夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

海外渡航先

2012年05月03日 | profession

アメリカ

メキシコ

カナダ

ブラジル チリ アルゼンチン パラグアイ

イギリス

ベルギー オランダ 10 リヒテンシュタイン スイス オーストリア ドイツ フランス モナコ公国 イタリア バチカン ギリシャ スペイン 20 ポルトガル スウェーデン デンマーク フィンランド

ルクセンブルグ

エジプト ケニア モロッコ

ブルガリア ルーマニア 30 チェコ ハンガリー

ノルウェー アイルランド

イスラエル

ロシア ベラルーシ ポーランド 

タイ シンガポール 40

中国

ペルー

トルコ

香港 マカオ

カンボジア マルタ

インド

韓国

オーストラリア 50 ニュージーランド

インドネシア

シリア ヨルダン レバノン

エクアドル

南アフリカ

ベトナム ミャンマー モルジブ 60

フィリピン  

マレーシア

モンゴル

台湾

ニューカレドニア

モーリシャス

セーシェル

フィジー

イラン

アラブ首長国連邦 70

ボスニア・ヘルツェゴビナ モンテネグロ クロアチア スロベニア

チュニジア 

グアテマラ ホンジュラス

ラトビア エストニア リトアニア 80

アゼルバイジャン グルジア アルメニア


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2冊目の単著を出しました

2012年03月05日 | profession
ここのところ、演劇とかテレビドラマの話ばかりだったので、仕事もしているということもアピール、ということで、2010年3月に一冊目の法学研究書『中国民商法の比較法的考察』を出してから2年ぶりに、二冊目の単著を出しました。



『民法改正とアメリカ契約法』という研究書です。

アメリカ契約法の解説をしながら、民法改正の各論点について、検討委員会試案、加藤委員会試案や法制審議会での議論状況を紹介し、アメリカ法やCISG等の影響をどのように受けているかについて考察したものです。

何より、現在民法改正の議論がどのようになっているかを各案に配慮し、中国法まで視野に入れてきちんとまとめ比較法的に見た類書はないのではないかと思います。


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裁判所見学

2011年04月13日 | profession

担保物権法の授業の一環として、毎年京都地方裁判所を見学している。

昨年度は2月に実施した。授業期間中は、他の授業を休ませるわけにも行かず、結局この時期になってしまった。

主たる目的は、三点セット、つまり、裁判所が、競売の入札希望者のために用意した物件明細書、現況調査報告書、評価書の三点を、閲覧室で見てもらうことである。最近は、ネットでも見られるようになっているが、やはり現物のファイルを見てもらうのがいいと思っている。

一昨年度の感想文では、「夜逃げした後の散らかった部屋の写真とかがリアルだった」「下宿の側のマンションが競売の対象になっているとわかり、競売を身近に感じた」という声があった。


10時前に集合し、まず、裁判員裁判の開かれる大きな法廷で、裁判員制度についての説明と、裁判官席に実際に座らせてもらって、法服などを着させてもらった。20歳にして法服があまりにも似合う子もいた。



裁判長の席の下に赤いブザーがあって、非常時に押すことなども教えてもらった。


その次の民事裁判の傍聴は思いがけず非常に面白かった。

刑事裁判と違って、民事裁判は、書類のやりとりが中心なので、傍聴してもよくわからないことが多い。

前任校のあるソモラ市の裁判所に法科大学院生と行ったときは、ちょうど授業で取り上げたばかりの過払い金返還訴訟だったり、知り合いの弁護士が代理人だったので解説してもらったりした。

一昨年度は少し複雑な案件だったが、知り合いでもないのに代理人弁護士が少し別室で説明してくれた。

しかし、今回は、説明がなくても証人の社長の尋問だけでよくわかる案件だった。

京都市内の従業員一桁の小さな会社のトラブルで、入ったばかりの新入社員が3ヶ月で辞めてしまい、会社が、5月に実施したグアムの社員旅行の費用の返還と彼女が壊したプリンターの修繕費の支払いを求めた訴訟だった。

会社側にも被告側にも弁護士がつき、とくに被告側はベテランそうな弁護士が二人ついていて、訴訟物はせいぜい10万円程度、弁護士費用を考えればペイしないが、双方とも意地を張り合っているような感じがよくわかった。

争点になるのは、2月に改訂した就業規則「入社後1年以内に辞めた場合は旅行費用を返還する」という条項の有効性だ。

もっと驚いたのは、裁判終了後(結審は次回ということになったが)、大島裁判長が、事件の解説をしてくれたことだ。
私が、「海外留学の費用の返還義務については判例があって、金銭消費貸借という構成であれば、返還義務があるということだったと思いますが、こうしたケースは判例があるのですか?」と聞いたら「ないようですね」ということ、同席していた神戸大学法科大学院出身の司法修習生の女性も答えてくれた。
「こういうケースは和解になることが多いと思うのですが」
「当事者がどうしても判決がほしいというものですから」

裁判長が傍聴人にわざわざ説明してくれるというのは本当に異例だ。
ソモラ市の裁判長は、民事裁判の訴訟指揮で言葉の解説を入れてくれたりしたが、それでもかなり親切な方だった。
後で、大島裁判長が神戸大ローで教えていらして教科書も書いていることがわかったが、やはり、京都という土地は本当に学生を大切にしてくれる土地柄なのだとよくわかる。

物権法の授業で毎年見学に伺う京都地方法務局も、ものすごく周到に準備して(記念写真まで撮ってくれて)それはすばらしい見学会をやってくださるからだ。その上、3回生のインターンシップでもどこよりもたくさんの学生を受け入れてくださっている。
ソモラの法務局は、たまたまOBがいる間だけ協力してくれ、彼の転勤後は断られたからだ。尤も、法科大学院生がかなり失礼な態度だったということもあるが。(こんな所にくる暇があったら受験勉強したいのに、来てやってるんだよ、というそのままの発言を、登記官の前で、40代後半の社会人経験ある学生が叫んだのである)

ラウンドテーブル法廷というのを初めて見たのも新鮮だった(事案によっては、当事者と裁判官が円卓を囲む方式が望ましい、ということでもうけられている)。

私の授業は毎回小テストがある上に、個人指導と判例のまとめの発表まである。単位をもらうためのコストパフォーマンスがあまりよくないが、それでも最後までついてきてくれる学生はまじめで優秀な子が多く、教え甲斐がある。授業中私語や携帯が鳴ることは一切ない。素直だし、思いもしない発想を教えられることもある。

別の授業だが、一度だけ休んだ学生が「その回の授業を僕のためにもう一度やってもらえないでしょうか」とメールしてきたのにも、そのまじめさに感動した。私がここで教えた中で最も優秀でいつも小テストで期待以上の答案を書いてくれる学生だが。

ジェンダーの授業で「友達に同性愛者だと打ち明けられたらどうしますか」というアンケートに、「異性愛は、生殖など利害計算がつきまとう。同性愛者は損得抜きで純粋に人を愛せるから羨ましいと思う」というすごいコメントを書いた子には、「負うた子に教えられ」という気持ちになったものだ。

教師が学生に癒されるという職場環境は本当に恵まれているとつくづく思う。他にいやなことがあっても、文句をいったらきっと罰が当たるといつも思っている。


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不正入試 その2

2011年03月08日 | profession
春休みになったが、授業がないというだけで、論文の締切を抱えて忙しい。
1本大きい論文を仕上げなければならない他に、連載原稿や、単行本の原稿、その上、学会誌に投稿していた査読論文が補正の上採用ということになった。


携帯電話を使った入試に関する不正事件で、容疑者が逮捕され、トイレ等でなく、全て会場で膝の間に携帯電話を挟んで左手で入力したという供述が報道された。よくそんな大胆なことができたものである。

そんなことをしている受験生に、4大学のどこも監督者が気づかなかったということに驚いた。

私が監督するときは、側面から机の下の棚に何も入っていないかどうかもちゃんと見るし、脇においたカバンの中身が見えそうな場合は「カバンの口を閉めてください」まで指示するので、ちょっと考えられない。

ただ、だからといって、大学が悪い、この受験生は悪くないというのはおかしな論理だ。

この受験生のしたことは、卑劣な手段で自分の学力について大学側に誤認させ、もって当該大学と不正に在学契約を締結しようとしたものであり、民事的に許されないだけでなく、入試業務の適正な運用を害し、刑法上偽計業務妨害罪に当たることである。

たとえ、大学の監督者に落ち度があったとしても、そのことに些かの影響もない。

「受験生がかわいそうだ、自分だってカンニングの一つや二つやったことがある」などという発言がマスコミなどで散見されるが、正気とは思えない。

また、「母子家庭で母親の負担を減らすために国立大学に行きたかった」という動機をわざわざ報道する意味もわからない。

同情を引こうとしているのかもしれないが、全く見当違いだ。

日経新聞の報道によると経済的理由で大学進学を断念する家庭が最も多いし、岡山のホーム突き落とし事件の犯人少年も、推薦で国立大学に行けるほど優秀なのに経済的理由で進学を断念した(父は派遣社員、母はパート労働者)ことが犯行動機の一つだった。

そんな中、浪人することが許され、しかも、わざわざ全寮制の予備校に通い、仕送りを受けて都会の大学に通おうとすること自体、経済的に恵まれた方の家庭といえるだろう。

まず、昔と違って(私の学生時代は国立大学の学費は年間18万円でバイトで何とか払えた)、現在国公立大学の学費は年間60万円近い。消費者物価指数の変動に比して不当に値上げされているのだ。

それに、京都は一般的な物価が東京より高い。住居費も東京に準じる水準だ。景観条例などで高いマンションが建てにくいため、物件自体が少ないし、京都市は全国のどこよりも学生人口比率の高い自治体なので、貸し手市場になりがち。不当に高い更新料が消費者契約法違反という判決が出たのも京都のケースで、同様な事例は今も京都で最も多い。
バイトしたい学生がいくらでもいるせいか、アルバイトの時給も最低賃金ぎりぎりに低いケースが多いなど、京都で大学生活を送らせるための地方の親の仕送りの負担は非常に重い。私の勤務校も自宅生が多く、泉佐野市や西宮、明石といった遠方から通学している学生もいる。

本当に親の負担を考えるなら、地元の国立大学に行くのがベストの選択だろう。現役時は地元の山形大に出願していたがセンターの結果が悪く受験しなかったという報道も見ている。


また、「警察に通報するのは大学の自治からいってもおかしい」という論理もおかしい。

ニフティ事件の第一審判決で、名誉毀損的な書き込みを放置したプロバイダ側の不法行為責任が認定されたことをきっかけに、業界の危機意識から制定されたプロバイダ責任制限法では、ネット上不適切な行為をした者を特定するのはとても難しい。

犯罪であり、警察の正式な捜査協力依頼があれば、特定に協力してくれるが、そうでない場合は、まず、不適切な書き込みがされたサイトを運営するプロバイダに、民事訴訟を起こして開示請求し、開示決定が出て初めて、投稿者側のプロバイダが明らかになるので、今度はそのプロバイダに対して同様に裁判で開示請求する、という非常に時間のかかる手続をしなければならなくなる。

今回の入試結果は、京大は10日には合格発表をしなければならなかったし、12日に後期日程も控えていて、入試業務を適正に行うためにも、迅速な本人確定が必要だったのだ。

「特定ができた時点で被害届を取り下げるべきだった」というのも法を知らない者のコメントだ。親告罪じゃないから、被害届が取り下げられても、警察には捜査を継続する義務がある。

ただ、大学は、もし監督をきちんとしていたら発見できていたなら、他の受験生に対しては重大な義務違反をしているといえるだろう。

受験生全員が、受験する大学に対して、「試験を公正に運用し、自分の学力を適正・公平に判定してもらう」権利を有し、それを4大学の受験生は侵害されたといえるだろう。

入学定員が決まっているので、合否判定は相対評価になるから、個々の受験生は、不正な手段で高い点を取った受験生との関係で、自分がそうでない場合より低い順位の受験生として判断されることは絶対ないと保証してもらう権利がある。

自衛隊の労災事故がきっかけ(不法行為だと提訴の時点3年の短期時効が完成しているので、時効期間が10年である債務不履行責任を利用しようとした)で現在は判例上確立されている「安全配慮義務」類似の考え方である。
池田小学校の児童殺傷事件で被害者遺族が学校(国)を訴えたのもこれだし、名誉毀損的な書き込みを放置したプロバイダの責任もこの一種であり、江戸川区役所が分煙対策を取らなかったために、同僚の喫煙により呼吸器の疾患になったとして訴え勝訴した(賠償金は5万円だけど)のもこの義務違反である。

受験生一般に対するこの義務違反については、4大学はきちんとした説明責任を果たすべきだろう。


4大学のHP全部にこの件についてのメッセージが出ているが、既に当該予備校生を合格させ、それを取り消した早大のそれは、刑事責任には一切触れず、答案を精査して、知恵袋との類似性から不正行為者を特定し、以前からある規程に従って合格を取り消したと説明している。つまり、民事上の処理をしただけだ、ということが強調されている。行為者が未成年でおそらく刑事責任を問われるところまで行かないことを見越した、リスク管理的にはスマートな説明方法で、さすが総長が法学者だけのことはあると思った(私はこれをほめるつもりはないが、リスクヘッジ的には正解だというだけ)。


気になるのは、12日に行われる後期日程に、逮捕された予備校生が出願している場合、受験させてもらえないのかどうかだ。

もちろん、私は今回の行為が、偽計業務妨害罪の構成要件に該当し、可罰的違法性もあると考える。

しかし、行為者が未成年なので、家裁の審判で少年事件として処理される可能性が高いと思う。家裁から検察に逆送されて刑事裁判になる可能性は0ではないが(光市の事件等がそう)、一般的に逆送されるのは、殺人事件などの凶悪事件であるケースがほとんどだからだ。


だからといって、今回のような卑劣な行為をした者が、「大学はなにもそこまでしなくてもいいのに」という論調で同情を受けるのだけはおかしいと強く感じる。正直者が損をする、のが現実の社会かもしれない。しかし、教育の現場だけは、絶対そうであってはならない、民主社会のボトムラインとして絶対に死守すべきだ。

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不正入試事件・ばれないようにもっと巧妙な不正が行われていたのではないか?

2011年03月03日 | profession

大学入試に関する不正について連日報道されている。

私の勤務校では幸いそういう問題はなかったが、すぐ近くにある国立大学(夫の母校)・私立大学で起こったことだ。

入試は私の学生時代よりずっとチャンネルが増えていて、学部関係だけでもセンター試験、前期、後期、推薦、編入、大学院関係では博士前期が夏冬二回、博士後期が一回。

だから、出題・採点、口述試験官や監督業務が年に何回も回ってくる。

今年のことはまだ最中なので伏せるが、昨年度はセンター入試の監督が最も印象に残った。
初めて行われた英語のヒアリングのときは、一人モニターで受験生と一緒にリアルタイムで問題を解くのだが、今の私にはやさしかったが、自分が高三のときだったらかなり難しかったのではないかと感じた。英語のヒアリングについては高校教育のレベルが上がっているのだなと実感した。

男性の声で「夕食の準備ができたよ」女性の声で「ちょっと待って、もうすぐお気に入りのTV番組が始まるのよ」男性の声で「ちょっと勘弁してよ。さめるとまずくなるよ」という感じの出題があって、ジェンダー的にちゃんと配慮しているのだなと感じた。


今回のことで、いろいろと考えたことがある。

1.本当に不正に正答を得る目的なら、yahooの質問サイトに書き込んだりしないと思う。
予め頼んだ協力者(大学受験レベルの英語や数学だから、そんなに高度な知識はいらないだろう)に密かに問題を送信して解答をもらえばいいのであって、今回のようなばれやすい方法をとる必要はない。

だから、愉快犯の可能性もあるし、少なくとも、合格が目的ならけして合理的な行動ではない。

プロバイダ責任制限法では、警察から捜査のための正式な依頼があれば投稿者の個人情報をプロバイダが特定して警察に通報することが可能であるし、このような目立つことをしてばれないと思うこと自体がおかしい。

偽計業務妨害罪の構成要件に該当するのはまちがいない。

2.最も危惧されるのは、協力者に密かに問題を送信して解答をもらうという方法も可能だということが今回わかったし、その方法だとばれないので、その方法での不正なら、全国で既に多く行われていたのではないか?ということである。そして、そのような方法で合格した者はこれからも発覚することはないので、正義の観点からして非常に問題だと思う。大きな憤りを感じる。

3.携帯全盛時代になってから大学教員になって7年余、ずっと感じてきたのは、ここまで面倒なことをしなくても、もっと簡単にできる不正があるということだ。

試験中トイレに行き、個室内で携帯を使って英単語やわからない専門用語の意味を調べる,くらいなら、短時間でばれないようにできる。
携帯は電源を切ってカバンにしまってくださいと試験前に指示するし、試験中は監督官または監督補助者がトイレまで同行するが、ポケットや服の下に携帯を隠していたらわからないし、トイレの外つまり廊下(トイレ内の個室の外ではない)で待っているだけだ。多少「長いな」と思っても、「緊張しておなかの調子が悪い」可能性もあり、人権問題にもなるので理由など聞けやしない。(別にそう疑われるようなことが現実にあったという意味ではないので誤解なきよう。法学者はつい性悪説に立っていろいろな可能性を考えてしまう悪い癖があるだけ)

そこで、学部レベルで監督要領を決められる大学院入試では、今年度は会議で私が提案して携帯を机上に置かせる運用をした。

(性善説の同僚が多いので、私くらいしかそんないけずなことを思いつく者はいなかった。うちの大学は浮世離れしてると感じるほどまじめで素朴ないい子の学生が多いので致し方ないが。実際に合格して入ったうちの学生にはそんな不正をする子はいないと思う。本当に接していて癒されるなあと思うほど健気でまじめな子ばかりだ。非常に厳しい教員といわれる私だが、実は担当している学生全員がかわいくて仕方ないのである。信じてもらえないかもしれないが)

しかし、学部の入試は全学の入試委員会でそのように決めなかったため、少なくとも今のところはそうしていない。
(後期入試でどうなるかはわからないが)

今回の事件を受けてそのようにしている大学もあるようだが。

そのような不正が十分可能である以上、試験会場は、劇場のように携帯電話の電波を遮断するべきだろう。

教育機関が受験生を疑わなければならないのは悲しいことだが、まじめにやっている受験生に不公平感や不信感を抱かせないためにも、そんな牧歌的なことはもういっていられない。

現に中国や韓国は前からそうなっている。

4.最近は、受験生が情報開示請求によって、入試に関する一定の情報の公開を求めることができるようになっていて、今回の不正事件を受けて、当事者になった大学も、そうでない大学も、不正入試の有無や対策について開示を求められるだろう。それへの対処も当然大学には必要なことである。

5.「たかがカンニングじゃないか」という意見には違和感を覚える。
教育による階級上昇が可能だということが、rule of lawが浸透しているか、平等かどうかの一つの指標であり、どれほどその国の民度を高めているか、希望を与えているか、考えてほしい。

私も、貧しく、それだけでなくインテリを憎みむしろ勉強を妨害するような両親をもっていたが、「教育によって逆転できる」と信じ努力し、実際に受けた教育(米国と英国の大学院留学は勤め先から行かせてもらった)と職歴・その成果のみによって、家柄も金もコネもないのに希望する職業に就くことができた。高校卒業後親からは一切金銭的援助(自宅通学だったので大学時代食・住のみは提供されていたが,現金は学費を含め一銭もくれなかった。ほぼ毎日家庭教師をして学費・交通費・本代を稼いでいたのである)を受けていない。(世間的に大成功といえるような職業ではないかもしれないが)

最近は、ただでさえ、親の経済状況と学歴が連動するようになってきている。
学歴や格差が世代を超えて固定化される傾向になっているということだ。

橘木俊昭『日本の教育格差』に、私の出身地、東京都葛飾区が、貧困度が23区内で一番(他は足立区などが貧困度高い)、学力テストの結果も最下位という統計が出ていて、(他の区についてもその二つには有意な関連性がある)改めて自分の出自を思い知った。

ジャニーズ一演技力がある二宮和也も、「アイドルにしてはオーラがない」などといわれているが、葛飾区出身だ。私の亀有の知人の子供の通った中学の校長が昔の勤務校で彼を教えていて、「忙しい中少しでも時間があると頑張って学校に来ていて偉かった」といっているときいたが、出身地をきいて腑に落ちた。整った顔立ちで演技もうまいが今ひとつ垢抜けない感じがした寺島進も立石出身で「俺らどうせ川向こうですから」といっているのをみて「やっぱり」と思った。
勝間和代が高砂出身と知って驚愕したが、怖いくらいの上昇志向の意味がわかるような気がした。

東大生の親が金持ちなのは、私が学生だった80年代からで、とくに法学部の女子(一学年約700人中20人くらいしかいなかった)は、親が東大出、一部上場企業、キャリア官僚、医師、弁護士、教師、その中の少なくとも一つ以上に該当する人ばかりだったため(むろん、私の親はどれにもかすりもしない。その上、このブログにも以前書いたとおり、小林一茶と樋口一葉の区別もつかないほど無教養である)、そして、男の財力・知性と女の美貌が交換されるという法則に従い、その結果生まれた彼女らに美人も多かったので、私はコンプレックスの塊だった。

だから、入試が、学力に関しては、徹底的に公平に行われることの意義は、社会全体にとって非常に大きいのだということを忘れてはならないと強く思う。

6.在学生の試験等での不正についても、日本は甘いなあと常日頃思う。

試験でのカンニングとレポートの剽窃は不正という点で同等だろう。
欧米の大学では、昔から全く同等に扱われている。
後者はとくに、現在ネットなどでコピペで簡単にできるので、横行している。
にもかかわらず、学則では前者についてしか処分が明記されていないことが多い(その学期の単位全部剥奪等)。

学生による提出レポートが学者の論文まるまる全部の剽窃(もちろん出典記載なし)だったという不正を、処分するどころか、煽り、内部告発したと疑われた教員への口にするのも汚らわしい方法による嫌がらせのために利用するような卑劣なこと(だけでなく正義を担うべき法曹候補者への教育上著しい害がある)を行った法科大学院がある。

民法の授業で、判例百選に出ている関連判例を一人一件ずつ割り当てて、まとめを作成・提出させ、それを授業中に発表してもらう、提出物はレポートの一つとして成績評価の対象とする、ということをやっていたのだが、ある学生が、発表中しどろもどろになり、自ら「自分で書いたのではありません」と認めた。
教員は「他人が書いたものを引用した部分があるなら、出典を知らせるように」と簡潔に注意したが、その後何度督促しても知らせなかった。

その教員が担当する他の民法科目でも全く同じことが行われた。

教員が、調べたところ、彼の提出したレポートは、いずれも、同じ判例について,別の学者が書いた判例評釈を、TKCという学習支援用に大学院が無料で契約し使わせているデータベースから丸々コピペしたものだった。もちろん、出典については、全く書いていない。

彼は、「出典をしらせるように」と授業中いわれたことについて、「恥をかかされた」と憤り、「アカハラされた」と文科省にファックスしたり、大学にも訴えた。その学生は40歳近くで理科系の博士号をもつ研究職だそうで、論文引用ルールを知らないはずはないのに。

普通なら、当該学生の方が処分されるところだろうが、この法科大学院はむしろ、これを当該教員への嫌がらせのために悪用しようとした。というのも、その教員が、設置審査委員会への大学院設置申請において、研究科長や理事が虚偽申請(書いてもいない論文を書いたと申請)をしたことが朝日新聞に報道され、調査の結果、事実と判明し、研究科長が停職三ヶ月、理事は解任という大スキャンダルに発展した事件で、内部告発したと疑われ、それまでもありとあらゆる嫌がらせを受けていたからだ。

しかし、これがアカハラと認定されるわけがない。そこで、大学が考えた手は、ハラスメント規程にある仮処分的制度=被害者が訴えただけで、事実確認ができなくても、とりあえず加害者と被害者を隔離することが学長の独断でできるという、主にセクハラを念頭に置いた規定を使い、直ちにその教員を授業担当から外した。その科目はあと2回授業が残っていたし、次の学期にもう一科目担当しなければならなかったのにである。

担当を外すのは無期限と通告された。
こういう手口はお得意で、その数年前にも、他の国立の法科大学院に移ることになった教員二名を、割愛拒否するだけでなく、そういったとたん、教授会出席差し止め、授業やゼミも一切取り上げる、4月から移る予定なのに、無理矢理12月に辞めさせる、ということをしていた。ゼミは途中で他の教員が引き継いだので、民訴ゼミから無理矢理商法ゼミに学生は学期途中で変更させられたりしたのだ。

今度も授業担当を外されれば、いづらくなって辞めるだろうくらいに考えていたのだろう。
教員評価制度も導入されてたし。

しかし、実は、その教員はそんな腐敗した大学には絶対にいたくなかったので、完成年度終了になるその半年後に他の大学に行くことが、そのような不当な嫌がらせをされる約半年前に正式に決定していたのだった。ただ、すぐそれを大学にいうと、前記の二人の教員のような目に遭うので、次の任地校に、割愛願いを出すのを待ってもらっていたのである。ちなみに、割愛願いを出してもらうのは、授業担当を外れた10日ほど後と予定されていた。

当該教員は、最後まで授業をしたかったが、致し方なく、授業担当を外すと通告された直後、「実は4月から○○大学に行くことになっていて、もうすぐ割愛願いがくることになっているんですけど」と告げた。そのときの相手の驚き、がっかりした顔を今でも忘れられないということだ。
「それならこんな手の込んだ嫌がらせを仕組まなくてもよかったのに」というところだろう。確かに馬鹿馬鹿しい徒労である。
ハラスメントかどうかの認定については、結局調査委員会による事情聴取すら行われなかったことが、茶番であることを雄弁に物語っている。

おかげで当該教員は授業負担もなく、研究や次の職場に移る準備に専念することができたが、大学の方は、振り上げた拳を下ろすこともできず、外した民法科目の担当教員のめどはなかなかつかず、結局春休みに九州の私大から呼んだ教員に集中講義をしてもらったようだ。関係ない学生が一番迷惑だっただろう。

法曹を養成する法科大学院で、学生の不正行為を正すどころか、それを、内部告発したと疑われる教員の嫌がらせに悪用するなどということが、どれだけ悪い教育的効果があるのか、空恐ろしいことだ。


学部生が、「自分の学力ならもっといい大学に行けたのに、こんな大学にくるはずじゃなかった。全優以外では自分を許せない。期末試験に集中するため、レポートに割く時間はない」という理由で、友達のレポートを写させてもらって厳重注意処分(甘すぎると思うが)を受けたという事例も知人から聞いたことがある。(もちろん、私の現在の勤務校の話ではない)

今回の事件で逮捕された予備校生も成績は悪くなかったという。

これらの「聞いた話」を総合すると、できない子がやむを得ずというより、自分の学力に自信がある子の方が、入試や成績に関わる不正をする傾向があるようだ。

妙な全能感をもち、「できる人間は、一般ピープルの善悪を超える」とでもいうのだろうか?嘔吐を催す。


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まんが、アニメとジェンダー(2010年度新入生ゼミナール記録)

2011年02月19日 | profession
2010年度1年生対象の新入生ゼミナールの授業の記録として大学紀要に載せた研究ノートを転載する。
今年の私の担当クラスは非常に優秀だった。

なお、引用されている資料は割愛する。

まんが・アニメにおけるジェンダー~アトムの命題のゆくえ~
(Studies on Comics and Animation from Gender View Point )


はじめに
まんが・アニメ作品をジェンダーの視点から分析する、というある意味手垢のついたテーマであるが、本年度の新入生ゼミナールで学生と講読した大塚英志・ササキバラ・ゴウ『教養としての<まんが・アニメ>』(講談社現代新書、2001年、以下、「メインテキスト」という)が扱っている、「アトムの命題」が達成されたか否か、すなわち、大人になれない身体を抱えた子供はどうやったら大人になれるのか?ビルドゥングス・ロマンは果たして達成されるのか?について、ジェンダーの視点から分析したのが本稿である。
「大人になれない身体」を、ジェンダーの文脈で説明すると、「男は女より優れているべきだ」というジェンダー・バイアスのために、女性だけが、人間としての成長と恋愛の成就を両立できないというジレンマに立たされる、という問題になるが、まんが・アニメではそれがどのように解決されているかという視点で考察した。
新入生ゼミナールでは、「身近にあるどんなものでも学問の対象になりうる」ということを実感してもらうという目的で、本書を講読した後、3班それぞれに、まんがやアニメの作品論を発表してもらった。それに先んじて、「このようにやるのも一つの方法です」ということを示すために、私が授業で作品論を発表したレジュメが本稿の元となっている。学生たちは、「ハウルの動く城」「もののけ姫」「働きマン」「マイガール」といった作品を取り上げ、1回生とは思えない立派な発表をしてくれた。
もとより、筆者は法学研究者であり、このような作品論については素人であるので、このような場で発表するような内容にはなっていないかもしれないが、上記のような経緯があり、むしろ、授業の記録の一部として記録にとどめておきたいという気持ちから今回紀要に掲載させていただくことにした。ご理解を賜れれば幸いである。

1. 「アトムの命題」とは何か。
(1)手塚治虫 「成熟の困難さ」と戦後まんが
 メインテキストによると、手塚まんがの作画技術には、α 記号的表現 β 写実的・映画的表現 の二種類のものが同居している(23頁)。
すなわち、当時の多くのまんがと同様、爆弾に当たっても傷を負わないようなデフォルメされた人物を描く作画技術(α・非リアリズム)のみを当初は用いていたのだが、戦争が激しくなるという現実(β・リアリズム)に接して、技術と対象の間に乖離が生ずるようになってきたのである 。こうして、手塚の中で、戦争で自分も死ぬかもしれないという現実(β) と、自らの本来のまんが表現(α)が出会うことになる。そして、作画技術は記号的(α)なのに、描く対象は死に至る身体(β)だという現実は、手塚まんがにとどまらず、戦後まんが全体に技術革新だけでなく、大きな命題をもたらした 。
大塚は、その命題は、アトムという作品の中に鮮明に見られるという 。
アトムは、天馬博士が事故で死んだ息子トビオの身代わりとして製作したものだが、人間の子供と違って、アトムが全く成長しないことを憎んだ博士自身によって見捨てられ、サーカスに売られてしまう。つまり、ここでは、成長しない・できない子供であるということは、恐ろしい欠点であるとされている。これは、まさに、手塚まんがが記号的表現(α)により、生身の身体が生きねばならない現実(β)を描こうとした矛盾そのものを表していると大塚は指摘するのである 。ここで、アトムの命題=大人になれない身体を抱えた子供はどうやったら大人になれるのか?がクローズアップされてくる。そして、敗戦時にマッカーサーが「日本人は十二歳の子供だ」といったというエピソード に代表されるように、「成熟の困難さ」は戦後日本の課題そのものであると認識される。つまり、まんがという枠を超えて、ビルドゥングス・ロマン は果たして達成されるのか?という視座が表れてくるのである。この点について、大塚は、実は、アトムの掲載雑誌への初出時には、アトムが「大人」になることを暗示するエピソードがあったのに、後に削除されたというエピソードを紹介し、手塚は、この命題の回答を先送りしたのだと指摘する 。
そして、手塚作品には、『ブラックジャック』のピノコや『どろろ』の百鬼丸とどろろ等、アトムの命題を抱え込んで生きるキャラクターが数多くいるとも言及している 。
(2)梶原一騎 未完のビルドゥングス・ロマン
『巨人の星』は、アニメ版アトムの終了した1966年に少年マガジンで連載開始されており、『あしたのジョー』はその2年後の1968年に同じ雑誌で連載開始されているが、原作者は梶原一騎=高森朝雄という同一人物であり、作画はそれぞれ川崎のぼるとちばてつやが担当した。作画技術はどちらもきわめて劇画的(前記のβ)である。
(a)『巨人の星』『新巨人の星』
ストーリーは下記のとおりである。
①かつて巨人軍の名選手だったが魔送球のために巨人軍を追われた父・星一徹が、自らのかつての夢を、息子を通じてかなえるため、息子・飛雄馬に野球のスパルタ教育を施す。つまり、飛雄馬は一徹の野球人形にすぎない(資料1-1参照)。この点は、天馬博士が死んだ息子の代わりにアトム(ロボット=高性能の人形)を作ったことと共通する 。
②スパルタ教育により、飛雄馬は夢を叶え巨人に投手として入団するが、小柄ゆえに球質が軽いという致命的な欠陥を克服するために、次々と魔球(大リーグボール1号、2号、3号)を生み出さざるを得なかった。
③大リーグボール1号は高校時代からのライバル・花形満に敗れ、その後進化したが、なんと一徹自身が中日のコーチとして特訓した大リーグ出身のオズマ選手に完敗。2号も花形に敗れる。
④1号、2号は父に授けられた魔送球の応用だったが、3号は父から与えられた技術を使わず、父を初めて克服して編み出した魔球だった。しかし、今度は、一徹が特訓した、飛雄馬の高校時代からの無二の親友・伴宙太に打たれてしまう。しかし、打つために体力を消耗させられた伴はホームを踏むことができず、完全試合となる。父はここで初めて自分を超えた息子をたたえ、背に負ぶう。また、3号は左腕を酷使するもので、その試合を最後に飛雄馬の左腕は完全に破壊された。飛雄馬はいずこともなく去ってゆく。
⑤『新・巨人の星』 では、1976年長島ジャイアンツの最下位を救おうとそれまで失踪していた飛雄馬が再び右腕投手として巨人軍に入団する。飛雄馬は実は元々右利きだったが、投手に有利なように一徹が無理矢理左利きに矯正したというご都合主義な設定で、飛雄馬の姉明子と結婚し花形モータースの社長になった花形もヤクルトに入団、飛雄馬はまたも蜃気楼の魔球を編み出すが、花形に打たれる。まんがはその直後、魔球の種明かしもしないまま(私見では、原作者がどうしても思いつかなかったのではないかと考えられるが)、唐突に終わっている。
⑥1979年に連載開始された『巨人のサムライ・炎』 では、飛雄馬は、長嶋監督に「彼はやはり左腕投手だった」といわれ、引退し、進んで主人公・水木炎を育てるために二軍コーチとなるというエピソードが描かれている。
やはり、ビルドゥングス・ロマンは達成されないまま、ということになる。
この『巨人の星』について、大塚は、「父が息子の敵に回るのは、大方の解釈のように、息子の成長を助けるためでなく、実は、息子に成長を禁じる父親が背後にいたためなのではないか」と指摘している 。つまり、プロ野球選手である限り、小柄だという欠点を克服するためには父から与えられた野球技術の中でしか生きられない。(天馬博士が成長しない身体:ロボットとしてアトムを製作したことと共通している)。これは、永遠に親離れできず大人になることができないという父の与えた呪縛であり、飛雄馬は「成長」するためには、自らを魔球によって破滅させるしかなかった、というのである。
(b)『あしたのジョー』
ビルドゥングス・ロマンとしては、『巨人の星』よりは、成功しているといえる。
たとえば、「あしたのためにその1,その2…」と続けて少年院に送られてくる丹下段平のはがきによる指導により、自らの成長を実感するジョーの姿は、成長物語そのものといってもいいであろう 。
しかし、やはり、この作品も、「アトムの命題」とは無縁でいられないのである。
年齢とともに成長するジョーの身体は、もはや、バンタム級に留まるのが無理になってくる。フェザー級への転向を進める段平だが、ジョーは、自分と闘うために、命がけでバンタム級に降りてきてくれた力石のためにそれを拒む (資料2-1参照)。つまり、ジョーは、自らの心身の成長を自覚しながら、それを拒むのである。
そして、まんが史に残るとされる、ジョーが真っ白に燃え尽きて死ぬラストシーンは、永遠の少年としての運命を象徴し、やはり、ビルドゥングス・ロマンは達成されないのだということを読者にまざまざと思い知らせる。
以上の、メインテキストの論旨を踏まえ、その観点から、筆者は、下記のような作品をとりあげ、論じてみることとする。

2.ステレオタイプなジェンダー意識
本表は、押山美知子『少女マンガ ジェンダー表象論-<男装の少女>の造形とアイデンティティ』(彩流社、2007年)179頁の表を元に作成したものだが、c, d, e, f, g,h,i, j,kは筆者が追加した項目である。
男らしい          女らしい
A 勇ましい          おとなしい
B 力が強い          力が弱い
C 仕事に生きる      恋愛に生きる
D 指導力がある      誰かに指導される
E 自立している      誰かに頼る
F 家族愛より人生の目標が大事 家族愛が人生の目標より大事
G 身なりに関心なし      ファッションが大切
H 清潔にこだわらない       清潔第一
i 実用性           装飾性
J 理論的           情緒的
K 家事は苦手      家事は得意

3、池田理代子『ベルサイユのばら』 ―ジェンダー、性別役割分業意識の少女漫画表現への影響
(1)なぜ、の主人公・オスカルは男装の麗人なのか?
(a)ジェンダー的限界
女性のままでは、社会に現に存在するジェンダー・バイアス、性差別、性別役割分業のために、主人公に体験させることができることが限られてくるのではないか。
しかし、少女漫画では、主人公が女性でないと、読者が感情移入できない。
そこで、「セックスは女だが、ジェンダーは男」という造形が編み出されたのではないだろうか?
 例1:オスカルは、「男として育てられたからこそ、広い世界をみることができた」と父に感謝している(表のc左。資料3-1)。
 例2:『働きマン』 安野モヨコでも、主人公松方弘子は、「働きマンになると血中の男性ホルモンが増加して通常の三倍の速さで仕事をするのだ。その間寝食恋愛衣食衛生の観念は消失する」(表のc,g,h左)。この作品では、完全に男装するのでなく、仕事モードのときのみ男性ジェンダーが前面に出てくるということで調整している。つまり、部分的な断層といってもいいのではないだろうか。ちなみに、これをマン、といったり、男性ホルモンといったりするのはジェンダー・バイアスであるという解釈もできるが、むしろ、「部分的男装」を表す表現であると考えればそうともいえない。
(b)男性的な女性の方が魅力的に描かれるという傾向
例:『アリエスの乙女たち』 里中満智子
お互いの存在すら知らずに育った、路実と笑美子という異母姉妹が、偶然同じ高校の同級生としてめぐり合い、家族との関係や恋愛を通じて成長していくというストーリーである。ショートカット、さっぱりした意志の強い性格、男物のハンカチを愛用する男性的な路実が、かわいらしい乙女そのもののような笑美子より圧倒的に魅力的に描かれている(表のh,i)。路実という名前自体、演劇部でジュリエットを演じる笑美子が路実に出会った当初、「この人こそ理想のロミオ」と恋情に似た感情さえ覚えるというエピソードのために考えられたものなのである 。
(2)主人公がジェンダー的にのみ男性であることからくる豊かなドラマ性
(a)A:生物学的に女性であることからくるエピソード
反感をもつ部下に女性であるが故に監禁され陵辱されそうになる(表のb右。資料3-2)のも、軍人であり剣の達人であるオスカルも、生身の肉体は弱い女性にすぎないということを如実に物語る。
(b)B:ジェンダー的には男性的な特徴とされる、部下の指導力の発揮が(a)のエピソードを経てより感動的に描かれる(表のd左。資料3-3)。
(c)C:性自認が女であり、D:異性愛であることからくる葛藤が描ける。
とくにフェルゼンへのかなわぬ愛への苦悩(資料3-5)には多くの読者が胸を突かれる。ちなみに、オスカルが一度だけ女性の恰好でフェルゼンと会うシーンは、アントワネットや他の貴族女性と違い、シンプルなドレスを着ており、ジェンダー女性役割が希薄化されている(表c右)。また、女性の幸せは結婚か?と迷う(表c,f右。資料3-4)ところは、働く女性なら誰でも一度は経験する悩みである。
(d)ビルドゥングス・ロマンとしても成功
アトム、巨人の星、ベルばらすべてに共通することとは、主人公が父親の人形であったこと(資料1-1 資料3-6, 3-7, 3-9)である。しかし、オスカルは、自らそれを乗り越え、男性として生きた人生を受け入れ、男性役割=衛兵隊隊長としてフランス革命のために政府軍と戦って死ぬ。オスカルの死は、バスティーユ陥落というフランス革命の成功につながる死であり、飛雄馬やジョーの破滅とは明らかに異質な、栄光の死である。また、義賊ベルナールに「王宮の飾り人形」と罵倒され、より装飾的色彩の強い近衛隊長から衛兵隊長に自ら進んで転属し(表e,i左。資料3-8)、女性であることを放棄したのでなく、決戦の前夜、アンドレと結ばれ、女性役割も全うしている(表c右)。
「アトムの命題」をクリアしただけでなく、男性性と女性性をアウフヘーベンしたのではないか?つまり、筆者は戦後漫画のすばらしい到達点といえるのではないかと考えるものである。女性が女性のままでは活躍できないという少女漫画のジェンダー的限界が、却って、ビルドゥングス・ロマンの成功を導いたのではないであろうか?
手塚の『りぼんの騎士』 で、はじめは両性具有であったサファイアが完全な女性になることによってハッピーエンドになる(表c右)のは、やはり、女の幸せはこう、というジェンダー・バイアスにもとづくものであろう。
それから約20年を経て、『ベルサイユのばら』は、ジェンダー的には長足の進歩を見た作品といっていいのではないであろうか。

4、ジェンダーフリーな梶原一騎
(1)梶原一騎は作品ではジェンダー的に進歩的な考えの持ち主
劇中の主人公の恋人や家族は、みな自立した女性で、男に頼らず、自分自身の信念を持って仕事をしている。1960年~1970年という時代からは考えられない先進性をもっているといえよう。
(a)『巨人の星』の初恋相手美奈
余命幾ばくもない難病に冒されながら、残りの人生を山奥の診療所での奉仕に捧げる(表c,e,f左。資料1-2)
(b)『新巨人の星』の女優・鷹ノ羽圭子
自らのギャラをなげうち、障害児施設を経営する。(表c,e左)
(c)『あしたのジョー』の白木葉子
ジョーの所属する白木ジムの会長であり、終始ビジネス・パートナーとしてジョーに接する。しかし、終盤では女性性を前面に出して、所属ジムの会長としてでなく、ジョーを愛する女性として、廃人になる危険の高い試合をやめるよう説得する(表e右。資料2-2。)ジョーに拒まれ、いたたまれず、試合会場から去るが、「自分が首謀者なのだから見届けなければ」と戻る。結局、男性的なジェンダー役割が強調されている(表e左 資料2-3)。
(d)『巨人のサムライ・炎』の風吹梢
女子野球チームのエースで、恋愛より仕事と明言している。なお、炎の親友馬耳への対応は『巨人の星』の明子に似ている(表c,e,f)。
(2)明子に関しては問題あり
(a)巨人の星
『巨人の星』飛雄馬の姉、明子は、本編では、きわめて自立した女性である。成功した弟と住む高級マンションから「お互いのためにならない」と独立し、ガソリンスタンドで働く。飛雄馬との長年の友情から中日移籍を躊躇する伴に対しては、「青春にはけっして安全な株を買ってはならない」とその甘さを指摘、求愛も退ける(表のc,f,j左。資料1-2).
(b)新巨人の星
『新巨人の星』では、花形モータースの社長夫人になり、骨肉の争いはもういや、と豪華なリビングルームで泣くばかりである(表a,e,f,j右).ジェンダー的には、堕落以外の何物でもないと思われる。

5、最近のジェンダー的に注目すべき漫画
(1)『大奥』 よしながふみ
若い男性のみがかかる赤面疱瘡により、男子の人口が女子の4分の1になったために、男女の役割が逆転し、将軍も代々女性になり、大奥には男性が侍るという歴史SF。史実がそのような前提でむしろ説得力をもって説明されるのが痛快である.
男性優位であった歴史を知らない吉宗と家臣の会話から、ジェンダー問題への自覚が目覚めるシーンが、ジェンダー的にはとくに圧巻である(表a,c,d,e,f,i、j左)。
(2)『のだめカンタービレ』 二ノ宮知子
(a)性別役割の逆転
主人公ののだめは、腐臭のあるゴミだらけの部屋に住み、料理もできず、楽だからという理由だけでいつもワンピースを着ている(表のg,h,k左)。それに対して、千秋真一は、家事が得意で清潔好き(表のg,h,k右)という点で、このカップルの性別役割は逆転している。のだめの人物像は、やはりドラマ化された人気まんが『ホタルノヒカリ』 の「干物女」主人公蛍とも似ている。ちなみにこの二つの作品は、連載された媒体も連載時期も完全に重なっている。
(b)しかし、限界
しかし、他の点では、ジェンダー・バイアスをなぞっている。千秋は両親の離婚で別れた父との関係がきわめてドライだし、仕事に生き、理論派(表のc,d,e,f,j左)。のだめは、一目惚れした千秋につきまとい、才能がありながら野心はなく、幼稚園の先生になるのが目標で、フランスに留学したのも、千秋と共演したいからというだけである(表のc,d,e,f,j右)。
(c)ギャップ
実は、主人公がジェンダー的に女性とは遠いのに、男性にもなりきれないギャップがこの漫画のおもしろさなのだろう。そして、(b)の点でものだめが女性性を捨て去り、芸術に生きた場合に、二人の関係はどうなるのか、が見物であった。ジェンダー・バイアスとは無縁で、男女でありながら、仕事人としてもお互い一流をめざす、という『同級生』(柴門ふみ) では不可能だった命題が、ここでは解決されるかと期待していたが、大変肩すかしな最後だった。
千秋は、ジェンダー的にのだめに「女性」を求めず、むしろ、もっと成功させたいと願う。のだめは音楽家として先を行く千秋に不安を募らせ自分からプロポーズしながらも、シュトレーゼマンの下で才能を爆発的に開花させ、千秋と離れる。この先が楽しみだったのに、結局のだめは千秋の下に戻り、連弾でのだめの夢は叶ったこととし、当初の目標通り幼稚園の先生になる将来を示唆して終わる。なんともお茶を濁されたような中途半端な最後で、がっかりである。

6 .まとめ
最近人気のある少女まんがには、主人公が、ジェンダー的には典型的な女性ではない(『大奥』の女性将軍や『働きマン』の松方弘子はその仕事への姿勢において、『のだめカンタービレ』ののだめや『ホタルノヒカリ』の蛍はその「女子度」の低さや仕事や音楽の能力において)という共通点がみられるようである。
しかし、いずれも、「恋愛もしたい」という点では、女性的ジェンダーを捨てておらず、そのギャップが常にテーマとなる。仕事等を通じて人間的に成長しつつ(ビルドゥングス・ロマン!)、先進国一ジェンダー・バイアス意識の強い日本人男性を相手に恋愛も成就できるのか?革命で死ぬという運命が待っているわけではない現代の日本で、ジェンダー・バイアスに満ちた日常生活において、その二つのジェンダー役割が果たして両立できるのか、というのが、現在の少女まんがの永遠にして最大のテーマであり、これに答えを与えてくれる作品の登場が待ち望まれる。

教養としての〈まんが・アニメ〉 講談社現代新書
大塚 英志,ササキバラ ゴウ
講談社

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初の単著の研究書出版

2010年03月22日 | profession
ブログの更新が半年もあいてしまった。

死ぬほど忙しかったからだ。

第一に、初めて単著の研究書を出版したからだ。ロースクール関係の留学本なら1994年に単著で出しているし、共著なら法学関係のものが多数あるが。
原稿はかなり前に書き終わっていたが、情報のアップデートが必要(中国法はしょっちゅう変わるから)だったし、2009年8月に日本で発効したウイーン動産売買条約(CISG)のことも書く必要があると考え、中国契約法とCISG,ユニドロワ国際商事原則、ヨーロッパ契約法原則、UCC(米国統一商法典)、日本の民法改正提案を比較する章を新たに書き下ろしたりした。

中国は1988年にCISGを批准しており、かなり遅れて日本も批准した今、対中国との契約交渉で、中国法でなくCISG等の国際ルールを適用することがよりやりやすくなったので、各契約事項で、どの条項を適用したらいいかという実務的アドバイスも記述した。

中国契約法は1999年と遅くできたため、契約法の大原則にかかわること(無過失責任、瑕疵担保責任と契約責任の統一等)については、国際的潮流に適合している。日本の現行民法はそういう意味では遅れているが、近々予定されている民法大改正では、こうした国際的ルールの採用が提案されており、この点からも面白い分析になったと思う。

第二に、二年生のゼミの発表会があったからだ。
政策を作って府庁で発表するという授業だったのだが、私のゼミでは、「育児における男女共同参画」をテーマにした。

ハード面の調査に特化し、不特定多数が利用する場所に男女ともにアクセスできる場所におむつ替え設備やトイレの個室のベビーチェアなどがあるかどうかの調査を行った。

2006年に施行されたバリアフリー新法の委任を受けて上乗せ横出しをしている各自治体の条例の中には、公共の場所において、おむつ替え設備、ベビーチェア、授乳施設等をジェンダーフリーにアクセスできる場所に設置することを義務付けるものがある。

そこで、全国47都道府県と18全政令指定都市の条例の悉皆調査を行い、これらの規制の有無と適用範囲を調べ、優秀な自治体をピックアップした。top3は福岡市、東京都、京都府だった。

また、京都府内の不特定多数が利用する施設約200にこうした設備の有無をアンケートを行って調査し、京都府および京都市の関連条例の適合の有無を分析した。

報告書は1万字以上でいいところ、わがゼミでは本編と資料編を合わせて13万字近くになったし、発表会でもおほめをいただいた。行政法の先生にも「条例の悉皆調査なんて研究者でもなかなかできない」といっていただいた。

他のゼミの発表を聞き、報告書を読んで、いいにくいことだが、自分のゼミの学生にあまりに過剰な負担を課したのだということがわかり、ものすごく反省した。
私は法科大学院出身なので学部生のゼミを担当したことがなく、加減がわからなかったとはいえ、本当に申し訳なかった。

膨大な調査結果を15分でプレゼンするために、教室を借りて何度も予行練習をしたりした。こんな私についてきた真面目で健気な学生たちにはただ感謝あるのみである。

発表会の後、アンケート調査や聞き取り調査にご協力いただいた団体等に報告書を発送する作業を行い、やっと一段落した。

第三に、民法の講義でtutorialという個人指導をやっていたからだ。
授業中取り上げる判例百選の判例を予め受講生一人一人に割り当てておき、まとめたものを発表させる。事前にひとりひとりアポをとってもらって、書いてきたレジュメを基に指導し、かつ、毎回やっている小テストでその学生が間違った箇所を復習する、というもので、オックスフォード大学で受けた教育にヒントを得たもの。

ということで、学期中は非常に忙しく、春休みになってやっとこうしてブログを更新できた次第である。

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法曹養成機関とは思えない卑劣な行為

2010年03月22日 | profession

学生による提出レポートが学者の論文まるまる全部の剽窃(もちろん出典記載なし)だったという不正を、処分するどころか、煽り、内部告発したと疑われた教員への口にするのも汚らわしい方法による嫌がらせのために利用するような卑劣なこと(だけでなく正義を担うべき法曹候補者への教育上著しい害がある)を行った某法科大学院の出来事の詳細をやっと明らかにすることができる時期になった。乞うご期待。

○○くん、私はもうとっくにそこにはいないし、君ももうそこの学生ではないのだから、前のような手は使えないよ。もちろん、また文科省にファックスしても笑われるだけ。君ももう惑わない年なんだからいい加減、大学に利用されただけ(しかも、過去に他の大学に行くと伝えたとたん教授会に出るなと言われたり授業を外されたり、予定の4か月も前に無理やり辞めさせられた先生が二人もいたため、嫌がらせを恐れてぎりぎりまでいわないようにしようと大学に伝えていなかっただけで、私はあの出来事の半年以上前に別の大学に移ることが決まっていたのだから、大学としても君の不正を利用してあんな手の込んだ罠をしかけたのは馬鹿みたいな徒労だったわけ)で、個人的には寧ろひどい損をしていることに気づくべきだし、刑法の授業で230条の2は習ったよね?


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行政監視の対象となり、社会一般から深い疑念を持たれる人事対応がなされている法科大学院

2010年03月22日 | profession
参議院議員 山本栄一氏のブログより

http://www.yamashita-eiichi.com/diary2/diary2_20081029.html

××大学法科大学院
2008年10月29日
 平成20年10月29日、行政監視委員長として「××大学法科大学院」を視察した。以下、同大学院の概要と視察の視点等について報告する。

Ⅰ 大学院の概要


Ⅱ 視察の内容
•法科大学院側から設立の経緯や運営状況等について説明を聴取した後、質疑応答。講義(刑法)、演習(民法)を参観し、図書館、自習室、学生ラウンジ等の施設を見学。
•学長、法曹法務研究科長、理事等が対応。

Ⅲ 視察の視点
 本法科大学院は、平成16年6月の設置申請の際に、未提出論文を受理済みとして申請するという不祥事があり、研究科長等の関係者が懲戒処分を受け、平成18年度の学生募集を自粛するという事態となった。また、本年、第1回目の大学院修了者による司法試験受験において合格者ゼロという結果となったことから、行政監視(不正不当行為の防止、及び、それに関係する税金の無駄の排除)の重要な対象と考えた。

•現行の司法試験制度をどのように評価しているか。
•司法制度における法科大学院の位置付けをどのように考えているか。
•××大学法科大学院の存在意義をどのように考えているか。
•今回の司法試験受験結果を踏まえ、今後の大学院運営をどのように考えているか。
•不祥事を踏まえ、教職員倫理の徹底のために、どのような努力をしているか。
•法科大学院設置のコンプライアンス委員会は、どのように機能しているか。

Ⅳ 所見と課題
•全国的な司法試験の合格率は3割台(平成20年は、受験者数6,261人、合格者数2,065人)に落ちており、法科大学院方式を採用した意味が社会的に問われるようになっている。

•法科大学院方式を採用したにも関わらず、大学院修了者が受験すべき司法試験が「競争」の色彩を強めていることから、司法試験制度が内包する矛盾(法曹になるため本来すべき勉強と、単なる受験勉強とのギャップ)を露呈しつつあるように思われる。

•法科大学院の設立時に不祥事があり、初回の司法試験で合格者がゼロであったことは、今後の大学院運営において極めて重大である。当面の課題は、とにかく1人でも多くの合格者を出すことであり、それは他のどの法科大学院よりも緊急で重要な課題といえよう。

•不祥事について責任者が処分されているが、中心人物である法科大学院の研究科長等がその職を辞したものの、経済学部長等の要職に就いている等、社会一般から深い疑念を持たれる人事対応がなされている。倫理規定の制定やコンプライアンス委員会の設置なども行われているが、納得を得るためには、何より適正な処分が不可欠である。

(一部省略)

言っていることはきわめてまっとうである。

確かに書いてもいない論文を書いたと設置申請書に書き、その責めを負って理事を辞めた教授が経済学部長になったり、定年後も副学長になったり、申請書に完成させたと書いたその論文を申請から6年たってもまだ完成させていないことは、法律家を養成する研究科をもつ大学とは思えない異常な状況だ。

しかし、もっとひどいことが行われていたことをこの政治家は知らない。


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詐欺だと思う+引越+オリンピック+アカデミー賞

2010年03月11日 | profession
遅ればせながら、配偶者控除を廃止するというので民主党に投票したのに、見送ったのが許せん。民主党のしたことは詐欺じゃないか?

どうして専業主婦関係のことをいじるのはそんなに大変なのか、まったく理解できない。

ところで、2年前に私が転職するに伴い、本格的な単身赴任生活になると覚悟していたのに、夫が国内で初めて転勤(就職して以来、スイスと香港に赴任した以外はずっと東京だった)した先が大阪だったので、一緒に住んでいたのだが、夫の勤め先が関西の外れなので、この2年仕方なく難波に住んでいた。大学まで片道約2時間、忙しくていちいち帰っていられないので、結局平日はずっと京都に泊まるという、同居しているのかしていないのかわからないような状態だった。

さすがに3年間関西ということはないだろう、と思っていたが、なんと夫は3年目も関西勤務に決定。しかし、京都からでも通える場所に異動になったので、2月末に京都市内に引っ越した。京都は高層マンションが建てられないので物件自体が少なくて往生したわ。でもいい所が見つかった。10階にある部屋で南側のサンルームからは京都タワーも見える。四条烏丸まで自転車で5分という便利な場所だ。これで名実ともに京都市民になった。

難波は私の育った東京の下町よりも物価が安く(そのため、ネイルサロンの全国チェーン店もなんば店だけ他の地方よりぐっと安いのだ)、道頓堀にも心斎橋にも自転車でひょいひょい行けたので住みやすかった。
東京で育った私は、東京以外に住むなんて考えられなかったが、たまに東京に出張で行くと、「なんでこんなに人が多いのか」と思うようになった。

大阪には東京にあるものは全部ではないがほとんど揃っているし、人口比からいうと、ちょうどいいバランスじゃないのか、と思うようになった。

昨年は60本ほど見た芝居やコンサート、これだけは東京でしかやらないものもある。しかし、大阪に来るものの方が多いので、東京オンリーのものは出張のついでに見れば事足りる。また、大阪の会場の方が一般的に狭いので近くで見られてお得感がある。学生に誘われて(といっても都合が合わず別の日に行くことになったのだが)初めて見に行ったジャニーズのコンサート、大阪城ホールは東京の類似の会場よりずっと狭いので、あまり良くない席でも近くで見られたし。

また、忠臣蔵の通し狂言を歌舞伎座と松竹座(全段出ずっぱりの藤十郎、70代とは思えないバイタリティに驚かされる)で両方見比べることもできたのも興味深い経験だった。

勘平は江戸では初めから侍姿で切腹するが、上方では、猟師姿で切腹、こと切れてからやっと侍になれたということで姑が紋服を着せかける、とか。

また、初めて仲蔵型でない斧定九郎を見られたのも大阪にいたからこそだろう。

文楽劇場も東京の国立劇場と違って若手の人形遣いの人がロビーにいて、いろいろ質問に答えてくれはる。「さしがねは右手で使うので左利きの人は大変でしょう?」と聞いたら、「私の師匠、桐竹紋寿も左利きですよ」といわれたりした。私、頑固爺っぽい風貌の紋寿さん、なんかかわいらしくて大好き。
それから、思いがけず楽屋口で(別に出待ちしてたわけじゃなく、自転車で買い物があるのでそっちの方向に行こうとしてただけ)ハイヤーに乗ろうとしていた人間国宝の吉田蓑助さんに握手したもらったのも忘れられない経験。なんか、握手を求められること自体になれていはらへんみたいで、手を差し出したのに、「え?」という顔をされてしまったけど、「握手してください」といったら。「ああ」と気付いてくれて強く握ってくれた。

人も、タバコのマナーとかは悪いけど(うちのマンション(=公道に面して建っている)で誰かがベランダから火のついたタバコを捨てて、下を歩いていた通行人の子供にあたりそうになって、警察が来たことがあった。もう絶対ありえへん。真似してもらいたくない大人ばかりなんで子供を育てるのは無理や。)、気さくで気取りがなくていい。扶養家族がいないため割高な住民税を少しでも取り戻そうと市営スポーツセンターの水泳教室に通っていた(平泳ぎしかできなかったのにクロールで長く泳げるようになった)のだが、60代くらいのおばさまの水着の後ろにスヌーピーがついていたので、「スヌーピーかわいいですね」というと、すかさず、「ぱちもんや!」と振り向いていう。自転車で信号待ちしていると見ず知らずのおじさんが、「鞄のふたちゃんとしめんと、財布をひったくられるよ」と注意してくれる。

前にこのブログでも紹介した関西テレビのよーいドンという番組で、円広志が月火水と隣の人間国宝さんを探していろいろな街を歩くコーナーがある。三日分まとめ収録しているのをちっとも隠さない正直さが新鮮だ。第一に、服が三日とも同じ。ふしぎ発見だってまとめ撮りだけど黒柳徹子はいちいち振袖を着替えてるぞ。上着だけでも変えたらどやねん、と思わずつっこみたくなる。第二に、町を回る順が隣町だったりして、みえみえ。
第三に、円は雨男らしく、ロケ時は雨天が多いのだが、ある月曜日のナレーションで「今日は珍しく晴れ、ということは、明日も明後日も晴れということです」といってしまうこの開き直りがなんともいえない。

ある町に円そっくりの散髪屋さんがいて「○○の円広志」と名乗っているのだが、その紹介のナレーションで「一発屋ならぬさんぱつ屋ですから」といったりする自虐ネタも面白い。

京都人の夫に、今の大学への赴任が決まった時、「京都人ていけずだぞー」と脅されたが、確かに大阪に比べるとそうだと思う。当たりが柔らかく見えるだけで実はプライドが異常に高く、自分の非を絶対に認めない。物価もやたらと高い。しかし、ソモラよりはましだ。
職住接近になったことだし、もう2件の出版企画も早く完成させようと決意を新たにした。

引越準備をしながらチラチラ見たオリンピック。

気になったことをいくつか。

1.氏名表記だが、中国人や韓国人が英文表記の際も姓を先にしているのに、なぜ日本人は名を先にしているのか?姓名の順も立派な文化である。変な植民地根性はやめてほしい。オリンピック協会はぜひ再考してほしい。ルーマニアだって名字が先だから、コマネチ・ナディアが正しいのに、日本人は勝手に英語式にナディア・コマネチと呼んでいたが、非英米のものを英米式に読むことがどれほど歪んだことなのかなぜ気付かない?

2.キムヨナと真央ちゃんのライバル関係を見て、『ガラスの仮面』を思い出した。(連載が始まった時、北島マヤは私と同い年だった。まだ続いているが、主人公が少女のままなのに携帯電話とかが出てくるのは矛盾しないか?)

もちろん、憎たらしいほど冷静沈着なキムヨナが姫川亜弓、天然っぽい真央ちゃんが北島マヤである。
おそらくキムヨナのあの完ぺきな演技は浅田真央というライバルがいなければなかったであろう。

天才肌と努力型のライバル関係って、普遍的なもので、モーツァルトとサリエリも、義経と頼朝もそうだったのではないかと思う。

あ、余談だがキムヨナは女優の岡本綾に似ていません?

似ているといえば、高橋大輔の顔のつくりは伊藤淳史にそっくり。かっこいいとかっこよくないの境目ってなんなんだろうと考えさせられる。

3.主催側にいろいろ不備があった点
今頃気づいたのか、という感じだ。
米国だろうと英国だろうと、どんな先進国だって、日本ほどすべてのことがきちんとしている国はいない。私は英米に留学してそれを知って幻想が打ち砕かれた。商品の配達だって、時間どおり来ないのは当たり前、3回目くらいで約束を守ってくれればいい方だ。

ロンドンの地下鉄がすぐ遅れるので地元の友達に「日本では電車が遅れるとニュースになるけど」と愚痴ったら、「イギリスでは時間通り走ったらニュースになるわよ」と言われた。

それはルーティンワークに従事する人の勤勉さ・正直さが全然違うからだ。それらの先進国は、エリートはできるが、非エリートは総じて手を抜くことしか考えていない。しかし、最近の若者を見ていると、そうした日本の良さが失われつつあることに危惧を覚える。

そっくりさんといえば、アカデミー主演女優賞を取ったサンドラ・ブロック、高田聖子に似ていると思う。新感線は好きな役者が結構客演する(堤真一、上川隆也、内野聖陽)し、官藤官九郎が本を書く場合は見に行くのだが、中学の修学旅行で薬師寺で説明してくれた高田好胤の娘だということだ。

元夫婦対決は、キャサリン・ピグローが圧勝し、男女平等が進んだ米国で女性初の監督賞、作品賞ということに驚いた。受賞作はまだ見ていないが、ロシアの潜水艦の放射能漏れ事故を描いたK19は見たことがあり、骨太の演出に感心した。キャメロン監督の元妻と聞き、同じ船舶関係で、タイタニックとは180度違う社会派映画を、元夫のヒット作へのアンチテーゼとして作ったのではないか、と思った。

そもそも、タイタニック(評判を聞き、大画面で見たほうがいいと思い、会社帰りに有楽町マリオン=当時最大のスクリーン)で見たが、どこがいいのかさっぱりわからなかった。船が180度傾いて、その端に二人がつかまってぶら下がるシーンなんて、できの悪いギャグ漫画みたいだった。アバターはCG技術がすごいらしいが、タイタニックのときは、イルカの画像など、一目でCGとわかる稚拙なものだった。

何より、同じ被災者でも、三等船室の客は結局閉じ込められて逃げられなかった等、階級社会の理不尽ももっと描くべきだった。一度乗った救命ボートから恋人と行動を共にするために降りてしまい、それでいて、最後は自分だけが筏に乗り、恋人を氷河の浮く冷たい海につからせて凍死させるなんて、最初からボートを降りなければ二人とも助かったかもしれないのに、世間知らずの上流階級のお嬢さんの気まぐれで貧しい画家を死なせてしまっただけのことだ。

唯一、老夫婦が覚悟を決めてベッドの上で手を握り合いながら静かに死を待つシーンだけが心に残ったが、それ以外は何も評価するところのない映画だった。

その後、実はジャックは生きていて、第一次大戦の戦場で、兵士と従軍看護師として再会するという続編の話が出たが、実現させなかったのはせめてもの英断だろう。

日本人はどうして海外(それも欧米のみに限る)で受賞すると持ち上げるんだろう。たけしの映画なんて、どこがいいのかわからないし、昨年外国語作品賞をとった『おくりびと』、TVで見たが、確かに良品だが、受賞しなければここまで取り上げられなかったと思う程度だ。唯一リアリティがなかったのは、銭湯のシーンで元木雅弘の体が筋肉がついていて良すぎたことだ。役者だから鍛えるのは当然かもしれないが、チェロ奏者だった者があんなムキムキの体というのはおかしい。

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夢じゃないかと思うー夫婦別姓法案その他―

2009年10月02日 | profession
政権が変わるということは、こういうことなのかと興奮が抑えられない。

1.夫婦別姓法案

千葉景子法務大臣は、夫婦別姓法案を来年の国会に提出すると明言した。

1996年の最初の法案作成依頼、今までは、「家族の一体性を損ねる」などというおかしな理由(じゃあ、中国や韓国では家族の一体性はないのか。失礼だろう)で、保守系の議員その他の反動勢力によって、本会議に出すどころか、その手前の委員会のところでだめになってきた。

今年度前期に「現代社会とジェンダー」という、教養科目を担当したので、「夫婦別姓法案は、選択肢を増やすだけで、夫婦で同じ苗字を名乗りたい人はそれを選ぶこともできるのに、法案として提出すらできないのはおかしい。大学でいえば、必修科目Aを必ず履修しなければならない、というカリキュラムをAかBの選択必修にしようとしたら、「Aじゃなきゃおかしい」というようなものでしょう。」と説明したら多くの学生がうなずいていた。

そんな状況だから、生きているうちに法的に別姓にはなれないだろうと諦めていたが、なんと、来年には実現しそうだ。本当に夢のようである。

ただ、結婚した時に苗字を変えるときの苦労(銀行から保険からクレジットカードから全部変更するのだから。ああ、ニューヨーク弁護士会の登録名も変えなきゃ)をまた繰り返すと思うと面倒だが。

最近、夫と喧嘩する(主に、家事を9割やっている夫が「もっと手伝ってほしい」とか、「荷物の量に比例したローンや家賃の分担にしよう」といいだすというような原因)と、私の殺し文句は「じゃあ、私が結婚するときに、あなたの苗字に合わせたためにどんな苦労をしているのか、想像してみてよ。外国に出張の際もアポの名前とパスポートの名前が合わないからもめたりするし。不公平だから、今まで14年間は私があなたの苗字に合わせたのだから、ペーパー離婚して今度は私の苗字で届け出し直して、その後14年間は法律上は私の苗字になってもらいましょうか」であったのだが、もうそういう必要もなくなったわけだ。

2.女性差別撤廃条約の選択議定書批准
1979年に国連で採択され、1985年にやっと日本が批准した女性差別撤廃条約(そのために、①国籍法が改正されたり=それまでは国際結婚の場合、父親が日本人でないと日本国籍が取れなかった。1986年生まれのダルビッシュは、前年に国籍法が改正されていたので、帰化手続なしでWBCにでられたというわけ、②男女雇用機会均等法が施行されたり=それが1986年だったので、その年のリクルート活動から大会社の多くが女性総合職を初めて採用内定した。1987年卒業の私が銀行で総合職第一期生になったのはそのため、また、③男女家庭科共修が始まったのだ)。

1999年にこの条約の選択議定書が採択され、個人通報制度(自国の政府が救済してくれない場合に、個人が国連男女差別撤廃委員会に直接救済を求めることができる)ができたのに、日本はなかなか批准しないのが問題になっていた。同委員会には日本人の林陽子弁護士が入っていて、いろいろな国の個人からくる通報を処理する仕事に従事しておられるのに。ジェンダー法学会でもそのことについて報告された。)

この点も、千葉大臣は批准すると明言してくれた。

3.男女共同参画局の事務連絡
2006年1月31日、担当大臣が猪口さんだったときに、とんでもない事務連絡が都道府県と政令指定都市当てに出された。「ジェンダー・フリー」という言葉を使うな、というお達しである。

それは当時吹き荒れていたバックラッシュを助長し、松山市議会などは、2007年12月17日に「松山市はジェンダー学あるいは女性学の学習あるいは研究を奨励しない」という、憲法で保障された学問の自由に反するような請願が採択したりした。
(私も所属するジェンダー法学会が「憂慮する声明」を出した)

上記の事務連絡については2006年6月5日に、福島みずほ大臣もそのひとりである(他には上野千鶴子等)「ジェンダー平等社会の実現を求める有志」が考え直すよう要望書を猪口(当時)大臣に出している。

福島大臣は、ジェンダー法関係の著書も多く、2004年のジェンダー法学会の大会にも来てくれ、普通は政治家はちょっと来てすぐ帰るのに、最後までいて、「トラフィッキングの禁止について議員立法を考えている」と積極的な発言をしており、本当に頼もしい。

本ブログにもそのことは書いた。

http://blog.goo.ne.jp/otowa1962/e/257dc1476b0e20bea0512328d99682ec

早急にこの忌々しい事務連絡を撤回するよう、男女共同参画局にさっそく要望メールを送った。



私は大学で法学を教えている者で、ジェンダー法学会にも所属しています。福島大臣は、2004年の研究大会にもわざわざお越しくださり、トラフィッキングに関する議員立法をするという頼もしい発言をされていたことをよく覚えております。

大学・学部も福島大臣の後輩で、14年間銀行で総合職一期生として苦労し、また、1998年には「少子化を考える有識者会議」の委員もしておりました。

ぜひお願いしたいことがあります。大臣もよくご存じの2006年1月31日に男女共同参画局から発布された「ジェンダー・フリー」についてという事務連絡を早急に撤回していただきたいということです。その中に「ジェンダー・フリー」という言葉を使うなという趣旨のことが書いてあり、この件については、大臣もその一人として有志の皆さんが、猪口(当時)大臣に同年6月5日に見直しを要望されています。この事務連絡のために、バックラッシュ現象が激化し、松山市議会などは、「松山市は女性学の研究を奨励しない」という請願を採択したほどです。ぜひとも、この問題の多い「事務連絡」を男女共同参画局として早急に撤回するよう、お願い申しあげます。

また、千葉大臣も就任会見で触れておられた女性差別撤廃条約の選択議定書の批准も早急な手当てをお願い申し上げます。

私は生きている間には実現しないだろうなと諦めていたような男女平等に関する様々な法律問題が、大臣と千葉大臣のおかげで解決する可能性が高くなり、大変うれしく頼もしく期待しております。

なお、男女共同参画局のHPの意見投稿欄の職業の選択肢に「主婦」はあっても「主夫」はなかったので、不適切だという指摘もしたが、すぐに以下のような回答が来た。


「男女共同参画局HP担当です。
この度は、ご意見をありがとうございました。

ご指摘の点は、まさにそのとおりでございますので、
先ほど、職業欄は選択式ではなく、フリーテキスト入力に
切り替えをいたしました。
(内閣府の意見登録システムは、業者提供の既製
アプリケーションを利用しているため、職業欄プルダウンメニュー
の項目は固定となっております。)

今後とも、当局ウェブサイトを宜しくお願い申し上げます。


男女共同参画局総務課HP担当


> 内閣府共通 意見等登録システム
>
> >
> ご意見、ご感想:まず、第一に、下記の職業欄ですが、「主婦」という表示はお
かしいです。男女共同参画、ワークライフバランスの考え方なら、男が
> 家事に専念しても問題ないわけで、主婦(夫)となっていないと、同じ、配偶者
や子供のために家事に専念するのに男というだけでその他にしなければ
> ならないのはおかしいです。
> それこそ男女の伝統的役割分担を前提にしており、男女共同参画局の設定した分
類としてきわめて不適切です。早急に直してください。」

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マイケルジャクソンの死とアメリカ法

2009年08月28日 | profession
1.死因=involuntary manslaughter
マイケルジャクソンの死因は「他殺」という報道がなされているが、ちょっと日本語のニュアンスとして不正確だと思う。

州によって細かい違いはあるが、アメリカの刑法上、殺人は、以下のように分類されている。

homicide=人を死に至らしめる罪の総称
----1.murder = 謀殺。計画的に殺すこと。
(日本でいう強盗致傷等は、felony murderといわれる)
----2.manslaughter
--------2-1voluntary manslaughter=予め計画したわけではなく、たとえば口論の末かっとなって殺すような場合。州によっては誤認に基づく正当防衛も含む
--------2-2involuntary manslaughter=(業務上を含む)過失致死等

アメリカの刑法では、計画的殺人とかっとなって殺した場合をはっきり違う犯罪として位置付けているが、裁判員制度への批判にも書いたが、日本の刑法では、murderとvoluntary manslaughterを区別せず、199条殺人罪という一条しかない。

アメリカでは、かっとなって殺した場合と謀殺を区別するだけでなく、murder 、manslaughter自体も「それぞれ、1st 2nd, 3rdなど、実に細かく分かれているので、陪審員が事実認定しなければならない対象事実があらかじめ細かく決められている。日本で裁判員制度を導入するなら、刑法の実体法自体も、構成要件をもっと細分化することが必要ではないか。

とにかく、マイケルのケースは、業務上過失致死なので、involuntary manslaughterにあたるのである。日本語の「他殺」というのは、正確ではないと思うのだが。

2.遺書
(1)遺言の時期
遺書は2002年7月7日、マイケル43歳の時に書かれたもので、テレビで「43歳で遺言というのは早すぎる」というコメントをしていた弁護士がいたが、とんでもない。アメリカでは、大して金持ちでなくても、否、借金の方が多いくらいでも、遺言や生前信託をしておくのは常識である。
書店には遺言の作成キットが安価で売っている。

というのも、日本では民法882条 896条によって当然相続主義が採用されている。つまり、被相続人の死と同時に、すべての財産(債務も含む)が法定相続分に従って法定相続人に自動的に分配されてしまうのだ。相続放棄や遺産分割協議によって実際の相続分が変わってくるのは、いったん受け取ったものを二次的に他の相続人に譲渡する、という法的構成になる。つまり、遺言などがなくても、裁判所の関与なく、簡便な方法で相続財産を決めることができる。

これに対して、アメリカでは、当然相続主義はとっていない。遺産はestateという財団のようなものになり、probate courtという裁判所での手続が始まる。相続財産管理人が任命され、会社の清算時のように、新聞等に債権者・債務者が名乗り出るように公告がなされ(新聞にたとえば、Re Late Mr. John Smith's Estateという表題で記事が載るのだ)、すべての債権債務の整理が済んでから初めて相続人に分配される。相続財産管理人への報酬や裁判所に払う手数料がかさむだけでなく、時間も最低半年はかかるそうだ。

しかし、遺言を残していたり、生前信託をしていたりすると、こういう面倒な手続きはいらない、相続人に迷惑をかけることもない。そこで、ごく普通の人でも、遺言や生前信託を利用しており、こうしたことをEstate Plannningと呼び、Law Schoolにもこういう名称の講義がある。

だから、日本の感覚で43歳では早いというのは全く見当違いなのである。

(2)信託
マイケルは、生前信託と遺言を併用している。

I give my entire estate to the Trustee or Trustees then acting under that certain Amended and Restated Declaration of Trust executed on March 22, 2002 by me as Trustee and Trsutor which is called the MICHAEL JACKSON FAMILY TRUST, giving effect to any amendments thereto made prior to my death.

既に生前信託によってアレンジしてあるマイケルジャクソンファミリー信託に、死亡時の全ての財産を新たに移転する、としているのである。このように、生前作っておいた信託財産に死亡時の遺産すべてを追加するアレンジメントをpour-over trustという。

これによって、マイケルの遺産はすべてこの信託財産になり、通常のestateとしての分割手続を免れることができるわけだ。

遺言は莫大な財産家の割に5ページという短い簡単なものだということに驚かされるが、たぶんこの信託設定の際、かなり詳細な信託条項を作成しているのだと思われる。

このように、日本では金融商品のツールという役割を主として果たしている信託制度は、母法国の英国や米国では個人の財産管理の手段なのである。

(3)子供の後見人
報道の通り、第一次的には母であるKatherine Jacksonを子供の後見人に指名し、もし母が自分に先立ったり、辞退した場合は、ダイアナ・ロスを指名している。

マイケルジャクソンの追悼コンサートをテレビで少し見たが、ライオネル・リッチーとかつての恋人だったブルックシールズが出てきたので、ダイアナ・ロスの不在がいっそう違和感をもたらした。

1981年にシールズが主演した映画エンドレス・ラブの主題歌でオスカーも受賞したライオネル・リッチーとダイアナ・ロスのデュエット曲が私が最も好きなデュエット曲だからだ。夫とカラオケに行く度に挑戦するのだが、夫のパートがなかなか上達しない。香港大学でデューク大学ロースクールからの短期留学生のグループの世話役をやったときに、カラオケに行ってアメリカ人学生がこの曲を一緒にデュエットしてくれた
ときは、ものすごくうまくて楽しかったんだけど。

(4)前妻(DJロー)の排除
私は独身であり、DJロー(原文ではフルネーム、以下同様)との結婚は完全に解消している。

私は意図的にDJローを遺産に関する権利から排除する。

というような文言がある。

(5)有効性への配慮
弁護士が付いているのだから当たり前だが、遺言の準拠法、有効性に配慮した条項も散見される。

私は18歳以上である、とか、
カリフォルニアに住んでいるとか(遺言については動産については遺言者の最後のdomicile(日本語には訳しづらいが、生活の本拠地、というようなもの)の遺言法が準拠法になりる)

カリフォルニア州外にある不動産については、という特別条項の存在(不動産についてはその所在地の遺言法が準拠法になることが多いので)

とか、
日本も同様だが複数の遺言がある場合、最後の遺言が有効なので last willと明記してあったり。

物権法の授業で「ニュースを法律から読み解く」コーナーをやっていたのだが、その中で、マイケルの遺言も解説も行い、好評であった。

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点字教室

2009年08月02日 | profession
瀬々准教授(左奥)の説明を受けて点字を学ぶ学生たち。全盲学生の多田さん(左端)もアドバイスしている(京都市左京区・京都府立大)


前期の講義も明日の期末試験で一段落。

物権法の講義ではOxfordでの体験からチュートリアルを導入し、授業の中で扱う判例を学生一人一人に割りふり、発表したもらうのだが、一人ずつ作ったレジュメを持ってきてもらって事前指導し、合わせてその学生が小テスト(ほぼ毎回実施)で間違ったところなどを復習する、等をしていたので、本当に忙しかった。 

久しぶりにブログを更新するが、5月に地元の新聞で記事になったことを貼り付けておく。(実名を出すことについてはもう今更、ということで敢えて隠さない。wikipediaにも出ちゃっているし。何度も言うが、あのウイキの記述は私がしたものではない。私が自分で書いてると誤解している人が多くて本当に困る。そこまで自己顕示欲は強くない。ウイキの編集は一度もしたことがないしIDももってない。詳しい記述だが、誤りもあるので、筆者はそれほど私に近い人ではないと思うのだが。)

冒頭の写真と説明は記事からとったもの。散らかっている研究室の様子も丸見えだが(研究室は前任校よりずっと広いのがありがたい)

この多田君はとにかく明るくて点字教室もいつも笑いに満ちている。
彼の友達が次から次に教室に参加してくれるようになった。

同じ学科の学生が、ボランティア、と肩ひじ張らず、ごく自然に同じ授業をとっている誰かが肩を貸す、という様子を見て、ノーマライゼーションの理想的な姿で、すごくいい感じだなあ、他の学生にもすごくいい教育効果があるなあと感心している。

物権法の受講生で行政書士の資格に興味がある学生が結構いたので、一度女性の行政書士さんをゲストスピーカーに呼んだのだが、彼女もものすごく忙しいのに、点字教室に参加してくれている。

「点字教室からバリアフリーを
京都府立大で開講、全盲学生が協力

瀬々准教授(左奥)の説明を受けて点字を学ぶ学生たち。全盲学生の多田さん(左端)もアドバイスしている(京都市左京区・京都府立大)
 京都市左京区の京都府立大で、教員と学生の点字教室が開かれている。バリアフリーを学び実践するきっかけにしてもらおうと公共政策学部の瀬々敦子准教授(民法・ジェンダー法)が呼び掛け、学生が自主的に集まった。4月に入学した全盲の多田悟司さん(文学部欧米言語文化学科1年)も参加し、点字の「先輩」としてアドバイスしている。

 瀬々准教授は学生時代に点字サークルで活動し、卒業後も在住した香港や前任地の信州大で教室を開くなどライフワークとして取り組んでいる。府立大に昨年着任し、福祉社会について考え、社会で生かしてもらおうと教室を企画した。大学で初めての全盲学生となる多田さんの入学が決まり、「多田さんの学習支援の一助にもなれば」と4月から教室を始めた。

 隔週1回、夕方に瀬々准教授の研究室に1-4年の学生6人が集まり、点字のルールを学び、点訳を練習している。多田さんもクラスメートと参加し、学生が練習で打った点字をチェックしながら間違えやすいところを説明している。

 瀬々准教授は「日常的なコミュニケーションで活用できるので、多くの学生に点字を学んでもらいたい」という。多田さんの学習支援は専任職員の採用など大学が対応を進めており、「学生たちも協力できれば」と期待している。

吉田なつ美さん(福祉社会学部4年)は「もともと点字に興味があり、参加した。社会に出ても役立てたい」と話していた。

京都新聞 2009年5月23日」

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幼時から父は、私によく、金閣のことを語った。

2009年03月27日 | profession
という読点の打ち方に特徴のある書き出しで始まる三島の『金閣寺』を初めて中二の冬に読んだとき、私は衝撃を受け、以来30年以上三島中毒なのだが、そのために京都はずっと私の憧れの町だった。

中学の修学旅行で初めて本物の金閣寺を見たときの感激は今でも忘れられない。

高校の修学旅行でも訪れ、高校の卒業旅行でも、社会人になってからも幾度となく京都を訪れてきた。

はじめに就職した信託銀行は大阪に本店があったので、出張で度々大阪に行き、週末にかかる場合は必ず京都に寄ってくるほどだった。

神社仏閣は、いくら訪ねても非公開文化遺産を見終わることはないし、季節季節で違う顔を見せてくれ、尽きせぬ魅力がある。

初めてこの小説を読んだときは、30余年後、金閣寺からさほど離れていない大學に勤める運命が自分に用意されているとは夢にも思わなかった。

今の大學に転職して丸一年、改めて自分の幸運に感謝している。

元々研究者を目指して大学院に進学したわけではなく、大学卒業後14年も銀行員をしていた。博士号もまだとっていない。修了した大学院は全て海外で、しかも研究者養成コースではなく、いわゆるtaught courseばかり。就職先を世話してくれる指導教員と呼べるような方も国内にいないのに、二度までもコネなし純粋公募で大學に就職することができた。

研究者になるべく長年研鑽を積み、博士号を持っていても、なかなか就職できない人が多い中、申し訳ないくらいである。

また、少子化で定員割れ等、存立の危機に瀕している大學も多い中、学生を尊ぶ気風のある都市の、100年以上の伝統を誇る公立大学であり、予算は寧ろ増やしてくれているくらいで(隣の公立大が知事の方針で予算を大幅に削られているのとは大違い)、潰れる心配はない。

学生もまじめで気骨のある、超一流とはいえないがそこそこ優秀な者ばかり。

こちらが教えられることも多い。

何よりも、同僚がすばらしい。

元々福祉社会学部だったのを、昨年4月の法人化に際し、府から「シンクタンク 機能を果たしてほしい」という要請を受けて、公共政策学部に改組したもので、公共政策学科、福祉社会学科の二学科体制になっている。Facultyのメンバーの半分は福祉、教育、心理といった専門の先生ということもあり、教員会議(教
授会と呼ばずにこう呼ぶことが本学の民主性をよく表していると思う)はとても
なごやかなムードで、前任校であったような派閥の対立など全くない。

福祉をやっているせいか、やさしく思いやりのある人が多い。

私はおよそ研究者であれば、専門の如何を問わず、真善美の追求を目標にするものだと信じてきて、前任校では悉くそれを裏切られたわけだが、この大學では、それを再び信じられるようになった。

前任校では「何が自分の得になるか」で動く者ばかりだったが、ここでは「正義とは何か。理想の社会とは何か」をまじめに議論し、それに近づこうという行動原理が支配している。

学部長は経済が専門だが、「ベーシック・インカム論」という極めて理想主義的な理論の第一人者で、非常にリベラルな雰囲気の中で、同僚の方それぞれが立派な
研究業績をもち、共同研究会を定期的に開催するなど、研究面でも尊敬できる方ばか りである。

学部長は自分の研究・学生の指導に加え、改組したばかりの学部の長の仕事、法人化間もないために必要な府との様々な折衝など、本当に大変だろうに、全てまじめにやってくれる。教員個人の問題にも誠実に対応してくれる。私が悩みを相談したときの真情あふれる対応には涙が出た。

どこかの大學の研究科長が前期試験の採点を2月までしなかったり、書いてもいない論文を書いたと文科省に虚偽の申告をして停職3ヶ月をくらうようなのとは、比べること自体が失礼だ。

学部長は演劇フリークでもあり、年間60本見るといい、新進の劇作家の情報を教えてくれたりもする。

上司を尊敬・信頼するという当たり前のことが、やっとできるようになった。
(銀行時代にももちろん尊敬できる上司はいたが)

また、以下のように、大変学生思いで、学生に対して親身な指導をしている。

○ 前任校ではゼミの担当教員が自動的に卒論指導もしていたところ、ここで
は、卒論のテーマを提出させ、教員会議でひとりひとりについて、どの教員がふさわ しいかを検討して決める。副査もついて口頭試問を行う。(私も初めて副査を務めた。勉強になった。)
○ 卒論については、4年生全員が、最終報告のみならず、公開中間報告会も行う。
○ 大学院生については、構想報告会、中間報告会、最終報告会を行う。
○ 普通は上級生が企画する新入生ガイダンス合宿を大学が主催し、教員全員が参加する。
○ 教員会議の最後に必ず学生の動向についてという議題があり、「○○さんは 最近あまり講義に来ていないようですが、どなたか事情をご存知の先生はいますか?」といったような情報交換がなされる。

まあ、多少過保護すぎないか、と思わないでもないが、学生の成長を直に感じることができるのは教師の醍醐味でもある。

国際的な経験を頼りにされ、 今年度に初めてできた全学の国際交流委員会や留学生委員会の委員を命じられ、交流規程の策定など、実質的な役割を果させていただき、大変だけどやりがいのある毎日だ。

事務の人も、前任校では3,4人がかりでやっていたような仕事を1人でこなしているのに、事務処理能力が非常に高く、的確でミスも少ない。

やっと研究に打ち込める環境になったので、健康と相談しながら(前任校で受けた非人道的な仕打ちが時折フラッシュバックする。法曹養成機関〔合格者0なのでまだ養成していないが〕とは思えないような反社会的な事件の数々ははいずれ洗いざらい発表するつもり)腰を落ち着けて代表作と呼べるような論文を執筆しようと考えている。

四季折々の京都の美しさも堪能している。
祇園祭、大文字、時代祭り、紅葉。
大学の隣にある植物園は教職員は無料で入れるので、常に美しい緑に囲まれている。すぐ近くに流れる鴨川の河原も息を飲むほど美しい。

夫の仕事の都合で(夫は来年度も今のポストに留任することになったので、来年の3月まではここに住むことになる)住んでいる大阪難波も住めば都。

自転車でいける範囲にある四天王寺、住吉大社、十日戎、引退前の道頓堀食い倒れ太郎、それ以外にも岸和田だんじり祭り、石切剣箭神社でのお百度詣なども経験した。

少し足を伸ばせば奈良、東大寺お水取りや大神神社ご神体への登拝(『奔馬』に出てくる)、山之辺の道の散策、三熊野詣、白浜での海水浴など、関西に二人でいてこそできる体験を楽しんでいる。

自分は今まで不幸なのが当たり前だと思ってきた。
しかし、司法試験で留年している間に男女雇用機会均等法が施行されて4年生の秋まで就職活動もしなかったのに銀行に総合職として就職でき、バブルの恩恵で派遣留学もさせてもらった。

留学から帰ってきて法務部に戻りたいのに国際関係の部署で働いて4年、不祥事のためにコンプライアンスの強化を目指した都市銀行が会社設立以来初めて中途採用の募集をし、採用してもらって金融法務学界をリードしてきた有名な法務部で弁護士でもある上司から鍛えられ、法律雑誌に論文をたくさん発表させてもらった。

夫の海外赴任で一度は専業主婦になったのに、ロースクールバブルのおかげで、いきなり国立大学に就職でき、そこで辛酸をなめたが、今度はすばらしい職場に恵まれた。本当は感謝すべき幸運にも恵まれてきたのかもしれないと思う。

物好きな誰かがwikipediaで私の項目を詳述し、ブログもリンクしたりしているので、採用される際、前任校で内部告発者と疑われ迫害されたことは学部長は知っていたかもしれない。否、知っていたのではないかと思う。

というのも、採用面接の際、夫が京都出身だと向こうが知っていたので驚いたが、応募書類には夫の出身地どころか既婚かどうかすら書いていないのだ。また、「あなたの今いる大学の申請における不祥事のせいで、改組一般の申請が厳しくなって参っている」ともおっしゃっていた。

であれば、私を採用してくれたことを後悔させないように、頑張るしかない、と思う。一年の間には「あれ?これはおかしい」と思うこともあったが、それに対する学部長の処理も見事なものだった。それで間違ったことは間違ったことだといえる所だとわかったので、良心の葛藤はない。

職場において誠実に努力していさえすれば報われると信じられるほど幸せなことがこの世にあるだろうか。


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国籍法改正

2008年12月10日 | profession
2008年6月4日の最高裁の違憲判決を受けて、改正国籍法が12月5日に成立した。

1.最高裁判決の意義
すなわち、現国籍法3条1項によると、日本人を父とし、外国人を母として誕生した婚外子(非嫡出子という言葉は政治的に正しくない)については、認知後、父母が婚姻しなければ日本国籍を取得できなかった。

もっとも、生前認知によってなら日本国籍が取得できるので、柳美里も妻ある恋人との間の子に日本国籍を与えるために、出生前に不実な男に認知手続をしてもらう苦労や、区役所での対応の冷淡さを「命」シリーズで切々と描いていた。

「命」シリーズについては下記のエントリーを参照。

http://blog.goo.ne.jp/otowa1962/e/f31d26632cce6085733c82502578cf29

フィリピン人が母親のケースで、この条文が憲法14条に違反し違憲無効だと争われたケースで、最高裁が10対5で違憲判決を出したのである。

最高裁は実は違憲判決を出すことについては非常に謙抑的で、特に14条違反と認めたケースは、過去、尊属殺についてのものと、一票の価値に関するものの二例だけであった(そんなことも知らずに素人が人権でもないものについて14条違反の訴えを起こし、当然のように負けると、イデオロギー上の理由だというのが笑止である)。在外邦人の選挙権の問題すら、14条違反という主張は取り上げず、15条(選挙権)違反という理由で違憲としたのである。

だから、この違憲判決は憲法上非常に意義のあるものだといえる。

また、この判決は、さらに一歩進んで、国籍法が国籍取得を認めていないケースに国籍取得を認める判決を出せるとまで多数意見は述べて、「司法による立法権の侵害では?」という批判を呼んだ。

この点について、多数意見は、父母の婚姻という要件を不要と解釈することにより、合理的理由のない差別の解消が可能となるとし、これは本件区別に係る違憲の瑕疵を是正するため,国籍法3条1項につき,同項を全体として無効とすることなく,過剰な要件を設けることにより本件区別を生じさせている部分のみを除いて合理的に解釈したのであって、立法作用を侵すことにはならないとしている。

2.仮装認知への対策
これを認めると、仮装認知による不正な国籍取得が増加するのではないか、という批判があるが、多数意見は、

「なお,日本国民である父の認知によって準正を待たずに日本国籍の取得を認めた
場合に,国籍取得のための仮装認知がされるおそれがあるから,このような仮装行
為による国籍取得を防止する必要があるということも,本件区別が設けられた理由
の一つであると解される。しかし,そのようなおそれがあるとしても,父母の婚姻
により子が嫡出子たる身分を取得することを日本国籍取得の要件とすることが,仮
装行為による国籍取得の防止の要請との間において必ずしも合理的関連性を有する
ものとはいい難く,上記オの結論を覆す理由とすることは困難である。」と述べた。

また、国籍法改正においては、この懸念を配慮して、日本人男性に金銭を払うなどして虚偽の認知をしてもらい国籍を取得する「偽装認知」を防ぐため、偽装認知による届け出を行った場合は1年以下の懲役または20万円以下の罰金を科す規定を新設した。

3.他の婚外子差別撤廃の可能性

私が期待するのは、この判決が以下のように、婚姻した者としない者の区別は、国籍法成立時は合理性があったが、今日の社会情勢や結婚観の変化や、諸外国で法律婚の選択率が低下し、婚外子が増加していること(実際に事実婚でも法律婚と同様の法的扱いがなされている国が特にヨーロッパに多い。だからアレジと後藤久美子は事実婚だし、私のオランダ人の友人Judithの娘さんも事実婚で何人か出産し、クルム伊達公子は、結婚するとき、クルム氏の姉に「なぜ法律婚にこだわる必要があるのか」と(結婚に反対するという意味ではなく)といわれたそうである。キリスト教国では、日本ほど離婚が簡単でなく、そのかわりに日本ではかなり限定的な「婚姻無効事由」に日本だと離婚事由になるものが入っていたり、事実婚がより好まれるという事情も考慮すべきだと思うが)から、遅くとも今回の国籍取得届が提出された2005年までには違憲状態になったとしたことにより、他の婚外子差別(相続分が婚内子の半分という民法の規定など。東京高裁では違憲判決が出たが、最高裁では合憲とされている)が、今後違憲と判断されるのではないか、ということである。

儒教色の強い韓国でも、日本民法を基本にしているが、婚外子差別の規定は元々なく、離婚後の妻のみの待婚期間の規定は2005年に廃止され、2008年には婚姻年齢も男女ともに18歳になるばかりか、戸籍制度さえも廃止され、「家族関係登録制」にかわるなど、日本は後塵を拝する状況になっている。

「おわゆるM字型カーブ現象は日本と韓国ぐらい」、と説明されており、「男女差別についてはまだ韓国という下位の国がある」という認識を日本の男女共同参画関係者はもっているようだが、とんでもない。韓国は2002年に地方議会選挙で、2004年には国政選挙で女性議員50%のクオータ制を導入しており、アジアの中で最も男女差別のある国に日本は今やなっているのである。

判決文の引用(一部)
「国籍法3条1項の規定が設けられた当時の社会通念や社会的状況の下にお
いては,日本国民である父と日本国民でない母との間の子について,父母が法律上
の婚姻をしたことをもって日本国民である父との家族生活を通じた我が国との密接
な結び付きの存在を示すものとみることには相応の理由があったものとみられ,当
時の諸外国における前記のような国籍法制の傾向にかんがみても,同項の規定が認
知に加えて準正を日本国籍取得の要件としたことには,上記の立法目的との間に一
定の合理的関連性があったものということができる。

ウしかしながら,その後,我が国における社会的,経済的環境等の変化に伴っ
て,夫婦共同生活の在り方を含む家族生活や親子関係に関する意識も一様ではなく
なってきており,今日では,出生数に占める非嫡出子の割合が増加するなど,家族
生活や親子関係の実態も変化し多様化してきている。このような社会通念及び社会
的状況の変化に加えて,近年,我が国の国際化の進展に伴い国際的交流が増大する
ことにより,日本国民である父と日本国民でない母との間に出生する子が増加して
いるところ,両親の一方のみが日本国民である場合には,同居の有無など家族生活
の実態においても,法律上の婚姻やそれを背景とした親子関係の在り方についての
認識においても,両親が日本国民である場合と比べてより複雑多様な面があり,そ
の子と我が国との結び付きの強弱を両親が法律上の婚姻をしているか否かをもって
直ちに測ることはできない。これらのことを考慮すれば,日本国民である父が日本
国民でない母と法律上の婚姻をしたことをもって,初めて子に日本国籍を与えるに
足りるだけの我が国との密接な結び付きが認められるものとすることは,今日では
必ずしも家族生活等の実態に適合するものということはできない。

また,諸外国においては,非嫡出子に対する法的な差別的取扱いを解消する方向
にあることがうかがわれ,我が国が批准した市民的及び政治的権利に関する国際規
約及び児童の権利に関する条約にも,児童が出生によっていかなる差別も受けない
とする趣旨の規定が存する。さらに,国籍法3条1項の規定が設けられた後,自国
民である父の非嫡出子について準正を国籍取得の要件としていた多くの国におい
て,今日までに,認知等により自国民との父子関係の成立が認められた場合にはそ
れだけで自国籍の取得を認める旨の法改正が行われている。

以上のような我が国を取り巻く国内的,国際的な社会的環境等の変化に照らして
みると,準正を出生後における届出による日本国籍取得の要件としておくことにつ
いて,前記の立法目的との間に合理的関連性を見いだすことがもはや難しくなって
いるというべきである。

(3) 以上によれば,本件区別については,これを生じさせた立法目的自体に合
理的な根拠は認められるものの,立法目的との間における合理的関連性は,我が国
の内外における社会的環境の変化等によって失われており,今日において,国籍法
3条1項の規定は,日本国籍の取得につき合理性を欠いた過剰な要件を課するもの
となっているというべきである。しかも,本件区別については,前記(2)エで説示
した他の区別も存在しており,日本国民である父から出生後に認知されたにとどま
る非嫡出子に対して,日本国籍の取得において著しく不利益な差別的取扱いを生じ
させているといわざるを得ず,国籍取得の要件を定めるに当たって立法府に与えら
れた裁量権を考慮しても,この結果について,上記の立法目的との間において合理
的関連性があるものということはもはやできない。

そうすると,本件区別は,遅くとも上告人らが法務大臣あてに国籍取得届を提出
した当時には,立法府に与えられた裁量権を考慮してもなおその立法目的との間に
おいて合理的関連性を欠くものとなっていたと解される。

したがって,上記時点において,本件区別は合理的な理由のない差別となってい
たといわざるを得ず,国籍法3条1項の規定が本件区別を生じさせていることは,
憲法14条1項に違反するものであったというべきである。」

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