市民活動総合情報誌『ウォロ』(2013年度までブログ掲載)

ボランティア・NPOをもう一歩深く! 大阪ボランティア協会が発行する市民活動総合情報誌です。

2009年12月号(通巻451号):目次

2009-12-01 14:59:09 | 2009 バックナンバー:目次
《V時評》
「巻き込まれる」ことの意味
 ・・・早瀬昇

《特集》
市民活動における「農」のあたらしいかたち

《語り下ろし市民活動》
武器になる文字とコトバを
 夜間中学運動40年を語る(2)
野雅夫さん(東京都荒川区立第九中学夜間学級卒、
         立教大学大学院文学研究科・特任教授)
 ・・・牧口明

《ゆき@》
若狭 認知症を包む 一行詩に感動(*^^*)。
 ・・・大熊由紀子(福祉と医療、現場と政策をつなぐ「えにし」ネット)

《この人に》
立原啓裕(放送タレント)
 ・・・影浦弘司

《だから私はこれを買う・選りすぐりソーシャルビジネス商品》
キャンドルナイトは平和の火で
ワンピースキャンドル(Candle Night 1Pi:ce)
 ・・・影浦弘司

《うぉろ君の気にな~る☆ゼミナ~ル》
事業仕分け
 ・・・ラッキー植松&影浦弘司

《ファンドレイジングが社会を変える》
ITを支援者拡大に結びつけるために
 ・・・鵜尾雅隆(日本ファンドレイジング協会)

《コーディネートの現場から・現場は語る》
「地域」の中での学びを大切に
 学生のボランティア体験学習の場を考える
 ・・・小山陽子(川崎市社会福祉協議会
 ボランティア活動振興センター)

《ぼいす&シャウト!大阪ボランティア協会・事務局スタッフの仕事場から》
ドン・キホーテと<内省>
 ・・・金治宏(大阪ボランティア協会)

《リレーエッセイ 昼の月》
騒音が気にならない時

《わたしのライブラリー》
一周忌に当たり「知の巨人」の著作を繙(ひもと)く
 ・・・牧口明

《共感シネマ館》
『ジャップ・ザ・ロック・リボルバー』

《どーなる?どーする!裁判員制度》
傍聴のススメ
~裁判員裁判だからこそ共有できる当事者性
 ・・・大門秀幸

《パラボラ・NEWS》
チャイルド・ケモ・ハウス 
「夢の病院」建設支援チャリティコンサート
 12月25日(神戸)、26日(茨木) ほか

《某覧提案》
 ・・・浅石ようじ


2009年12月号(通巻451号):V時評

2009-12-01 14:58:42 | ├ V時評

「巻き込まれる」ことの意味



編集委員 早瀬昇

■「巻き込まれる」立場

 「聞かなかったら、楽だったんだけれど…」
 つい、そう思ってしまう時がある。
 容易に解決策を見出せない深刻な相談が寄せられた時。あるいは、必要性は分かるものの、簡単に「喜んでお手伝いします」とは言えない重い応援依頼を受けた時がそうだ。
 先般、今年度の上半期を終え、この半年の事業実績をまとめてみたところ、大阪ボランティア協会には4月からの半年間に寄せられた相談は約6百件。その中にも容易に解決策の見出せない相談が少なくなかった。
 そもそもボランティアの応援を求める前には、家族や行政、あるいは企業のサービス利用を考えるのが一般的だ。赤の他人に、権利として要求できないことを、対価を払わずに頼むということに抵抗を感じる人は多い。その中で敢えて協会などに相談する背景には、身寄りがなく、行政のサービスでもカバーされず、かつ経済的な余裕もない…といった複数の課題が重なっている。
 そこで、こうした相談への対処では他の専門機関を紹介することでは済ませられず、家庭などの訪問、関係機関との調整、ボランティア募集…などの形で、私たちが活動全体の調整役を引き受ける場合も少なくない。相談を起点に、私たちは課題に“巻き込まれていく”ことになる。いや、これは相談に限らない。市民活動で“巻き込まれる”ことは基本のスタイルだとも言える。

■当事者に「なる」

 「当事者」という言葉がある。辞書では「その事または事件に直接関係をもつ人」(広辞苑)とあるが、本誌の牧口明編集委員は、この当事者には、存在として「当事者である」人と、その行為によって「当事者となる」人がいるとしている。
 前者の「当事者である」人とは、たとえば介護を必要とする高齢者やその家族、外国籍住民など、その暮らしの中で様々な生きにくさを抱えている人たちだ。
 これに対して「当事者になる」というのが、一般的な市民活動のスタイルだ。
 つまり、当初は「当事者ではない」人たちが、社会の課題と接することで、その課題を他人事ではない自分の問題だと受け止め、直接的にその課題解決に関わろうとする「当事者になる」わけだ。
 ここで、この「当事者となる」ことは、「当事者である」人たちにとっても重要だ。「当事者である」人たちも、自らその課題を社会に訴えていくなどの行動がなければ、活動のダイナミズムを生み出せないからだ。たとえば自殺問題は、かつて自死を選ぶ人や遺族の個人的問題と扱われることもあった。それが深刻な社会問題と認識され、自殺対策基本法の成立などに発展したのは、遺児たちが自ら名乗り出て、自殺の背後にある社会問題の解決を訴えたことからだった。
 つまり、社会の課題解決を進めるには、人々の間に「当事者になる」というボランタリーな姿勢が広がることが必須の条件なのだ。

■柔らかさが鍵の「つなぎ役」

 社会には様々な問題がある。しかし、すべての問題には関われないから、私たちは個人であれ団体であれ、「当事者となる」テーマを特定し、選ぶことができる。
 ただし、このテーマを限定しすぎてはいけない組織もある。時に中間支援組織などと呼ばれるボランティアセンターや市民活動センターなどだ。というのも、これらの組織の使命の一つには、社会の課題と市民や企業などとをつなぐことがあるからだ。つなぎ役(コーディネーター)がつなぐ範囲を限定しすぎては、つながる範囲が狭くなってしまう。
 では、多様な相談が寄せられ、人々をつなぎ合えるようにするには、どうすれば良いのだろうか?
 先に書いたように、ボランティアの応援依頼などでは、相談することさえ臆する人もいる。そこで、気軽に相談できる「隙(すき)」を作る(要は間口を広くする)ことや、いろんな形の相談もしやすいような「脇の甘さ」(構えを感じさせない対応)も大切だ。
 その一方で、保障を旨とする制度と違い、ボランティアの応援には「共感する人が見つかれば、お手伝いできます」といった頼りなさが伴いやすい。安請け合いはできないわけで、こうした不安定さは依頼者も納得してもらわなければならない。依頼者の状態にも波があるし、ボランティアも時に休まざるを得ない場合がある。この双方の不完全さを、互いに許し合う関係が大切だ。
 立場の違う人たちが、厳しい課題に共に関わろうとする時、こうした大らかさが救いになることは多い。そこで、「隙(すき)」や「脇の甘さ」ということも含めて、つなぎ役自身が、ある程度のふり幅を許す柔らかさを保ち続けることが必要になってくる。

■巻き込みあう「渦」をつくる

 もっとも、これこそは「言うは易(やす)し、するは難(かた)し」。現実には消耗感の伴うハードな役割となりがちだ。
 相談者の課題に共感する市民をつないでいくには、まずコーディネーター自身が、その相談者に共感していなければならない。共感が鍵となる世界では、コーディネーター自身が共感し、自ら巻き込まれていくことで初めて、「当事者になる」人たちの輪を広げていくことができる。
 しかし、努力の甲斐なく解決が進まないと、コーディネーター自身が「当事者としての辛さ」を抱え込むことになってしまう。現実には複数の相談を受けるわけだが、その中の何件かでも暗礁に乗り上げると、重荷を背負いきれなくなってしまう。
 では、どうするか? この根本的な対策は、コーディネーターや相談機関のしんどさを理解し、この立場の当事者になってくれる人々を広げていくことだろう。相談を撥じhyほうね返さず、受け止め、社会の課題解決の渦にしなやかに巻き込まれていくためには、つなぎ役の重要さを理解する寄付者やボランティアなどの支援者を増やしていくしかない。
 相談を起点に課題に巻き込まれ、市民を巻き込んでいく支援センター自身も、周囲にSOSを発し、支援者を巻き込んでいく渦を創ることが必要なのだと思う。

2009年12月号(通巻451号):特集

2009-12-01 14:58:19 | ├ 特集(表紙)
《特集》市民活動における「農」のあたらしいかたち



■特集「こぼらばなし」 ウォロ編集委員・談

先日、野菜の美味しい調理法「重ね煮」の講習会に参加した。調理の前に、材料の前で、恵みと愛念に感謝し、自他共に役立つように祈る。翌日、実家に近い教会で収穫感謝の礼拝に参加(僕はクリスチャンではありませんが)。神に感謝し、お百姓さんに感謝し、それを分かち合う。「農」の原点を見つけた2 日間でした。(杉)

11月号で登場した姫田忠義さんは、日本の農に携わる人びとを長年映像で記録してきた。それらの作品を観ると現代ではすでに失われてしまった、あるいは失われつつある農の貴重な姿がよみがえってくる。そんな記憶を思い起こしながら今特集の取材をすすめていた。闇のなかに射す一条の光を探し続ける思いで。(村)

農業から話は広がる。今回、お話を聞かせていただいた槌田劭さんに始めてお会いしたのは、もう20年位前か。たぶんこの方にお会いしなければ、私が環境の分野のボランティアに足を踏み入れることはなかっただろう。今も、そう遠くない距離で活動をさせていただいている。それでも、槌田さんの試行錯誤の活動が、うまく紙面に表せない。まずは人間の生活の基本である食への関心と配慮が必要なのは間違いないだろう。(ち)

2009年12月号(通巻451号):この人に

2009-12-01 14:57:57 | ├ この人に
マイクを向けて一瞬で、素人のみなさんから返ってくる
コトバのほうが、数100倍面白い。

立原啓裕さん(放送タレント)

●プロフィール●
1954年生まれ。大阪生まれ、奈良育ち。中学生の時、映画『メリーポピンズ』に出会い、ミュージカルの世界を目指す事を決意! 大阪芸術大学を卒業後、「劇団四季」に入団。その後、「ハイヤング京都」でラジオDJ としてデビュー、放送タレントの第一歩を歩みだす。85年、劇団「売名行為」を主宰。1公演に8千人という記録的な観客動員数を誇り、一大ムーブメントを巻き起こす。89年、『探偵!ナイトスクープ』に、探偵として出演(17年間、探偵を務め、06年からは顧問)。92年には、テレビ・ラジオのレギュラー番組数週16本という日本記録を樹立。日本医学ジャーナリスト協会会員で、04年には、自らの体験をもとに『立原啓裕の自律神経安定法(CD付)』を出版、3万部に迫るベストセラーとなる。07年、大阪芸術大学グループ・客員教授に就任し、後進の指導に力を入れている。「心の健康」や「情緒力を培うコミュニケーション」等、全国的に講演活動を精力的に行っている。


■一瞬に発するコトバ、それを生み出す感性。

 もう3年前に卒業しましたが、『探偵!ナイトスクープ』(※1)という番組に出演していました。今日、お集まりのみなさん、わたしの顔、「見たことあるなあ」という方、お手を挙げていただくと・・・おお、こんなにぎょうさん、ありがとうございます。
 ナイトスクープという番組には台本ないんですが、その手前の状態、シノプスっていいますが、放送作家が考えた質問を渡されるときもある。ぼくら、一応、受け取ります。確かに面白い質問なんかが書いてある。ところが、一生懸命、放送作家が頭を使って考えたギャグよりも、マイクを向けて一瞬で、素人のみなさんから返ってくるコトバのほうが、数100倍面白いこと、いっぱいあるんです。とくに関西ね。そういう意味では、一瞬に発するコトバ、それを生み出す感性、これが大事なんです。
 ひとつのロケ、番組を作るのには、インタビューにも、映像の編集にも、頭を使います。つまり知性ですね。でも、マインドがないとできません。感性が大事なんです。依頼者の気持ちが分かるから、共感できるから、やれるんですよね。まあ、ロケは大変でしたけど、いろんな出会いありましたし、そんな中からも、感性を磨く大切さを教えてもらいました。

■こころの感性の磨き方。

 われわれタレントの感性の磨き方ですが、アンテナをいつも張り巡らしています。これは意識して張っています。
 子どもは、意識せずに張れてますね。ウォルト・ディズニーは、こんな言葉を残しています。「大人の5分間と子どもの5分間を比べてみよう。子どもの5分間のなんと素晴らしいことか」。子どもの5分って、おっ!虫がおる、あっ! 花が咲いている、わっ!お日さんが眩しい… 発見の連続でしょう。これ感性のかたまりですね。
 大人になるとそうもいかない。だから意識して張ります。新幹線で移動なんかのときでも、われわれは寝たりなんかしません。車両の中に、面白い人はいないか、窓の外の景色に何か発見はないか、絶えずアンテナを張っています。
 今日も、こっちに来るのにJRの在来線を利用してきたんですが、同じ車両の、斜めむこうにお客さんが乗ってきはった。ビニール袋を持っている。何するのかな、と見てたら、ビニール袋からですよ、いきなりゆでた蟹を取り出して、食べ始めたんですよ。たとえば、そんなこと一つとっても、普段しゃべるネタを探している。
 次に、感じた後に、なぜそれを、私はユニークだと感じたのか。それを分析し、考えることです。そして、ここが一番大事なんですが、必ず自分なりのコトバで、それをまとめといてください。ここで大事なのは、「自分なりの」です。Aさんなりのコトバ、Bさんなりのコトバ、同じものごとを感じてても、違うコトバになるはずです。そこが面白い。
 感じることは感性です。そこから考えて、自分のコトバを持つこと、これは知性のはたらきです。両方あわせて、思考ですね。そうして自分のコトバにする、それは他ならない自分の意見なのです。そしてコトバがまとまったら、それを必ず、誰かに伝えてください。そのコトバがCさんの中に入っていくと、相手も何らかのコトバを返してくれるでしょう。これでコミュニケーションが完成するのです。

■それ面白いから、ひとつ僕らにくれや。

 関西にはお笑い文化がありますね。実は、お笑いも、この感性、知性、コトバのコミュニケーションとよく似た関係をもっています。なんばグランド花月(※2)の楽屋に行きますと、真ん中に、芸人さんが、うだ話(※3)をするロビーがある。吉本はケチや言いますが、先代の故・林会長(※4)が、「絶対このロビーだけはええもん作れ」と。そこ行くとね、いろんな芸人さん達が、みんなでうだ話をしている。ぼくなんか、ずっと個人事務所ですから、このロビーがあることが、本当にうらやましい。でね、例えば、さっきの話、「今日、J Rで蟹、食べ
とった客がおってなあ」なんて、Aという芸人さんが話をするとする。それ聞いていたBという芸人さんが、こんなこと言うかもしれんわけです。「おお、それ面白いから、ひとつ僕にくれや」ってね。「くれや」…その話を使わせてという意味ですが、で、「どうぞ、使ってください」と。
 Bという芸人さんはね、きっとその話のどこが面白かったか、一生懸命考える。それで自分のコトバにして、Bさんのネタができあがる。それをお客さんに伝えると、「笑い」という返しがある。お笑い文化もコミュニケーションのひとつなんですね。

■動けば、出会える。聞けば、深まる。話せば、深まる。

 コミュニケーションで感性が磨かれますと、わたしたちの「文化度」が高まります。さらに何より、これがポイントですが、「情緒力」も身についてくる。情緒の力…最近、ずいぶんと薄れてきましたね。いま世の中、殺伐としてきて、昔は人同士がええつきあいしてましたけどなあ…。
 Aさんの感性に、心の襞にどっか一部分でも引っかかったら、ぜひそれをコトバにして、Bさんに、それをCさんに、Dさんに伝えてください。そのつながりの中で、文化度、民度が上がっていきます。人と出会えば、視野が広まります。また、その体験を別の人に語れば深まります。動けば、出会える。聞けば、深まる。話せば、深まる。そう思います。人とのふれあいは、生きたコトバを交わすこと、心をまじえること、それで人間は成長していく。原点は、一人ひとりが、堂々と自分の意見を人に伝えていくことだと思います。

09年10月27日に開催された福島区人権講演会より(主催は、福島区人権啓発推進協議会)
まとめ 編集委員 影浦 弘司


(※1)『探偵!ナイトスクープ』
朝日放送( A B C ) 制作の視聴者参加型テレビバラエティ番組。スタジオをひとつの探偵事務所と想定し、視聴者から寄せられた依頼を、探偵局員(レギュラー芸人たち)が依頼者と共に調査し、その過程のVTRを流す。1988年より関西ローカルでスタートし、現在は全国35局で放送。最高視聴率32.2%。20年間の平均視聴率20.1%。
(※2)なんばグランド花月
大阪市中央区にあるお笑い・喜劇専門の劇場。略称NGK(エヌジーケー)。
(※3)うだ話
副詞の「うだうだ」は、とるに足りないことをいつまでも言ったりするさま、を意味する。
(※4)林会長
林正之助(しょうのすけ)。1899 年~ 1991 年。吉本興業元会長・社長。

2009年12月号(通巻451号):わたしのライブラリー

2009-12-01 14:57:32 | ├ わたしのライブラリー
一周忌に当たり 「知の巨人」の著作を繙(ひもと)く

文学・思想・芸術から政治・経済・科学まで
明晰な論理性と繊細な感性に知的刺激と
精神的な充足感を得る

編集委員 牧口 明

 この12月5日は、戦後日本を代表する知識人で、「知の巨人」「歩く百科事典」と言われた加藤周一氏が亡くなられて丸1年の命日に当たる。そこで、今月のライブラリーでは、氏の厖大な著作の中から政治・社会の問題を論じた著作を中心に何点かを選び、ご紹介したい。
 氏の関心領域は、文学・思想・芸術から政治・経済・科学まで幅広く、また、洋の東西、時代の古今を問わない。
 和漢洋に及ぶ幅広く、かつ深い教養と明晰な論理性、加えて詩人としての繊細な感性によって紡ぎ出された著作は、エスプリとユーモアにも溢れ、どれを読んでも、知的刺激と精神的な充足感を与えられる。

■市民とともに学ぶ

 氏の関心領域の広さと知識の該博ぶりをよく示していて、しかも読みやすいのは『居酒屋の加藤周一1・2』であろう。
 内容は、京都の市民の集まりである「白沙会」のメンバー( 10代から60代までの男女約20人)と氏が、1は6回、2は5回にわたって京都市内の飲食店や貸し会場で持った「勉強会」の記録である。勉強会といっても決して肩肘張ったものでなく、毎回軽食とアルコールが用意され、飲みかつ食べながらの勉強会である。
 そのテーマであるが、毎回予めテーマが決まっているわけではなく、メンバーがその日の「朝日新聞」の朝刊を読み、関心や疑問を持った事柄について氏の意見を聞くといった形で進められたため、政治の問題あり、芸術の問題あり、宗教やスポーツの問題あり、と正に多種多様。驚くのは、そうしたさまざまなテーマに関して、氏が実に丁寧な解説をその場で施し、自らの意見を述べておられることである。会の性格上、氏は事前に特別の準備をすることなく、「出たとこ勝負」の語りであったことを思うと、その博覧強記ぶりに瞠目せざるを得ない。
 この書とはいささか成り立ちも性格も違うが、同じく市民グループ相手の勉強会の記録をまとめたのが『「戦争と知識人」を読む』と『テロリズムと日常性』の2著である。
 こちらのほうは、東京都内でもともとは現代史の勉強会をおこなっていた20~ 30代の青年数人のグループ(凡人会)が、97年12月と02年6月に氏を招いて開いた勉強会の記録である。前者のタイトルとなっている「戦争と知識人」は、59年6月に氏が発表した論文のタイトルであるが、その内容は、先の15年戦争期の知識人の態度、そのよって来る理由について論じたものである。勉強会ではこの論文について氏が補足的な講義(「ファシズム」と「科学」について)をおこない、その後、メンバーからの質問に氏が答える形となっている。
 また、この学習会に先立っておこなわれた事前学習会のまとめの文章も掲載されており、より一層深く学びを共有することができる。
 後者は、「9・11」テロの問題を解く鍵を68年の学生反乱の思想を再考することから見出そうとの意図で持たれた学習会の記録である。ここには、当該学習会の記録のみでなく、それより以前、99年12月に「『世なおし事はじめ』を読む」と題しておこなわれた氏を招いての学習会の記録と、その「世なおし事はじめ」の原文も収録されている。「世なおし事はじめ」は、氏が雑誌『世界』68年8月号に発表した論文で、当時、日本を含めて世界各地で高揚しつつあった学生運動の歴史的な意味について考察したものである。
 こちらの学習会は、メンバーが事前に周到な準備をし、テーマも絞り込んで、しかも少人数でおこなわれたものなので内容は極めて濃密である。

■死後にも続く新刊

 以上紹介した4冊は、もちろん生前に出版されたものであるが、死後改めて、既発表の論文その他を編纂して出版されたものが数点出ている。
 京都のかもがわ出版からは、先に紹介した『居酒屋の加藤周一1・2』合本のほか、『語りおくこといくつか』『加藤周一戦後を語る』、平凡社からは『言葉と戦車を見つめて』が出され、岩波書店からは、氏自身が選定に関わった『加藤周一自選集』全10巻の刊行が始められている。
 このうち『言葉と戦車―』には、敗戦直後の46年3月に発表された「天皇制を論ず」から05年3月24日「朝日新聞」掲載の「60年前東京の夜」までの、主として政治・社会の問題を扱った評論・随筆27編が収められている。文庫本ながら、氏の政治・社会思想の全体像と時代による変遷が概観でき、お勧めの1冊と言える。
 また『戦後を語る』は、88年から05年までに発表された主として若い人向けの講演録を集めたもので、戦争と平和、そして憲法の問題が取り上げられており、『言葉と戦車|』と合わせて読めばより一層学びが深められるだろう。

■氏の全体像を知るために

 初めにも記したような、広範囲にわたる氏の知的営為の全体像を知るには、先ず第一に、平凡社から出されている『著作集』全24巻(18巻は未刊)を繙くのが正道であろうが、出版されてすでに月日が経っており、今では古本でも手に入りにくい巻もある。幸いにして、同じく平凡社から、この著作集の選りすぐり『加藤周一セレクション』全5巻が出ているので、これがお勧めである。
 さらに、この『著作集』『セレクション』以後の氏の思索に触れようとするならば、「朝日新聞」連載の随筆を収めた『夕陽妄語』全8巻のうちのV巻以後や、かもがわ出版から出されている『対話集』全7巻(うち別巻1巻)、『講演集』全3巻などがある。
 とは言え、氏の本領はやはり、文芸および文化・思想評論、そして日本文化論である。
 最初の海外渡航(留学)からの帰国後直ぐに発表された「日本文化の雑種性」で、日本の近代文化の特徴として西洋文化の影響がその根幹にまで及んでいることを指摘。そういう意味で日本の近代文化が「雑種」であること、そして、それは必ずしも否定的に考えるべきことではないとの見方を提示して以来、日本文化論は氏のライフワークの一つであった。
 主著『日本文学史序説』では、文学を通して日本思想史の特徴を探り、土着思想の基本に「此岸性」と「集団指向性」があるとの論を唱え、07年には『日本文化における時間と空間』で、日本文化の特徴を、時間における「今」と空間における「ここ」の強調、つまり「今=ここ」主義に求めた。
 先に紹介した書籍と合わせてぜひ手に取っていただきたい著作である。