夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

呆れてものがいえない…そして絶望

2006年06月13日 | profession

昨年の不祥事だが、まだ終わっていない。というのも、当事者が全く反省していないとしか思えない、客観的事態が出来したのだ。

まず、昨年、学内の調査委員会によって発表された不祥事の実態が報道された内容から。

「○大法科大学院設置申請書類疑惑で調査報告 停職などの処分
(2005年6月08日18時33分 ○BCニュース)

○大学法科大学院の設置申請書類の疑惑について大学側は、文部科学省に申請した教授の経歴の中に虚偽の記載があったとの調査結果を発表し、Y前経済学部長を停職にするなど処分をしました。

大学では3月末に文部科学省から指摘を受け調査を進めてきたもので、去年6月に提出した経済学部のY前学部長ら5人の教授の経歴書で、執筆中の論文を完成済みとして記載したということです。

5人は9月までには論文を完成させたものの、Y前学部長ら2人の論文は、文科省への申請時に提出した論文の概要を、完全には網羅していませんでした。

大学は調査結果を受けY前学部長を停職3か月に、また、設置申請の実務責任者だった教授を減給2か月の懲戒処分にしました。

調査の担当者は「法科大学院に多くの教員を確保しようと、研究実績の積み増しを図ったのが要因」としています。」

この第3パラグラフの後半を読んでほしい。
「Y前学部長ら2人の論文は、文科省への申請時に提出した論文の概要を、完全には網羅していませんでした。」という部分の意味がわかりづらいかもしれないので解説しよう。

罪状の第一は、掲載予定証明書が虚偽だったことだ。
2004年6月30日に文科省に提出した設置申請書の一部になっていた各教員予定者の個人調書の中の「業績一覧」に載せた論文リストの中に、「2004年8月に発刊される予定の○大法学論集第4号に掲載する予定で、既に原稿は提出しています」ということで論文を入れていた12名の教員予定者のうち、5名が、その「掲載予定証明書」を他の申請書類とともに提出した6月30日の時点で、まだその論文を完成していなかったという点だ。

そのうち、Y前学部長を含む2名には、罪状の第二がついているのだ。
つまり、他の3名は、原稿完成は6月30日には間に合わなかったものの、一応、「業績一覧」に書いたとおりの完結した論文を法学論集第4号に掲載している。

しかし、この2名は、業績一覧の「論文の概要」欄では、「○○の多様化と××の諸課題」「△△と◇◇」と題した論文の「『はじめに』から結論まで書いた」と申告しながら、とうとう原稿を最後まで書くことができず、第4号には、それぞれ、「その1」しか掲載していないのだ。

彼らが、文科省に対して、、「○○の多様化と××の諸課題」「△△と◇◇」という論文の完成版を書きました、と誓約してから丸2年たとうとしている。
しかし、彼らはこれらの論文をいまだに完成させていない。


そのチャンスは彼らに2回もあったのだ。
最初は、2005年3月に、法学論集第5号が出たとき。このとき、紀要委員が、「4号に『その1』しか書いていない人は早く完結させてください」と再三督促したにもかかわらず、この二人は、全く論文を書かなかった。
私を含む3名しか投稿者のいない、薄ーい出版物になった。
このときに完成させていれば、6月30日に脱稿していたんだけど「紙幅の関係で第4号には全文載せられなかった」とでも言い訳できたのに。こんな薄い第5号に「紙幅の関係」というのは無理があろう。
でも、この時点では不祥事は発覚していなかったから、辻褄あわせをする努力すら怠ったのだ。

2回目のチャンスは、2006年3月に法学論集第6号が出たとき。
このときは、さすがに拙いと思ったのか、一応書いた、書いたが、それぞれ、「その2」であって、Yについては、「その1」の冒頭に載せた目次の第1章から第5章まであるうちの、第3章だけ(しかも15ページ分のみ)、もうひとりについては、同様に、第1章から第8章までのうちの、第4章から第6章だけである。

とくに、Yについては、停職3ヶ月の間、いくらでもこの論文を完成させる時間はあったろうに、一体何をしていたのだろうか?

これらの論文は、もちろん、公開されている資料なので、読者の方もぜひ見て(読んでではない)ほしいが、これらは、「その1」の冒頭に掲載した通りの目次を踏襲しているから、執筆途中で構想が大いに変更したわけでもなく、考えあぐねて完結できないような種類の論文ではない。とくに、後者のものは、法律の論文でありながら、注が一つもないような驚異の文章である。

常人の神経なら、一日も早く論文を完結させるだろう。
もはや研究者であるということをアイデンティティと感じていないのだろう。

全国紙で実名で報道されているからここに書いても守秘義務違反ではないし、刑法230条の2により名誉毀損にもならないことを予め断った上であえていえば、このもうひとりは、当時の理事兼教授である。

そして、報道されているように、彼は、「処分」を一切受けていない。
理事兼教授だったのが理事を辞任し、経済学部兼法科大学院だったのが経済学部専任になっただけで、Yや、罪状その1しかないのに減給処分になったCとちがって人事記録は全く汚れていない。そのうえ、理事退任と当時に「学長補佐」という要職を学長から拝命している。これから他の教員について懲戒処分をする際には、悪い前例になるだろう。

元理事の方は、この前に書いた最後の「学術論文」は、1990年のジュリスト別冊『○○法の争点』の一項目だというのだから尚驚く。この16年、○○法でどのような激動があったか…。

私ですら14年間の銀行員時代および外交官夫人という名の専業主婦だった2年間を含めて大学卒業から19年で40点以上書いているのに。
(私より一回り年上で同じ銀行員出身であるが、全部で10点未満の現研究科長<彼がなぜ学部で教えていた会社法を法科大学院では教えず、新任の若い助教授が教えているかは読者のご想像にお任せする>に「数ばっかりあっても質が良くなきゃ却って恥をかく」と公の場で嫌味を言われたことがある<自分だって4号に「その1」、5号を飛ばして6号に「その2」しか書いていない癖に>が、あの査読の厳しいジュリストにだって、判例評釈じゃない長いEU法の論文を上下2回に分けて掲載されているんだぞ。)

これも既に報道されていることだからいうが、不祥事を再発させないために法科大学院内に作った「コンプライアンス委員会」の委員として、昨年の11月に、現研究科長が、処分を受けた5名のうちの1名を指名して、設置審が不快感を表明したのに今もって交代させていないのも、現在の姿勢を物語っているだろう。

そういう人間たちが、何事もなかったかのようにしゃあしゃあとしているのをacceptするカルチャーがここにはあるのだ。
そのことに関する私の絶望は言葉では言い表せない。

「不祥事をリークした犯人を血祭りに挙げろ」なんて不毛なことをやる前に、研究者として最低限のことをやってほしい。

本学の名誉を貶めたのは不祥事を起こした者たちではなく、それをマスコミにリークした人間だと大学のかなり偉い人も発言しているようで、それによってひどい人権侵害がそう疑われている人物に対して行われている。(なぜ私がこの記事を書いたか察してほしい。いずれその人権侵害の全容も何らかの形で発表したいと思う)
しかし、今回のことで、誰もリークしなかったとしても、申請してから2年たってもそのとき脱稿していたはずの論文が未完成だったらいずればれたであろうことがはっきりしたであろう。

お門違いないじめは大学にとって恥の上塗りだ。

大体、彼らが学部専任に戻されたのに自分からは辞めないで居座っているから、予算もないのに(今年の法科大学院教員の個人研究費は、交通費、書籍代等全て込みで1人5万円である)、法科大学院でそれぞれの科目の専任教員を純増で雇わなければならなくて、結果、学部と法科大学院で、常勤教員が、民法5人、行政法3人、労働法2人、なんてバランス悪すぎる状態なのではないか?完全にリダンダントになっている分非違行為をした人間の授業負担が軽くなって得するというのも変ではないのか?

私を陥れたい人間がたくさんいるようだが、ここに書いたことはいずれも既に報道されている事実か、公開の資料に依拠するものである。何かできるものならやってみなさい。


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