夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

伊藤若冲の羅漢像

2007年03月21日 | 旅行
昨年国立博物館で開催されたプライスコレクションはずばらしかった。

私は香港で日本人の領事館員の人に貸してもらったビデオで初めてプライス氏のコレクションや自宅のドキュメンタリーを見て以来、伊藤若冲の「鳥獣花木図屏風」に一目ぼれしてしまったので、実物が見られて大感動だった。

そして、その前に、比較法学会が龍谷大学で開かれた際、2時間の昼休みの間に近くの石峯寺に行き、若冲の墓と晩年の作品・羅漢像を見ることができたのも幸運だった。

あれほど細密で多彩な色使いの絵を描いた若冲が最晩年にこのような素朴な羅漢像に辿り着いた軌跡の人間らしさにも感動を覚える。

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伊藤若冲の羅漢像

2007年03月21日 | 旅行

昨年国立博物館で開催されたプライスコレクションはずばらしかった。

私は香港で日本人の領事館員の人に貸してもらったビデオで初めてプライス氏のコレクションや自宅のドキュメンタリーを見て以来、伊藤若冲の「鳥獣花木図屏風」に一目ぼれしてしまったので、実物が見られて大感動だった。

そして、その前に、比較法学会が龍谷大学で開かれた際、2時間の昼休みの間に近くの石峯寺に行き、若冲の墓と晩年の作品・羅漢像を見ることができたのも幸運だった。

あれほど細密で多彩な色使いの絵を描いた若冲が最晩年にこのような素朴な羅漢像に辿り着いた軌跡の人間らしさにも感動を覚える。


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解体のため錨泊地に向かう戦艦テメレール号

2007年03月21日 | 読書
午後の曳航 (新潮文庫)
三島 由紀夫
新潮社
午後の曳航 [DVD]
サラ・マイルズ,クリス・クリストファーソン
オルスタックピクチャーズ
一昨年出張で久しぶりにロンドンに行った際、ナショナル・ギャラリーで一枚の絵に釘付けになった。

ターナーの「解体のため錨泊地に向かう戦艦テメレール号」だ。
歴戦の勇者テメレール号が役割を終え、静かに曳航されている姿が、右側に配置された落日との対比で左側に描かれている。

三島も1952年に朝日新聞の特別通信員としてロンドンに滞在中にこの絵を見たかもしれない。
そして、1963年に発表した『午後の曳航』のタイトルにこの絵が影響しているのでは、と思ったのだ。

その後すぐに、2005年度に英国人が選ぶ自国の絵画人気投票でこの絵がベスト1になったことを知った。



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三大浄瑠璃と御霊信仰

2007年03月21日 | 演劇
人格障害の専門家である牛島定信医師は、菅原道真や源義経は人格障害だったといっている。
確かに、学問や軍略に優れていても政治的には下手ばかり打った彼らは、周囲から見れば度し難い困ったちゃんだったかもしれない。

それで私は御霊信仰とも関係があるかもしれないと思った。身もふたもない説明をすれば、非業の死を遂げた「困ったちゃん」は本来は自業自得の面もあるが、困ったちゃんであるがゆえにその自覚がないので、尋常でない恨みを抱き、生者に祟る、それを鎮めるという面が御霊信仰にもあるのではないかと私は思っている。

丸谷才一の『忠臣蔵とは何か』でも、赤穂浪士の討ち入りが御霊信仰に基づくものであることが記述されているが、たしかに、浅野内匠頭は、癲癇気質で発作で刃傷沙汰を起こしたという説に信憑性があり(この正月の東京テレビの長時間ドラマ『瑤泉院の陰謀』はそういう仮説に基づくもので、多くの忠臣蔵が内匠頭=名君という図式なのに比べ、リアリティのある設定だった。井上ひさし『不忠臣蔵』やつかこうへい『つか版忠臣蔵』もこの点は同様)、だからこそ、祟りが怖かったともいえるのではないか。つまり、彼も困ったちゃん=人格障害だったということだ。


忠臣藏とは何か (講談社文芸文庫)
野口 武彦
講談社


そうすると、三大浄瑠璃の主人公は、時代も立場も全く違うが、みな人格障害の困ったちゃんで、その鎮魂が必要という御霊信仰が三大浄瑠璃の成立にも影響していると考えると面白い。

三大浄瑠璃といえば、先月の仮名手本忠臣蔵の通し狂言に続き、今月は義経千本桜の通し狂言を歌舞伎座で見てきた。
後者は、2003年2月に見て以来、4年ぶりで、前回は、吉右衛門の知盛、団十郎のいがみの権太がいずれもはまり役だったが、今年は幸四郎の知盛、仁左衛門の権太だった。狐忠信が菊五郎なのは共通。
仁左衛門の権太は友達が「線が細くて似合わない」といっていたが、私はなかなか良いと思った。仁左衛門はTVドラマ『わるいやつら』で珍しい悪役と話題になった上川隆也の役を映画版でやったり、1991年の大河『太平記』の後醍醐天皇役など、映画やTVでばかり見ていたが、権太の隈取は写楽の役者絵そのもので花があった。だが、息子片岡孝太郎がお里というのはあまりにひどい。
芸はいいのかもしれないが、可憐さというのが全然伝わらない。
どうして父があんな美男なのに子供が…。娘の片岡京子(『渡鬼』の今小林綾子がやっている役は最初は彼女がやっていた)も、鐘下辰男演出の『サド侯爵夫人』などの舞台は良かったけど、鼻が低すぎで横顔がかわいそうである。
菊五郎の忠信は安定したお家芸だが、4年前に比べるとやはり動きに切れがなかった。
歌舞伎は久しぶりに見たがチケットが高価な割りに、文楽に比べ芸の完成度が人によって違いすぎる。やっぱり贅沢は慎もうと思った。
それと、パルコ劇場やシアターコクーンでは決してないことだが、観客のマナーが悪すぎる。開演中でも私語をしているおばさんたちが必ずいるのが何とかならないのかといつも思う。

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河野くん、がんばって

2007年03月19日 | profession
テレビに友達の顔が映っていてびっくりした。「あれ、河野くんだ!」
宮崎県副知事になった河野俊嗣氏は私の学生時代の樋口陽一先生のゼミのときの同級生だ。
その後、ハーヴァードロースクールに留学した際も、自治省から派遣留学していた彼と一緒になり、1年先に来ていた彼と奥さんにいろいろお世話になった。
優秀なことはもちろん、性格もすごく良い人で、今でもお付き合いさせていただいている。これまでもいろいろな自治体に出向されていた。
きっと理論面、調整面で知事を的確にサポートしてくれるだろう。

当時の樋口ゼミ出身者は極めて優秀な人が多く(というのも、樋口先生が司法試験委員になった直後に募集があったからものすごくcompetitiveだった。憲法第1部・第2部(ちなみに第一部は芦部先生の最終講義だった)の成績でゼミ生を選んだとのことだが、第二部担当の日比野勤(私はトーマス・マンの小説からHerr Tage Werkと密かに呼んでいた)先生の採点がすごく辛かったのだ。自慢でない証拠に私は一回不可になり、過年度試験でやっと優をいただいたことを白状しておく)、在外邦人選挙権違憲判決を勝ち取って新聞にも写真が出た古田弁護士、このブログにも書いたが、学生を最高裁見学に連れて行ったとき、わざわざ休暇をとって学生に講演してくれた最高裁調査官など、私は足元にも及ばないけど、そうした友達の存在はものすごく励みになる。樋口先生ご自身も折に触れて達筆のおはがきをくださり、宝物にしている。

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国際民商事法研修

2007年03月18日 | profession
1月から2月に計3週間ほど東南アジアに出張(ちょうどベトナムが正式にWTOに加盟した日にホーチミンにいあわせてラッキーだった)をし、その翌日から2日間、大阪で法務省法務総合研究所の主催する国際民商事法研修で講師を務めさせていただいた。

同研修は、ベトナム、カンボジア、ミャンマー、ラオスから3名ずつ選ばれた研修生に約一ヶ月にわたって研修を行うというものであり、私は、土地法の講義とワークショップのコーディネート、ファイナンスの講義を依頼されていた。
外国の方ばかりかと思ったら、日本人の判事、検事、弁護士、企業法務の方もいらしたが、日本人の法律家の前で英語で法律の講義をするというのはどうも気恥ずかしいものである。

12名の研修生はみな優秀で、活発な議論が行われたし、過半数の7名が女性であり、女性の方が積極的に発言していたのがとても頼もしかった。

私は文科三類から法学部に進学し、3年生から法律を勉強し始めたのだが、はじめは刑法や憲法の勉強に正義感を刺激された。
しかし、米倉明先生のゼミに入り、特別養子制度の制定などに尽力されている真摯な姿を見て、ごく普通の人の日常生活に最も関係ある民事法こそ、真に社会正義を実現することに近い法分野なのではないかと思うようになった。

紆余曲折を経て研究者になることができたが、この初心をどのように実現させたらいいかわからなかったが、最近その一端となるテーマを見つけることができた。
それが、不動産登記制度の比較研究である。
元々、数年前から米国や英国に調査旅行に行き、ハワイ州やマサチューセッツ州で採用されているtorrensという特異な登記制度(オーストラリアで発祥)を調べていた。
日本の制度と、米国の殆どの州で採用されている簡単な登記制度(そのため、title insuranceが不可欠)とtorrens制度と、どの制度が、取引の安全、効率、納税者のメリット等を総合して最もいいのか、ということに関心をもったからだ。

が、最近、カンボジアでアジア開銀や世銀に融資の条件として「押し付けられた」不動産登記制度が彼らの説明によるとtorrensであり(これらの機関で中心になっているオーストラリア人弁護士のマーケット獲得のためという説もある)、それが、日本人が法制度整備支援で協力して制定した民法と適合しないという問題があることを知るに至った。
法制度整備支援を担った女性の弁護士さんにもお会いして、その献身的な努力(プノンペンに赴任して1年以上アンコールワットに行く暇さえないほど大変な努力をされたという)に感動した。
ここで、自分の英米法の研究が、法制度整備支援を援護射撃できる可能性があることに気づき、大いに発奮したのである。

昨年京都の比較法学会でお目にかかった、やはりゼミでお世話になったX先生にこの話をしたところ、「登記制度というのが担保権者の都合でできる制度だということは既に我妻先生が指摘されていたことです。大変よいテーマです。大いにおやりなさい」と励まされた(X先生は、80歳のご高齢なのに、学会やシンポジウムで必ずといっていいほどお目にかかる。本当に頭が下がる)。
無論、私の能力はたかがしれているが、当面このテーマを自分なりに追究していこうと思う。

このブログにも書いたが、尊敬するアンコールワット研究の第一人者である上智大学の石澤良昭学長(猪口さんは学長選挙に敗れ、生涯初めての挫折に傷ついて政治家に転向したのではないかと私は睨んでいる)と、やり方こそ違え、同じ志の仕事ができるのも非常にうれしい。

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