市民活動総合情報誌『ウォロ』(2013年度までブログ掲載)

ボランティア・NPOをもう一歩深く! 大阪ボランティア協会が発行する市民活動総合情報誌です。

2009年9月号(通巻448号):目次

2009-09-01 17:28:22 | 2009 バックナンバー:目次
《V時評》
変革の担い手はだれ?
 分権の器に「魂」を
 ・・・増田宏幸

《特集》
ネット社会における市民活動の選択肢
 ・・・石田信隆、杉浦健、華房ひろ子、村岡正司
 海士美雪(全国視覚障害者外出支援連絡会・事務局長)

《だから私はこれを買う・選りすぐりソーシャルビジネス商品》
「養蜂家のハチミツ」(ヒグチ養蜂園)
 ・・・古野茂実(自治体職員)

《うぉろ君の気にな~る☆ゼミナ~ル》
オバマジョリティ
 ・・・ラッキー植松&西岡篤史

《語り下ろし市民活動》
介護はプロに、家族は愛を。×住み慣れた地域で暮らしていくために(2)
 やわらぎの「システム」を語る
石川治江さん(NPO法人 ケア・センターやわらぎ 代表理事
         社会福祉法人 にんじんの会 理事長)
 ・・・早瀬昇

《ぼいす&シャウト!大阪ボランティア協会・事務局スタッフの仕事場から》
大学4回生、しんどい季節
 ・・・岡村こず恵

《ファンドレイジングが社会を変える》
コーズ・リレーティッド・マーケティングについて考える
 ・・・鵜尾雅隆(日本ファンドレイジング協会)

《ゆき@》
聾の監督たちでつくった
映画『ゆずり葉』に
感動と、涙、涙です(*^^*)

 ・・・大熊由紀子(福祉と医療、現場と政策をつなぐ「えにし」ネット)

《この人に》
渡辺りえこさん(サインシンガーソングライター)
 ・・・久保友美

《コーディネートの現場から・現場は語る》
新しい風にそよぐ「谷間の百合」たち
 学生・病院ボランティアの活躍
 ・・・松若玲奈(神戸市立医療センター中央市民病院
          ボランティアコーディネーター) 

《わたしのライブラリー》
『蟲師』・人は自然の一部であり得るか
 ・・・華房ひろ子

《まちを歩けば・大阪の社会事業の史跡》
大阪勞働學校と賀川豐彦・高野岩三郎
 ・・・小笠原慶彰

《おしゃべりアゴラ》
地域活性化と親密化の拠点
「ひがしまち街角広場」
 ・・・吐山継彦

《ウォロ・バルーン》
次につながる! 社会とつながる! インターンシップ

《市民活動で知っておきたい労務》
最低賃金
 ・・・石田信隆

《リレーエッセイ 昼の月》
長く愛してほしいもの

《レポート》
明るいのが取り柄の大阪に もういっぺん明るさを取り戻す
 「OSAKAあかるクラブ」キックオフ
 ・・・杉浦健

《パラボラ・NEWS》
内閣府・国民生活局が「市民活動団体等基本調査報告書」を公表

《某覧提案》
 ・・・浅石ようじ

2009年9月号(通巻448号):V時評

2009-09-01 17:27:10 | ├ V時評

変革の担い手はだれ?


 分権の器に「魂」を

編集委員 増田 宏幸

 本号が出るころには衆院選で民主党が少なくとも比較第1党となり、単独か連立かはともかく、鳩山由紀夫代表を首班とする新政権が産声を上げているだろう。少数8党による細川連立内閣と違い、戦後初の本格的な政権交代であり、市民の期待も大きく膨らんでいるに違いない。長く続いた自民党政権が「停滞」や「閉塞」「格差」など負のイメージと重なっていただけに、重しが取れたような高揚感を持つ人もいるだろう。だが、単純にバラ色の未来図を描くことはできない。地方分権など本当の変化は、「上から」だけでは起こらないことを改めて考えておきたい。

■東国原騒動が示したもの

 総選挙に至る経緯の中で、変化を象徴する動きとして二つの出来事が特に印象に残った。一つは東国原・宮崎県知事の「国政鞍(くら)替え」騒動。もう一つは民主党がマニフェストに「国家予算の全面組み替え」を盛り込んだことだ。なぜこの二つかといえば、これまで日本の社会を締め上げてきた「アメとムチ」の地方統制が、いよいよ終わるかもしれないと予感させたからだ。
 鞍替えの是非や本人の現状認識はさておき、東国原知事が放った「私を総裁候補として総選挙を戦う覚悟がおありですか……」という発言は、我々の1票=意思表示が政治を動かすことを、恐らく初めてビジュアルに示したケースだと思う。
 95年の阪神・淡路大震災で政治・行政の限界が露呈し、翌96年の衆院選は初めて小選挙区制で実施された。軌を一にして、マニフェスト選挙を提唱した北川正恭(三重)、片山善博(鳥取)といった「改革派知事」が生まれ、全国知事会が次第に存在感を増した。国会や市町村でも既成勢力を破った若い議員、首長が珍しくなくなり、今回の衆院選前には千葉、横須賀、奈良の各市で次々に30歳代の市長が誕生した。
 この15年の流れを振り返れば、政官業の利益分配構造に立脚した自民党モデルが行き詰まり、有権者が新たなモデルを求めてきたことは明らかだ。小泉人気もその一環であり、有権者は非自民的なものを求めたに過ぎない。東国原発言や麻生降ろしに代表される自民党の右往左往は、我々の1票を無視できなくなった旧来型政治の断末魔の姿だった。東国原発言はトリックスターの妄言ではなく、出るべくして出たのである。

■税金は誰のためのものか

 一方、「予算全面組み替え」という民主党のマニフェストは、言い換えれば予算の重点配分主義であり、その根本は「縦割り」の排除だ。
 省庁別に配分される現在の方式では、似たような事業を別々の省が実施していたり、地方自治体でできる事業を国の出先機関がしたりするなど、優先順位とは無縁な無駄が多い。生活保護制度の高齢者加算や母子加算は廃止されるのに、地元が不要とするダム計画が推進される現実を見れば、自分が納めた税金の使われ方に我慢ならない気持ちを抱く人も多いだろう。
 更に、国の予算は国庫負担金や補助金などとして地方自治体に割り当てられ、地方を統制する重要な道具として使われてきた。それでも地元の要望が反映されればいいが、必ずしもそうではないことが片山・元鳥取県知事の次の言葉で分かる。
 「例えば国の予算では、鳥取県で優先度の高い高速道路は道路公団の事業だからと予算が付かず、景気対策の補正予算で農水省の枠で農道に予算が付くようなことがありました。広い視野で優先劣後を考えることが霞が関(中央官庁)に欠落しているんです。そのことを週刊誌のコラムで指摘したら、農水省から『農道の予算はいらないんですか』と県の職員に電話があったそうです」(7月28日付毎日新聞「時代を駆ける」)
 予算は誰のためにあるのか。民主党は「霞が関の解体・再編、地域主権確立」を掲げ、「地方の自主財源を大幅に増やす」ことも約束した。予算編成方針と併せ、実現すれば歴史的なコンセプトの転換となるだろう。ただ、本当の地方分権、住民自治に至るには、まだハードルがある。官僚や地方自治体の意識変革はもちろんだが、むしろ問われるのは我々自身だ。

■衆知集め「積み上げ型」に

 橋下・大阪府知事らが盛り上げてきた分権論は民主党のマニフェストにも反映され、変革を促す上で大きな力となった。だがこれもあえて言えば、名前こそ「地方」だが、住民にとっては「上」からの議論でしかない。実際に権限や税源が移譲された時、我々はそれをまた、地方自治体という「お上」に委ねてしまうのか。それとも責任をもって使いこなす主体となるのか。委ねれば、中央集権体制が分割されただけで住民にとっての実態はさして変わらないだろう。主権者として「地域づくり」にどうかかわるか、我々自身の議論なくして分権は完結しない。
 具体的には、住民同士が議論できる場をつくり、本当に必要なところに適切な施策が行き届くよう声を集め、それを目詰まりなしに行政に伝えるシステムを持つことが重要だ。議論の場はNPOでも自治会でも、PTAでも異業種交流会でもいい。それぞれが「衆知を集めるシステム」として機能すれば、分権は積み上げ型になる。
 次に、それをどう集約し実行するか。住民と行政を結ぶ存在として議会があるが、現状を見る限り地方分権の要としては心もとない。ボランティア議員化するなど議会を変えるアクションを起こすか、どうしてもだめなら自分たちで代わるものを作ればいい。NPOはこうした動きをサポートし、場合によっては自ら橋渡し役になる。いずれにせよ、相手が身近な自治体であれば、かかわり、変えていく手だてはいろいろあるだろう。地方分権を、国から地方自治体への単なる「器」の変更にしてはいけない。

2009年9月号(通巻448号):特集

2009-09-01 17:26:49 | ├ 特集(表紙)
《特集》ネット社会における市民活動の選択肢



石田信隆、杉浦健、華房ひろ子、村岡正司
海士美雪(全国視覚障害者外出支援連絡会・事務局長)

■特集「こぼらばなし」 ウォロ編集委員・談

ネットは本当に、広大なエリアと強大な影響力を持った一つの社会だ。プライベートでは興味なくても構わないけれど、何らかの社会的活動をするなら、怖れず、バカにせず、賢く立ち向かい利用していくべきではないだろうか。なんせほとんどタダだし。(は)

スカイプの威力を実感した7月5日の「ひめゆり」自主上映会。スクリーンを媒介とした沖縄の若者との熱い会話、そして一体感。インターネット以前には想像だにできなかった技に会場は沸いた。実行委員長を買って出た編集委員のSさんは準備に2度も沖縄へ飛び、現地市民と顔を突き合わせて折衝し、共感を得、協力をとりつけた。いつも、どんな場合でも、市民ネット社会の発展を陰で支える本当の立役者は、そこに存在する人間の熱い「志」に他ならない。(村)

インターネットは、今まで以上に市民のみなさんに対して、市民活動を知ってもらい、共感や支援の輪をひろげるひとつの手段。時間や空間をこえて、より多くの人たちとつながることができるメリットを、さらに活かしていければと、考えている。(石)

ドラえもんが恋をするエピソードがある。相手は生身の“猫”。きわめて人間くさいが、ドラえもんを制御するコンピュータには危険度の高いバグだ。手塚治虫原作を浦沢直樹がリライトした問題作『PLUTO』が完結したが、鉄腕アトムの世界も、ロボットたちの制御しきれない行動を通じてコンピュータ社会の脆弱性を警鐘している。こんなものなくたって生活はできる。しかし、あると絶対便利なんだし(ry……(^^;ゞ

2009年9月号(通巻448号):この人に

2009-09-01 17:25:50 | ├ この人に
人のあたたかさや
つながりを伝えていけるような
シンガーになりたい。

サインシンガーソングライター
   渡辺りえこ さん

兵庫県生まれ。両親は耳が不自由であったため、3歳の頃より手話で家族を支える。阪神淡路大震災の被災時、手話を使って両親を支える様子が「小6 少女元気な大黒柱」とマスコミで注目される。現在、手話と歌を使った“サインシンガーソングライター”という独自のジャンルを確立し、手話を広めようと精力的に活躍中。


 初めて耳にする肩書き―サインシンガーソングライター。  歌を作り、それを歌うだけではなく、声と同時に手話で歌の世界観を表現する彼女のパフォーマンスは、まさに全身を使った感情豊かなものだ。  そして、手話について語る彼女は、歌のパフォーマンス同様、生き生きとしている。「自分に素直に生きていきたい」。歌の中でそう語る渡辺さんの思いが表情にあらわれている。

■サインシンガーソングライターはどのようなきっかけで始めたのですか?

 19歳のときです。歌がもともと好きで、その頃、大阪駅前の歩道橋で路上ライブをしていました。すると、たまたますぐ近くで、耳の聞こえない男女4人が手話で会話をしていたんです。私の両親は耳が不自由なので、3歳から手話を使う環境で育ってきました。そこで、耳の聞こえない方にも自分のオリジナル曲『幸せに輝くように』を伝えたい!って思って、即興で手話を使いながら歌ったんですね。すると、男性の一人が「すごくいい歌だったよ」って、眼に涙を溜めて言ってくださって。それがきっかけで、手話を使って歌うシンガーになろうと思いました。
 歌手は手でリズムをとったり、歌詞を表現しますよね。私の場合、それが手話になった、という感じです。ダイナミックに表現するように心がけていて、きれいな指の動きなど、アレンジしてやっているんですね。手話の意味が分からなくても、「キレイだな」「おしゃれだな」と感じてもらえたら、と思っています。

■歌手活動の他に、講演活動もされているんですね。

 耳の聞こえない方とのコミュニケーションについて、興味を持っておられる方が結構いらっしゃいます。手話自体は、勉強をすればできるようになると思うんですよ。ただ、人との関わり方は、勉強じゃできない。例えば、筆談の場合、「これ、美味しくなくない?」といった二重否定のような回りくどい言い方は、理解しづらいんです。たいてい「美味しくなくないというのは、美味しいのかな、美味しくないのかな」って迷われるんですが「それが耳の聞こえない方の気持ちです」と伝えたら、みなさん「なるほど…」と理解してくださって。耳の聞こえない方とのコミュニケーションはこういう形で伝えています。
 講演会に参加された方の知り合いに耳の聞こえない方がいらっしゃるかもしれないですし、はたまた、どこかでばったりとそういう方にお会いするかもしれない。そういったときに、私の知らない耳の聞こえない方とスムーズにコミュニケーションが取れるといいな、という思いがすごくあります。
 他には、阪神・淡路大震災のときの経験をお話しすることもあります。私は、小学校6年生のときに震災を経験したのですけれど、特に東京の方はそのときの経験や思いを知りたい方が多いようです。あの震災のとき、必要な情報がすぐに得られず、誰もが不安で一杯でした。ましてや私の両親は耳が聞こえなかったので、子どもだった私や妹には、みなさん以上に情報が少なかった。ですから、どうしたらいいのかが全く分からない状態のまま、何とか避難所に避難したんです。 でもそこでは、私の両親のことを周りが理解して下さっていて、「お弁当の時間だよ」といったことを身ぶり手ぶりで両親に教えてくれたんですね。どんな手段でも、仲間に情報を伝えようという自然な気持ちがその場にありました。みんなで震災を乗り越えていこう、という思いに壁はない。その思いが今のサインシンガーソングライターとしての活動につながっています。あのとき、耳が聞こえないんだったら情報を流さない、という方ばかりだったら、今の活動もなかったんじゃないかなと思いますね。自分のことで精一杯な状況なのに、他の方にも声をかけてあげる、という人とのつながりを震災でたくさん経験した結果、人のあたたかさやつながりを伝えていけるようなシンガーになりたいと思うようになりました。

■サインシンガーソングライターという新しいジャンルを切り拓いていく、ということはとてもパワーがいることなんじゃないかな、と思いますが、そのパワーの源は何ですか?

 一人でも多くの人が「あ」でもいいから、手話を覚えてくれたら最高だなという気持ちでやっています。英語の「a 」から「z 」って誰でも知っていますよね。そんな感じで手話も
広まるといいなと考えています。自分の興味がないことでも周りで誰かが楽しそうに話をしていたり、面白そうにやっていたりすると、気になっちゃいますよね。だから、常に相手が楽しいと思ってもらえるように試行錯誤しています。
 福祉というと、特に若い人の間では、慈善事業といった堅いイメージがまだまだ強いように思うんです。なので、ハードルが高くて参加しづらい人もいると思うんですよ。だけど、決して難しいことじゃない。手話を通じて、福祉をもっと「楽しい」「おしゃれ」「やってみたい」と思ってもらえるようなイメージに変えていきたいですね。
 08年、N P O 法人“ 音の羽根”( *1)の協力のもと、手話通訳士として参加させていただいた「アースデイ東京2008」(*2)では、エコイベントや福祉通訳の他にも有名人が参加する音楽フェスティバルもあり、参加者が一体となって大変盛り上がりました。約12万人の入場者数があったそうです。若い人もたくさん集まっていましたよ。それって、「おしゃれだな」「楽しそうだな」というイメージがあるからだと思うんです。そんな風に楽しそうなイベントに気軽に参加することで、福祉をもっと身近に感じてもらいたいです。一人で参加するのが恥ずかしい、という人もいるみたいですけれど、福祉の世界は、お互いを理解して歩み寄れる人や心あたたかい人たちが多いから、自然と誰とでも仲良くなれちゃう。それが醍醐味じゃないですかね。

■サインシンガーソングライターとして、今後はどのように考えていますか?

 どの世界にも賛否両論があって、年配の耳の聞こえない方の中には、手話で歌うことについてよく思っていない方もいると伺います。私は、人生の可能性を信じてさまざまなことにチャレンジしていくことが大事だと思っているし、固執した考えではいたくない。だからそのようなイメージも変えていきたいな、と思っています。
 今の耳の聞こえない若い方ってバンドをされている方もいるんですよ。東京で「サインソニック」(*3)というイベントがあって、手話バンドがたくさん出ています。そういうこともどんどんやってもらいたい気持ちがありますね。聞こえないとどうしても音程にムラが出ます。そこのクオリティをもっと上げていって欲しいというのは、聞こえない人も聞こえる人も思っていることなんです。自分は音が聞こえるので音程のムラも少ないし、手話もできるので、そのクオリティを高めていきたいですね。それがサインシンガーソングライターの役割であるのかなと思っています。
 耳の不自由な両親をもつ子どものことをCコ ーダoda( = Children of Deaf
Adult) と言うのですが、Coda の中には、私のように人前で何かをしようという人があまりいないんです。ただ、私がメインパーソナリティを務めるインターネット番組「りえこのSignTV」(*4)に一緒に出ているCoda の“こころお
と”という10年間活動されている手話バンドは、メジャーを目指して活動をされています。同じ境遇の中で一緒に前に進めていけたらいいなと思っています。
 ドラマの「オレンジデイズ」(*5)が流れたとき、手話に興味を持つ人が増えましたよね。私も歌をやることによって、聴いている人が手話を「かっこいい」「面白い」と感じて、やろうと思ってもらえるような人が出てきたらいいなと思います。そしたら、サインシンガーソングライターをやろうと思う人が出てくるかもしれないですよね。続けていくことが何事も大事だと思っています。だから私もサインシンガーソングライターとして頑張って、メジャーを目指していきたいですね。

■今回お話をうかがって、手話は、単なるコミュニケーションツールだけでなく、いろいろな可能性を秘めているのだなと思いました。サインシンガーソングライターのパイオニアとして今後のご活躍もとても楽しみにしています。ありがとうございました。

インタビュー・執筆 
編集委員 久保 友美


(*1)「音楽」と「IT」を通じて、若者たちがソーシャルな活動に参加するキッカケを作ったり、そのネットワークを拡げたりする活動をしているNPO 法人。
(*2)1970 年、ウィスコンシン州選出のG・ネルソン上院議員が、4月22 日を" 地球の日" であると宣言したことによりアースデイが誕生。東京でも、2001 年から代々木
公園で「アースデイ東京」を開催。環境問題を考える一つの大きなアクションとして年々、盛り上がりを見せている。
(*3)2007 年7 月7 日、ライブハウス初台ドアーズ(東京・渋谷)で「サインソニック2007」が開催。耳の不自由な人たちが国内外から集まり、ロックやポップス、ラップなどの音楽の演奏を披露するイベントに、多くの感動を生んだ。
(*4)毎週火曜日19 時~ 21 時放映。手話を身近にお届けする手話バラエティ番組。http://www.stickam.jp/profile/naname41
(*5)2004 年4 月~ 6 月放映されたドラマ。妻夫木聡演じる社会福祉心理学を専攻する大学生と柴咲コウ演じる病気によって聴力を失い、心の扉を閉じてしまった大学生のラブストーリー。劇中では手話がキーとなっている。

公演情報
● 2009 年10 月18 日( 日)
シネ・ヌーヴォ(大阪)上映作品
映画『ジャップ・ザ・ロック・リボルバー』上映後にライブ出演。
● 2009 年10 月24 日( 土)
千代田区「福祉まつり」に出演予定
● 2010 年3月25 日(木)~ 29 日(月)
「渡辺りえこオーロラコンサート2010 音のない世界を歌と手話でつなぐ」
詳細はこちら→
http://shogai-kando.com/10lineup/intell16aurora_concert/index.html

2009年9月号(通巻448号):わたしのライブラリー

2009-09-01 17:24:38 | ├ わたしのライブラリー
『蟲師』・人は自然の一部であり得るか

■コミック
漆原 友紀『蟲師』全10巻、1999年- 2008年、講談社

■TVアニメ・DVD
全26話、2005年10月 - 2006年3月、フジテレビ系列、監督:長濱博史

■映画・DVD
131分、2007年、監督:大友克洋、主演:オダギリジョー


 「蟲(むし)」とは、虫ではなく、生き物とも精霊とも付かぬ、不可思議なものである。「生命の現生体に近い存在」とも言われ、普通の人には見えないことが多い。多様な形態、異様な生態であり、それぞれ「空吹(うそぶき)」「影魂(かげだま)」「マナコノヤミムシ」「人茸(ひとたけ)」など、幻想的な名前をもつ。自然界に棲むが、人に取り憑き、身体や心や人生に様々な影響を及ぼすこともある。
 この奇妙な存在を、作者漆原友紀はなぜ「むし」と名付けたのだろうか。今までにはない、作者の全くのオリジナルである。にもかかわらず、妙になじみ深い概念だと思えて仕方がなかった。が、ある時ふと気づいた。
 日本では昔から、昆虫類とはまた違った「虫」という存在が身体の中にいて、身体や感情に影響すると考えられていた。「疳(かん)の虫」「虫が合う」「腹の虫が納まらない」「虫の知らせ」「虫の居所が悪い」等は、今でも使われる言葉である。漆原友紀の「蟲」は、たぶんそういう、まだ日本人の心に残っている「虫」という概念から発想したのではないかと想像している。
 舞台は架空の日本、江戸から明治あたり(開国はしていない)のような時代。
「蟲師(むしし)」とは、「蟲」を見ることができ、蟲の研究、蟲封じや治療などを生業(なりわい)とする蟲の専門家である。主人公の蟲師、ギンコは旅を続けながら自らの知識や技術、薬で人々を助けていくのだが、蟲師としてはやや異端ながら、蟲も人や生き物、草木と同じく自然界の存在と考え、むやみに蟲退治を考えない。「蟲」は善でも悪でもなく、自然界の他の存在のように、ただ、そうあるものなのだととらえている。
       * * *
 原作のコミック『蟲師』では、主役のはずの人間たちは淡々と暮らしを営んでいる印象がある。主人公のギンコも、魅力的ではあるが印象の強くないキャラだ。それに比べて蟲たちはいきいきとして、不思議な存在感がある。さらには山や森には「空気」までが描かれているようだ。「空気」というより、自然界に充満する“生気”や“匂い”とでもいえようか。だからこれは「蟲と関わった人間の物語」ではなく、「蟲と人と自然界の物語」なのだと思う。
 テレビアニメの『蟲師』は、原作に忠実に作られている。監督をはじめ原作に惚れこんだスタッフが、ペンの手描きで紡ぎ出された原作の雰囲気を、鮮やかに映像化した。特に蟲や自然の描写は、驚くほど美しく透明感がある。『蟲師』の真の主役は自然界である、と、スタッフも共感していたのだろうか。
 映画の方は、ロケハンに苦労し日本各地を巡ったというだけあって、日本にいまだ残る原生林などの美しさや力強さが圧倒的である。人の住む村々も、大自然に抱かれ、山の合間に点在している。人間の世界の中に都市があり街があり山がある、のではなくて、自然界の中に、草木や動物、虫、もしかして蟲も存在し、相等しい存在として私たち人間も住まわせてもらっているのだ、と感じさせられた。
       * * *
 原作最終話「鈴の雫」は、それまでの話にも増して感動的だった。山のヌシとして選ばれ、幼い頃から山に入ってヌシを務める少女カヤ。山でカヤと出会ったギンコは、人が山のヌシであれたことを喜び、「草木も蟲も、けものもヒトも、命の理(ことわり)の中に生きている。ずっと昔からそうだった」と語る。
 兄に見つけられ再び家族の元に戻ったカヤは、少しずつ人間らしさを取り戻す。またも山に呼び戻されるカヤだが、そのせいでもはや山のヌシとしての役目を果たせなくなっていた。
 次の山のヌシに力を渡すため山に喰われることになっているカヤを救うため、ギンコは「山の理(ことわり)」と交渉しようとする。ギンコは、「自然か人か」の二項対立というスタンスに立たない。人をいとしくは思っているが、害となる蟲も、ヒトを食らう山も、あるがままに受け入れるのだ。
 最終話まで、ギンコが女性に心動かすようなシーンはなかった。蟲師の仕事以外で人と関わりを持たないように見えたギンコだが、最終話で初めて、仕事抜きで、我が身を犠牲にしても娘を救おうとしたのだ。恋愛感情などの描写は相変わらず欠片(かけら)もないが、それだけによけいに胸を打つ。
 ギンコがそこまで大事に思った相手が、「山のヌシ」であったこと、ギンコがそのことを受け入れ、にもかかわらず彼女の人としての幸せをも願ったことは、象徴的ではなかろうか。いかにも、人間界と自然界と蟲の世界との狭間(はざま)に立ち、それらを繋ぐ存在である彼らしい、と思えるのだ。
       * * *
 ギンコとの会話の中で、「山の理」は、「もはやヒトにヌシが生まれることはない。ならばヒトは山から外れ、山の声の届かぬモノになる」と言う。それに対してギンコは「外れはしない、決して。ヒトも山の一部にすぎないのだから」と断言する。
 そうであればいいのだが。映画『もののけ姫』の話のように、私たちはたぶん自然界の主をことごとく滅ぼしてしまった。そして自分を山の一部と感じることはおろか、山や森を「ただの場所」としか考えられなくなくなってしまった。だが、少し前まで私たちが持っていた、自然との一体感、自然への敬虔な気持ちを捨ててしまっていいのだろうか。あまりにも豊かな精神的財産を、無くしてしまうのはもったいなくはないだろうか。
 山を削り木を倒し川を堰き止め海を埋め立てる計画がある時、それが「必要かどうか」だけではなく、自然への畏敬の念をも持ちつつ、事に当たることはできないだろうか。
 といっても、それら「敬虔(けいけん)な気持ち」を、行政や企業などの組織に求めるのは難しい。それよりも、地元や市民団体、私たち個人こそが、伝統的、精神的なものを心に掛けていくべきではないだろうか。でなければ、私たちは、やがて自然や過去との絆を失ってしまうだろう。そしてそれは、あまりにも無味乾燥でさびしい現代人の姿ではなかろうか。

編集委員 華房 ひろ子

2009年9月号(通巻448号):レポート

2009-09-01 17:23:29 | ├ レポート
明るいのが取り柄の大阪に
もういっぺん明るさを取り戻す
「OSAKAあかるクラブ」キックオフ


編集委員 杉浦 健

 「大阪が人を明るくするまちにしたい」その思いが、多くの市民の共感を呼び、「OSAKAあかるクラブ」というクラブ活動が発足、そのキックオフイベントが7月28日(「なにわの日」!)、大阪・住之江区のワールドトレードセンター(WTC)の特設ステージで開催された。
 ネーミングの由来は、「大阪」「明るく」「LOVE」を足したもの。プロジェクトデザイナーの野村卓也さんや御堂筋アートグランプリのディレクターの一人でもある井原正博さんを始めとする、ほっとかれへん人たちが有志で立ち上がり、クラブ活動の骨子をまとめ上げた。当日のゲストは、クラブのキャプテンでもあるやしきたかじんと桑名正博、香西かおりほか 。
 サポートには大手広告代理店が付いている。大阪らしい芸能人をうまく使い、彼らが自発的にボランティアとして動くことで、クラブ活動の機動力も演出している。
 クラブ員になるには、まずオリジナルTシャツを購入する。これをクラブではユニフォームと呼ぶ。価格は3千円。デザイン的にもしっかりしたものだ。すべてのユニフォームにはシリアル番号が付いていて、それが会員番号になる。3千円の寄付で、もれなく会員にエントリーされ、会員番号付きユニフォームが付与される、というなかなか味なしかけだ。イベントには、参加者全員がこのユニフォームを着用する。この場ではみんな平等なので、一体感もある。
 興味深かったのは、案外若いボランティアがたくさん参加していたこと。
 「案外」とは失礼な、というなかれ、若者のボランティアニーズは高まる一方だが、ボランティアを求める側との「需要」と「供給」がかみ合わないのか、ボランティアをしたくてもできない人たちが多いのが現状。
 「君たち、ボランティア?」と聞いたら、みんな笑顔で、「そうです」と答える。「まつりやイベントが好きなんですよ」「みんなでやろう、って、声掛け合ってきました」「めっちゃ楽しいですよ」
 この「楽しい」が原動力になるのだ。しかも、彼らは、単にまつりに参加しに来たわけではなく、しっかり自分たちの役割を見つけ出して、手際よく働いているのだ。
 まだまだ大阪も捨てたものではないと実感。そして、このクラブ活動の、特に若者の今後の動きには、目が離せない。