夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

provider責任制限法その2

2005年04月16日 | profession

以前同じタイトルで書いた件だが、警察からの捜査関係事項照会書等に答える形で、やっとproviderから発信者についての正式回答が来た。
これで犯人が特定されたので、警察の方も本格的に取調べを開始してくれるそうだ。

刑事手続と平行して民事訴訟も起こす予定だが、今は新学期でばたばたしているので、落ち着いてから(時効まではまだかなりあるし)やるつもりだ。
弁護士を立てないで、本人訴訟でいくつもり。

個人的にはそんなことをせず、忘れてしまった方がずっと賢明だと思う。
不愉快な経験が続くことになるが、法学者として筋を通したいし、また、民事訴訟手続の当事者になることは、法科大学院での教育のためにもいい経験になるだろうと自分を慰めている。

新司法試験の問題は、実体法と訴訟法の融合問題。
民法担当の私だが、手続法の知識も当然必要になるから。


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反日デモと政治的正統性への強迫観念

2005年04月12日 | Weblog
中国各地で暴力を伴う激しい反日行動があった。
 
香港では大きな動きはなかったようだが、2年前まで領事館勤務の夫と共に住んでいたところなので、もし、いる間にこういうことがあったら、邦人保護の仕事に忙殺されていたな、と思った。
ただ、大きなデモがあった深土川は、香港時代によく買物等に出かけ、中国人の友達もたくさんいる所だ(先日の中国出張でも長野県事務所を訪問した)。

映像を見ても、警官が積極的に投石等をとめているようには見えない。大体、中国にはまだ十分な法の支配がなく、刑事被告人の弁護をする弁護士がねらい撃ちされて微罪や冤罪でつかまることもあるという国で、犯罪者の人権も十分守られているとはいえないのに、顔も隠さないで投石等をしていること自体が、「つかまるおそれがない」という理解が群集の方にもある証拠だろう。

これでは、国家として暴力行為を取り締まるという作為義務違反を犯しており、国家ぐるみでやっている、といわれても仕方ないのではないか?

どんな理由があれ、法治国家を名乗る以上、民間人に危害を及ぼすような暴力行為を容認するかのようなことは、国際社会で許されるべきではない。
日本はもっと強く抗議すべきだ。

中国政府が、反日教育に熱心なのには、政治的意図がある。
それは、中国共産党が、政権を握っているということについての正統性(legitimacy)のためである。

選挙で首相や大統領を選ぶ国では、政権担当者に民主的正統性があることになるが、中国の場合、選挙で選ばれたわけでもなく、なぜ共産党が政権を掌握しているのか、説明に窮することになる。
そこで、日中戦争の際、日本軍を敗退させたのは、共産党なのだから、ということに正統性を求めることになる。それゆえ、国民に「極悪非道な日本、その軍隊を追い出したのは共産党、だから共産党に政権を握る正統性がある」と思わせる必要がある。だから、反日感情が下火になると困るのだ。

日本人にはちょっと想像しにくいが、この政治的正統性の問題って、どこでもシビアな政治的課題なのだ。
昨年、中国茶の先生と研修旅行で訪れた台湾で、どのカレンダーでも「民国93年」と表示されているのに驚いたが、これは、辛亥革命の翌年を元年とする暦なのである。
台湾政府の正統性は、辛亥革命で清朝を倒したことにあるので、この暦を使って、被統治民にこのことを忘れさせないように腐心しているのである。

こういう事件は腹立たしいが、日本では当たり前にある(ように見えるが、最近怪しい)法の支配、民主主義、人権擁護、言論の自由というものについて、相対化して考え、appreciateしてみるいい機会だと思う。

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桐野夏生・『I'm sorry, Mama』『白蛇教異端審問』(ネタばれ注意)

2005年04月12日 | 読書
I'm sorry, Mama

実は、2月末から3月にかけてのボストン出張中に読んでいた。
両親が誰とも知らず、娼家で育った女主人公が、冷酷な殺人を重ねていくというピカレスク・ロマンなのだが、ヒロインの造形よりもむしろ、彼女に関わるいろいろな人間がそれぞれに面白い。それぞれの、人生で背負った業や醜さが非常にリアルに描かれ、そちらの方に引き込まれた。
女主人公・アイ子はむしろ、読者をこのような多様な業をもつ人間の人生にいざなう狂言回しにすぎないのではないか、とさえ思えてくる。

その中の一人である、ホテルチェーンの女性社長は、ある実在の人物を容易に想起させる。
(本人から苦情が来なかったのだろうか)
そのホテルに旅行中夫と泊まったことがあるが、ビジネスホテルなのに、お風呂がトイレ一体のユニットバスでなく、洗い場でお湯を流せる家庭のような仕様になっていることや、タオルが、青とピンクの2色になっている(利用者がそれぞれまちがえないように)ことが、ユニークでいいサービスだな、と感心した。
しかし、看板に自分の肖像を使うのはいいが、片手で自分の髪の毛を引っ張っているのは、ちょっと違うのではないかと思った(容姿や服のセンスについては全く論点にするつもりはない)。自分の髪の毛を引っ張るという動作には、いろいろなimplicationが考えられるが、いわゆるしなを作る、性的魅力をアピールする、いらいらした時のしぐさ(私は論文の原稿が進まない時とか、いらいらすると自分の髪の毛を引っ張る癖がある)、等が考えられるが、いずれもホテルビジネスとは何の関係もない動作であり、社長として自分の経営するホテルを宣伝する看板でこういう動作、というのは違うのではないか、という違和感である。

小説のラストは、ヒロインが追っ手を逃れるため、隅田川に飛び込み泳ぐシーンで終わっている。
これは、藤山直美主演『顔』(傑作だと思う)のラストを髣髴とさせる。

『白蛇教異端審問』
エッセイ集を初めて読んだが、ジェンダーの視点による社会時評、書評の的確さに改めてファンになる。もっとエッセイを書いてくれればいいのに。

前半は、直木賞受賞日記を含む身辺雑記なのだが、後半のタイトルと同名の文章は、不当な批評への抗議だった。
笙野頼子の純文学論争のようなことを桐野もやっていたとは知らなかった。
こういうのは消耗するし、徒労感を覚える作業なのだが、やらなければ筋が通せないと思ってやるのだろうな、でも大変だな、ぼろぼろになるよね、と他人事でなかった。

私は『OUT』で直木賞をもらうべきだったと思う。
実はそのころ、本当の名作は賞を逸して、その次回作で受賞というパターンがあった。
なかにし礼も、『長崎ぶらぶら節』もよかったけど、前作の『兄弟』の方がはるかに名作だった。

ところで、数日前、偶然同じ大学の別部局の教員のHPを初めて見たら、ちょっと関連妄想だった。
というのも、彼の日記に、パトリシア・ハイスミスの記述があったが、このエッセイ集にもハイスミスのことが書いてあったからだ。

桐野氏は、ハイスミスのセクシャリティーから、アメリカ的父系社会やその流れをくむアメリカミステリー界に合わなかったので、アメリカ生まれなのにヨーロッパで活躍したのでは、と分析している。

桐野氏の描く人間の救いがたい心の闇に通じる世界があるようなので、今度ぜひ読んでみよう。


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堤さん、頑張れ!

2005年04月11日 | 演劇
珍しく堤さんがバラエティに出ているので見ていたら、滑ってしまったので、ちょっと胸が痛かった。真性照れ屋なのに、関西人の強迫観念で「おもろいこといわなきゃ」と無理するから滑るのよね。
  
新しく始まる連ドラ対抗のゲームをやる番組だったのだが、「ドラマで監督から出たびっくりした指示は?」という質問に、同じチームの木村佳乃の「ラブシーンを、普段通りやってくださいといわれたこと」という答えを伝言した堤さん、中居くんに「堤さんはそういう指示があったらどうするのですか?」と突っ込まれ、「僕はわかりませんよ、童貞ですから」と答えて、まわりが固まっていた。
 
1990年の大河ドラマ『翔ぶがごとく』の矢崎八郎太以来、15年間大ファンとして見守ってきた彼、とりわけ舞台上の演技では天才の輝きを放っているのに、やっぱりバラエティは向いていない。

1999年、初めての連ドラ主演作『ザ・ドクター』の番宣で、王様のブランチに、ライバル役の一茂といっしょに出演したときも、極度の緊張でちゃんとトークできず、一茂に「堤さん、生放送はやばいっすよ」とフォローされていた(私は「一茂にフォローされるなんて情けない」と泣いたものだ)悪夢を思い出した。

でも、芝居馬鹿で、他の事は器用(今、「紀要」と変換されてしまった…sigh)にできない彼が、ファンとして、いっそういとしくなった。

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一言だけ

2005年04月08日 | profession

これだけ騒ぎになっているので、心配してくださっている読者の方もいらっしゃると思う。
調査委員会の調査結果が出るまでは、詳しいことは書けないが、とりあえず、私が問題の5人の教員の中の一人ではないことだけは、説明・立証しておきたい。
これは、新聞記事の文言だけから容易に証明できるので、調査を待つという大学の方針にも反さないと考える。

以下の4月4日付の朝日新聞(県版)の記事によると、

大学が法科大学院の設置をめぐり、予定教員5人の未完成論文を「完成済み」として文部科学省に申請していた問題で、完成を証明する文書が当時の紀要(論文集)委員長名で作成されていたにもかかわらず、本人の同意を得ていなかったことがわかった。設置を申請した経済学部は「申請にかかわる重要な事項はごく一部の担当者が取り仕切った」としており、無断使用を大筋で認めている。
文書は昨年6月18日付の「発刊予定証明書」。「(論文を)受領した」との文言の後に経済学部の紀要委員長の氏名と押印、「(経済学部の紀要に)掲載予定である」との文言の後に又坂常人経済学部長の氏名と押印がある。大学は同学部長を含む5人の教授、助教授の実績を示す個人調書に、この証明書を添付して申請。文科省の審査の結果、法科大学院の教授に就任することが認可された。
 
とあり、問題の5人は、申請当時助教授だった者も含めて、「法科大学院の教授」になっていることがわかる。しかし、私の肩書きは、法科大学院設立後も助教授のままである(よろしければ大学のHPで確認してください)。
よって、私がこの中に入っていないことだけはまちがいありませんので、その点は安心して信じてください。


ところで、5人のうち、一人は学部長ということで名前まで報道されているが、この人がこういうことの疑いで報道されたことについて、周囲はまったく驚いていない。

(事実かどうかは、調査委員会の調査結果が出るまでいえないので、私は報道が事実かどうか、ここではいっていない。ただ、対象者の一人はこういう人だといっているだけ。だから、大学の広報のポリシーには反していない。この点、学部長が、開講式のガイダンスで学生に「報道は事実でない」などという発言をした(4/5の朝日新聞の記事に出ている)というのは、大学全体の広報の方針(調査委員会の調査を待ってコメントする)に反するきわめて問題ある行為である。)

既に、このブログでも何度か書いているが、彼は、私がここに赴任した2年弱の間に、少なくとも2回、前期の○○法の期末試験の採点を大幅に遅らせた。
2003年度は、後期の成績表に初めて前期のその○○法(もちろん通年講義ではない)の成績が出た。
2004年度は、学長が直々に注意したために、11月の終わりにやっと採点した。
でも、学長が学部長に「早く採点しなさい」と説教するって、みっともなくないだろうか?
しかも、注意される方の専門は、法律の中でも最も手続の重要性が高い分野である。

さらに、2003年度の後期に、私は彼と、もう一人の教員と3人で授業をもっていが、彼が採点を放棄したので本当に困った。
遅らせたのでない、とうとう最後まで採点しなかったのだ。
その授業は、3人が5回ずつ講義を担当し、それぞれの教員がレポートを課して採点し、その平均点で最終成績をつけるというものだったのに、彼が「忙しい」といって、とうとう自分のレポートを採点しなかったので、二人の分だけで最終成績をつけたのである。

のみならず彼はレポートを学期終了後何ヶ月も学務係に置きっぱなしにしていた。つまり、学生が一生懸命書いたレポートを自分の研究室に持っていくことさえしていなかったということ。学生への裏切りだと思う。

やはりここに何度も書いたことだが、これは、刑法230条の2によって名誉毀損にならない。
採点していないことは学生に広く知られており、職務上知りえた秘密でもない、念のため。

しつこいようだが、私は報道の真否について発言していない。
ただ、周囲が驚いていないという現象とその理由について述べただけ。


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