堤真一が出ているので、永久保存にしている。
こういう貧乏人のサクセスストーリーといえば、織田裕二の『お金がない!』というドラマが昔あった。
しかし、抜擢される過程が描かれず、いきなりロス支店に転勤になり、帰ってきたら冷徹なビジネスマンになっていた、という設定だったので、「なんで肝心な過程を省略するか!!」と不満だった。
その点は、こちらの方が唐突さは少ないとは思うが。
堤さんが初めて民放連続ドラマで主要な役をやった『ピュア』で相手役だった和久井映見が共演しているのも興味を魅かれる点だ。
和久井映見といえば、私も大好きな漫画『動物のお医者さん』のドラマ化で、菱沼聖子の役をやったときは、あまりにもはまっていたので、「もう二度と二の線に戻れないのではないか、離婚してシングルマザーになったから、芸風にこだわっていられないのか」などと余計な心配をしてしまったが、しっかり二の線に戻ってきて、安心。
しかし、この漫画、北大ということが味噌なのに、ドラマでは、予算の関係か、大学が東京にあるという設定に変わっていた。
そのために原作では清原君が東京に就職するので、犬の平九郎をどうするかという問題だったのが、ドラマでは、アメリカに留学するという設定に変わっていた。
それでも、夏のドラマなんで何とかなっていたし、原作の良さが生かされていて、製作側の原作への愛がひしひしと感じられた。
余計なことだが、北山修がサザエさんを「性の抑圧された不自然な漫画」といっていたそうだが、どうしてどうして、この「動物のお医者さん」もずいぶん性的なことが抑圧されている。
それらしいエピソードは、菱沼聖子が近所の高校生に雪の中で愛の告白をされかける、くらいのものだ。(聖子は、彼に札幌オリンピックのテーマ曲「虹と雪のバラード」を歌え、といい、歌えない男は残念ながら対象外、という。計算すると、私は聖子と同い年の設定なのでよくわかる)
若い男女が四六時中一緒にいる理系の大学が舞台とは考えられないが、そういう清潔さ、そういうことを話題にしなくても十分面白くできる手腕が佐々木倫子の作品に共通していて、とても好ましくはあるのだが。
こういう貧乏人のサクセスストーリーといえば、織田裕二の『お金がない!』というドラマが昔あった。
しかし、抜擢される過程が描かれず、いきなりロス支店に転勤になり、帰ってきたら冷徹なビジネスマンになっていた、という設定だったので、「なんで肝心な過程を省略するか!!」と不満だった。
その点は、こちらの方が唐突さは少ないとは思うが。
堤さんが初めて民放連続ドラマで主要な役をやった『ピュア』で相手役だった和久井映見が共演しているのも興味を魅かれる点だ。
和久井映見といえば、私も大好きな漫画『動物のお医者さん』のドラマ化で、菱沼聖子の役をやったときは、あまりにもはまっていたので、「もう二度と二の線に戻れないのではないか、離婚してシングルマザーになったから、芸風にこだわっていられないのか」などと余計な心配をしてしまったが、しっかり二の線に戻ってきて、安心。
しかし、この漫画、北大ということが味噌なのに、ドラマでは、予算の関係か、大学が東京にあるという設定に変わっていた。
そのために原作では清原君が東京に就職するので、犬の平九郎をどうするかという問題だったのが、ドラマでは、アメリカに留学するという設定に変わっていた。
それでも、夏のドラマなんで何とかなっていたし、原作の良さが生かされていて、製作側の原作への愛がひしひしと感じられた。
余計なことだが、北山修がサザエさんを「性の抑圧された不自然な漫画」といっていたそうだが、どうしてどうして、この「動物のお医者さん」もずいぶん性的なことが抑圧されている。
それらしいエピソードは、菱沼聖子が近所の高校生に雪の中で愛の告白をされかける、くらいのものだ。(聖子は、彼に札幌オリンピックのテーマ曲「虹と雪のバラード」を歌え、といい、歌えない男は残念ながら対象外、という。計算すると、私は聖子と同い年の設定なのでよくわかる)
若い男女が四六時中一緒にいる理系の大学が舞台とは考えられないが、そういう清潔さ、そういうことを話題にしなくても十分面白くできる手腕が佐々木倫子の作品に共通していて、とても好ましくはあるのだが。