夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

授業評価

2004年10月25日 | profession
前期「契約法」の学生による授業評価で、詳細なコメントが書かれていたのでここに一部紹介する。自画自賛のようだが、こちらの意図をわかってくれる受講生もいるのだと勇気づけられた。

○この授業について,教員が良い工夫をしていると感じられるものを書いてください
・ほかの民法の授業では、教授が教科書を読むだけの授業が多かったですが、先生の授業では、小テストの問題やレポートの課題など実社会で契約法がどのように使用されているか分かるような内容になっていて、とても工夫しているなあと感じました。
・いろいろと実例をあげて解説しているところ。
・様々な経験談や資料で、身近な例をたくさん示してくださるところ。
・実務に基づく話に興味が持てた。
・小テスト
・毎回小テストをすることで、出席も確認できるし、授業の復習がこつこつできてよかったと思います。
・教科書の内容だけでなく、折に触れ新聞やテレビ等で現在話題に上がっていることを題材に、現実の社会で法律がどのように運用されているのかについての説明があったこと。
・小テストを毎回行うこと自体は非常に為になりました。
・毎回、小テストを行うことによって、真剣に授業に取り組めたと思う。
・実態(特に今の社会事情をふまえて)法律を教えてくださった事に関してはよかったと思います。法律がより身近に感じられました。

○上記で答えたこと以外によかったと思うものを書いてください
・裁判員制度の説明を丁寧にしてくださったのがよかったです。いろいろなメディアを見ていても裁判員制度のことをあまり詳しくとりあげておらず、よく分からなかったのですが、丁寧な説明で理解することができました。とてもよかったです。
・先生の考えかたにふれられたこと。
比較法的な視点からの解説。
・非常に分かりやすかった。
・ほかの先生方は遅刻者や退出者が多くても何も注意しないが、先生はそういった人たちにしっかりとほかの人たちの迷惑であると注意してくださったのがすごくよかったと思います。まじめに授業を受けている生徒のことを考え、一生懸命講義をしてくださるのがとてもうれしいです。
・小テストが毎回あることで、出来不出来に関わらず、その時その時で自分の理解度が計れたこと。
・昨今の銀行の状況を法律をふまえて説明くださったことはよかったです。そうだったのかということがたくさんありました。

○批判ももちろんあったが、ほとんどが、「小テストの時間が足りない」、というものだった。
当日の17時までに提出すればいいとしたが、授業が詰まっていて難しい学生もいたらしい。
この反省をふまえ、今期の「担保法」は、受講生全員に諮って締切時間を決めた。

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琳派展とNODA MAP 赤鬼

2004年10月17日 | 演劇
昨日は夫と三越の琳派展に行った後、シアターコクーンでNODA MAPの『赤鬼』を観た。

尾形光琳といえば、MOA美術館にある『紅白梅図屏風』を、2001年2月に香港赴任前ということで、夫と私の両親と熱海に旅行して見たのを思い出す。この作品は、梅祭りの時期しか公開しないのだが、川を配した構図にいろいろな含意があるらしい。
また、俵屋宗達の『舞楽図』は三島由紀夫が絶賛した作品だ。

野田秀樹の作品は、『透明人間の蒸気』以来。
異質なものを排除することによって自分たちのintegrityを保とうとする人間の冷酷さ、【バベルの塔を超えて】という小西のせりふに象徴されるように(しかし、バベルの塔と言語の関係って今の若い人はどれくらい知っているのか)、異文化理解の難しさを、いつもの絢爛たる言葉遊びの中に描いていた。

小西真奈美は、つかこうへいの『寝取られ宗介』『熱海殺人事件』草剛がヤスをやった『蒲田行進曲』の小夏役等を見て、いい舞台女優だと思っていた。
確か、金八先生の第5シリーズで兼末健次郎の姉の役で(といってもスキー事故で死ぬ回想シーンのみ)出たのがドラマで見た最初だが、その時は、理科教師役の山崎銀之丞つながりかと思ったが、その後はトレンディドラマに出ずっぱりだが、本来舞台女優として才能を持った人だから、今回『ホットマン2』の妹役を伊東美咲に譲っても舞台に戻ってきてくれたことはうれしい。

大倉孝二を舞台で見るのは、2002年『彦馬がゆく』以来、長すぎる手足を自分でもてあますような演技は健在。

劇場で市川実和子を見かけた。TVで見るとおりだった。

『走れメルス』も楽しみだ。

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裁判員制度導入への懸念

2004年10月12日 | profession
一、はじめに
裁判員制度を導入する法案が3月はじめに閣議決定された。
これは、司法制度改革の一環として、大きな意義を持った制度だと考える。第一に、現在一般市民生活から隔絶されているような印象のある司法過程への市民の参加を可能にする。第二に、検察官が有罪率を確保することに組織の存在意義をかけ、被告人の「無罪の推定」という建前とはかけ離れている刑事裁判実務を是正することができる可能性がある。
しかし、裁判員制度は両刃の剣である。法の素人である市民が判決に参加することに伴う、素人であるが故の良い点ばかりでなく、悪い点の影響も考慮する必要がある。つまり、素人が被告人の人生(時には生死まで)を決定することから生じうる問題をミニマイズできるような環境が整備されていなければ、却って裁判への信頼を損なう結果になりかねない。その観点からは、残念ながら現状の環境はあまりにも不備であると言わざるをえない。本稿では、市民の裁判への参加という点で最も進んでいる(弊害も進んでいる)アメリカの制度と比較しながら、裁判員制度導入に不可欠な環境が現状ではいかに欠けているかについて論じる。

二、日本の問題点
第一に、裁判員の予断を排除する制度の不足である。素人である裁判員に予断や偏見を抱かせないようにするためには、ミスリーディングな証拠を証拠調べから完全に排除しなければならない。それらが少しでも裁判員の目に触れたり耳に入ったりしただけでも危険である。そこで、アメリカでは、日本よりもはるかに詳細な証拠法則が発展しており、証拠法則上、様々な証拠・証言(たとえば、責任保険、事件後の修繕・改善、示談交渉等)が「証明力よりも予断や偏見を陪審に与えるという弊害の方が重大」と判断されて定型的に排除されている。それに対して、日本の証拠法は、法廷に素人の判断者がいないため、証拠法はさほど細かく規定されていない。予断を抱かせるような証拠だとして反対当事者が異議をのべ、裁判官の判断で異議を認めるかどうかが判断されるケースが多いが、その状態で裁判員を法廷に入れると、そうした悠長なやりとりを裁判員が逐一見ていることになり、たとえ排除されてもその証拠の印象を拭うことは難しいであろう。
第二に、争点の整理を可能にする制度の欠如である。アメリカでは、陪審の拘束を最小限にとどめるため、disclosure制度が徹底されており、当事者が事前に証拠や証言の整理や打ち合わせを入念に行っているが、日本の現行刑事訴訟法ではそれは難しいであろう。
第三に、犯罪の構成要件が米国ほど細分化されていない。アメリカでは公判により論点が可能な限り整理され、裁判官が陪審に何を判断すればいいか説示する際には、単純な事実認定の問題に絞られているのだが、それも、日本なら、たとえば殺人罪第199条という一つの条文が適用され、情状による量刑については裁判官に広範な裁量が与えられている行為について、多くの類型が刑法上規定されているから可能なことである。たとえば、ニューヨーク州刑法では、第1級謀殺だけで9つの類型があり、他にも第2級謀殺、第1級殺人、第2級殺人等、全部で10種類以上の異なる構成要件が存在するので、陪審が判断することも単純化されているのである。
第四に、犯罪報道の問題がある。典型的に予断や偏見を抱かせる証拠として米国ではもちろん日本でさえも、原則として排除されているものに「悪性格の証明」があるが、日本では、犯罪が起こると、報道機関が犯人の近所の人に「彼(女)は日頃どんな人でしたか?」と聞いて回る様子がTV映像で毎日垂れ流されている。不法行為上の名誉毀損が日本よりはるかに成立しやすい米国にはそれほどないことである。報道規制は表現の自由との関係でしないことになったため、裁判員はこうした予断・偏見情報に常に晒されることになる。
第五に、裁判官が合議に加わるという点である。日本人はどうしても専門家の意見を重んじるという考え方をする傾向がある。先日、筆者の契約法講義の受講生にアンケートをしたところ、裁判員になりたいか否かについては、「なりたい」、「どちらかといえばなりたい」が計22%に対して、「どちらかといえばなりたくない」、「なりたくない」と回答した者は78%おり、その理由の主なものは、「知識もないのに他人の一生を左右するのは責任が重過ぎる」ということであった。そして、「あなたが刑事被告人になったら(選べるなら)裁判員の参加による判決を望むか、それとも裁判官だけに判決を出してほしいか」という質問については、裁判員を望むのが34%、望まない者が66%となり、その理由としては、「法律知識や経験のない人に裁かれたくない」というのが一番多かった。これでは、合議において、裁判員が裁判官の意見をご尤もと受け入れてしまう可能性が高いと思われる。
そのような状況で、裁判官は、裁判員がプロである自分に意見に引きずられることなく公平な議論ができるようリードしなければならないが、そうした技能は裁判官が従来の司法研修所で受ける教育では養成できるものではない。
第五に、現実に裁判員を務める層の偏りである。会社員の場合、裁判員のための休暇を認めなかったり休暇をとったために不利益を課す会社には罰則が科されるが、会社と従業員の関係ほど本音と建前が乖離したものはなく(例:有休休暇の消化不能やサービス残業)、結局、会社員等のフルタイム・ワーカー以外の層ばかりが裁判員を務める事態が予想され、誤解を恐れずに敢えていえばそういう層こそ前記の偏見報道により多く晒されている人たちなのではないのか。
第六に、裁判で実現される正義は、男女差別関係の訴訟のように、世の中の大勢より一歩進んだものであるべきこともあるが、裁判員制度ではそれが不可能になるおそれがある。特に、強姦被害者による加害者殺害の正当防衛の成否を争う事件で「本当に貞操観念があれば逃げられたはず」等の伝統的な女性観をもつ裁判員が大勢を占める場合にどうなるか。
裁判員制度を推進している日弁連からして、残念ながらこの点では疑問視される点がある。というのも、日弁連製作の裁判員宣伝ドラマ「決めるのはあなた」の中で、議論が煮詰まってきたので、「休憩してお茶でも飲みましょう」という場面があったのだが、驚いたことに、女性裁判員(しかも、「私は結構です」といって飲まなかった女性看護師を除く女性全員)だけがコーヒーを淹れに立ち上がり、男性裁判員はただの一人も手伝おうとしないのであった。男女共同参画社会基本法が施行されて久しく、しかも裁判員制度に関する啓蒙ドラマなのにこのようなシーンを作ってしまう日弁連の見識を大いに疑うが、このことからも、裁判員による判決がジェンダーが争点になっている事件で必ずしも公正なものにならないことは、容易に想像されることなのである。
これらの多くの問題が2009年の実施までに解決できるのか、残念ながら疑問視せざるをえず、制度導入に懸念を抱かざるをえないのである。



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総合職第一期生が大学教師になるまで

2004年10月12日 | Weblog

1.はじめに
昨年の6月から私の職場になった大学の研究室の窓からは、美しい北アルプスの山々が見える。東京のゼロメートル地帯といわれる下町で育った私には、職場から山並みが見えることそのものが新鮮な体験であり、いつまでも見飽きることはなく、同時に今ここに自分がいること自体が不思議に思えてくる。
私は1987年に銀行に女性総合職第一期生として入社し、企業派遣の制度により米国のハーヴァード・ロー・スクールおよび英国のオックスフォード大学への留学を経て、約14年間銀行法務や国際業務に従事してきたが、2001年に夫の在香港日本国総領事館への転勤に伴い銀行を退職、外交官夫人としての公務の傍ら香港大学で3つめの法学修士号を取得し、夫の本省への転勤とともに一昨年暮れに帰国、外資系コンサルティング会社に数ヶ月勤務後、昨年の6月から本学で助教授として教鞭をとっている。
現在は2年生以上の担保法、ジェンダーと法と1年生向けの法学入門コースを担当しているが、先日オムニバス形式の共通教育(昔の一般教養)科目で、学者になった経緯について話す機会があった。その内容を中心に、銀行員から学者に転進した心境についてお話させていただきたい。

2.なぜ学者になったのか
(1)バブル崩壊
子供の頃、「大洋ホエールズ」はドラマ『太陽にほえろ』の出演者やスタッフの作っている草野球チームだと思っていたくらい野球音痴である私にも、2003年のタイガース優勝フィーバーはとても印象に残った。そして、タイガースが前回優勝した1985年に、偶然にも私の社会人としての生き方を左右することになるいろいろなことが起こったのだということに同時に思いを巡らせた。この18年で日本の社会や経済はどれほど変化したか、その変わりようは、特に銀行業界に身をおいた者にとっては、戦後50年にも匹敵するものではないかと思う。
まず、9月に行われたプラザ合意により、日本はバブル経済に突入し、その後の失われた10年の発端となった。
また、この年に日本は女子差別撤廃条約を批准し、男女雇用機会均等法が成立し(施行は1986年)、そのために1986年の採用活動から女性総合職の採用活動を始める大企業が多く、したがって1987年、すなわち私が大学を卒業した年に多くの企業で女性総合職第一期生が誕生した。私もその一人だった。
当時、バブル景気を背景に金融業界は未曾有の繁栄に狂喜乱舞し、大銀行20行体制は磐石に永遠に続くもののように思われた。特に入社した信託銀行は株式・不動産双方の値上がりを受けて、仕事は忙しいが、新商品の開発等、前向きなものばかりで楽しく、連日の深夜までの残業後、新入社員にもタクシー券が渡され、しかし、タクシーを呼ぼうとしても電話がなかなかつながらないという毎日だった。
そのおかげで、通常一カ国ですます(通常は1年でLL.M.を取得後、visiting student等の身分でもう1年勉強することが多かった)留学も、米国で学位取得後、2年目は英国への留学を許可してもらえたのである。
しかし、1991年に留学し、1993年に帰国した私を待っていたのは、崩壊しきったバブル経済だった。バブルの頃は英雄とされた不動産融資等が戦犯扱いされる等、全ての価値観が180度変わってしまっていた。同じ頃55年体制を打破する形で成立した細川内閣も改革の実績をあげられないまま終わった。
高度成長期である1960年代に生まれた私は、自宅に電話やカラーテレビがない時代(実家が裕福でなかったせいもあるが)も経験している。それゆえ、「人々の努力によって世の中はだんだん右肩上がりに良くなっていくものなのだ」という素朴な思考様式をもっていたから、こうした事態は非常なショックであり、「世の中には何一つ確かなものなんかない、特に経済やビジネスは。」と思うようになり、そういう不確かなものに依拠する銀行員という仕事を一生続けることに無理を感じるようになった。「どんな時代でも研究や教育の重要性だけは不変だろう」と思い、「いずれ大学で教えたい」と考えるようになった。そこで、オックスフォード大学で書いた論文を日本語にしてジュリストに掲載することを手始めに、銀行員の激務の傍ら、論文を発表するようになった。留学中の成果のみならず、ロンドン支店の融資案件の審査の仕事をしている時は英国地方公共団体からの保証がUltra Viresで無効になった判決に実際に影響を受ける案件を担当していたことからその判決の解説等を発表したりしていた。80年代の末には「World Banker」誌で上位を独占した邦銀も、BIS規制やジャパン・プレミアムに苦しめられ、国際業務はどこも苦戦していた。
1995年にベアリングズ事件(銀行のロンドン支店が同じビルに入っており、その頃出張があり、間違えて、事件で騒然とするベアリングズ社に入ってしまったことがある)と大和銀行ニューヨーク支店事件(余談だが、井口俊英の『告白』の中に、収監先でその直前に起きたトレードセンタービルの爆発事件の犯人と一緒になり、冗談で「あまり大きな音がしたので飛行機でも突っ込んだかと思ったよ」といったという件を読んで慄然とした)が起き、海外支店のコンプライアンス・オフィサーを本部で一元的に管理することが監督官庁から義務付けられ、その仕事を担当するようになった。
1997年、遠い将来学者になりたいという思いから、金融法務では業界一の実績があり、学者も輩出している銀行の法務部に転職。総会屋事件等でこの年大揺れに揺れていたが、その方が法務部門の役割は重視されるしやりがいがあると思ったのである。
翌1998年には金融システム改革法が成立し、金融自由化の一環として投資信託の銀行窓販等が解禁され、私が主担当になり法務周りを任せてもらった。
この年、長銀、日債銀が破綻し、官僚の接待汚職事件が起きた。
自由化で扱える商品が増えるだけでなく、護送船団方式から脱皮し、通達行政を廃止し透明化された銀行業務では、法務部門の果たす役割が非常に大きく、毎日ビジネスの必要性に裏打ちされた新しい法分野を勉強しつつ現場と共同してpracticeするという、今考えても法律家としてこれ以上望めないような環境で仕事ができた。商法改正や債権譲渡特例法、消費者契約法、金融商品販売法等の私法分野の大きな法改正・立法を現場で扱うのも醍醐味があった。2000年、奇しくも私が生まれた年に初めて統一書式が作られた銀行取引約定書ひな型が廃止されたことに象徴されるように、銀行が独自に法務等の方針を立てなければならないというやりがいもあった。
そこで、夫に香港への転勤の辞令が出た時は、当初単身赴任してもらうつもりだったが、結局退職して同行したのである(その経緯および香港での生活については本誌Vol30No.9~12『香港だより』に詳述している)。
夫の帰国は本省の都合で予定より早まり、本来なら2004年3月に帰国するところ、2002年12月に帰国したが、そのおかげで、法科大学院設立申請(2003年6月)を控え、実務家教官のニーズのあった大学に就職することができたのも巡り合わせであろう。もし予定通りであれば、法科大学院がらみの求人はもはやなかったであろうから。

(2)女性として
私が銀行でやっていくことに限界を感じたのはバブル崩壊だけではない。
残念ながら、今の日本では経済合理性の支配する業界では女性が成功するのはきわめて難しいと思ったからである。
私が社会人になった1987年にはまだ「セクハラ」という言葉さえ一般には知られていなかった(だから1989年の流行語大賞に選ばれている)から、残念ながら今なら完全に「セクハラ」として禁止されるようなことも当時の職場では少なからずあった。
また、企業だけでなく、国のいろいろな制度自体が、男は仕事、女は家庭という性別役割分担に基づいて作られていることに次第に気づいていったのである。
とくに、世帯単位の課税や社会保障制度は、女性が働くと却って損になるようにできている。配偶者控除、年金の3号被保険者、健康保険、会社の配偶者手当等。男を家庭責任から解放した方が経済効率がいいからである。会社で深夜に残業しているとき、小さい子のいる男性の同僚を見て「彼がこうして激務をこなしながらも人の子の親になれているのは、妻が彼に代わって子に食事をさせ、オムツを換え、寝かしつけているからだ。そして、そのコストは、私を含めた他の労働者がみんなで負担していることになる。なぜ、男だけが仕事と親業を両立できるようになっているのか」と悔しくてたまらなかった。
産業社会によって女は3度利用される。若いうちは低賃金のルーティン・ワークを担う「職場の花」として、結婚後は企業戦士の「銃後の妻」として、そして子育てが一段落した後は一般職より安くすむパートまたは派遣労働者として。
所得の低い専業主婦を優遇する制度があるから、大企業の多くは「扶養家族の範囲内で働きたい」という主婦を関係会社である派遣会社に登録させて、一般職の代替として使う。社会保険料の使用者負担分がないから、コストは一般職の半分以下ですむから。だから、一般職の採用をやめる企業も多く、銀行の本部などはこうした主婦労働者が一般職より多くなっているところもある。1999年の派遣労働者の業務範囲拡大でますますこうした傾向に拍車がかかった。既存の一般職に総合職になるか派遣社員になるか二者択一を迫る会社もある。1998年に首相の諮問機関である「少子化を考える有識者会議」働き方分科会の委員になって、私はますますそういう思いを強くしていった。
はじめの銀行では、結婚後旧姓使用も認めてくれなかった。
転職先では、その直前に制度ができ、国家公務員も最近制度ができたので、それ以降は幸い旧姓を使っているが。
それらのことから、経済合理性の支配する企業社会でやっていく自信がなかったことも、学者に転進した理由の一つである。

(3)歴史の証人となった体験の共有
以上は、まるで消去法で学者になったようで申し訳ないが、積極的な理由もある。
キケロは、高齢者を惨めにするのは①肉体の衰え②快楽から遠ざかる③死の接近のみならず、④公的な活動からの隠退であるといっているが、世界一寿命の長い日本女性としては、なるべく長く現役で働ける仕事を選びたい。たとえサラリーマンとして位人身を極めて役員になっても退任後は生きがいのない老人になっている人もたくさん見てきた。学者なら、たとえ大学自体は定年退職しても、死ぬまで論文を書く等を続けられる。
また、教育により、若い人を育てることによって、自分の足跡を残したいとも思う。高校時代、大学時代にたくさんのすばらしい恩師に出会ったことが影響している。
さらに、前記のような大変動期の金融業界に均等法第一世代として身をおいた経験を、たくさんの人と共有し、願わくば私が送り出す女子学生が少しでも生きやすい世の中にしたい。その観点から、来年度は契約法、担保法のほかに「ジェンダーと法」という講座を担当する予定にしている。本学初の試みである。

3.大学教師生活
私は、大学教師としては、実務家出身であること、4カ国で法学教育を受けているという特殊性を持っているが、もう一つの変わったところは、元々文学部志望だったということである。
中学2年で出会ってから三島由紀夫の熱烈な読者であった私は、文芸評論家になることを目指して東京大学の文科三類に入学した。しかし、文学の世界ではよほどの才能がないと食べていけないことに気づくとともに、点字サークル等でボランティア活動を始めたことから、もう少し社会的な仕事がしたいと思うようになり、法曹を目指して法学部に転部したのである。
しかし、法学部の授業は私にとって日本語とは思えないほどちんぷんかんぷんだったし、いまだにその時感じた「法律って何か、変」という素人くささを引きずっている。就職して実際に銀行法務の仕事をしてはじめて「ああ、あれはこういう場面で必要な知識だったんだ。もう一度大学に戻って授業を聞きたい!」と思ったほどである。
私は終始文学的な人間で、法曹といっても三島の小説に出てくる裁判官と自分が余りにも似ていたのでそれが自分にふさわしい職業だと(社会的地位の高さにかかわらず人生の敗残者という設定なので)自虐的に思っていたり、司法試験は論文試験で不合格になり、浪人できない家庭の事情から銀行に就職することになっても、三島由紀夫が「小説家は銀行員のような生活態度でいなければならない」というトーマス・マンの言葉が好きでよく引用していたから、まあ、いいか、と思ったりしていた。
経済にも疎くて、恥をしのんで告白すると、銀行に入社するまで(就職活動までではない!)都市銀行、長信銀、信託銀行、地方銀行といった分類について全く知らないばかりか、「ノンバンク」は銀行以外の全ての業種の総称だと思っていたくらいだ。
つまり、私のような法律・経済劣等生が経済学部の法学科で教えるということ自体噴飯物かもしれないのだが、だからこそ、初学者のつまずく場所がよくわかる。
また、具体的に法律がどんな場面で使われるか学生にイメージさせようと、小説(執行妨害を扱った宮部みゆきの『理由』や篠田節子の『女たちのジハード』等)やドラマ(『事件』等)を題材にし、ナニワ金融道の、帝国金融が短期賃貸借と代物弁済予約を併用し、所有権者になって先順位抵当権者に滁除をしかけるエピソードが、今回の民法改正で結果がどう変わるかを小テストの問題に出したりしている。さらに、刑事裁判傍聴や法務局で下宿の登記簿謄本をあげさせてレポートを書かせる等も行っている。
担保法では「(債権者から保証人への通知義務等について)民法上こうだが、銀行は契約書に条項を入れて銀行に不利な民法上の原則がそのまま適用されないようにしている」等、銀行の手の内も明かしたり、講学上の民法と実務の懸隔を埋めるよう努力している。

生活面では、やはり、夫を東京においての単身赴任生活は心身にも経済にも負担であるし、物心ついてから日本では23区を出たことのない身には、世界67カ国を旅行/滞在しても(否、だからこそか?)感じることのなかった違和感を信州人気質に対しては覚えることも否定できない。
しかし、学者としてだけでなく人間として最も尊敬する恩師米倉明先生の教科書を使って学生に講義できることは望外の幸せである(民法学者という自己認識は、米倉先生と同じであるという一点において申し訳なく恐れ多すぎる)。
また、刑事裁判で被告人に感情移入して泣きそうになったという学生や、実験等でへとへとなのに私の主催する点字講習会に欠かさず参加してくれる工学部の学生等はかわいい。
それらのものや、雨後の北アルプスの山並みの息をのむほど美しさ等に支えられ、学者一年生の生活を必死に送っている毎日なのである。


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今年の新入生ゼミナール その3

2004年10月12日 | profession
九、 小説『12人の浮かれる男』
1. 概要
筒井康隆著。1975年出版。
題名からわかるとおり、『12人の怒れる男』のパロディである。
部屋が熱かった『怒れる』に対して、この小説の書き出しが「寒くて仕方ない」ということからわかるように、全て映画の逆になっている。
陪審制度が再開され、その第1回目の裁判という想定であり、明らかに無罪であり、アリバイの証明も完璧にできているのに、「マスコミから注目されている第1回目の裁判だから、意外な評決を出して世間を驚かせたい」と、無理やり有罪評決を出そうとして、最後まで抵抗した小学校教頭まで弱みを握っている他の陪審員が脅迫して有罪に変えさせたり、陪審員の一人が被告人の妻を脅迫して関係をもったという出来事まで自慢げに語られる。
2. 感想
「裁判員制度は汚職を指摘されるまでの教頭のように良心と正義感を全員が持って臨まなければ個人的な感情によって被告人の一生が決まってしまうという、悲劇を生むだけである。裁判の民主化、迅速化などの目的を達成することが第一だが、そのためには国民に正しい情報を公開し理解を得ることが不可欠である。単に他言禁止などの罰だけを強調するのではなく、制度の目的や内容など、全てにおいて理解を得て、信頼を得ることが必要だ。2009年からじっしということになっているが、理解が得られるのに時間がかかるようなら、もっと遅らせてでも完全な裁判院制度とすべきである」等。

十、 ヴィデオ教材『12人の優しい日本人』
1. 概要
1991年 中原俊監督 三谷幸喜と東京サンシャインボーイズ脚本
これも有名な『12人の怒れる男』のパロディで、人気劇作家・脚本家の三谷幸喜氏(私も大ファンで、彼を知った1995年以降の舞台は日本にいるかぎりほとんど観ている)が、所属していた東京サンシャインボーイズ(解散、というか、2024年に梶原善主演『リア玉』で老境サンシャインボーイズとして再開することが約束されているらしいが)のために書いて上演した舞台劇が原作の映画である。三谷氏の得意とする、密室におけるシチュエーション・コメディの真髄ともいえる作品で、「日本人論」としても秀逸である。俳優陣も舞台出身者が多い。
2. ストーリー
日本に陪審制度があるという前提で、21歳の若い女性がだめ亭主に愛想をつかして離婚し5歳の子供を育てていたが、元夫にしつこく復縁を迫られて、トラックに突き飛ばして殺害したという容疑をかけられた事件を評議する。
『12人の怒れる男』と違い、全員無罪で評決をすぐ出そうとしたところ、2号陪審員が「もっと話し合いましょう」と主張し、有罪に意見を変える人を増やしていくが、その過程で事件の全容が明らかになり、結局は無罪の評決になるが、2号陪審員は『怒れる』の3号と同様私情で意見をいっていたことが最後にわかる。
「殺してやる」という『怒れる』のキーワードが、ここでは「死んじゃえ!」でしかも「ジンジャエール」の聞き違いだったり、『怒れる』ではナイフが証拠品だったがここでは宅配ピザが証拠品として注文される等、細かいパロディも面白い。
議論べたな日本人が陪審員をしたらどうなるかということが、「いるよね、こういう人って」という細かいエピソードの積み重ねで描かれ、非情に興味深い。
3. 陪審員の構成
号数 有罪に変える順番 性別 職業 俳優(舞台歴) その他情報
1 9 男 体育教師 塩見三省(つかこうへい作品で活躍) 陪審長。4年前に死刑評決を出した経験を引きずっており、無罪を主張
2 1 男 会社員 相島一之(三谷組) 自分を捨てた妻を被告人に投影し有罪に固執
3 8 男 喫茶店経営 上田耕一 甘栗を配ったり飲み物の注文をとったり投票用紙を作ったりと世話好きだが、意見は言わない。争い事が大嫌いで皆の議論に耐えられず途中で帰ろうとする。
4 男 二瓶鮫一 「フィーリングで無罪」と主張し続ける。
5 3 女 中村まり子 記録魔で何でも細かく記述しているキャリアウーマン風だがアルトマンに登録しており結婚願望はある。
6 7 男 会社員 大河内浩 会社に早く戻ることしか考えていない。ダヨーンおじさんの落書きをしていて叱られる。
7 10 男 会社員 梶原善(三谷組) 自分と年や境遇が似ている被害者が美人の被告人と結婚してヒモになる等女性にもてたことに嫉妬し「死んで当然」と無罪を主張
8 6 女 主婦 山下蓉莉枝(夢の遊眠舎出身) 3歳の男の子の母親。優柔不断。
9 2 男 歯科医 村松克己(劇団黒テント出身) 仕切りたがり屋。議論自体が盛り上がることを目的として意見を変える。何かと5号につっかかる。
10 11 女 林美智子 2号を「心が捻じ曲がっているからそんな想像をするのだ」と優しげにいい無罪を主張。
11 5 男 俳優 豊川悦司(劇団3○○出身) 初め無関心で、「どうせ有罪にしても執行猶予がつくんだから無罪にしましょう」と提案したりしていたが、無罪派が負けそうになった時「弁護士だ」と嘘をついてサポートに回る。
12 4 男 加藤善博 証人を「おばさん」呼ばわりし偏見をもつが、被害者自殺説を打ち出す。
4. 学生の感想
「『怒れる』では、誰もが意見をいうときは論理的な根拠をいっていたのに、『優しい』は、フィーリング、かわいそう、人を殺すような人には見えない、等情緒的・感情的な理由しか言えない人が多かった。また、意見を変えた人を裏切り者扱いするのも日本人特有なのかなと思った。それはある意味危険なのでは。」
「『優しい』の優は優柔不断という意味なのかと思うほど、優柔不断な人が多い」
「『怒れる』と共通の問題としては、2号や7号のように、私情で意見をいう人がいるということ、これは裁判員候補者に質問してもなかなかわからず、避けられない由々しき問題なのではないか」
「4年前に死刑評決をした後、現行犯で冤罪の可能性はないのに、被告人の顔がちらついて仕方ない、もうそんな思いはしたくないから無罪、という1号の感情に非常にシンパシーを感じる。同じ理由で裁判員は極刑を出さなくなるのでは」という意見が多数あった。

十一、裁判員制度対案発表
以上の学習を踏まえて、3つの班それぞれに自分たちが裁量と考える裁判員制度対案について発表させ、互いに以下の点について評価させた。
項目
1 裁判員制度として良い案を提案したか
2 法案やアメリカの制度との対比はわかりやすかったか
3 授業で使った教材を上手に利用していたか
4 プレゼンテーションはわかりやすかったか
5 チームワークが良かったか(みんなで協力し、負担が偏らないように配慮した等)
合計点

以下は、総合点の最も高かった班のレジュメである。
【合議体の構成】
裁判官1人、裁判員6人で審理する。
  ・ビデオ教材のような12人の陪審より、もう少し少ないほうが議論しやすい
  ・裁判官3人では、普通の市民である裁判員が裁判官の意見に流される恐れがある
  ・裁判官3人の意見が一致したときに、裁判員がそれに異論があってもそれを唱えることは容易ではない
筆者注:人数比は3班とも同じ
【裁判員の権限】
事実認定のみを行う
(法令の適用、量刑は裁判官が行う)
  ・量刑まで行うのは、裁判員にとって責任が重過ぎる
  ・裁判員は、法令、判例知識がないので、適当な量刑まで正しく判断できない
筆者注:事実認定のみとしたもう1班ともに、『12人の優しい日本人』の1号陪審員の死刑評決後の後味の悪さに配慮し、量刑に参加しないことによって心理的負担を軽減しようとしている。
【評決】
原則全員一致 但し、議論が尽くされたと裁判官及び裁判員の3分の2以上が判断した場合には過半数による評決を認める
  ・多数派が常に正しいとは限らないのに、過半数とすると十分な議論が行われないまま評決が確定してしまう恐れがある
  ・議論が尽くされ、ほぼ全員が納得しているにもかかわらず、1人や2人が私情を理由にいつまでもかたくなに意地を張っているために評決を出せないということがあってはならない
  ・但し、裁判官は少数意見も考慮に入れた上で量刑を判断すべき
筆者注:他の班から「なぜ過半数を決めるとき裁判官が賛成しないといけないのか」と質問が出たが、DVD教材等で、みんなが無罪または有罪ということで話し合いもしないですぐに解散しようとしたとき、「もっと話し合った方がいい」という意見がいえるのは職業裁判官だと思うから」という説明がなされた。
【選任】
20歳以上の有権者の中から無作為に選んだ候補者を呼び出し、質問手続きを行う。
  ◎質問手続きでは、被告人の情に流されない、強く公平な意思があるかどうか、過去に事件に関するような出来事に関わっていないかどうかなどを質問し、公正な裁判を行うために厳重な裁判員の選定を行う

【裁判員・裁判員候補者の義務・責任】
・裁判員候補者は裁判所に出頭。正当な理由のない不出頭や質問への回答拒否、虚偽回答は罰金の対象
  ・過料ではなく罰金とすることで、より罪であることを自覚させ、責任を持って裁判員としての義務を果たすよう促す

・裁判員は期日に裁判所に出頭。宣誓し、評議で意見を述べる


・裁判員は関係者のプライバシーや合議体のメンバーの意見を一定期間内他言禁止。違反した場合には罰金
・裁判員は生涯事件関係者(被告・被害者・その家族等)への接触禁止。裁判員の立場を利用し、脅迫行為をした場合は懲役
  ・裁判員は無作為に選ばれた市民であり、事件後も生涯にわたって、守秘義務を守らなければならないことを辛く、また負担に感じてしまう人もいる
  ・その上懲役というのは、うっかり言ってしまったり、どの程度まで守秘義務があるのか判断できないまま話してしまったりしたときに懲役は重過ぎる刑である
  ・『12人の浮かれる男』の中で、被告人の妻と接触した者がいたが、その行為は許されるべきではなく、厳重に対処しなければならない

・裁判員は収賄罪の適用対象

【裁判員の保護制度】
・任務のため仕事を休むことによる解雇などの不利益な取り扱いの禁止
・任務のため、仕事や仕事以外でも何らかの損害を被る場合には、辞退を認めるか、国が相当額の補償をする
・裁判員には報酬を支払う(日給8,000円)
  ・教材の中で、評議の最中に時間を気にする場面がいくつか見られたが、評議に集中できるよう、裁判員の受ける不利益を出来る限り考慮し、保護すべき
・裁判員の氏名、住所など個人を特定できる情報は非公開。裁判後も本人が同意しない限り同様


・裁判員、元裁判員への事件に関する接触は禁止。元裁判員には職務上知り得た秘密を知る目的での接触も禁止
  ・取材・報道の方法として、プライバシーの権利を有する個人から情報を得るのは不適切
・殺人事件などの犯罪事実は、国民も関心があり、マスコミは報道すべきだが、裁判員についての情報は、マス・メディアのネタの対象にはなり得ない

【裁判員になれない人】 ※法律家を除くべきかどうか
判事・弁護士・大学の法律学の教授等、法律関係者は裁判員になれない
  ・法律の知識を持たない一般の裁判員が、法律家の意見に引きずられる可能性がある
・ 法律家を裁判員として認めると、裁判官が増えたのと同じことになる。
筆者注:この点は、大学の法学教員でも、一律禁止にせず、個別に選定する際刑法に特に詳しくなければ認める等すべきであるという班もあった。

さらに、裁判官の官僚化により行政訴訟で原告が勝てないことが多いから、行政訴訟には裁判員を入れたほうがいいという提案をする班があった。

十二、最後に
はじめは、1年生でしかも半分は経済学科の学生には難しすぎるテーマかと思ったが、対案を見るとかなり多くのことを学習してくれたようで、また、最初に「マイナス思考」という消極的な学生が多かったが議論を通じて意見を積極的にいうようになり、教師冥利に尽きる幸せである。
なお、本稿執筆時点ではまだ入手できていないが、陪審コンサルタントの腕次第で裁判の結果が左右されるというアメリカの訴訟社会の闇の部分を描いた『ニューオーリンズ・トライアル』(2004年ゲイリー・フレダー監督、原題Runaway Jury)のDVDが入手でき次第、教材として使う予定にしている。

以上

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今年の新入生ゼミナール その2

2004年10月12日 | profession
七、 DVD教材『いとこのヴィニー』
1. 概要
原題My Cousin Vinny 1992年米国映画、Jonathan Lynn監督
コンビニ強盗の冤罪で逮捕された若者二人が、弁護士になって間もないいとこのヴィニーの失敗だらけの弁護により、何とか検察官による起訴の取消にいたるまでを、さまざまなエピソードや伏線をとりまぜながらユーモラスに描いているが、前記六、2.の米国刑事裁判手続の流れを知る上で格好の教材である。
2. 映画を見ながらの解説
米国法を学習する上で良い材料となるシーンがふんだんにあるため、その都度映像を止めて解説(以下詳述)した。
(1) NYの若者二人(ビル(『ベスト・キッド』のラルフ・マッチオが演じている)とスタン)がUCLAに入学するために、ドライブを兼ねて車で南部を通ってロスアンジェルスに移動する途中、アラバマ州のコンビニで食料品の買物をしたが、ビルが両手が塞がっているためポケットに入れたツナ缶の清算を忘れていたことを、車でコンビニを離れてすぐに気づいた。伏線として「アラバマ州の死刑執行年齢は10歳から」という会話が出てくる。
→ここで、米国の連邦制度について説明。連邦法と州法のカバーする範囲について解説し、刑法についても、州ごとに全く違い、死刑廃止した州もあるが、アラバマは死刑制度を残しており、しかも厳罰主義であるようだ。
(2) 後ろから追ってくるパトカーに止められ、二人は逮捕されてしまい、Line upが行われる。
→Line upについて説明。
(3) 取り調べられるが、黙秘権を主張するか保安官に尋ねられる。
→ミランダ・ルールについて解説
(4) 二人はツナ缶の万引のことと誤解し、「罪を認め協力します」といってしまう。保安官に”You shot the clerk”といわれて初めて、ビルは冤罪事件に巻き込まれたことに気づく。
→ビルが驚いて”I shot the clerk?”と何度も保安官に尋ねる場面が、肯定文がそのまま疑問文になっているのに、字面からは自白のように見えるのでこれを自白として扱われてしまうことを説明。
(5) ビルは電話でNYの母に助けを求め、いとこのヴィニーが弁護士になったことを聞き、弁護を依頼することにする。
→この時の電話の会話で「弁護士費用は50ドルから10万ドル」という科白があり、弁護士の腕次第で報酬に大きな差があることを説明。また、スタンの「南部の連中はKKKや近親相姦ばかり」という科白について、KKKの意味、および、この映画の副テーマである”New Yorker Meets Southern People”の意義、地域性の格差について説明。
(6) ヴィニー・ガンビーニ(ジョー・ペシ)が婚約者のリサとともに登場。ビルとスタンが収監された州刑務所の周辺にはアムネスティの活動家たちが「ノートンを救え」というデモを行っている。
→アムネスティについて解説
(7) ヴィニーが州刑務所に二人を訪ねてくる。司法試験に合格するまで6年かかり、弁護士にはなったばかり、法廷に立つのも初めてという。
→米国の司法試験制度について説明
(8) ヴィニーが州裁判所の事件担当裁判長チェンバレン・ハラーにinterviewを受けに行く。そこで、NY州の経験豊富な弁護士であると嘘をついてしまう。この嘘がばれたら、弁護活動自体ができなくなるので、ばれそうになる度にごまかし続けることになる。ハラー判事は不審に思いながらもアラバマ州刑事訴訟法の本を貸してくれる。
→Pro hac vice(他州の弁護士が法廷で弁護活動をするための要件・手続)について解説。州によって違い、たとえばハワイではハワイ州の弁護士と共同でないと他州の弁護士は法廷活動ができない(名前を借りるだけのケースが事実上多いようだが)。アラバマ州は、裁判長がその能力・経験を認めれば許されるようである。
(9) リサとモーテルに泊まったヴィニーは、朝5時半に製材所の汽笛で起こされ、朝食をとるために入ったレストランで南部特有の食べ物「グリッツ」を初めて食べる。
→大きな伏線になっていることに注意を促す。
(10) ヴィニーは法廷に行くが、座る場所さえ知らず、また、罪状認否では単に有罪か無罪かをいえばいいことも知らずにくどくどと弁論をしたことや革ジャンで来たことについて、ハラー判事の怒りを買い、法廷侮辱罪で収監されてしまう。
→日本にはない法廷侮辱罪について解説。また、手続の最後に裁判長が保釈金について被告人については20万ドル、ヴィニーについては200ドルと宣言したことについて、日本では無罪を主張すると保釈金を積んでも保釈されないことが多いが、米国では無罪の推定が厳格に守られていて保釈が広く認められること、ハワイ州の裁判所でも保釈中で昼食休憩に弁護人と出かける被告人が多かったことに言及。
(11)リサが保釈金を払ったおかげで保釈されたヴィニーに、リサは「お金が足りなくなってきたから稼ごうと思って昨日プールバーに行ってお金を騙し取られた」という。取り返そうとそのプールバーに乗り込む二人。騙した男JTに200ドルを返せと詰め寄り、JTが「痛い目にあいたいか?」というと、ヴィニーは「君のCounter Offerはそれか?rejectする。私から改めてCounter Offerする、君を殴れたら200ドルくれるか?」と取引をまとめてしまう。その場で喧嘩しようとするJTにヴィニーは金を用意してからだという。プールバーにいたむち打ち症の男にヴィニーは「追突されたのか」と聞き「いや転んだんだ」と答えると、さらに「どこで転んだんだ」「自宅だ」「くそ!」という会話が展開される。
→米国契約法上のCounter Offerの概念を説明。また、むち打ち症の男との会話は、事件性があれば、クライアントになると思ってしつこく聞いていたこと、米国弁護士の蔑称ambulance chaser(救急車の後を追いかけてまで客をつかまえようとする)を説明。
(12)水道の蛇口のパッキングが緩んでいるのかリサの締め方が甘いのかをめぐって証人尋問のようなやりとりをする。
→これも伏線だと指摘。
(13)Pre-trial(予審)
3人の検察側証人の証言と、ビルが”I shot the clerk.”と自白したという保安官の証言。ヴィニーは反対尋問もしないので、起訴相当として、正式起訴が決定してしまい、さらに、また革ジャンで出廷したため法廷侮辱罪でぶち込まれる。保釈されるが今度はモーテルの隣の豚舎の騒音で早朝起こされ、モーテルを変わる事にする。
→Pre-Trial制度や主尋問、反対尋問の制度について解説。
(14)スタンはヴィニーに不信感を抱き、public defenderであるジョン・ギボンズを雇うことにするが、ビルは、ヴィニーの「レンガを積み上げて家を建てるように、検事がいかにもっともらしく証拠を積み上げても、それがレンガでなくトランプのように薄っぺらい紙でできた手品みたいなものだと立証してやる。お前は無罪なんだから。」という言葉に勇気づけられ信じることにする。ノートンの死刑執行でびびるスタンに、ビルは「ヴィニーは有名な手品師のトリックを片っ端から見破ったことがあるんだ。ガンビーニの血筋なんだ」という。
→米国の公選弁護制度に2種類あり、州政府の運営するpublic defenders officeに所属するpublic defenderと、その都度裁判所が任命する普通の弁護士(Court Appoint)があり、その2種類で刑事事件の9割を弁護していることを説明。
真実は一つであるという日本人に対して、法廷での闘争を手品にたとえることが、真実は見る角度によって違うという米国人らしい考え方を象徴している。
(15)ビルの話を裏付けるように、JTに呼び出されたヴィニーが見せ金だと看破してまた取引がお預けになる。移った先のモーテルで今度は朝5時に列車の轟音で起こされる。トロッター検事と話すヴィニー。検事が「弁護士時代に有罪の被告人を何人も無罪にして、罪人は裁かれるべきだと思い検事に転向した」と語り、ヴィニーは「交通違反で裁判所に行った時、警察のミスを認めさせたら、担当のマロイ判事が『君は弁護士に向いている』といったのが弁護士になるきっかけだ。ロースクールに通っている時も何かと力になってくれた」と話す。
→検事の話から、日本にはない米国の法曹一元制度を解説。ヴィニーの話から、日本にある刑事罰・行政罰の区別は米国法になく、日本ならその場で違反切符を切られるような交通違反も裁判所で手続することになると説明。
(16)ヴィニーは検察側の情報を得るためにトロッターを狩に誘い、情報を開示してくれと頼む。相手を丸め込んで資料を入手したと思うヴィニーに、刑事訴訟法の本を読んだリサが「法律上、検事は情報を開示する義務があり、しないと審理無効になるのよ、ロースクールで習わなかったの?」と指摘する。ヴィニーは3名の証人を訪ね、いろいろ質問する。翌朝また列車の轟音で5時に起こされる。
→trialを効率的に行うために、開示制度が徹底されていること、日本ではこうした制度がないことが裁判員導入に際して不安であること(その後裁判員法案と同時に刑事訴訟法が開示制度創設のため改正されたが)を説明。
(17)Jury Selection陪審選定。トロッターが陪審員候補者に質問し、「強盗犯人は電気椅子にかけるべきです」という婦人を陪審員として選ぶシーン。
→陪審員の選任手続(有名事件ほどjury poolが大きいこと、事前にアンケートで絞ることもあること、忌避の制度等)について解説。どんな人物を陪審にするかで評決は決まるので、プロファイリング等を駆使する陪審コンサルタントの重要性(OJシンプソン事件でも活躍)についても触れる。
(18)ヴィニーはハラー判事に呼び出され、「NYに問い合わせたが、ヴィニー・ガンビーニの法廷活動の記録はない」と詰め寄る。ヴィニーは、「俳優時代の芸名:ジェリー・ガロを弁護士活動で使っている」と苦し紛れに説明する。後でリサが「ジェリー・ガロは大物弁護士だけど先週死んだわよ」と指摘し青くなる。トロッターが貸してくれた猟小屋で寝ていた二人はふくろうの声で起こされる。車で寝ようとすると落雷が轟く。翌朝、大雨でぬかるんだ地面にタイヤがめり込み、また、ヴィニーの一張羅の背広が泥まみれになってしまう。JTを殴って200ドル取り返すシーン。洋服屋もクリーニング屋も休みで、仕方なく古着屋で調達した手品師のような燕尾服でtrialに出廷しまた裁判長から注意を受ける。トロッターは第一級謀殺罪(first degree murder)と幇助罪に当たると主張。
→米国の刑法上、殺人にたくさんの類型があり、第一級謀殺、第二級謀殺、第一級殺人、第二級殺人等、それぞれもさらに多くの類型に分かれている。このように構成要件が細分化されていることは陪審制度において必須の条件だが、そうでない日本で裁判員制度は機能するのか疑問。ちなみに強盗殺人は第一級謀殺として扱う州が多い。
(19)3名の証人に尋問するトロッター。ギボンズ弁護士は極度のあがり症でまともな反対尋問はできないことが判明。ヴィニーは、「グリッツを作り始めた時コンビニに入っていった彼らを見たが、5分後グリッツを食べようとしたら銃声がした。だから彼らに間違いない」と証言した男性証人に、「南部の誇り、グリッツは最低15分は煮ないと本場の味は出せないでしょう?」((9)参照)と、矛盾を突き、陪審も大きくうなずく。窓から犯行を見たという男性証人には、窓と現場の間にたくさんの茂みがあったことを指摘する。さらに、ライリーさんという老女の証人については、その場で視力を試して眼鏡の度が合っておらず、よく見えていなかったことを立証する。スタンはギボンズを解雇してヴィニーに戻る。
→次の教材『12人の怒れる男』との関係で重要なシーンだと指摘。
(20)三度法廷侮辱罪でぶちこまれヴィニー、しかし、安眠のため刑務所にとどまることにする。第2回のtrialでトロッターはexpert witnessとして、FBI自動車分析班のウィルバー氏を喚問する。ヴィニーは「不意打ちの証人、とくに反対尋問の準備に時間を要するexpert witnessの予告なしの喚問は違法だ」と裁判長に異議を申し立てるが、却下されてしまう。
→expert witnessの要件等について、さらに異議申し立てについて解説。
(21)ウィルバー氏は、犯人が逃走した際のタイヤ跡が、ビルたちの車63年型スカイラークと同型のものであると証言。ファックスを受け取ってランチ休憩を宣言した裁判長はヴィニーに「ジェリー・ガロは死亡している」と伝える。苦し紛れにヴィニーは「裁判長の聞き違えです。私はジェリー・カロです」といい、その場でNYに問い合わせた判事は「15時にわかるそうだ、それまでに裁判が終わらないかぎりおしまいだ」という。裁判でも経歴詐称でも追い詰められ、絶体絶命のヴィニーはいらいらしてリサと喧嘩してしまう。午後の法廷でヴィニーはウィルバー氏にろくな反対尋問ができない。しかし、リサの撮った写真を見るうちにあることに気づき、保安官に調査を依頼するとともに、リサをexpert witnessとして召喚する。喧嘩中のリサは初め非協力的で、いやいや証人席に座る。ヴィニーは「彼女は私の婚約者ですが敵対的証人です」という。
→通常自分の証人には誘導尋問ができないが、自分の証人でも敵対的証人ならできる、というルールを説明。
(22)リサの専門能力をテストしようとするトロッターの質問に的確に回答し、expert witnessとして承認されるリサ。リサは失業中の美容師だが、家族は全員自動車整備工で、自動車のメカのことには非情に詳しい。説得力ある説明で犯人のタイヤ跡は64年型テンペストだと証言した。そのやり取りは(12)とそっくり。ウィルバーもその正確性を認め、先ほどの証言を撤回した。保安官が戻ってきて、「64年型テンペストの盗難容疑でジョージア州で2人の若者が逮捕され、車からマグナム357が出てきた」と証言。トロッターも起訴を取り消し、大喜びする当事者。招待がばれる前に逃げたいヴィニーをみんなが離そうとしない。とうとうハラー判事につかまったヴィニーはもはやこれまでと覚悟するが、なぜか判事は握手を求めてきた。NYに戻る車の中で、リサは喧嘩した直後にマロイ判事に頼んで口裏を合わせてもらったと告げる。
3.あらすじと感想文の課題を出す。
注意点:刑事裁判傍聴で見た日本の刑事裁判の様子との対比の視点を入れること
感想文には、刑事裁判の傍聴をした経験と比較して、「裁判が検察、弁護人のゲームのようになっていると感じた。…日本の裁判は専門家だけで行われているので、一般の人には裁判を傍聴してもどのようなことが話されているのかわかりにくい。アメリカの裁判では陪審という一般の人がいるので、早口で難しい言葉を並べるということもないので、話がどうなっているのかわかりやすい。これは、重大な事件になればなるほど、わかりやすい裁判というのは特に被害者(遺族)にとってよいものだと思う。…日本の裁判制度もアメリカの裁判制度もそれぞれ一長一短あり、裁判員制度の法案は成立してしまったが、制度が始まるまでにはまだ時間があるので、その間に現在の日本の制度とアメリカ型の制度のそれぞれの良い面を組み合わせたれるようなやり方を考えていくべきである。私は、特に実際の現場が一般の人にわかりやすいように裁判を進める工夫と、裁判の迅速化のために検察、弁護士がそれぞれ情報をきちんと審理できるように完全に準備した上で、それぞれが真実を明らかにするよう務めることが大切だと考える。」というものがあった。
また、「ミランダ・ルールは日本にも必要な制度だと思った。一般的に人は一度自白したのなら、あとで証言を覆そうとしても、その人が犯人であると思い込んでしまう可能性が高く、自白を偏重しがちではないか。…私が傍聴に行った裁判はたまたま第1回で判決まで出たが、多くの裁判は長い時間がかかっているようだ。この映画の中では、裁判は連続して迅速に行われていた。弁護人と検察官は情報を開示し、裁判がスムーズに行われるように、準備がなされていた。早ければ良いという問題ではないが、やはり、時間が風化してしまい、証言や記憶が曖昧になる前に判決が出ることが望ましいと思う」というものもあった。
八、 DVD教材『12人の怒れる男』
「いとこのヴィニー」で刑事裁判の流れを学習したので、今度は陪審制度そのものについて学習する。
1. 概要
陪審制度を語る上で必ず出てくる古典的な名作であるが、1957年のオリジナル(主演ヘンリー・フォンダ)が、1997年にリメイク(主演ジャック・レモン)されているが、以下のような理由でリメイク版を使用した。
① オリジナルは全員白人男性だがリメイク版はアフリカ系4名が入っている。
② 男性だけの不自然さを解消するように裁判長は女性になっている。
③ より現代に近い設定になっており、若い学生にとっつきやすい。たとえば、7号陪審員はヤンキース・ファンで野球の試合に間に合うように早く帰りたがっているといった設定がある。
④ 実験シーン等、ひとつひとつのエピソードがより丁寧に描かれている。
⑤ アフリカ系の10号陪審員が、ヒスパニックに対して激しい憎悪を抱いており、そのことが強硬に有罪を主張させたという設定が、ヒスパニックがアフリカ系を上回り、大統領選挙選でもブッシュとケリーの両陣営がヒスパニックの票のために迎合政策を採ろうとしているような現代アメリカの状況を顕著に表している(日経2004年4月25日付記事「経済力増すメキシコ不法移民」を教材として説明に使用)
⑥ モノクロのオリジナルより見やすい。
ただし、オリジナルにしかない、審理が終わって、jury instructionの前に、2人の補欠陪審員が出て行くシーンだけは見せ、多くの州で、陪審員の病気等に備えて初めから若干の補欠をとっておくこと、を、ハワイ州の裁判所の陪審席が14個あることを写真で示したりして解説した。
3. 学習内容
(1)ストーリーは余りにも有名なのでここでは省略するが、陪審員の構成は以下の通りである。
号数 無罪にした順番 人種等 職業 その他の情報
1 9 アフリカ系 高校フットボールのコーチ 陪審長。温厚。
2 6 アフリカ系 銀行員 年配。孫がおたふく風邪。
3 12 白人 メッセンジャー会社経営 家出した息子を被告人に投影し最後まで有罪にこだわる。
4 11 白人 株式ブローカー 終始紳士的・論理的に議論する
5 3 アフリカ系 看護師 スラム出身。ナイフの持ち方について需要証言。
6 6 白人 ペンキ職人 老人に優しい。
7 7 白人 セールスマン 野球試合のために早く帰りたい
8 1 白人 建築士 名はDavis孤軍奮闘で無罪を主張
9 2 白人 杖をついた老人。眼鏡の跡のことに気づく。
10 10 アフリカ系 車の修理関係 モスリム。ヒスパニックに激しい憎悪を持ち人種的偏見を周りから非難される。
11 4 白人 時計職人 東欧移民。なぜ犯行現場に戻ってきたかについての疑問を提出。
12 9 白人 広告代理店 優柔不断で無罪に変えた後もまた有罪に変えたりする。

(2)証拠品のナイフを見ようという提案が出されたところでいったん止め、以下のことを書かせる。
①自分が裁判員になったとしたら、映画の陪審1号から12号までの誰と最も近い言動をするか?かなりばらけたが、8号が3名と最も多かった。
②陪審1号から12号まで(8号以外)について、有罪から無罪に意見を変える順番を予想しなさい。一人も合っていなかった。最後が3号であることは何人かが当たっていた。
③(オプション)ゼミの中に、映画の陪審何号かと同じ言動をしそうな人がいたら、氏名と何号かを書きなさい。
ゼミの行事等で仲が良さそうな子を3号に近い、と指摘する等、本当の人間関係が垣間見えたりした。
(3) jury instructionでの「有罪であるということに合理的な疑いがあれば無罪にしなければならない」という科白について、「無罪の推定」ルールを解説。
(4) NY州の刑法(18歳なら第一級謀殺の対象になること、10以上の類型に分かれた殺人罪)*科白から舞台はNYと推定されるので。
(5) この事件の弁護人がCourt Appointの公選弁護人であることを指摘。
(6) 見終わった後、以下の点について議論させた。
① なぜ、怒れる男なのか、考えてみよう。ちなみにオリジナルでは白人男性ばかりだった。
→1957年当時は、米国でも男女差別があって、有色人種や女性は陪審員にあまり選ばれなかったのではないか。リメイク版では、有色人種を入れるだけでなく、裁判長を女性にしてその辺の違和感を軽減する工夫をしている。ちなみに現在はperemptory challengeを特定の人種や性別を排除するために使ったら、審理無効になる。
② 10号陪審員はなぜ被告人有罪にこだわったのか→1.参照
③ 3号陪審員はなぜ被告人有罪にこだわったのか?→1.参照
④ 8号陪審員が評議の場で行ったことを、『いとこのヴィニー』の法廷で行われたことと比べてみると?
証人の視力を疑って実験してみるというのは、『いとこのヴィニー』では弁護人がやっており、本来弁護人がやるべきことである。
⑤ この事件の弁護人について考えてみよう。
→やるべきことをやらないのは、やはり報酬の少ない公選弁護人制度の弊害なのでは。
⑥ 見終わって改めて自分と似た言動をとる陪審員は誰か考えてみよう。
(7) 見終わった後感想を書かせた。
感想の中には、「無罪に意見を変える人がいう『合理的な疑いがあるからだ』というフレーズが気に入りました」「3号や10号のように私情で判断しようとする人は必ずいるだろう。でも、陪審員を選定するときの質問だけで、そういう人かどうか、また、事件が何らかの私情を刺激するようなものかどうかは判定できず、危険なのではないか」「人間の能力や感情、信条で被告人の人生が大きく変わってしまう危険性がある。これらは人間が人間に対して行う裁判である以上、完全に防ぐことはまず不可能であるが、裁判官のみの裁判と裁判員という素人がかかわる裁判を比較すればもちろん後者だろう。こうした危険をどのように小さくするかは非常に大きな問題だ。まずできることは、なぜ裁判員制度が考えられ、実施されることとなったのかについて国民に理解されるモアでしっかりと説明を行うことである。5年後に実施と決まったからといって、あせって理解が得られないまま始まってしまったら大変なことになる。」

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今年の新入生ゼミナール その1

2004年10月12日 | profession

大学における米国裁判制度に関する教育メソッドの紹介

一、 はじめに
裁判員制度法が今年の5月21日に成立したが、これは、日本の司法制度を根本的に改革する重要なものであるが、この制度を導入するためには、解決すべき問題が山積している(国際商事法務Vol.32, No5『裁判員制度導入への懸念』に詳述)。しかし、裁判員制度は、これから社会科学を本格的に学ぶ本学の1年生の授業には格好の題材と考え、今学期、裁判員制度をテーマにした授業を行った。ここで用いた、教育メソッドについて以下で詳細について解説する。

二、 対象・狙い
この授業は、「新入生ゼミナール」といい、本学の経済学部1年生全員を少人数のクラスに分け(各クラス経済学科と経済システム法学科の学生の混成)、大学で経済や法律を学ぶための入門的な授業を各担当教員の裁量で行うものである。
私の担当クラスは、経済学科8名、経済システム法学科7名(男子8名、女子7名)、計15名のクラスである。
授業の目標は、①大学での勉強の仕方・議論の仕方を学ぶ、②議論を通じ民主的に組織を運営する、③裁判員制度について学ぶ、④スティグリッツの非対称情報の経済学を学ぶ、の4つを掲げたが、本稿では④については省略する。
具体的には、ヴィデオ教材、小説等を用いて日本の刑事裁判制度と、米国の陪審制度を含む刑事裁判制度を比較し、それらの学習をふまえ、学生に班ごとに「裁判員制度対案」を作成・発表させ、互いに評価させるということを目標にした。

三、 第1回講義
1. 自己紹介
初めて顔合わせするということで、各人に自己紹介をさせ、その結果を表にまとめ、集団の特性も合わせて分析することを次回までの課題とした。ちなみに結果を見ると、「まじめだが消極的な人が多い」という分析結果が多かった。また、自己紹介を聞いただけの段階で「自分が刑事被告人になったら裁判員になってほしい人、ほしくない人」についても書かせることとした。同じ質問を学習がかなり進んだ段階で行い、比較するため。
2.アンケート
さらに、裁判員制度についての知識を問う以下のようなアンケートを行った。(回答14名)


一、 裁判員制度について
1.日本に裁判員制度を導入する予定があることを知っていましたか?   
はい  9     いいえ  5
2.日本に裁判員制度ができるのはこれが初めてである。
正しい  7 正しくない    7
【以下は、3月に閣議決定された裁判員制度法案について】
3.アメリカと同じで裁判員の合議には裁判官は参加しない。
正しい  3 正しくない   11
4.アメリカの陪審は民事事件に付くので日本でも刑事・民事とも付ける。
正しい  5 正しくない  8    無回答   1
5.あなたは裁判員になってみたいですか?
なりたい 5 どちらかといえばなりたくない 6 なりたくない  3 
6.5.の回答の理由は何ですか?
なりたい…一度くらい経験してみたい、興味がある、等
どちらかといえばなりたくない…責任が重過ぎる、法律知識がないので無理、等
なりたくない…法律知識がない、誤審してしまうかもしれない、等
7.あなたが刑事事件の被告人になったら(仮に選べるとしたら)裁判員付きの裁判を望みますか?
望む 5 従来どおり裁判官に判決を出してほしい。
8.7.の回答の理由は何ですか?
望む…その方がより公正、慎重、冤罪を防げる、等
望まない…その方がより公正、法律知識がある人に裁かれたい、裁判員が入ると、感情、世論に左右されそう、等
9.その他、あなたが裁判員制度について知っていることがあったら書いてください。(足りなければ裏面も使うこと)
ランダムに選ばれる、拒否できない、司法を身近にするために導入が検討されている、マイケルジャクソン報道


3. 日本の刑事裁判
(1) 刑事訴訟法、刑事訴訟規則、最高裁判所事務総局作成のパンフレット『法廷ガイド』を教材として、冒頭手続、証拠調べ手続、弁論手続等について解説
(2) ヴィデオ教材NHKドラマ『続・続 事件―月の景色―』(1980年放映)の一部を見せる。
① ドラマのストーリーは、19歳の予備校生(佐藤浩市)が母親(岸恵子)との近親相姦が遠因になって、知り合いの少女を絞殺してしまったというもの。
② 法廷シーンが多く、しかも「第1回公判」「検察官主尋問」「被告人質問」等のテロップがその都度大きく出るので、教材に適している。このドラマでは、母親が被告人との関係を証言する際、非公開証人尋問(刑訴304条の2)という制度も出てきたのでその解説も行った。
③ さらに、未成年なのに通常の刑事裁判になっていることについて、「逆送」制度について解説、1997年神戸の事件をきっかけに、少年法が改正され、逆送可能年齢が引き下げられたことにも言及。
④ 判決(不定期刑)までいったところで、少年法52条の不定期刑について説明。
4. 刑事裁判傍聴レポートについての指示
日本の刑事裁判制度の理解を深めるため、長野地裁松本支部で刑事裁判を傍聴して書くレポートについて指示を出した。冒頭手続から見学させるため、第1回公判のある日時を予め同支部の刑事書記官室から聴取し、表にして、注意事項とともに配布。同支部の法廷は小規模であるため、傍聴者が集中しないよう、事前調整の必要があるので、学生に傍聴日について第2希望まで書かせた。

四、 日本の司法制度
1. 裁判員制度の概要について解説(教材として、2004年3月3日付朝日新聞の記事を使用)
2. 戦前の日本の「陪審員制度」について解説
3. 開かれていない日本の司法
(1) レペタ事件判決(最高判平成元年3月8日憲法判例百選I77事件)を教材として、法廷で傍聴人がメモをとることさえ、解禁されたのは1989年になってからやっとであること、外国人弁護士であるレペタ氏の提訴がきっかけになったこと、後で見る米国の法廷劇では陪審員が詳細なメモをとり、それを前提に議論していることについて説明。
(2) なぜ裁判官の判断が民意から離れていると思われているのか
 最高裁に人事権を握られた官僚であり、国が被告になっている行政訴訟で国がめったに敗訴しないことや、裁判官が法務省訟務局に出向して国が当事者の訴訟の代理人を務めていることの弊害等について解説。
 野鳥の会にも入れない?!
日本裁判官ネットワーク『裁判官は訴える!私たちの大疑問』(1999年講談社)の中の岡文夫判事による「野鳥の会に自由に入会したい」のコピーを配布し、次回までに感想文を書いてくるように指示。
 感想文には「裁判官が市民と自由に交流することができなければ、誰のために三権分立という考え方があってそのために司法権というものがわからない。裁判官が官僚的になるならば、極端な話、行政、立法、司法が全て官僚に支配されてしまうことになる。…裁判員制度は、裁判に市民の感覚を取り入れるということが検討されている理由の一つであると言われているが、実際にこの制度が導入されれば、ますます裁判官が組織に属してはいけない理由が不明確になる。裁判官も裁判員も同じように話し合いをするのに、裁判官だけが組織に属してはならないというのはおかしい。…裁判官も地域社会を構成する一人の人間である。社会の中で様々な経験をすることで、より多くの人が納得できるような判決を出せるようになるのではないだろうか。」というものがあった。
 米国の制度:裁判官任命への民意の反映
米国では、選挙で直接裁判官を選ぶ州や、知事、上下院議員議長等を含むjudicial advisory committeeが判事を選任するが、任期更新時に人物についての評価を新聞等で広く州民に募る州がほとんどで、裁判官は民主的なlegitimacyを備えていることを解説。

五、 米国の刑事裁判制度
1. 起訴は日本と違って検察官の専権事項ではない
大陪審(grand jury) 例:マイケル・ジャクソン事件
予備審問(Preliminary Hearing)
2.9割が有罪答弁・司法取引で解決
3.Disclosureの徹底
4.陪審は公平か
(1)陪審忌避
正当理由ありの忌避は無制限だが、理由なしの忌避(peremptory challenge)には上限がある。
陪審コンサルタントが実際は評決の行方を決めてしまう。
(2)OJシンプソン事件
民事は敗訴、刑事は無罪。

六、 米国の刑事訴訟手続
1. ハワイ州裁判所見学(本誌Vol.32, No7『ハワイ州陪審制度ロースクールおよび登記制度視察報告』に詳述)時に撮った写真をPower Pointで見せて解説。
① 陪審員控え室の様子
② 法廷の様子
 裁判長、証言台、陪審席の位置関係(日本が裁判長に顔を向けて証言するのに比して、証言の全てが陪審によく見えるように配置され、裁判長はむしろそれを後ろから見守る位置)
 挙証責任を負う検事の机が陪審席に近いこと
2. 手続の流れを解説
(1) 逮捕
(2) ミランダ・ルール
(3) 大陪審または予備審問(Preliminary Hearing)により正式な起訴決定
(4) 罪状認否(Arraignment)
(5) 有罪答弁→量刑または司法取引
(6) 無罪答弁
(7) 陪審員選定
(8) 公判(Trial)
(9) 説示(Jury Instruction)
(10) 陪審による評議→評決(Verdict)

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文楽

2004年10月10日 | 演劇
友人と文楽を見に行ってきた。
午前は『双蝶々曲輪日記』、午後は『恋女房染分手綱』の通し狂言。

初めて文楽を見たのは、2000年に『仮名手本忠臣蔵』通し狂言を東京で28年ぶりにやるというので、外交官として香港に赴任する夫に日本文化を勉強させるために誘ったのだ。
人間国宝吉田玉男の『城明渡』の由良之助の人形遣いはすばらしく、それまで数限りなく見た映画やドラマのどんな役者の演技よりも、人形の後姿が物語るものの方が深く大きかった。

歌舞伎も大好きだが(とくに吉右衛門の船弁慶や幸四郎の為朝)、やはり文楽の方が好きだ。
人形だけで3人がかり、それに太夫と三味線が付くという手のかけよう、そして人形が生きているように見えるという至芸。
梨園は世襲の特権階級になっているのも気に入らない。結婚する相手と、子供までなしても養育費を送るだけに留める相手を区別するというのは何様なのだろうか。
寺島しのぶは結局手記の出版をとりやめたようだが、読んでみたかった。
映画『赤目四十八瀧心中』(車谷長吉の原作はなかなか良かった)や『バイブレータ』で今年注目された彼女を1999年の蜷川の『グリークス』でエレクトラ(オレステスは菊之助がやってキスシーンもあった)を見たときからいい女優だと感心していたが(大河ドラマ『琉球の風』で富司純子と王族の母子役をやったときはそうでもなかったが。それにしても、夫である尚寧王(沢田研二)が母に魅かれるという設定なんて、「なぜ、女に生まれ、また母ほど美人でないのか」と悩んでいたという彼女にとってどんなにか残酷だったろう)。
波乃久里子、片岡京子(鐘下版『サド公爵夫人』で感心した)、松たか子(『オケピ』『ラ・マンチャの男』『セツアンの善人』『オイル』の演技はさすがと思わせるものがあった)等、梨園に生まれた女優に芸達者が多いのは、やはり「男にさえ生まれていれば」という気持ちがばねになるのだろうか。

それに比べ、文楽は金にも利権にも無縁で、ひたすら芸の道に精進している人ばかりだ。吉田玉男も、大阪の老人ホームに住んでいる。文楽鑑賞も4回目になり、人形遣いや太夫の顔もだいぶなじみになってきたが、みな、芸の道一筋に生きる凛とした清冽な顔立ちだ。
住太夫も大好きだ。
高齢化しているせいか、必ず誰かの休演があるし、ロビーに医務室があったりするので、このすばらしい芸術がすたれやしないかと心配になったが、最近世界遺産になって、見る人が多くなり、その心配はなさそうだ。
ただ、吉田玉男は前回の『妹背山婦庭訓』でも、2場出るはずが、1場だけになっていたし、今回も1場だけだった。体の調子が良くないのだろうか?非常に心配だ。

文楽の良さは、
1.様式美 (『妹背山婦庭訓』の花嫁の首を輿に乗せて川を渡すシーン等)
2.義理の世界を描いている (実の子よりも義理の子を命がけで立てる、娘婿の愛人の花魁の落籍料を舅が家宝を売って作る、等、『心中天網島』のおさんに代表される)
3.自己犠牲 (『妹背山』のお三輪には泣かされる)
4.言葉遊び (床本を見ればわかるが、『忠臣蔵』では、公儀をはばかり、時代を室町時代とし、主人公も大星由良之助としているが、科白の中に「大石小石を踏み分けて」という件があったりする)
5.ドールハウスの楽しさ
文楽には、人形だからといって細かい動作も省略しない律儀さがある。
たとえば、『菅原伝授手習鑑』の寺入りの場には、3兄弟の嫁たちが、舅の古希祝いのご馳走の準備をするシーンがあるが、本物の大根をちゃんと人形に切らせているのだ。人間の芝居のように小道具も小さいサイズで全て用意されているところが、まるでドールハウスを見るように楽しい。

それと、『女殺し油地獄』『恋女房』等、殺人、切腹のシーンが必要以上に残酷な気がするが、これも必要あってのことだったのではないだろうか。つまり、人間誰の中にも潜む暴力性を、文楽や歌舞伎のこうした残酷なシーンを見ることによって上手に昇華させることによって、現実に犯罪や暴力沙汰が起こることを防止するという保安的な機能があったのではないかと私は考えるのだが、いかがだろうか。
神戸の酒鬼薔薇事件について、宮部みゆきが「鎮守の森等のない場所=ニュータウンで生きる人間の病理」について言及していたけれど、少年犯罪の増加を見るに付け、人間の不合理性や凶暴性を上手にコントロールする装置が必要だと思う。

12月は『菅原伝授手習鑑』に行くのを今から楽しみにしている。
『忠臣蔵』『義経千本桜』の通し狂言をこれまで見たから、これで三大浄瑠璃を見ることになるからだ。

ちなみに、劇場でエッセイストの青木奈緒さんを見かけ、図々しくも名刺交換させていただいた。母上の『小石川の家』等のファンだし、兄上は同じ高校の1年先輩だったから。

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金融法学会

2004年10月09日 | profession

今日は金融法学会に出席した。

午前中は通貨法の話で、通貨当局の主権の域外適用の話から、いわゆるアメリカ問題にまで話が及んだのが興味深かった。
銀行員時代にOFACで米ドル送金を凍結されたり、9.11のためにパトリオット・アクトができたり、マネロンが厳しくなったり、そしてSarbanes-Oxleyも、国際金融の世界ではアメリカが事実上世界中の規制を作っていること。
考えてみれば、法ではないもの、規範になっているBIS規制をはじめとするいろいろな国際合意の中にも、legitimacyが疑わしいものがたくさんある。
電子取引、グローバリゼーションの進展もあり、主権国家の作った法でなく、大航海時代の国際商慣習のような、業界や専門家の作ったルールが支配するようになるのかもしれない。

午後は、動産登記制度の要綱案の話だった。
担保目的の動産譲渡担保の場合、占有改定による引渡しという論理は、他に対抗要件を具備する手段がなかったから使われたのではないだろうか。登記制度ができるなら、担保設定については「引渡」にこだわる必要はもうないのではないかと考えたが、今回の案は178条の枠を超えることはできないようだ。

ゼミでお世話になった民法の大権威H先生に法科大学院のことを聞かれ、「何とかできそうです」と答えたら、「できても存続するかどうかが問題ですね」と厳しいコメントをされた。
総会で学会の厳しい財政状況について理事長のM先生から報告があり、「理事会の弁当代を個人負担ということにしたら、顧問のH先生が『それなら参加しやすい』と出てくださるようになったのが怪我の功名でした」とのこと。本当にH先生らしい。
また、やはりゼミでお世話になったY先生の古稀記念行事についてD先生に伺ったら「記念論文集もパーティーもご本人が固辞されました。Y先生らしいといえばまことにそうなのですが」とのことだった。
私が大学時代師事させていただいた先生は、このように学者としても人間としても高潔・清廉な方ばかりだったので、大学教員は皆そうだと思っていたが、昨年実際に大学教師になってみると…。(この先は言わぬが花)

17時半に終わった時は台風によるひどい雨でマンホールから水が逆流しているのを初めて見た。
ずぶぬれになったが自宅までは地下鉄で3駅で助かった。JRは一部運休になっていたから。
会場は市ヶ谷と四谷の間だったが、後でその辺が土砂崩れしたのを知って慄然とした。

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ジェンダーと法

2004年10月07日 | profession
今週から後期が始まった。

共通教育課目「ジェンダーと法」の第1回講義を行ったが、教室に行ってびっくり。定員200人の教室が満員で立ち見も何十人もいる。はじめは私が教室を間違えたのかと思い、次に学生が間違えたのかと思い、「ここは『ジェンダーと法』の教室ですが」と聞いてしまったがまちがいなかった。

こんなにたくさんの全学部の1年生が関心をもって受講してくれること自体に非常な希望をもった。

奇麗事をいうようだが、私は大学教員の役割は、学問を教えるだけでなく、良き社会人を送り出すことにもあると信じている。
だから、点字の講習会もやっている。
私のこの講義を聴いた学生が、ジェンダーについての意識をもち、卒業後、自分の周囲だけでもその光で照らしてくれれば、それが多様な価値観を受け入れる、誰もが生きやすい社会を作ることにつながると思うのだ。
私自身が総合職一期生として銀行に14年勤め、男社会での苦労と辛酸を嘗め尽くしたから、私が教える学生、とくに女子学生にはそんな思いをさせたくないのだ。

1回目の講義は、「実にエキサイティング。自分自身の偏見に気づき目からうろこ」という感想文が多く、大成功だった。
また、内容について書き足すのでまたこの項目をチェックしていただきたい。

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今、屈原の気持ち

2004年10月07日 | profession

今度こそ、期間限定になるだろうけど、義憤にかられて以下記す。

裁判例・通説によると、大学と学生の間に締結される在学契約は、準委任契約をその中核とする無名契約である。
我々教員は、大学の被用者として、直接学生に対して在学契約上の債務を適正に履行することを義務付けられているのである。
大学、すなわち教員が負う義務の主なものは、いうまでもなく教育サービスの提供であるが、その中でも、講義を行い、学生の成績を適正に評価し、単位を認定することが最も重要な義務であることは争う余地がない。

成績評価については、基準の透明化・厳密化の要請が叫ばれており、私は大学教師になって1年余だが、前期に担当した契約法では、期末試験だけでなく、講義で毎回小テストを行い、小テストの採点もして全て返却し、厳密な採点基準を作成して、何十時間もかけて成績評価をした。
前期は7月末に終了したが、8月初めの成績提出締め切り前は大変だった。
過労で入院したことは先にご報告したとおり。

前期の成績は学生に9月30日に発表され、今週から後期が始まったが、学生、とくに4年生に非常に迷惑をかける事態が発生していることを昨日知って愕然とした。
ある教授(仮にX氏としよう)が、前期に彼が担当した○○法の採点をいまだにしていないため、その成績だけがまだ出ていないというのである。
成績表には、「○○法については後日」と注記されているとのこと。
そのために、学生は履修計画が立てられないし、とくに前期までに単位をとってしまい、後期は就職活動に専念しようとしていた4年生等が、保険のために後期も授業をとらなければならなくなったりして、大変な迷惑を被っている。

先に書いたとおり、これは重大な債務不履行である。
銀行員出身の私には「顧客に迷惑をかけるなんて最低のことで、プロとしてどんないいわけも通じない」としか思えない。

私が「もう黙っていられない」と思ったのは、実はX氏がこのようなことをするのは、私が直接知るだけでも、初めてではないからだ。さらに、私が赴任する前も、同様のことがあったらしい(しかも卒業認定に関わることだったらしい)が、未確認なので、ここでは私も当事者になっている件についてのみ記す。

昨年の後期に私は彼ともう一人の教員W氏と3人で、ある講義を担当していた。
3人がそれぞれぞれ違う課題で(3人の専門は全く違うため)レポートを課して、その結果を総合して最終的な成績を決めることになっていたが、X氏は多忙を理由に結局自分の分の採点を放棄したため、私とW氏の分のレポートだけで最終成績を決めざるをえなかった。
しかも、X氏は、学務係に提出させた自分の分のレポートを、今年の夏まで自分の研究室にもっていきもせず、そのまま学務係に置きっぱなしにしていたのである。(私は毎週2回契約法の小テストを回収する度に、2月締め切りのX氏宛てのレポートの束がそのままになっているのを目撃している)

国立大学は今年から法人化され、「学生に対して良質な教育サービスを提供する」責務の重要性、そしてそれが契約上の債務であるという意識は以前より高まっているし、厳しくなる第三者評価、そして少子化をsurviveするためにも、このようなことはあってはならないことと思う。ましてやX氏が他の教員に範を示さなければならない立場にいるのだから尚更である。

私は大学の現状を憂い、法科大学院の将来を思って、敢えてこういう文書を書いた。
刑法230条の2第3項では公務員に関することで事実であれば名誉毀損は成立しない。
もう国家公務員ではないとしても、第1項で公共の利害に関する事実で公益目的で書いた事実なら同様である。

問題があれば、「仲間の悪口をいうのはよくない」などという情緒的な批判でなく、法学者らしく理論で反駁してほしい。

それでも立場が決定的に悪くなることは確かだろう。
汨羅の淵に私の諫死体が浮かんだら粽でも投げてやってほしい。


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