夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

涙が止まらない

2005年06月25日 | profession
今朝、朝食を食べながら、北朝鮮拉致被害者の会の方々、多くは高齢者が炎天下座り込みをしているニュースをTVでやっていて、泣けて仕方なかった。

横田早紀江さんという人は、人間として本当に立派な人だな、と思う。

守っても得にならない人間はどんなひどい人権侵害を受けていても無視、でも、その方が得なら、悪いことした人間でもかばいぬく、悪いことをしたから出直しますと誓った組織までそうなんだから腐った社会だ。

正義は私のまわりにも、この国にも、イラクにもどこにもない。

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一般論のふりをして…

2005年06月24日 | profession
私を狙い撃ちする学問・研究の自由の侵害をまたされた。

この手のことは二回目だ。
一回目のはなんとかペンディングにもっていけたと思ったのに、すぐに第二弾を出してくるから油断ならない。

二回目なのでもし本当に強行されたらそれなりの手続をするつもり。

そんなことしている場合じゃないでしょうに。
それであちらが得するわけでない(むしろ全体的にはデメリットなのでは?)のにやるのは、私の困った顔を見たいから?それ以外の憂さ晴らしがないから?やっぱり本音は私へのリベンジが至上命題なのか?まさか宣統帝?

その陰謀の内容は書かない。
もし、強行されれば、何のことだったのか、読者にはすぐわかるから。

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慶安事件

2005年06月23日 | profession

慶安事件(わかる人には意味がわかるはず)が起こって以来、体調が悪い。
精神的にはもちろん、肉体的にも手術が必要な病気になってしまった。

どうして何も悪いことをしていないのに、こんな目に遭わなければならないのか、と思う。

平和的な解決策を探ったが、無理そうなので、やはり、法的手段をとることにする。

もしかしたら、記者会見を開くかもしれない。


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功名が辻・関ケ原

2005年06月23日 | 読書
NHK大河ドラマ 功名が辻 第一巻 [DVD]
司馬遼太郎,大石静
ジェネオン エンタテインメント
功名が辻 1 (文春文庫 し 1-17)
司馬 遼太郎
文藝春秋
写真は、千代の生地として有力視されている郡上八幡にある銅像。

大好きな上川隆也が主演する来年の大河ドラマ『功名が辻』を読んだ。

しかし、山内一豊は人がいいだけで、妻のアドバイス等と関が原前夜の家康へのゴマすり(本書では書いていないが、後述の『関が原』には、さらにそれが井伊直政のアイディアを盗んだものであることがわかり、ますますとほほ…)で出世したかなり情けない人物として描かれていてちょっとがっかり。
四国に国入りしてからの、長曾可部家の家来へのだまし討ち・虐殺なども、ちょっとひどい。お茶の間向けのドラマでどうごまかすのだろう。

豆知識:
例の馬は、買ってすぐに、小牧長久手(今万博やっている所)の戦いでなくした。
高知という地名は、築城した場所が沼地で「河内」といったのの漢字をかえた。
名古屋と四国に多い祖父江さん、実は一豊の家老の名。得心。
名古屋に多い乾ももう一人の家老。ちなみに板垣退助の最初の名は乾退助


『功名が辻』で関が原前夜の攻防が描かれ、興味を持ったので、同じく司馬遼太郎の『関が原』全三巻も読んだ。

30年近く前の、加藤剛、松坂慶子主演の長時間ドラマでは、主人公石田三成は聖人君子のように描かれていたが、原作では、もっと人間くさい。

というよりも、私自身に似ていると思われるキャラクターで、とても他人事と思えなかった。

「人は利のみで動き、利がより多い場合は、豊臣家の恩義を古わらじのように捨てた。小早川秀秋などはその最たるものであろう。権力社会には、所詮義はない」

「孟子は列強のあいだを周遊し、孟子もまた騒乱世に生き、権力社会にはそういう観念や情緒が皆無であることを知り、みずから空論であると気づきつつもないものねだりをして歩いたのであろう」

「三成という男がこれほど明敏な頭脳をもちならが、人間に対する認識が、欠落したようにくらい」

「彼は潔癖で、激しく不正を憎んだがそれは狭さに通じた。そして、人情に逆らうところがあったため、横柄者というそしりを受けた。」

能力もあり、私心もなく、公正・清廉潔白に仕事をやっているのに、なぜか敵を作る。
関が原の家康の勝利は、豊臣恩顧の大名、加藤清正らを味方にできたことに多くを負っているが、朝鮮戦役での三成の報告(彼らに言わせれば告げ口)により、秀吉に蟄居を命じられたことを逆恨みし、ただひたすら三成憎しの思いから、豊臣家への忠義すら二の次になったのだ。三成にすれば、一切の私心なくやるべき職務を果たしただけなのだろうが、無駄に敵を作ってしまい、それが致命傷になったのだ。

その報告とは、清正が和睦交渉を邪魔しているという報告なのだが、清正が明の使者に対して、豊臣姓を下賜されていないにも関わらず、豊臣清正と署名したという動かぬ事実があり、明らかに三成に正義はある。
「○○されていないにもかかわらず、××と署名した」とか、「蟄居を命じられた」とかいうのが、また…。

新旧執行部への私への憎しみも、これに類したものなのだろう。
人間の社会というのは、正しいか正しくないかとは違う論理が支配しているということが、自分の身に引き寄せてもよく頭では理解できる。
しかし、それがどうしても心で納得できないから、私の苦悩は果てしないのだ。

処刑直前に「水がほしい」と所望し、「柿ならあるが」といわれたら、「柿は丹毒によくない」といって笑われたというのも、私でもこういうことをいいそうだ。

関ヶ原〈上〉 (新潮文庫)
司馬 遼太郎
新潮社



司馬遼太郎は、歴史上の人物の造型が非常にうまく、それを現代の自分の状況にも当てはめることができるところが、サラリーマンに受けるのであろう。

『項羽と劉邦』を読むと、自らが有能なplayerであるよりも、自らは無能でも、有能な部下が回りに集まるようにした方が成功する、という組織における真理を何より雄弁に物語っている。これって、義経と頼朝の関係にも似ている。
『国盗り物語』は、信長と光秀というタイプの全く違う天才がたまたま主従の関係になったことによる悲劇を描いている。
『花神』の大村益次郎像は、有能な実務家というのがすなわち有能なマネージャーではないという真実を語る。

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三島由紀夫展

2005年06月21日 | 読書
今年は三島由紀夫生誕80年ということで、神奈川近代文学館で、特別展示や連続講演会が行われた。

私は単なるアマチュア研究者だが、学生時代から研究会で田中美代子先生とも親しくさせていただいているし、山中湖の三島由紀夫文学館で毎年行われるシンポジウムにたびたび参加させていただいている。今、山中湖の文学館の中心的な人物である佐藤秀明氏や井上隆史氏とも懇意にさせていただいており、今回、招待券を頂戴した。

特別展は、この二人が監修しているだけあって、非常に見ごたえのあるすばらしい内容だった。
それぞれのテーマにつけられた説明も、よく整理され、調査された結果をうかがわせるものだった。
三島由紀夫展は、大規模なものとしては、亡くなる直前に東武デパートで、1979年に伊勢丹デパートで、行われたことがある。
伊勢丹のときは高2だったけど、もちろん行って、月の小遣いとほぼ同額のカタログも買って、今も大切に持っている。

今回の特別展で気づいたことを:
○自決直前に投函したドナルド・キーン氏宛の遺書が、コロンビア大学から提供されていた。本物を初めて見たが、胸に迫る内容だった。
キーン氏の講演会には何度か参加したことがある。
数年前、世田谷で行われた講演会で私が質問したら、帰りに、年配のご婦人に声をかけられた。
その後、澁澤龍彦の夫人だった矢川澄子氏の訃報に接し、写真を見てあのときの方だと知った。
○「春の雪」の冒頭に出てくる日露戦争の「得利寺附近の戦死者の弔祭」という写真の実物が見られたのも感激だった。
○私もよく知っている収集家の提供した楯の会制服・制帽、ちょっと虫食いがあるのがご愛嬌。
○三島が、「理解」という言葉を、「理会」と表記するのが気になっていたのだが、昭和15年の東文彦宛の書簡では、「理解」となっており、いつ頃から表記を変えたのか、調べてみたいと思った。
○昭和22年12月の高文試験の結果が、167人中138位というのにちょっと驚いた。当時はそれくらいの成績でも大蔵省に入れたのだろうか。川端康成宛の書簡に「日本勧業銀行の入社試験に落ちた」と書いてあった(それを見て、縁を感じてうれしかった。三島の影響も多分にあって文三から法学部に転部したが、大蔵省に就職するところまでは真似できなかったが、三島が落ちた会社には入れた、ということか)から、当時はそんなものなのかもしれない。
三島の作品の構造的な完璧さは、東大法科時代「刑事訴訟法の構造的な美しさに魅せられた」という三島(団藤先生は、「三島が刑事訴訟法でなく刑法に魅せられたなら自決しなかっただろう」と述べたらしい)だが、実体法の勉強にはそれほど才能がなかったのか、「豊饒の海」第三巻「暁の寺」に、びっくりする記述があった。弁護士本多繁邦が受任した製造物責任の事件で、薬が変質していたことを説明した後、「こうした民法上の不法行為は債務不履行で処理されるべきものが、向うは刑法上の詐欺罪で訴えてきた」という叙述があったのだ。
民法上の二大請求原因の区別がまさかついていないのでは?とかなりショックを受けたものである。
私も実は法律の試験勉強は苦手だった。(今でも苦手だからNYBarも苦労した)
小学校から大学2年までは、とくに試験勉強をしなくても、授業に出るだけで試験でいい成績が取れたのに、法学部に進学したとたん、相当な量の勉強をしなければ単位をとれなくなった。それまでは、「勉強があるから、したいことをする時間を削る」という発想がなかった、つまり、学校の課題以外の勉強を家でやることはなかったのに、生まれて初めて「勉強というのは、ある程度の量をこなさなければならない力仕事だったのだ」と気づいたのだった。
私は法律の研究は向いていても勉強は向いていないのかもしれない。
三島もやっぱり苦手だったのか…ということで正当化してはいけないのだが。
○初めて映画化された作品が「純白の夜」(木暮実千代主演)だったことを初めて知った。

講演会は、島田雅彦、堤清二、猪瀬直樹のに参加した。

島田氏は、自分の著書の宣伝ばかり(「豊饒の海」へのオマージュという三部作は、はじめの「彗星の住人」を読んだだけでひどいのでやめた)で、しかも、「春の雪」のキーワード中のキーワードである「勅許」(浅田彰も「構造と力」でこの点を取り上げているくらいだ)を、「ちっきょ」と読んでいるのが噴飯物だった。同業者なのに車谷長吉を「くるまたにちょうきち」と読んでいたしね。もう少し、勉強しろ、といいたい。

堤清二氏の話は、自決当日の話等、三島を身近で知っていた人らしい話しだった。楯の会の制服を西武デパートで作った(三島はドゴールの軍服と同じデザイナーを希望し、それが西武にいた日本人デザイナーだった)ことから、父の梓氏に「堤さんが、あんな制服作ったから倅が死んだ」と当夜いわれたというエピソードなど。
「らい王のテラス」で自分の肉体と引き換えにバイヨンができる、という思想が三島の中核をなしているという話は大変説得力があったが、主人公の王の名をバヤジャルマン7世、といっていたので、帰りのエレベーターで一緒になったとき「正しくはジャヤバルマンです」と告げたら、「教えてくれてありがとうございます」といっていた。

猪瀬直樹は、私の勤め先と浅からぬ縁のある人。
10年前に、三島の生涯を、親子三代官僚の物語として捉えなおした「ぺルソナ」を出したことが、実は現在道路公団の民営化をやるようなことにつながっている、と聞いて驚いた。
つまり、「ペルソナ」を書く過程で、今の日本の問題を作ったのが、官民一体の産業育成体制であること(とくに、偶然にも、三島の父梓氏の商工省で同期だった岸信介の作り上げた1940年体制〔これが1960年代の高度成長の礎になった〕が元凶であるとのこと)に気づき、構造改革に関与することになったというのだ。
本人も、「10年前、これを書いているときには、自分がこういう立場になるとは思わなかった。これを書かなければこういう仕事はしていないので、人間の運命というのは本当に面白いと思う」といっていた。
ペルソナ―三島由紀夫伝 (文春文庫)
猪瀬 直樹
文藝春秋




個人的には、「ペルソナ」よりも、太宰治のことを書いた「ピカレスク」の方が出来がいいと思う。実際、後者は、「こんな仕事を文芸評論家でない人にやられたら、本職は困るだろうな」と思うような傑作だった。

ピカレスク 太宰治伝 (文春文庫)
猪瀬 直樹
文藝春秋



文学を実証的に研究する、しかも、政治等、社会科学的な視点も入れる、という姿勢は、「法と文学」をやろうとしている私には参考になる点が多々ある。
「仮面の告白」の園子のモデルに会ったりして、丹念に取材し、「仮面の告白」が不必要なほど克明なノンフィクションである(このことを、加藤典洋氏は、記号論的に解説している)ことを調べている。
また、太宰との関係では、「斜陽」までは、全ての著作が初版どまりでそれほど売れていなかった太宰が、心中事件によってベストセラー作家になったことに三島も影響を受けていた、という解釈は面白かった。
大蔵省を辞めて、作家としての将来をかけた作品「仮面の告白」では、太宰に倣って、自分の半生を赤裸々にさらすことでいったん「死に」そのことによって、作家として成功しようとした、というのだ。

講演後のサイン会で、勤め先をいったら、今回の騒動のことはよく知らないようだった。

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読みたい方は

2005年06月18日 | profession

案の定、粘着されたので、削除しました。
大体読むべき人はもう読んでいることと思いますし。

歯が痛いので歯科医院に行ったら、「虫歯等は全くない。ストレスで夜中にひどい歯軋りをして神経過敏になっている」と診断されたが、これを書くことで少しはすっきりしました。

あとは粛々となすべきことを行うだけです。

いっておきますが、既に刑事事件になっているケースがあるので(つまり、今捜査中の事件と同じ犯人かもしれないので、全く新しい案件だったら「この程度では立件できないので照会できない」ようなグレーなことでも、同一犯かどうか調べるために照会してもらいやすい。単独では名誉毀損にも侮辱にも絶対ならないような講義の外観的なことへの批判でも「調べれば身元はわかるんだ」と授業で学生を威嚇した勘違い教員も広い世の中にはいるようだが。)、担当刑事さんに「捜査関係事項照会書」を追加で出してもらうだけですむことですから、さっそくやります。

いくら私が公人でも、私が提起している問題に対する意見でなく、よく調べもしないで私の人格等の提起した問題とは関係ない(提起した問題の是非は、個人的な問題でもないのに提起した人間の年齢や性別でかわってくるのか?)属性を揶揄したり否定したりするようなコメント(それって、子供同士のけんかで「お前の母ちゃんでべそ」って言うのとおんなじだ)が「公益目的」と認定されるはずがありません。それに侮辱罪には公益性の例外はないしね。
一応法律に関係ありそうな人たちなのに、ここまで説明しないとあかんのがまた…。

いい加減頭悪いなーと思うのは、私の人格を否定したら、処分された人たちの名誉が復活するのでしょうか?ちがうでしょ?それもわからないのかな、と残念に思います。

こちらは身元を明らかにしているのだから、いいたいことがあれば直接いえばいい。
身元を明らかにして意見を公開するということに伴うリスクやコストを私はきっちり払っている。
それなのに、相手の身元はさらして、自分は匿名の陰に隠れていいたい放題というのは、少しでも法律に関係ある人間なら卑怯だと思わないのか?
そういう輩には全く同情の余地はないので、法的手続をとるだけ。

訳知り顔に批判するのは自由だが、それほどいいたいことがあれば、こちらに直接言えばいい。普通の掲示板上の論争と違って連絡先はわかるのだから。本当に見識を問うならこちらからの反論もききたいでしょ。じゃなきゃ意味がないでしょ。本人からの反論を許さない批判などありえないでしょ。どんなにえらそうなことを書いても、匿名というだけで、やり方が卑怯なのであり、そんな卑怯な方法をとっているかぎり、便所の落書みたいなものなのだから、相手にする気はない(そんな馬鹿にあおるねたを与えないということはあるが)。こちらは手が汚れるから便所に落書きする気はない。もっともらしいことを書けば書くほど、その意見の表明方法の卑劣さと整合性が取れんことに気づけ、早く。それとも、身元を明かせない理由でもあるのか?

警察に照会してもらったら大学の関係者だった、なんてことがないよう、私も祈りたい。

書いた内容でなく、書いた人間をirrelevantな点で叩く、それによって意見の表明を萎縮させる、こういうメディアこそ、表現の自由に対する大敵だと思う。

しかし、処分されるようなことをやった連中(こいつらこそ、学生のことを一番蔑ろにしている人間じゃないのか)よりも、身内なのにそれをかばわない(じゃあ、調査委員会で偽証しろ、というんかい?!)人間の方を敵視し、それ自体も訴因になるような嫌がらせをするような人間が、法曹教育その他の社会科学の研究・教育が本当にできるのか?
内部告発を疑われ、また、偽証しなかったために人権侵害されている人間の立場にあんたたち、立ったことあるのか?
次は何をされるかと恐怖で眠れない人間の気持ち、わかるのか?

彼奴らの論理は、「いくら悪いことをしても、原稿が出てたかどうかという微妙なことなのだから、身内全員が口裏を合わせれば、証拠不十分くらいにはもっていけたはず、それをしない奴は裏切り者であり、そいつさえ協力すればこんな結果にならなかったのだから、そいつこそが今回の災難の元凶」ということなのだ。物事の是非よりも、身内をかばう、ということを至上命題とする、ということらしい。
でも、この2年全学で停職になった3人の教員が全て自分から退職しているのに、そうしないのは、まさか、自分は口裏を合わせないような人間を採用しちゃったという点で運が悪いだけだからそうする必要はない、と考えているのでではないでしょうね、まさか、行政法の研究者がそんなはずはないよね。

こういう体質が変わらない限り、いくら改善委員会とか形だけ作っても意味がないというのだ。
そしてそういう体質である限り、また学生に迷惑をかける事態になるだろう。

前学部長が前期の期末試験の採点を11月になってもしないとき、私が学長に直訴して直々に注意してもらった結果11月29日に(この日までにと約束させたとのこと)やっと採点結果が出たことだって、4単位分どうなっているかわからないから必要もない授業に就職活動等を犠牲にして保険のために出席している学生が気の毒だったからだ。

部局長に対してこういう行動取るのは、個人的には損にしかならないし、だからいろいろな嫌がらせを受けたり、「あいつ目障りだから何か理由をつけて懲戒しろ。今は理由はないけど人間だからいつかミスするだろうからそこをすかさずやれ」という命令が下されたり、内部告発を疑われたりもしているんだけど、それでも学生のことがどうでもいい教師だというのか?

どうも便所の落書きを見ていていると、そういう連中と同じ思考回路を感じ、ますます許せないと感じる。

森嶋通夫の「智にはたらけば角が立つ」を読んだら、筋の通らないことを筋が通らないと発言しただけで教授会で「懲戒する」と脅されたというエピソードが出てきたので、「どこの大学でも似たようなことがあるんだなあ」と思った。
私も、今は到底発表できないような洗いざらい(件のエントリーはその深刻度においても量においても実態の10%くらいしか書けなかった)を、いつか世に問いたいものだ。(匿名でしか発言できない人には意見を求めるつもりはない)
それを全部読めば私の危機感もわかってもらえるだろうに。

でも森嶋氏のように業績のある立派な学者でないとそういう機会はないか。ならまず業績を積むことだろう。

私の知り合いで、未読の方、ご希望があればメールをください。
とくに、学生や本学の他学部の先生など、歓迎します。
お送りいたします。


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ALB In-House Legal Summit

2005年06月18日 | profession
に、参加してきた。

1. What is the most important aspect of the role of in-house counsel
UBS Securities
MOrgan Stanley
GE Japan
NTT DoCoMo
IBM Japan
の法務部長によるシンポジウム。
とくに、Morgan Stanley のVicki Beyerさんは、法制審議会国際化部会の外国人委員ということで、有用な話が聞けた。

2.Workshop "Japanese FDI into China"
Structuring Vehicles to Conduct Manufakture and REtail

私の研究分野である中国への持ち株会社方式での進出方法についての法律規制や無体財産権の保護の最新情報が得られた。
ところで、このWorkshopを主催したのは、香港の中国大陸ビジネスの草分け的なVivien Chan法律事務所だった。実は、香港に住んでいるとき、仲の良い日本人の友達が、ここでパラリーガルをやりながら香港で弁護士資格を取得することを目指していた。
彼女は香港人の医師と結婚しているのに、それで満足せず、働きながら夜学に行く姿勢がすばらしいと思い、尊敬していた。彼女から、ビビアンさんのことはよくきいていたので、今回初めて会えて感激だった。こういう大事務所のトップが女性でも全然違和感がないのが香港のいいところだ。
また、NO2のRibeiro氏に、「香港大学で、LLMをやっていました」といったら、自身も学部は香港大出身とのこと、よくきくと、私の在学中からDeanで、在学中も、昨年の国際交流委員会の出張の際もお世話になったJohannes CHan教授や、LLMの同級生で香港立法府に勤めるAngel(LLMは夜間開講だったので、学生のほとんどは彼女のような現役の弁護士だった。香港人の勉強熱心さには本当に頭が下がる。同級生がDeanというのはやりにくいけど、と話していた)と同級生だったそうだ。

3.Luncheon Speach
クリントン大統領のホワイトハウス大統領特別顧問だったLanny Davis氏による講演。
エール大のロースクールで、ヒラリー氏の2級上で、3年になるときのregisterの際、すぐ後ろに並んでいたのが彼女だったそうだ。

モニカ事件の際のこととか、いろいろ面白い話が聞けたが、もっとも印象深かったのは、クリントンが民主党の支持者から寄付を集める方法についての危機管理の方法だった。
Davis氏は、ホワイトハウスのリンカーンルーム(奴隷解放宣言に署名した場所)に民主党の支持者を泊めて、その人たちから寄付を募っていたという事実を発見し、それを隠蔽するかわりに、父ブッシュやレーガン時代にも共和党の支持者に同じようなことをしていたというデータを発見して、それらを同時に自分から開示したというのだ。
「隠蔽というのが一番良くない」という言葉を、誰かさんに聞かせたい。

4. Workshop Banking
M&A FInancing; Ssset based financing; Japanese REIT

実務家から見た動産譲渡登記制度についてのコメント等がとても参考になった。
法律が現実の世界でどう使われているかということが、大学教師になってからなかなかわからなくなって危機感をもっていたから。

そして、REIT=不動産投資信託は、投信法上は、信託方式も投資法人方式も両方可能なのに、法人方式しか使われていないそうだ。これも、法律と実務の乖離現象のひとつである。
投資家への課税のことで不明確な点があったのと、法人方式の方がgovenenceのことがわかりやすい、という理由らしいが、信託方式の不動産投資をこれからやっていくのはビジネスチャンスじゃないのか?と思った。

5. Workshop: THe modernization of corporation law in relation to M&A
アンダーソン毛利の弁護士による、M&Aの観点からの新会社法の説明。

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信託法学会

2005年06月18日 | profession
6月11日に東大で開催された信託法学会に出席した。

休み時間にD先生(信託関係の研究会でよくご一緒し、共著で著書も一緒に出させていただいている)が今回のことを聞いてきたので、「私は助教授なんで、潔白ですから。ホント、昇格してなくてよかったです」といっておいた。

読売新聞の見出しに
「論文の虚偽申請で5教授処分」とあるように、今回処分を受けたのは全員教授(助教授から教授に昇格する手続に問題ある者も含めて)であり、助教授である私には無関係であることは客観的に証明できるだろう。

しかし、講演とかよく頼まれるのだけれど、聴衆は疑うかもしれないし、友人・知人も心配しているかもしれない。
読売新聞のコピーを持ち歩くしかないか…。
非常に迷惑な話である。


学会のテーマは「信託法改正の論点」で、現在法制審議会信託法部会資料で検討されている信託法改正案について、それぞれの発表者が報告された。

1.能見善久教授「総論」
信託法改正の基本理念等について

2.神田秀樹教授「商事信託と信託法改正」
信託法と業法の関係等

3.中央三井信託銀行 田中和明氏「信託法改正と信託実務」
改正案の実務上の問題点

4.井上聡弁護士「金融取引実務が信託に期待するもの」
Structured Finance等における信託の倒産隔離機能等について等

5.雨宮孝子教授「信託法の見直しと公益信託」
公益法人制度改革と公益信託等

今回は、学会メンバー以外にも広く呼びかけられていたので、元の職場の同僚にもたくさん久しぶりに再会できてなつかしかった。

信託銀行から都市銀行の法務部に転職した私は、信託に詳しいだろう、ということで、転職したばかりなのに1998年に銀行窓口販売の開始された投資信託で約款作成等法務周りの責任者にしてもらったし、セキュリタイゼーションや信託を使った案件もたくさん担当した。
取引先の債権の流動化のスキームを考えたり、今味の素スタジアムになっている競技場の建設や神保町の再開発等。

午後の質疑応答で二件質問をしたが、ひとつは以下の点。

民事信託と商事信託の関係は、通常の取引における民法対商行為・商法総則の関係に擬せられるべきだ(アメリカの場合は、UCC第2章「動産売買」の中のいくつかの条文が、merchant special ruleといって、商人間だけに適用されるようになっている)が、信託の場合は、それとかなり違う。
というのも、通常の取引を規制する法制は、一般人間の取引が基本にあり、商人間の場合にその特則を設ける、という構造である。
日本の信託法も、基本的には、一般人間で行われる民事信託を念頭に置いている。

しかし、日本における信託取引は、一般人間ではほとんど行われず、専ら信託銀行が当事者になる、商事信託がむしろ基本であり、民事信託は例外という実態があったのだ。

そのような、法と取引実態の齟齬をどう調整してきたかというと、業法(兼営法とそれが準用する信託業法)の中に、私法的条項を設けることによって行ってきたのだ。
通常、業法というものは、所管官庁からの規制など、公法的な条項を規定するものだが、信託業法には、信託取引を規制する私法的な条項を多数含んでいる。そして、それらが、事実上商事信託法の機能を果たしてきたのだ。

しかし、そのやり方には問題がある。
たとえば、信託法40条に規定されている受益者による帳簿閲覧請求権についてだが、投資信託のように、実際に運用するのは運用委託業者等であり、信託銀行は事務手続をするだけのことが多い取引についてまで、これを認めるべきか、が問題となる。

実は、業法も、さらに、投信法や貸付信託法などの特別法があり、投信法等→信託業法→信託法という関係で、特別法から一般法になっているという事実上の法構造がある。

貸付信託法では、この帳簿閲覧請求権の行使方法を限定しているが、そのような条項が投信法になり投資信託では、一般法である信託法が適用されて、帳簿閲覧請求権をもつことになってしまう。

今回信託業法が大改正され、受託者が運用までする運用型と管理しかしない管理型で信託会社の設立方法を分けたが、運用型と管理型では、受託者の義務も違うだろうということで、情報開示義務について、信託業法27条に規定されているが、同施行規則38条で委託業者等が情報開示している場合は、免除されることになっている。

しかし、こういう個別法が存在しない場合は、信託業法上の開示義務を負ってしまうことになる。

忠実義務についても同様である。
投資信託では、事務手続のみを行う信託銀行より、投資委託業者等の忠実義務の方が実質的に重要なので、投信法令、証券業協会規則でそれはそれは細かい規制がされている。
こういう場合、忠実義務は委託業者と信託銀行に分属しているのに、受託者の忠実義務の内容が、受託者自身が運用する、単独で忠実義務を負う場合と、実体法的に義務の内容が全く同じだろうか?

個別の業法で規制されない信託取引もありうるのだから、信託法を、業法で調整するという発想には限界がある。信託法自体に、受託者の義務の類型化(少なくとも運用型と管理型)がある程度必要なのではないか。

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もう一言だけ

2005年06月17日 | profession
粘着的に直貼りされたりする(別件でそうしている〔刑事告訴により警察の取調べが始まっている〕ように、すぐに法的措置をとるので、注意)ので、期間限定になるだろうが、やはりこのことについて書かないわけにはいかないだろう。

まず、私自身が潔白であることの証明:
読売新聞の見出しに
「論文の虚偽申請で5教授処分」とあるように、今回処分を受けたのは全員教授(助教授から教授に昇格する手続に問題ある者も含めて)であり、助教授である私には無関係であることは客観的に証明できるだろう。

この間、東大で信託法学会があって、休み時間にD先生(信託関係の研究会でよくご一緒し、共著で著書も一緒に出させていただいている)が今回のことを聞いてきたので、「私は助教授なんで、潔白ですから。ホント、昇格してなくてよかったです」といっておいた。

しかし、講演とかよく頼まれるのだけれど、聴衆は疑うかもしれないし、友人・知人も心配しているかもしれない。
読売新聞のコピーを持ち歩くしかないか…。
非常に迷惑な話である。

当事者のひとりから見て、処分審査委員会の事実認定にも処分内容にも甘すぎるところがある。
事実関係のところは、ここで書くのは適切でないので別の機会に譲るとして、処分に関しては、以下のような問題がある。

①3人の教授辞任と報道されているが、3人とも、元々経済学部と兼任なので、くびにされたわけではない。今まで院と学部の兼任だったのが、経済学部の専任教員になる、つまり、今年の3月31日の状態に戻るだけ。しかも、同じ専門の教員が補充されるのだから、今までより授業負担等は少なくなるだろう。
②報道によると、少なくとも2名の教員を補充すると学長がいっている。
(3人目の教員の担当科目は、司法試験の必修科目でも選択科目でもないから非常勤でいいということだろう。この教員が院の中心人物なのに、学部で長年教えてきた会社法や有価証券法をなぜ大学院では担当していないのか、なぜ、会社法は、やはり学部で会社法を担当していた新研究科長(本当に「法科大学院のためにNYからやってきた」なら、商法で第三の教員を採用する必要はなかったはずだが…。それなのにそういう記事を記者会見で配ったりHPに載せてるっていうのはどうしても理解できない。私ならそういう見出しが広報誌に出たことを周囲に早く忘れてほしい、と思うだろう)でもなく、4月に他大学から赴任した若い助教授が担当し、有価証券法は非常勤講師が担当するのかについて、理由をいってはいけないそうだ。当人から「理由を口外したら懲戒する」と脅された。でも、賢明な読者ならいわなくてもわかるであろう)

しかし、そのポストはどこから調達するのか?
他業界から大学教師になって驚いたことのひとつに、大学の各部局は、どうやって教員のポスト(本学では「座布団」と呼んでいる)を確保するか、ということにしのぎを削っているということがある。新しい入試制度とかも、それで学生定員を増やすとそれに伴い座布団がついてくるところが魅力だという意識もあるらしい。
(編入試験の問題点を指摘したら、ある教員に「あんたの座っている座布団だって編入試験導入したときにもらった座布団なんだよ」といわれ、呆れたことがある。そんな、採用されるはるか前のことなど知らないし、そんな風に紐付けしていること自体、奇異だし、だいたいそうだと批判してはいけないのか?)
会社では考えられないことだ。

大学内では、座布団の数は限られている(つまり、ゼロサムゲームだということ)から、それをめぐる部局間の綱引きが大変なのだ。

上記の3名の教員が学部専任になったからといって、座布団があまるわけではないから、別の部局から調達するのだろう。
本来、座布団はそんなに簡単に増やせるものではない。
現に、民法専門の教員が全部法科大学院に移ったために、現在、学部の法学科には、民法専門の教員がいない、という異常な事態になっているのだ。(医学部に内科学の教員が全くいない、というのと同じ)いったい学部の民法教員用の座布団を院のどの人事に使ってしまったんだろう(無論見当はついているが、いうと懲戒されますので)。

でも、経済学科の教員から「それは困る」という意見が出たので、全学から「借りた」座布団を使って、後期から採用するらしいけど。前学部長が「その人には、全学のadministrativeなこともいろいろやってもらうことを期待している」というので、私が、「でも、借りた座布団だから、返さなきゃならないんでしょう?」と質問したら、「借金っていうのは、返せっていわれてから考えればいいんだ」と驚天動地の回答をしていた。

こんなに他部局に迷惑をかけた上、座布団まで余分にもらったりしたら、「焼け太り」ではないのか?そんなことで、泣く泣く大学院設立を諦めた人文学部に顔向けできるのか?

そうそう、焼け太りといえば、そもそも研究科長が「経済学部」長を兼ねるという従前の変な人事だって、完全に独立した部局として部局長を二人作ると、greater 経済学部の全学的な票が2票に増える、ということで、他の部局が難色を示した、ということもあるらしいから、この点も軽々票が増えて、やっぱり他部局から見たら「焼け太り」なんでは?

それから、停職三ヶ月の教員の身の処し方にも疑問がある。
私がこの大学に来てから2年、停職という処分は3件あった(痴漢,セクハラ、手当の詐取)が、いずれも自分から辞表を提出して大学を去っている。
今回の処分原因は、手続をもっとも重視する行政法の研究者が、行政法に基づく官庁への申請で嘘をつき、さらに、自分自身の業績も水増ししていた、ということだから、ある意味、痴漢とか詐欺よりも学者として致命的な懲戒理由で処分されたのだ。また、痴漢や詐欺で大学全体が改組できなかったり大学運営に直接障害になることはないが、今回はまさにそういう事態になっているのだ。それなのに、自分から辞表を提出しない神経が信じられない。

停職になっているため、休講になっている学部の行政法の講義については、停職になってから10日近くたってやっと今日説明会があって(在学契約の顧客である学生を蔑ろにするのもうちの学部のお家芸。なんせ前学部長が期末試験の採点を放棄したりするんだから)、9月にまとめて補講するということらしいが、どの面下げて官庁への申請手続も含む行政手続について講義するのだ!?

どこの部局よりも適正手続に詳しいはずで、適正手続を法曹の卵に教える法科大学院が「適正手続についての意識が希薄」なんていわれて、恥ずかしくないのか?
理事は法務担当だったしね。

それは、ひとえに、「自分たちは悪くない、悪いのは、マスコミにもらした奴」と彼らが思っているせいではないかと思う。

私は、以前からこのブログで前研究科長を批判していたし、彼が採点しないことについて、学長に直訴して直接注意させたのも私だから、内部告発者と疑われている。

共同研究室で、他の教員たちの前で、経済学科のある教員(前研究科長の飲み友達。そういう価値観で動いている人たちだから)に「紀要の原稿が遅れるなんて学者の世界では常識なんだよ、それを理解しないのは学者の世界を理解していない非常識な人間だ」とあてこすられたのだから、確かだろう。「でも、文科省に出す書類でコミットした場合は別なんじゃないでしょうか?」といったら、「文科省が絶対正しいのか?」と再反論されて、唖然としたし、今回処分を受けた教員からは、「文科省は情報漏えいについても調査委員会に調べろっていっているそうですよ」とあてこすられた(調査委員長にきいたらそういう事実はなかった)。
前研究科長は最初に報道された4月4日に、全教員に対して、「迷惑かけてすまん」、と謝るかわりに、「内部の人間がもらしたとしか思えない。そういう人間を私は絶対に許さない。人間として軽蔑する」と叫んだしね。

院生にも嘘をついていたのが許せない。処分が出るまではこのことについてはコメントしないのが常識だが、処分された教員が「報道内容は事実無根。情報の流出過程が割といい加減なもので、リークした人物についてもほとんど特定出来ている。まあ内部のお家事情といったところなので、心配ないから」と説明していたようなのだ。院生に対してつかなくてもいい嘘をついた責任はどうとるのだ。

また、仕返しを意図しているとしか思えない卑劣な嫌がらせも組織ぐるみで受けている。
それがあまりにひどい組織的な人権侵害なので、法的手続を準備しているし、また何をされるかわからないという恐怖感に日々さらされて眠れず、専門医の治療も受けている。
だから、粘着される危険性を冒しても、自衛の意味でもこういうエントリーをしたのだ。

しかし、誰が好き好んで自分自身の職が危うくなることなどするだろう。
もし、大学院が廃校になったりしたら、私自身も職を失うかもしれないのだ。
その点、例の3名はいち早く安全圏の学部の方に逃げられてラッキーともいえる。だから、甘い処分だというのだ。

これだけ大学全体の名誉を傷つけ、真摯に努力してこられた人文学部の先生たちにも大学院申請を諦めさせる等の迷惑をかけても、まだ、処分された人間も被害者であり、マスコミに漏れる原因を作った人間だけが加害者だと思っている。

うちの学部・院のこういう腐った体質は変わらないのだ。
「コンプライアンス委員会」なんておかしくてへそで茶をわかすね。

処分後にも、院を辞任する教員が「辞表はまだ発効していないし、研究科長からもそのように命じられているから」といって、学務委員会の仕事を相変わらずやっている、こともその証左であろう。彼は、院の教員に対して謝罪するどころか、「今度学部専任になりますが、同じ建物にいますから今まで通りよろしく」などと、普通の転勤のような挨拶しかしなかった。
副学長にそのことを話したら、涙目になって、「どれだけ大学全体が迷惑しているのか、認識しているのか?同僚のひとりとして許せない」と怒っていた。

また、学長も「私は4月3日以来、人目を気にして、町のレストランで飲酒したりすることも慎んでいる」と、肩を落としていた。

いっておくが、私への嫌がらせは、如上のような事情から、今回の処分への仕返しと考えるので、絶対に法的措置をとる。マスコミや世間も同じ解釈をするだろう。今、私を陥れたって、処分対象者の名誉が回復されるわけではない。恥の上塗りになるだけだということは、理性ある人ならわかると思うのだが、理性がないからそもそもこういうことになっているのだから油断できない。

過激なことを書いたように見えるかもしれないが、さまざまな制約から、本当に書きたいことの10分の1くらいしか書いていないのだ、これでも。突っ込みどころはないように細心の工夫しているから、突っ込めるものなら、私を陥れる材料にできるものならしてみろ。

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偏愛的三谷幸喜

2005年06月08日 | 演劇
12月の「ロミオとジュリエット」の千秋楽で席が近くで、お話させていただいた者です。その節は、プライベートな時間にお邪魔いたしまして、本当に申し訳ありませんでした。

私はある法科大学院で民法や英米法を教えております。
昨年度は、米国裁判制度との比較で日本の裁判員制度を考える、という授業を行いましたときに、映画「12人の優しい日本人」を教材として使わせていただきました。そして、そういう教育方法について、法律雑誌に論文を発表もしました。
日生劇場でお会いした際、この論文をお送りすると申し上げながら、今まで怠りましたこと、心より、お詫び申し上げます。
この授業では、この作品以外にも、映画「12人の怒れる男」「いとこのビニー」「ニューオーリンズ・トライアル」、筒井康隆の小説「12人の浮かれる男」、裁判官ネットワーク「野鳥の会に入りたい」等を用いました。それぞれ感想文を書かせたのですが、「優しい日本人」がもっとも学生の心に残ったようです。

この度、江口洋介さん主演で「12人の優しい日本人」を舞台で再演すると伺い、三谷さんが「再演の機会をうかがっていたが、今度日本でも裁判員制度が導入されると聞いて決意した」とおっしゃっているのを知り、そのきっかけに私がお話したことも100分の1くらいは貢献しているのでは、とうぬぼれたりしています。もしそうだったら大変光栄なことですので妄想に浸らせておいてください。舞台も絶対に見に行きます。

私は大学教員といっても、かわった経歴を持っています。
1987年に東大法学部を卒業し、雇用機会均等法のおかげで総合職一期生として銀行に就職し、法務部で法律関係の仕事に携わり、企業派遣留学でハーヴァード・ロー・スクールとオックスフォード大学に留学し、戻ってきてまた銀行に勤め、2001年から2年ほど領事館に転勤になった夫とともに香港に住み、その間香港大学で3つめの法学修士号を取得し、帰国して、2003年から大学に奉職しています。

職歴も変わっているのですが、実は、本当は文学関係の仕事をしたかった点も変わっているところです。中学時代から三島由紀夫のマニアで、文芸評論家になるのが夢で、大学もそういうコースに入ったのですが、自分に才能がないのを自覚して3年から法学部に移り、今はなぜか大学院で法学を教えるという立場にありますが、自分のアイデンティティとしては、文学・演劇好きということが大きな比重を占めております。

そんな私が、現役の劇作家の中で一番尊敬しているのが三谷さんです。
以下、長くなりますが、私の三谷さん歴について、書かせてください。

三谷さんと初めて出会ったのは、ご多分にもれず、留学から戻ってきて見た古畑任三郎(この名前は、時任三郎が、「笑っていいとも」に出た際、タモリに「とき にんざぶろう」といわれたことにヒントを得たそうですね)でした。その構成や登場人物の魅力に取り付かれ、「三谷幸喜という人は只者ではないな」と思っていたのですが、その頃はまだ演劇のことはあまり知らず、東京サンシャインボイーズのことも知りませんでした。

その頃、「SPA」の神足裕司のコラムで、三谷さんが「12人の優しい日本人」という舞台の作者であることを知り、映画版を入手して見て、すっかりはまりました。
1962年の私とひとつしか違わない人がこんなすごい仕事をしている、という驚きもありました。

初めて舞台で見た作品は「君となら」でした。
シチュエーション・コメディの面白さを初めて知りました。

その後、「サザエさん」「イメルダ」(演出の渡辺えり子さんがホンが遅いと怒っていましたね)等を見ました。

1996年ごろは体を壊していて、いろいろと見損なってしまったのですが、その後、「マトリョーシカ」「笑の大学」「温水夫妻」を見て、いずれも感動しました。
とくに、「マトリョーシカ」は、今まで見た舞台の中で最高傑作だと思います。
舞台の上で、登場人物がさらに芝居をうって相手を騙そうとしている、という構造が重層的になることによって、演劇の虚構性を演劇の内側から相対化して問いかけるような大変意欲的な作品だったと思います。
重層的な構造は、「オケピ!」でも取り入れられていましたね。
この作品自体がミュージカルという形式をとっているのに、設定は、ミュージカル舞台を下から見ているオーケストラピット(第一の相対化)、せりふの中に、「どうして突然歌いだすんだ」等が出てくる(第二の相対化)、というように、何重にもミュージカルという表現方法自体が、内側から相対化されているところが、この作品のもっとも注目すべき点だったと思います。

先日、歌舞伎座で野田さんの「砥辰の討たれ」を見ましたが、この作品も、それ自体歌舞伎という形式をとりながら、あだ討ちを美化する風潮、ひいては歌舞伎そのものを批判し・相対化するという同じような構造をもっていると気づきました。
野田さんは、ライバルなのに、「新選組!」で勝海舟の役を振ったり、「川、いつか海へ」で、「ヒデキ醤油」というのも、「野田醤油」のもじりというように、露出の機会を増やしているのも、フェアで素敵だと思います。
本当に演劇を愛しているからこそのことでしょうね。

2002年3月、香港に住んでいた頃、日本で中国法(当時香港大学で勉強していたので)についての講演を頼まれ、一時帰国した際、一週間しか滞在しないのに、オークションで入手したチケットで、「You are the top」「彦馬が行く」を見ました。
前者は、鹿賀丈史の降板は残念でしたけど、浅野さんという稀有な俳優が世に出るいい機会になりましたね。私は、夢の遊眠舎は、駒場にいた頃も興味がなくて見ていなくて、今本当に後悔しているのですが、1991年の大河ドラマ「太平記」で、塩冶判官の役で出ていたときから、名前を知っていました。というのも、塩冶判官はご存知のように、歌舞伎では浅野内匠頭になぞらえられた人物ですから、「浅野という俳優がこの役をやるのは本当に面白い」と思ったのです。

「彦馬」の小日向さんもそうですが、三谷さんは、優れた俳優を発掘するのもとても上手です。小日向さんは、オケピにも出ていましたが、その前に、古畑の第二シリーズで、田中美佐子演じる女流棋士に殺される夫役で出ていたのを私はしっかりチェックしていましたよ。戸田さんも、私はドラマ23の「帰っていいのよ今夜も」という樋口可南子主演の不倫ドラマで、不倫している電話交換手の役で出てきたときから、「いい女優さんだな」と思ってはいたのですが、メジャーになったのは、三谷さんが「総理と呼ばないで」で起用してからではないでしょうか。

ドラマは、舞台に比べて評判が良くないと、エッセイ等で気にされているようですが、それは、仕方ないことです。舞台はある程度観客を選びますから、焦点を絞った高度なテクニックが使えるわけですが、テレビになると、万人受けしなければならないので、ユーモアや笑いのつぼを薄めなければならない、ていうのがありますから。

でも、私は「やっぱり猫が好き」「子供、ほしいね」「女ねずみ小僧」「総務課長戦場へ行く」「振り返れば奴がいる」(鹿賀さん演じる中川医師が古畑の犯人役で出ましたね)「竜馬におまかせ」「王様のレストラン」「総理と呼ばないで」「今夜宇宙の片隅で」「合言葉は勇気」、全部好きです。

中村紘子さんに日経新聞のエッセイで「ピアニストがあんなじゃらじゃらしたアクセサリーをつけるなんてありえない」とか、木の実ナナ犯人の回をけなされたりして、いちいち落ち込んだりしているようですが、そんな必要はありません。
私も法律家ですから、いろいろつっこみどころはありますが、作品が面白ければ、そんなことは気にならないのです。

これからも、どうか、体に気をつけて、すばらしい作品を送り続けてください。

全く門外漢の仕事の私のような者さえ、三谷さんの作品を心待ちにしているということを、時々思い出していただければ、大変光栄です。


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中村勘九郎,野田秀樹,坂東三津五郎
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三谷幸喜
ポニーキャニオン

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Cool Bizの経済効果

2005年06月08日 | Weblog
驚天動地、というくらいびっくりしたのは、日曜日に夫がユニクロでボタンダウンの半袖シャツを3着も買ってきたこと。

夫は大の買い物嫌い(吝嗇なだけでなく、物が増えるのが嫌、というタイプ)なので、本当にものを持っていない。スーツは年間通して7着くらいしかないし、
靴など、通勤用と普段用と運動靴それぞれ一足ずつ、計3足しかもっていない。
「通勤用の靴の底が抜けた」といって、セロテープでとめて帰宅したのにびっくりしたことがある。そうなって初めて買い換えるのだ。

だから、結婚以来、服もネクタイも私が選んで買ってきた。
銀行の頃、昼休みに取引先がよく売店に来てワゴンセールをやっていたので。

自分で服を買ったのって、南アフリカやニュージーランドで地元のラグビーチームの名前入りのトレーナーを買ったくらいだった。

前に「女ってめんどくさい」という項でも書いたけど、社会人やっていくための基本的コストが男と女では全然違うな、と思う。

うちは、その上、今、折半している住宅ローンを、「荷物の量に応じた負担割合にしよう、その方が公平だ」と言い出すから、油断ならない。
普通、女の方が男よりどうしても荷物が多いのに、うちは、普通の男よりさらに物が少ないんだから。でも、夫の論理だと、ローンを一銭も負担していない専業主婦は、全然荷物を持てないことにならないか?着のみ着のままじゃないといけないということにならないか?

愚痴ついでに、うちの夫は家事をほとんどやってくれるけど、経済的にはシビアだ。
夫いわく、「家庭は夫婦の共同事業なのだから、経済的に貢献するか、家事労働で貢献するか、どちらかで半分のコストを担わなければ許さない」という。
だから、月末にレシートを持ち寄って一円単位まで清算していた(今は、別所帯になっているので、違う計算方法)。
夫の領事館勤務で駐在していた香港から戻ってきて、しばらく就職活動しながら専業主婦しているときは、生活費は二人分で食費・消耗品込みで4万円しか渡してくれなかった。何でも手作りにするとかすれば足りたかもしれないが、就職活動もあったので結局足りない分は自分の貯金から出していた。

恩に着せるわけぢゃないけど、私と同じ大学の友達だって、夫の海外転勤でキャリアを中断された人はたいてい専業主婦になっている。でも、うちの場合は、人間らしい暮らしをするためには絶対再就職しなきゃならなかったわけで、そういう強迫観念が常にあるんだ。

こないだ、「anego」を見ていたら、お局であるヒロインがキャリア官僚と見合いしたというだけで、職場中が「官僚夫人、おめでとう、寿退社」とお祝いムードだったのに驚いた。「そうか、配偶者がキャリア官僚だというだけで、仕事してなくても世間は納得してくれるんだ」と思った。
でも、うちの場合は、如上の理由で、自殺したいほどひどい職場でも仕事やめるわけにはいかないんだ。

といっても、現在は夫が経済的な応分負担+家事のほとんどという状態なのだから、文句をいってはいけないんだろうな。

この夫をして財布の紐をゆるましむるCool Bizってすごい経済効果があるのじゃないだろうか?
逆にスーツやネクタイが売れなくてマイナスになるのか?
(昔銀行で、カジュアルデーやろうとしたら、取引先のネクタイ会社が反対して実現しなかった)

でも、いまさら28度にするなんて、と逆に腹が立つ。
銀行では、もうずーっと28度だったし、エアコンも19時くらいに切れてしまうのだ。
しかも、勤務時間中はお茶を飲んでもいけない、というので、17時になってからお茶を買いに行ったりしていたんだぞ。

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北京+10 報告会

2005年06月06日 | profession
国際女性の地位協会が主催する「北京+10」報告会に出席してきた。

北京+10とは、女子差別撤廃条約の署名式が行われた1980年から15年目の1995年に北京で第4回世界女性会議が開催され、「貧困」「女性への暴力」など12の重大関心領域について政府・NGOがとるべき行動を示した「北京行動綱領」が採択されたが、それから10年目の今年3月に、ニューヨークで「婦人の地位委員会」を閣僚級会合に格上げした「北京+10会議」が開催され、その報告会だった。

そこでは、「北京行動綱領」の再確認を採択しようとしていたが、米国が「中絶の権利が含まれないことの再確認」を挿入する修正案を入れようとするという反動的な動きがあった。
しかし、それに対して、EUや、米国から援助打ち切りをちらつかされていた南米さえ猛烈な抵抗を示して、結局米国の目論見を阻止することができたことを知った。

また、分科会では、メリル・ストリープが、「結婚年齢等について差別する日本の民法には問題がある」と発言したとのことだった。

また、この会議中に、日本の国会では山谷えり子議員の性教育やジェンダーについての発言があり、それを肯定するような首相の発言が、上記の北京行動綱領と矛盾するので、これを遵守するよう要望書を出したとの報告もあった。

さらに、女性差別撤廃条約選択議定書で導入された個人通報制度が、ハンガリーやメキシコで適用されているという実例が報告され、日本でも早く採択するよう運動したい、という動きがあった。
個人通報制度というのは、採択したら、implementationはどんな法律でするのだろう、と関心をもった。日本でも早く採択してほしい。

代表は、さつき会でご挨拶させていただいた赤松良子さん、報告者の一人は朝日新聞記者の竹信三恵子さんだったが、銀行員時代に女性の勉強会で知り合ってからずっと年賀状等をやりとりさせていただいているが、久しぶりにお会いした。相変わらず颯爽としていて素敵だった。

それにしても会場になった文京区の男女平等センター、オムツ換えシートは男子トイレになく、女子トイレにあるという状態で、全く幻滅である。オムツは女性が換えるものだとでもいうのだろうか、男女平等を標榜する施設がこんなことでいいのだろうか?


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「春の雪」竹内結子の役作り(ネタばれ注意)

2005年06月05日 | 読書
三島由紀夫の「豊饒の海」四部作の第一部「春の雪」が映画化される。

前から、「覇王別姫」の陳凱歌(チェンカイコー)が映画化したい、といっていたので、期待していたが、セカチューの人か…。

三島ファンの友達と話したが、もちろん、松枝清顕役も綾倉聡子役も気に入らない。
しかし、では誰ならいいか、というと、今の若い役者でこういう重厚な原作の人物を演じられるような奥行きのある人っていないよな…と思う。

それよりも、本多繁邦や蓼科の役の方が難しいので、誰がやるか、そちらの方が、気になるな。
蓼科は樹木希林あたりかな。いずれにせよ、この二人は主人公以上に演技がうまくなければ台無しになる。

本多繁邦は、松枝清顕の親友で、次々と生まれ変わっていく主人公を見守る四部作全体を通じての狂言回しのような登場人物。控訴院判事になり、弁護士に転じて大成功するが、自らを「最醜の機構」と呼び、「人生が不如意である」ことを体現するような人物であり、私は、感じ方がこれほど自分と似ている人間はいないと、中学生ではじめてこれを読んだときから自分を投影し、法学部に移って司法試験を目指したのも、「どうせ私は本多、それなら法曹になるべき」というきわめて文学的な動機だったのだ。

本多繁邦は、晩年本郷の屋敷に住む。
法学部に進学しても、法律の勉強になじめず、小説ばかり読んでいた私は、大学の行き帰り、今にも、小路から、絹江の押す車椅子に乗った本多繁邦が現れそうな気がしていた。私にとっては、そちらの方が、大学の講義で聞く根抵当権や訴因変更よりも、よほど現実的な世界だったのだ。(それが法科大学院で教鞭を取るようになったのだから運命とは面白い)

竹内結子をはじめて見たのは、つかこうへい原作のドラマ「ロマンス」で、宮沢りえの妹役で出ていたとき、そのあと朝ドラのヒロインに選ばれたのは知っていたが、ずいぶん売れているようだ。

2001年の『白い影』では、30年前に山本陽子がやった役をやっていた。
田宮二郎の方が圧倒的に良かったが、小橋医師役をやっていた上川隆也とその後しばらく付き合っていたのは非常に気がもめた。(前のドラマでは小橋医師の役は、山本旦がやっていた。直江医師の恩師の役で今回出ていた山本学の弟。間に山本圭がいる)

昔2時間ドラマでは、古谷一行と市毛良枝がやっていたが、市毛は今回竹内の母役というのが時代の流れか。

その後、藤木直人と「あすか」で、堤真一と「ランチの女王」で、内野聖陽と「不機嫌なジーン」で共演し、好きな役者はほとんど公私いずれかで共演されてしまった、ととても悔しかった。

今度、妊娠・結婚という報道がされたが、聡子は妊娠するという役なので、妊娠中に撮影しているというのは、役作りにはいいのかもしれない。

と思っていたら、「あすか」で、菓子職人になるために断髪式をやるというシーンがあり、これも、落飾して門跡寺に入るという聡子の役作りにいい経験になっていたのだなあ、と思った次第。

それにしても、父親で上司役の藤岡弘、1970年代の和菓子職人なのに、あの髪型は変だ。
仮面ライダー1号の本郷猛のときとおんなじだもん。
断髪後は娘の方が短いぢゃないか。短髪にできない事情があるに違いないと、雨の中のシーンとか、乱闘シーンとか、つい食い入るように頭部を見てしまう。

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今クールのドラマ その3 「恋に落ちたら」

2005年06月05日 | 演劇
堤真一が出ているので、永久保存にしている。

こういう貧乏人のサクセスストーリーといえば、織田裕二の『お金がない!』というドラマが昔あった。

しかし、抜擢される過程が描かれず、いきなりロス支店に転勤になり、帰ってきたら冷徹なビジネスマンになっていた、という設定だったので、「なんで肝心な過程を省略するか!!」と不満だった。

その点は、こちらの方が唐突さは少ないとは思うが。

堤さんが初めて民放連続ドラマで主要な役をやった『ピュア』で相手役だった和久井映見が共演しているのも興味を魅かれる点だ。

和久井映見といえば、私も大好きな漫画『動物のお医者さん』のドラマ化で、菱沼聖子の役をやったときは、あまりにもはまっていたので、「もう二度と二の線に戻れないのではないか、離婚してシングルマザーになったから、芸風にこだわっていられないのか」などと余計な心配をしてしまったが、しっかり二の線に戻ってきて、安心。
しかし、この漫画、北大ということが味噌なのに、ドラマでは、予算の関係か、大学が東京にあるという設定に変わっていた。
そのために原作では清原君が東京に就職するので、犬の平九郎をどうするかという問題だったのが、ドラマでは、アメリカに留学するという設定に変わっていた。
それでも、夏のドラマなんで何とかなっていたし、原作の良さが生かされていて、製作側の原作への愛がひしひしと感じられた。

余計なことだが、北山修がサザエさんを「性の抑圧された不自然な漫画」といっていたそうだが、どうしてどうして、この「動物のお医者さん」もずいぶん性的なことが抑圧されている。
それらしいエピソードは、菱沼聖子が近所の高校生に雪の中で愛の告白をされかける、くらいのものだ。(聖子は、彼に札幌オリンピックのテーマ曲「虹と雪のバラード」を歌え、といい、歌えない男は残念ながら対象外、という。計算すると、私は聖子と同い年の設定なのでよくわかる)
若い男女が四六時中一緒にいる理系の大学が舞台とは考えられないが、そういう清潔さ、そういうことを話題にしなくても十分面白くできる手腕が佐々木倫子の作品に共通していて、とても好ましくはあるのだが。

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今クールのドラマ その2 「曲がり角の彼女」「anego](ネタばれ注意)

2005年06月05日 | 演劇
この二つのドラマは似ているとか言われている、確かに似ていて、実は、第4回くらい、同じ週に、おんなじようなシーンが出てきてびっくりした。
それは、ヒロインが、転びそうになったところを、気になるが、まだ特別な関係ではない男性に抱きかかえられるというシーンだ。
「曲がり角」では、要潤に、「アネゴ」では赤西仁に支えられていた。

私は前者の方が好きだ。
近頃のドラマにしては、仕事を責任感もってきちんとやっているところをきっちり描いているところがいい。恋愛ドラマって職場が出てきても「お前、いつ仕事しとるんや」と突っ込みたくなることが多いから。
また、仕事を一緒にしている男女が、はじめは反発しあいながらも魅かれていく(稲森と要)っていう古典的なパターンが、古典的過ぎて、近頃あまりなかったのだけど、そういうのって萌える。
昔(1970年代)は、『おおヒバリ』(島田陽子、北大路欣也、古谷一行の三角関係。生徒役だった竹井みどりは最近「ミナミの帝王」に出ているらしい)とか、『あひる飛びなさい』(香山美子と篠田三郎)とか、黄金のパターンだったのにね。

「anego」は、林真理子の原作が出たばかりの頃読んだ。
ホラー小説だった。こわくてこわくて仕方なかった。
本当の主人公はともさかりえ演じる絵里子だ。
はじめは原作に比べて若すぎないか、と気になったが、精神的にかなりいっちゃっている人間、失うものが何もないと開き直った女の底なしの恐ろしさ、ルサンチマンを逆手に取る確信犯の不気味を、既に十分表現できていてすごい。

ともさかは、幽霊なのに誰よりも健康的にみえる「ロッカーのハナコさん」みたいな対極的な役もこなせるし、本当に演技のうまい女優なのだな、と改めて底力を感じる。

二つとも自分よりも他人のことを考えてしまう、「男前な」性格のいい働く女性が主人公なのだが、こういう人物像の原型は、トレンディドラマの元祖といわれる、1988年の『抱きしめたい!』で浅野温子の演じたスタイリスト池内麻子だと思う。
幼稚園からの親友・夏子(浅野ゆう子)に恋人(岩城滉一)を盗られても、二人のことを心から心配し、岩城の浮気(相手はゴン夫人生田智子)で家出してきた夏子をマンション(バブルだったからすごい豪華マンションだった)に同居させる。岩城は麻子にも未練たらたらで、「生田とまた過ちを犯す」とだまして麻子をホテルに誘い出したりするが、「また浮気したら夏子がかわいそう、とめなきゃ」と麻子が必死でタクシーで駆けつけるシーンが何度思い出しても泣ける。
気風が良くて、思いやりがあって、仕事ができて、この麻子の人物造型が、松原敏春(三谷幸喜も絶賛のライター)のシナリオとともに最高に良かったドラマだった。
ちなみに、編集者役の石田純一もこのドラマでブレークしたのだった。

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