夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

卑劣な嫌がらせ

2006年11月22日 | profession

講義で配布する資料が学内で盗難に遭った。

心当たりを尋ねても誰も名乗り出ないので(当たり前か)、警察に届けようと大学の自治との関係で必要な手続を照会したら、でっち上げまがいのことをいわれた。

憤慨したし、二度とこんなことがないよう、やはり警察に届けようと思ったが、ある事件が起きたので、とりあえず見合わせる。

というのも、経済学部の某教授(学部長経験者)が「煙草の不始末が原因と見」られる(11月21日付地元の新聞報道より)自宅の火災で入院され、講義の代替などの措置で大変そうである。盗難現場は経済学部との共有スペースであることから、こんなときにまた事務の人たちを煩わせるのは悪いと思ったし、立て続けでは警察への対面もあるから。それくらいの思いやりは私にだってある。一日も早いご快癒を祈る。


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公立小中学校選択制

2006年11月22日 | Weblog
私が卒業した青戸小学校が葛飾区でも入学率ワーストワンというデータがアエラに出ていた。

昨年三越でやっていた戦後60年の作家、漫画家の終戦当時を振り返る作品展で千葉督太郎という漫画家が、疎開先が青戸であまりの場末さに驚いたと書いていた。添えられた漫画は、中川の土手をGHQの将校たちが馬で行進する様子。その土手の下に私の育った家はあったが、風景が私が育った頃そのままだったので驚いた。
勉強部屋などなく、土手に面した廊下に私の勉強机はあった。

本を読む暇があったら家の手伝いをしろという親を反面教師として憎み、その土手を30分歩いて区立の図書館に通ってひたすら本を読んでいた子供時代だった。

寺島進は立石出身で「俺らどうせ川向こうですから」といっているのを見て深く肯いてしまった。どうも今ひとつ垢抜けないと思ったらやっぱり…。

「東京に家があったから東大に行けたんだから感謝しろ。山口県にいたら仕送りする金などないからたとえ合格しても東大にはいけなかった」と恩に着せ、高校卒業以来学費も含めびた一文現金を渡してくれなかった親を恨み、バイトと点字のボランティアにあけくれながら86点という平均点で文三から法学部に進学した私の苦労など、文科系の大学院進学は将来定職に就けるかどうかわからない(団塊の世代はいっそうそうだろう)のに、そういう贅沢な進路を30年以上前に選べた恵まれた連中には、絶対に理解できまい。

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負け犬の遠吠え

2006年11月21日 | profession
教育基本法が衆院を通過してしまった。
日本は一体どうなるんだ。
まずはこのことを書かなければならないのだが、どこが危ないのか、あとで時間をかけてupするつもりだが、とりあえず、また、極めてレベルの低い嫌がらせをされた。

所詮は全く法的実効性の伴わない悔し紛れの負け犬の遠吠えだが、こんなことをして、いずれ出るところに出たときに不利になるという合理的判断すらできないのか。

ブレーンが20年近く論文書いてない奴とか、○○○(都、片手ではない)落ちだからこの程度(理系の教授にすら「法律家とは思えない」といわれている)なのはしょうがないんだろうけど。こんな連中を相手にしなければならない情けなさと虚しさに涙が出る。

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Little understood and unfamiliar war

2006年11月12日 | Weblog
米国中間選挙で共和党が大敗し、今更ながらラムズフェルド国防長官が更迭された。

そのラムズフェルドが辞任の弁でイラク戦争にこうreferしたのには驚いた。

これではこの戦争で命を落とした者、とくに米国兵は浮かばれまい。

イラク戦争は泥沼化し、越米戦争(ベトナムに旅行したときに、現地では「アメリカ戦争」と呼ぶのを知って、「ベトナム戦争」と呼ぶことによって知らず知らず自分も米国側に立っていることにはっとしたのでこう呼ぶ)の二の舞と化している。

昨年ニューヨーク州司法試験に合格したときに、ロースクールを卒業して以来の魚の小骨が喉にひっかかっているような宿題というだけでなく、米国という国を批判するためにもクリアしなければ課題だったというようなことを書いたが、米国のこのような点は最も唾棄すべき点である。

非人道的なことをやっても、国内経済を牛耳っているユダヤ資本に遠慮してイスラエルには大した批判はしない、それどころか、戦争を起こすこと自体が兵器産業のためという説もあるくらいだ。

次の大統領選挙が楽しみである。

大統領選挙といえば、1992年の秋、オックスフォード大学に留学するため米国から英国に移動したとき、殆ど初めて米国人の発音と英国人の発音が全く違うことに気づいた。Back to the future3でも、マイケルJフォックスらは、英国から移民してきた先祖の役をやるときにはちゃんと英国式の発音をしていた。

雨が多く暗い気候ととっつきにくい英国人とともに、米国が懐かしくて仕方なく、「故郷の訛り懐かし」とばかりに大統領選挙の日、大学の「民主党クラブ」の主催する、パブを借り切っての選挙報道をみんなで見るイベントに潜り込んだ。結果はご存知のとおり、クリントンの勝利だった。Harvardのあるマサチューセッツ州は民主党の牙城であり、新しい時代が来るとわくわくしたものだ。

ところで、マドンナは当時「初めてセックスが好きそうな人が大統領になってくれてうれしいわ」とコメントしていたのに、その後ガイ・リッチーと結婚し、子供を英国のパブリックスクールに入れるためにロンドンの高級住宅街に移り住んでからは、すっかり保守的になり、しゃべる英語まで英国アクセントに変え、クリントンのスキャンダルの際も、「絶対に許せない」などとコメントしていたのには呆れた。

ところで、英語について。
今では、英国式発音の方がずっと好きである。米国式の発音は、口の中で飴玉を転がしながらしゃべっているようで下品に感じられてならない。
つづりも、たとえば旧英連邦(カナダは地理的に近いので米国式のようだが)やEUでは、英国式のつづり(たとえば、realizeをrealiseと表記する等)を使っているので、使っている国は英国式の方が多い。
それなのに、日本では、米国式のみを教える。
米国式を教えるという選択自体はかまわないが、ぜひ「これは、英語の一種でしかありません。違うつづり、違うアクセントを使っている国もたくさんあります」という相対化もやらなければ真に国際人を育てる教育にならない。
日本も米国中心主義を見直すべき時期だ。

私は、英語で論文を書くときは、(相手が米国の雑誌などでないかぎり)英国式の綴りで書くようにしている。
しかし、ワードが米国式がデフォルトになっているために、いちいち辞書変換をしなければならないのが業腹である(そういえば香港も返還後は大陸化が進行したためか、香港大のパソコンも米国式がデフォルトになっていることに、慄然としたものだが)。

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宗達・光琳・抱一「風神雷神図屏風」

2006年11月06日 | Weblog
出光美術館で、琳派の三巨匠、宗達・光琳・抱一それぞれが描く「風神雷神図屏風」が、66年ぶりに一堂に集まる特別展覧会をやっていて、夫と見に行ってきた。

三島は、西洋画ではワットーの「シテールへの船出」、日本画では宗達の「舞楽図」が最も好きだといっている。(『仮面の告白』のでて来る聖セバスチャンの殉教には特別の意味があるのだが)

ルーブルに行く度に、ワットーのこの絵はしげしげと見てくるが、「舞楽図」の本物は、今年の春の仁和寺の特別公開で初めて見て感動した。

三島が「舞楽図」とともに絶賛していた「風塵雷神図」はふだん建仁寺にあるが、特別展示期間以外は見られない。
それが、尾形光琳、酒井抱一のものとともに公開されるというのだから大興奮だった。

宗達のそれを光琳が、光琳のそれを抱一が模写したもので、抱一は宗達の絵の存在を知らないという。わずかな違いがあるのも興味深いが、やはり宗達のものがずば抜けていい。

また、他の琳派の作品も、照明の強弱での見え方の違いも楽しめるような趣向になっていて、とても面白かった。

伴大納言絵巻の展示は、前売り券を買っておいたのに、忙しくてついに行けなかったのが残念である。

宗達といえば、京都の養源院にある杉戸の麒麟や象の絵もユーモラスで良かったが、鳥居元忠らが伏見城で関が原の留守を守って捨て石になったときの壮絶な死を髣髴とさせる血天井が移築されているのにもリアルな歴史が感じられて京都観光の醍醐味である。

ベストセラーになっている磯田道史の『殿様の通信簿』を読んだら、鳥居家の捨石扱いは幕末まで変わらなかったらしく、哀れである。

また、凡庸と思っていた加賀藩二代目の前田利長は、父利家の「秀頼公を守れ」という遺言とお家存続の板ばさみになり、三代目になれば遺言を聞かなくてもよいだろうと自殺したとされているというのも驚きだった。
そうまでした結果が最大の大名の地位だったのだなあと思うと、研究会や調べもので母校に行く度に赤門を見る目も変わってくる。
それにしても、まつはあれだけ苦労したのに三代目は利家が名護屋城で側室に生ませた利常、まつの血は加賀藩歴代藩主に流れていないことになり、気の毒である。


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イッセー尾形『太陽』

2006年11月06日 | 演劇
先々月、映画館で映画を見るのは久しぶりだった(この頃はもっぱら飛行機の中で観ている)が、夫と『太陽』を見に行ってきた。

昭和天皇が主人公というタブーにロシア人監督が挑戦し、日本の大手配給会社は誰も買い付けず、小さな配給会社一社が買い付けたが、盛況なのでロードショーを拡大したとのこと、他の映画だったら、評判をじっくり見定めたうえでDVDを買えばいいか、と思うが、この手のタブーがらみの作品は、DVD化できないかもしれないので、見ておくことにしたのだ。

イッセー尾形が大好きだということもある。
台湾映画『ヤンヤンー夏の思い出』の演技もすばらしかったが、一人芝居がやっぱりすごい。私は特に「大家族」シリーズが大好き。内山さんの家を訪問するバージョンは、何度見ても泣いてしまう。

ヤンヤン 夏の想い出 [DVD]
エドワード・ヤン
ポニーキャニオン




イッセー尾形ベストコレクション2004 大家族 クリスマス編 [DVD]
イッセー尾形
ポニーキャニオン



一度、夫と丸ビルにライブを見に行ったことがあるが、演目の間の着替えるところも、全部客席に見せているのに驚いた。

映画だが、タブーとされるテーマに挑戦したその意気はよし、であるが、手抜きが気になった。

たとえば、終戦間近の防空壕で、天皇が、疎開している皇太子に宛てて手紙を書くのだが、「想い…」という表記がでて来る。この時代なら、「想ひ…」という旧仮名遣いのはずなのに、誰も指摘しなかったのだろうか?興ざめである。

また、やたらと天皇に同情的な日系人のGHQ通訳も、こんな理解のある者がはじめからいるはずない、とリアリティがないし、第一、演じた役者は韓国系のロシア人だったが、いくら練習しても日本語の発音がひどいので、侍従長役の佐野史郎が英語の科白も日本語の科白もアフレコしたというのもひどい手抜きである。
というのも、天皇が庭に現れたところにGHQの広報部などがフラッシュを浴びせかけるのを、侍従長が「おやめください」という科白と、その通訳が「Stop it!]
という科白が同じシーンで出てくるのだから、同じ人間が声をやっているのはどうしても不自然だった。
せめて別の役の日本人役者にやらせるぐらいの配慮をしなければ台無しだろう。

それと、久邇宮家出身の皇后はああいうしゃべり方はしないだろう、桃井さん。

ただし、やっぱりイッセー尾形の演技がすばらしかったことだけは確かであった。

太陽 [DVD]
ユーリ・アラボフ
クロックワークス

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曽根崎心中

2006年11月06日 | profession
巨星吉田玉男をなくしたことは、文楽にとって痛手だが、2000年、28年ぶりで東京で仮名手本忠臣蔵の通し狂言を上演した時、玉様の由良助を見られたことを一生の思い出にしようと思う。

先日、また東京で6年前よりも本格的な仮名手本忠臣蔵の通し狂言をやって、玉様の不在を嘆きつつ見に行ったのだが、箕助が見事に演じていて、安心した。

また、前進座でやった文楽の曽根崎心中も観た。
文楽で観るのは実は初めてで、昔、ATG映画で、徳兵衛=宇崎竜童、お初=梶芽衣子のを観たのがとても印象に残っていた。

それで触発されて、教材にも使った。

「両親を早くに亡くし、親代わりの伯父の経営する醤油会社に勤める徳男は、飲食店で接客業をする初子と結婚の約束をしていたが、徳男の働きぶりを気に入った伯父が娘と結婚させようと徳男に断りなく話を進め、持参金100万円を徳男の銀行預金口座に振り込んだ。これを知った徳男は、従妹と結婚する意思はないことを伯父に伝えるとともに、100万円をすぐに返そうとしたが、そこに親友である九郎が、「どうしても明日の手形が落ちそうもない。明後日には取引先から入金があるから、2日だけ100万円を貸してほしい」と依頼してきた。親友の窮状を見かねた徳男は持参金の100万円を口座から引き出し、九郎に交付したが、友達同士なので書面等は作らなかった。2日後、徳男は九郎に返済を求めたが、九郎は「お前から金など借りた覚えはない。言いがかりをつけるな。」といって金を返そうとしない。この場合の、徳男、九郎、伯父の法律関係を述べよ。」

実際には、九平次は、証文を徳兵衛に書かせ、前日に喪失届けを出しておいた実印で押印し、徳兵衛が証文を見せると、「盗まれた実印で証文を偽造した」とまで毒づくのである(この時代から実印制度があったのだなと興味深い)が、そうすると、民法以外の論点が入ってしまうので、こう変えた。

このごろ、演劇を見ても小説を読んでも教材に使えないかばかり考えてしまう。

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お三輪としずの苧環

2006年11月06日 | 演劇
静御前が鶴岡八幡宮で頼朝の前で舞を舞った時、歌ったという、
「しずやしず、しずの苧環繰り返し、昔を今になすよしもがな」の「苧環」とは何か、小さな頃から疑問だった。

しかし、文楽『妹背山女庭訓』第四段・道行恋苧環を観て、これと関係あるのでは、と思った。

酒屋の娘お三輪が、恋する求女(実は鎌足の息子)を追って、彼の衣のすそのほつれをたどって追いかけていく。
(恋する男の正体を知るために男の衣のすそのほつれをたどったという三輪山伝説を基にしているという)

彼女の科白の中に「賤(しづ)の女(め)」と自分をいう部分があるのを見て、ぴんと来たのだ。

お三輪は、結局女官たちになぶりものにされた挙句、求女を救うのに女の生き血が必要だと聞いて自らの命を差し出すのだ。

静御前も「命を懸けて義経をどこまでもおっていく」という覚悟を詠んだのでは、と。(まちがっていたら、だれか、教えてください)

2005年の大河ドラマ『義経』では、京の屋敷で静が花を育てているのを、義経が「苧環か」なんていうとってつけたようなシーンがあったが、花は関係ないと思う。

私は文楽の登場人物でなんといってもこのお三輪が一番好き。
好きな人を一途に思って、最後は喜んで命を差し出す。
報われない恋に命をかけるのが一番かっこいいとおもうんだが、扱いはひどいのではないか。

今やっている大河の六平太、原作では別に千代とは全然関係ない男なのだが、大石静の脚本では、千代を愛するが故に度々、一豊を救うという自己犠牲の愛を貫いている。こういう男が一番かっこいいのだ。
香川照之は、俳優にはめずらしく大学が同窓なので気になっていた俳優。
演技力が卓抜で、『利家とまつ』では、秀吉が死んだ時、まるで香川のための総集編としかいいようのない回想シーンがほぼ一回分使ってでてきたほどだ。
『鬼が来た!』のDVDはどうしたら入手できるのだろうか。

『女は度胸』で橋田ファミリーになったようだが、『渡鬼』では、長子の最初の夫だったが第二シリーズでは死別したことになっていた。『春日局』で長男役だった唐沢寿明も葉子の最初の夫だったが第二シリーズでは離婚、どちらも橋田ファミリーから脱して正解。ナンシー関が、「橋田ファミリーになるということは、俳優としてのオリジナリティと生活の安定のどちらを選ぶかという踏み絵を踏まされることになる」といっていたが、けだし名言。

それから、古い映画になるが、郷ひろみと石原真理子が共演した『さらば愛しき女』でも、郷ひろみの愛人・南條玲子が、居所を対立するやくざに問い詰められ、彼に不利なことをしゃべらされるくらいなら、と高層マンションの窓から飛び降り自殺してしまうのが、主人公の純愛など吹き飛ぶくらい私には衝撃だった。(南條玲子って、今どうしているんだろう。私が堤さんを見初めた1990年の大河『翔ぶが如く』で堤さん演じる矢崎八郎太の恋人になる有森成美の姉役で見たのが最後だった気がする)

文楽・歌舞伎の人気女性といえば、『艶容女舞衣』のおそのと『義経千本桜』すし屋の段のお里らしい。太宰治の長女が園子(津島派領袖の津島雄二の妻、今津軽の津島家を継いでいる)、次女が里子(作家の津島佑子)というのは、ここからとっている。

でも、おそののけなげさも『心中天網島』のおさんにはかなわないし、お里は恋に盲目なだけ。

文楽の成立は江戸時代だが、原型になった三輪山伝説から静の歌は由来しており、またその歌をうけて、文楽のお三輪の「賎の女」という科白ができたのでは、と思うのだが、どなたか真偽のほどを教えてください。

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本郷の昼下がり

2006年11月06日 | profession
絹江「お義父さんの車椅子を押してこうしてお散歩するのも久しぶりですわね」
繁邦「随分仕事が忙しかったようじゃの」
絹江「この2週間、紀要原稿の締切や、学会発表のレジュメの締切、学生用の復習用教材の作成に加えて、文科省の実地調査で私の講義が見学されまして、その準備でろくに寝てませんの。大学時代行政法を習った小早川先生もいらしてたんですが、緊張してお変わりがあるかどうかもわかりませんでしたわ。」
繁邦「その実地調査というのが、去年はお前だけ嫌がらせで知らされなかったってあれか?毎年やるのか?」
絹江「他の法科大学院に聞いたら毎年は来ないということですから、うちは不祥事のせいで特別なんでしょうね。ところで、お義父さん、例の映画、まだ観ていないんですが、お義父さんの役は、高岡蒼佑という、ドラマ版『人間の証明』で松坂慶子の息子役をやったイケメン俳優がやっているようですよ。自らを『最醜の機構』と呼んでいらっしゃるお義父さんの役としてはミスキャストですわね」
繁邦「なに、どうせセカチューの監督じゃろう、はなから期待しとらんよ」
絹江「ところで、大学のことでまた困ったことがありまして。病気で休講にしておいて出勤簿に出勤印を押した教員なんですが、「当時の大学の慣行として出勤簿には休暇届、出張届けがあった日以外はすべて出勤扱いとし、事務官が本人に代わり捺印していた。休講した日に仮にその日全部出勤せず自宅研修なり療養をしていたとしても休暇届を出す慣行はなかった」って反論しているんですよ」
繁邦「なに、病気で休講にしておいて、自宅研修とな、それは正気か。確か、お前の同僚で、労基法38条の4第1項に基づき「労働者の健康および福祉を確保するために使用者が」労働時間を把握するために提出させるものにすぎない「勤務時間記録書」の虚偽記入を処分理由の一つとして懲戒処分された者がおったのお、そんな「慣行」を大学が認めて不問に付したら、大変なことになるじゃろうな。」
絹江「さすが、老いたりといえ、大阪控訴院判事退官後丸ビルに事務所を構える大物弁護士として活躍されていただけのことはありますわ。」
繁邦「そろそろ冷えてきたから戻ろうか。ところで、大学の話が出たついでに、前々から聞きたかったことを思い切って聞くが、絹江、お前が点字のボランティアをやったり学生に教えたりしているのは、透がああいう身体になったことと関係あるのか?」
絹江「今ご指摘されるまで意識したことはありませんでしたが、潜在意識のどこかで関係があるのかもしれませんわね」

上記の会話はすべてフィクションです。

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