日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

今年はどんなはじまりでしたか…?

2014年01月26日 | Weblog


 
 こんにちは……
 毎日寒い日が続きます。1月も今週で終わりです。はやいものですね。
 今月は、仕事が始まりと同時に腰痛が私の身をしばりつけた月でした。これはどうにもできないので、病院に駆け込んで、薬とコルセット着用の日々が始まりました。いまは、薬は終わって、コルセット着用と週に一度の電気治療の日々です。
 いまのところ、コルセットは寒さもあってか腰のまわりが温められていい感じです。でも、夏になると、きっと蒸れるだろうと心配はあります。とはいうものの、以前よりはまだましなので、あとはこの痛みを少しずつ和らげながらつきあっていくしかないように思えます。
 やっぱり、歳でしょうか……ね。

 寒さだけが冬だとは思いたくありませんが、やはりこの寒さが作り出している日ごろの行動には冬だということを覚えます。きっと、楽しい冬だという言う人もいるでしょう。例えば、2月にはロシアのソチで冬季五輪があります…とか、アツアツの湯豆腐がいまいとか…、あるのでしょう。そう思って送っていくしかないようです。

 さて、今週東京では都知事選の告示がありました。
 なつかしい名前もでてきたりして、もう一度花を咲かせようという老人のがんばりのように思えます。今回の選挙のなかには、再稼働をもくろむ候補者もいまが、メインスローガンは「脱原発」のようです。どの候補者もそろって「脱原発」を訴えています。

 ところで「脱原発」はだれもが考えるところでしょう。本当にそれだけでいいのでしょうか……と思うことがあります。いまだに「全全を確保して再稼働すべきだ…」と訴えている候補者は現状をちっとも考えていないように思えて論外ですが、「脱原発」だけで「停止」できるかといえば無理だと思えます。
 東京は日本のあらゆる地方の恩恵のうえに成り立ている都市だということを考えれば、本当は都内でどれだけ「反対」と唱えようと地方にある原発は再稼働をもくろんでいるのが現実。東京電力は柏崎刈羽原発も再稼働…という破廉恥な行動も聞きます。

 とはいえ、今は「脱原発」がメインのスローガンなのでしょう。
 大事なことは、脱原発にむけたとき、東京で何ができるのか…。都知事の手腕を高放射は語ってほしいと思います。
 19日(日曜日)米軍普天間飛行場の移設の是非を争点とした名護市長選挙がありました。結果、日米両政府が辺野古への移設反対の稲嶺進(68)が賛成の末松文信(65)を破って当選しました。
 また、福島県南相馬市長選挙では、脱原発を主張してきた桜井勝延(58)が自民党(原発再稼働)系の候補者をやぶり当選しました。これから、より具体的に脱原発にむけた政治が実践されるだろうとお思います。

 東京都知事選をとりまく状況は、脱原発、基地移設反対がおおきなテーマをつくっていると思います。
 さて、さて、東京の有権者は何を本当に求めているのでしょうか。なにか、できることを考えていき、大事な投票に参加していきたいと思います。
 ちなみ私は、いまできることはことごとく強行している自民党の政治に対する危険を考えています。「特定秘密保護法」もあるでしょう。さらに、日本で働いているかぎり、安心して働ける場所、不安定な経済はやめて欲しいと思えるのですが……。派遣社員ばかり増えて、低賃金で働いて、病気の不安にあげく労働者の安心して働ける政治を望みたいなあ……。

 あいかわらず、海外へいってトップセールスといえば聞こえはいいが日本の借金をふやす援助は増えていくばかり……のようなことをやっている政権には期待はできない。


 近所といえば近所……井の頭公園で「かいほり」をやっているとのことで、ヤジウマ根性で見に行ってきました。
 子どものころ、こんな遊びを田んぼの一部を水を抜いてみたらいろいろな生き物がいました。その思いがあって、どんなものがでてのか、楽しそうだ、と思い一度は水がないときに……と思いつつみてきた次第でした。
 最近、池に住む魚も外来種(ブラックバスやブルーギル)が増えてきたそうです。本来すんでいるはずの在来種(鯉やモッゴやヌマチチブ、ママズ)が少なくなってしまったともいわれています。かいぼりを実施して外来種を駆除し、在来種の魚を増やす計画だそうです。

 また、人が増えるとゴミも増える、というように水抜きを始めてから自転車が200台、バイク3台を拾いあげたそうです。なんとも言いようのない人間の悲しさがあがってきたように思えます。
 人は見えるものは気をつかいがちですが、目にふれないものは気にしないようなところがあります。いらない自転車を池に投げ込んで沈めてしまえば見えなくなりますが。そのおかげで、あるべき池の住人が迷惑をしてしまうことは考えていないのだろうと思えます。
 まあ、人ほど罪深いものはいないとつくずく思えた瞬間でもありました。
 都市の公園は人間がつくったものです。それを壊すのも人間です。そのときはよくても何十年も先には池さえもなくなる危険を人間がつくっているのは確かだな思えました。要は自分の首を自分でしめているようなものです……ね。



 今年はどんな一冊に出会えるのか楽しみ始まった1月でした。
 が、しかし、腰痛によって「肩のこらない」ものを読んでいました。さらに図書館でかりたものは結局ほとんど読めなくなってしまいました。
 そんなわけで、読んでもうわのそら状態で日々を送っていたようです。
 今年もこんなところで始まりました。今年はどんな一冊にめぐりあうことができるのでしょうか。楽しみな一年が始まったように思えますが……。
 とはいうものの、高く広くアンテナを立てて情報をえなくてはなりませんが。
 

    



放浪記/林芙美子/新潮文庫
・私は宿命的な放浪者である。私は古里を持たない。~それ故、宿命的に旅人である私は、この恋しや古さとの歌を随分と侘しい気持ちで習ったものである(p8)

・セルロイドの匂い、セルロイドの生活だ。朝も晩も、ベタベタ三原色を塗りたてて地球のように、太陽から隔離された歪んだ工場の中でコツコツ無限に長い時間と青春と健康を搾取された(p45)

・お腹がすくと一緒に、頭がモウロウとして来て、私は私の思想が似カビを生じてしまうのだ(p113)

・旅へ出よう。美しい旅の古里へ帰ろう。海を見て来よう……(p216)

・私は生きる事が苦しくなると、故郷というものを考える。師ぬる時は古里で死にたいものだとよく聞くと私はまた故郷というものをしみじみと考えるのだ(p336)

・無限に空があるくせに、人間だけがあくせくしている(p394)


【感想】
 私にとって林芙美子の「放浪記」は時々、読みたくなく本である。それは、なにか疲れて「いままで何をしてきたのだろう……」と思うと古里を思い出す…というフレーズが「放浪記」の内容とちょっと似ているからだろうと思う。私は都会に住んでいても「永遠の田舎ものある」とうことがいえる。いまでは、東京に住んでいるのは生まれた古里よりも多い。こんなに長い間住んでいても「永遠の田舎もの」はときどき顔をのぞかせていることに気がつく。

 それは、この都会をうまく自分にとっていかすのにはあまりにも経済的な負担が大きい町なのだということだろう。
 文化、政治の中心地となっているようで結局東京という場所は田舎ものが故郷をことさら思い描いてなりたっているような町なのかもしれない。だいたい、東京を動かしているのは根っからの東京人ではなく、地方からの人の方がきっと多いことにきづく本でもあるとうに思える。
 私も放浪者なのだろうと思う。居はあっても、気持ちはどこかに行きたい、こんなところではない……という気持ちはいつもある。

「東京が世界一」なんていっている政治家がいますが、なぜ世界一にならなくてもいいのではないのですか。まあ、なんの世界一?と思いますが。いあまさら世界一にしようとしておるのは「いい意味」ではないでしょう。結局、都税がだれかの懐を豊かにし、税金があがる……という仕組みでしょう。
 ますます、放浪したくなります。


私は負けない/木村厚子/中央公論
【感想】
 身に覚えのない事件に検察の取調べ日によって「犯人」にされていく仕組みがあるのだなあ…と思える一冊でした。それも、検察がシナリオをつくってそのシナリオどおりに犯人をつくっていく…、となんとも身勝手なことをしている事実も知ることができました。

 冤罪は検察と刑事でつくられていくという怖さも知ることもできます。権力はこんなことまで人の一生をつくっていく事実がある。
 全部がそうだとは思いませんが、組織を守るためには、一個人の力は弱いものだ…といえます。
 こんなことは、表にでないだけでいっぱいあるのでしょう。
 著者の村木さん「運」もよかっただけでしょう。また、信頼する人たちがいたことも大事な条件になったのだ、と思えます。
 
村木 厚子
1955年高知生まれ。高知大学卒業後、78年労働省(現・厚生労働省)に入省。障害者支援、女性政策などに関わり、雇用均等・児童家庭局長などを歴任。2009年、郵便不正事件で逮捕・起訴されるも10年9月に無罪確定。同月より職場復帰し、13年7月より厚生労働事務次官に就任

江川 紹子
1958年東京生まれ。早稲田大学政経学部卒業。神奈川新聞社会部記者を経て、フリージャーナリストに。新宗教・災害・冤罪のほか、若者の悩みや生き方の問題に取り組む。95年、一連のオウム真理教報道で菊池寛賞を受賞


山峡/松本清張/光文社文庫
※後日記載の予定


下町ロケット/池井戸潤/小学館
※後日記載の予定



吉野弘全詩集/吉野弘/青土社
 吉野弘が亡くなったニュースが流れた……本当かと思いつつ翌日の新聞にニュースとなって載っていたので本当だと思った。
 ぼくはこれまで、吉野弘さんの詩を読んで感銘をうくていた。「夕焼け」では、電車に乗った少女が悩みながら老人に席をゆずっていく様子がとても人間らしくて好きだった。
 「桃子へ」では、新しい生命への応援歌のようにも思えたしよかった。
 
吉野弘さん死去 87歳 詩人、「祝婚歌」
2014年1月20日 夕刊/東京新聞

 「祝婚歌」などの詩で知られる詩人の吉野弘(よしのひろし)さんが十五日、肺炎のため静岡県富士市の自宅で死去した。八十七歳。山形県出身。葬儀・告別式は密葬で行った。喪主は妻喜美子(きみこ)さん。
 石油会社に勤める傍ら、川崎洋さんと茨木のり子さんが創刊した詩誌「櫂(かい)」に参加。谷川俊太郎さん、大岡信さんらと交流した。三十代半ばに退社してからは、コピーライターに転じた。
 在職中に携わった労働運動体験に根ざした詩を発表。平易な言葉で人々に呼び掛けるような詩は、他者への柔らかいまなざしに満ち、日常にある不条理をすくい取った。
 詩集「感傷旅行」で読売文学賞、「自然渋滞」で詩歌文学館賞。「祝婚歌」は結婚式のスピーチなどで読まれた。母校をはじめ校歌や社歌の作詞を手掛けたほか、新聞や雑誌の詩壇の選者を務めた。
 


 今週は、とうとう腰痛の影響がでたのか更新もままならない状態だった。それでも、以前よりはよくなった……ことに安堵しているところである。
 とは、いうもののなかなか思うようにはいかないのが現状だ。
 「今月の読書」は少しずつまとめていき更新していきたいと思う。

*読んでくださった方、ありがとうございました。



山もいいですが…静かな海もいい!

2014年01月19日 | Weblog


 こんにちは……
 今月もはやいと思いきや終わりが近づいています。仕事が始まった思いきやもう下旬です。
 今年の仕事がはじまりましたが、順調になれてきましたか……
 仕事に追いかけられて日々ですが、ほっとする時間を求めて暮らしているというところが本当のところでしょうか。

 さて、今週は偽装食品どころではなくて生産された食品が問題になった一週間でもありました。それが全部、命にかかわる問題だから大変のことです。
 先週は化学工場が爆発した事故がありました。今週は、浜松市の市立小学校で学校給食を食べて1000人もの児童がノロウイルスが原因で下痢や嘔吐をしたというニュースもありました。子どもたちの大変なことでしょうが、それを作っている会社はもっと大変なことが起こっているのではないかと思います。

 おそらくたまたま今回つくったものに…ということなのかもしれません。しかし、その背景には「ハイリッヒの法則」ではありませんが、小さななミスがあったのではにかと思うのが自然だと思えます。
 かくいう、私の職場でもあることですから……。




 山にはよく出かけるのですが、海のほうはなかなか行く機会がない日々を送っていました。東京という土地は東京湾という太平洋の海岸があるのですが埋め立て地がほとんどで、砂浜などは皆無のようです。工業化がすすみすぎて、人間が歩くはずの砂浜はどうでもいいようにも思えるところがあります。人が住む、働く、食う、寝るという週間があるのですが、もうひとつ人間にとって大事なことは「歩く」という行為です。
 それも、自然と対峙しながらの歩く……。
 考え直してみれば、そういう行動はどれだけしているんでしょうかね?

 日々の生活で生きていくひとつの大切な好意として「歩く」ということを考えている人はどれだけいるのでしょうか。それも、人を相手に歩くのではなく自然を求めて、対峙を繰り返しながら歩く……。
 私も、山歩きを漠然とやっていましたが、今回、趣味の展示会会場のすぐ近くに海があり、砂浜があり……というシチエーションによって「行こうか」となったようなところがありました。ポスター展もよかったのですが、砂浜のある海を見ながら歩く方が来たかいがあるようにも思えました。

 島崎藤村の「夜明け前」という小説に主人公の半蔵が木曽路から旅をしてはるばる横浜の海に浮かぶ異国船を眺めるシーンがあります。初めての海を眺めた心境はどんなものだったでしょうか。歴史は海からやってくる……とも思ったのでしょうか。山が日本であれば、海は海外。異文化がとおる道にもなっているわけでしょう。海のもたらした多くの幸のめぐみをもらってきた島国の日本だな…、とつくずく思えるのは砂浜の散歩ならではですね。
 この展示物も大きな海をわたって100年前の歴史を披露しているのではないかと思えます。
 



 今週、友だちと、昨年から神奈川県立美術館葉山で開催されていた「ユートピアを求めて」というロシアポスター展を見にいってきました。今回は場所もいい、展示品もいいということで楽しみにしていた展示会の一つでもありました。冬の海岸は人もまばらで静かでいいものです。一日中、平日の雑踏を逃れて考えられる場所でもいいし、私のパワースポットです。波の音が大きくていいです。

 さて、展示会は1917年のロシア革命の時代から1925年くらいまでの時代にソビエトで作られたポスターコレクションを展示したものです。

(後日記載)すいません……


※詳細はこちらでどうぞ。神奈川県立美術館葉山


 世の中どうころぶかわからないものです。ソ連が崩壊??
 昔「今日のソ連邦」という雑誌をとっていたことを思いまだした。たしか、五反田にソ連大使館があって、遊びにいくとただでもらっていたように思う。みんなそれなりに社会主義に前進しているんだろうと読んでいた。まあ、私の年齢になっては。ソ連は「希望の星」の政治であったように思う。資本主義じゃダメだ…。それじゃ社会主義かていどの安易な気持ちで読んでいたが、現実はすでに資本主義にすすんでいたのには驚いた。

 今では世界をリードする市場経済の中心のようなロシア。あれだけ国土が広いのだからできるのだろう。しかし、ロシアになってから、小国がそれぞれ分離独立していくのも世界の流れだったのだろう。それでも、大きい国には変わりはない。
 また、皇帝ロシアにかわる大資本化が中心になるのだろうか。
 ロシア革命前夜、数々の隆起があったようにだれかが期待していることもあるのだろうか。
 



松本瑠樹(るき)
1946年12月29日、東京生まれ。2012年3月11日永眠、享年65歳。文化服装学院在学中に、株式会社オールファッションアート研究所を創立。同年、自らプロデューサー兼デザイナーとしてDCブランド「BA-TSU」を創業。その後「MINI BA-TSU」、「MEN'S BA-TSU」、「鎖に繋がれた天使」、「田園詩」など、数々のアパレルブランドを展開。トータル・プロデューサーの先駆者として、ベストセラー『にんげんだもの』(相田みつを著、文化出版局、1984年)の出版プロデュースをはじめ、ファッションビル、リゾート開発、多企業のデザイン顧問などを務めた。
松本瑠樹コレクションとは?
1980年代から90年代にかけて若者の間でブームを巻き起こしたDCブランドのひとつ「BA-TSU」。その創業者でデザイナーの松本瑠樹は世界的なポスター蒐集家としても知られ、アールデコ、バウハウス、ロシア・アヴァンギャルドなどの芸術運動を網羅したポスターコレクションは2万点にも及びます。


 今年も展示会がはじまりました。いつも行っている「日本報道写真展」(2月・横浜)や「国際報道写真展」(6月・恵比寿)が始まりました。また、映画もいいものがあれば出来るだけ足を運ぼう考えているところです。
 さて、さて、今年はどんなものが飛び出すことやら……


*読んでくださった方、ありがとうございました。



仕事がはじまりましたが……

2014年01月12日 | Weblog


 こんにちは。
 やっと正月がおわり仕事がはじまりましたね。
 今週は「さあ、はじめるぞー」と思いきや腰痛が出て、あえなく2日間も休んでいました。仕事にいった朝、電車に飛び乗り座ってまではよかったのですが、下車する駅で立ちあがった瞬間「ビリ、ビリ」と電気が走ったように痛みが体中をはしったかと思うと、もう体は固まっていました。降りる駅の電車のドアーがしまっていくのを見ていました(笑っちゃいました)。

 さて、猪瀬都知事の辞職によって、都知事選が始動はじまりました。
 候補者も過去の栄光をもう一度…という細川護煕氏も参戦しました。また、舛添要一氏、田母神俊雄氏も立候補しています。さらに、昔風に言えば革新の宇都宮健児もでてきました。いまのところ、この4人がだいたい本命であとは自己主張だけの選挙になるだけだと思えます。

 今、政治ってなんだろうと思います。
 単純に人々の生活をよくする…ものだと思っていますが、最近は政治家だけがいろいろと話題になるのですがその人の政治が全然、身近になっていないような気がします。

 たとえば「アベノミクス」という言葉。
 経済を強くする、といったのはいいのですがまったく感じない状況で、ただただマスコミが騒いでいるものに踊らされているようなところがあるようにも見えます。まして、株などやっていなければ感じない経済って何だと思います。結局、一か月、その賃金でそこそこ生活を送っている人には無関係な話しに思えました。働くものの立場にかえれば必然的に脱原発や秘密保護法ということになるのも当然でしょう。沖縄県知事のように、普天間から辺野古に基地反対を反古にするのもあります。

 いま、政治に大事なことは公約をちゃんと実行すること、野党は野党としての行動をすること。すこしは、市民に期待をもたせる政治をやってほしいなあ。
 民主党もよくわかならなくなってきました。
 いまのままの自民党主導の政治は憲法改正についても水面下での動きがあるようです危険な選択になってくるような気がします。集団的自衛権での憲法改正も動いています。ますます、きな臭い動きがはじまった。
 
 横浜地検川崎支部から逃走した集団強姦などの容疑で逮捕された杉本容疑者。なんと、元気印の容疑者。そのエネルギーをうまく使うことができればよかったと思えました。逃走を助けた友達もいるとのニュースもあった。
 逃走経路の近隣の人たちには恐怖をあたえたようだった。




 おはようございます…、という言葉がかわされそうな朝。もう外ではそれぞれの用事のため動き出している。
 「早起きは三文のとく」という言葉が思い出される。
 休日の朝は眠い思いをふりきって無理をしておきてみると思いがけない景色をみることがある。夜明けを前に寒いベランダにたって見ていると、平日では見えないものがゆっくり見えてくる。

 最近は家族で早起きが普通になってしまった。
 私と娘は仕事のつごうで早起きをする。かみさんは私たちがおきるのよりさらに早くおきて朝食をつくっている。どこにでもある光景である。さらに、早起きした分、かみさんは、午前中に買い物や用事を全部すませるようにして、午後はできるだけ外にでかけずのんびりするということで療養している。

 休日の朝は、家族が寝坊するようだ。これも、一週間がんばたことへのおほうびだろうと思う。わたしはのごほうびは寝坊より、昼寝になる。好きなテレビをみているうちにいつのまにかねてしまっている。だから、生中継のスポーツ番組は終わっていることがほとんどだ。それでもいいと思う。

 この町に引っ越してきて公営の団地の4階に住んだ15~16年ほどまえ、朝焼けがみごとだったことを思い出した。東の空が刻一刻と茜色からピンクにグラデーション模様で変化していく朝焼けはそれはみごとな景色だった。
 その後、そんなみごとな朝焼けはみることがなくなった。地球温暖化のせいか大気汚染のせいかわからないが、ここ数年あんなみごと朝焼けは頭に焼き付いているだけとなった。世界中のどこかで、誰かが同じ時間に東の空をな眺めていることだろう。太陽があがるなか、どんな朝焼けをこれからみることができるだろうか。


『冬の一日』

北風が少しずつふきぬける道
自転車に乗ったオバさんが
豆腐屋さんの前で停まった
そのうしろからマフラーとマスクで顔を包んだ男とも女ともわからない人が歩いていく
冷たい北風を正面にうけて自転車は走り去った

私はふと
そのうしろ姿を見てどこにいこうとしている
どこへむかっていこうとしているのか
北風に押されながら
名もしらない人は去っていく
忘れ物を拾おうとしてか
忘れ物を捨てようとしているか
冷たいと思うわがままを忘れようとしているのか
今日一日が暮れていく

運がよければ
地球の片方に光が照らされて
明日という一日がはじまるのだ
光のなかで私は歩いているのだろうか
過ぎ去るし日々を思い
消えていった人たちを慕い
歩きながらたどりつくであろうどこかに
立ち停まったとき
私は今日を微笑んでいるのだろうか

見つめている
今日もすぎていく時間と人を
老いが追いかけていく日々に
あしどりもおくれがちに歩いている



 ちょっとながい正月休みが終わり、よおうやく仕事がはじまった。
 今年は、どんな年になるだろうかと……思いつつ始まった1月だった。満員電車にゆられ片道90分の通勤がはじまった、ということだ。体だけは気をつけていこうと思っていたやさきだった。
 
 昨年の暮れから少し腰痛があったのだった。それほど気にもとめずいた。電車に乗って、乗り換え駅にかたとき「痛い……」と思った瞬間、立てずいた。どうにか、職場についたもののやはり、痛い。痛さはくしゃみをしても痛さが身体中をかけめぐった……。骨がきしんでいるような思いだった。
 会社を早退して整形外科にとびこんだ。レントゲンの結果は軽いヘルニアだった。その後、薬とコルセット着用の日々が始まった。

 腰痛の原因をよくよく考えてみた。
 昨年の師走は無理な態勢でパソコンで仕事をやっていた。それも、軽い痛みがあったままの作業だった。やっぱり、60歳を前にした人間の態勢ではないなあ……と、思えた。
 何をするにも姿勢は大切な第一歩だと思った。背筋を伸ばすは長時間いる場合はそれがいちばん身を守る態勢だと思えた。理にかなった姿勢が最後は自分の身を守る形だと思った。
 よるとしなみには勝てぬ……自分のことは自分がいちばん知っていると思っている……が以外と他人のほうがよく見えていることもある。とくに家族はいちばん見えているのではないかと思う。また、いちばん身近な友だちがよくわかっているのではないかと思う。


 姿勢はきれいなのがいちばん身体にやさしい形なのだ!



 私にとっては今回の3連休はとてもラッキーに思えた休みだった。腰痛は先週よりは楽になった。このまま、ちょっとずつでもいいから痛みが消えていってほしいものだ。
 今年は4月から「消費税が8%」になる。
 企業も設備投資に買い物をしているという。今、消費者も5%の状態であるという。また、ニュースをきいていたら安倍首相がアフリカへのODA援助(政府開発援助)をするとも報道されていた。そんな余裕があるのか?、という疑問が素直にうかんだ。いくら、消費税をあげても、その使い道は時の権力者の政治にゆだねられている。そう、思うと8%から10%の消費税が自分の国の政策に本当になっていくのかという疑問が残る。なぜなら、5%のときの消費税は少ないから8%にした。安易すぎるように思える。結局、納税者はないがしろになるのではないか……と危惧する年になるのか。

 最近、自民党の運動方針から「不戦の誓い」を削除し、「戦わない」という表現が消え、「積極的平和主義」による「国際貢献」が新たに盛り込まれた(東京1月11日)という。国会を完全に多数で掌握したという自民党の本質がでてきた内容ではないかと思う。消費税があがり、市民の生活をないがしろにして何をしようとしているのか……。ちょっと、不安でもある。

 今年のブログは昨年同様変りばえのしない日々を描写していく予定でいます。毎日の仕事をとおして考える日々が、はいちばんの教師のように思えます。その中でしか生きていく方向を示すことが私の方向だと思うからです。
 はやく腰痛をなおしてまた、山歩きにも挑戦していきたいと考えている「成人の日」でした。
 きっと、いろいろとまたあるのでしょうか。愚痴が多くならないようにしたいものです。ただ、今は五十代でできることを見つけながら、できればそれがいちばん自分にあったものだという日々を探して送っていきたいと思う一年でいきたいと思います。もう、昔に戻ることはできませんから…ねえ。

 *読んでくださった方、ありがとうございました。
 

いい一年をつくろうや!!…今年もよろしくお願いします

2014年01月05日 | Weblog



 毎年の恒例の行事、初詣。
 この日どこの神社も有名所は多くの初詣でにぎわっているだろう。明治神宮などは多数の宗教関係者がこの日だけは友だちと一緒に初詣をしているんだろうと思う。無茶苦茶だがそんなもの……だと思えてしまう。
 実際、宗教などは実際に必要に迫られもでは無宗教の顔をしているように思う。近隣者に不幸があったり、自身が必要にせまられなければ考えないのが宗教のように思う。

 でも、宗教は幾多の時代にも市民権を得るためには相当の弾圧があったり、まさに命がけの社会もあったことはわすれないようにしたいものだ。
 わたしの好きな作家の遠藤周作の「沈黙」では隠れキリスタンが描かれていた。まさに死をもってもすてがたい宗教がえがかれていたように思う。
 まさに、宗教か命か世界だった。そんな中でいまでも延々とつながっているということは、何かがあるはずなのだ。それを、真剣に考えてみるのもいいかもしれない。

 賽銭をいれて拝んで、はい終わり……というものではなかったのだから……。



 新年あけましておめでとうございます。
 今年の新年は天気にめぐまれ初詣も家族でのんびりいくこともできました。そして今年は長い休みになっていたのでのんびりできたのではないでしょうか。
今ごろは、故郷から家路に急いで帰っている光景が浮かびますが…。故郷ではどんな正月を送ってきたのでしょうか…。

さてさて、新年も松の内。
 今年の正月は、ふりかえってみれば昨年よりは「倍返し」ではありませんがいい正月であったと思っています。
 なぜなら、一年に一度くらいは仕事を忘れて家族がのんびり過ごせる時間があっていいと思います。そう、考えると正月は大事な年中行事の一大イベントであるのではないのでしょうか。

 昨年暮れから休みがカレンダーとおりにきた結果長い休み(9日間)に思えていましたが終わってみれば短いものですね。
 なにかしたかといえば、家族での初詣、墓参り、山歩き…となんとかあきそうな日々をどうにか送ってきました。
 休みが終われば、日々仕事に追われる日々が待っているだけですが、それを忘れてしばし家族の時間をもてたことはよかったと思えます。
 
 今年も、昨年同様に一週間に一度ブログを更新していく予定でいます。
 仕事のこと、世間のこと、家族のこと、そして自分のこようまく更新できるかは疑問ですがまあ「ボチボチ」とはじめます。
 無理なくやれることがいちばんです。



新年に……
一年を数えてみれば365日
1月1日24時間
時間よ終われ、人に終われ
こんな日々が昨年同様はじまるだけだ
なにもかわらない日々ではないか
変わったことといえば
わたしの命が日々小さくなっていくこと
さらには
聞いたこともない音に
見たことも景色に
明日を考えていることくらい
ことしも「地震速報」の音を聞くのだろう
こころも建物も揺れる
それでも逆らえないものに納得させる
日々の形をこしらえていくのだろう
それでもあがなうわたしでいてほしいと…
どんな一日をさがすのだろう
どんな私がいるのだろう

※今年も下手のよこ好きで「詩」を書いていきたいと思います。気持ちがぴったりと表現できればと思っているが、言葉がすくないせいで表現できな!ではなく、今の私の言葉で状況を伝えていけたらいいのではないかと考えています。



 ◎コース:陣馬高原~明王峠~景信山~小仏~城山~高尾(稲荷山コース)
  時間;午前8時~午後4時(休憩1時間)

 今年の最初の山歩きにいってきました。
 この日の天気は曇り空。雨でなかったのはよかったのです。その分、温かい一日でした。
 登山者は天気がいまちょっということめずらしくで少なくて静かな山歩きができました。
 山道は所々が霜柱が溶けてぬかるんで歩きずらいところもありましたが、この時期は仕方のないことだと思います。
 雪も上のほうはちょっと積もっていましたよ。


残念でした……曇りで富士山がよくみえません。天候のせいにしても仕方がないのですが、できれば、よく晴れた冬の朝はもっときれいです。


登山道は足をとられるほどのぬかるんだ道も所々ありますのでころばぬよう注意が必要です。ズボンや靴が泥だらけになるので工夫が必要です。スパッツなど足もとにつけるといいのです。1月~3月ごとまでの高尾の登山道は、ころばないように注意がひつようです。



こんなにすいている高尾山口はめずらしいです。いつもは超満員です。
おかげで名物「高尾まんじゅう」もありました。



「高尾まんじゅう」……シンプルでやさしい甘さがいいです。
毎年、山歩きするたびに買い求めて帰ってくるのですが、昨年はほとんど「ソールドアウト」でした。家族もみんな好きでおいしいです。値段も安いしいいです。おすすめの一品です。いつも、年始に「お箸」もいただいているのですが、今年はありませんでした。



 
 2014年をむかえてみれば、昨年よりはいい正月だと思っている。なんせ、昨年は妻が入院していたのだから。それを思えばずっとましな新年だった。
 思えば長い正月休みと思っていたら、終わってしまえば短いとわがままが顔を出す。どこまでいっても、できないことに悔やんでは「もうちょっと…」がる。もうちょっと自分のわがままが通ればできるのか…?、といえばできるかもしれないが、まあいいものは無理かもしれない。

 そんなとき水戸黄門の主題歌を思います。「……人生楽ありゃ苦もあるさ……」いう歌詞だ。なにをするにも本当にいいもの、納得するものをつくろうとすれば「苦」はつきまとうだろうと思う。そしてできないと「もうちょっと…」というわがままが顔を出し反省が繰り返される。その連続が人生なんだろうと思う。今年もそんな繰り返しを何度もあって送っていくのだろうと、年の初めに思う。

 また、誰かが笑える日々をつくるには、いっぽうで誰かが苦労しているのが世の常だと思える。それが、自分が許せる範囲ならちょっと苦笑いで終わる。
 しかし、理不尽でだれがみても自分におかしいと思えるとやりきれない。かといって、どうしようもできないことがある。例えば政治。憲法問題、原発問題、TPP問題など……。
 自分ひとりではどうしようもないことだ。世論がつくりあげてしまったこと。今年はそんなことがきっと多く顔を出す年になるだろうと思う。

 考えてみれば、世論であれ、一人ひとりの判断の結果だから仕方がない。しかし、そんななかかで笑っているというより「ほくそえんでいる…」人たちはいる。最後は、自分がどちらの側にいるのかが、生き方を大きく変わる。
 私は、少なくとも「ほくそえんでいる」側にはいたくないと思う。
 
 「終わってみれば短い休みだった」とわがままを言いつつ、2014年がはじまる。どんな年にするかは……、自分と自分の周りの人たちとの関係で決まるのだろう。そんなことを思うと、いろいろな人にめぐり合う中、少しでも納得できる日々を送っていきたいと思う。なんせ、もうふりかえるほどの余裕がある年齢じゃないのだから……ね。

 日曜の朝、新聞を読んでいたら「本音のコラム」(東京1月5日)におもしろいことが書いてありました。
 「……五十代を半ばを過ぎると、人生の残りの時間を考えるようになる。また、人生の幸福と地位や役職などの外形は必ずしも関係ないこと。幸福とは内なるものであることを実感するようになる」」(山口二郎)
 フムフム……そうだなあ、と思う。まだまだ、莫大なローンをかかえて、職場では上司になんだかんだといわれても、自分の膨大な人生のほんの一部分だろう。これで考えることが変わるほど若くないし……ね。まあ、自分流に考える年齢だということなのだろう。

 思えばいろいろと悔しいことや楽しいことが繰りかえされる一年が始まったということでしょう。できるだけ、楽しく、笑いの多い日々をつくっていきたいいものです。それには、ちょっと工夫をする日々が大事です。そんな工夫を今年も更新していけたらと思います。

 今年もできる範囲で更新していきます。焦らす、怒らず、おごらずで一年がんばっていきます。投稿もお待ちしています。
 では、皆さんもいい年にするように頑張ってください。
*読んでくださった方、ありがとうございました。