夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

性犯罪の前科の扱い

2005年01月29日 | profession
立て続けに、仕事以外の書き込みをしてしまった。
いくら銀行員時代のことも入っているといっても、遊んでばっかりいるみたいだ。
(趣味と仕事が一致していればよかったのだが、それでは満足できず、文科三類からわざわざ法学部に進学し、法学教師になってしまったのは私の選択だから。)

それで、仕事のことも書くことにする。

現在、「ジェンダーと法」でレイプ裁判を扱っているが、奈良の女児殺害事件をきっかけに、性犯罪の前科のある者の情報を公開することの是非が問題になっている。

ここで参考にされているのが、アメリカのメーガン法だ。
1994年にNew Jerseyで、7歳の少女メーガンちゃんが性犯罪の前科者に強姦され殺されたが、この犯人が被害者の向かいに住んでいたことから、できた法律である。
多くの州で同様の立法がされており、詳細は州によって違うが、性犯罪の前歴がある者の、住所、氏名、写真が、ネット等で公開されている。州によっては、再犯の危険度まで公開されている。
むろん、こうした情報には、「前科があることのみを理由とするあらゆる嫌がらせは犯罪に該当する」という警告文もついているが。

ここで、アメリカ法の性犯罪に対する態度について、見てみよう。
1.レイプ・シールド法
日本では、レイプの裁判において、被害者が受けるセカンド・レイプが問題になっている。
つまり、「貞淑な女性が夜道で見知らぬ男に襲われるのが強姦」という強姦伝説が司法関係者にすら信奉されているため、貞淑でない女性は、本件でも性交に合意したに違いないという論理を導くために、被害者の過去の男性との交際等が、事細かに、加害者側の弁護士によって暴露され、いわれのない辱めを受けるのである。

男にも女にも、誰といつどんなふうに性交渉をもつかを選ぶ、性的自己決定権がある。
だから、過去にどんな性行為があったかどうかは、その時同意したかどうかには関係ないはずである。
そもそも、強姦罪177条等、性犯罪の、日本の刑法における位置をみると、虚偽告訴罪と賭博罪に挟まれた、社会的法益を害する罪という性格付けになっていること自体が問題で、個人の自己決定権こそ保護法益だという観念が欠けているのだ。

アメリカのレイプ・シールド法は、このようなセカンド・レイプを防ぐため、被害者の過去の性的な経験を証拠として取り上げることを原則禁止している。

2.他の証拠法
アメリカの証拠法では、陪審制度のために、定型的に、素人が偏った結論を導きやすい証拠を出すことを、関連性のない証拠として禁止している。そのためのそれはそれは細かいルールがある。
(この点、日本では、証拠法がそれほど厳密でないことから、裁判員が誤判に導かれやすいのではないか、と私は危惧している)
たとえば、車を修理したこととか、和解交渉をしたこととかは、原則として証拠とすることはできない。また、被告人の前科についても、原則として、同種の犯罪の証拠には出せないことになっているが、性犯罪に関してだけは、出してもいいことにしている州が多い(NYは採用していないが)。

以上のように、プライバシー権の保護や、証拠の関連性についてのルールの厳格なアメリカでさえ、性犯罪についてだけは、被害者保護に大きく傾いていることは大いに参考になるだろう。

少なくとも、裁判員制度実施の前に、レイプ・シールド法だけは制定すべきではないかと考える。

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江戸川乱歩の土蔵公開

2005年01月29日 | 読書
去年の8月のことだから、だいぶ前になるが、友人と、池袋の東武デパートでやった江戸川乱歩展と、公開された土蔵を見に行った。

これは、豊島区が区をあげてやっていた乱歩関連のイベントに、乱歩の家を買い取り、保存・補修をしている立教大学が協賛してやっていた催しだ。大學と地域の理想の関わり方の一例を見たような気がした。

江戸川乱歩は、小学生の頃から愛読していたが、「パノラマ島綺譚」や「陰獣」のような耽美怪奇ものが好きだった。『黒蜥蜴』は三島が戯曲化し、両立しない生と美の関係を描く傑作だが、
明智小五郎もののミステリーの中にははどうも、トリックの説明がきちんとなされないものが多いのが気持ち悪かった。私はなんであれ、全ての謎にいちおうきちんとした説明がなされないといやなのだ。
だから、本格推理の横溝正史にはすぐのめりこんで、中学時代には全著作を読破した。
後輩に当たる横溝は、乱歩にずいぶん苦言を呈していたようだが。

江戸川乱歩展を見て、気づいたことは、乱歩が無類の整理魔・記録魔で、かつ自分大好き人間だと言うことだ。自分の名前が出ているものは、新聞の書籍広告欄にいたるまで全て切抜きしてスクラップし、詳細なコメントまでつけている。そういうスクラップ・ブックがすごい数残されている。

古今東西のミステリーに使われたトリックを細かく分類し解説した「トリック分類表」というものも作成している。非常におたっきーな細かさなのだが、これを見て、私がどうしても解せなかったのは、「動物が犯人」という分類のところに、エドガー・アラン・ポーの古典中の古典『モルグ街の殺人』[オランウータンが犯人)が記載されていなかったことだ。

この作品がどれくらい古典中の古典かというと、たとえば、
昨年、初めて本格推理に挑戦した貴志祐介の『硝子のハンマー』を読むとそのことがよくわかる。
介護会社の社長が密室の社長室で殺されるという、本格ミステリーの王道を行く作品なのだが、
[以下、ネタばれがあるので、注意してください)

開発途中の介護猿と介護ロボットが、犯行現場にあったのだ。
これが実際に犯行に使われたのではないが、これは、目くらましと同時に、貴志が本格推理に初挑戦するに際し、偉大な先達にささげたオマージュなのだろうと、誰でもピンと来る。
ちなみに、介護ロボットの方は、京大SF研出身の夫に聞いてわかったが、最近映画化されたアシモフの『わたしはロボット』へのオマージュなのだろう。

何より、ポーは乱歩がペンネームももらった作家、読んでいないはずはないのだが…。

土蔵の方は、長蛇の列に並んだ末、ほんのとば口しか見せてくれないのはちょっとがっかり。
でも、乱歩はレタリングも得意で、整理した資料の箱に見事な文字でタイトルをつけているのにも感心した。

この西池袋の家は、1934年に引越し、ついの住処となったところ。
ちょうどその直前に、久世光彦の『1934年冬ー乱歩』を読んでいたので、「あの失踪のあと、心機一転引っ越したのがここか…」と感慨深かった。

乱歩は、1934年はじめ、大スランプだった。
1933年11月に「新青年」に連載を開始した『悪霊』は、とうとう謎ときの答えを思いつかず、1934年2月に連載休止と謝罪文を出したくらいだ。
それで、家族にも編集者にも告げずに失踪し、麻布の外国人専用ホテルに滞在していた、という設定の小説が、『1934年冬ー乱歩』である。
そこで乱歩が書いた劇中小説も、久世のオリジナルなのにまるで乱歩そのものだし、なぞのアメリカ人女性客が、当時誰も気づかなかった、エラリー・クイーンとバーナビー・ロスが同一人物だと見抜いたり、すばらしい傑作小説で、それまで、向田邦子がらみのエッセイしか読んだことのなかった久世光彦を本当に見直した。

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なにわバタフライ

2005年01月29日 | 演劇
三谷幸喜の新作、ミヤコ蝶々を主人公にした、戸田恵子の一人芝居を夫と見に行ってきた。

思えば、年末に『ロミ&ジュリ』の千秋楽で会ったときは、この芝居の休演日だったのだった。

戸田が、楽屋で取材を受けるという設定で、カレンダーやテーブルクロスといった楽屋にある身の回りのものを使って、扮装し、子供の頃からの生い立ちをライブで話すという芝居だが、とても面白かった。

一人芝居の平板さをカバーするために、2人の女性演奏家によるパーカッションの演奏が舞台の上部で行われたりする斬新な試みもあった。
また、スポットライト等を使って、前夫を畳3畳分も背丈のある大男、父親を目玉親父並みの小男という設定にしたことが、奥行きを与えていたと思う。

ミヤコ蝶々といえば、なくなる直前に日経で「私の履歴書」を連載していたな。
それを読んで、夫の芸名南都雄二が、本名が「何という字ですか?」と聞かれることが多いから名づけたと知った。

しかし、「私の履歴書」を書くと、亡くなる、というジンクスが否定できない。(すみません、執筆後もお元気な方はたくさんいらっしゃいますが)
淀川長治もそうだったし、つまり、その機会を逃したらもうチャンスがなかったわけで、日経のこの欄の担当記者って、独特の嗅覚があるのかな、と思うことがある。

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アンコール遺跡・偉大な石澤良昭先生

2005年01月29日 | 旅行
「世界不思議発見!」の正月特番で、アンコール研究の第一人者上智大学の石澤良昭教授が出ていた。

石澤先生は、学問的業績はもちろん、人間としてもすばらしい人だ。
専門外だが、三島由紀夫の晩年の戯曲「癩王のテラス」の舞台なので、アンコール遺跡には非常に興味があった。

三島由紀夫の作品の舞台になった場所は、できるだけ訪れるようにしている。

国内では、銀行員時代、大阪出張の帰りに『潮騒』の舞台になった神島に連絡船で行って、観敵廠に道なき道を、虫刺されだらけになりながら登ったし、職場旅行で堂ヶ島温泉に行ったときは、出発前の早朝にタクシーを頼んで、黄金崎の『獣の戯れ』の文学碑まで行った。
そうそう、その時、松崎出身の国鉄マン石田禮吉を描いた城山三郎の『粗にして野だが卑ではない』を読んだばかりだったので、運転手さんにその話をしたら、「でも、あの人の意見で、新幹線が沼津じゃなく三島に停まるようになったんですよ。その方が松崎に行くのは便利だから」というので、「十分卑じゃないか!!」と憤慨した。確かに、沼津じゃなくて三島というのは謎だった。

清水の美保の松原はいいけど、安永透の勤めていた港の通信所の跡地は、正式な文学碑じゃなくて、料理屋の手書きの剥げかけた看板に、「珠玉の名作、三島由紀夫の『豊饒の海』の舞台!」
と書いてあったのに、かなり落胆した。

バンコクのワット・ポーにも『暁の寺』を片手に登ったし、
香港のタイガー・バーム・ガーデンも、『美に逆らうもの』というエッセイを持ってったし。

インドは、三島由紀夫がその人生観を変えたところだ。
1998年に旅行したとき、バラナシで、ガンジスを船から体験したとき、流れてきた子供の死体[子供は火葬してもらえないことが多い)を見たときも、アジャンタ・エローラの遺跡を見たときも、『暁の寺』を読みながら、「滝の位置が現実と違うな」などとチェックしながらだった。
また話が逸れるが、この時の現地ガイドがカーンさんという、『河童が覗いたインド』の妹尾河童のガイドを勤めた人だった。「妹尾先生に日本語習いました」といって、「これは法隆寺の蓮華手菩薩像の原型になったものでごじゃいまっすー」という変な丁寧語が面白かった。
アジャンタは、仏教遺跡だったものが、時代を経るにしたがってヒンズー教のものになっていくが、レリーフの人物の彫り方[体がS字型)が共通しているなど、自然な移り変わり、それが日本の仏教美術につながっていく歴史が実感できた。
エローラのカイラーサナータ寺院の、どうやってもカメラに収めきれない巨大さ(3代以上の石工が彫り続けたのだという。孫の代に完成するものを彫り続ける石工たちの気持ち、想像しただけでドラマだな)にも驚嘆した。

2000年3月にアンコール遺跡にツアーで行く前も、『癩王のテラス』を読み返したし、遺跡見学の前はいつもそうだが[1994年12月にペルーに行く前も3冊くらい読んだ)、石澤先生の研究書も2冊読んだ。

実物のアンコール遺跡は、本当にすばらしいものだったが、改めて三島の天才ぶりを再認識した。
取材期間は短かったはずなのに、遺跡の随所にレリーフが刻まれている、さまざまの伝説や、ジャヤバルマン2世の時代の歴史を、その本質まで完璧に理解した上で、彼独特の精神と肉体の二元論に昇華させている。もちろん、戯曲としての結構も完璧だ。

ちなみに、同行するはずだった夫は直前に仕事でドタキャンした。
旅行から戻ってきて、友達とやっている三島の読書会で発表した際に作ったレジュメは以下の通り。

「らい王のテラス」とアンコール遺跡
2000.4.19
1. アンコール時代とは
802年   ジャヤバルマン2世が創始。
1150年頃  スールヤバルマン2世がアンコールワットを建立。ヒンズー教(ヴィシュヌ神    信仰)に基づく。
1181年   ジャヤバルマン7世(戯曲の主人公)がチャンパ王国に勝利。
       アンコール・トムの建立。大乗仏教に基づく。
2. 当時の王政
必ずしも世襲でなく、力のある者が王になった。王が変わるたびに新しく建造物を建立するが、その大きさ、豪華さが王の権力を象徴するが、前王からの正統性の継承という面もあったため、一部前の建造物の特徴を引き継ぎながらも、独自性を出さねばならなかった。→「余はアンコールワットにひけをとらない独特の寺を建てたいのだ」p37(1-2)
3. 王即身崇拝(デヴァラージャ)
 王を、神の化身と考え、死後はその神そのものになるという考え方であり、その意味で、アンコールワットやアンコールトムは王の墓所であるともいえる。
スールヤバルマン2世はヒンズー教のヴィシュヌ神の化身、ジャヤバルマン7世は観世音菩薩の化身と考えられていた(p39、1-2)。
4. ナーギとの契り(p26、1-2、p82,2-3)
(1) ピミアナカス神殿(写真:アンコールへの道p101)
(2) 建国伝説(p25、1-2)
(3) 毎晩妻妾と同衾する前にナーギと交接しなければならない。←1290年代に滞在した中国人周達観の「真蝋風土記」が典拠(アンコールの遺跡p60)
(4) カンボジアの土着の蛇信仰がヒンズー教のナーガ信仰と結びついたもの。→ここから、ライ病罹患の伝説(5.参照)にもつながる。
5. ライ病伝説の根拠
(1) アンコールトムにある、毒蛇の血を受け、手当てを受けているレリーフ←アジアの至宝p33、アンコールの遺跡p121)
(2) ライ王のテラスの像が裸身でしかも性器がないこと
←ただし、ヤショーバルマン1世、シバ神像という諸説があり、現在は閻魔大王とする説が有力。(閻魔大王はアンコールワットのレリーフ「天国と地獄」にも出てくる。)
(3) ニャック・ポアン(アンコールの遺跡p169)等の施療院を実際にジャヤバルマン7世がたくさん建設していたこと。
(4) 以上から、ジャヤバルマン7世はライ病でなく、戦没したという説が有力になっている。
6. 繰り返し出てくる月のイメージ(p25、1-2、p49、2-1)
バンテイアイスレイのレリーフ(アジアの至宝p42):太陽に組み伏せられる月のイメージ。太陽がライ=精神の象徴か?
7. 遺跡の様式、建設の実際
金箔を施したもの:p18、1-1
手抜きがあった:p19棟梁の科白←歩き方p41
8. 精神と肉体の二元論(p67,p110~)
肉体の崩壊と引換に作品が完成される=「豊饒の海こそ私のバイヨン」(宗谷真爾の解説)
9. 他の三島らしいところ
(1) 第一王妃,第二王妃の科白のシンメトリー(p75とp81)
(2) 宰相の冷感症(p58)←「沈める滝」の城所昇を思 わせる。

最近、南野法務大臣が「らい」という言葉を使ったからといって謝罪していたが、らいという言葉は使ってはいけないから、この名作が上演できないのか?
この戯曲を見ると、三島が既に死を決意していたことがわかるのだが。
初演では北欧路欣也が主人公を演じたが、彼のインタビュー番組できいたところ、楽屋でシャワーを浴びていたら、突然三島が入ってきてびっくりしたそうだ。

「らい」という言葉さえ使わなければいいのか?
それよりも、名前も奪われ、強制的に不妊手術をされたり(中絶や産後の殺害の対象となった胎児やえい児のホルマリン漬けが大量に発見されたと27日の日経新聞に出ていた)、人権を奪われた事実のほうが重要ではないのか?
興味ある人は、北條民雄『いのちの初夜』、高山文彦『火花』を読んでください。

それにしても、南野法相へのバッシング、明らかに看護師という職業の軽視や女性差別に関係がある、絶対に許せない現象だ。担当官庁についての専門知識がない大臣ならほかにいくらでもいるだろう(それがいいといっているのではありません)。


この旅行で、実物を見て、石澤先生の著書では解決できない、いくつか考古学上の疑問点が生じた。
また、三島由紀夫がアンコール遺跡に取材に訪れたときの、遺跡のそばで撮った写真が、1979年伊勢丹で開催された「三島由紀夫展」で買ったカタログ(私は高2で月3000円の小遣いの中から捻出したのである)に載っており、その場所を突き止めたいとコピーを持っていって、ずっと探していたのだが、とうとうそれらしい場所がわからなかったので、なんと、会ったこともない石澤先生に、それらの質問と、三島の写真のコピーを入れて、「この場所はどこでしょうか?」という質問を書いた手紙を、上智大学宛に出してしまった!!

そうしたら、なんと、すぐに、大変丁寧な回答が来たのだ。
三島のいた場所については、先生も見覚えがなく、ポルポト時代の内戦で、遺跡がかなり破壊されたり盗掘されたので、[三島が行ったのは1960年代でその前)もうその当時の原型をとどめていないのだろう、とのことだった。

アンドレマルローが仏像を持ち出したエピソードは有名だが、アンコールの遺跡の盗掘が現在も組織がかりで行われていることは、三留理男「悲しきアンコールワット」(光文社新書)に詳しい。

非常に感動した。
今まで、著者に質問を送っても(パラサイトの山田昌弘とか、小谷野敦とか)返事など来たことがない。(それはそれで仕方ないだろう)
それが、教え子でもOGでもなく、ましてや同学者でもない、ただの銀行員に、そんなに誠実に対応してくれるなんて!!

以来、先生の大ファンになり、年賀状をやりとりさせていただいている。

「世界不思議発見!」でも紹介されていたが、今年の年賀状によると、先生は、COEプログラムで、カンボジアの青少年が遺跡の補修という仕事で身を立てられるように、専門学校を現地に作ったそうだ。すごいなー、と素直に思う。
援助って、一時的に金を出せばすむものでなく、かといって、外国人ボランティアが現地で作業するにもやっぱり限界がある。やっぱり、現地の若い人たちが、永続的・発展的な仕事をもつようにする、ということが一番無理なく安定し、しかもプライドを傷つけない援助だろう。しかも、その仕事が、遺跡という、国の歴史に理解と誇りを持てるようなものだったらなお素敵だ。
大学にいてつくづく思う、COEって、その件数で大学間が競争したり、本当に「ためにする」議論みたいになっているが、こういう石澤先生のような、国際社会で意味のある試みってできないのだろうか?

それにしても、ポルポト時代というのは、同じ毛沢東主義でも、中国の文革よりもずっと悲惨だ。
「最初に父が殺された―飢餓と虐殺の恐怖を越えて」
ルオン・ウン (著), [無名舎)を読んで、本当に泣いた。
完成度は『ワイルド・スワン』ほど高くないが、ぜひたくさんの人に読んでほしい。

インテリだからという理由で命を奪われるなんて、人類の発展への犯罪じゃないか、と思う。
なんせ、法務支援プロジェクトでカンボジアの民法制定で活躍された早稲田大学の鎌田薫教授によると、法律文書は全て焼かれており、法学者や法曹もほとんど殺されたか亡命したので、元々民法がどんな条文だったか(おそらくナポレオン法典の系譜を引くものなのだろうが)誰一人正確に知らない、というのだ。

親から仕送りを受け、勉強に集中できる境遇が、どんなに幸せなのか、この時代の日本に生まれたことがただの偶然なのだとわかっていない学生が多いのにいらつくことがある。(私自身が学費も本代も全部バイトでまかなった僻みも入っているが)

私は70カ国近く旅行に行ったが、その度に、1960年代に日本という国で生まれたことは、ただの偶然にすぎないのだ、と謙虚な気持ちになる。もし、ちがう時代、ちがう国に生まれたら、たとえば、カンボジアに生まれるということだってありえたのだ。
そうしたら、法学部の学生だというだけで命を落としていたのだ。

カンボジアに前記の旅行に行ったとき、現地ガイドの若い男性が、遺跡の上で、泣きながら、家族が殺されたときのことを話したことを、沈みかけた西日に、彼のクメール人独特の目からあふれた涙が反射して光った光景を、私は一生忘れない。

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1月17日の涙

2005年01月22日 | 読書
1月17日に、東京から移動中のバスの中で、文章を読んでいて2度、人目もはばからず泣いてしまった。

一つは、阪神淡路大震災から10年目ということで、元神戸消防署長という人が日経新聞の文化欄に書いていた文章だ。
助けを呼んでいる人全員を助けることができないという状況下で、消防士たちは、トリアージュ(被救助者の優先順位の選択)、つまり、誰を助け、誰を見殺しにするか、という残酷な選択を余儀なくされ、彼ら自身がPTSDに苦しんでいる、という事実に、涙が出た。
9.11以来、消防士という職業に人気が集まっている。昨年も、「火消屋小町」や「め組の~」という消防士を主人公にしたドラマが放映されていたが、つくづく、消防士というのは本当に立派な職業だなと思う。警察官も危険を冒すが、権力もまた行使できる。消防士は危険だけで、権力はなく、体もきつい。つまり、本当に犠牲的精神がないと務まらない仕事だ。
私が小学生のときも、お父さんが消防士で殉職した同級生がいたなあ。

そんな消防士の方々の心の痛みを思い、災害が人類に与える試練にまた思いを致した。
この大學に赴任するとき、「地震の危険だけは減ったな」と思ったらとんでもなかった。
活断層が真下を通っていて、ものすごくリスクが高く、市の広報で、耐震構造に建て替えれば補助金が出ると言う告知もしていた。
私は、それまで何の縁もゆかりもなかったこの地に一人で来て、夫を東京に残して大地震で命を落とす運命なのだろうか?

もう一つは、柳美里の「8月の果て」の、従軍慰安婦の悲惨という言葉では言いつくせないような地獄を読んで、涙が止まらなくなった。

NHKと朝日新聞の泥仕合、肝心の放映されたものの編集前とあとの違いを知りたいのだが。
本当の敵は政治的圧力なのに。

これは、作者の祖父で、戦争で中止されなければオリンピックでマラソン金メダルまちがいなしといわれた李雨哲とその一族の物語だ。
私は小学生の頃、ベルリンオリンピックで金メダルを取ったのに、日本の国旗を付けさせられた朝鮮人マラソン選手のことを描いた「消えた国旗」を読んで、衝撃を受けたが、その孫選手のことも出てくる。
また、「恨」を増幅させていく一族の運命を見て、柳美里の激しい生き方が宿命的なものなのだとわかったりした。
また、美里(みり)は、雨哲の故郷密楊(ミリヤン)からとっていることもわかった。

雨哲の弟雨根は、太平洋戦争後に、共産主義活動のために生き埋めにされ殺されるが、その淡い初恋の相手英姫が、戦争中騙されて従軍慰安婦にさせられたという設定。

柳美里、芥川賞受賞の「家族シネマ」はそれほど感心しなかったが、父親を殺す在日の少年を描いた「ゴールド・ラッシュ」で、才能を確信した。
その後、未婚の母になると同時にかつての恋人東由多加の末期がんを看取るというすさまじい生活を描いた「命」シリーズもとてもよかった。ただし、東との間にできて堕胎した水子のいくつもの位牌に拝む姿はちょっとついていけないものがあった。
確か「男」という古いエッセイに、「自分が子供をもつと想像したとき思い浮かぶのは、団地のベランダから赤ん坊を投げ捨てる自分の姿だ」なんて書いていたのに、実際に母親になるとちがうのだな、と思った。

プライバシー裁判の記者会見のとき切迫流産しそうだったという事実にも驚いたが、「石に泳ぐ魚」は、法と文学というテーマでいつか三島由紀夫の「宴のあと」と比較して論文を書いてみたい。

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Idealism Costs You Your Life

2005年01月22日 | profession

タイトルは、私がハーヴァード・ロー・スクールに留学中に出版され、愛読していたRichard D. Kahlenberg "Broken Contract - A Memoir of Harvard Law School" の中の、一番印象に残っている文。

昨日の夜中、酔った学生から、「学内のタバコのマナーに関する私の行動」について、議論したいという申し出があった。
その学生に注意したわけでもないのに、議論をしたいといってきたのだ。
「あなたに利害関係はないし、しらふの時に出直せ,酔っ払いは相手にしない」ということもできたが、これはじっくり聞いた方がいいと思い、彼のゼミの先生も交えて徹夜で議論した。

2003年5月1日に施行された健康増進法で、公共の場所の管理者が、利用者が受動喫煙の被害を受けないように対策を講ずる義務がある。教職員も管理者の一部であり、大學の利用者に対しそうした配慮をすべきである。
また、市の条例でも、ポイ捨てや歩きタバコは禁止されており、大學でも喫煙場所以外の禁煙や歩行喫煙は禁止されている。

こうした状況を踏まえ、大學の構成員として、教員としてなすべき義務をしゅくしゅくと果たしているだけなのである。(多くの教員がしないことについては別に批判するつもりはない)

それによって学生の反発を買うのも覚悟の上だったが、社会科学を勉強する学生なら、感情的には注意されたことを不快に思っても、理屈の上では、私の行動が正しいことは理解してくれていると思っていた。その上で、憎まれ役になっても、「なにくそ」と思い、マナーを守るようになってくれるなら本人にとっても利益のあることだと信じてやってきた。

しかし、その理屈の部分ですら、一晩かかって諄々と諭さないと理解できないというのは、ショックだった。

そもそも、私は学生に注意するときも、相手を対等の論者として民主的に扱っている。つまり、健康増進法が違憲の法律だと確信している等、自分なりに合理的な理由で歩きタバコをしている学生もいるだろう、と「なぜ禁止されていると知りながらそういう行動をとったのか、論理的に説明してください」と、相手に反論の機会も与えている。つまり、その反論に筋が通っていれば、認めてやろうという用意もあるのだ。ただ、少なくとも大學のルールはそうなっているのであり、それが理不尽と思うなら、署名運動して大学側に改正を促す等、大學の構成員として民主的な方法でルールの方の変更の努力をすべきだろう。そういう努力もせずに、ルールはおかしいと陰でいったり、それを執行する者を卑劣な方法で弾圧するのは、民主主義に反する、最悪の態度である。

今日のように正々堂々とした(ぶっちゃけ酔っ払って絡まれたということなのだが、でもちゃんと名乗って正面から来たのだ)議論ならどんなに生硬なものでもいつでも受けて立つが、卑劣な方法で意趣返しをする者には、それが刑法に触れる態様で行われた場合、刑事告訴も辞さない覚悟だ。実際、既に警察に告発したケースもあるので、首を洗って待っているように。相手が同僚や学生だからといって絶対に容赦はしない。これも法学教育の一環だと思うし。

それから、誤解している人もいるが、私が学生に注意するという行動は、私自身が嫌煙家であることとは関係ない。
大學の構成員として、法令・規則上の役割を果たしているのだから、仮に私がヘビースモーカーだとしても全く同じように行動するだろう。私は法学者として絶対に公私混同はしない。

翌日は東京で法科大学院関係のシンポジウムがあったので、4時半ごろ話し合いが終わってから、仕事を片付け(締切のある論文の完成)、一睡もしないまま高速バスに乗ることになった。

しかし、大學や学生のことを考え、自分自身がどんなに損をしてもなすべきことを果たすという、ただそれだけのことが、これほどのコストや痛みを伴うものであるということは、今回改めて痛感した。そして馬鹿馬鹿しくもなってきた。こちらの覚悟や意図の1万分の1も理解されることはないのだ。虚しい。


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出前講座・ジェンダーと法

2005年01月21日 | profession
昨日は、市の男女共生課からの依頼で、市の女性センターで、市民や市の審議会委員を対象にした「ジェンダーと法を考える」という講演を行った。

63名の受講者のうち、男性は2名だけだった。
男性にこそ聞いてほしいので、大変残念だ。

共通教育の「ジェンダーと法」で話していることのダイジェストだったが、受講生の多くが質問や発言等を熱心にしてくださった。ジェンダー・フリー運動のバックラッシュ現象の一つとして、憲法24条(両性の平等)改正を自民党で検討していることについてどう思うか、などという、よく勉強されている方の発言もあった。24条のために日本の家庭が崩壊し、犯罪の低年齢化やニートが増えているなどとのたまう女性議員がいるのだから驚く。

松本テレビが取材に来ていた。

講座の後、男性受講生の一人が私のところに来て、「ここに来る前に、テレビのニュースで教授のセクハラのことをやっていたが、学生が病気になる前になんとかできなかったのか?」とおっしゃり、返す言葉もなかった(私自身は、学内のセクハラ関係の委員会等の仕事はしていないので、記者発表まで知らなかったが)。それにしても、同じ日だったというのは皮肉だ。

次回、「ジェンダーと法」の最終講義でいったいどうしようか、悩んでいる。
今、セクハラ裁判やレイプ裁判の資料を読んでいるところなので、この事件に触れないわけにはいかないだろう。
学生の小テストを見ると、当初よりずっと意識が高くなっており、ものすごく手ごたえを感じているのに。とくに理系の男子学生の意識の改革がめざましい。
シナリオ形式の資料を学生に朗読してもらっているのだが、加害者役の科白をお願いした男子学生が、講義の終わりに、「先生、僕、次の授業休んでもいいですか?あまりにも人間として許せない科白なんで、読むのが耐えられないのです」といってくるまでになっていたのに…。

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樋口先生最終講義

2005年01月14日 | profession
今日は、三島由紀夫の80回目の誕生日。
誰よりも生きていてほしかった人だ。

午前中は担保法の小テストの採点をし(最後の講義までに返却しないと…)、お昼は神楽坂でC大学(中央大でも千葉大でもありません、念のため)の実務家出身のC先生と食事をしながら、情報交換をさせていただいた。C先生は大先輩なのに、昨日の私のアメリカ法の講演にも参加されるような向学心ある謙虚な方だ。C大では今年法科大学院の1年生が二人も現行司法試験に合格したと聞いてうらやましくなった。

その後、早稲田大学に行って、学生時代、ゼミでお世話になった樋口陽一先生の最終講義(比較憲法)を聞いた。
東大から上智大を経て早稲田に奉職された先生は今日を最後に常勤、専任の仕事は全て退かれる。

最後に、「私が学者を志したときは、学者が学問の内容によって、政府やGHQから弾圧され、職を追われるという記憶が生々しい時代だったので、自分がいったい何年くらい学者を続けられるだろう、と思っていた。それが、40年も教員を続けることができたことを幸運に思う」と短いコメントをされた。

先生らしく、くどくどいわずに、学問の自由の尊さを物語るすばらしいお言葉だった。
知らず、涙が出た。
憧れていた大學という職場の、思ってもみなかった実態に、自殺も考えるほど失望していた私に向けて、「原点に帰れ」と励ましてくださったような気がしたから。
(実際に、相談にも乗ってくださっているが)
これこそ真の大学教授の姿だ。

花束を差し上げたら、「わざわざありがとう」とおっしゃった。

それから、高田馬場の点字図書館に行って、点字サークルの新入会員のための道具を購入した。
今週医学部保健学科の2年生の男子学生が入ってくれたのだ。やる気満々の彼は、頼もしい在松メンバーになってくれそうだ。

校正係に勤めている甲賀さんとも会った。
彼女は、自分史や点友会の項でも書いた、1982年夏の「福島君と共に歩む会」の合宿で、福島さんのピアノに合わせて「オリビアをききながら」を歌った人だ。
進路に悩み疲れていた私の心に一筋の光が差したような経験だった。
夏の点友会の合宿で学生たちを点字図書館に連れて行ったとき、20年ぶりに再会し、それ以来、点字の道具を買いに行くたびに挨拶している。今はなんと4人の子供のお母さん。

今日まで、バングラデシュの盲学校の先生が研修に来ていたそうだ。
その盲学校で点字をしっているのはその先生だけで、教育も難しい。紙の調達すらままならない、という話を聞き、私も英語の点字(私は日本語と英語、両方の点字ができる)を生かして、何か国際ボランティアができるかもしれない、と思った。法科大学院が軌道に乗ったら、そういうボランティアの実行のことを真剣に考えてみよう。

こういう、清くまっとうな人々と、時々は接していないと、気が狂いそうになる。

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ランカウイ島のクロ

2005年01月08日 | 旅行
私たちが初めて会ってから10年目だったので、記念に旅行に行った。

行き先はランカウイ島、久しぶりにダイビングを楽しんだ。

バンガロー型の部屋だったが、滞在中何回か野良猫がベランダに来て、入れてやって「クロ」と呼んで遊んだ。
やんちゃで、お湯を沸かしたりしていると、飛びついてくるのが危なくてしょうがなかった。

大津波で、命を落としたのではないか、と心配している。

今回被害にあった場所は、いずれもダイビングに訪れたところばかり。
他人事でないなと、犠牲者の方々に哀悼の意を表します。


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お正月・護国寺・忠臣蔵

2005年01月08日 | Weblog
正月は、旅行に行くこともあるが、私が大學教師になり、収入が激減(その前の外資系コンサルに比べ3分の2になった)してからは、高い正月の旅行は避け、家にいることが多い。

家で迎える正月は、夫がおせち料理や雑煮を作ってくれる。

今年も、(夫は京都出身なので)京都風の紅白なます(結婚して初めて食べた)、ごぼうの胡麻和え、きんとん等、三段重にいっぱいのおせちと、しょうゆ味の雑煮を作ってくれました。

買出しは、去年まではアメ横に自転車で行っていたが、初めて築地に行ってみた。

初詣は近所の護国寺に。

護国寺といえば、綱吉の母桂昌院が発願した由緒ある寺。
桂昌院は、前クール「大奥第一章」で、星野真里演ずるお玉が後の桂昌院なのだが、ドラマの始まりから、お万の方との篤い主従関係から、どうやってこのお玉が綱吉を産む設定にもっていくのだろう、と疑問だった。しかし、最終回を見ると、公家の勢力の伸張を恐れた徳川方の配慮により、お万の方の生んだ綱吉の生母をはじめからお玉とし、お玉は「命に代えてもこの若君を守る」と誓う、ということになっていた。つまり、生さぬ仲だからこそ、息子を命がけで守という春日の局の生き様をお玉が引き継いでゆく、という第三部(があるかどうかわからないが)につながるようなおわりになっていて、うまいな、と思った。
しかし、前作の「大奥」を含め、江戸城の天守閣(1607年に作られ、1657年明暦の大火で焼失)がいつの時代でも出てくるし(といっても姫路城の映像だが)、仏門の尼だったお万が何の抵抗もなくロザリオを身につける、等演出の難はたくさん気になった。

前作「大奥」の主人公だった天璋院篤姫(菅野美穂)は、大奥総取締滝山(浅野ゆう子)と対立するという設定だったが、1990年の大河ドラマ「翔ぶがごとく」では、仲の良い主従関係(富司純子と樹木希林)で、島津斉彬(加山雄三)の命を受けて大奥入りするもの、という設定だった。
宮尾登美子の「天璋院篤姫」を読むと、大変英明な女性だったらしい。

桂昌院といえば、年末ドラマ「イヌと呼ばれた男」。堤真一が大石内蔵助役だったが、映像では珍しく、浅野内匠頭(陣内孝則)が馬鹿殿として描かれていたのが胸がすく思い。
史実では、てんかん気質の困った主君だったようで、井上ひさし「不忠臣蔵」つかこうへい「つか版忠臣蔵」等が面白い。
とくに、丸谷才一「忠臣蔵とはなにか」では、討ち入りは御霊信仰(恨みを抱いて死んだ感情の激しい人物の霊を慰めないと祟る、という菅原道真以来の信仰)に基づく行動だった、という分析がものすごく面白かった(大學1年のとき、丸谷氏は東大の非常勤「ユリシーズ」という講義で、この話ばかりしていた)

4日の一限から講義があったので、3日の午後にはもう東京を発つ慌しい正月でした。

夫がバスターミナルまで見送りに来てくれたが、同じバスに担保法を取っている2年生が乗っていた。

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亡国のイージス

2005年01月08日 | 読書
が、今度真田広之で映画化されるらしい。
仙石伍長の役だが、原作では、主人公は如月行で、仙石はそれを助けるわりとおじさんキャラだったのでちょっと意外だった。

原作は大変傑作と思うが、ずっと気になっていたのは、1996年、ショーン・コネリーとニコラス・ケイジが主演した映画The Rockに似ているということだ。
これって、誰も指摘していないのだろうか。もししていたらぜひご教示いただきたい。

○どちらも、軍隊(自衛隊は軍隊ではないが)の上官が、部下を思うあまり、国家に反逆する。
○どちらも、洋上に立てこもる(亡国は戦艦、映画の方はアルカトラズ島)
○どちらも、若者と年上の二人のコンビが決死の覚悟で反逆者と戦う。
○どちらも、反逆者のリーダーは途中で非を認めて自決する。
○どちらも、反逆者に便乗して別の目的を果たそうとする悪者がおり、最後は高所から落下する際鋭いポール様のものに、串刺し状になって死ぬ。

もちろん、これらの類似性だけでは到底盗作とはいえないし、法的には問題ない。また、亡国の方は、反逆者リーダーと若者(実際の父子関係には恵まれずそこから悲劇が生まれるという設定)の間に父子のような交流ができたり、デビュー作で江戸川乱歩賞受賞の「トゥウェルブYO]でも父子関係にこだわった作者の系譜を引いている等の深みがある。

でも、出版(1999年)に3年先立つこの映画から何らかのインスピレーションを得ているのは確かなのだろう(全部偶然というのは難しかろう)から、そのことはむしろきちんと公言した方が、創作者としては潔いのではないかと思うが、いかがだろうか。

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梶原一騎とジェンダー

2005年01月06日 | Weblog
年末に衛星放送で「あしたのジョー」をやっていた。

原作者の梶原一騎(という名で本稿では統一)は、いろいろスキャンダルもあったようだが、ジェンダー的にはすごく進んだ作家だと思う。

作品に出てくる女性は自立した人ばかりというところが気に入っている。
私が漫画史上に残る傑作でビルドゥングスロマンと思っている「巨人の星」の明子も、飛雄馬が一流選手になり豪華マンションを買ったときも、「あなたは私がいるとだめになる」といい、あえて同居せず、ガソリンスタンドに勤めたりする。
三高(にしても中学生でスポーツカーを乗り回すなよ)の上を行く花形満に求愛されてもなかなかなびかない。

初恋の人、美奈も、難病で余命いくばくなのに、高校を辞めて看護師として診療所で働く、という立派すぎるような女性だ。「赤い疑惑」の白血病の幸子(山口百恵)だって、せいぜい医学部を受験するくらいの健気さだったのに。

「あしたのジョー」の白木葉子(声は私の高校の先輩檀ふみ)も、白木ジムのプロモーターとして、主人公とプロフェッショナルな関わり方をする。

しかし、「新巨人の星」の明子には失望した。
長島巨人が最下位になったので、逼塞していた飛雄馬が入団するという話。
飛雄馬は左肩を壊したはずだが、元々右利きだったのを投手に有利だからと一徹が左に矯正したという設定にし、右腕投手として復活させたのだ。
この「新巨人の星」では、飛雄馬は蜃気楼の魔球という球が複数に見える魔球を生み出すのだが、それが花形に打たれてしまう。本来なら、そこで魔球の種明かしとなぜそれが破られたかを描かなければならないのに、梶原一騎はそれを考えることができなかったらしく、何の説明もないまま、打たれた夜、飛雄馬が再起を誓って夜空を見上げるところで唐突に終わっている。

明子は、花形モータースの重役花形満の妻になり、豪邸で和服を着て「very」主婦をしているが、宿命のライバル星の復活に、テスト生からやり直すという夫を泣いてすがって止めようとする。聞いてくれないと、同居を断りアパートに独居している一徹のところにいってまた「お父様(なんて本編では呼んだことはないはず)、助けてください」と泣きながらすがりつく。結局、ヤクルトに入団した夫のことを、その後も豪邸の高そうなソファで「もうあんな地獄のような死闘はみたくない」といって、泣いているばかりである。
これは明らかに堕落だ、と思い、憧れていた明子像が壊されたようでものすごくショックだった。

ちなみに、「新巨人の星」で飛雄馬は孤児の施設を経営している美貌の人気歌手・鷹ノ巣圭子と相思相愛になる。しかし、親友伴宙太もまた彼女を好きだと知って身を引く。その意思表示をするシーンが大好きだ。丘の上の一本道を、練習に行く飛雄馬が歩いている。反対方向から圭子が歩いてくる。飛雄馬は圭子に一顧だにせずすれ違うので彼女は落胆にしばしうつむくが、すぐにまっすぐに顔を上げて歩き出す、その行く手には施設の子供たちの姿が幻のように見えている、というもの。

昔から、相手や周りを思うゆえに結ばれることを諦めるというプラトニックラブこそが最も美しいと思っている。
このシーン以外にも、映画「野生の証明」で、中野良子が、高倉健に背を向けながら「女としての幸せがほしいと思うこともある」というシーンも大好き(彼女は巨悪に立ち向かいその直後に死ぬ)。また、旭川旅行の稿でも触れるが、「氷点」が文学作品としての出来にかかわらずあれだけ好きだったのは、徹の、「陽子が出生の秘密を知れば傷つく、それくらいなら結婚できなくてもいい。一生兄として見守る」という愛情に感動したからだ。内藤(現喜多嶋)洋子の演じた1966年のドラマはもちろん、1971年の「続氷点」も実際には見ていないのに、陽子を島田陽子(現楊子、そういえば梶原の愛人だった)が、徹を近藤正臣が、北原を田村亮が演じたというだけで三人のファンになったくらいだ。マルベル堂にブロマイド買いに行ったしね。でも、旭川の「三浦綾子文学館」で上映していた1966年のドラマを見て、幼い徹役を当時5歳の真田広之がやっているのを知って驚いた。

さて、星飛雄馬は、その後、どうなったか。
やはり梶原原作の「巨人のサムライ・炎」という漫画で、「お前のような自信過剰の奴には謙虚まじめ人間の星がいい」と監督がいい、主人公のピッチング・コーチとして1シーンだけ出てきた。「やはり俺は左腕ピッチャーだったんだ」といいながら。
ちなみに、この作品の主人公の恋人は、女子野球チームのエースで、やはり、自立した女性である。ちょっとうれしかった。

それに比べ、あだち充の「タッチ」(今度実写で映画化するらしい)や「みゆき」はヒロイン像がジェンダーバイアスばりばり(みゆきなんか、主人公のために合格していた大学に入学せずいっしょに浪人したりするのだ。男が浪人で彼女が大学生だといけないのか?噴飯ものである)で、気に食わない。なぜ、気に食わなかったのか、ジェンダーを勉強するようになってわかった次第。

斉藤美奈子の「読者は踊る」に興味深い指摘があった。
今でもウルトラシリーズでウルトラセブンのアンヌ隊員およびそれを演じたひし美ゆり子に熱狂的な男性ファンが付いているのに、容姿では劣らないウルトラマンのフジアキコ隊員(桜井浩子)がそうでもないのは、アンヌが救護隊員(いわば一般職)、フジが女性隊員(いわば総合職)という役割分担のためでは、というもの。なるほど、とうなずいてしまった。

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女ってめんどくさい

2005年01月06日 | Weblog
前の記事で、女は高いハードルを課されるといったが、それは、仕事と家庭の両立のことだけではない。

中村うさぎ(大好きです。著書は全部読んでます)や岩井志麻子が繰り返し指摘していることだが、働く女には、「仕事偏差値」のうえに、「女偏差値」という物差しがあるのだ。
つまり、男であれば、仕事偏差値が高ければ、つまり、年収が高ければ、異性にももてるし、結婚市場でも高く取引される。
しかし、女の場合、「いくら仕事ができてもブスじゃ女として不幸」という価値観で見られてしまうのだ。同性からさえそう見られるのである。
さらに高学歴・高収入といった男なら結婚偏差値を上げる要素が女の場合、逆に下げるというハンディまで加わっている。

小雪主演「きみはペット」は秀逸なドラマだったが、主人公は、職場では仕事人として完璧に、恋人の前では女として完璧にしようと努力するあまり、恋人の前でさえ本音をいえない。結局、ペット(ダンサーを目指す美少年)にしか安らぎを見出せない。

仕事偏差値と女偏差値を両方上げ、しかも結婚もしようとしても効率的ではない、すなわち失敗(=負け犬になる)ので、多くの女性は女偏差値のみをあげるように努力し、経済力のある男性との結婚をめざす。(そうした二極化現象は小倉千加子「結婚の条件」にくわしい)それは、大変合理的な賢い戦略で、責めることなんてできない。

マスコミに登場するような女性文化人や政治家についてはすぐに容貌が取り沙汰されるが、男性の場合は、よほどイケメンでないかぎりほとんど問題にされないだろう。

いわば、女だけが入学試験の試験科目が多いようなもんである。

しかも、最近は、元がどうであれ、ファッションセンスや化粧の仕方でかなり垢抜けられるから、逆にそういう努力をするよう強迫観念に駆り立てられる。

私の女偏差値は著しく低いが、だからこそ、まったく努力しないのでは、社会人失格とみなされそうなので、仕方なく最低限の肌の手入れはしている。
しみもレーザーとかでかなりお金をかけてとったりした。
それも、大学を卒業するまで、顔に何も塗ったことがないという悪行のつけである。
もし娘ができたら、「日焼け止めだけは塗りなさい」とアドバイスしようと思う。

しかし、化粧は講義のときしかしない。(女子学生の手前、やらないわけいにはいかない。就職セミナーとかで、社会人になったらノーメークより薄く化粧はした方がいいといっているようなので)
それでも、しみは怖いので日焼け止めは塗っている。そうすると、寝る前に落として寝なければならない。夫と二人で芝居なんか見に行って夜遅くなって、夫はすぐに寝られるのに、私だけ化粧等を落とし、さらにクリームとかを塗って、という手順をふまなければならないのが面倒くさい。
しかも、年齢とともに安い基礎化粧品ではすまなくなってきて、出費もものすごく痛い。

私のようにかまわない者すら、今まで化粧品の情報集めや買い物のために費やした費用と時間を考えたら、それだけでも男よりすごいハンディを負ってしまっていると思う。
夫なんて毛むくじゃらだけど、私は永久脱毛を計50万以上かけてやったしね。
洋服だって、男はそうでもないけど、女はいつも同じ服ってわけにいかないしね。
なんで女だけ?と不条理に感ずる。

爪はサロンにいったりしてきれいにしているが、これはいわばアリバイ。ノーメークでいることが多いので、「私は身なりにかまわないわけじゃないですから」というメッセージのつもり。
それにきれいに化粧しても自分では鏡見ないとわからないけど、指先はいつも見えるから、自分の目に触れるところがきれいな方がきもちいいしね。

眉毛は抜いたり切ったりして手入れするものだということもつい最近知ったのだ。
私の眉毛はほっておくとまぶたまでかぶってくる薄く広いぼさぼさ眉毛。
それを30年以上放置していたのだから恐ろしい。

別のたとえ話でいえば、女だけ、マンションを買うと、庭付きの1階部分が自動的に割り当てられてしまう、というようなもんじゃないだろうか。そりゃあ、ガーデニング(化粧やおしゃれ)が好きな人はうれしいだろうけど、全然興味ないのに、庭がついている以上、雑草生え放題というのは見苦しく近所迷惑だから、最低限の草取り等はしなきゃなんない、あーめんどくさい。


私の場合は以上のような笑い話ですんでいる(それも一応結婚しているからいえることだが。結婚する前は、「結婚しないと女偏差値が低い、つまり敗者と思われる」という強迫観念があったもの)が、「いくら仕事で成功しても女としても一流でないと」という強迫観念は悲劇を生む。
「負け犬」なんて自恃をこめた自嘲をしたり、中村うさぎみたいに整形に走っているうちはまだいいが、東電OL事件の被害者も、「仕事だけじゃ嫌だ。女として男に欲されなければだめだ」という女偏差値への強迫観念が昂じた結果、街頭に立つようになり、あげく命を落としたのではないだろうか。
そういう悲劇性が、多くの働く女性に(私もそうだった)「東電OLは私である」という感想を抱かせたのでは。

桐野夏生「グロテスク」よりかなりまえに佐野真一のルポを読んだが、あまりに被害者に感情移入しすぎ、「疲弊した現代日本に現れた巫女」のような扱いをするのはちょっとついていけなかったが、よくできたルポだと思った。

中村うさぎは女偏差値にこだわっているようで実はそうでない、少なくとも異性から評価される女偏差値より同性から評価される女偏差値に固執しているにすぎない。
服やかばんのブランドなんて、男はあまり知らない。女こそが「お、エルメスか、侮れない奴」と気づくのだしね。整形もそう。つまり、同性にうらやましがられたいという意識が強いように思える。そこに異性のまなざしは計算されていない。
東電OLとは逆に、女として異性から欲される状況を避けようとしているように見え、実際に性交渉をしない結婚をホモセクシャルの無職の外国人としてしまった。
これは、友人から「男根恐怖」といわれているようだが、まさにそうで、私の分析では、前の結婚相手を深く愛しながら破局した経験が、「もう二度とあんなふうに傷つきたくない。だから、異性としての男に向き合うのはいやだ」と強く思わせているような気がする。
でも、書いたものを読むと、頭はいいし、性格はいい(人間として根本の部分が清く潔い)し、(行動を見ると紛れもなく自己愛型人格障害の症状を呈しているのに、人格障害でかつ性格がいいという稀有なケースだね)、彼女のことは大好きです。でも痛々しい。女としての幸福を諦めないでほしい。

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オリンピックとジェンダー

2005年01月06日 | Weblog
今年のオリンピックを見て、女性だけに課されるハードルということを考えてしまった。

谷亮子選手と野村葉子さん(柔道の野村選手の夫人で、応援席にいつもいた人、多くの人は名前も知らないだろう)は、両方とも、オリンピック選手の妻という点で同じ立場である。

なのに、野村夫人は、自分では職業を持たず、夫の応援をするという生き方が、女性であるがゆえに許される。もし、谷亮子選手の夫が無職で、妻の試合を必ず応援席で見ていた、としたら、世間は同じように好意的に見てもらえただろうか?

これに対して、谷亮子選手は「結婚したから弱くなったといわれたくない」という、男性選手だったら考えられないような余分なプレッシャーにも苦しめられた。
大体、バスケットボール選手も、女子だけ「チーム唯一のミセス」とか、どうして男性選手のmarital statusは言及されないのに、女子選手のそれだけがやたらと取り沙汰されるのだろう。立派な男女差別であり、セクハラだ。

ついでに、韓国や中国の選手の欧文表記は姓が先になっているのに、日本人はなぜそれをしないのか?報道機関の見識を疑う。何度もいうようだが、ヨーロッパにだってルーマニアのように、姓を先に表示する国もあり、名を先にするのが国際標準だというのはアメリカニズムに侵された大間違いだっつうの!

プロ野球ファンの中には、「谷佳知選手も専業主婦で健康管理をきっちりやってくれる奥さんをもらえばいいのに」なんていう奴もいて、夫の成績が下がったりしたら亮子選手のせいにされかねない。
谷選手はその上、足を怪我しながらも見事金メダルをとった。
私はスポーツには全く関心ないのだが、同じ働く既婚女性として(ヤワラちゃんのような才能はもちろんないが)、涙が止まらなかった。

私が取材をうけたアエラの東大女性特集でも書かれたとおり、「普通の男の人のように働きたい」のにそれができないのである。男は、男というだけで、仕事をしながら家庭も持てる。普通のハードルが用意されている。

しかし、女は、いったんがんばるとなると、ヤワラちゃんのように、男よりはるかに高いハードルを課される。かといって、がんばらないと決めれば、(失礼ながら)野村夫人のような低いハードルで十分だといわれる。

女には、高すぎるハードルと低すぎるハードルの2種類しか用意されていないのだな、と今年のオリンピックをみてつくづく感じたのでした。

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負け犬の反対語はフケ犬

2005年01月06日 | Weblog
負け犬論争について

私は負け犬の反対語は勝ち犬じゃなくて、フケ犬だと思う。
ふけた、というのは、老いた、という意味ではなく、花札なんかで、たとえば、(何点を基準にするかはローカル・ルールによって違うが)20点以下しか取れない人が一人でもいると、その勝負自体がなかったことになる、ていうのがあるじゃないですか、それですね。
通常は、一点でも多く点を取った人が勝ちだから、みんな高得点になる役(猪鹿蝶とか)を狙って一生懸命ゲームに参加しているのに、あまりに手が悪すぎる場合、逆に低得点でふけて、「負け」るのだけは避ける、という戦略があるのですね。もちろん合法的な作戦です。

女性が仕事を辞めて専業主婦になるって、花札でいう「ふける」という行為ではないか、とずっと思ってきた。働いている人間は、仕事上の業績ややりがい、つまりachievementを尺度とするが、主婦たちは「子供ってかわいいわよ」という全然違う価値観を持ち込み、こちらを脱力させる。achieveしようと必死にがんばっていることを否定されたような気持ちになる。

私の大学の同級生の女性の中には、少なからず、出産や夫の海外転勤等でキャリアの中断を余儀なくされた人がいるが、私も取材を受けた先日のアエラの「東大女子40歳の現実」にもあったように、東大卒のプライドが邪魔して、中小企業に再就職するぐらいなら、エリートの夫(ほとんど同じ大学出身者)を支える優雅な専業主婦生活、という道を選んでしまう。そして、年賀状等には誇らしげに「子供がピアノの発表会で云々」と子供のことばかり書いてくる(写真だけなら別に腹は立たないが、子供自慢のコメントは物心身のあらゆる犠牲を払い、体外受精を5回やっても妊娠できない人間にあまりに思いやりがないと気づいてほしい)。

つまり、仕事をするかぎり、会社、肩書き、仕事の内容等で勝ち負けが判断されてしまうので、負けそうだと思ったら、その勝負自体に意味がなくなるような価値観の生き方(専業主婦)の方にシフトするということだ。つまり、勝負から降りてしまうのだ。

日本では、社会保障や男女の役割分担意識等、あらゆる制度・環境が、働く女性に不利にできているから、女性が勝負を挑んでも、たいてい「負け」てしまう。
酒井順子氏のいう負け犬とは、「しかし、だからといって、勝負を降りたりしないわよ。堂々と負けるわよ」という気概のある生き方を選んだ女性のことをさしているんだと思う。

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