日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

8月も終わり・・・まだまだ続く暑さとコロナ

2020年08月30日 | Weblog

 こんにちは。
 少しずつ、日が短くなってきたようになってきました。日の出、日の入りも少しずつですが秋にむかっているようです。多摩川を散歩すれば、足元からバッタの飛び立ちます。夕暮れには、どこからから秋の虫が鳴いています。自然は世の中がどうであろうと、景色をかえていきます。

 コロナ禍で毎日の通勤はちょっと緊張して季節の景色はマスクだらけの人々の間からは忘れがちになってきました。できるだけ、日々の景色に目をむけるようにしたいものですが、最近はまず「コロナ」というところでしょう。コロナの景色は多くの人たちのマスクの数だけ「危険!」と信号を送っているようにも思えます。身近な場所を歩いてみて、今日はどれほどのマスクの花を見かけたかを記憶にとどめていく日々が続いています。



 8月も終わろうとしているやさきでした。安倍首相が持病の潰瘍性大腸炎が再発し体調不良をおこし、任期満了までやらず首相を辞任したことには驚きましや。これまでの大勢の強行に推し進めてきた法案の反対の声には勝てても、病気には勝てないのだろうなあと思います。さらには、身内の夫婦そろっての選挙違反の河井夫妻、カジノを含む統合型リゾートを巡るIR汚職疑惑の秋元司議員などの難題も残っていました。それに、まだまだ続くであろう新型コロナウイルス感染対策になどが山ほど残っていることも事実です。
 まあー、首相たる仕事は本当に凡人のか考えるほどなまやさしい仕事ではないのだということがわかります。毎日の対応がいかに大変か、今回の辞任表明でよくわかります。最後は、自分の身を守るために辞任だった。本当に守ったのはこれからの自分を守ってくれる人たちだったのでしょう。そうなりますかね。政治家としては疑問符の多い人だと思います。
 とはいえ、一方でメリットあります。その名は歴史に残り、さらには権力をもって自分のえがく国の形さえ変えることができるということです。それには、一人ひとりの政治家たちとの日々の議論もあったでしょう。さらには、安倍首相の時代「忖度政治」ということがよくいわれていました。そのいい代表が、「森友問題」や「桜を見る会」といわれています。選挙で圧勝したことをいいことに、自分のやりたい放題するなかで、身辺を固めていったようにも見えます。おそらく、これが韓国だったなら100万人ほどのデモのなかでもっと早く辞職していたかもしれません。

 7年8カ月・・・歴代最長の長期政権が終わりました。
 個人的には、野党の議員ではありませんが「国民の多くの負を押し付けた政権」ながーい政権でした。「消費税10%」もあったし、「公文書隠蔽」もあった。新型コロナでは多くの失業者をつくり、不安の日々をつくってしまった・・・。国会ではほとんどんどが「強行採決」の様子ばかりだったようだった。国会で「魚は頭から腐る」ということを首相自身の問いかけていた議員がいたことを思い出す。

 新型コロナがなければいまごろは、東京五輪は終わっていて、夏の騒々しい五輪の余韻に慕っていたころだろう。
思えば「東京五輪2020」は初めから終わりまでおおくの問題をつくった。国立競技場を設計したにもかかわらず工事費が高すぎるという批判もあって工事には至らなかった。けっきょく日本の企業が請け負った。さらには、7月の暑すぎる開催に世界中から苦言が出た。とくに野外競技のマラソン、競歩に場所の移動があった。結果として、会場を急きょ北海道に変更した。最悪なのは工事が始まって納期に悩んだ社員が自殺したということもあった。そして完成した・・・。記憶がうすれつつあるが東京五輪招致に奔走した竹田会長の「東京招致汚職疑惑」もあった。ところが会長はさっさと辞任してしまった。
 こうしていろいろなことの記憶がうすれていくなかで、8月も終わりそうだ。
私は、今年1月の初めごろには、東京開催にウキウキしていたことは正直なところだったように思う。
 ところが、新型コロナ感染症が1月末ごろから世界中に広がるなか、各国の選手にも影響が出始めた。練習もできない、そればかりか渡航さえできない状況がつくられた。選手にとっては代表であっても、練習場所・時間さえ不可能な状況がでてきてしまった。とうとう、東京五輪が来年に延期になった。
 そして9月へ。
いまだのコロナ禍の影響は世界中で猛威をふるっている状況である。
 いま思うと、「イケイケ」の状況にコロナが冷水を浴びせたような感じにみえる。そして、これまでの五輪があらゆる種目に経済効果が語られていたことがあきらかになったようにも思えた。この暑いなかでのマラソン一つとっても、選手の体よりスポンサーからの収入増大の影響が大きいということが語られた。いつの間にか、五輪は「選手ファースト」から「スポンサーファースト」になってしまったのかということを強く印象に残っている。
  「近代オリンピックの父」といわれた、クーベルタンは何を思うだろう。
 これからも、来年の開催をしようとさまざまなニュースが出てくるだろう。忘れてはならないのは、スポーツは誰かの犠牲のうえのあってはならないとう気がする。なぜなら、楽しむものだから・・・。
 開催を急ぐあまり、そこに住む人たちのことがないがしろになってはならないと思う。
 暑い、暑いといっているうちに今年ももう少しで終わる。秋風は吹き始めた。一年もたてば、車両に貼ってあるシールも色あせてくるのだろう。


 8月も終わりだというのにいまだにマスクをしながら歩いている。散歩途中にいつも立ち寄る図書館では、マスク、手の消毒が入館する最低の必要条件になっている。職員もできるだけ、外部との接触を避けようとしている。返却図書はできるだけ入館前に「図書返却ボックス」(無人)に返してから入館するようになっている。
 借りる本は、自分で自動チェックして借りる。さらに、館内ではできるだけ長時間の滞在はさけるようにとの告知もあった。(2時間が限度)
 とはいえ、2、3月よりはちょっとゆるくなったように思う。同じ条件での入館でも職員の緊張感がちがってきたように思える。以前は館内の行動さえも監視されていたようにも見えた気がする。
 考えてみれば、図書館ほど不特定多数がくる場所もないだろう。それも、本やCDに直接さわったりすることも多いし、職員も気が抜けないのかもしれないなーと思う。ここでもやっぱり「密」はできるだけ避けるようにとしているのだろうが、人の触れることといったら、ここくらい多いところはないのだろう。
 私は、夏の図書館は涼む場所としてかっこうなところだと思っていた。本を借りるでもなく、返すでもなく、暑い一日図書館によって1時間ほど涼んでいられる唯一の場所としてけっこう利用している。時間があれば、椅子に座って居眠りまでしてしまう。こういう利用者は職員はやだろうなー思うけれど、命にはかえられない。熱中症になったら困るからだ。
 はやく以前のように、気楽に居眠りも自由にできるように戻ってほしいものだ。
 それでも、おそらく館内を利用するのは市内居住者というのはちょっと職員たちにはなぐさめになっているのかもしれない。感染者が出ても、市内の人だから感染経路に対してのわかりやすいということだろう。そうは言っても感染しないことが何よりなのだが・・・。
 それにしても、たくさん本を借りて勉強しているように思う図書館の風景である。そのわりには、ちっとも国がよくならないのはなぜだろうかいつも不思議に思う日々である。


 今年は敗戦75年目。毎年8月は全国で戦争犠牲者への追悼式典が行われている。新聞やテレビ・ラジオでも戦争に関しての何らかのテーマを放送していた。
 私は、この時期に読む本も意識的に戦争に関しての本を読むようにしている。読んでいると加害者であれ、被害者であれ戦争の犠牲者になっているように思う。
 ここでいう「加害者であれ」の人は軍人で戦争を指揮している権力側の人たちのことではなく、権力によっていやでも戦争に行ってしまった人のことである。そして抵抗することもできなく逃げ惑った市民の人たちのこともいっている。
 今年も15日は、九段の靖国神社や千鳥ヶ淵に追悼に訪れる人に分かれる。今年はコロナ禍の影響で少ないと言われているが、どちらも戦争犠牲者への追悼には足を運んでいる。参拝者にはそれぞれの戦争への考え方の違いはあるがいずれも、戦争というなかで命を落としていった人たちにはかわりはないのだろう。
 大事なことは、戦争によって多くの死者があったという現実と、そのことによって平和の大切さを希求することじゃないかと思う。そして、その歴史をちゃんと受けとめることだろうと思う。
◇ ◇
 今回は、戦争によって積極的に軍人になった人の小説を読んでいた。城山三郎の『大義の末』と『指揮官たちの特攻』の2冊。

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■p44 一つの思想を信じているという理由だけで、十数年という永い獄中生活を送らされていたという事実が柿見たちを感動させたのだ。~それにしても十南年間、戦争が終わらなければ死ぬまで、そうした獄中生活を甘受させる考え方とは何であろうか。一つの思想、たとえ彼らのように「大義」のために、死ぬことはやさしい。だが、その思想のために何十年もの獄中生活を忍ぶということは信じられぬほど困難なことに思えた。

■p88『大義』の世界は仮構でも空虚でもなかった。柿見たちがあれほど、烈しく身命を投入した時期にたしかに応えるもの、少なくとも裏切らないものを、あの素朴な少年は持っていた。呪縛されそうな硬質の親愛感――それは正しく『大義』につづくものであった。いま、あの皇太子に危難が迫れば、身を賭けるかも知れない。理屈ではない。それは目前で無心な子供の溺れるのを見逃しできないのと同じ気持ちだった。

■p143「考えてみれば、ぼくたちはみじめな時代に生きてきたものです。人間は幸福を求めて生きるんだというそんな単純なことを、教師だって親だって誰一人教えてくれていなかった。ただ大義とか忠君愛国とかで…。ぼくたちはそれだけをまともに思いつめていた」「~愛国心などと言い出す人を見ると、そんな人は戦争でただ得だけしてきた人じゃないかと、にくくてなりません。どれだけ兄のような犠牲を見れば気が済む人なのかと…。みんな幸福にくらせる国をつくれば、黙っていたって愛国心は湧いてくるじゃありませんか」(柿見)

■p173 柿見!そうだ。天皇というものは、支配権力にとって実に便利な存在だからな。国民の総意を代表し、それを超えた存在ということにしておけば、たとえ自分たちが不都合なことをしても、天皇の意志だと責任を逃れられる。国民の批判を無視することができる。世論にすり代り、世論をおさえつける権威――天皇元首説がまた出てくる筈だ。しかも、憲法改正ということで再軍備と結びついて…国防などと言って、結局、そのとき政治権力を守るだけ、国民は狩り出され殺される。そんなとき、一番適当な冠が天皇制だ。

■p272 「あとがき」より
 これは私小説ではないが私の青春もこれに近い。体験の中に在った。ただ、それが、私個人のものというより、程度の差こそあれ、同時代のひとびとに共通した体験であり、また同時代の証言にもなると思うと、私はこれといつまでも語り伝えねばならぬ義務のようなものを感じる。
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■p62 大西中将の訓示「日本はまさに危機である。しかも、この危機を救いうるものは大臣でも大将でも、軍部総長でもない。もちろん自分のような長官でもない。それは諸子のごとき純真にして気力に満ちた若い人々のみである。したがって、自分は一億国民に代わってみんなにお願いする。どうか成功を祈る。命令するというより、頼む、お願いするという形で話しはじめ「みんなはすでに神である。神であるから欲望はないだろう。が、もしあるとすれば、それは自分の体当たりが無駄ではなかったというか、それを知りたいということだろう。」

■p63 「日本もおしまいだよ。ぼくのような優秀なパイロットを殺すなんて。ぼくなら体当たりせずとも敵母艦の飛行版に五〇番(五〇〇キロ爆弾)を命中させる自信がある」。「ぼくは天皇陛下とか日本帝国のために行くんじゃない。最愛のKA(家内)のために行くんだ。命令ともあれば止むを得ない。ぼくは彼女を護るために死ぬんだ。最愛のために死ぬ。どうだすばらしいだろう!」

■p103 「いまや戦争に勝つということは考えられなくなった。軍人として名誉ある対処を静かに考えるべき時間が来た」

■p131 身も裸、心も裸になる。~きれいごとの世界を踏みにじるように。隊員たちは白刃をかざして踏み込む。世界も世間も、真っ二つに裁ち割り、世界も世間も消える。残っているのは、妻の顔、婚約者の顔、親兄弟の顔…。おれは死ぬ。死ぬなんだよ、お母さん。こんなに元気なのに。ごめんね、お母さん。おれの分まで達者でね、お母さん…。

■p145 人間爆弾「桜花」(一一型)「橘花」人間魚雷「回転」「震洋」

■p147 少年兵の命など花びらよりも紙きれよりも安しとする日本軍ならではの発想である。そういえば私たちは、「きさまらの、代わりは一銭五厘でいくらでも来る」と、幾度聞かされたろうか。

■p165 日本陸軍の上層部には、それがまた狙いで、たとえ負けるにしても「一億玉砕」をかかげて、最後の最後まで特攻をかけ、米英から譲歩を引き出すべきだとの声も強く、このため元首相広田弘毅と駐日ソ連大使マリクとの間でひそかに進められていた交渉などもつぶされるなど終戦工作はおくれ、広島・長崎に膨大な犠牲を出す。


【感想】
 2冊を読み終えて、ふと思うことがあった。
 ”戦争”という行動は、日々の延長線上にあり、それは政治の混乱でもあり、兵士は家族へ知人、友人という最愛の人のために・・・が最終目標になっていく。しかし、その本質は国家安泰、一部の権力者・資本家の未来永劫でもある。
 そして、「誰のため?」を問いつづけることを忘れさられることなのだろう。
 「誰のために」を問いつづけた人たちは『大義の末」では、刑務署の牢獄で口をふさがれていたことが描かれている。その間、人々は戦うことが唯一夢の実現あり国家のため、最愛者のためだと脳は支配されていた。それ以外は人間にあらずという「非国民」として差別されていた。戦争は何に対しても「問いつづける」ことを拒否してしまう日常がつくりあげた結果かもしれないと思う。
 簡単に拒否してしまう日常になってはいまいか、あるいはパニックなってはいまいか、今一度ふり返ってみることが大事ではないかと思った。



 ながい梅雨だなーと思っていたら梅雨があけた8月。8月のお盆休みでは「自粛」で帰省がかなわなかった人も多くいた。「GoToトラベル」が東京都除いて感染も広がるだろうと心配した。あんのじょう、感染者が過去にないほど多く出たのも8月だった。
 そうこうしているうちに8月も終わりになった。
 「毎日あついですねー」というかけ声も少しずつ、ときおり吹く秋風が忘れさせてくるようになってくるだろう。どうもコロナウイルスは暑さにも強いらしい・・・といまさらのように思えたのも8月だった。
 それにしても、この新型コロナウイルス殿はいつまで停滞しては、人間を苦しめていくのだろうか。
 毎日通勤していて思うことは「感染したらどうしよう」ということだ。そんな思いでいつまで続くのかと。
とはいえ、今年初めから少しずつへんな話であるがなれてきてしまっているのも正直なところだと思う。
新型コロナウイルスで何がどう変わっていくのだろうかいうことを考えると、わたしの周りのことをみれば少しも変わってはいないともいえるのではないかと思う。
 普通に出勤しているし、普通に残業もある。
 コロナでは多くの派遣や非正規の人たちが解雇されたという。これは今にはじまったことでもない、労働者いじめはコロナ前と変わっていない。
 本当に変わるべきは私たちではなく、企業や政治家かではないのだろうか。
 そんなことを思った8月の終わりだった。

 まだまだ暑さは続きそうです。台風も発生して甚大な被害も起きそうである。いったい、台風、コロナに巻き込まれたところはどうしたものだろうか。少しも「いいことがない!」と落胆する日々が重なっていくようだ。それでも、誰かに支えられ明日をむかえる日々であるからこそ今日があるのだろう。人との距離がコロナ禍によって遠ざけられている日々ですが、少しでも近きによりて、ちょっとした話でもできる日々があるだけまだいいのかもしれません。

 過日、新聞の投書欄を読んでいたら「余命3カ月」と医者に宣告されたという人のはなし。では、残り3カ月の間にいろいろとやりたいことを妹の協力のもとがんばった。自分が本当にやりたかったことをしんどいながらも片づけているうちに「6か月」になった、と。この投書を読んでいたら、そーだった自分のやりたいこと、楽しいことは何だったっけ? とふと考えてしまった。読者のみんさんはなんだったのでしょうかね。
 コロナ禍と暑さで、日々忘れていたものが多すぎたかと思う。無理は禁物だが、出来る範囲で、誰かの手助けをしてもらったり、と送っているありがたさをもういちど考え直す日々があったように思う。老いてくると、そんなことも忘れてしまうのかもしれないなー。

 読者の皆様もくれぐれもご自愛ください。
 では今週はこの辺で失礼します。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

8月も終わるころ・・・暑さの次にくるのは

2020年08月23日 | Weblog
 こんにちは。
 盆休み明けの一週間。新型コロナでなにもなかった夏休み・・・。どこへいくにも「自粛」という圧力が頭をよぎる日々でした。それでも、強行に盆帰りなどして故郷で過ごした人もいるでしょう。きっと、帰ってもいつものような盆とは違っていたことを自覚した年でもあったことだと思います。いまは大げさな言いかたかもしれませんが「去るも地獄残るも地獄」といったジレンマの中での夏であったのだと思いますが、次の季節は着実にきていますね。
 「暑い、暑い」の日々でも夕方になれば吹く風は涼しく感じることもあります。変わらないのは、新型コロナ感染者がいるということと、コロナに対する政治の後悔がいまだに続いていることぐらいなのでしょうか。

 こんなにながい間、新型コロナウイルスが続いているとは思ってもみなかったようにも思います。ある意味、人間の体についた病原菌のようにも思えます。通常なら、人間の免疫力で時間が経つにつれ回復していくのですが、コロナはいまだに地球全体を巣くっているウイルスのようにも見えます。いまだのコロナに対する薬もできていない状況でもあるなかで、地球とコロナが一進一退の状況がいまのようにも思えす。
 人類がちょっと油断していると、コロナはいくらでも自分たちの地域を拡大するように多くの感染者を獲得していく様子です。いったいこの攻防はいつあでつづくよのでしょうか・・・。ただ言えるのは、生活や働く形が新型コロナで変わっていくことは確実ということでしょうか。

 たとえば、政府は国家予算にこれまで通り、防衛や公共事業にかけてきた予算を同じ人間を守るものが防衛でもなく公共事業の建築物もないことに変化しなければならなくなってくるのでしょう。なぜなら、これからは拳銃でドンパチとやって覇権をしていく場合ではないからです。感染症という人類共通すべきテーマが今回あきらかになったようにも見えます。感染予防は国家政策のメインテーマになるようにしなければならなくなっていくのではないかと思います。

 まずこれを解決すべく予算をちゃんとしなければ、働くことへの安心・安全もなくなりモチベーションもなくなってしまうのではないかと思います。だれでもPCR検査を無料でいつでもできることや感染者を隔離できる病院の充実など、本当にやっていくことがこれから問われているようにも思います。


 今年2月から始まった新型コロナウイルス感染症。思えば、当初は「緊急事態宣言」などが出て、会社もそれなりに対応してきたようだった。そのなかで「自宅待機」や「就業時間短縮」などがあった。しかし、「緊急事態宣言」が解除されてから、感染症増加になっていくなかで「自己責任」のような形で対応するようになって、今日まで続いている状況だ。
 そんな中で、親が介助施設を利用してきた人は介助施設が受け入れをしなくなってしまった。施設を探すも併催が多い中、自分で見るようになった人もいた。長期休暇をのため「介助休暇」を取っていたが、コロナが長引いてとうとう、「休職」するようになってしまった。思えば、私の周りにこんな形になるような予備軍が多いと気がついた。

 さて、これからどうなるのだろう?と考えてしまった。
 これからは、労働組合で対応を考え会社と協議して対応しなければならない時代なのかもしれない思う。その対応の中味を「協約」などをつくっておく必要もでてくるのだろう。もっとたくさんでれば「法定伝染病」の場合と同様に対応するようになるのだろうかと、素人ながら思えてしまう。
 私も高齢労働者。コロナ感染になるリスクは若い人より大きい。では、感染した場合にはどうするのだろうか・・・。
 とりあえず、公休で休んで、それでも長く休む場合はどうなるのだろう。
 以前、「コロナ感染を労災」とした事例が新聞に掲載された記事を読んだことがある。かんたに考えてみると、まず厚労省のホームページでは「医療従事者」は認定される・・・とあるが他の作業者はどなっているのだろうかと思う。では、通常の場合、職場で感染したらどうなるのだろう?
 日々、マスクと手洗い、うがいということはやっていてもやらなくとも感染するときは、どこでも感染する。ならば、個人のできることには限界がある。大事なのはその向こう側。
 大手労働組合もコロナ感染についていろいろ「相談窓口」で対応している。それは大事だと思う。もっと大事なことは、それを小さな労働組合でも波及できるようにしてもらいたいということだ。とくに、高齢者の多く働いて職場では、感染率が高いと思うと不安は大きい。働くことが、危険になったら、働く意味がないのではないか。「一億総活躍時代」などというスローガンはいつの間にか消えているし・・・。
 などなど、そんなことを考えた日々だった。
 ちなみにその人は、いまだに休職中である。

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 盆休みが終わった月曜日。やっぱり人が多くなっていた。
 乗り換えるたびにますます人の往来が目立つホームである。自分もそうだが他人も電車内での蜜は避けているようだ。できるだけ、接触を避けているのはお互いさまという気持ちが働いているからまだいい。 
 今週、中央線の某駅で人身事故が夕方に起きたときは超満員の車内だった。ここでゴホンとかハックションという音を立てようものならひんしゅくをかいそうな雰囲気だった。あげくの果てには「車内トラブル」というアナウンスなどもあれば、遅れに遅れる通勤電車である。そして、大混雑のなかじっとがまんする時間がつづく。
 汗は出るや、人との接触はあるは・・・と時間も続いた。降りる頃はへとへとにもなる気がした。


 新型コロナ感染が止まらず、今週も終わった。そこにきて暑さである。「東京23区で熱中症で死亡した人が今月に入って17にまでに103人」(東京・8月20日)と報道されていた。そのほんとんどが屋内(84人)でエアコンが未設置だったという。
 暑さがコンクリートにこもって逃げる場所がないため夜になっても暑さが残ってしまうのだろう。この時期エアコンなしではきついだろう。眠っているうちに脱水状態になって体の機能が止まってしまうこともあるのだろう。
 私も熱中症にかかった経験がある。夏の炎天下多摩川サイクリングロードのなか、友だちのところに自転車で2時間ほど走ったときだった。意識がもうろうとして吐き気してきた。気持ちが悪くなった。友人が土手でまっていて、さっそく知っている喫茶店につれていってくれた。およそ1時間ほど、涼しいなか水をのんでゆっくりしていたら少しずつ、自分の体に力がはいるようになってくるのがわかってきた。
 あの時、途中で倒れたら、倒れて救急車で運ばれ、知らない部屋で眠っていたかもしれなかったに違いない。「自分は大丈夫」だとか「昔はこんな暑さの中野球をしていたので平気」だと思っていたが、最近の夏の炎天下はちょっと違うのだろう。プラス年齢が違う!。それは大事なことだろう。

 あと1週間もすれば台風がやってくる季節になってくるだろう。暑さも和らぐのではないかと思う。今週は暑すぎた・・・。
 盆休みあけで仕事も盛りだくさんの毎日だった。月刊誌の宿命のように月末の締め切りの日にまで必死で仕事をしていた。新連載のロゴマークにも文句を言われたりしながらの日々だった。長い休みはありがたいが、仕事のこともちゃんと考えてくれよと、と思う日だった。

 とはいえ、仕事があるからコロナ禍のことを一瞬でも忘れていられることもあるんどあろう。確かに感染は怖いが毎日、そればかりを考えて暮らしていることいえばそうではあるまい。どこかで忘れていられるからうまく行っているのだろう。
 その時間が少しでも多くなることが大事なことだろうと思う。最近は、スポーツイベントなどで無理に忘れさせようというイベントなどがあるようにも思える日々があるようだ。そこでは「自己責任」のような言いかたがはばをきかせているのではないのだろうか。新型コロナウイルス感染はあくまでも「公衆衛生」のことなのだから、国が責任をもって住民生活を守る責任があることを忘れてはならないことだろう。

 カジノの統合型リゾート(IR)汚職の秋元司議員、公職選挙法違反の河井克行・案里議員夫妻たちのように、国民を忘れた議員の多いなか、頑張ってやっている人がいるのはまだ救いだ。それにしてもどうして自民党の国会議員は政治を忘れて金儲けに走ってしまうのだろう。そこのところが日本の脆弱性か。明治維新時代、国づくりのため奔走した西郷隆盛がいたらすぐに遠島だろうなー。

 今度は涼しくなったら本当に山歩きもやってみたいように思う。
 それくらいしていかにと本当につらくなっていくようにもなってしまう気がする。
 では、今週はこの辺で失礼します。来週はちょっと余裕ができそうですかなー。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

「危険な暑さ」のなか終わった盆休みでした

2020年08月16日 | Weblog

 こんにちは。
 コロナ禍の夏。暑さに逃げるような日々でした。
 今夏のお盆はほとんど近所を散歩で終わっていました。足元にセミの死骸が転がっていました。木々の間からツクツクホーシの鳴き声も聞こえていました。季節は、着実に前へ進んでいるのかなーと思えました。多摩川の散歩道では足元からバッタが多く跳んでいくようになりました。残暑がきびしい毎日が続いています。 

 今年の夏、コロナ禍のなかの盆休みも今日で終わりです。どんな休みを送っていたのでしょうか。ここにきてコロナ感染が増え続けている現状の中、「お盆の移動は控えて」という「自粛」がありました。通常なら、今ごろ高速道路は大渋滞、空路、陸路も満員の状態の頃でしょうか。故郷の楽しい思い出がつくり、記憶に残すころでしょうか。今年は「コロナなので田舎に帰ってこなくていいよ」という声も聞こえた夏でした。事実、7月から8月にかけての感染者数は今年になっていちばん多い日もありました。そんな中での帰省はどうでしたでしょうか。

 私は、家の周りを散歩の日々でした。この時期に山歩きを考えていたのですが、気持ちがどうも行く気になれません。唯一、遠出をしたのは墓参りくらいでした。それも、レンタカーを借りての移動でした。なるべく人を避け・・・との移動が目だった夏になりました。おかげで、高速道路はすいていましたが、休憩のサービスエリアではけっこう人がたくさんいました。誰もが、車での移動を考えてのことなのでしょう。人々には「自粛」などと言う言葉より、それぞれの知恵をしぼって移動をしています。
 ちなみに、今年の空路、陸路、電車などはコロナ禍でどれも減っていたそうです。


 
 今週はほとんどの会社が盆休みだったのでしょう。
 そんななか1日、自分の仕事の都合で出勤する日が毎年ある。電車から電車へ乗り換えながらやっと会社の到着。およそ90分。私の仕事の予定では、60分の通勤時間が理想だった。2011年に起きた「東日本大震災」によって、当初通っていたビルにヒビがあちこちできた。こんどこのような地震がきたら大震性から考えて無理だろうと判断した。結果として、現在のビルに引っ越した。8年間ほどの前のことである。
 自然はなんとも過酷であることか。

 いまでは毎日90分の時間をかけて通勤している。片道90分である。それでも、盆休みのなかの出勤は嫌いではない。乗車する電車は涼しく座席には座れる。駅構内は、人も少なく歩きやすい。毎日こんなに楽ならいいなと思う。
 コロナ禍のなかにあってはつくずく通勤電車は怖い。いまだの「密」の場所であるからだ。移動の構内も「密」になる。とくに、今は人の汗をきにしながら、すきまにうまく入りこんでは日々通勤している。誰もがお互いのことを気にしながら電車通勤をするようになった。「お互いさま」の気持ちを持ってゆずり合いの気持ちがあればいい。ときどき、「車内トラブル」などのアナウンスにこれもコロナの影響だろうと思う。そんなことをゆっくり考える時間をももてるのも、電車がすいているかだろう。週明けには、「危険な暑さ」のなか「危険な人との距離」をきにしながら電車通勤が始まるのだろう。暑さと温度とともに感染者の数字が上がっていくのは気になっている。

 「暑いですね」という挨拶が毎日になった。そのお互いの顔には必ずマスクがついて、さらに暑さを増しているように思う。戦後75年目。だれが、コロナ禍を想像したのだろうか。いつだか、戦争が感染症を増大させたということを読んだ記憶がある。14~16世紀ごろ、ヨーロッパでは戦争の時代に、感染症が爆発的に流行したのは軍人の移動がはやらせたという。医療などが発達していなかった時代である。とにかくどんな病気かもわからない。わからないまま一緒に移動することで国境を越えて感染者が増えたという内容だった。太平洋戦争時代もマラリアなどの病気も人と一緒に増大したことだろう。こちらは、薬はあったが物資の輸送が戦争によって断たれたりして蔓延したのだった。文明がいくら発達してもそれをつかう機構がうまく機能していないということだ。

 最近、コロナウイルス感染症がブラジルのアマゾンの奥地に住む先住民を襲っているとの記事があった。ただでさえ、ブラジルは316万人を超える感染者が多い国。それにボロソナー政権がコロナ感染に力をいれていない状況のなかである。5月には環境相が閣議で「新型コロナで混乱している間に、アマゾン開発を進めるべきだ」と発言したことが明らかになった(14日・朝日)。
 先住民メチキチレ族のリーダーは「この病気で年長者死ねば、私たちの歴史、神話、文化、社会のすべてが消えてしまう」と不安を述べている。「年長者は、私たちの先生であり、医師である。彼らを失うと、歴史の多くを失うことになる。私たちが文化を引き継げるよう。国や地方、そして国際社会が支えてくれることを望む」とも発言している。

 この記事を読んでいると、人間がこれまで何を後世に遺そうときたのかを思う。森林を伐採して環境破壊が叫ばれるなか、コロナ禍になっていちばんをワリを食うのがこうした弱者でもあるのだろう。それは日本でも同じ。為政者によって利権がつくられ、その犠牲者がいつの時代も弱者だという現実は世界でも同じだとつくずく思う。
「Go Toトラベル」もいい例ではないのか。観光業者を救う経済政策であっても、本当にいまやるべきことなのだろうかと疑問にさえ思えてくる。地元住民は観光客の移動によって感染が広がることに不安がおぼえることだろう。じじつ「今回の帰省は控えて・・・」といっているではないか。観光はいいのだろうか。
 なにか不自然な気がする。


 今年の盆休み・・・。やっているっことといえば昨年と変わってはいない。ただコロナ禍こということもあって、できるだけ外出を控えた、でもなかった。毎年この時期の外出と言っても散歩くらいだろう。
 遠出の外出といえば、今年は「墓参り」は電車はなくレンタカーでいったことくらいだろう。さすがに、家族での移動は楽であった。道路も混雑していなくてどこへ移動するにも道を間違えない限りスムーズだった。コロナでいいとは思わないが、コロナウイルスは人間のいどうをかくあるべき・・・だという強制力を持っているのだろうかと思えた。逆に、これまでの大渋滞は人間にとってどれだけのストレスを作ってきたのかということを思えた時間であったように思えた。
 今年コロナ化にならなければ人間はもっとストレスを抱えていたのではないかと思う。さらには、もっと身勝手なことをして人間や自然を壊していたのかもしれない。そんなことに「警告」しているようにも思えた夏だったように思う。
 とはいえ、コロナ禍ならなければそれを考え直さない人間の身勝手さもあるのだろう。世界中で2000万人以上の感染者が出ている現在、地球人はなにを思い、どうやって収束させていくのだろうか。「自分の国さえよければいい」という協調が大国によって失わえていうように見えるなかどうしていくのだろうか。


 今年は、戦後75年目の夏だそうだ。日本の8月は各地で戦争犠牲者への追悼の式典がおこなわれた。わたしが、いちばん身近に感じる戦争は、墓参りをしたときである。家族の親戚の墓石に刻まれた文字にその痕跡をみるときぐらいだろう。その文字を見るたびに、どこかのテレビ番組や本なのでみた戦争の炎や逃げ惑う人の群れが浮かび上がってくる。そんなことを墓参りをするたびに思う8月である。どれだけ暑かったことだろうか・・・とか、どれだけ腹がすいた日々を送ったのだろうかと思う時間でもある。みんな死んで墓にはいってしまった過去である。それでも後世につたえる方法が模索されていくのだろう。戦争経験者が年々亡くなっていく時代にはいっていることも事実だそうだ。私の父も戦争経験者であったが、もういない。思えば、生前、父のつくった漬物や料理を食べたことがある。味が濃い目であったがそれがうまかった。あの味は戦争のなかで自分なりに工夫した味なのだろうと思える。そして、酔っぱらってはときどき口ずさんでいた「さらばラブウルよ・・・」の歌詞もなつかしい。
 戦争は嫌いである。誰もかも人生を切り刻んで狂わせてしまう。そしてそれが多くの悲劇をもたらす。勝手も負けても多くの不幸をつくってしまう。戦後75年目、人間はどれだけ戦争の歴史から今をつくろうしているのだろうか。とくに為政者たちは。



 散歩のとちゅうにセミの死骸が落ちいるのを多く見かけるようになりました。ツクツクホウシの鳴き声も聞こえてくるようにもなった。多摩川ではトンボもとびかうようになっている。季節は少しずつ秋にむかっているのだろう。
 「暑い、暑い」という挨拶も、あと半月もすれば消えてしまうのだろうか。そしてセミの鳴き声が消えていくのだろうか。
 消えて欲しいのは「コロナウイルス」なのに・・・。ウイルスは消えることのない人類共存の存在。ただ、コロナウイルスはいまだ共存できるようなウイルスではないということなのだろう。少しずつその攻撃性が薄くなっていって、人類には必要不可欠なものになることだってあるかもしれないなーとも思う。
 とはいえ、今現在は最悪なウイルスには違いないのだ。現段階では、来年の東京五輪などということさえ考えにくい時なのかもしれない。
 国内でのスポーツは少しずつ始まっているが、チームに感染者でていることで試合が中止になることもある。
 なにか「見切り発車」のような気もします。それでも発車してしまう理由はいったいなんでしょうか。これからは、自然災害やウイルスなどに対応できるものをちゃんとつくれるのでしょうか。

 暑い夏が終りに近づいています。
 これから、きっと迷いながら始まるのでしょうかね。コロナを怖がって・・・またはじまるのでしょうか。それでも、前に進まなければいけない日々のように思えます。まあ、少しずつ感染者が減るといいですね。
 ということで今週はこのへんで失礼します。
 休みあけはいちばんきつい一日が待っているようです。
 またしても、混雑電車の日々です。
 読んでくれた人、ありがとうございました。
 

残暑お見舞い申しげます・・・。

2020年08月09日 | Weblog



こんにちは。
 毎日暑い日が続いています。
 今年の夏はいつもの夏と違って、どこへいくにもマスクを着けています。今年の五輪は本当に無理だということも納得する日々です。そして、来年も無理ではないのではと思えます。職場の人に「今年のお盆は帰省はしない」と聞きます。故郷でも「今は来ないで・・・」とも言われているようです。とんでもない状況になっています。
 こういう夏休みはこれから多くなるのでは・・・とも思います。
 コロナウイルス感染は、減るどころかますます増えるニュースには、この先の「希望」どころではないのでなと思います。世界中で2000万人を超える勢いには驚きでもあります。一方でワクチンの開発が進まれていますが、こちらはいいニュースはありません。さらに、この状況においても国会は開かないという政府にも驚きです。
 いったい何を考えているのでしょう。これでは支持率が下がるのは当たり前です。


 1月の下旬ごろから「新型コロナウイルス感染」が始まってマスクを着け始めた。当初は、「冬の間だけだろう」と思っていた。ところが、感染が世界中に広まってしまった。さらには、肺炎などの症状で死者まで出始めたのだた。とくに都内ではあっというまに感染が広がった。私は、近づくであろう花粉症の準備でマスクを買い置きしていた。今度は、マスクが日本中の薬局から消えたニュースが流れた。世の中、こんな時をねらって荒稼ぎをする人もいるもんだとつくずく、人間のあさましさということを考えた時期だった。さらに、感染を重くみた政府は「緊急事態宣言」を発令した。5月の連休の自粛をよびける宣言でもあったようだった。そのことが功を奏したのか感染患者も少なくなったように思えた。そのころになると、マスクも少しずつ店頭に並ぶようになってきた。そして、宣言が解除された・・・。

 解除され、プロスポーツも人数制限を設けて始まった6月。ウイルスは人の移動によって感染者を増やす、という法則は現実のものとなった。さらに「GoToトラベル」という政府の観光政策が実施されるようになってから、さらに感染者は増えていった。これまでの人数をはるかに超えている結果をつくってしまったようにみえた。

 9日に「新型コロナ世論調査」の詳報が紹介されていました。 
※本社加盟の日本世論調査会による全国郵送調査で、新型コロナウイルス感染拡大を受けた一連の取り組みは「どちらかといえば」を含めのアンケートをとった結果。(東京新聞8日)
 

 気になる項目だけ表にしてみました。
 これまでの政府の政策と実際の暮らしのなかでの感じがちがうようです。コロナ感染拡大時にいちばん大事にしていたいことは【問5】では、経済より健康が優先されていました。誰もが、企業の利益優先より自分の健康を第一に考え行動していることわかります。
 このなかで、働くこと意味は会社の利益よりもまずは、そこで働く人の健康が最優先されるべきなのだということなのでしょう。そんな中で、コロナ感染で多くの、再雇用者や契約社員の解雇、中小の企業が倒産が多くありました。いよいよ、どうにか会社は働く人たちを解雇して生き残るようになっている現実も浮かびがってきているようにも見えます。
 それは政府のコロナ感染下での事業給付金などや働く人への雇用を守る政策が不十分だということなのでしょう。
 とはいえ、まだまだ続くコロナ禍です。今後は、いったい働く者の健康は守られていくのでしょうか。
 私は今、いちばん怖いのは通勤電車のなかでしょうか。あいかわらず混雑はあります。それに、「緊急事態宣言」当時は、会社もそれなりに政策をしていましたが、今では、何もなくなって「自己責任」で対応する日々になっています。このままいくのでしょうか・・・ね。困ったものです。

 今夏より新しい企画「マスクのひび」をつくってみました。これまで生きてきた中ではじめて夏にマスクしている毎日となりました。暑さもあって、マスクをしてると汗でぬれ、息苦しくなってくる日もありました。
 そんななかで、なにを考えたのか・・・ということがうまく、書けたらと思います。最近では、いろいろな種類のマスクも出てきました。「夏用」などというのも出ています。値段がちょっと高いのは困ったものです
 今年の盆休みはどにようになっていくのでしょうか。
 暑さもあり、コロナもあり息苦しさは二重になっています。 

 では今回はこの辺で・・・。
 読んでくれた人、ありがとうございました。
※「One shots」は休みました。

やっと関東地方が梅雨明けです。

2020年08月02日 | Weblog

 こんにちは。
 やっと関東地方が梅雨明けをしました。ひさしぶりに太陽をみました。青空もでて、暑さはきびしくなりますがうれしい季節になってきました。今週は、青空の下、多摩川の散歩道も気持ちがいい一日です。これから、こんな天気が続くといいと思います。
 今年は、梅雨が長かったようです。雨が多いということで野菜の値段があがっているそうです。この梅雨の期間中の、九州・熊本県や東北・山形県での集中豪雨による河川の氾濫があり甚大な被害が多かったことが記憶に新しいことです。
 そして、コロナ禍はますます拡大をしている状況になってきていました。とくに都市部は、これまでにないほど感染者が増えていると伝えられていた週でした。それい「GoToトラベル」の政策が実施されて、感染の拡大に拍車がかかっているようにも見えます。いまどき、なぜこんな政策が出てくるのかに疑問があります。都内の感染者の多くは、夜の飲食街(ホストクラブやキャバクラ)とのニュースが多く報じられていますが、本当は人の移動による政策をとった政治が大きな原因だったのではと思います。「暑中お見舞い」でも述べていますが、これは政治家たちにより政策が国民にとっては感染拡大をつくる「人災」のようにも思えます。とくに経済政策で出されてきた「GoToトラベル」が原因に見えます。さらに「GoToイート」も予定されています。

 こんな中、この事態を重くみた野党が「憲法53条=臨時国会内閣に召集権限」によって臨時国会を開催するように政府に働きかけました。これまでのコロナ感染の状況について政府の見解を質すもので、今後どう打開していくかということが討論されるもようです。しかし、安倍政権は臨時国会の召集には応じるかはまだ不透明です。


 長い梅雨によって災害などが起きた中、日照時間がすくなかった時期になりました。そのためか、買い物にいくと「野菜が高い」という嘆く妻のことばから、記憶のすみにあったものがよみがえる。先週読んだ新聞の記事のこと・・・。
 それは、「朝日新聞・7月26日号『日曜日に想う』」福島申二さんの記事でした。内容を抜粋すると・・・中国がアメリカとの摩擦を考えて食料の備蓄を考えている。14億人の胃袋をささえるため、その量は食料の小麦と米を世界3分の2を超すという。さすがである。古来中国は「民は食を以て天と為す」という国柄である。為政者は国民がいちばん大事なことを過去(1960年代)の歴史から学んだ結果なのだろう・・・と。
 一方、日本ではどうか。コロナパンデミックによって外国らの移動も規制されたなか、食物の輸入も同じような状況下になったらどうなるのか。日本は、グローバル化のなか食物輸入によって日々の食料も供給されて安定されているが崩れてしまうだろうということになったらどうなるのだろう。さらに、日本は先進国のなかで最低レベルの食糧自給率だ。東京都の自給率は1%だそうだ・・・。

 この記事を読んで、日本の食物状況はパンデミックよって食糧輸入もできなくなったり、さらには豪雨などで作物生産が悪くなったら、物価はこれまで以上にがるだろう。むしろ、スーパーの食物が消えていくことも現実味になってくるのだろう。1億4000万の人口は中国との比較にはならない数字であるが、飢餓状態も起こりうるということもあるだろう。
 日々の感染者の増加を思うと、新型コロナのパンデミックは、日々の食生活にも影響をおよぼしてくるだろうと思えた記事である。もう、これは記事でなく、今回の豪雨などによって、日本は自給率の低い国であることがあらためて実感できるものだった。
 さて、日本の農業政策はだいじょうぶなのだろうか。あまり、防衛問題と比べると議題にはならないが、食が十分ではない国が、食糧を求めるためには、「戦争も仕方がない・・・」という気持ちになっていってしまうのではと不安にもなる内容であったように思える。ますます、防衛より農業じゃないのか、戦闘機より医療機器ではないのかと思えてきてものだった。それが政府が国民に「新生活のありかた」というのであれば、政治家は「新政治のありかた」ではと思えるのだが・・・。
 世界はコロナパンデミックのなか、米国と中国の覇権の争奪戦があり、コロナと同じくらい世界中に危険なものをはらんですすんでいるように思う。


 
 8月になり、暑さもいよいよやってきました。
 お元気でお過ごしですか。ごぶさたしています。
 あいかわらずの新型コロナの日々で、感染を気にしながらの毎日を送っています。特に、ここ東京では毎日の感染者数の増大が、ますます日々の安心を圧迫している状況になってきました。そのうち「疎開」をする人も出て来るのでしょうか。戦中でもないのに、隠れて移動をする人もでてくるのではと思ってしまいます。
 もう、新型コロナ災害はここまでくると「人災」にも思えてきます。いまや政治政策は政治家の保身のため、私たちの犠牲のうえに成り立っていく様相さえ感じます。実際は私たちのためのことを考えているのでしょうかね。
 私は、これはこれまでのすべてのツケが今にきたようにも思えます。自分勝手な人類への警告でもあるようにも思えます。そして、その最悪の部分がいま目の前に出てきたことが「今」なのでしょう。
 とりあえず、そんなことを考えつつ日々を送っています。今年は暑さとコロナに感染しないようできる範囲で注意し送るほかありません。
 読者おみなさまも自愛ください。
2020年8月盛夏


 今週末、関東地方に「梅雨明け宣言」があったようだ。これでいつもの夏が戻ってきたと安心したものだった。一方では、「緊急事態宣言」後のほうが感染者が増えていくのには、「いつもと違う」という違和感があった。今出さないでいつ出すんだろうとふと思ってしまった。人々はそんななかでも、感染に注意しながら仕事に育児に教育に医療にがんばっている。その流れにさからうように「GoToトラベル」の実施である。本当にこれでいいのだろうかと思えた。感染を防ぐいちばん大事なのは人の移動の自粛だと、大キャンペーンをやっている最中に旅行・観光業者の疲弊を思っての経済政策なのだろう。けれども、これでは人の移動が確実になる。これでいちばん喜んでいるのは、繁殖先を増やせる場が広がるウイルスだ。この政策を推進した政治家はウイルスト友だちか、と思えてしまうほどだ。このことによって、旅行者が落とすのはお金ばかりではなくコロナウイルスだろう。

 企業や飲食店、観光業者の倒産が相次いでいるとニュースになっていることをたくさん聞く。それは、ウイルスに対する政治の保障政策の未熟さからでているのではと思う。中小企業者の経営者もそういう点の充実を望んでいる。
 最近のニュースに「医療機関初の倒産」というものがあった。岡山県の整形外科医院だ。新型コロナ関連の医療機関の倒産は初とのことだという。このことによって、その地域住民がますます危険になったということだろう。それを見殺しにしてしまっている、政治のあり方が問われるものではないのだろうか。普通のなかでのことではないだけにこの倒産は、今の政治が本当に、コロナ禍を考えているのだろうかという疑問を残したものだと思う。
 普通の夏・・・。いつになったら戻ってくるのだろうか。日々安心できるだけでいいのだが、それさえも逆行していることが、ますます目に見えるものになっていくことが日常化しているように思えた梅雨明けだった。



 今週の月曜日。職場でのこと。
 7月30日午前9時半ごろ、会社で「緊急地震速報」が区内スピーカから聞こえてきた。「大地震に備えてください」ということも聞こえた。そのとき、身構えて待っていたが、地震は起こらず・・・。
 いったいどうなっているのだろうかと思った。ラジオでも同じようなことがいわれていたが、不発であった。「どうなっているの?」と思えた。こんなことが続けば「オオカミ少年」と同じようになってしまうのではないか、とも思った。
 「誰を信じていいのか・・・信じることができない世の中になったか」。このいい加減さはどうしてこうなってしまったのだろうか。

 その後、緊急地震速報の誤報についてニュースがあった。
 気象庁の加藤孝志・地震津波監視課長によると、「30日午前9時36分、東京都心から500キロ以上南にある鳥島の近海を震源とする地震があり、気象庁は同38分、関東甲信や東海、東北の一部の広い範囲を対象に緊急地震速報を発表した。だが、震度1以上の揺れは観測されなかった。 震度1以上を観測する地震ではなかったことについて、気象庁は同日午前、記者会見を開いた。加藤孝志・地震津波監視課長は「誤報」だったと認め、「国民の皆様に多大なご迷惑をおかけしましたことをおわび申し上げます」と謝罪した。ということがニュースでわかった。

 毎日、コロナ禍はスポーツの場でもあり、職場でも家庭でも多くなってきたと耳にした週だった。豪雨災害、地震とトリプルで私たちの国は災害の多い国だといまさらではあるが強く思った一週間だった。自然災害は逃れられないものだが、その後の防止に力をそそいで防ぐことは、政治家の仕事となる。今回ほど政治家の力量がためされるときはないのだろうと思うのだが。
 そして、その道の研究家たちの意見だ。今回の気象庁のような「誤報」のような放送がいかに人の精神状態を不安定にさせるかを考えてほしい。それだけの経済的な報酬もいただいていながら、人を不安に陥れるようなことがあれば「謝罪」どころであるまい。今の政治家がふがいなのに、研究者もおなじようであってはこの先が心配になるばかりである。

 とはいえ、コロナ禍には市民がそれなりの対応で乗りきっていくしかないのかなーとも思う。多摩川の散歩も汗をかきながらですが、久しぶりのまぶしさのなか楽しく歩くことができました。セミの声も季節の音をつたえていました。
 草に腰をおろしてじっとしていると、もうトンボも飛んでいます。それと共に小さな虫も四方八方に飛んでは身近な季節を一生懸命生きているかのようです。
 思えば、こんな小さな虫たちも迷惑な虫もいるようです。バッタにはカマキリがエサとして狙っているようです。自然界では、それぞれの共存をともに命をかけてみじかな季節をともに生きているように思えます。これまで人類がここまできたということは、きっとウイルスながい歴史のなかで人間とうまく共存してきたのだろうと思います。しかし、人間の都合によって、攻撃されては、よくも悪くも形を変えていきてきたのでしょう。今回のコロナウイルス、世界で1500万人近く人間に感染して、なかには人間を死亡させる不幸を多くつくっている状態です。
 それでも、これまで人類は、時間をかけて共存することで手をうってきたのです。その中には、いちがいに悪いウイルスばかいではないのでしょう。
 そんな気もします。今は、人間がちょっと身を引いて(経済活動云々ではなく)みるのも大切な時期なのではないのだろうかと思えます。もちろんその間の保障は政治家がちゃんとっしてくれるようにすることが肝心ですが・・・。そのための税金だと思います。

 さて来週はどうだろうか? 台風が発生したといわれています。
 それでは今週はこの辺で。
 読んでくれた人、ありがとうございました。