市民活動総合情報誌『ウォロ』(2013年度までブログ掲載)

ボランティア・NPOをもう一歩深く! 大阪ボランティア協会が発行する市民活動総合情報誌です。

2008年12月号(通巻441号):目次

2008-12-01 18:48:44 | 2008 バックナンバー:目次
《V時評》
「怪しいお金」は寄付で活かそう
 ・・・早瀬昇

《特集》
反貧困・動きはじめたプレカリアート
 ・・・青木千帆子、久保友美、千葉有紀子、牧口明

《うぉろ君の気にな~る☆ゼミナ~ル》
セーフティーネット
 ・・・ラッキー植松&増田宏幸

《語り下ろし市民活動》 
「カマやん」とともに歩んだ30年
大阪・釜ヶ崎~日雇い労働者の街、そして「まちづくり」へ(2)
ありむら潜さん(釜ヶ崎のまち再生フォーラム事務局長、漫画家)
 ・・・早瀬昇

《だから私はこれを買う・選りすぐりソーシャルビジネス商品》
ココロも支えるカラダの一部・補装具(川村義肢株式会社)
 ・・・岡村こず恵

《ゆき@》
宮城最期のときを輝かせるプロジェクト、です(*^^*)。
 ・・・大熊由紀子(福祉と医療、現場と政策をつなぐ「えにし」ネット)

《ウォロ・バルーン》
 ・・・辰巳砂悦子、堀井隆弥

《この人に》
レイハン・パタールさん(教育学者)
 ・・・杉浦健

《コーディネートの現場から・現場は語る》
博物館という場を活用する自主活動グループ「はしかけ」
 ・・・布谷知夫(琵琶湖博物館学芸員)

《トピックス・環境》
家庭に眠る油田の開発に挑戦・NPO法人[ASUの会]
 ・・・大江達彦(市民ライターコース受講生)

《トピックス・アメリカのボランティア政策》
アメリカ、オバマ新大統領・ボランティア活動促進政策実施へ
 ・・・柏木宏(大阪市立大学大学院教授)

《VOICE・NPO推進センターの現場から》
監視・監査社会の到来??
 ISO26000は何を言わんとしているのか
 ・・・水谷綾

《わたしのライブラリー》
「共感」と「理解」~「自己の眼差し」を捉え返す機会を提供する2冊
 ・・・工藤宏司

《まちを歩けば・大阪の社会事業の史跡》
大阪四恩報答會と淨土宗僧侶たち
 ・・・小笠原慶彰

《リレーエッセイ 昼の月》
使わないと減る、ふしぎ 

《どーなる?どーする!裁判員制度》
評議の秘密or良心の告白
 市民に課せられた義務の重さ
 ・・・大門秀幸

2008年12月号(通巻441号):V時評

2008-12-01 18:48:02 | ├ V時評

「怪しいお金」は寄付で活かそう


編集委員 早瀬昇

■景気対策より選挙対策の「定額給付金」

 いろんな理屈がつけられてはいるが、実際上、究極の選挙対策であったはずの「定額給付金」の準備が、迷走しながら進んでいる。
 すぐに解散・総選挙となった時の目玉公約という位置づけだったからだろうが、細部がまったく詰められておらず、所得制限をするかしないか、給付方法はどうするのか…など、閣内でも意見がバラバラ。総選挙先送りで、そのいい加減さが明白になってしまった。
 それに、非課税世帯でも実は間接的に消費税を納めていることを考えれば、これは「給付金」ではなく「還付金」と呼ぶべきものだ。それをわざわざ「給付」と名付けるのは、政府の施策をありがたがってもらおうという意図からではないか? そんな疑念も膨らんでくる。
 さらに、給付のための費用も馬鹿にならない。急速に進む不景気で困窮が進む人々への生活支援効果は多少あるにせよ、消費の喚起・底上げといった効果は本当に生まれるのか? その効果は「給付」のコストより大きいのか? その関係も不透明なままだ。
 このためマスコミの世論調査でも批判的な意見も少なくない。こんな「怪しいお金」を喜んで受け取って良いものかと首をかしげる読者も多いだろう。

■税に託した役割は果たされるのか?

 この施策は、もともと「定額減税」として提案されものだったが、それでは非課税世帯に恩恵が及ばないことから、「給付金」という形をとることになった。つまり、元は減税策だったわけだが、この施策の意味は十分に吟味する必要がある。
 元来、税の機能、つまり私たちが税に託す役割は、以下の4つだと言われる。つまり、①公共サービスの費用調達、②所得の再分配、③景気の調整、④各種の政策誘導の4つだ。①は政府が責任をもつ公共課題解決のための費用確保、②は持てる者から持たざる者への富の移転を通じた平等な社会の実現、③は景気過熱時に増税し減退期には減税して景気を調整することであり、寄付金控
除制度による寄付の促進などは④の一例だ。
 今回の施策は「定額給付」だから、高額所得者にも給付されて意味が弱まるとはいえ、所得再分配の機能は、ある程度、果たすことになるだろう。しかし、貯蓄に回す人が多いと③の効果は弱まるし、何にでも使える現金が「給付」される点で④の政策誘導の方向性もない。
 その上、2兆円の公共サービス資金を失うことになる。まとまった資金があれば出来ることも多いのに、それをばら撒いてしまうのだ。産科医療の問題など公共サービスの破綻が問題となる中、2兆円あれば、あれもできる、これもできるはずなのに…と、頭をひねらざるを得ない。
 とはいえ、1人1万2千円。子どもや高齢者は8千円が加算されて総額2兆円という大盤振る舞いだけに、これを中止させようという動きは極めて弱い。結局、実行される公算は、かなり高い。

■ホリエモン、久々の注目

 この「定額給付金」について、ホリエモンこと堀江貴文ライブドア元社長が、自身が綴る「六本木で働いていた元社長のアメプロ」なるプログの中の「頭の体操」というコラムで、「こんかいの定額給付金が無駄だと思っている人たち、定額給付金運用NPOをつくって、そこに寄付しませんか?」と呼びかけ、話題になっている。
 つまり、定額給付金でNPO支援の基金を作り、出資者の投票で融資を希望するNPO/NGOを支援したり、運用方法を決めようというアイデアだ。
 いわく、「(この基金に)NPOやNGOが出資の依頼を出来ます。また金融機関は運用のオファーもできるようにします。出資のプレゼンは、動画やプレゼンテーションツールを使って作成します」「寄付した人たちが、そのオファーをみて、PCや携帯ネットで投票をします。1/2以上の得票があり、かつ、1/2以上の賛成があった出資のオファーや運用のオファーにのみ、お金を出金することができるようになります」という構想。
 「壮大な直接民主主義の実験」「くだらない政策しか提示できない政府に代わって、自分たちでお金の使い道を決めればよい」「もともともらえるはずのないお金ですから、気前良く寄付してみませんか? 無駄で非効率になりがちな役所仕事をスルーできますから、1000億が数千億の価値を持つかもしれません。その数千億が、人々の役に立つことに直接使われるのです。しかも私たちが、ダイレクトに投票できます」と呼びかけている。
 11月12日の書き込みから、わずか2日で435件のコメントが寄せられ、大半が賛同の意見だという。本当に実現すれば、今回の施策に不信感を抱く人々の思いを受け止める社会的装置となる可能性もある。

■実はいろいろある寄付の受け皿

 ただし、この構想の最大のネックは、寄付を託してもらう受け皿を、どうするかだ。
 この「基金」に限らず、既に「あそこならば!」というNPOなどが思い当たる人はそこに寄付すれば良いのだが、特にこれという寄付先が思いつけない人が困ることになる。そこで「ホリエモン基金」の出番になるかもしれないが、企画書だけでNPOの真贋を見分けることは容易ではなく、多額の資金が託されるためには信用力も不可欠。今回限りの定額給付金のために、そうした体制を整備することは、かなり難しいように思う。
 しかし、実は広く資金を募りつつ、適切な団体に支援する市民活動ファンドは、すでにたくさん生まれている。たとえば「大阪コミュニティ財団」や「しみん基金KOBE」、「ゆめ風基金」…。さらに最近は大阪市や横浜市のように自治体が市民活動を支援する基金を創設する例も増えているし、ボランティア活動をサポートする基金を設ける社会福祉協議会も多い。共同募金なども有力な受け皿だ。
 千人に一人が賛同しても、全国で20億円の寄付が生まれる計算になる。社会の課題解決のために集めた税金が、バラマキで方向性を失った使われ方をしてしまうのを防ぐため、市民が取り組む公共活動に、再度、集め直す運動を各地で広げようではありませんか。

2008年12月号(通巻441号):この人に

2008-12-01 18:47:00 | ├ この人に
私たちはみんな、
日本人社会の一員なんですよ。

教育学者
レイハン・パタール

「ウイグル」という言葉を知っている人はそう多くはない。「ウイグル」って国の名前?民族の名前? そう聞かれたときに、正確に答えられる人はそう多くはない。ウイグルは、はるか中央アジアのシルクロードにおける交流で栄えた地域。
この日本においても、多くの皆さんが来日し、留学生として大学で学び、またさまざまな仕事に従事している。今回は、そんなウイグルのことを、ウイグル出身の教育学者として、日本で教壇に立つレイハンさんに紹介していただく。

■まず最初に、日本にお住まいになって特に困ったことはありますか? ウイグル人(注1)から見た日本の印象も含めてお聞かせください。

 私は中国新疆ウイグル自治区出身のウイグル人です。ウイグル人はムスリム(注2)ですので、豚由来のものは食べることができません。しかし日本を訪問する海外のムスリムだけでなく、日本人のムスリムの数も増えているのに、日本では依然としてムスリムに対する食の配慮がありません。ム
スリムは、スーパーで売っている肉類は、豚肉に限らず、どれも買って食べることはありません。本来食材の調理にはイスラムの作法が必要であるうえ、店屋物にはポークエキスなどが含まれていることが多く、使うことができないからです。それに、日本にはムスリムが安心して食事ができる飲食店も極めて少ないため、彼らは自分で料理をするしかありません。スーパーの一角にでもハラール食品(注3)のコーナーを作ってさえくれれば、ムスリムは安心して買い物できるのに、残念です。
 日本人に対する印象のひとつに、外国人の生活習慣に対する認識の低さがあります。まず、日本人は相手がどこの国の誰なのかを理解すべきです。国際社会の中にいながら、そういう認識が欠けているように思えます。その点で日本は、外見上の経済発展とは裏腹に、世界的な現代社会の水準からは立ち遅れている国だとも感じます。

■初めて日本に来られたきっかけは何だったんですか?
 
 85年から新疆ウイグル自治区政府と日本私立大学協会が提携し、中国国内の人材育成を目的に、毎年各分野から25人ほどの若い教育者を日本の私立大学に留学させる試みがスタートしました。新疆ではその資格を得るために、多くの大学教員が試験を受けることになったのですが、私も受験しました。当時、海外留学は、普通の人にはまったく考えられないことでした。絶対受からないと思って受けたのですが、合格の返事が来て驚きました。その後中国国内で日本語を勉強し、88年6月に初めて日本を訪れました。私は専門が視聴覚教育ですが、当時兵庫県神戸市の甲南女子大学に視聴覚教育の専門教授がいた関係で、ここに留学することになりました。
 留学の制度はその後、06年まで続けられ、もうかなりの人たちが日本にやってきています。新疆に戻って活躍している人、日本に残って仕事をしている人、日本からさらに新しい国に移って、そこで
研究やビジネスを行っている人など、さまざまです。
 日本国内でも天山文化交流協会(注4)をはじめとする市民団体もでき、国内での交流も盛んになりました。

■日本の学生についてどう思われますか? またウイグルをより広く知ってもらうための活動についてはいかがですか?

 日本の学生さん自身はウイグルやシルクロードというものにストレートに関心を示す人は少ないようでしたので、授業の合間を見て、いろいろなウイグルの料理を作ってあげたり、ウイグル人の仲間を呼んでみんなの前で民族楽器の演奏をしてあげたりしました。学生さんたちにとってもいい体験になったと思います。
 若い皆さんは、どちらかというと受け身の人が多く、自分たちから積極的に何かをしたり、求めたりはしないで、こちらからしてあげると興味を示すということが多いようですね。
 2年前の06年に(兵庫県)三田市で「シルクロードバザール」という地域住民主催のイベントに参加し、ウイグル人がウイグルの料理を作って大勢の住民の皆さんたちといっしょに食事をしたり、民族
舞踊を踊ったりしました。また、そのときにパワーポイントを使ってウイグルの紹介をするという時間をいただき、好評だったので、それ以来いろんなところへ行って、パワーポイントでウイグルの紹介をしています。今年も広島をはじめ何か所か地方都市を訪問し、ウイグルの紹介をしました。

■いろんな人にもっと知ってもらわなきゃいけないというのがありますよね。地球儀を見ても、昔と国の配置もずいぶん変わったと思うのですが、国は増えてもそこがどんな国なのかを知る機会もあまりないですね。

 私たちの生まれ育った新疆ウイグル自治区にはウイグル族以外にもカザフ族、モンゴル族、そして漢族とさまざまな民族が住んでいますが、それぞれの言語、宗教、生活習慣があり、当たり前のよう
に多くの違いがあります。ですから、街に出ればさまざまな民族と出会いますが、誰にかかわってどんな言葉を話せばいいのかは、相手を見て、その場その場で判断するしかありません。それで言葉も選ぶし、生活習慣もお互いで理解しなければなりません。そうやって常に環境に適合した付き合い、接し方をするという能力は、子どものときから習慣として身に付いています。ウイグル人として何をしていいのか、何をしたらいけないのか、ほかの民族ならどうなのか、というようなことは、子どものときに親から教わるからです。
 すべてのことには原因があって結果があり、それにはさまざまなパターンがあることを学ぶわけですが、、日本人の他人との接し方は、あまりに画一的です。

■日本のお菓子に「金太郎飴」という飴細工があって、どこを切っても断面に金太郎の顔が出てきます。転じて日本のたとえで、個性がなく画一的なことを「金太郎飴のようだ」といいますが、まさにそういうことですね。

 その通りですね。多文化教育といわれますが、実際は表でいうほど浸透していないし、もっと深く考えるべきだと思います。実際に今の日本にはさまざまな民族が住んでいて、さまざまな文化が存在しますので、この問題は決して無視できないものです。一番身近な民族であるコリアンとの付き合いにしても、日本国内には多くの在日韓国・朝鮮人の皆さんがいるわけですし、そのほかの日系人や外国人労働者も多く日本で暮らしています。彼らはみんな日本人社会の一員なんですよ。日本社会を作り上げる不可欠な要素ですから、お互いのことを知って初めて理解し合えると思います。そういう点では、日本には決して日本人だけが暮らしているんじゃないんだという認識は必要ですし、だからこそ日本人にとっては多文化教育や多文化交流の機会は重要だと思います。もっと多くのことを理解すべきだと思います。
 私は教員という立場から、特に学生さんたちには、もっと進んでさまざまな国の文化を学んでほしいです。年配の皆さんだとかつてのNHKの番組、『シルクロード』の影響もあって、今でもシルクロードのことを知りたいという欲求が強いのに、若い人ほどそれが薄らいでいく。つまり好奇心が足りないと思います。

■『シルクロード』放映当時は、映像文化やITがまだ発展していなかったため、娯楽の対象がそこに集中しましたが、今はどんな情報でもすぐに手に入る世の中。環境が整い過ぎて、かえって興味が薄らいだのかも知れませんね。

 ほかの民族と違い、日本においてはウイグルのことを知らない人はまだまだ多いです。新疆から日本を訪れる留学生は中国籍ですので、「何人ですか」と聞かれたら当たり前に「中国人です」と答えるのですが、顔を見て「うそだろう」といわれる友だちもいました。ウイグル人の顔つきは日本人とあまり変らない人もいれば、彫りが深く、明らかに東洋人の顔ではない人もいますから。
 やはり、日本に住む者同士、日本人には、もっと私たちウイグル人のことを、私たちももっと日本人のことをお互い知っていかねばなりませんね。それによって、きっといい結果が得られると思います。
 先日仕事でカザフスタン共和国を訪問しました。この国にはウイグル人がたくさん住んでいます。新疆とは国境線があって国は分けられているのですが、国は違うのに、まったく同じ文化を持ち、同じ生活を営んでいます。食べるものだっていっしょなんです。そういう環境で、同じ民族が隣り合わせで住んでいるということがある意味不思議でしたね。違う国なんだけど、故郷に帰ったような感動を覚えました。
 同じ文化なのに異なる国、異なる文化なのに同じ国とさまざまですが、世界はひとつだと思いますね。

■グローバル化が進み、世界の人やモノ・情報の流動性が高まっていく時代になり、多文化や国境を越えたものの考え方というのは、ますます必要になってくると思います。日本もそういう国際社会にきちんと適応していけるよう、私たちもしっかりと勉強していきたいと思います。今日はありがとうございました。

インタビュー・執筆 
編集委員 杉浦 健
 
(注1)ウイグル人 
主に中央アジアのタリム盆地に居住する民族。人口は1千万人弱。ウイグル語を話す。イスラム教を信仰する。主にオアシスに定住して農業や商業に従事する。大多数の居住地域は中華人民共和国の新疆ウイグル自治区だが、カザフスタンやキルギス、ウズベキスタンなどにも少数居住する。

(注2)ムスリム 
「(神に)帰依する者」を意味するアラビア語で、イスラム教徒のこと。

(注3)ハラール食品 
加工や調理に関して要求される作法が遵守されたムスリムのための許された食べ物。海外ではシールなどで表示されているケースが多いが、日本では専門店に行かない限り、ほとんどそのような配慮はなされていない。

(注4)天山文化交流協会 
レイハンさんが顧問を務める京阪神を中心に活動する市民活動団体。98 年発足。シルクロードの歴史や文化の紹介、ウイグル料理の講習会、市民交流ツアーの企画など、中国新疆ウイグル自治区と日本の市民レベルの文化交流活動、および自治区内の貧しい子どもたちへの教育支援を行っている。


●プロフィール●
新疆ウイグル自治区出身、1984 年中央民族学院卒業後、新疆師範大学にて教鞭をとる。1988年~94 年、甲南女子大学に留学、教育学を専攻。2002年再来日し、視聴覚教育、多文化教育分野での研究を行なう。研究の傍ら、日本留学時に自ら感じた異文化体験を生かし、大学講義や一般市民向けの異文化紹介などを通じて、中央アジア(特に出身地である新疆ウイグル自治区)諸民族に対しての異文化理解、異文化体験活動を行なう。甲南女子大学 神戸薬科大学 非常勤講師 天山文化交流協会顧問

2008年12月号(通巻441号):わたしのライブラリー

2008-12-01 18:46:04 | ├ わたしのライブラリー
「共感」と「理解」
    「自己の眼差し」を捉え返す機会を提供する2冊

編集委員 工藤 宏司

貴戸理恵著『不登校は終わらない―「選択」の物語から〈当事者〉の語りへ』2004 年, 新曜社,2940 円(税込)

石川良子著『ひきこもりの〈ゴール〉―「就労」でもなく「対人関係」でもなく』2007 年, 青弓社,1680 円(税込)

 私のボランティア初体験は23歳の時だから16年前のことになる。「不登校」対策としてはじまった「厚生省ふれあい心の友(メンタル・フレンド)派遣事業」で、子どものもとに週一度通う「お兄さん」としての活動がそれだった。私は大学院に進学した直後で、「彼らはなぜ不登校になってしまうのか」「彼らを助けるために何ができるのか」を真剣に考えていた。自分のそんなあり方が当の彼らを傷つける可能性もあることなど考えもせずに。
 『不登校は終わらない―「選択」の物語から〈当事者〉の語りへ』(貴戸理恵04年新曜社)は、「不登校」への解釈とそれに基づく社会的介入が、特定の立場の人びとの依拠する「物語」に彩られ、それが「当事者」のリアリティを抑圧していたことを指摘する。
 「長期欠席者」は繁忙期の農漁村を中心にかつてよく見られた存在だった。しかし1950年代後半から産業構造の転換が進んだことで状況は一変する。労働者家庭の増加は、子どもや親にとっての学校の価値を高めることに寄与した。就学率は飛躍的に向上し、長期欠席者も減少した。こうした状況下において、それでも学校にやって来ない子どもは大人たちにとって理解不能な存在となり、児童精神医学という専門知にその解釈が委ねられた。かつて「長期欠席者」と呼ばれた子どもの一部はこうして精神医療の対象とされ、「登校拒否」「不登校」という名で呼ばれるようになったのだ。
 状況に変化が現れたのは、医療機関や行政機関に「子育て失格」の烙印を押され続けた親たちが声を挙げはじめたことによる。「不登校は病気じゃない」をスローガンとした母親たちの運動(「母親たち」と書かねばならないことにこそ日本社会のゆがみはある)は、80年代中期以降、受験戦争やいじめなどが注目されたことも追い風になり、徐々に注目されるようになった。
 「不登校は選択である」という物語はこの運動の中で生まれた。それは「治療・矯正の客体」とされた子どもたちの地位を、「自らその道を選び取った主体」として回復することに寄与した。しかし同時に、「選択の物語」は「別様の不登校の物語」を排除したと貴戸は言う。「わが子とどのように生きていくか」という切実な問いから紡がれたものだったとはいえ、運動の中で繰り返され、メディアにもてはやされるようになった「選択の物語」は、それに「しっくりこない」子どもの口を閉ざさせた。あるいは大人の要請でそれを「語らされた」子どももいた。そして彼らは「不登校その後」を、そうした疎外感を抱えたまま歩むことになったのだ。
 貴戸が丁寧な聞き取りで明らかにしたのは、「不登校児」と呼ばれた人々の「その後」をも含む経験の多様性である。彼らが歩んだ生は「選択の物語」に必ずしも納まらない。その証言は、ステレオタイプ的できれいごとにすら聞こえるこの「物語」へのノイズであり、しかし現実に生きられたものとして重い意味をもつ。
 『ひきこもりの〈ゴール〉―「就労」でもなく「対人関係」でもなく』(石川良子07年青弓社)も、かつて「ひきこもり」を経験し、現在は自助グループなどで生き方を模索する若者の言葉を丁寧に拾い集めた良書だ。
 厚労省が03年に定めたガイドラインにあるように、「ひきこもり」は「病気」ではなく、他者とのコミュニケーションを忌避したり、そのことで就労から部分的・全面的に撤退したりするような状態像である。ゆえにこの問題の〈ゴール〉は、彼らが対人関係を持つに至るか就労するかのいずれか、あるいは両方とされることが多い。
 しかし「ひきこもり」者の苦悩はこの双方が達成されたことだけでは終わらない。石川が描き出したのは、対人関係獲得後、あるいは就労後にも、「ひきこもり」から抜け出たと思えず、「なぜ働かねばならないのか」といった「実存的問題」に向き合い続ける彼らの姿だ。先に同書のインタビュー対象者を「かつて『ひきこもり』を経験し」としたが、それゆえこの表現は実は不適切だ。彼らはなお「ひきこもり」の最中にある。
 石川は彼らが生きるリアリティのこうした複雑さを明らかにした後で、必要なのは「共感」ではなく「理解」であると説く。
「共感」は「理解」がなくてもできる。訳知り顔で「大変ですね」ということは、かつての私がそうだった(あるいは今もそうである)ように、状況を詳細に知らなくても「できる」。しかし彼らが直面する「本当のところ」を「理解」することは実は難しい。仮に「理解」できたとしても、それは彼我の違いを浮き彫りにし、その結果「共感」できなくなるリスクすらある。
 しかしそれでも石川は「理解」の方が必要だと説く。それは彼らが、正面から向き合っている問い―「実存的問題」とは、ともすればわれわれの誰もが向き合わざるを得なくなる類の問いであり、それゆえにわれわれの間に本質的な違いはないからである。そしてそのことの「理解」は、われわれの彼らへの視線を問い直す契機となり、同時に彼らの孤独をやわらげることに寄与するはずだ。
 貴戸と石川の議論からは、ステレオタイプに彩られた「善意」が持つ暴力性を読み取ることができる。自分をかばうわけではないが、23歳の私に「いじわる」な気持ちなど微塵もなかった。しかし研究というフィルターを通して彼らをわかったつもりになり、「君のために何かをしてあげる」と傲慢な「善意」をもった私が、彼らの「本当の声」を抑圧した場面はきっとあった。それはお手軽な「共感」が暴力
に変わる瞬間だったはずだ。
 「理解」は、ステレオタイプ的な「不登校児」「ひきこもり者」としてではなく、「固有名のその人」としてなされねばならない。それは彼らを眼差す「わたし」自身を、その暴力性をも含めて正しく「理解」することと並行してしか達成されない。そのことに気づくとき「不登校」「ひきこもり」は「誰かの問題」ではなく「わたしの問題」となる。そこではじめて「相互理解」に向けた席につくことができるのだ。この2冊はそのことを教えてくれる。