夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

「ロミ&ジュリ」の千秋楽で三谷幸喜氏に会った!

2004年12月31日 | 演劇
藤原竜也・鈴木杏の「ロミオとジュリエット」の千秋楽に行ったら、隣の席に戸田恵子さんがいて、その隣には三谷幸喜氏がいたので、ずうずうしさも省みず、話しかけてしまった。
(前の席には鴻上尚史氏がいた)

「私は大学で法律を教えているんですが、裁判員制度を取り上げた際に、『12人の優しい日本人』を使わせていただきました。本家の『12人の怒れる男』と対比させたのですが、やはり同じ日本人の方が学生には実感がわきやすかったようです」といったら、三谷氏は、「そうですか、映画を見ながらやったのですか?」と気さくに応じてくれた。

三谷氏については、1994年の「古畑任三郎」を見てファンになり、惜しいことに東京サンシャインボーイズはすぐ解散してしまったが、95年の「君となら」以来、ほとんどの舞台を観ている。
香港にいる間も、2002年3月に中国法の講演を頼まれて帰国した際に、「彦馬が行く」の再演と、鹿賀丈史の降板で話題になった「You are the top」を見たくらいだ。代役の浅野和之はその後ドラマにひっぱりだこだが、私は1991年の大河ドラマ「太平記」で塩谷判官の役をやったのだけを覚えていた。というのも、文楽・歌舞伎では、浅野内匠頭を塩谷判官に、吉良上野介を、判官の奥方顔世御前に言い寄った高師直に置き換えているから、判官の役を「浅野」という俳優がやるのは面白いと思ったからだ。夢の遊民舎出身でとても芸達者な役者さんだ。
(ちなみに、一週間の日本滞在で、講演と上記2芝居のほか、「放浪記」(森光子の年齢から帰国後はもうやっていないと思ったので。しかし、小鹿番が最近なくなったので、菊池寛そっくりさんが見られて良かったが。)、「天保15年のシェークスピア」(上川隆也が出ていたので)やアフガン映画「カンダハル」を見たり、母と那須の温泉に行ったりしたので、香港に戻ってすぐ高熱を出して寝込んだ)

今考えると失礼だったかな、と反省するが、以下のような質問を三谷さんにしてしまった。
「『今夜宇宙の片隅で』の最終回で安井昌二さんが出てきましたが、あれは奥様のエッセイで、大沼公園のロケのとき、お店で安井さんのお嬢さんの四方晴美さん(チャコちゃん役の子役)に間違えられたことと関係あるのですか?」
三谷さんは、「いいえ、安井昌二さんは前から大好きな俳優さんなので出ていただいたのです」と答えた。

あとでよく考えたら、三谷さんはどこかで、「妻には作品を見られたくないし、私も妻の出るドラマ等はいっさい見ない」と書いていたから、馬鹿な質問だったかも。

戸田さんには、「ドラマ23の『帰っていいのよ今夜も』で、電話交換手の役ででていらっしゃいましたよね」というマニアックな質問をしてしまった。

二人の会話を聞いていたら、三谷さんが「福山みたいな顔だったら人生違っていたのに」というのが聞こえて思わずぷぷぷ…だった。

本当は赤い洗面器のなぞ(三谷作品で繰り返し出てくる「水の入った赤い洗面器を頭の上にのせて歩いている女性」)も聞いてみたかったが、あまり不躾だろうと遠慮した。

肝心な「ロミオとジュリエット」、藤原竜也も鈴木杏もさすが若手ナンバーワンの演技力だ。

ただし、細かいことを言うと、ばあやの従者がピーターなのに、「聖ペテロ教会」が出てくるのはおかしい。
欧米人の名前は新旧聖書等に出てくる聖人の名からとっていることが多いが、聖ペテロは、イタリア語では、ピエトロ、英語ではピーター、ドイツ語ではペーター(ハイジの友達)、ロシア語ではピョートル、スペイン語ではペドロになるから、同じ文学作品「ピーター」と「ペテロ」という言葉が出てくるのは変だ。
ちなみに、大学の見田ゼミの先輩岸本葉子のエッセイにイタリア取材の際、パウロとかヨハネとか「時代がかった名前の人が多い」というくだりがあるのに首をかしげた。それって、英語圏ならポールとジョンになるから、全然珍しくない。先輩に対して悪いけど、教養を疑いたくなった。
といっても、私も留学中、英語のヨーロッパ・ツアーにたびたび参加して、いろいろな人名の英語表示に接し(日本語だとカタカナになってしまうからわかりづらいが)、初めてわかったことなんだが。聖人以外にも、ユリシーズがオデュッセウスと同じものだとわかるまで時間がかかったりした。本当にギリシャ神話およびキリスト教文化圏は一つなのだと実感した。

初めてヨーロッパの美術館めぐりをして、「ギリシャ神話と新旧聖書の知識がなければ、美術品を半分しか理解できない」と感じたのを思い出す。

(ちなみに現在のいいとも青年隊のジョンとイワンも実は同じ名前ということになる)

藤原竜也は『身毒丸』を見て、童顔に似合わない声と演技力に圧倒され、舞台をよく見に行っている。身毒丸と同じ民話を基にした三島由紀夫近代能楽集の「弱法師」で主人公をやったのももちろん彩のくにさいたま劇場まで観に行った。

  そういえば、三谷さんが倉本聡と自殺した野沢尚と競作したドラマでは「ジュリエットは生きている」というタイトルで書いていたのだったと思い出していた。

theater goerの私も千秋楽は初めてだったが、演出の蜷川さんも舞台に出てきて、紙ふぶきが舞ったのに興奮した。

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平良とみさんに会った!

2004年12月31日 | 旅行
クリスマスに沖縄に旅行した。
沖縄は大好きで6回目。

高校のときの地理の先生(現在は琉球大学教授)が授業で沖縄問題(2度にわたる琉球処分、基地問題等)を取り上げてから、本土が近代史の負の部分を全て押し付けてきた所なのだという負い目があった。
 とくに、大和の人間になりたい、だから人一倍愛国心を示さなければならない、という沖縄人の気持ちを利用した第二次大戦の時の扱いはあまりにひどい。
米国留学中に見たワシントンの歴史博物館の日系人の歴史展示で、日系人のヨーロッパ戦線での勇敢な戦いぶりを見たときもそれを思い出した。

今も、内地の文化に合わせようとする気持ちから、やまとんちゅーが失った古き良きものを残していたりすることに気づく。言葉遣いもそうだし、たとえば、今の十代の女の子で子のつく名前はかなり少ないのに、speedの4人中3人がそうだったりする。(speedは大好きで、東京ドームの解散コンサートにも行った。)

でも、数年前に離島に行った時、宮古島にある人頭石(沖縄本島が離島に課した重税)を見たり、小浜島、竹富島等は石垣とは違う町なのに町役場は石垣島にあり、また、それらの行き来は直接する航路は公のものはなく、一度石垣島に行かなければならないこと等を知って、内地→沖縄の抑圧の構造は、本島→メジャーな離島、メジャーな離島→マイナーな離島というように重層的になっているのだと気づいた。さらに、その外側には、安保の名を借りた米国→日本の抑圧の構造があるだ(それが基地問題に表れている)のだ。

沖縄に行って癒されるのは、そのような悲劇を背負いながら、この地が現代人が失った生の根源的なものをもっているから。生と死、生者と死者、人間と神がないまぜになった、民俗学の世界が今もある。実際、どこまでも青い海、サトウキビ畑、それを望む丘にある亀甲墓を見ていると、死は単に丘の下から上への移動に過ぎないような気がしてくる。

さて、今回は、やちむんの里という焼き物の工房が集まっているところで、女優の平良とみさんに会った。「ナビイの恋」を見て大感激して以来のファンだったからとてもうれしかった。
同じ監督の作品「ホテル・ハイビスカス」は期待ほどではなかったが。
「ちゅらさん」については稿を改める。

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日米法学会・樋口陽一先生ゼミ同窓会

2004年12月23日 | profession
9月に成蹊大学で開かれた(初めて行ったがアイビーリーグみたいなきれいなキャンパスにびっくり)日米法学会。
夫に付き合ってもらい、吉祥寺のアムリタでいっしょにエスニックを食べてから出席した。
ちょうどお祭りで、大学に行くバスの中から白い神馬が道を行くのが見えた。 

学習院大学の紙谷雅子先生が発表された米国の同性婚をめぐる動きが興味深かった。

同性婚に市長等がwedding licenseを発行しない
→そのことを州憲法違反として提訴
→違憲判決

という流れで、その後、ハワイのように(今春ハワイに視察に行った際もフォスター先生がそういう話をされていた)、州憲法自体を改正して、同性婚禁止が違憲でない状態に持っていった州と、バーモント州のようにむしろいろいろな形での家族の結合を認める方にいった州がある。

その後の大統領選と同時にいくつかの州が、ハワイと同じように憲法改正するための住民投票を実施し、大半の州で可決された。同性婚禁止を合憲化する憲法改正のために投票所に足を運ぶ有権者はほとんどブッシュ支持者だから、そのこともケリーの敗因の一つだといわれている。

以前から興味をもっているアメリカ法のテーマに、夫婦関係の取り扱い(日本では、身内を庇うことが認められるという点では夫婦も親子も同じ扱いなのに、アメリカ法ではたいてい夫婦のみ)のことがあるが、そのことにも有益な示唆を与えていただいたし、同姓婚禁止の状況はジェンダーと法の授業でもとり挙げた。

夜は、樋口陽一先生のゼミの同窓会に初めて参加した。
今までいけなかったのは、星野ゼミ同窓会と同様、気後れするという理由から。
先生は古稀とは思えない相変わらずのダンディぶりだった。

久しぶりに同期の最高裁調査官になっているM氏と話していて、ハワイの視察旅行でご一緒した、尊敬してやまない長野県の女性弁護士TKさんと司法修習で同じクラスだと知って世間の狭さにびっくりした。M氏は、ウイーンに赴任中、ジュネーブに留学していた(この時は夫が単身赴任)夫とは会っているが、私自身は電話や手紙でなく直接会うのは本当に久しぶりだった。
また、自治省から渉外弁護士に転じてもう大事務所のパートナーにもなっているFY氏(学生時代は「うる星やつら」のラムが理想の女性といっていた)が、今日行った成蹊大学の法科大学院で教鞭をとっていると知った。私がその直前に国際商事法務に書いた論文をほめてくれたのがうれしかった。
私たちの期では、夏休みに樋口先生の仙台のお宅にお邪魔したのだが、それが楽しかったので、自分も新入生ゼミの学生や点字サークルの学生を東京の自宅に泊めてあちこち連れて行くという行動につながっている。
私はこれが樋口ゼミの伝統なのかと思っていたが、同窓会で初めて、実は私たちの期が初めて強引に作った前例だと知ってちょっとびっくりした。
スライド上映された、歴代ゼミ生の先生のお宅で撮った写真の中にいる18年前の私は当然ながらかなり若く、懐かしくて仕方なかったが、ついでに下級生に「雰囲気が阪神の岡田(現監督)に似ている」といわれて落ち込んだことまで思い出してしまった。

また、記念写真で隣に座ったさいたま地裁判事のSSさん(女性)とも実際に会うのは本当に久しぶりだった。実は彼女は高校は違うが、高校3年のときに駿台の東大コース(親が学費をなかなか出してくれないので困った。模試で上位に入って学費一部免除を受けようとしたが、3位まで免除があるところ、4位にとどまったりして悔しかった。)で親しくしていたという、法学部でも古い友達。互いに「初めて会ってから24年もたったなんて信じられないね」と話した。

樋口先生は、私が挨拶状や年賀状を出すたびに、独特の流麗な手跡によるはがきをいつもくださる。それにどんなに励まされてこの曲折に満ちた人生を歩んできたか知れない。

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中国民法・星野英一先生ゼミ同窓会

2004年12月22日 | profession
学生時代ゼミでお世話になっていた星野英一先生とお会いし、中国民法研究のことでいろいろと親身なアドバイスをいただいた。
先日ジェンダー法学会があった日の夜、毎年開かれる星野ゼミ同窓会で、最近先生が中国民法典編纂にご協力されていることを情熱的に話されていたが、まさか一対一で教えていただく機会を作っていただけるなんて思わず、本当に光栄なことだと思う。
東大法学部の場合、ゼミは担任的な要素はなく、単なる選択科目の一つにすぎないから、その中でもけして出来が良かった方ではない(ゼミの卒業生はそうそうたる方ばかりだから、「私なんぞが末席を汚すのは…」と気後れして、大学教員になるまで、同窓会もほとんど欠礼していた)私にこのように時間を割いてくださるご親切が本当にもったいないくらいだ。

それにしても、78歳にして、年間何度も中国にご自身行かれるなどして取り組んでおられる情熱、中国語の勉強も最近始めたとおっしゃる向学心に、本当に頭が下がる。
学者としての資質は比べること自体が全く失礼だが、その情熱だけはなんとか見習いたい。

その数日後には、山梨学院大の主催する中国法シンポジウムにも出席したが、そこでも先生は熱心に発言されていた。

私も中国民法学者(日本語での発表がすばらしいのに舌を巻いた)に質問したが、物権法草案における物権変動と契約法の関係でずっとわからない部分がある。新しい資料も多数入手できたので、正月休みにもう一度じっくり検討してみようと思う。


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ジェンダー法学会

2004年12月22日 | profession
専修大学であったジェンダー法学会の大会に出席した。

昨年同様、夫も聴講料を払って付き合ってくれた。
ちょうど彼が今週仕事で会うことになっていたイギリスの難民認定審判長もNPOの人と一緒に来ていた。そのNPOの人は、夫が香港領事館に赴任している時、マカオで開かれた国際難民会議(私も配偶者としてパーティーには出席)でも会ったことのある人だった。

社民党党首の福島瑞穂氏が来ていて、トラフィッキングの問題について、議員立法で何とかしたいという発言をしていた。
忙しい政治家は、こういうところに顔を出しても言いたいことを言ったらすぐ帰ってしまうことが多いのに、彼女はその日最後まできちんと参加していたのが、偉いな、と思った。

ジェンダーと法の講義では彼女のセクハラの著作も参考にさせてもらっている。

2日目は、ジェンダーと法のゲスト・スピーカーに来ていただいた角田由紀子先生をはじめとした複数の発表者によるポルノや売春についての規制に関する報告だったが、そのひとりに質問をした。
大学教員になってから、年間5,6回学会に出席しているが、必ず質問をすることにしている。
あまりsensibleな質問ができなくて、あとで自ら深く落ち込み、しばらく立ち直れないこともあるが。
早く報告ができるようがんばろうと思う。
ジェンダーに関しては、英米法のunconscionabilityのことで数年前英語で書いた
論考をもっと深めて何らかの形で発表できないかと考えている。

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