カ月仕事の関係で休みます。

 読者のみなさまにとって楽しい師走と希望の多い新年を迎えてっください。

 読んでくれた人、一年間ありがとうございました。


寒い日々が身にも、懐にもしみるー日々になってきました。

2019年11月17日 | Weblog

 

 こんにちは。毎日が一直線に冬にむかっているようです。寒さも日ごとにましてきました。関東地方では「木枯らし1号」が吹いたとか吹かないとか、あるいはその基準はとかいっていますが、私の体に感じる風は毎日が木枯らし1号は通りすぎているように感じます。自称、寒さの苦手人間としては、この時期さえ「あむーい」とつぶやく日々なのです。ミノムシでもなって、暖をとりたい気持ちです。

 さて、今週は「桜をみる会」が話題になっていました。「一年に一度くらい春の桜の下で花見もいいのでは・・・」と思うのが人情ってものでしょう。それは、落語の「長屋の花見」状態の庶民のなかにあっては許されるようなことかもしれません。ことは、時の首相(権力者)のことになるとちがってくるのも当然だと思います。まして、その費用は税金だとなればちがいます。片や日々の生活に窮屈であっても働いていれば自動的に税金が納めれている中の一部をつかってのことです。飲んで食べて、語らってが全額税金で行なわれいると思うと頭にきます。

 とはいえ、他人のお金を使うのが政治家の仕事、といえばそれまでです。それも、税金という国家の仕組みのなかの税金というお金です。うまく使えば、人びとの生活がもう少しよくなることがあるかもしれません。台風19ごうで今でも生活が困難の状態にある人たちにあるは、少子高齢化でもがんばって子どもを育て働いている人たちへの支援金とかにうまく回すことを考え行動すれば税金も生きてくるのでしょう。今回の「桜を見る会」では、自分たちへの支持をしてくれる人たちだけになっていたようです。ただでさえ集まった人たちの顔ぶれをみれば、みんな富裕層みたいに見えます。ひとこと「今、必要なのはちがうだろー」でしょうか。まさの「私利私欲」が千里を走っているような状態が今の政治だろうと思えます(文句ばかりですが・・・)。

 そしてそれを野党が追及する・・・。とはいっても首相みずから「来年は中止」の一声で終わってしまうのでしょうか。だいたい今、国会の中心話題すら不明なように見える中、なにか何でもはぐらかされているようにも思えます。これが、今の政権の戦術なのでしょうか。

 

 

 長いあいだ(ここ十数年)休日のたびに多摩川沿いが散歩道になっている。サイクリングロードもあり、軽装でロードバイクをさっそうととばしている人たちのすがたも多く見かけます。一時は私もロードバイクでも買って、休みの日にはサイクリングでも思っていました。ところが、齢をかさなていくなかで、そんなにスピードばかり追求する年じゃあるまいと思うようになりました。あの蒲団にねたらどんなに気持ちのいいことだろうと・・・。

 川を見わたせば、年中止まることがない流れに山のありがたみを感じます。多摩川の源流は小さな水滴からはじまり、小川があり、滝がありとここまで来るまでながい時間のながれのなかで川ができていることにも感心します。昔はもっと水がきれいで漁場にもなっていたのでしょう。

 のんびりと2時間ばかり歩いていると見えてくる景色もいいのですが、同じように生活する景色をみることが楽しくなっています。上を見上げれば、天気のいい日はとても気持ちのよさそうに蒲団や洗濯ものが風に吹かれています。きっと私自身も太陽に干され気持ちの整理が知らず知らずにできている多摩川の散歩道になっていることなのでしょう。正直なところ、今はスピードを追いかけるよりのんびりと人間の生きようを暮らしようを思いながら歩くことが多い日々がいちばん気にいっている。

 

 

 いつの間にか労働組合員がむかしの3分の1位まで減ったいた。労働組合の責任者に今の人数を尋ねたことがある。私が労働組合員の時代はたくさんの組合の人たちで季節を強く感じていた。春闘、夏季一時金闘争、秋闘、年末一時金闘争という一年間の流れの中に季節の変わり目も感じるほどたった。そしてその時期が近づくと、その話で多くの人たちの声も聞いた。話し合いもした。

 再雇用となってからがその季節の中からはカヤの外となった。誰がどう決めたのか「再雇用者への一時金はない」という内容。「働き方かた改革」という題目をきくがそんな事実は「非正規」や「再雇用者」にはないらしい。これはいったいどういうことなのだろうかと思うことがある。

 現実にいまのところは「働き方改革」は無関係の状態。本当は違うのだろう。そもそもこれは、少子高齢化で働く人を少しでも増やそうとした結果にでてきた方法なのだろう。それならば、これまでの賃金なども同じようにすべきだろうと思う。働くことは同じで、賃金が違うとなれば本当に収奪ではないのか・・・。

 年末一時金がだれでも働くことが同じであれば保障すべきことではないのかと思うが、いつになったらこのことがテーマとなるのだろうか。私がいる間は無理だろうか。自分のことは頑張るが他人のことはかまってられないというのが現実なのはわかっているが。何か始めるときがきたのでしょうか。

 今月も毎月同じようにバタバタと仕事に追いかけれている。月刊誌と関係するようになって5年ほどになる。「しめ切り」という言葉と時間とにらめっこしている月末。表紙の色は写真は・・・と悩んでいるなかでそれでもどうにか終わっていく。ときどき図書館に行って雑誌本棚に置かれた自分が少し手をかけた月刊誌を見ていると「今月は手をぬいたなー」と思うころがまざまざとわかる。他の雑誌とはちがうほど「手抜き度」が見えてしまうから悲しい。それでも「今月は」と気張り、日々送っているうちに終わるというような日々が続いている。

 今年この月刊誌の編集長や依頼していたジャーナリストの人が亡くなったことを思い出した。それぞれ超個性的な人たちでよく日夜労をいとわず働いて人だったことを思い出す。これほど働くと「長生きは無理だろう」といつも思っていたが、あんのじょう早死にだった。これも生きかたのだろうと、自分に言い聞かせる日々でもある。彼らの思いが少しでもつながっていくことを考えながら、今年最後の月刊誌となるだろうと思いはながら締め切りという言葉にムチに打たれている。痛いなあー。

 まだラグビー熱がくすぶっている。テレビ番組などではオフとなった選手たちがバラエティー番組に出演しているのを見るにつけ休めばいいのに・・・と思っている。もう、来年の1月から公式戦が始まろうとしていることを考えると十分休んだほうがいいのにと。今年、ワールドカップもあって人気が出たラグビースポーツだが、ブームだけに終わって欲しくないものだ。外国人が一緒にやって強くしてくれるのもいいが日本人の活躍もみたいのだ。ラグビーの面白いなあ、と思った理由である「自分の住んでいるところ」であれば、出場条件がゆるいことである。この国のこの人たちと一緒にプレーしたいと思えばできるスポーツということ。「侍ジャパン」などと固いことをいわなくて、誰でもどこでも頑張ればラグビーができるし、代表選手にもなれるという形が好きになった。だから世界中のラグビー好きが現れてくれるのかも楽しいスポーツだといえるのだと思う。日本人もうかうかしていられないスポーツがいい。この時期を熱狂的に好きになった「燃えつき人」の娘が会員になったようだ。そのメリットをいかして、来年のトップリーグのチケットを予約してもらた。来年の試合が楽しみでもある。南アフリカ代表のデクラーク選手はどこで頑張っているのだろうか。いい選手だなーと思う。

 年末調整の書類がやっと出来上がりました。こんなことしても、微々たるものですがね。

 今月末は休みをとって、紅葉をみに山に歩きにいけたら・・・と思います。

 かぜがはやり始めたらしいですね。天気がいいのはいいがかぜには気をつけたい。

 読者のみなさまもご自愛ください。それでは今月はこの辺で・・・。

 読んでくれた人、ありがとうございました。


寒さ、ますますきびしくなります・・・

2019年11月10日 | Weblog

 こんにちは。お元気ですか・・・。

 寒さも日一日と増してくる毎日です。天気も乾燥しながらゆっくり晴れ間をみせます。今年も最終コーナーにはったことが来たと感じる日々です。散歩をする道にも紅葉し、枯葉を落とし軽くなった身になって、休眠にはいる準備をしています。通勤でも厚着の洋服で満員という混雑さも息苦しさもつくっているようです。とはいうものの、最近こんな季節でも昼間はとても暑く感じることもあります。薄着の若者をみると、寒さはまだまだなのおあなーと思います。

 これは、あの法務大臣(河合克行法相)のことでしょう。今年7月参院選で広島3区から立候補した妻の案里参院議員が公職選挙法違反疑惑報道(週刊文春)後のことでした。その疑惑の責任をとって、夫が法務大臣を辞任をしたことの川柳なのでしょう。辞任理由は「法務行政への国民の信頼が損なわれてしまってはならない」と。とはいえ、まず、辞めるべきは妻のほうだろう。今のところ、この妻の動向はきかれていない。いったいちゃんと説明責任をとるのだろうか。それにしても、国会議員が公職選挙法を知らないわけはあるまい。しかもそれを無視して選挙運動をやっていたのだからあきれてしまう。そして、その違反である選挙運動を誰もが言わない選挙とはいったいどんな政治になっていくのだろうか、と思うとひどいものだと思う。そのことを有権者は知らないわけであるから、有権者への裏切りでもある。

 

 日本の大学進学率はほぼ5割以上は大学に進学する時代。さらに、少子高齢化でますます大学の経営は厳しさをましていることは報道されている。それに伴う受験産業の利益も少しずつ斜陽化してるように見える。受験生が大学に入るためには、いくつもの難関を突破してはいる仕組みは昔からあったのだろうが、年々複雑になっていくように思える。昔は、受験といえ答案用紙に筆記していればよかった。ところがいつの間にか英語のリスニングが取り入れられ「聞く英語」の受験が導入されていた。さらには、受験するための免罪符のような「共通テスト」でふるいにかけれらた。年々、受験が複雑になっていったようだ。今回の「英語民間検定試験」は、受験会場での英語リスニング試験をやめ、それぞれの受験者が指定された英語専門学校での検定試験をするテストする、というやり方なのだろう。今回はとりあえず英語だけということだった。ところが、これが運転免許の講習所みたいに近所にあるわけではない。なければ交通費を使い、さらには講習代も払いと、相当に経済的に余裕がなければ難しいことになる。それい輪をかけるように今回の文科相の「身の丈」発言。けっきょく、貧しいものは受験が困難になることが軽く見られたようだ。これで憲法が保障する「教育の機会均等」が軽んじられてはいないか・・・ということが問題になったのだろう。

 よくよく考えてみれば、いかに「教育産業」を儲けさせるかが、受験生のことよりも先にきている共通テストの在りかたが問題になったのだろうと思う。「復興産業」とか、弱者をいかに負担を少なくして暮らせるようにするのかが政治の大原則が少しずつくずれてきていはいないか・・・などと思うニュースが多くなっているように思う。

 ラグビーワールドカップの「にわかファン」と同じように「にわか政治ファン」が多くなればいいと思うのだが、この辺はそれぞれの利害の思惑もあり難しいのだろうか。それでも、「原則として弱者への政治」ということを考えればいいのではないのあだろうか。なぜなら誰でもいずれは高齢化になり人の世話になることが多くなるいう法則は等しく持っているように思えるのだから・・・。

 

「帰り道で」

ラグビーワールドカップの帰り道

世界のざわめき 世界の吐息

スタジアムは地球のなかの小さな地域

歓声をききながら 耳に余韻がまわっている

勝者のコグラチレーション語り

敗者はアリガトウと語り

地球は廻る 

妻との帰り道にたくさんの応援の外国人

こんなにも多くの人類が共存していることがスタジアムで感じた日だった

迷子にならないように日本人の私たちはこれからも進めるのだろうか

世界のざわめきが 世界の吐息が

今日を動かして進む

 

 

 散歩の途中。参道ではたくさんの七五三の親子をみかけた一日だった。もうそんなじきかな・・・と思う。みんなお御殿様かお姫様のような子どもたちを多くみかけた日だった。

 ぼくが昭和の子どもの頃は神社で見かけた七五三の子と、今も同じような着物をきていたのを見かけたことを思い出しした。遊んでいるなかに、親と一緒にいたあの時の子どもはとても大人ぶって見えたものだった。静かにすまして、親に手をひかれ神社を通り抜けていく子どもが、いつもと違うようにも見えたのだった。遊んでいるぼくたちに、赤飯やみかんなどの食べ物をふるまってくれた。汚れた手のひらにのった赤飯が固くて冷たくてもおいしかった思い出がある。

 今日みた子どもたちは、ずっと子どもたちに見えた。なにか昭和の時代みたあのときの子どもとは違う子どものように見えた。時代がそうさせたのだろうか。それとも神社がそう見せたのだろうか・・・。

 東京に住んで40年近くなるが、神社で子どもの姿を見かけたのは『男はつらいよ』の映画で柴又帝釈天で遊ぶ、元ちゃん子どもの姿くらいだった。それにしても見ることが少ないと感じたのはぼくだけだろうか。昭和の時代、田舎の神社は子どもたちでいっぱいだったような気がする。かくれんぼや野球、なわとびなど男も女もいっぱいいたように思う。夏はラジオ体操の集合場所でもあり、なんにつけ子どもの広場ったように思う。ゆいいつ子どもが自由に走り回れる空間であったようにも思う。東京ではそれがあまりにない。きっと、本当の都会の子どもたちではなくて移動してきた人たちだからどうと思う。いつの間にか都会は移民の町になっているのだろう。それは、好きで来たのではなく働くことを優先した大人たちの選択の結果なのだろうと思う。

 今では日本人にかぎらず外国人まで東京に移民するじだいである。ならば、神社はますます子どもから距離をおいて行くことだろう。だから、神輿をかつぐ氏子も少なくなってきたわけだということも理解できる。

 

 影がだんだんと長くなってきましたね。影をみる時間も短くなってきました。つい、この間までラグビーワールドカップで騒いでいた暑い月日がなつかしくなってきます。それにしても、今年くらラグビーを思いっきりみた年はないでしょうね。これまで、知人にさそわれ、秩父宮に社会人や学生のラグビーの試合を見に行ったこともありましあたが、あの時とは全然違う興奮でした。これも、プレーの緊張感がつくるのでしょうか。選手の眼つきや動きも80分間競技場いっぱい走り回るすごさを感じた年でした。そして、顔中血だらけになっても痛い顔もみせずもくもく試合に打ち込む選手のひたむきさに感動していたのだろうと思います。国内リーグとの違いといえばそういうところではなかったのではないのでしょうか。来年からトップリーグが始まりそうです。新年早々の試合を見に行ったら、この余韻がどれだけ残っているのか楽しみにも思えますが・・・。

  はやいものでもう「年末調整」が配られました。毎年のこととはいえ、昨年と記入の仕方が違うようです。めんどうな作業です。こんなことをしても返ってくるのは「すずめの涙」ほどです。とはいえ、貧しい身なので記入して提出しないと・・・と思います。それより、毎月の賃金の少なさといったら・・・。年末一時金も出ないということもあり、無常の年末です。

 来週からちょっと忙しくなりそうです。「焦らず」と自分に言い聞かせなかがらはじまりそうです。天気が続き、乾燥していて再びカゼをひかにようにしないといけません。先週はさんざんでししたので、反省していきたいと思います。マスクは必需品です。

 いつになったら秋の紅葉を見に山歩きにいけることやら・・・トホホ。

 それでは今週はこの辺で、失礼します。読んでくれた人、ありがとうございました。


寒さと、混雑でカゼをひいたようです。

2019年11月03日 | Weblog

 こんにちは。寒くなりました。

 今週はいろいろとあったと思います。法務大臣のつれあいが参議院選挙で公職選挙法違反の疑いで大臣を辞任したとか、東京五輪のマラソンと競歩が札幌にきまったとか、政治やスポーツでなんともにぎやかな一週間でした。いったい、この国の政治家はどうなっているのでしょうか。

 選挙違反の議員はやめてもらい、猛暑のマラソンは札幌でいいのではないかと思います。

 

   およそ40日間のラグビーワールドカップは南アフリカの3回目の優勝で幕をおろしました。今回こんなに盛り上がるとは思ってもみなかったですが、ふたをあけたら日本中がとんでもないほどの盛りあがっていました。前回の大会では、南アフリカ戦に勝ったこともその要因があるのでしょう。まさに「奇跡」の勝利に日本中がわいたものでしたが、今回はそれ以上にラグビーというスポーツがおもしろいものだということを外国の代表選手とともに見せていたようにも思いました。

 昔、いまは亡き知人がラグビーが好きで誘われては東京・秩父宮ラグビー場にいきました。とくに新日鉄釜石の8連覇の強い時代はピークであったように思います。ラグビーの試合もいいのですが、応援する人たちも大漁旗を振って応援する姿には感動したものでした。まさに「おらがまちチーム」という雰囲気が良かったのでしょう。最近では大学生の試合も見にいくこともありましたが、社会人の方が面白かったです。大学生は強いチームは一方的で試合が決まるようでした。

 以前から外国人選手も社会人チームのなかでやっていましたが、日本代表チームにはいってプレーするということが本格的になったのは、最近でしょう。そのことによって、日本代表チームが強くなったと思います。それも、代表チームにはいる条件がゆるやかであることもあるのですが、いちばん大切なこと「自分の住んでいるところでスポーツを楽しむ」といった理念みたいなものがしっかりしてりうからでしょう。要は自分の住んでいる国でがんばって、うまければ誰でも代表選手になる条件はあるということなのでしょう。

 今回これだけの成功した大きな理由は、スポーツの楽しみ方が基本理念あったからでしょうか。そして誰でも頑張れば門戸を広くして待っているスポーツでもあるようい思います。外国人であれ、大きな人、小さい人・・・、それぞれの良さをいかしてスポーツを楽しみ方がラグビーなのでしょうか。ラグビーはスポーツの持つ本来の楽しみ方を教えているようにも思います。

 とはいえ、前後半80分間の死闘そのものスポーツ。体をぶつけ合い切り傷をつくり血だらけになって駆けめぐる選手たちの姿を見て感動はするものの、やることには引くでしょう。それでも、勇気を持って体をぶつけ倒しボールを奪い合いながら勝利をめざすスポーツは他にはないのでしょうね。やっぱり「にわかファン」でいた方がいいに決まっています。まして、齢を重ねて同じことをしていれば必ず再起不能は必然のように思います。

 ラグビーの楽しみ方はしポーツの原点をどこまで追求しているのかが問われるスポーツともいえるのではと思います。「ノーサイド」になったとき、どれだけ走れたのか、チームワークよくできたかなど考えながらみるのもいいかもしれません。一生にわかファンでもいいのです。あれだけの肉弾戦のスポーツ中途半端ではまさに怪我をするもとです。今回多くの子どもたちもラグビーの楽しさを見たでしょう。そして、ラグビーをやろうと思った人もたくさんいました。実際、大人になってもできるかは別問題です。でも、大事なことはそのスポーツの楽しみ方を知ることです。できればプレーできればと思うくらいでいいのでしょうね。

 3連休初日、ラグビー日本代表の凱旋報告をききに市内にいって帰ってきたら、何か喉が痛くなって熱っぽい体になってしました。かぜをひいたようです。連休はほとんど家にいました。知らず知らずのうちに寒さもましてきたこともあったのでしょう。

 ・・・というわけで今回はこの辺で失礼します。

 せっかくの連休なのに残念でした。読者のみなさまもうっかりしているとカゼにかかります。温かくして出かけるようにするといいと思います。なるべく人の多い所はマスクが必需品としておくのもいいです。11月も始まり、年賀状も売り出されていました。はやいもので今年も2カ月ばかりとなってきました。

 今、来年「ウインドウ7」のアップデートが終わるそうです。まことに勝手なことで困ってしまいますが、「ウンドウ10」への移行が必須となっているようです。今でも間に合う「アップデート」を考慮中です。どうやってやればいいのか?・・・ということに頭をかかえているところです。こういう作業は年をとるとめんどうくさくなっていきます。さて、どうするかね。

読んでくれた人、ありがとうございました。