こんにちは……
毎日寒い日が続きます。1月も今週で終わりです。はやいものですね。
今月は、仕事が始まりと同時に腰痛が私の身をしばりつけた月でした。これはどうにもできないので、病院に駆け込んで、薬とコルセット着用の日々が始まりました。いまは、薬は終わって、コルセット着用と週に一度の電気治療の日々です。
いまのところ、コルセットは寒さもあってか腰のまわりが温められていい感じです。でも、夏になると、きっと蒸れるだろうと心配はあります。とはいうものの、以前よりはまだましなので、あとはこの痛みを少しずつ和らげながらつきあっていくしかないように思えます。
やっぱり、歳でしょうか……ね。
寒さだけが冬だとは思いたくありませんが、やはりこの寒さが作り出している日ごろの行動には冬だということを覚えます。きっと、楽しい冬だという言う人もいるでしょう。例えば、2月にはロシアのソチで冬季五輪があります…とか、アツアツの湯豆腐がいまいとか…、あるのでしょう。そう思って送っていくしかないようです。
さて、今週東京では都知事選の告示がありました。
なつかしい名前もでてきたりして、もう一度花を咲かせようという老人のがんばりのように思えます。今回の選挙のなかには、再稼働をもくろむ候補者もいまが、メインスローガンは「脱原発」のようです。どの候補者もそろって「脱原発」を訴えています。
ところで「脱原発」はだれもが考えるところでしょう。本当にそれだけでいいのでしょうか……と思うことがあります。いまだに「全全を確保して再稼働すべきだ…」と訴えている候補者は現状をちっとも考えていないように思えて論外ですが、「脱原発」だけで「停止」できるかといえば無理だと思えます。
東京は日本のあらゆる地方の恩恵のうえに成り立ている都市だということを考えれば、本当は都内でどれだけ「反対」と唱えようと地方にある原発は再稼働をもくろんでいるのが現実。東京電力は柏崎刈羽原発も再稼働…という破廉恥な行動も聞きます。
とはいえ、今は「脱原発」がメインのスローガンなのでしょう。
大事なことは、脱原発にむけたとき、東京で何ができるのか…。都知事の手腕を高放射は語ってほしいと思います。
19日(日曜日)米軍普天間飛行場の移設の是非を争点とした名護市長選挙がありました。結果、日米両政府が辺野古への移設反対の稲嶺進(68)が賛成の末松文信(65)を破って当選しました。
また、福島県南相馬市長選挙では、脱原発を主張してきた桜井勝延(58)が自民党(原発再稼働)系の候補者をやぶり当選しました。これから、より具体的に脱原発にむけた政治が実践されるだろうとお思います。
東京都知事選をとりまく状況は、脱原発、基地移設反対がおおきなテーマをつくっていると思います。
さて、さて、東京の有権者は何を本当に求めているのでしょうか。なにか、できることを考えていき、大事な投票に参加していきたいと思います。
ちなみ私は、いまできることはことごとく強行している自民党の政治に対する危険を考えています。「特定秘密保護法」もあるでしょう。さらに、日本で働いているかぎり、安心して働ける場所、不安定な経済はやめて欲しいと思えるのですが……。派遣社員ばかり増えて、低賃金で働いて、病気の不安にあげく労働者の安心して働ける政治を望みたいなあ……。
あいかわらず、海外へいってトップセールスといえば聞こえはいいが日本の借金をふやす援助は増えていくばかり……のようなことをやっている政権には期待はできない。
近所といえば近所……井の頭公園で「かいほり」をやっているとのことで、ヤジウマ根性で見に行ってきました。
子どものころ、こんな遊びを田んぼの一部を水を抜いてみたらいろいろな生き物がいました。その思いがあって、どんなものがでてのか、楽しそうだ、と思い一度は水がないときに……と思いつつみてきた次第でした。
最近、池に住む魚も外来種(ブラックバスやブルーギル)が増えてきたそうです。本来すんでいるはずの在来種(鯉やモッゴやヌマチチブ、ママズ)が少なくなってしまったともいわれています。かいぼりを実施して外来種を駆除し、在来種の魚を増やす計画だそうです。
また、人が増えるとゴミも増える、というように水抜きを始めてから自転車が200台、バイク3台を拾いあげたそうです。なんとも言いようのない人間の悲しさがあがってきたように思えます。
人は見えるものは気をつかいがちですが、目にふれないものは気にしないようなところがあります。いらない自転車を池に投げ込んで沈めてしまえば見えなくなりますが。そのおかげで、あるべき池の住人が迷惑をしてしまうことは考えていないのだろうと思えます。
まあ、人ほど罪深いものはいないとつくずく思えた瞬間でもありました。
都市の公園は人間がつくったものです。それを壊すのも人間です。そのときはよくても何十年も先には池さえもなくなる危険を人間がつくっているのは確かだな思えました。要は自分の首を自分でしめているようなものです……ね。
今年はどんな一冊に出会えるのか楽しみ始まった1月でした。
が、しかし、腰痛によって「肩のこらない」ものを読んでいました。さらに図書館でかりたものは結局ほとんど読めなくなってしまいました。
そんなわけで、読んでもうわのそら状態で日々を送っていたようです。
今年もこんなところで始まりました。今年はどんな一冊にめぐりあうことができるのでしょうか。楽しみな一年が始まったように思えますが……。
とはいうものの、高く広くアンテナを立てて情報をえなくてはなりませんが。
放浪記/林芙美子/新潮文庫
・私は宿命的な放浪者である。私は古里を持たない。~それ故、宿命的に旅人である私は、この恋しや古さとの歌を随分と侘しい気持ちで習ったものである(p8)
・セルロイドの匂い、セルロイドの生活だ。朝も晩も、ベタベタ三原色を塗りたてて地球のように、太陽から隔離された歪んだ工場の中でコツコツ無限に長い時間と青春と健康を搾取された(p45)
・お腹がすくと一緒に、頭がモウロウとして来て、私は私の思想が似カビを生じてしまうのだ(p113)
・旅へ出よう。美しい旅の古里へ帰ろう。海を見て来よう……(p216)
・私は生きる事が苦しくなると、故郷というものを考える。師ぬる時は古里で死にたいものだとよく聞くと私はまた故郷というものをしみじみと考えるのだ(p336)
・無限に空があるくせに、人間だけがあくせくしている(p394)
【感想】
私にとって林芙美子の「放浪記」は時々、読みたくなく本である。それは、なにか疲れて「いままで何をしてきたのだろう……」と思うと古里を思い出す…というフレーズが「放浪記」の内容とちょっと似ているからだろうと思う。私は都会に住んでいても「永遠の田舎ものある」とうことがいえる。いまでは、東京に住んでいるのは生まれた古里よりも多い。こんなに長い間住んでいても「永遠の田舎もの」はときどき顔をのぞかせていることに気がつく。
それは、この都会をうまく自分にとっていかすのにはあまりにも経済的な負担が大きい町なのだということだろう。
文化、政治の中心地となっているようで結局東京という場所は田舎ものが故郷をことさら思い描いてなりたっているような町なのかもしれない。だいたい、東京を動かしているのは根っからの東京人ではなく、地方からの人の方がきっと多いことにきづく本でもあるとうに思える。
私も放浪者なのだろうと思う。居はあっても、気持ちはどこかに行きたい、こんなところではない……という気持ちはいつもある。
「東京が世界一」なんていっている政治家がいますが、なぜ世界一にならなくてもいいのではないのですか。まあ、なんの世界一?と思いますが。いあまさら世界一にしようとしておるのは「いい意味」ではないでしょう。結局、都税がだれかの懐を豊かにし、税金があがる……という仕組みでしょう。
ますます、放浪したくなります。
私は負けない/木村厚子/中央公論
【感想】
身に覚えのない事件に検察の取調べ日によって「犯人」にされていく仕組みがあるのだなあ…と思える一冊でした。それも、検察がシナリオをつくってそのシナリオどおりに犯人をつくっていく…、となんとも身勝手なことをしている事実も知ることができました。
冤罪は検察と刑事でつくられていくという怖さも知ることもできます。権力はこんなことまで人の一生をつくっていく事実がある。
全部がそうだとは思いませんが、組織を守るためには、一個人の力は弱いものだ…といえます。
こんなことは、表にでないだけでいっぱいあるのでしょう。
著者の村木さん「運」もよかっただけでしょう。また、信頼する人たちがいたことも大事な条件になったのだ、と思えます。
村木 厚子
1955年高知生まれ。高知大学卒業後、78年労働省(現・厚生労働省)に入省。障害者支援、女性政策などに関わり、雇用均等・児童家庭局長などを歴任。2009年、郵便不正事件で逮捕・起訴されるも10年9月に無罪確定。同月より職場復帰し、13年7月より厚生労働事務次官に就任
江川 紹子
1958年東京生まれ。早稲田大学政経学部卒業。神奈川新聞社会部記者を経て、フリージャーナリストに。新宗教・災害・冤罪のほか、若者の悩みや生き方の問題に取り組む。95年、一連のオウム真理教報道で菊池寛賞を受賞
山峡/松本清張/光文社文庫
※後日記載の予定
下町ロケット/池井戸潤/小学館
※後日記載の予定
吉野弘全詩集/吉野弘/青土社
吉野弘が亡くなったニュースが流れた……本当かと思いつつ翌日の新聞にニュースとなって載っていたので本当だと思った。
ぼくはこれまで、吉野弘さんの詩を読んで感銘をうくていた。「夕焼け」では、電車に乗った少女が悩みながら老人に席をゆずっていく様子がとても人間らしくて好きだった。
「桃子へ」では、新しい生命への応援歌のようにも思えたしよかった。
吉野弘さん死去 87歳 詩人、「祝婚歌」
2014年1月20日 夕刊/東京新聞
「祝婚歌」などの詩で知られる詩人の吉野弘(よしのひろし)さんが十五日、肺炎のため静岡県富士市の自宅で死去した。八十七歳。山形県出身。葬儀・告別式は密葬で行った。喪主は妻喜美子(きみこ)さん。
石油会社に勤める傍ら、川崎洋さんと茨木のり子さんが創刊した詩誌「櫂(かい)」に参加。谷川俊太郎さん、大岡信さんらと交流した。三十代半ばに退社してからは、コピーライターに転じた。
在職中に携わった労働運動体験に根ざした詩を発表。平易な言葉で人々に呼び掛けるような詩は、他者への柔らかいまなざしに満ち、日常にある不条理をすくい取った。
詩集「感傷旅行」で読売文学賞、「自然渋滞」で詩歌文学館賞。「祝婚歌」は結婚式のスピーチなどで読まれた。母校をはじめ校歌や社歌の作詞を手掛けたほか、新聞や雑誌の詩壇の選者を務めた。
今週は、とうとう腰痛の影響がでたのか更新もままならない状態だった。それでも、以前よりはよくなった……ことに安堵しているところである。
とは、いうもののなかなか思うようにはいかないのが現状だ。
「今月の読書」は少しずつまとめていき更新していきたいと思う。
*読んでくださった方、ありがとうございました。