夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

サッチャー元首相亡くなる(後輩として)

2013年04月09日 | Weblog

サッチャー元首相が亡くなりました。
実は、Oxfordでは、彼女と同じSomerville College(学生は学部を問わずどこかのCollegeに必ず属す)にいました。

ノーベル化学賞受賞者ドロシー・ホジキンが彼女のチューター(同大学では毎週一回教員=tutorが個人指導をし、tutorialと呼ぶ。私も現在民法の授業で取り入れている)だった。ホジキン以外もインディラ・ガンジーもこのカレッジにいた。

私が在学していたとき(1992ー1993年)は、「女性初の首相を出したことに誇りをもっているでしょう?」とnaiveにも、当時住んでいた院生寮公共スペースで友達(何人かとは今でも誕生カードとかやりとりしいる)にきくと、みな困ったような顔をして、「大学の予算を大幅に減らしたし、保守的で女性が困るようなことをした。きっと大金持ちと結婚したので高額でシッターを雇えるから働く女の大変さもわからないのよ。だから、歴代首相の中で唯一名誉博士号をもらっていない卒業生なのよ。」と評判は悪かった。

Margaret Thatcher Conference Centreを作るときも、名前を入れるのに反対した人がたくさんいた。(確か、はじめはDorothy Hodgkin & Margaret Thatcher Conference Centreとするという案だったのでは?でも結局彼女一人の名を冠することになった)

でも、カレッジでは半旗にして追悼の意を表している。カレッジからきたレターの一部を以下に。(カレッジが保守化したのでなく偉大な卒業生への礼節なのだと思いたい)

また、彼女のカレッジへの直筆レター
http://www.some.ox.ac.uk/CMS/files/Thatcher%20Letter%20open%2019790001.pdf


Baroness Thatcher (Chemistry, 1943) has died today, aged 87

08 Apr 2013

It is with great sorrow that we have learned of the death of Margaret Thatcher, Baroness Thatcher of Kesteven, this morning at the age of 87.

Baroness Thatcher, then Margaret Hilda Roberts, arrived at Somerville College in 1943 to study Chemistry. Raised in modest circumstances above her father's shop in Grantham, the young Margaret impressed her teachers with her passion for scholarship. Her tutor at Somerville was Dorothy Hodgkin, to date the only British woman to have won a Nobel Prize for science (in her case, Chemistry). Margaret's academic work was strong, and College records show that she was recommended for several grants and prizes, and an Exhibition. She also became President of the Oxford University Conservative Organisation.

Since her graduation in 1947, Somerville continued to enjoy a warm relationship with Baroness Thatcher; she was elected to an Honorary Fellowship of the College in 1970. She maintained a particularly close friendship with our former Principal Daphne Park. It is largely thanks to the visionary fundraising activities of Baroness Park that the College was able to build its Margaret Thatcher Conference Centre, which was officially opened by her in 1991. Further successful fundraising campaigns led us to establish The Margaret Thatcher Fund, which now incorporates several exciting initiatives.

Somerville College sets students from all backgrounds on paths to future success. We are immensely proud to have educated Britain's first - and so far only - female Prime Minister and one of the most internationally significant statespeople of the twentieth century. On this sad day, we pay tribute to the truly pioneering spirit that propelled her to the pinnacle of British political, and public, life.

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地震後の東京

2011年04月13日 | Weblog
いわきで大きな余震があったので、いわきの恩師に久しぶりに電話したら、「昨日、5月号の原稿を書いていたら地震が起きて、1時間ほど停電しました。送っていただいたろうそくが役に立ちました。ありがとうございます。」といわれた。「危ないからお願いだから東京のご自宅に避難してください」と懇願しても、地震ごときでじたばたすること自体、抵抗がおありになるようだ。謹慎中の歌舞伎俳優は妊娠中の妻と福岡に避難し、ミネラルウォーターを買い占めては東京の自宅に送っているというのに。

話が夫の根津の新しく借りたマンションの話に及ぶと、「何階ですか?」「1階です」「エレベータのことが問題なくていいですね」「先生のお宅は12階ですけれどエレベーターが止まったりするんですよね」「止まるけどすぐ修理してくれるので助かっています」
もう何もいえない。


4月2日、コンサートで元気をもらってから、帰宅し、夫と高速バスで東京へ。引越の手伝いのため。

3日に着いて、多慶屋で買い物していたら、二人の携帯が突然防犯ブザーのようなすごい音を立て、見たら、「茨城で地震発生」という非常連絡だった。そういう設定をした覚えはないが、ドコモのサービスでやっているらしい。そのとき東京は揺れてはいなかったが。

意外な影響が、自転車が品薄で買えなかったこと。工場が東北に多いせいらしい。

スーパーで牛乳やヨーグルトがなく、逆に冷凍食品が半額になっていた(計画停電の可能性があるため買い控えているらしい)。

駅ではエスカレーターがほとんどすべて停止、銀座駅も終電後と見まがうばかりに暗い。

根津は、大学への通学で使っていた駅で、研究会や調べ物でよく母校の東大に行くので頼んで近くのマンションを選んでもらったのだった。

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カミングアウトします。

2011年04月13日 | Weblog

阪急梅田駅で宝塚宙組が募金活動をしていた。

この1年くらい、初めて若いアイドルのファンになり、初めての経験に自分でも戸惑っている。

今まで若い異性の芸能人を好きになったことがなかったからだ。

十代の頃は、私より7歳年上の新御三家、西城秀樹、郷ひろみらの全盛時代だったが、全く興味を持てなかった。
自分より20も年上の北大路欣也とか、近藤正臣とか、田村亮(芸人でなく田村さん兄弟の末っ子の方。二谷友里恵(私より2歳下。トライの現社長なので父親をCMに起用していると思われる)も十代のとき彼のファンだったと知ってちょっと驚いたが)とかが好きで、彼らの出るドラマを一生懸命見ていたのだった。とにかくおじさん好きだった。

唯一、『岸辺のアルバム』を見ていいと思った国広富之も、高校時代、彼に惹かれて『噂の刑事トミーとマツ』を見るうちに、係長役の林隆三(やはり私より19歳年長)の方がずっと好きになってしまった。(そういえば、このドラマの婦警役で人気の出た石井めぐみを久しぶりにTVで見た、と思ったら、椿鬼奴という女芸人だった。本当にそっくりだと思いません?年齢だいぶ違うけど。)

後は自分も20代後半、30代になってから、年齢の近い真田広之、堤真一、上川隆也、内野聖陽を好きになり、舞台や映画、ドラマは欠かさず見ているが、これは若いアイドルとはいえないだろう。藤原竜也を好きになったのも、『身毒丸』の舞台を見てその演技力に感心したからだった。

ところが、ここ1年くらい、あるアイドルにはまってしまった。
はじめは、出身地が近いとか、母子家庭で苦労した生い立ちとか、アイドルやりながらそこそこいい大学を卒業して偉いとかそういう感想しかなかったのが、いつの間にか、はまっていたのである。

夫には「目指せ、マルグリット・デュラス(それほど年齢差ないし才能も金もないけど)!」とかいって呆れられている。

彼の母親より自分の方が年上と知ってなおショックであり、また、学生に知られたらみっともないと思い(とくに男子学生が引くのではないか、研究室にポスター貼ったりしたらセクハラにならないか、とか)、はっきりいわなかったが、先日、同じ学部の女性教職員とちょっとしたパーティーをしたとき、「いいじゃないですか、別に」といわれ(とくに韓流にはまっている先生に)、ブログに書くことにした。

以下は、ファンにしかわからないしょーもないコメントなので、興味のない人はパスしてください。


彼のコンサートに、昨年の1月に続き、4月2日に行ってきた。ファンクラブに入っている学生がチケットを取ってくれたのだった。

大阪城ホールの周辺は独特の盛り上がりで、そういえば、数年前、後楽園の歩道橋の上で、やはりジャニーズの彼の属すグループのコンサートの直前でうちわをもってすずなりになっている若い女の子たちを見て、「よくやるわね」と思っていたのに、まさか自分がその集団の一部になるとは夢にも思わなかった。

やっぱり、人間は、年相応の時に年相応の経験をしておかないと、後で怖いとつくづく思う。

席は、楕円形の長い方の端、メインステージのちょうど真向かいの2階席の5列目だったが、そのためにサブステージがすぐ側にあり、そこに何回もきて歌ってくれたので、3メートル以内くらいで間近に見られて大興奮だった。間近で見ると、不規則な生活だろうに肌がきれいなのに驚き、そしてそう思う自分のおばさんさ加減に自分でちょっと引く。

私の席は通路の脇だったので、通路に出て思いっきり手を振ったら、目があった(ような気がした)。
中央の舞台もメインステージも肉眼でもかなりよく見えて、やっぱり大阪城ホールはすごくお得だと思った。
今までサザンやユーミンのコンサートに行った東京ドームや代々木体育館、横浜アリーナ等は、ものすごく広く、S席でアリーナでも後ろだと豆粒くらいにしか見えないからだ。

去年とは比べものにならないくらい、力が入っていた。
アンコールも「特別サービスですよ」といって2回もやってくれた。

以下、覚えている限りのことを書いてみる。

1.コンサートのセットやグッズのデザインは、ドラゴンを中心として赤と青で渋く統一、香港ぽいイメージで、このアジアツアーが1月29日に香港でスタートしたという特徴が際立っていた。

2.スタートは、中央ステージでスッポンから登場、いきなり「抱いてセニョリータ」、続いて「青春アミーゴ」と、大ヒット曲を前座のように先に持ってくることに、このコンサートにかける意気込みが感じられた。

3.去年よりはるかにたくさん観客の側に行き、手を出した観客のほとんどと握手してくれた。

4.「今日は、幅広い方にきていただいて、ちびっ子から (ここでしばらく言葉を選んでいたのか沈黙)熟女のお姉さんまで」というのがおかしかった。私と目があった(ような気がする)のは関係ないと思うけど。そう思ったおばさんは会場にたくさんいるのでは。

5.MCも面白かった。しゃべりは苦手らしく、「つたないMCの時間です。今日は質問を何でもうけることにします」かなり率直に答えていた。

Q「Super Good とSuper Bad、どちらが好きですか?」(40代くらいの人を選んでマイクを向けてあげていた)
A「Super Badですね。Super Goodは社長が選曲したので、少し古いですね。ずっと、『You、これやっちゃいなよ』といわれたことをいろいろやってきましたから、いいんですけどね。」

ちなみに私もSuper Badの方が好きだ。ユーロビート調の曲が楽曲としてできがいいと思う。
スローなバラードは彼の歌唱力と声量では少し無理がある。ただし、声量がない分、歌声が話す声に近いので、ファンにはたまらない、ともいえる。

Q「今回のアルバムの中で一番好きな曲は?」
A「そうですね、Party don't stopがノリがよくて好きですね」

Q「夕べ何をしてましたか?」
A「ミュージックステーションを見てました」(しかし、その番組は19時から生放送だから生では見られないはず。わざわざ録画していたのかな?ちなみに、この回は「元気が出る曲ベスト200」がテーマ。「青春アミーゴ」が69位あたりに入っていたと思う。それに、よく見ると、キンキやJ Friendsのバックでジュニア時代に踊っているのを発見)

「みなさん、ほかの歌手のパフォーマンスを見ているゲストの様子を画面の隅で丸の中で写すじゃないですか?僕、昨日それを見てたら、淳之介はノリノリでで頭を振りながら一緒に歌ってました。今度あいつが出たら注目してみてください」

Q「誰と仲がいいですか?」
A「そうですね。昨日亮ちゃんと飯食いましたね」

Q「もうすぐ結婚するんですけど、どんな結婚式がしたいですか?」
A「結婚のことはまだ考えられないですね。」わざわざカメラ目線で力強く「結婚はまだまだですからね」と念を押した。

Q「関西弁で好き、っていってください」
A「(大声で)めっちゃすきやねん!」(かなり目立つ赤いリボンとコスチュームの二人の女の子。「Love you 10 years」というカードをみて)「長い間ファンでいてくれてありがとう」(本人たち、感極まって泣き出す。すごく若い時代のうちわをとりあげて)「わー古いですね、このうちわ、完全に目が死んでますね」

Q(欠食児童とは正反対の体型の小学生の男の子)「どうしたらジャニーズに入れますか?」(会場、大爆笑、仕込んだんじゃないかと思うくらいはまった質問だった。)
A「そうですね、踊って踊って、踊り続ければなれますよ」

6.バックで踊っていたFIVE一人一人に質問。「趣味は何ですか?」釣りという子に、「シゲも最近釣りにはまってて、あいつ、暇だから釣りばっかり行ってるみたいなんですよ。今度テレ東でレギュラー始まるらしいのでみんな見てくださいね」(ちょっと残酷かなと思ったけど)

7.「昨日名古屋で始まって」というコメントにはちょっとブーイング(前の日から大阪でスタートしたから)

8.「後半で、80年代歌謡曲みたいな『罪と罰』という曲で、皆さんにグーパーしてもらいます。みんな、ここには僕と皆さんしかいないんだから恥ずかしがらないで」

9.外国でのツアーで日本らしさを出すために、後半のはじめは、鬼の面を被って登場して剣舞。

10。歌はともかく、踊りはやっぱりすごい。激しく踊りながらでも歌うときに息が切れないのも訓練の賜と思った。

11。通常のアンコールの後、「本日の公演はこれですべて終了しました」アナウンスが流れ、前日の代々木体育館での募金活動のビデオが流れた(朝イチで代々木に行ってから大阪に来て夜のコンサートをやった模様)が、あまりにも長く続く「山P」コールに答え、Tシャツ姿で登場、「本当に特別ですよ」といいながら、「ゴメンネジュリエット」を歌ってくれた。

12 去年は、ほとんど曲を知らなかったが、今回はアルバムを買って、移動中(電車の中は除く)ひたすら聴いて予習していたので、マイクを会場に向けられたとき、他の客と一緒に「最後のラブソング」を合唱できた。こういう一体感はすごいと思った。


彼は情熱大陸に出演したとき、「僕は男だからずっと仕事をしていきたい、小さい頃、お母さんが働いていて本当にかわいそうだった。女の人にそんな思いをさせたくない」といっていた。母親を助けるために自ら希望して小学校5年生で事務所に入り、今までひたすら努力してやってきたわけである。


「こんな時期だからこそ、今日は一日楽しく過ごしてください。皆さんあっての僕です」
ファンに触られまくってちょっと苦笑もしていて、「仕事と割り切ってアイドルしてるんだろうな。ホントは彼女以外には触れられたくないし、もっと遊びたいんだろうなあ。健気だなあ。いじらしいなあ」と思った。彼にとっては、有名になるとか、ちやほやされることは二の次で、とにかく11歳の時からアイドルは母親を助けるためにお金を稼ぐ手段、勤労青年なのである。
そして、どんなに明るくふるまっていても、そのたたずまいに哀しみや影がつきまとうのはなぜなのだろう。

手抜きのないパフォーマンスとサービス精神、プロ根性がすごいなと思った。

それに引き替え、私は、分野は180度違うけれど、彼ほどプロフェッショナルな仕事をしているだろうか、と考えさせられた。
私もいろいろ辛いことがあっても、もっと仕事を頑張らなければならないな、とものすごく勇気づけられた。

アイドルとは、元気づけ、鼓舞してくれる存在、それでいいのではないだろうか。

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火事場泥簿

2011年03月25日 | Weblog
みずほ銀行が、システム障害に陥っている件だが、未処理の給料振込等を優先的に解決するために、19日~21日の3連休、ATMを休止し、代わりに、全支店の窓口を開けて、一人10万円まで預金の引き出しを受け付けていた。その際、通帳・印鑑がなくても、キャッシュカードと運転免許証などの本人確認書類を見せれば引き出しできるようにしていた。

それを利用し、詐欺が行われたと知った。みずほ側で払戻請求を受けた際、システム障害のため、正確な預金残高を把握できないまま、10万円までは支払に応じざるを得ないことを悪用し、ありもしない預金を、中には複数の支店を回って引き出した者が、全支店におり、被害額は2億円に上るということだ。

こんな、人の弱みにつけ込んだ、火事場泥棒のような心ない犯罪があるだろうか?

この事態を収拾するためにまたみずほは人手をとられ、正常化が遅れるではないか?システム障害のことだけではなく、たとえば、みずほ銀行いわき支店は未だに営業再開できていない。近くにある七十七銀行は再開した(恩師に聞いた。今時、キャッシュカードもクレジットカードも一枚ももってらっしゃらない方なので、やっと引き出しできたということだ)というのに。それだけではない、4大バンクの一つが正常に営業できないということが、金融システムの機能不全を助長し、日本全体の復興を妨げるではないか?

また、いろいろな支援事業を性悪説に基づいて行わなければならなくなり(たとえば、配給の列に複数回並ばないようチェックするとか)、非常な非効率を招く。日本人の大半は馬鹿正直な人たちなのに、一部の心ない人たちのためにこのようなことになることを考えると、今回の詐欺は、未曾有の国難に際して足を引っ張る行為である。

生命・財産を失ったり、今も苦難に耐えている被災者を冒涜する者だし、非国民といってもいいのではないか?

このような人でなしの者には、厳正に臨むべきだ。

まず、民事的には、手間はかかるだろうが、一件一件、預金伝票と突合して、過払いした預金者に返還を請求すべきだ。不当利得は故意・過失がなくても成立するので、面倒でも全件きちんと請求してほしい。自分たちにも落ち度があるなどという遠慮は、彼らに対しては、全くする必要がない。 

刑事的には、詐欺罪の故意の立証は難しいだろうが、悪質な場合は警察にきちんと通報してほしい。


金融取引法の研究者としては、預金者の本人確認義務という論点について、またとないフィールドワークの機会だったので、3日間のどこかで、引き出しをやってみてテラーがどの程度の注意義務を尽くしているか、見ておけばよかった。家賃の振り込みなどで現金は必要だったのだが、混んでいるかな,と思ってOGとして遠慮したのだった。しかし、日曜日に出町支店の前を通ったので、「引き出す人で混んでいるかな」とちょっと入り口から覗いたら、ロビーにはあまり人がいなかったので。



宅配やゆうパックの情報をずっとチェックしていて、ゆうパックがいわき支店留めで送れるようになったので、25日の朝、大学に行く途中、近くの四条大宮郵便局にカップラーメン等を詰めた小包をもっていったら、「いわき支店はまだです」といわれた。

「そんなはずはない。私はさっきネットで見たんだから」というと、「確認します」とのこと。

その確認に10分以上かかり、局長を呼んで、「いったいいつの情報に基づいてだめだといったのか」ときいたら一昨日のものだという。

別に震災がらみでなくても、自分の仕事であるゆうパックの送付という業務が、東北方面には全然送れない状態から、毎日徐々に正常化していくのであれば、毎日情報をアップデートするのがプロとして当然だろう。ましてや、それが被災者の生命にもかかわるかもしれないと考えれば、より真剣にすべきだろう。随時ネットに公開され、一般家庭でもすぐ見られるようなものを、肝心の郵便局で見ていない、2日前の情報でよしとしていうというのが信じられないのだ。プロとして、人として、感受性に何か問題があるのではないか?

ヤマト運輸は、全然関係ない荷物の配達に来た人にきいても、そういう状況を把握しているのに、一体この郵便局のていたらくは何だ?何のために民営化したのかわからないではないか?

郵政会社に電話で苦情をいい、「こういう情報の全郵便局への周知はどうなっているのか?会社全体の問題なのか、それとも、会社ではきちんと指導しているのにきかなかったという、四条大宮局特有の問題なのか、今後のためにもはっきりしてほしい」といったのに、「会社として周知しているかどうかはお客様にはお伝えできない情報になっています」という木で鼻を括ったような対応、本当に呆れてものもいえない。


仙谷、馬淵などが復権し、これまでの与野党の攻防が全部無効化している。これだけの国難に直面すると、ここ最近の国会でのやりとりが、児戯に等しい馬鹿馬鹿しいもののように見えてくる。

首相の外国人献金問題もふっとんだし。

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石原都知事の見識を問う

2011年03月24日 | Weblog
乳児に水道水を摂取させるななどと首長がいうのは、徒にパニックを煽るだけだ。

あの人はセクシストだというだけでなく(「子供産んでないババアには年金払うな」と公式の場で発言して、女性団体から訴訟を起こされている)、リーダーとしての資質にも欠けるといわざるをえない。


<iframe src="http://matome.naver.jp/paste?id=2129161684892120001&amp;ver=2.0&amp;color=02&amp;size=02&amp;p=1300929625191&amp;g=1" frameborder="0" width="460" height="540"></iframe>

4月から夫が東京の本省に転勤になり、根津に住むことになった(護国寺のマンションは一人では広すぎるので賃貸する)ので、私も今まで以上に東京都の行き来をすることになるが、この人が続投するのだけは絶対嫌だ(もちろん、東京出身者としても)。


地震から日にちがたって、海外からのお見舞いメールもぱったりなくなったところに、香港の友達から、3度目のメール。

Another week has gone. We learnt from media that your countrymen have been fighting hard, which we highly praise. We will continue to pray.

Add oil (which means "you can do it") !

Our best wishes,


世界が忘れつつある中で、こういうのは、本当に嬉しい。

最後は、中国語で「加油」(北京語でジャーヨウ、広東語ではガーヤウと発音)、頑張れという意味だ。

彼女は香港大学大学院の同級生だった香港政府官僚、授業も英語だったし、英語でしか話したことないので,たぶん、私が多少中国語ができることを知らず、こういう回りくどい表現になったのだろう。

ちょうど私が研究テーマにしているオーストラリア起源の不動産登記制度を香港でも導入しようとしている担当者になったので、調査のために今年度中には訪問する予定なのだが(科研費が出るといいのだが)。



近くの宅配便の営業所までは荷物を送れるようになったので、いわきの恩師に電話したら、東京行きの高速バスが復旧したことをご存じなかった。電気の供給は止まっていないが、携帯もパソコンももたない主義でいらっしゃるので、こういうことになってしまうのか。どうも私たちは、ネットで情報を得られるのが当然という前提で動きすぎている気がする。

さっそくバスの運行会社の電話番号をお知らせした。途中何かあるかもしれないのがご心配なのかもしれないが、とりあえず、一刻も早く東京のお宅に避難していただきたい。

それにしても、郵便は全く来ないというのに、雑誌に連載されている原稿をいつも通り投函されたとお聞きして、涙が出た。

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ふるさと納税で被災地を支援

2011年03月22日 | Weblog
京都府は個人で被災地に物資を送るのはまだ受け付けていない。

今は義捐金などの現金がいいだろう。

最近、「義援金」という言葉ばかりになっているが、ちょっと前までは、「義捐金」だった。
「捐」という言葉は、「出費する」「懐を痛める」という意味。誰かを「援助する」というというと、助ける方と、助けられる方の立場が違うみたいだが、(義捐金
を出している人を批判しているのではもちろんありません)「義のためにお金を出す」という方が、たまたま災害に遭った人とそうじゃない人の不公平をなくすための出費、だから、当然だみたいな感じがするのでいい。

「捐」という漢字は、金預金取引において、預金者は、名義人か、預入行為者か、それとも出捐者かという論点があり、通説は出捐者だが、最近それでは説明できない最高裁判例がいくつか出ている、という文脈で民法ではおなじみの漢字なんだが。

「捐」という言葉の方が、みんなで痛みを分け合っているような気がして私はいいと思う。

その方が、預けられた方も心して使い道を決めてくれるような気がする。

現金による支援の方法として、ふるさと納税という方法がある。(別に全く縁のない地域宛でもできます)

義捐金詐欺が横行し、そうでなくても、使途がどうなるかわからない、そう考えるととてもいい方法だと思う。

詳しくは、下記、総務省のHPを参照。

http://www.soumu.go.jp/menu_kyotsuu/important/080430_2_kojin.html

私も扶養家族がいないので一人で年間50万円くらい住民税を払っているが(それは昨年住んでいた大阪市の分、来年払うのは京都市になるから、非課税の宗教法人が多いため個人住民税が高く、もっと高額になるだろう)、さっそく恩師のいらっしゃるいわき市に寄付の申し出をした(ただ、その手続は,今はそれどころではないのでずっと後になるだろうが)。

控除の対象になるのに上限があるのは承知の上。


それにしても、「ACのCMが不快」という声が大きく、とくに最後に流れる「エーシー」という甲高い声が耳障り、というので、その声だけが消されている。

家族を亡くした被災者が、親子の姿を見て辛い思いをされるのは仕方ないが、それ以外の人が苦情の電話をかけたりする、そういうヒステリックな反応は馬鹿馬鹿しいだろう。普通のCMのかわりなんだから。そんな電話で回線や電気代を使うのやめてほしい。
今回の震災の支援CMを制作中というから、その作業の邪魔にもなる。

それだったら、前に収録してあったらしい馬鹿騒ぎしているバラエティ番組の内容の方をどうにかすべきじゃないか。

それから、TVに出るアナウンサーやタレントの服装が急にださくなった。どうも、視聴者の反感を買わないように地味な服にしようとして、流行遅れみたいなのになるらしい。喪服にしか見えない服装の人もいる。いつもタンクトップみたいなのを着ている西川史子も白い長袖ブラウスを着ていた。

そういう、形だけ整えておく、というのは偽善的で嫌だ。

明るい色の、センスの良い服の方が、見ている方も明るい気持ちになるのではないか?


それに、この自粛ムードは、1988年に昭和天皇が危篤になった時を思い出して、大政翼賛会みたいで怖い。

井上陽水が日産のCMで「みなさーん、お元気ですか?」といっていたのを、「やんごとなき人が元気じゃないから」という理由で口パクになったり、カラオケなどを大音量でやるなといわれたり、何ヶ月もの間、毎日日刊紙の一面に血圧などのバイタルデータが出てたのを思い出す。

何が本質的な問題なのかを冷静に見極めた方がいい。



ところで、大学生協でも単1電池が売り切れていて、メーカーが出荷をストップしていると表示されていた。

京都みたいなところでさえ買占めしていると、被災地に届かず、死活問題になるのじゃないだろうか?

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天災の上に人災まで

2011年03月21日 | Weblog
私の恩師のいるいわき市は、原発問題に起因する風評被害で、物資が全く入らず、孤立した方々が餓死の危険にさらされている。

大変な思いをされている方はたくさんいらっしゃるが、これは、どう考えても人災である。

頻繁に報道されている地域ではありませんが、どうか皆さん、このことを深刻に受け止めてください。

いわきからの悲痛な声が下記にあります。

http://4guruguru.jugem.jp/?eid=1264



なお、ヤマトの宅配便は、福島に関しては、閉鎖されていない営業所止めで、荷物が送れるようになりました。

といってもガソリンもないので、取りに行ける方は限られるかもしれませんが。

送れる営業所は下記の通り。

http://www.yamato-hd.co.jp/information/info/notice_1103_01.html

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レターパックなら大丈夫

2011年03月20日 | Weblog
福島には宅配便や小包はまだ送れない(毎日業者のHPを確認している)が、郵便は送れるので、断水で困っておられるいわきの恩師に水のいらないシャンプーだけでもお送りしようと、ドラッグストアで探したが、考えることは皆同じのようで、ここ京都でもどこに行ってもない。

が、18日、まさかと思ったが一応入ってみた河原町三条のドラッグストアで見つけた。(観光中心地の方があるのかも)

それをさっそく速達で送った後、「普通の郵便が大丈夫ならレターパックも大丈夫かも?」と思い、郵便局に電話して確認したら、「遅れる可能性は高いですが、受取人がそこにいるなら大丈夫」とのこと。

先生に電話したら、「出版社から定期的に送ってくるものも含めて、地震から一切郵便物は来ていない」というので、速達にした意味はあまりないかもしれないが。

「放射能漏れの風評被害で、物資を運んだトラックが近くまで来たのに引き返したとかで、もう、スーパーマーケットには品物が何もなく、どこも開いていない。食料が全く手に入らない状況。近所で農家やってる中学の同級生が米を持ってきてくれたので、それで食いつないでいる。」とのこと、先生がそんな思いをされていると思うと、気の毒で涙が出る。(こちらが協力を申し出ても、他人に甘えるような方ではないので、よほどのことなのだろう)

さっそく、レターパックに、レトルトカレー、板チョコ、ビタミン剤、ウエットティッシュなどを入れて、マンションの真ん前にあるポストに投函しようとしたら、分厚すぎて入らない。

ちょうど集配に来て出発してしまったところの郵便局のバイクを、必死で四条通りを走り、捕まえて、「福島宛ですけど、レターパックなら大丈夫ですよね」と確認したら、知らなかった。「知り合いにそういうものを送る人はたくさんいるのだから、そういう情報を知らないのはだめじゃないですか?」と、手渡しながら苦情をいっておいた。


京都は、被災者の方々に申し訳ないほど、本当に何の問題もない生活が続いている。

ただ、海外からの旅行・ツアーのキャンセルが相次いで旅行業界は大打撃らしい。

私は、東京の計画停電の関係で学会のHPがダウンしたり、や首都圏の大学の先生と連絡できなかったりの不便はあるが、

増えた仕事は入試の追試関連業務と学生の安否確認。

メールを出すと、「わざわざありがとうございます」とか「安否確認ご苦労様です」とちゃんと書いてくる学生が多くて、「ああ、ほんとにうちの学生はいい子ばかりだな」と思う。

茨城以北が実家の学生は20人台(全学の学生総数は1800人)しかいず、他の学生もほぼ安全確認できたが、たまたま東北旅行中で無事だが戻れない者、家族の安否がわからない者もいる。

学生数がもっと多かったり、被災地からもたくさん学生を受け入れている大学の確認作業はもっと大変だろう。



京都では地震の影響がないのに、買占めがあり、コンビニにも「乾電池、懐中電灯は売り切れです」と貼り紙してある。

そういうことするのは本当に情けないのでやめてほしい。

コンビニは表の電灯だけ消して、中は真夜中でも煌々と灯りがついているのも、何か形だけ繕っているようで嫌だ。


ちなみに、私のケースのように、特定個人宛でなく、避難所宛等に個人で物資を送るのはまずいそうだ。
個人で送るものは中身の種類が多様なので、その仕分けに人手がとられ、却って迷惑だそうだ。
中越地震の際も、仕分けしきれない段ボールが山積みになって場所をとって大変だったそうだ。
送るなら、自治体等、とりまとめている所を通じてすべきであるとのことです。

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神に感謝

2011年03月17日 | Weblog
写真は河原町荒神橋の近くにある生花店花孝の看板犬チョコがいつも直立しているのが可愛くて仕方ないのでアップした。
癒しになれば。

いわきの恩師も仙台の恩師もご無事だった。

いわきにいらした恩師は、奇跡的にご無事で、水道以外のライフラインもつながっているそうだ。カップラーメンをお送りすると約束したのだが、宅配便がまだあちら方面には受け付けてもらえず、困っている。14日に電話が通じたときは嬉しくて、涙が止まらなかった。無神論者だが神に心から感謝した。

仙台の恩師のご夫妻も、たまたま東京のマンションについたとたん地震が起きたそうで、常勤の教授職は私大も含めとっくに引退され、そんなに東京にいらっしゃる機会も多くないだろうに、やはり、運というのはあるのだと思う。

こちらは全部の学生の安否確認(といっても関西出身者が8割以上、それ以外も西の地方ばかりで箱根の関を越えてきている学生はあまりいないのだが、東北旅行中の学生もいたりしたので)と、後期入試の追試の対応に追われるくらいの負担増しかなく、被災者の方に申し訳ない。


海外の友人からのメールも続々来ている。

「ニュースで見る日本人が、非常時にもかかわらず、行儀よく、秩序立って助けあっているのを見て感動した。そんな素晴らしい国民だからきっと立ち直ると信じてずっと祈っている」というメッセージもある。

確かに略奪とか絶対ないし、乏しい食糧をみんなで分け合うとか、希有な美徳だと思う。


それにしても原子炉の件も停電の件も政府の対応には失望する。

週末は会社などで打ち合わせができないのだから、日曜日に言われて月曜など無理。きちんと周知期間をおくべきだ。

放射能漏れで福島の方は、風評被害による救援格差で二重に苦しんでいる。

福島の原発は現地でなく関東地方の電力を供給しているのに。
都会の便利な生活のために、地方に負担を押しつけている構造がここでも明らかになった。

少し古いが原発問題を扱った江戸川乱歩賞受賞作は必読。

原子炉の蟹 (講談社文庫)
長井 彬
講談社


それにしても上つ方の国民向けのメッセージはやっと昨日発表された。

2005年夏私がロンドンでテロに巻き込まれたとき、早くも事件の翌日に女王がTVで生でメッセージを伝え、同日皇太子夫妻が病院に犠牲者を見舞ったたことと比べても遅すぎるだろう。

ブログの下記記事参照。

http://blog.goo.ne.jp/otowa1962/e/fa90c2fca6d976eebfeb769c68378e85

京都でもなるべくエアコンはつけないようにしている。

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被災した方々にお見舞い申し上げます。

2011年03月12日 | Weblog
大きな地震が起きて、死者が1000人を超えた。

いわきと仙台に恩師がいらっしゃるが、伝言ダイアルにも登録されていないしもちろん電話も通じないので心配である。
(どなたかご存じなら教えてください)Facebookでも呼びかけたのだけれど。いわきの先生は携帯もパソコンもお持ちでなくTVは天気予報しか見ないという方なのだが。

東京でも憂国忌の会場となっている九段会館で天井が崩落して死者が出たと聞いて驚いた。

京都でもその時間、かなり長時間揺れ続け、机の下に退避した。(授業期間でなくてよかった)

また、携帯電話がずっと「圏外」になっており、一般電話からかけても夫の携帯にも通じなかった。

東京の知人は帰宅できず会社に泊まったそうだ。

2月に見に行ったNODA MAPの『南へ』の公演中止のメールが来た。

今夜TVで上映が予定されていた『ゴールデン・スランバー』は別の映画に差し替えられた。
仙台を舞台にしているからだろう(原作者の伊坂幸太郎は千葉出身だが東北大法学部を卒業した後も仙台に住み、仙台を舞台にした小説を多く発表している。)

京都は今のところ日常生活に影響はなく、今日予定している後期日程入試も予定通り行われる(地震のため受験できなかった人は追試で対応するとのこと)。



海外から安否を気遣う友人のメールがいくつも来たのに加え、卒業したオックスフォード大学のSomerville College とHarvard大学から学長、総長名でお見舞いメッセージが夜中の内に来ていたのに驚いた。

以下に貼り付けるが、オックスフォードとケンブリッジは英国の中で今でも古いカレッジ制をとっている。
全ての学生は、どこかの学部とカレッジに在籍するのだ。学部が縦糸、カレッジが横糸で、後者はHRみたいなものと考えればよい。私は法学部の大学院生であると同時に、Somerville College(写真)の学生だったのだ。

Somervilleは、現在は共学だが、伝統ある女子カレッジで、サッチャー元首相、ノーベル化学賞受賞者のドロシー・ホジキン氏、インディラ・ガンジーなどを輩出している。

カレッジごとの結束は堅く、カレッジごとに紋章やマフラーのカラーが決まっていて、毎年カレッジ対抗ボートレースをやるし(私の在学中優勝)、卒業時にFirst Class(上位10%の成績表彰)の人数を競ったりする。私がFirst Classの表彰を受けると決まったとき、Tutorの先生が「うちのカレッジは今年は少なかったから本当にありがたいわ」と褒めてくださったのが忘れられない。

毎年、卒業生の近況を聞くアンケートを実施して、それが毎年送付される同窓会誌に反映されるので、私も結婚したり、転職したり、著書を出す度に掲載してもらった。

今回のメッセージも、「日本に16人いる卒業生」とか、「ニュージーランドにお見舞いのメッセージを出したときの返事に日本の援助協力に感謝するというメッセージがありました」とか、本当に通り一遍でない、心のこもったメッセージで、思わず涙が出た。
Dear Somervillians,
The terrible news and pictures this morning have brought the 16 Somervillians living in Japan powerfully into our thoughts here in Somerville. The magnitude of the quake and the tsunami is truly shocking and the scale of a natural disaster of this kind is quite difficult to grasp in peaceful Oxford. We hope that you and your families are safe and that any friends and loved ones that you may have near the epicentre of the quake are unharmed. It is very sad to think that only a matter of days ago we were sending a message of this sort to Somervillians in New Zealand, and one of the very touching replies we received referred to the New Zealander's gratitude for the efforts of a special Japanese earthquake disaster crew with their dogs, sent in to help New Zealand. We hope that the whole world will be ready to help Japan now.
we will keep you in our thoughts during the dark and difficult days ahead.

With sincerest good wishes.
Dr Alice Prochaska, Principal
Liz Cooke, Secretary to the Somerville Association


Harvard大学からも、Faust総長の名でメッセージが来た。

Dear ○○ ○○,

We are following the unfolding events in the aftermath of the earthquake and tsunami in Japan with alarm and concern and want you to know that the Harvard community is thinking of you in this time of unexpected hardship. Harvard's strong and long-standing ties to Japan are deeply valued here at the University, and I was grateful for the generous hospitality of our vibrant alumni community during my visit last year. Please know that you are in our thoughts.

Drew Faust

President
Harvard University

オックスフォード大学に比べると、短いメッセージだけど、冒頭にちゃんと私の名前がフルネームで書いてあるのにびっくりした。日本に卒業生は無数にいるだろうのに。

Harvardからも、一ヶ月に一度は手紙が来るが、たいてい寄付のお願いだ。

年に一度アンケートで個人情報を登録するときに、年収欄の最低レンジが10万ドル以下になっているので、私なんかが寄付する必要はないと考えるが。


改めて疑問に思ったのは、やはり世界中から留学生を受け入れている母校・東京大学では、海外の被災地の卒業生宛に同じように迅速にメッセージを送れているのか、ということ。

2004年に法人化してから、初めて、同窓会関係のきれいな広報誌(相当金がかかっているように見える)がしょっちゅう届くようになったが、(寄付のお願いも来る)、こういう部分でこそ海外の大学を見習ってほしいものだとつくづく思う。

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由紀夫と威一郎

2009年08月15日 | Weblog
1.新総理?
になるかもしれない人だが、

(1)子供手当の財源として配偶者控除廃止という政策が素晴らしいと思う。
もちろん、ジェンダーの観点からも、配偶者控除や三号被保険者問題、健康保険料免除の問題が、「主婦は働くとかえって損」と意識を生み、103万円の壁、130万円の壁を作り、男女の伝統的役割分担を強化している。また、主婦が廉価な労働力になるため、非正規労働者全体の時給を引き下げ、ワーキングプア問題をも悪化させているという問題があるからだが、今時、子供が小さくて育児に従事しなければならないわけでもないのに配偶者が働かないですむのは恵まれた家庭だ。どうして控除してやらなければならないのか分からない。民主党の政策では子供手当を出すのだから、育児のために働けない人はちゃんと保護されているし。ただ、年金財政、医療財政がもうどうにもならなくなっているのに、なぜ3号被保険者、健康保険料免除の廃止まで踏み込んでくれないのか、残念だ。

(2)理科系の首相は初めてではないか。また、学者出身も初めてではないか。
東大工学部出身でスタンフォード大学でPh.Dをとり、専修大学の助教授だったことがある。
ちなみに私の東京の家(出身高校に愛着があるので近くのマンションを買った)の近くに鳩山会館があるが、私の母校筑波大付属高校の出身ではなく、小石川高校出身。弟の邦夫氏は付属出身(大学の学部も私と同じ)なので、由紀夫氏はおそらく、抽選で落ちたのであろう(付属は学力試験の前に抽選で倍率を絞る)。

(3)ファーストネームが欧米のインテリにはこれまでの首相の中で最もよく知られている日本男性の名前ということになる(ちなみに日本女性の名前で最も有名なのはヨーコ)。いうまでもなく、三島由紀夫のせいである(欧米のちょっと大きめの書店にはfictionのコーナーに必ず彼の作品が並んでいる)。漢字まで全く同じである。かねがね不思議に思っていたのは、父親(元外務大臣)の名前が威一郎であることだ。三島由紀夫の本名は平岡公威、父の農林省官僚梓氏が日比谷公園を設計した能吏古市公威にあやかってつけた名前だ(父親の希望通り三島は東大卒業後大蔵省にいったん就職。猪瀬直樹氏によると、梓氏が同期の出世頭岸信介への複雑な思いから三島に官僚になることを強いたという。私は三島と同じ学部、ということもあって文三から法学部に進学したが、さすがに大蔵省入省まではまねできなかった。もっとも、官憲=国家権力の狗と思っていたので、公務員試験自体受けていない。でも後日キャリア官僚と結婚してそうでもないと知ることになるのだが。しかし、後日、川端康成への書簡から彼が日本勧業銀行の就職試験に落ちていることを知り(学習院高校では首席で天皇から銀時計を拝受したが、東大法学部の成績はお世辞にもよくなかったし、公務員試験の順位も下から数えた方が早かった。当時の大蔵省は私の学生時代ほど難関ではなかったようだ)、「三島が落ちた銀行には入れたのだから、まいいか」と思った)そして、彼の息子(1962年生まれで私と同じ年)は威一郎という。もちろん偶然にすぎないが。
威一郎氏は(金閣炎上など三島作品を監督していた縁のためだろうか)市川崑監督の助手をやったり、銀座で宝石店を経営したりしていたようだが、現在はどのような職業に就いているのかわからない。著作権法の研究会で、継続期間の延長論の理由のひとつとして「遺族の経済的保護」が挙げられていたとき、私が真っ先に思い浮かべたのは彼のことだった。

日経新聞の文化欄に柊屋の名物仲居さんが三島が割腹の直前に泊まり、「息子(当時小学二年生)は東大に入れるかな」といっていたというエピソードを書いていて、『豊饒の海』で「夢の現実に対する優位」を説き、元判事の裕福な弁護士である副主人公が、自殺未遂の挙句失明した東大生の養子の、狂人である妻の妊娠を知ったとき、「絹江の狂気が遺伝性の疾患であることを知る本多は自分の末裔が理性の燈明を失うことの歓喜にうちふるえた」(手元に原典がないので記憶による引用)と書いた三島が、父としては俗物だったのだな、とむしろ安心したのを覚えている。現実には大学自体に進学しなかったようなのだが。私が同じ年だからといって威一郎君のことを気にしすぎるのもちょっと変かもしれない。もちろん、「私が代わりに東大に入りましたから」などとは考えないが。

柊屋は自腹では一生縁がない一流旅館だが、先日ハーヴァードのときの同級生、オーストラリア人のBronwyn(大臣補佐官を経て現在は保険会社勤務)が夫の仕事に便乗して京都に行くから会いたいと連絡してきて、彼らは柊屋に投宿していたので会いにいって中を見ることができた。夫のPeterは刑事政策の研究者、かの国では学者は高給取りのようである。

ちなみに3つ上の姉(三島が『鏡子の家』を執筆し、西馬込にあの有名な邸宅を建てたころ(小池真理子の『欲望』の映画化作品を最近見た。村上淳が完璧な美青年、というのはちょっと…。関係ないがUAと離婚したのには驚いたし、同じように個性派DIVAと映画中心に活躍する俳優というカップルだったCHARAと浅野忠信の離婚にもびっくり。だって浅野は「無人島に一つだけもっていくものは」という質問に「CHARA」と答えてたんだもん。最後に板谷由夏演ずるヒロインが『天人五衰』の最後のところを朗読するところは大変良かったが、三島邸とそっくりな家を新築する人物=その屋敷の全焼で失明し朗読を受ける人物=津川雅彦が出てくるのがこの作品の肝なのに、予算の関係か、その部分が欠落しているのは、あまりにも残念。それとも、瑤子夫人の死後、遺児たちはうるさいことをいわなくなったようなのに、現在の所有者として家をモデルにすることを許可しなかったのだろうか。三島の戯曲については瑤子夫人はちょっとした演出上の工夫も了承しなかった、とTPT(デイヴィッド・ルヴォー演出でたくさんの三島作品を上演)のスタッフはいっていたけれど)、出生、こちらはペンネームから取って紀子さんという)がいて、外務官僚(これは三島の弟千之氏が外務官僚だった縁か?)と結婚している。1995年7月31日に瑤子夫人(画家杉山寧の娘)が亡くなった時も赴任先のシンガポールから帰国していた。夫が外務省に出向し、香港総領事館に赴任した時、香港大学大学院に入るために思い切って銀行を辞めてついていったが、「私も紀子さんと同じ立場かあ」とその点だけはうれしかった。

2.マニフェストという言葉
マニフェストは政権公約だから、政権を取る可能性がほとんどない政党がこの言葉を使うのはおかしいし無責任だと思う。なぜ「公約」ではだめなのか?公約なら、政権をとらなくても、それに沿う法案の成立には努力する義務が生じるので有効だが、マニフェストだと、極論すれば、政権をとらなければ守らなくていいということにならないか?日本人のなんでも横文字にすればなんとなくかっこよく見える、という変な植民地根性が選挙にまであらわれているのが情けなくてしかたない。

しかし、某政党は消費税、相続税の全廃を掲げているが、金持ち優遇政策に他ならない。

間接税である消費税は所得税ほど月給取りと自営業者の不公平が生じないある意味公正な税であるし、相続税があるために、日本は階級社会にならずにすんでいるのだ。

都市銀行に勤めている時、弁護士資格を有する上司が、「日本は一代資本主義、三代社会主義だからうまくいっているのだ」といっていたのを思い出す。機会は一応平等に与えられているので(だから貧乏で教養のない、しかも勉強より家事をやれというような両親のもとに生まれた私が学歴を身につけることによって一流銀行に就職でき、私費では望むべくもない海外大学院への留学もできたのだ。私はいつも自分は不運だと思っているが、この点についてだけは20世紀後半の日本に生まれたことを感謝しなければならない)、自分一代で出世したり富を築くことは可能だ、だからみんな努力する。しかし、相続税が莫大なので、たいていの場合(今の首相のような桁はずれな金持ちは別として)、三代目くらいには普通の人になっている、確かにそうだと思う。

3.その他の候補者等
猪口さんは、出馬しないということだが、どこかの大学でまた教えるのだろうか?
猪口さんが男女共同参画担当大臣としてやったことといえば、バックラッシュの象徴ともいえる、2006年1月のあのいまいましい男女共同参画局の「ジェンダーフリーという言葉を使用してはいけない」という地方公共団体あての事務連絡を出したというどうしても許せないことだった。

そんなことをするから松山市議会が「松山市は女性学の研究・教育を奨励しない」などという学問の自由に反する決議をしたりしたことをはじめとするひどいバックラッシュが悪化したのだ(ジェンダー法学会がこの決議については抗議表明している)。

前々回の都議会議員選挙の時、文京区の候補者応援カーに乗っている彼女を春日通りと白山通りの交差点付近で見かけた。長い信号待ちで止まっていても誰もそばに寄ろうとしなかった。

先日用事があって梅田に自転車で行ったとき(住んでいるのは難波の近くだが、起伏がないので梅田くらいなら御堂筋を北上して自転車で行ってしまう)、やはり選挙カーに乗っている田中康夫に会った。信号待ちで止まっていたので、「前に『知事への直接メール』を出したのですが、読んでもらえましたか?」と聞いたが、「どんな内容ですか?」と聞き返され「苦情です」で会話が終わってしまった。実はこのメールは「必ず県知事が目を通します」という制度を利用して、赴任して間もなく出した県政・県民性についての苦情だったが、すぐに大学側に県庁から知らせがあったらしく、一週間後には同僚に知れ渡っていて、長野県というところは通信の秘密を侵すという重大な憲法違反をする自治体なのだとわかり、「一刻も早くこんな所から出ていきたい」と早くも思ったきっかけになった出来事だった。
オリンピックの使途不明金がらみでも、情報公開の申請が出たら、関係書類をすべて焼き捨て、「焼いてしまったのでもう存在しません」と答弁したという驚愕の事件もあった。

4.国民審査
ほとんど報道されないのが残念だが、最高裁判所裁判官の国民審査も同時に行われるのだ。今までこれで失職した判事はいないが、これも、国民の意見を反映させるための重要な制度だ。

私が反対を公言し、論文を書いたりしている裁判員制度だが、

http://blog.goo.ne.jp/otowa1962/e/2c281cde9768e584ea315a5ff12b3efd

第一号の事件は即時控訴され、結局高裁の裁判官だけの判断が優先することになる。裁判員裁判の場合は一審の結論を尊重せよ、ということになっているが、裁判官の独立・良心の自由は憲法で保障されているのだから、無理だ。そして、結局控訴審や最高裁で職業裁判官のみの判決が裁判員の参加した第一審の判決を覆すなら、あれだけコストをかけて裁判員制度を運用することにどんな意味があるというのか?

裁判員制度のためにあんなにかけたコストの少しでもいいから、各最高裁判事の今まで下した判決内容をもっと国民に広く周知させ、国民審査をもっと実効性のあるものにすべきではないか?その方が上訴審で覆されるかもしれない裁判員制度よりずっと意味のある「司法への民意の反映」になるのではないのか?

私は保守的な判決を出したり保守的な補足意見、反対意見を出している裁判官には今回の国民審査でノーというつもりで、過去の判決を見直している。非力かもしれないけれどもそれが国民の義務だと思う。

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愛=嫉妬ではないのか

2008年12月09日 | Weblog
このエントリーでは、かなりくだけた話をします。
いきなり次元の低い話題になってしまうが、男女間の愛は、排他的なものであって、当然嫉妬心を伴うものではないのか?という疑問について書いてみる。

というのも、夫が私を大切にしてくれることに疑いはないが、嫉妬という感情を彼は見せたことがないのだ。

まず、大学時代ずっと好きだったP君について(もちろん片思いだが)

最近ふとしたことで、大学の教養のクラス担任だった川西進先生が、附属高校の31年先輩だったことを知った。敬虔なクリスチャンで、英語の授業の教材も「キリストの生涯」だった。男子同級生が「信仰のために避妊しないから子沢山なんだ」などと陰口をいうのに眉をひそめたものだが、確かにまじめすぎてとっつきにくい感じがした。
それは同級生のみんなも同じだったらしく、駒場祭ではクラスで演劇「検察側の証人」(クリスティ作)とアメリカンドッグの屋台をやったのだが、後者の屋号は、担任の川西先生を差し置いて、その明るい性格で人気のあったドイツ語担当のJ先生の名をとった「J屋」になったりした。当時、川西先生が附属の先輩だと存じ上げていたら、もっと親しくお近づきになろうとしたのに、と実に残念である。

私が好きだった同級生のP君も、クリスチャンだったので、「英語の授業の参考にしたいので、聖書がどこで入手できるか知りたい」という口実で初めて勇気をもって話しかけたら、「通っている教会にいくらでもあるので一冊あげる」といって小型の聖書をくれた。それは英語の試験勉強の際ももちろん使ったが、今でも私の大切な宝物だ。もちろん、告白どころか、同級生として気安く話すことさえできず、廊下などですれ違うとき、袖が触れ合うだけでその後かなり長く続く幸福感だけで大満足、という状態だった。駒場祭の演劇の演目を決める際、彼が「ひかりごけ」と提案したので、さっそく買って読んだり。ちなみに、クラスの男子で喫煙しないのは彼1人だった(それが、法学部に進学したとたん、ゼミ内で喫煙者0というのを見て驚愕したものだ)。

全然興味ない少年漫画なのに、彼と同姓同名の登場人物がいるからというだけで全巻買って読んだりもした。

自分史にも書いたが、私は入学当初は国文科に行って三島由紀夫研究をしようと思っていたが、才能がないと文学の世界では食べていけないという現実を知り、また、一般教養の見田宗介ゼミにかぶれてしまい(一年先輩の岸本葉子氏が非常に見田先生に可愛がられていたが、相関「社会科学」科の学生なのに経済学の先生に「あのー、近代経済学とマルクス経済学ってどう違うんですか?」と質問したという伝説も聞いていた)、言語と社会の関係を研究したいと思い、教養学部の相関社会科学科か本郷のある学科のどちらに行こうかと悩んでいたが、進学振り分けの説明会でP君に会い、彼もそのどちらに行こうか悩んでいると聞いて非常に驚いた。

結局私は、研究範囲が限りなく広がるのはしんどい、というのと、三島由紀夫と同じ学部に行きたいというのと、その他もろもろの理由から法学部に進学したが、「私は転向した」という自責の念が強く、P君をはじめとする文三の同級生と合わせる顔がないと生協の食堂にも近寄らず卒業し、結局もう26年間彼には会っていない。

こういう詳細を全部夫に話しても、夫は全く興味を示さなかった。また、数年前、夫と旭川を旅行した際、彼の出身高校を一目見たい、とわざわざそこまでレンタカーで連れて行ってもらった時も、全く淡々としていたのである。

ちなみに、旭川に行ったのはこのためではない。小学生の頃愛読していた「氷点」の作者三浦綾子の記念館に行くのが主な目的であった。「殺人者の娘であることが私の心の氷点」というのは、犯罪者の家族まで同罪という連座制を肯定するようで、納得できなかったが、陽子の人間性はすばらしい、こういう女性になりたいと憧れたのである。続編「続・氷点」(島田陽子はこのドラマ化の際のオーディションでデビュー。そのドラマを私は見ていないのに、島田陽子と、徹役の近藤正臣と北原役の田村亮(高広・正和の弟)のファンになって、浅草マルベル堂までブロマイドを買いに行ったほどなのである)では、一度は徹と結婚するつもりだった陽子だが、実母三井恵子(夫の出征中、学生と不倫して陽子を出産。10年位前、万里洋子が主演したドラマで、島田陽子がこの役をやった)の過去の不倫の疑いから北原を強引に問い詰めようとした陽子の異父弟(恵子が戦地から戻った夫との間に出産)の暴走のせいで、北原が交通事故で片足を失うことになり、陽子は北原と共に生きていく決心をする。その決心をさせたのが、陽子が燃える流氷を見に行くという感動的な体験であり、その中に、「あのカラスさえ両足がそろっている」と浜辺にいるカラスを見るシーンがあるために、「続・氷点」の単行本の表紙の絵は、夕日に照らされ輝く流氷の上にカラスがとまっているものだ。(「本など読む暇があったら家の手伝いをしろ」という家庭だったので、もちろん、図書館で借りて読んだのだが、その表紙の絵は強く印象に残っている)
私たちが三浦綾子記念館に入ろうとしたとき、カラスがつつつ…と記念館の前を横切ったので、関連妄想に陥ってしまった。
記念館の近くの河原にも行き、「ここでルリ子が殺され、陽子が自殺を図ったのね」と感慨に耽ったりもした。

小説では、徹も陽子も異母弟も北原もみな北大生であり、訪れたことのない札幌の町への憧れもこの小説を読んだとき芽生えた。京都生まれだが、父親が転勤族で札幌南高校を卒業した夫との結婚もこのことと全く無関係とはいえない。

それにしても、2001年か2002年に連続ドラマ化された氷点(啓造:三浦友和、夏枝:浅野ゆう子 徹:鳥羽潤 陽子役は覚えていない)はひどかった。時代を現代にし、事件後すぐに一家が関東に引っ越してくるのだもの。あの小説はあの時代、かつ、旭川を舞台にしてこそのものなのに、いったいに、この頃の連続ドラマは予算が足りなくてロケができないのか、「動物のお医者さん」も東京の大学を舞台にドラマ化していた(ハムテル:吉沢悠、二階堂役の要潤はなかなかはまり役だった。離婚直後の和久井映見が菱沼役)。だから、清原君(原作では無骨な容姿・性格なのに、高杉瑞穂という柔弱な感じの俳優が演じていた)が東京に就職するのでペットの平九郎をどうするか、という問題が、海外留学するのでどうするか、という問題に置き換えられていたりした。(ちなみに、初めて札幌に行ったときは、見に行きましたよ。北大の獣医学部を。正門から遠かったなあ)

動物のお医者さんについては、以下のエントリーも参照

http://blog.goo.ne.jp/otowa1962/e/2932ac34645d4982e367127bac2af64a


法学部の友達X君について
法学部は女子が少ないのに(700人中25人)私は全くもてなかったのだが、1人だけ、お付き合いしたわけでもないのにプロポーズまでしてくれる奇特な男子がいた。もちろん、何もなかったのだが、私が夫と一緒に香港に行くために2001年2月末で銀行を退職し、香港に行くまでの間に、頼まれて一般の会社員のための法務セミナーの講師をした際、他の金融機関に勤めているX君はそれを聞きに来てくれ(もちろん、彼も既婚)15年ぶりに会えてうれしかったのだが、その話を夫にしても、全く無反応である。私だったら、「その人って、どんな人?どこに勤めているの?学生時代はどんな付き合いだったの?」とか根掘り葉掘り聞くと思うんだが、「昔の友達に会えてよかったね」だけである。

どう思いますか?夫は「どうせこいつが誰かに惚れられるはずなんかない」と私の性的魅力についてたかを括っているのではないだろうか?それとももはや人類愛であって男女の愛はないのか?

まあ、一つだけ救いがあるとすれば、数年前、中国出張の際、香港時代にずっとネイルケアをやってくれたネイリスト(ただし出張時は携帯電話会社に転職していた)阿冬(ハルピン出身男子・23歳)の深土川の家に夕食に呼ばれ、「遅くなったのでホテルをキャンセルして泊まれといわれたので泊まる」とメールしたら、その後、毎日くれたメールを帰国するまでくれなくなったことがある(断っておくが、阿冬は妹さんと二人暮らし)のは、嫉妬してくれたのか、ととれないこともないことだ。

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引越のこと、大阪のことなど

2008年09月15日 | Weblog
今回の引越は初めてする3月末の引越だったが、本当に大変だった。

まず、2月に予約しようとしても3月末は殆ど空いていなかったので、東京からの引越は業者も日程も限られていた。ちょっと甘く見たようである。次回来年の3月に夫がまた転勤になり、私が大学の近くに引越する可能性があるので、今度は早め早めに動こう。

とはいえ、前任校のある町(仮にソモラ市とする)からの引越はまだましだったので、そちらは前の引越で対応が良かったY社を使い(A社とS社も見積もりしてもらったが、S社は結局見に来た後見積もりをださなかった。問題外である)

東京からの引越は他の選択肢がなくA社になった。
なお、海外引越には17年前の留学のときから一番強いとされるN社を使っていたのだが、6年前香港から東京へのの引越の際、見積もりより値段が高くなったり、台所の引き出し丸まる1個分を梱包し忘れられ、嫌な思いをしたので、使う気はなかった。

また、超ピークなので料金が高く、二人合わせて200万円くらいかかってしまった。といっても、荷物はかなり多かったし、東京から大阪へ、ソモラの研究室から今度の任地の研究室へ、ソモラの官舎から大阪へ、さらに官舎から研究室へと運ぶ荷物があり、複雑だったから仕方がないかもしれない。

研究室の引越の際は、学部図書館の職員の方が引越の作業員全員に飲み物を差し入れてくださったり、ありがたかった。
研究費で購入したものの中で、備品扱いのものは置いていかなければならないが、書籍は備品扱いで購入したものと消耗品扱いで購入したもの(これは持っていける)があるので、その分別も大変だった。

まず研究室を引き払い、次に官舎を引き払ったのだが、搬出が完了してから管理人さんに確認してもらうまで1時間くらいあったので、ソモラ市の中で唯一まだ見ていない観光名所(転職が正式に決まった去年の6月から、今年で最後なので県内の名所を精力的に廻った。まだ来ていない父も呼んだ)の古い小学校を見に行ってきた。予約本がすぐ来る(ベストセラーは文京区図書館では半年かかるがここでは1-2週間で回ってくる)のでものすごくお世話になっていた市の中央図書館(今回ソモラを、そして前任校を離れる際の未練は読書環境が劣化することだけだった。案の定、大阪市内の図書館ではかなり時間がかかる。ああ、もう一つ、上川隆也の出ているローカルCMを見られなくなることもあるか)の隣にある。

二度とソモラ市(県内の他の所にはいくかもしれないが)には戻ってこないつもりなので、再現された昔の教室の机にあった石版ノートに「さようなら、ソモラ」と書き(ご自由にお書きくださいとあったので)、少し考えてから「ありがとう」と付け足した。

なぜさほどの恨みと絶望があるかは本ブログの以下の項を参照。

http://blog.goo.ne.jp/otowa1962/e/0b6a262a747af132f0e6bbfa36f331fb

築50年近く、点検に来た地元のガス会社の人に「どうして大学の先生なのにこんなところに住んでいるんですか?」といわれた(ソモラの人間にはこういうずけずけしたところがある)ようなぼろい官舎だった。

管理人さんが点検して「とてもきれいに使っているので原状回復費用は最低価格ですみます」といわれたが、それでも8万円以上かかった。でも、家賃は5000円あまりだったので、原状回復費用を住んでいた4年10ヶ月で割ればgood dealであることに違いはない。

東京の家は、借り手がなかなかつかなかったのだが、結局高名な脚本家が借りてくれることになった。

搬出よりも大変だったのは搬入。

研究室は、学部長が気を利かせて院生を手伝いによこしてくれたのでだいぶ助かった。院生の人たちも優秀で、膨大な書籍や資料ををちゃんと分類して書架に納めてくれた。X学部長は、学問の業績も、こうやって気使いしてくれることも、激務の中で本当にすごい人だ。学部長/研究科長を尊敬でき、全幅の信頼が置けるのは、初めての経験で涙が出る。やっぱり前任校が異常だったのだろうと思う。

問題は自宅だが、はじめは「この荷物は絶対に片付かない」と途方にくれた。
東京の家が180平米、官舎が40平米、足して220平米分の荷物300箱以上を96平米のマンションに詰め込むのだから、無理もない。2週間ほどは、寝る場所を確保するのがやっとだった。

夫はものを持たない主義(スーツは全部で10着もない。靴は普段用と通勤用と運動靴の3足しかない。下着も一週間分しかないので長い旅行だと途中で洗濯する)の人なのでその固有の荷物は全体の10%くらいだ。共有のものが20%、私の物は70%。大半は本と服である。仕事関係の本は研究室にあるのにである(引越屋さんにも「家庭の引越でこんなに本が多いのは初めてです」といわれた)本はだいぶ東京のトランクルームに入れてきたのだが。だから、仕事に使う本以外は図書館で借りるのである。

今回ほど、自分の物欲という煩悩の強さに嫌気がさしたことはない。
お金をかけて自分を苦しめるものを贖うなんて、自分は世界一の愚か者だとさえ思った。あれもこれも買わなければどれだけ貯金ができてたんだろうとか。電車に乗って向かいの人を見れば「この人は困るほど荷物をもっていないんだろうな」と思ったり、完全に引越ノイローゼ状態だった。
それで、今回は、これまでの人生で初めて物を盛大に捨てた。
全くエコに反する人間である。

用事があって(引越の作業でアンクレットが切れてしまいスタージュエリーに修理を頼みに行った)近所の高島屋に行っても、以前は「素敵だな、ほしいな」と思ったような商品が、「買えば自分の快適な人生を邪魔するもの」という憎い敵に思えてくるから不思議だ。それ以来、本当にものを買わなくなった。

ダンボールの空き箱は、A社が一回しか取りに来ないというので置き場所に困ったが、西の秋葉原、日本橋(にっぽんばしと読む)という場所柄、隣の隣が古紙回収会社なので、そこに持っていくと、買い取ってくれるので助かった。

その古紙回収会社には大きなリヤカーにたくさん段ボール箱を積んで運んでくる人がたくさんいるのだが、ペットをリヤカーにつないで行動を共にしている人もいる。

大きな犬2頭をつないでいる人はよく見たのだが、先日7匹の子猫をリヤカーにつないで移動している人を発見。かわいいので思わず抱き上げたら、一人ひとりに「麻子」とか名札が付いていた。みな同じ大きさなので「兄弟ですか」と飼主にきくと、そうだとのこと。写真を撮らせてもらってアップしておいた。

リヤカーといえば、この界隈をリヤカーに自著を載せて売り歩いているおじさんもよく見かける。「宇宙人のツッコミ」という本で、世界のいろいろな現象や出来事は宇宙人のせいだそうだ。TVの大阪ローカル散歩番組で日本橋をとりあげたときにも登場したが、レポーターの月亭八光が金木というおじさんの名前を金本と読み間違えたら即座に「なんでかねきがあにきになるねん」と突っ込みをいれていた。

同じ散歩番組でも、東京でやっていた「ちい散歩」という地井武男が一つの町を散歩して住人と触れ合うという番組(全国ネットで放映している「33分探偵」というゆるーいドラマで堂本剛が「散歩で30分もたせられるのは地井武男くらいだ」といっても「ちい散歩」を放映していない関西をはじめとする地域では意味がわからないと思う。また、ソフトバンクのCMで谷原章介と優香が出てきても、「王様のブランチ」が見られない地域では(関西では見られなくて淋しい。ソモラでは前半だけ放映していた。)意味がわからないだろう。広告代理店はなぜ気づかないのだろう)と違うのは、こんなふうに素人がいきなりTVカメラを向けられても必ず面白いことをいうことだ。

別の町の回では、普通のおばさんが八光を拉致して自宅に引きずり込み、家族のアルバムを見せてひとりで喋り捲っていた。素人が自分から地井武男に絶対話しかけることのない「ちい散歩」ではありえない光景だ。

大阪ミナミはディープな町である。

2月に不動産物件を見て廻ったとき、不動産屋さんに「他にはない光景ですので、車で通ってみましょうか」といわれ、飛田新地を通ったときの衝撃は忘れられない。間口一間くらいの店のひとつひとつに、着飾った若い女性が座り、その前におばさん(多分やり手婆)が一人立っている。若い女性はきれいに化粧しているが、目がどこか泳いでいる。こういう場所がまだ日本に残っていたのかと驚き、売春防止法との関係ではどう説明しているのか知りたいと思った。

が、ダンボールを運んでいる人たちの境遇のことも、飛田新地のことも、住み始めたばかりのよそ者がコメントを軽々にいえることではないと思う。

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伊藤和也さんを悼む

2008年09月11日 | Weblog
アフガニスタンでタリバン系の武装集団とされるグループに拉致され、殺害されたペシャワール会の伊藤和也さんの死に衝撃を受けた。

アヘンの原料になるケシ栽培をやめた土地で米・野菜などの耕作を指導する、文字通り地に足のついた援助を行っていた無私・善意の人が命を絶たれたことが無念でならない。

ご両親がまた冷静で恨み言も口にせず、非常に立派だった。

ペシャワール会代表の中村哲医師とは、数年前、前任校の医学部が主催した講演会で、質問させていただき直接話させていただいたが、地位も名誉も金もいらず、ただ困っている異国の普通の人々ために働きたいという純粋さが伝わってきた。

今度の事件で、ペシャワール会は日本人スタッフ全員をアフガンから撤退させることを決定したとのこと、中村代表もさぞ悔しいであろう。

9・11の後、アメリカのアフガン攻撃があり、一時はタリバンを弱体化させることができたが、戦後処理がうまくいかず、またタリバンが復活しつつある。

アメリカのアフガン攻撃前は全く身の危険を感じることはなかった、という中村医師の言葉が皮肉にも思い出される。アメリカは他国に介入するなら無辜の民が命を落とすことがないよう最後まで責任をもつべきではないか。

1972年のミュンヘンオリンピックでパレスチナゲリラが選手村を襲い、イスラエル選手11名を惨殺し、その後、イスラエルが報復に動いたという、血で血で洗う抗争を描いた『ミュンヘンーオリンピック・テロ事件の黒幕を追え』を読み、私が英国留学中の1993年にツアーでイスラエルを訪問した際(そこで2002年に再会した経緯をこのブログでも書いたユダヤ系オランダ人のユーディットと出会ったのである)、女性一人参加ということで、空港で私だけが別室に行かされ、何人もの係員にしつこく何度も「誰かから何かを預らなかったか」と聞かれたのがなぜかよくわかった。

英国の二枚舌戦略に翻弄されるユダヤとパレスチナの問題、互いのテロ行為はエスカレートしてゆき、とくにイスラム世界と他の「文明の衝突」は深刻さを増し、21世紀当初にはついにイスラムテロリストはNYやペンタゴンをターゲットにしたジハードに走る。

そしてそれを契機としてアフガン戦争、ついでイラク戦争という世紀の愚考に走るアメリカ。

私たちはこのような世界に生きているのである。

どこかの政党の国民の税金を使って行う総裁選という茶番劇が注目される国、伊藤和也さんのような善意の人の死の意味を深く考えない国、アフガン問題に責任をとらないアメリカに追従ばかりする国、その一員であることを心から恥じる。

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唯一

2007年10月03日 | Weblog

体調が悪くて発熱したり、全身だるくて、腰痛もひどい。

この間久しぶりにマッサージに行ったら、腰痛がひどすぎてカウチにうつむきに寝ることすらできなかったので、仰向けのままマッサージをしてもらったくらいだ。

整骨院にいってみたら、「ストレスで、全身の関節からの信号を脳がうまく処理できずに混乱している状態」といわれた。

魑魅魍魎の跋扈する百鬼夜行の世界を生きているからね。

それでも休講にはできないんだ。一昨年一こまだけ病気で休講にしたとき(もちろんちゃんと補講したのに)どんな目にあったか、とてもここには書けない。(いずれ別の媒体には書くけど)

教授会に二回しか出席しなくても休暇届も出さない人がいるのにね。
上司は差別と人権侵害が得意技だから。

私には「大学教員の常識として休日でも院の入試とセンター試験の日程4日間は空けておけ」といい、随分前から「試験監督を割り当てられるのか割り当てられないのか教えてください。とくに、センター試験の頃は講義もないので海外にフィールドワークに出たいので、できれば院の方に割り当ててください」と頼んでも、直前まで教えてもらえず、しかも、嫌がらせでセンターの方に割り当てられ、仕方なく海外出張の予定を苦労して変更したら「やっぱりいいです」といってきたり、えげつない嫌がらせするくせに。

でも、自分では意図せずに、気づかぬうちに二匹目(といっても出現したのは一匹目よりかなり前)の害虫駆除に成功していたことを発見。
おまけに今回は、もう少ししたら「早まった」と臍をかませられるというおまけつき(大変にいい気味である。ざまああそばせである)、こんなことで溜飲を下げるのがが唯一の朗報という毎日の地獄ぶりなのである。


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