夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

幼時から父は、私によく、金閣のことを語った。

2009年03月27日 | profession
という読点の打ち方に特徴のある書き出しで始まる三島の『金閣寺』を初めて中二の冬に読んだとき、私は衝撃を受け、以来30年以上三島中毒なのだが、そのために京都はずっと私の憧れの町だった。

中学の修学旅行で初めて本物の金閣寺を見たときの感激は今でも忘れられない。

高校の修学旅行でも訪れ、高校の卒業旅行でも、社会人になってからも幾度となく京都を訪れてきた。

はじめに就職した信託銀行は大阪に本店があったので、出張で度々大阪に行き、週末にかかる場合は必ず京都に寄ってくるほどだった。

神社仏閣は、いくら訪ねても非公開文化遺産を見終わることはないし、季節季節で違う顔を見せてくれ、尽きせぬ魅力がある。

初めてこの小説を読んだときは、30余年後、金閣寺からさほど離れていない大學に勤める運命が自分に用意されているとは夢にも思わなかった。

今の大學に転職して丸一年、改めて自分の幸運に感謝している。

元々研究者を目指して大学院に進学したわけではなく、大学卒業後14年も銀行員をしていた。博士号もまだとっていない。修了した大学院は全て海外で、しかも研究者養成コースではなく、いわゆるtaught courseばかり。就職先を世話してくれる指導教員と呼べるような方も国内にいないのに、二度までもコネなし純粋公募で大學に就職することができた。

研究者になるべく長年研鑽を積み、博士号を持っていても、なかなか就職できない人が多い中、申し訳ないくらいである。

また、少子化で定員割れ等、存立の危機に瀕している大學も多い中、学生を尊ぶ気風のある都市の、100年以上の伝統を誇る公立大学であり、予算は寧ろ増やしてくれているくらいで(隣の公立大が知事の方針で予算を大幅に削られているのとは大違い)、潰れる心配はない。

学生もまじめで気骨のある、超一流とはいえないがそこそこ優秀な者ばかり。

こちらが教えられることも多い。

何よりも、同僚がすばらしい。

元々福祉社会学部だったのを、昨年4月の法人化に際し、府から「シンクタンク 機能を果たしてほしい」という要請を受けて、公共政策学部に改組したもので、公共政策学科、福祉社会学科の二学科体制になっている。Facultyのメンバーの半分は福祉、教育、心理といった専門の先生ということもあり、教員会議(教
授会と呼ばずにこう呼ぶことが本学の民主性をよく表していると思う)はとても
なごやかなムードで、前任校であったような派閥の対立など全くない。

福祉をやっているせいか、やさしく思いやりのある人が多い。

私はおよそ研究者であれば、専門の如何を問わず、真善美の追求を目標にするものだと信じてきて、前任校では悉くそれを裏切られたわけだが、この大學では、それを再び信じられるようになった。

前任校では「何が自分の得になるか」で動く者ばかりだったが、ここでは「正義とは何か。理想の社会とは何か」をまじめに議論し、それに近づこうという行動原理が支配している。

学部長は経済が専門だが、「ベーシック・インカム論」という極めて理想主義的な理論の第一人者で、非常にリベラルな雰囲気の中で、同僚の方それぞれが立派な
研究業績をもち、共同研究会を定期的に開催するなど、研究面でも尊敬できる方ばか りである。

学部長は自分の研究・学生の指導に加え、改組したばかりの学部の長の仕事、法人化間もないために必要な府との様々な折衝など、本当に大変だろうに、全てまじめにやってくれる。教員個人の問題にも誠実に対応してくれる。私が悩みを相談したときの真情あふれる対応には涙が出た。

どこかの大學の研究科長が前期試験の採点を2月までしなかったり、書いてもいない論文を書いたと文科省に虚偽の申告をして停職3ヶ月をくらうようなのとは、比べること自体が失礼だ。

学部長は演劇フリークでもあり、年間60本見るといい、新進の劇作家の情報を教えてくれたりもする。

上司を尊敬・信頼するという当たり前のことが、やっとできるようになった。
(銀行時代にももちろん尊敬できる上司はいたが)

また、以下のように、大変学生思いで、学生に対して親身な指導をしている。

○ 前任校ではゼミの担当教員が自動的に卒論指導もしていたところ、ここで
は、卒論のテーマを提出させ、教員会議でひとりひとりについて、どの教員がふさわ しいかを検討して決める。副査もついて口頭試問を行う。(私も初めて副査を務めた。勉強になった。)
○ 卒論については、4年生全員が、最終報告のみならず、公開中間報告会も行う。
○ 大学院生については、構想報告会、中間報告会、最終報告会を行う。
○ 普通は上級生が企画する新入生ガイダンス合宿を大学が主催し、教員全員が参加する。
○ 教員会議の最後に必ず学生の動向についてという議題があり、「○○さんは 最近あまり講義に来ていないようですが、どなたか事情をご存知の先生はいますか?」といったような情報交換がなされる。

まあ、多少過保護すぎないか、と思わないでもないが、学生の成長を直に感じることができるのは教師の醍醐味でもある。

国際的な経験を頼りにされ、 今年度に初めてできた全学の国際交流委員会や留学生委員会の委員を命じられ、交流規程の策定など、実質的な役割を果させていただき、大変だけどやりがいのある毎日だ。

事務の人も、前任校では3,4人がかりでやっていたような仕事を1人でこなしているのに、事務処理能力が非常に高く、的確でミスも少ない。

やっと研究に打ち込める環境になったので、健康と相談しながら(前任校で受けた非人道的な仕打ちが時折フラッシュバックする。法曹養成機関〔合格者0なのでまだ養成していないが〕とは思えないような反社会的な事件の数々ははいずれ洗いざらい発表するつもり)腰を落ち着けて代表作と呼べるような論文を執筆しようと考えている。

四季折々の京都の美しさも堪能している。
祇園祭、大文字、時代祭り、紅葉。
大学の隣にある植物園は教職員は無料で入れるので、常に美しい緑に囲まれている。すぐ近くに流れる鴨川の河原も息を飲むほど美しい。

夫の仕事の都合で(夫は来年度も今のポストに留任することになったので、来年の3月まではここに住むことになる)住んでいる大阪難波も住めば都。

自転車でいける範囲にある四天王寺、住吉大社、十日戎、引退前の道頓堀食い倒れ太郎、それ以外にも岸和田だんじり祭り、石切剣箭神社でのお百度詣なども経験した。

少し足を伸ばせば奈良、東大寺お水取りや大神神社ご神体への登拝(『奔馬』に出てくる)、山之辺の道の散策、三熊野詣、白浜での海水浴など、関西に二人でいてこそできる体験を楽しんでいる。

自分は今まで不幸なのが当たり前だと思ってきた。
しかし、司法試験で留年している間に男女雇用機会均等法が施行されて4年生の秋まで就職活動もしなかったのに銀行に総合職として就職でき、バブルの恩恵で派遣留学もさせてもらった。

留学から帰ってきて法務部に戻りたいのに国際関係の部署で働いて4年、不祥事のためにコンプライアンスの強化を目指した都市銀行が会社設立以来初めて中途採用の募集をし、採用してもらって金融法務学界をリードしてきた有名な法務部で弁護士でもある上司から鍛えられ、法律雑誌に論文をたくさん発表させてもらった。

夫の海外赴任で一度は専業主婦になったのに、ロースクールバブルのおかげで、いきなり国立大学に就職でき、そこで辛酸をなめたが、今度はすばらしい職場に恵まれた。本当は感謝すべき幸運にも恵まれてきたのかもしれないと思う。

物好きな誰かがwikipediaで私の項目を詳述し、ブログもリンクしたりしているので、採用される際、前任校で内部告発者と疑われ迫害されたことは学部長は知っていたかもしれない。否、知っていたのではないかと思う。

というのも、採用面接の際、夫が京都出身だと向こうが知っていたので驚いたが、応募書類には夫の出身地どころか既婚かどうかすら書いていないのだ。また、「あなたの今いる大学の申請における不祥事のせいで、改組一般の申請が厳しくなって参っている」ともおっしゃっていた。

であれば、私を採用してくれたことを後悔させないように、頑張るしかない、と思う。一年の間には「あれ?これはおかしい」と思うこともあったが、それに対する学部長の処理も見事なものだった。それで間違ったことは間違ったことだといえる所だとわかったので、良心の葛藤はない。

職場において誠実に努力していさえすれば報われると信じられるほど幸せなことがこの世にあるだろうか。


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