市民活動総合情報誌『ウォロ』(2013年度までブログ掲載)

ボランティア・NPOをもう一歩深く! 大阪ボランティア協会が発行する市民活動総合情報誌です。

2009年9月号(通巻448号):レポート

2009-09-01 17:23:29 | ├ レポート
明るいのが取り柄の大阪に
もういっぺん明るさを取り戻す
「OSAKAあかるクラブ」キックオフ


編集委員 杉浦 健

 「大阪が人を明るくするまちにしたい」その思いが、多くの市民の共感を呼び、「OSAKAあかるクラブ」というクラブ活動が発足、そのキックオフイベントが7月28日(「なにわの日」!)、大阪・住之江区のワールドトレードセンター(WTC)の特設ステージで開催された。
 ネーミングの由来は、「大阪」「明るく」「LOVE」を足したもの。プロジェクトデザイナーの野村卓也さんや御堂筋アートグランプリのディレクターの一人でもある井原正博さんを始めとする、ほっとかれへん人たちが有志で立ち上がり、クラブ活動の骨子をまとめ上げた。当日のゲストは、クラブのキャプテンでもあるやしきたかじんと桑名正博、香西かおりほか 。
 サポートには大手広告代理店が付いている。大阪らしい芸能人をうまく使い、彼らが自発的にボランティアとして動くことで、クラブ活動の機動力も演出している。
 クラブ員になるには、まずオリジナルTシャツを購入する。これをクラブではユニフォームと呼ぶ。価格は3千円。デザイン的にもしっかりしたものだ。すべてのユニフォームにはシリアル番号が付いていて、それが会員番号になる。3千円の寄付で、もれなく会員にエントリーされ、会員番号付きユニフォームが付与される、というなかなか味なしかけだ。イベントには、参加者全員がこのユニフォームを着用する。この場ではみんな平等なので、一体感もある。
 興味深かったのは、案外若いボランティアがたくさん参加していたこと。
 「案外」とは失礼な、というなかれ、若者のボランティアニーズは高まる一方だが、ボランティアを求める側との「需要」と「供給」がかみ合わないのか、ボランティアをしたくてもできない人たちが多いのが現状。
 「君たち、ボランティア?」と聞いたら、みんな笑顔で、「そうです」と答える。「まつりやイベントが好きなんですよ」「みんなでやろう、って、声掛け合ってきました」「めっちゃ楽しいですよ」
 この「楽しい」が原動力になるのだ。しかも、彼らは、単にまつりに参加しに来たわけではなく、しっかり自分たちの役割を見つけ出して、手際よく働いているのだ。
 まだまだ大阪も捨てたものではないと実感。そして、このクラブ活動の、特に若者の今後の動きには、目が離せない。

2009年7・8月号(通巻447号):レポート

2009-07-01 14:15:26 | ├ レポート
「第27回 全国民間ボランティア市民活動推進者企画戦略会議」に参加して

金治 宏(大阪ボランティア協会)

 83年に民間の立場でボランティア活動を推進していた全国の8団体22人が大阪に集まり、情報交換と交流の場をつくった。あれから26年。今年も民間のボランティア・市民活動推進組織の関係者約70人が全国から佐賀に集い、「第27回全国民間ボランティア市民活動推進者企画戦略会議」(通称:民ボラ)が6月6日、7日の2日間にわたって開催された。
 佐賀県で開かれた今回の民ボラは、「日本の市民活動やボランティア活動を発展させるための活動推進者の役割、そして中間支援組織はどんなビジョンや戦略を持てばよいか、共に考えましょう」とパンフレットに書かれているように、多様化する現代社会のなかでCSO(Civil Society Organizations)の果たす役割やセクター間の協働について意
見・情報交換が積極的に行われた。
 今回の目玉は、「佐賀から始まった協働化テスト︱ 『協働』という言葉を再考する」というオープニングセッション。佐賀県では全国に先駆けて06年から県庁の全業務を対象に民間が実施したほうが妥当な業務について、実施主体や手法の見直しを図る「提案型公共サービス改善制度(通称:協働化テスト)」が行われてきた。具体的には、佐賀県の全業務約2千300事業(教育・警察事業は除く)について、民間からの提案を受けて事業を、①県が今まで通り直接実施する、②県の業務を外部に委託する、③企業が実施する、④CSOと協力して実施するといった選択肢のなかから翌年度以降いかに実施していくかの検討を行う。質の高い充実した公共サービスの提供をめざした事業、それが協働化テストである。
 セッションでは、協働化テストの実施者である古川康・佐賀県知事に加え、佐賀県で政策提言を行う佐賀県CSO推進機構・川福知子代表理事と協働化テストの名付け親である大阪ボランティア協会・早瀬昇事務局長が、民ボラ参加者とともに「協働」について意見を交換し合った。セッションでは「単なる下請け関係にならないようCSO、行政がともに学び、成長していく仕組みを作っていくべき」といった意見が出され、質の高い公共サービスの提供のために各セクターがいかにパートナーシップを築いていくかが話し合われた。
 民ボラではこのオープニングセッション以外にも政策提言やソーシャルビジネスなどをテーマにした7つの分科会が開かれた。今回、初めて民ボラに参加したが、一番の収穫は全国から集まった仲間とともに共に考え、悩みを分かち合い、課題解決に向けて議論する場を持てたことであったように思う。民ボラのユニークなところは、市民活動に携わって間もない新人(私は中間支援組織の職員1年目である)、そして中堅、さらにこの道何十年の大ベテランが一緒になって場を共有することである(この様々な違いが各参加者に“気づき”を生み出していると思う)。このことは、市民活動の現場で、これまで閉塞感を抱くことが少なくなかった私にとって新鮮な出来事であった。振り返ると、参加して“得した”民ボラだった。
 なお、来年の民ボラは6月5日、6日に静岡で開催される。今後も機会があれば、新しい仲間に出会える民ボラにぜひ参加したい。

2009年6月号(通巻446号):レポートR

2009-06-01 12:50:40 | ├ レポート
人と/自然と/世界とつながる
“ここからつながるマーケット in Nara”

編集委員 久保 友美

 ゴールデンウィーク真っ只中の5月3日、奈良県庁の中庭で今年初の試みとなるイベントが開催された。その名も“ここからつながるマーケットinNara ”。関西を中心に環境やオーガニック、フェアトレードを意識した人たちが集うマーケットで、当日は50店以上の出店があった。
 「つながることで、私たちの視野はだんだんと大きく広がっていきます。有機的に様々なコト・ものとつながっていくことを通じて、私たちの生活が豊かになれたらいいな。そういう想いを込めてこのマーケットを行います」とパンフレットに書かれているようにこのマーケットの最大の特徴は“つながり”である。食べ物の販売だけでなく、音楽やワークショップ、カフェ、クラフト、エコ雑貨などバラエティ豊かなお店が一同に出店をし、手作りおやつを食べながら音楽に耳を傾けたり、子どもたちが糸つむぎのワークショップで夢中になっている傍らで両親はクラフト雑貨を眺めたり…というような光景が至るところで見受けられた。お店のジャンルとしてのつながりはもちろんのこと、出店者同士、出店者とお客さんのつながりの強さもこのマーケットの特徴のひとつのように感じた。
 出店者の中には親子連れの参加も多かったのだが、出店者の子ども同士が一緒に芝生を駆け回って遊んだり、お客さんとの懐かしい再会を喜ぶ姿が多々見られたのが印象的であった。また、当日は鹿の格好をしたボランティアが会場を盛り上げた。鹿が正座をして音楽を聞いたり、数人(数頭?)の鹿が一緒になってヨガのワークショップを受ける様子は周囲の雰囲気をより一層楽しいものとしてくれた。
 お客さんからは「次はいつやるの」「毎年やっているの」「奈良でこういうイベントがあって嬉しい」という声がたくさん上がり、ゴールデンウィーク中は観光客で賑わう新緑まばゆい奈良の地で、新たなまちの魅力を創り出したイベントであったように思う。ここで生まれた“つながり”が次の新たな“つながり”となることが楽しみだ。

2009年6月号(通巻446号):レポートL

2009-06-01 12:50:12 | ├ レポート
「チェルノブイリ23年京都のつどい」に参加して

編集委員 千葉 有紀子

 1986年4月26日、現ウクライナ(発生当時はソビエト連邦)のチェルノブイリ原子力発電所で核暴走事故が起こった。それから23年が経過した今年、同月同日、「チェルノブイリ23年京都のつどい・苦しむ人を決して忘れずに」(ハートピア京都大ホール・京都市中京区)と題した集いが行われた。開会の挨拶の後、「チェルノブイリ被災者の今」を野田正彰さん(精神科医・関西大学教授)が講演(写真)、また、ドキュメント・ビデオ『サクリファイス(犠牲)』の上映もあった。
 講演では、被災者や事故処理者などの面接調査を通して見た現状が伝えられた。ドキュメント・ビデオには、広島に投下された原爆の500発に相当するほどの「死の灰」が飛び散った事故の後、汚染した車を埋めたり、事故を起こした4号炉を囲む巨大な壁、いわゆる「石棺」を作るために必要な作業をした人の姿が映し出された。淡々と続けられるその作業が実はとても恐ろしいことであったことが分かったのは、後になってからだった。野田さんは91年、チェルノブイリを訪れ、後処理にかかわった人たちの診察をしていた。そして、昨年再び現地を訪れ、被災者の面接をしてきた。
 後処理にかかわった人たちは、その作業中から、すでに体調に不調をきたしていたという。その後も体調が優れないため、仕事に就くこともできず、次々と亡くなっていった。医療体制も万全ではない。診察は無料だが、医薬品は実費である。一時的に得たその当時まとまったお金もソ連崩壊のインフレで無くなってしまっている。今回、診察した人の多くが「将来、生活への不安」を口にした。みんな多くの病気を抱え、薬のお金に悩み、生活の不安に苦しんでいる。しかし、この現状に対し、直後には援助していた欧米諸国はだんだん撤退していき、今も援助を続けるのは日本の団体だけだという。
 講演の最後に「私たちにできることは、この事故のことを決して忘れないこと。そして、援助を続けていくことだ」と締めくくった。野田さんは「驚いたことに、これほどまでに原発に苦しめられていながら、みんな口を揃えて『原発は必要だ』と言う。情報を知らないということは恐ろしい」ということにも触れていた。このように、後処理にかかわることで、2次被爆、3次被爆もある原子力発電所の事故の怖さを、50数基の原発の老朽化が進みつつある日本の場合にもかんがみ、私たちも我が国の原発のあり方を考えるべきであろう。
 会の最後には「チェルノブイリ23年京都のつどい・集会アピール」がされた。その中には「原発事故が起きれば、どのような惨状が発生するかを、原発を推進し、運転を続けている人びと、また原発について関心を持たない人びとにも届けていく必要性を共有しました」とあり、最後は「原発はいらない! 原発推進政策をやめよう! 放射性廃棄物のスソ切りをやめよう! プルトニウム利用政策の廃絶を! 高速増殖炉もんじゅもいらない、六カ所村核燃料再処理工場もいらない!」と締めくくった。この世界から原発を無くしていくために、会場のみんなが心を一つにして、会は閉会した。
 なお、この集いは、来年も4月25日、同じ会場で行われる。チェルノブイリの事故は永遠に忘れてはいけない。

2009年5月号(通巻445号):レポートL

2009-05-01 14:50:47 | ├ レポート
アフガンに緑の大地を
伊藤和也さん 追悼写真展
                編集委員 千葉 有紀子

 菜の花がいっぱいの会場で、その優しい写真に囲まれていると、気分がほのぼのとしてくる。故伊藤和也さんはペシャワール会の現地ワーカーとして、03年から約5年にわたり、アフガニスタンに緑の大地を取り戻すため、現地の人々と共に懸命に働いてこられた。しかし08年8月26日、心ない者の凶弾に倒れ、志半ばにして31年というあまりに短い生涯を閉じてしまった。その伊藤さんを偲んで、彼が撮影したアフガンの子どもたちの写真と、彼の足跡をたどる写真を展示した追悼写真展が4月10日から19日まで京都で開催された。会場となった、かぜのね(京都市左京区)には、毎日のように菜の花が届けられ、写真の中の菜の花とイメージが重なって、一層無くしたものの大きさを感じる。
 12日には、ペシャワール会の農業指導員であった高橋修さんの講演会が行われた。中に入りきらず、会場の外まで溢れた人の前で、3時間にわたって伊藤さんとの日々や、現地での実体験が語られた。ケシだらけだった大地は、伊藤さんを含む日本人ワーカーや、現地の人々の努力によって、農業が少しずつであるが復活しつつあったこと。ペシャワール会の活動が、現地の人の目線で行われていること。地道な活動や伊藤さんの実直な人柄で、現地の人とも垣根なく受け入れられている中で起こった残念な事件であったこと、などに触れた。伊藤さんの5年の日々が、大変な中でもやり甲斐のあるものであったことなど、現地の人との深い信頼関係を感じる講演だった。
 「アフガニスタンを本来あるべき緑豊かな国に、戻すことをお手伝いしたいということです。これは2年や3年で出来ることではありません。子どもたちが将来、食料のことで困ることのない環境に少しでも近づけることができるよう、力になれればと考えています。甘い考えかもしれないし、行ったとしても現地の厳しい環境に耐えられるのかどうかもわかりません。しかし、現地に行かなければ、何も始まらない」これは会場に貼られた、伊藤さんのペシャワール会への入会志望動機だ。
 この展覧会は各地を巡回する予定である。機会があれば、ぜひ彼の優しさに触れてほしい。


追悼写真展の巡回スケジュール
■千葉県・松戸市  
5月26日(火)~31日(日) 
10時~18時(初日13時より、最終日16時まで)
会場・松戸市文化ホール(松戸ビル4階)
運営・問合せ:東葛実行委員会(04-7129-4297)

■宮城県・仙台  
7月24日(金)~29日(水) 
10時~19時(最終日は17時まで)
会場・せんだいメディアテーク5階ギャラリー
運営・問合せ:ペシャワール会をみやぎから応援する会(070-6954-2366)

その他、下記を巡回予定
6月中旬/神奈川・逗子市、6月下旬~7月中旬/北海道(札幌、函館、苫小牧)、8月上旬/岩手・盛岡市

■書籍の紹介
『アフガニスタンの大地とともに―伊藤和也遺稿・追悼文集』
ペシャワール会・編集、石風社、2009 年3 月、1575 円

2009年1・2月号(通巻442号):レポートR

2009-01-01 17:00:41 | ├ レポート
母なる大地から
“おいしく、クリーンで、正しい”食を
 食のコミュニティ世界大会「Terra Madre」に参加して

編集委員 久保友美

 イタリアというと何を思い浮かべるだろう。ファッション、歴史的建築物、明るい人柄…。何といっても欠かせないのが「食」である。イタリアで食を語る際に、よく耳にするのが「スローフード」。スローフードとは、ゆっくりと時間をかけて“スローに”食事をとるという意味ではない。食生活や食文化を根本から考えていこうという活動で、86年にイタリア北部ピエモンテ州のブラの町で始まり、89年にはスローフード協会が設立された。
 そのスローフード協会による食のコミュニティ世界大会Terra  Madre(テッラ・マードレ)が08年10月23日~27日、イタリアのトリノで開催された。04年から隔年で開催され、今回で第3回目となる。テッラ・マードレは、イタリア語で「母なる大地」。母なる大地からスローフードの哲学でもある「おいしく、クリーンで、正しい(*)」食の実現を可能にしていくために、生産者、料理人、学識経験者など食のコミュニティにかかわるさまざまな人々が130か国以上から7千人以上が集まった。また、開会式で「母なる大地と和解できるのは若い人たちしかいない」と語られたように、1千500人近くの若い世代の参加があったのも今回の特徴の一つである。
 開催中は、食や農業に関するワークショップやミーティングが数多く開かれた。ここでテーマを一部紹介しよう。「若者、食、農業」「守護聖人なる羊飼い」「エコ農業―コンクリートの普及に歯止めをかけよう」「天然繊維の促進」。このテーマがスローフードの視点の広さを示している。
 テッラ・マードレの会場の隣では、サローネ・デル・グストという味覚の祭典も開かれた。世界中の「おいしく、クリーンで、正しい」食べ物が東京ドーム1個分あろうかという会場で販売され、ほとんどのお店がなんと試食自由。食べ物がどのようなプロセスで作られたのかを詳細に説明してくれ、安心して口にできる。
 スローフードな食べ物を“見て”、世界中の人々の食や農業への思いを“耳にし”、生産者の顔が見える食べ物を“味わい”、「スローフードとは何たるか」を五感で学ぶ絶好の機会となった。
 食というと、おいしさばかりに目がいってしまう。しかし、口にする前にその食べ物がどの地域で作られ、どのような生産プロセスを辿ってきたのか、それはクリーンで正しいものであるのか、思いを馳せてみる必要がある。「おいしく、クリーンで、正しい」ものを消費者が購入することで、生産者を支えることができる。「経済は飛び交う紙の中で行われているのではなく、生産する人々から成り立っているのです。だから農業の重要性に注目しなくてはならない」これは、スローフード協会会長カルロ・ペトリーニ氏の言葉だ。日本においてもこの意識をもっと持たなくてはならないだろう。


*おいしく(Buono)は、食の感覚的で感情的な価値から来る意識、記憶、アイデンティティ。クリーン(Pulito)はさまざまな生態系や自然環境を考慮しつつ生産をすること。正しい(Giusto)は、労働や販売過程における社会的公正性を意味する。この3 つはスローフードの精神を表現する言葉としてよく使われる。

2008年11月号(通巻440号):レポートR

2008-11-01 15:36:21 | ├ レポート
映画『ひめゆり』監督&本誌編集委員トークショー
編集委員 吉田 泉

 8月9日、大阪市淀川区の「第七藝術劇場」で、長編ドキュメンタリー映画『ひめゆり』の2年目の公開がスタート。初回上映後には、柴田昌平監督と、本誌編集委員(3人とも学生)によるトークショーが行われた。
 「ひめゆりを知っていますか?」ある大学でこんなアンケートをとったところ、5人に1人の学生が「知らない」と答えたという。終戦から63年。経験したことのない世代にとって、「戦争」と言われてもなかなかピンと来ない。「そんな若い世代にこそ観てほしい」と柴田監督が勧めるのが本作だ。
 トークショーには50人以上が参加、若者の姿も目立った。「スクリーンに登場する生存者の方の話を聞くと、戦争は日常生活の延長に存在していたことが分かる。若者にとっても生きにくい社会になりつつある現代、希望を持てず、生きる意味を見いだせない若者がいつの間にか権力に利用され、『気がつけば戦場にいた』などということにもなりかねない」「ひめゆりの方の体験を自分に置き換えると、自分は3か月間も耐える自信がない。過酷な体験を乗り越えて伝えている生存者の方々の強さを感じた」など、若い世代の視点で映画の感想を語った。
 また、若者が戦争の記憶に触れる機会の少なさについて「戦争の話を見たり聞いたりすると気分が暗くなってしまう、もっと明るく楽しいことに目を向けていたい」「小学校の頃から、教科書や映画を通じて悲惨な戦争の話や、戦争はいけないよ、というお決まりのメッセージに繰り返し接すると、『戦争』と聞くだけで耳を塞ぐような“戦争アレルギー”になってしまう」「今の平和な日本では、生きている間に戦争に巻き込まれることはまずないだろうと誰もが思っている。それが戦争のことを話さない原因になっている」など、それぞれの体験談が紹介された。
 どうすれば若者が戦争の記憶に触れる機会を持てるか、という監督からの問いかけには、「若者自身が小学生や外国の方などに戦争の話を伝えていけば、それを通してみずからが学んでいけるのでは。自分は小学生と関わる活動をしているが、ちょっとしたきっかけで戦争のことを教えてあげられるような大学生になりたい」、という提起もあった。
 対談を終えた柴田監督は「映画の観客層としての接点はもとより、今まで交流の少なかった学生たちのナマの声が聞けた。ひめゆりの語りを次世代に引き継ぐためのいろいろなヒントも得られ、大変有意義なイベントだった」とコメントした。

2008年11月号(通巻440号):レポートL

2008-11-01 15:34:18 | ├ レポート
未来の「日常」へ
『ポレ壁』プロジェクト

編集委員 村岡 正司

 市民派映画館「ポレポレ東中野(東京都中野区)」。その支配人大槻貴宏さんの呼びかけにより、映画『ひめゆり』、監督の柴田昌平さんやボランティアが中心となり、今年6月23日の沖縄慰霊の日にひめゆり学徒生存者、若い世代のゲストたちを迎え、トークイベントを開催した。また、6月の特別上映期間に並行させ、初の試みとして「ポレポレ壁プロジェクト(ポレ壁)・アオイソラ ヒロイウミ」を企画実施した。
 戦後、沖縄で子どもたちの青空教室が始まったときに配られた初めての教科書。その最初の1ページに書かれていた言葉が「アオイソラ ヒロイウミ」だった。生き残ったひめゆり学徒にも、教師としてその1ページをめくった方が多くいたことにちなみ、「百年後に贈りたいなにかを、空色か海色を使って作る」「百年後の毎日に贈りたいことをハガキに書いて送る」作品を市民公募。劇場に下りる階段の壁を使って、集まった作品を展示しようというものだ。
 映画を観に来た人たちも、ひめゆりの真実に触れた後、戻っていく場所は特別な場所ではなく、人それぞれそこにある日常。未来は毎日の繋がった先にいつもある。『ひめゆり』を感じながら、いろんな人の存在を感じながら、『アオイソラ ヒロイウミ』の空と海の色で繋いでみたいと、考えたのだ。
 反響は上々、全国から集まった若い世代を中心とした作品は多くのボランティアの手により “ポレ壁”を埋め尽くした。また締め切り後も応募は途切れることなく続き、6月23日のトークイベントの日、会場に展示された。
 映画に寄せられる感想や、ボランティアスタッフの中にも、時々「わたしにできること」を考えて陥ってしまったりする無力感や罪悪感がある。でも肩肘張らずに、映画を観た人が各々の想いを表現し共有する場を作りたいと柴田さんは思っている。『ひめゆり』に込められた祈りは、きっと一人ひとりの毎日に贈られているものでもあるのだ。

2008年7月号(通巻437号):レポート

2008-07-01 20:29:25 | ├ レポート
『マンガ・雑誌の「性」情報と子どもたち』より
編集委員 杉浦 健


 「性」についてのさまざまな描写は、「暴力」や「死」といった禁断のカテゴリーと共に、ゲームやインターネットなどを通じて氾濫している。おそらく子どもたちの目に触れる機会は多いはずだ。
 マンガというメディアでも同じような状況なのだろう。昔は一部のマンガ同人誌でしか見られなかった、普通の人は知らない世界? しかし、今でもコミックマーケット(1975年からスタート。毎年8月と12月、東京ビッグサイトで開催 される世界最大規模の漫画・アニメ・ゲーム同人誌の即売会)は多くのマンガ少年、アニメ少女でにぎわっている。つまり、昔も今も道はあったわけで、それを、大人たちが知らなかっただけなのかも知れない。とにかく、過激な「性」描写はエスカレートする一方。それに対して歯止めをかけるのは難しいことなのだと推察する。
 そういう中で、ジェンダーという切り口でマンガにおける「性」を分析したのが本書。調査対象となったのは大阪近郊の中学生、約400人。中学生にとって、マンガ誌やファッション誌は、「恋人とのつき合い方や恋愛について」の身近にあふれる情報源となっており、それ故に、そこから発信されている「性」や「恋愛」に関する情報の影響を受けやすい環境にあるという。
 同時に、「性」をイメージできても、それは「異性」を限定するものであったり、「エロイ」「恥ずかしい」「いやらしい」といったマイナスイメージの方が多い。
 その後、マンガにおける「性」情報について、緻密な調査と分析が進められていく。事例はマンガ故に、ビジュアルとして目でも確認できるからおもしろい。いずれにしても、触れてはいけなかった領域にメスを入れるという、まさにパンドラの箱を開けるかのようなリポートなのだ。
 多くの「性」描写がジェンダーの視点から不適切な表現であることは否めない。しかし、男子にとって、また女子にとってのあこがれの男性像、女性像、そして「性」を越えた魅力ある中性のキャラクターも存在する。子どもたちの興味や好奇心は、単に異性のエッチなシーンだけに注がれるのではなく、「性」を越えたその中にある、何か自分にない魅力を見いだしているのではないだろうか? 
 リポートの締めくくりで、「性」に興味を持つことは、成長段階において重要な要素であるとしながらも、間違った情報、偏ったあるいは差別的な内容であっては困ると言及している。そして、さまざまなメディアから入手する「性」情報を読み解く力、また正しい「性」の知識などを学ぶための
教育を促している。
 子どもたちにとっての健全な「性」とは、いったい何なのか? 逆に、このリポートを読んだ大人たちが、その情報を興味本位に利用し、間違った情報を子どもたちに押しつけないことを祈らないではいられない。良薬も一つ使い方を間違えれば毒となる、ということだ。


『マンガ・雑誌の「性」情報と子どもたち』
目次
第1部 中学生の「性」に関する意識
第2部 マンガ・雑誌とジェンダー
第3部 若者を取り巻く「性」の社会状況
第4部 学校教育における性教育の現状
第5部 スタッフボイス
第6部 その他の取り組み
第7部 調査分析を終えて

購入の問い合わせ
発行者:特定非営利活動法人SEAN(シーン)
価  格:1800円

station@nop-sean.org
電話&FAX 072-684-8584

2008年6月号(通巻436号):レポートR

2008-06-01 14:21:15 | ├ レポート
「100人の村、あなたもここに生きています」―池田香代子さん講演会より
編集委員 近藤 鞠子

 5月14日、「第40回憲法のつどい」(共催:ひらかた人権協会、枚方市人権政策室)がラポールひらかたで開催された。
 144人収容の会場が満席となったころ、枚方市立第二小学校の6年生88人が入場、壇上にあがる。子どもたちによる日本国憲法前文」の群読は会場いっぱいに響き、記念講演の池田香代子さんは「思わず涙ぐんでしまった」と感動を伝えた。人権政策室の米倉課長によると、「憲法のつどい」は、憲法を感じてほしい、意識してほしいという意図から毎年開かれ、小学生による憲法前文の群読は、近年の慣例とか。
 池田さんはドイツ文学翻訳や口承文芸研究に関わり、訳本、著作は多く枚挙にいとまがないほど。9・11とアフガン報復攻撃をきっかけに出版した絵本『世界がもし100人の村だったら』がベストセラーになり、その印税で「100人の村基金」を立ち上げ、活発な支援活動を展開されている。
 「この本は、最初からお金が目当てだったんです。印税が100万円くらい入ったら寄付できていいなあと思っていたんですが、35万8千部も売れ、印税も30倍。そこで『100人村基金』を作り、難民支援やNGOを支援することにしました」と語った。1冊買うと、印税から税金を引いた29円が支援になる。
 この絵本は環境コラムを執筆していたドネラ・メドウズ(01年没)の一篇のエッセイが発端。それがEメールで世界中をサーフィンしながら、当初1000人の村が100人に形を変え、ひとつのメッセージへと結実していったものだ。受け取った人が、自分の気持ちを書き足したり、一部を削除したりしながら、原文は5分の1に縮まり、その3倍以上の尾ひれがついた。まさに、世界中の何万人(何百万人?)が関わった「ネット・ロア」(グローバル時代のフォークロア、民話)といえる。
 100人の村とは地球のこと。人口63億人を100人としてみることで、不本意ながらマイノリティを切り捨てる結果になった。統計学の先生からも「そんなことはダメだ」と。「しかし」と彼女は言う。「民話や童話では、数字が意味をもっている。グリムの7はゲルマンでは運命の分かれ目を表しているように。100人は大雑把だけれど心にグサッとくる数字。1000人村から100人村になった時、心に響く現代の民話が誕生した。本の中の数字は、膨大なデーターに基づいたフィクションです」と。2巻目では「100人の村白書」として数字について詳しく解説している。
 4冊の『世界がもし100人の村だったら』を紹介しながら、池田さんはできることはいろいろあると背中を押す。「私たちは無力ではない、微力なんだ」と。「生の声を聞いて感動した」「何かやれることがあると思う」多くの人びとがそう記した。あとは、一歩踏み出すこと。その鍵は絵本にある。憲法前文を群読した子どもたちの学校に、池田さんはこの本を贈った。