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市民活動総合情報誌『ウォロ』(2013年度までブログ掲載)

ボランティア・NPOをもう一歩深く! 大阪ボランティア協会が発行する市民活動総合情報誌です。

2008年7月号(通巻437号):目次

2008-07-01 21:02:18 | 2008 バックナンバー:目次



《V時評》
やはり「連帯」以外に道はない
 ・・・早瀬昇

《特集》
マンガで市民活動!
 「絵」のエンパワメント力はスゴイのだ
 ・・・ラッキー植松、千葉有紀子、青木千帆子、華房ひろ子

《特集・番外編:ボランティアむだちしき》(最終回)
 デコボラ
 ・・・ムーパパ&浅石ようじ

《だから私はこれを買う 選りすぐりソーシャルビジネス商品》
アレルギー対応クッキー(アレルギーヘルスケア)
 ・・・石田信隆

《語り下ろし市民活動》 
福岡だからこそ! ボランティアだからこそ!
市民で映画祭22年。(1)
前田秀一郎さん(福岡アジア映画祭ディレクター)
 ・・・村岡正司

《どーなる?どーする!裁判員制度》
裁判の迅速化 or 拙速化!?
裁判員制度は裁判の長期化対策か
 ・・・大門秀幸

《ゆき@》
優しき挑戦者大集合です(*^^*)
 ・・・大熊由紀子(福祉と医療、現場と政策をつなぐ「えにし」ネット)

《この人に》
森達也(映画監督・ドキュメンタリー作家)
 ・・・千葉有紀子

《コーディネートの現場から ~現場は語る》
地域の公立文化施設における文化ボランティアの現状と課題
 ・・・柴田英杞(鳥取県文化振興財団 文化芸術デザイナー
    全国公立文化施設協会 公立文化施設活性化アドバイザー)

《私の市民論》
財政再建とNPO
 求められる新たな「協働」の追求
 ・・・柏木宏(大阪市立大学大学院教授)

《トピックス・動物》
公民協働による犬猫救出大作戦
 中之島公園猫対策協議会の動き
 ・・・吐山継彦

《わたしのライブラリー》
マンガの新世紀を切り開く2作品
 ・・・影浦弘司

《レポート》
『マンガ・雑誌の「性」情報と子どもたち』より
 ・・・杉浦健

《リレーエッセイ 昼の月》
においの季節に

《3つ星》
カフェ373(沖縄県宮古島)
 ・・・山口ヒロミ(天音堂ギャラリー)

《VOICE NPO推進センターの現場から》
助言者の力を上手くかりて企画を練ろう!
 ・・・永井美佳(大阪ボランティア協会)

《ウォロ・ニュース》
今秋開講!長期実践型NPO・NGOインターンシップ
プログラム 3期生募集!
ほか

2008年7月号(通巻437号):V時評

2008-07-01 21:00:44 | ├ V時評

やはり「連帯」以外に道はない



編集委員 早瀬昇

■「犯人は派遣社員」の衝撃

 のんびりと休日を楽しめるはずだった日曜日。秋葉原の歩行者天国で、凄惨極まりない事件が起こった。17人を無差別に殺傷し、介抱する人びとまで背後から襲うなど、その凶悪さは許しがたいものだ。わけもなく命を奪われ、傷つけられ、そして突然、大切な人を奪われた人びとの怒りと無念さが胸をつく。どんな背景があったにせよ、その行為は決して正当化できるものではない。
 ただし、容疑者の置かれた状況が明らかになるにつれ、今回の事件を私たちには理解困難な人間による特殊な犯行と例外視できない背景も浮かび上がってきた。
 中学時代は勉強もスポーツもよくこなしたという容疑者は、県内屈指の進学校に入学後、挫折。容疑者によるとみられる携帯サイトの掲示板への書き込みで「県内トップの進学校に入って、あとはずっとビリ/高校出てから8年、負けっぱなしの人生」と綴る暮らしに陥ってしまう。派遣社員として3社で働き、一度は正社員にもなりながら5か月で退社。そして昨年11月から再び派遣社員として働き始めて半年後。大規模な解雇予告に絶望感を募らせたのか、6月8日の惨劇を起こしてしまった。
 この間に容疑者が掲示板に書き込んだ内容が報道で知られるにつれ、彼の凶行は論外だが、その絶望感には共感するという若者が少なくないことが、他ならぬネットへの書き込みなどから伝わってきた。数10万件という過去に例のない書き込みが寄せられているからだ。

■増加する派遣社員の過酷な現実

 実際、容疑者に似た境遇にある若者は、今や膨大な数に上っている。労働者派遣法が1986年に施行された当初は派遣労働は専門性の伴う13業務だけに限定され、「残業を避け専門技能を活かして働ける」といったキャッチコピーで、女性専門職の新しい働き方として普及していった。
 しかし、数度の改定を経て99年に大幅に規制が緩和された頃から、専門技能を持たない若者にも広がってきた。
 その数も年々増加し、昨年12月に厚生労働省が発表した調査では、06年度の派遣労働者は99年度の3倍にあたる321万人に達している。しかもこのうち234万人は派遣会社が常用雇用しない登録型。賃金の単価は一般のアルバイトより多少高いものの、派遣先の紹介がなければ収入ゼロ。日雇い派遣など極端に不安定な労働条件を強いられることになる。
 NPO法人「派遣労働ネットワーク」の代表も務める中野麻美弁護士は、「業者間の『商取引契約』で」「派遣労働者の雇用や労働条件を実質的に決める」中で、労働条件のダンピングが進む実態を鋭く告発している。
 こうした中、今から80年前の1929年に発刊されたプロレタリア文学の代表的小説、小林多喜二の『蟹工船』(※)が売れている。例年5千部程度なのが、今年1月に毎日新聞の対談で紹介されたのをきっかけに爆発的に売れ始め6月23日の報道では既に35万部を越えたという。
 人間が虫けらのごとく扱われる『蟹工船』の世界に自分の境遇を重ね合わせる人びと。その絶望感が、今回の事件の背後にはある。

■絶望的状況を切り拓く改革運動への参加

 「自分も、犯人になっていたかもしれない」こうした事情もあって、そう語る若者も少なくない。6月17日発売の週刊朝日では「私たちと犯人の同じところ、違うところ」というタイトルで、「フリーター」「派遣社員」の緊急座談会が掲載された。その中で、「僕は皆殺し願望も自殺願望も経験があるので、気持ちは分かります」と話す青年が登場していた。20日に放送されたNHKスペシャル「追跡・秋葉原通り魔事件」でも、「解雇された経験者しか、その時の気持ちは分からない」と、その厳しい体験を語る若者がいた。
 「これから…」というはずの若者が絶望の淵に追い込まれる社会にあって、この状況を打開するにはどうしたらよいのだろうか。問題の深刻さを前に立ち尽くしてしまいそうになるが、実は上記の2つの報道の中には、事態の打開に向けたヒントも示されていた。
 週刊朝日では、容疑者の「気持ちはわかる」と答えていた若者が「いまは組合をつくって会社と闘ったりして、不満のある社会を変える運動がストレス発散にもなってます」と話し、NHKでも同じ立場の者同士で労働条件改善の運動を始めだしたことで、社会とのつながりを回復し始めた若者の姿が紹介されていた。「ガテン系連帯」「フリーター全般労組」「派遣ユニオン」など、若者たちが連帯して運動を進める動きが各地で広がっている。
 同じ境遇にあり、同じ志を抱く仲間とともに、社会的意義のある役割を担うことで、絶望的状況を切り拓く力が内側からわきあがってくる。やはり、「連帯」こそが、事態を打開する道なのだ。

■幅広く共有されている不安感を基点に

 「それは夢想的な理想論だ。ネットで辛さを訴えても
『死ね』などと書き込まれていた容疑者には、『連帯』などと言っても空しさと反発を高めただけだ」。そんな批判もあろう。
 しかし、今回の事件に対するネット掲示板への膨大な書き込みや報道での論調から見えてくるのは、実は「転落への不安感」を共有する人びとが幅広く存在するということだ。「他人事ではない」と感じる人たちが、しかしバラバラに暮らしている。
 だから問題は、辛さを共有する仲間を得、運動の効果的な進め方を話し合い、運動自体の拠点となる場を、さまざまな形で築くことだろう。若い世代に働きかける場合も、自分たちの暮らし自体が危ういという状況にある中、車イスの押し方などを学ぶだけの福祉教育ではなく、自分たちの社会の課題に気づき、それを解決する主体となれるような視点で、学習プログラムが設計されなければならない。本誌の昨年12月号で紹介したように、当初はいわば渋々動き出した自殺遺児たちが、自殺対策基本法を生み出す中核的な当事者となっていった事例なども、広く共有されることが必要だ。
 バラバラな人びとが「自傷他害」に陥らないためには、やはり「連帯」しか道はないのだと思う。

参考:中野麻美・著、岩波新書『労働ダンピング』

※『マンガ蟹工船』(作画/ 藤生ゴオ)が無料で読むことができる。
白樺文学館・多喜二ライブラリー


2008年7月号(通巻437号):この人に

2008-07-01 20:46:08 | ├ この人に


映画監督/ドキュメンタリー作家
森 達也さん

■『暴力の発生と連鎖』に収められている「優しいままの暴力」では、一般の人が持つ、暴力の怖さを書いてらっしゃいましたが。

 不安や恐怖が人を変えていく。特に特定の集団における危機管理意識が上昇したとき、本来、善良なはずの人が、隣人を殺してしまう。そして、それが正しいと思ってしまう怖さ。ナチスドイツに追及される前に、自分たちでユダヤ系の人びとを殺してしまったポーランドの村の話と、スパイだと怪しんで、よそからやってきた被差別の人びとを殺してしまった日本の話。どちらも危機管理意識が高揚したときのケースです。不安だから異物は排除したい。排除して今度は抹消したい。そんな意識が働いています。ポーランドの村にも行ってみたけど、今はもう何もない。どっちも忘れたがっている。見ない振りをしてる そういえば、本は結構読んでくれたみたいだけど、映像も見てくれました? 感想をお聞きしたいけれど。

■一番ショックだったのは「1999年のよだかの星」ですね。動物実験って、毎日繰り返されているはずだから、見ない振り、知らない振りしてるんですね、いつの間にか。よくこんなことを映像にされたな、と。

 どうしてかな? 淡々と流れていくから、余計に身につまされるのかな? 見せられたくもないもの映像にした感じ?
 僕はね、KYなんです。空気読めない。本当にKYならそんな自覚はないはずだと言われるけれど、でもそうだと思うな。だからタブーって気づかずに取り上げてしまう場合が少なくないんです。
 でも確かにおっしゃるとおり、世の中には、いかに、本当は知らないといけない、考えないといけないのに、見ない振り、知らない振りしてることが多いのかってことですよね。

■「放送禁止歌」(次頁)や、「A」、「A2」(次々頁)にもつながっていきますね。

 そうですね。日本の閉塞的な風土は、よそから来たものとか、異端なものを拒む傾向がとても強いと感じています。右へ倣え、で左向く人があっちゃ駄目みたいなとこがあって。それに、スケープゴートを作りたがるんだよね。誰かを攻撃することで安心してしまう。臭いものにフタをする。そして、安心する。それの繰り返しです。
 オウムの映画を作ったとき、「なんであんな悪い奴らの肩を持つんだ」とか「オウムのPR映画だ」とか、いろいろ言われました。でも映画を観てもらえればわかるけれど、信者たちは一般の人と変わらない、普通の人間なんです。いやもしかしたら彼らは、僕たち以上に普通で優しいかもしれない。
 残虐で凶暴だから凶悪な事件を起こすのではなく、純粋で善良だからこそ凶悪な事件を起こす場合があるんです。さっき言ったポーランドの村でのユダヤ人虐殺や、関東大震災の際の朝鮮人虐殺もそうですね。殺したのは普通の男たちです。
 タブーに鈍感だから作れたという意味では「放送禁止歌」もそうですね。歌詞の中にまずい部分があるからって、放送禁止にする。どこがまずいかって、自分たちで差別を作っておいて、それを隠す。それに、放送禁止用語っていうのもあって、肉屋、八百屋、魚屋、今は全部マスメディアで言ったり書いたりすることが難しい。本屋だけぎりぎりOK。理由がわからない。つまり無自覚な自主規制。そうやって標識を自分たちで作っている。作った標識で縛られている。たとえば今、日本って、以前よりも治安が悪くなっているって思いますか?

■ええ、最近そうなのかなと思います。

 そんなこと、全然ないんですよ。昨年の殺人事件の認知件数は1199件で、戦後最低の記録です。つまり治安はとてもよくなっている。00年に少年の犯罪が増加してるとの前提で少年法が変えられたけれど、その前提もまったくの虚偽です。少年事件のピークは60年代前半で、今はその4分の1に減少しています。市場原理に縛られたマスコミは、不安や恐怖を煽ります。なぜならそのほうが視聴率は上がるし、部数は伸びるから。
 メディアがそんな商業主義でいいのかと怒る人がいるけれど、でもある意味で仕方がない。だって営利企業ですから。売り上げを追うことは当たり前です。だから見たり読んだりする側が意識を変えねばならない。そうすればメディアなんか簡単に変わります。
 テレビがこれほどに単純化された情報ばかりを提示するようになったもうひとつの要素はリモコンです。これが普及して、すぐにチャンネルを変えられようになってしまった。だから、常にわかりやすくしている。白、黒、善、悪、右、左、くっきり分けている。
 日本に来た海外の友人によく言われます。「なぜニュース番組でラーメンや回転寿司のランキングを放送するんだ。なぜこれほどモザイクやテロップが多いんだ。なぜ殺人事件のニュースばっかなんだ」って。殺人事件は54年が一番多かった。3千81件です。アメリカも同じように凶悪犯罪は減っている。でもちゃんとそれを公表している。ところが日本は治安がよくなっていることを警察もメディアも政治家もきちんとアナウンスしない。だから体感治安は悪化する一方です。
 固定化された方向ばかりで固まるのが、マスメディアの傾向、特性です。刺激的でわかりやすい視点です。だから視点を変えれば、別の側面が現れます。つまりメディアリテラシーです。9・11の事件で世の中の流れは変わってきた。すべての情報が開示されているわけではない。都合のいい情報だけが与えられている。
 常にリスクがあるのを意識しないと、もっと怖いことが起こる。メディアをどう使うか、いろんな側面があるけど、日本人は特に群れる傾向が強い。つまり集団で暴走しやすい。だからもっと自覚しないと。

■ぶっそうだと煽るから、死刑廃止論が出ても、なかなか進まないんですね。

 「これだけ治安が悪いから厳罰化は当たり前」ということになるし、その延長に今の死刑制度があります。内閣府のアンケートによれば、死刑存置を希望する人は全国民の84%。とても突出した数字です。先進国で今も死刑を存知している国はほとんどない。たとえばヨーロッパでは独裁国家といわれるベラルーシ以外はすべて廃止しています。例外としてはアメリカと日本。でもそのアメリカも、最近は死刑執行数は減少の傾向にあります。
 死刑を廃止しても凶悪犯罪が増えないことは、廃止国が示しています。つまり死刑には犯罪抑止効果はない。問題のもうひとつは冤罪です。かなり多い。でも免罪がたとえなくなっても、僕はやっぱり死刑は廃止すべきだと思う。
 日本の凶悪犯罪は以前より減っている。だのに、報道では、凶悪な犯罪が増えているかのようにあおる。だから、人びとは不安になる。
 どうすればいいですかって聞かれたとき、僕はNHKを応援しましょうって答えています。皮肉じゃないですよ。市場原理に縛られない大切なメディアです。だから不祥事が続いたとき、なくしてし
まえとか民営化しろとか言う人がいるけれど、それで困るのはこっちです。ただし今のNHKは確かにダメです。政権与党の顔色ばかり気にしている。変わってもらわないといけない。
 それから、これが大切。いい番組作ったら、「良かったよ」って、一本電話でも、手紙でもすればいいから、ほめてやってください。苦情ならいっぱい来るけど、良かったってのはあまり来ないから、ディレクターやプロデューサーにとって、とても大きな励みになります。テレビ関係の仕事してたから、よくわかる。
 メディアが変われば民意は変わります。そしてメディアを変えるためには民意が変わればいい。ニワトリと卵のようだけど、先に変われる可能性があるのは民意です。

■若い世代に人気の森達也さん。服装は夏なら短パン、常はどこにでもGパン。そんな飾らない姿、語り口調も柔らかく、「本は何を読んだの?」「映像は何を見たの?」・・・大きな瞳に見つめられて、ドキドキしたインタビューでした。

インタビュー・執筆 編集委員
千葉 有紀子


■プロフィール
俳優、不動産、広告会社など様々な職種を経て、テレビ番組制作会社に入社。ドキュメンタリー系の番組を中心に、40本以上の作品を手がける。テレビ放送予定のオウム真理教ドキュメンタリー制作中に、オウムに関する姿勢など見解の相違から、制作会社から契約を解除される。テレビ・ドキュメンタリーのはずだったオウム真理教の荒木浩を主人公とする「A」は自主制作映画となる。続編「A2」も制作。以降、執筆を続けながら、フリーランスのディレクターとして「放送禁止歌」「1999年のよだかの星」「ドキュメンタリーは嘘をつく」などテレビ・ドキュメンタリーの制作も並行する。著書に『放送禁止歌』(光文社知恵の森文庫)、『「A」マスコミが報道しなかったオウムの素顔』、『世界が完全に思考停止する前に』(角川文庫)、『A2』(現代書館)、『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』(晶文社)、『いのちの食べかた』『世界を信じるためのメソッド』(理論社)、『ドキュメンタリーは嘘をつく』(草思社)、『王様は裸だと言った子どもはその後どうなったか』(集英社)、『悪役レスラーは笑う』 (岩波新書)、『暴力
の発生と連鎖』(人文書院、共著)など多数。

■「1999 年のよだかの星」(1999 年10 月2 日放送)
宮沢賢治の童話「よだかの星」にインスパイアされた森さんが、絵本(写真)と実写とのコラボレーションという手法で動物実験というジャンルに挑んだ作品。あらゆる化学物質の商品化の際に義務づけられる動物実験。その毒性や安全性は様々な種類の動物が実験台にされている。実験に反対する動物愛護団体や、最先端医療の現場を追っていく。

■『放送禁止歌~唄っているのは誰?規制するのは誰?~』(1999 年5 月22 放送)
岡林信康「手紙」、泉谷しげる「戦争小唄」、高田渡「自衛隊に入ろう」など。これらの歌は、なぜ放送されなくなったのか? その「放送しない」判断の根拠は? 規制したのは誰なのか? 森さんは、歌手、テレビ局、民放連、解放同盟へとインタビューを重ね、闇に消えた放送禁止歌の謎に迫っていく。参考書籍は、『放送禁止歌』(解放出版社、2000 年。光文社・知恵の森文庫、2003 年)

■『A』(1997 年、135 分)、『A2』(2001 年、126 分)
「A」は、オウム真理教(現・アーレフ)の広報担当者・荒木浩に密着取材したドキュメンタリー。TVディレクターであった森さんはオウムを悪として描くように強要するプロデューサーと衝突。契約解除の後も、自主製作で完成させた。その2 年
半後、足立区のオウム施設を訪れたドキュメンタリー。教団を排斥する運動に結集する地域住民と信者との関係などを取材。2002年山形国際ドキュメンタリー映画祭、市民賞と特別賞を受賞。ともにDVDが発売されている。参考書籍は、『「A」撮影日誌―オウム施設で過ごした13 カ月』(現代書館、2000年)、『「A」―マスコミが報道しなかったオウムの素顔』 ( 角川文庫、2002年)、『A2』(現代書館、2002
年。共著:安岡卓治)

2008年7月号(通巻437号):わたしのライブラリー

2008-07-01 20:40:14 | ├ わたしのライブラリー
マンガの新世紀を切り開く2作品
編集委員 影浦 弘司

 今月の特集マンガは、副題に「エンパワメント力はスゴイのだ!」とあるように、他の表現ジャンル、たとえば音楽や映画、文学などに勝るとも劣らぬ衝撃を読む者に与え、大きな力を及ぼす。
 今回は、筆者のマンガ遍歴の中より近年、新たに出会った天才たちによる2作品を紹介しよう。「音」と「老い」といった、マンガに限らず表現が困難なテーマに果敢に挑み、見事に描き切った名作たちである。

■さそうあきら『神童』
 すべての芸術は音楽に憧れる。最初音楽を志しても自分に才能がないことを知り、そこで絶望しない者だけが他のジャンルに逃げ込んでいく…。
 そんな他表現を超越する音楽は、たとえば絵画的な美や、文学的な情動の動き、さらには映画的なスペクタクルまでも表現する(それぞれ、ドビュッシーの色彩感、ベートーヴェン第9交響曲《合唱》の主題が第1~3楽章を否定する部分、ワーグナーの楽劇などを思い起こそう)。
 その一方、絵画や文学、映画、そしてマンガは、音楽の世界、突きつめれば「音」を表現できるのか? 大流行りした『のだめカンタービレ』のように音楽学校に集う若者群像を表現できても「音」の本質は、「音」そのものによってしか表現できないのではないか?
 『神童』は、そんな「音」の聖域に挑戦し、見事なまでに「音」を描き切った作品だ。主人公の天才ピアノ少女は、完全無欠の神童として登場する。音楽の神に愛された天賦の才に引っ張られるように、もうひとりの主人公である音大生も、自分の理想の「音」を追求していく。物語は、ボーイミーツガールな雰囲気で軽妙に進みつつ、そのラスト近く、休みない海外コンサートの疲労から神童は聴覚を失ってしまう。彼女を救うのは、聾の子どもたちの発声ワークショップだ。大きな風船を抱え、音の響きを風船の振動で受け止める子どもたち。それは聴こえる者の音楽を超えた「聾の音楽」。そうして神童は再びピアノに向かい、聴衆の想いを重ねあわせ自分たちの「音」を奏ではじめる。
 この復帰演奏の「音」表現がすごい。それまでコンサートシーンは楽譜を利用して音楽を表現することが多かった。ここに至りマンガは「音」そのものを表現し、まさにページから「音」が立ち上がってくる感動に包まれる。
 最新作『マエストロ』(全3巻)も音楽がテーマだ。老いたる指揮者がオーケストラを徹底的にしごく。その目的は、たったひとりの聴き手(それは余命いくばくもない指揮者のパートナーなのだが)に向けて、その生の最後に聴かせるためにコンサートを企画していたことが明かされる。
 表現者は、具体的な誰かに向けて、その力を傾けるものだ。学内コンサートを舞台に、まさに聴覚が消えつつある神童に届けとばかりベートーヴェンのピアノ・ソナタ第32番を演奏する音大生、それが神童にとって最後の「音」になってしまうシーン。そこでも同様に、たった一人のために表現することが、結果的に多くの人びとの感動を生むことにつながっていく。エンパワメントの力とは、錯覚でもいい、何より、この私自身に届き、それを私が受け止めたという体験から生まれるのではないか。『神童』は、そうした力が充溢する名作である。

■くさか里樹『ヘルプマン!』
 この作品はすでに、教科書に使用され、介護の実態や介護制度を勉強するために紹介されることが多いが、そんな文科省御用達のような宣伝など必要ない。ここで描かれるのは人間の「老い」である。そして人間存在が黄昏にむかうときに、仄明るく(あるいは暗く)、また閃光のように発する、その美しさだ。
 漫画家の筆致は、描きたいものに集中する。そこに自然とペンが集まり、走る。まるでルネッサンス期の巨匠デューラーの銅版画のような高齢者の身体、表情、その皮膚、肌理への描き込みは尋常ではない。荘厳、崇高でさえある。
 そして、読み手の魂をえぐるような啖呵の数々。「十人十色の人生を背負っている百人百様のジジババたちを、現場も知らないバカ役人が考えたできたてホヤホヤの介護保険システムに押し込められるとでも本気で思っているのか?!」などなど。
 ストーリーは、その日を面白おかしく過ごす高校生が、親友や憧れのクラスメートが介護を志していた…という、いかにもマンガチックな動機で高齢者介護に目覚め、成長するというパターンだが、それは第1巻(介護保険制度編)までの話。なんとその後、主人公と思しき青年は、どんどんと後景に退き(第8巻にはまったく登場しない!)、「選ぶのはジジババじゃん!」と喝破、まさに「ヘルプマン」の役割に徹する。真の主人公は、多様な高齢者であり、その家族であり、介護にかかわる人びとであり、地域であり、つまり現代社会なのだ。
 各巻は(2)在宅痴呆介護編、(3)介護虐待編、(4)高齢者性問題編、(5)~(7)介護支援専門員編、(8)ケアギバー編、(9)~(10)介護福祉学生編。いずれも重いテーマだ。しかし、ページをめくり始めると止まらない。この推進していく力は何だろう。つまらない映画は目を覆えばいいし、聴きたくない音楽は耳をふさげばよい。マンガのページをめくるという行為は、自分が意識的にめくるのか、マンガによってめくらされているのか。このドライブ感が魅力なのだ。
 第4巻(高齢者性問題編)ではセクシャルな問題が描かれる。いい年したお年寄りが何てはしたないと思うだろう。しかしヘルプマンは語る。「んなことはジジババは分かっているさ。人生の達人なんだぜ。だから性に目覚めたからっておさまりのつかねえことになんかなるわけねえ!」。
 性は生きる喜びなのではないか。それをないものとして押し込める欺瞞。それは高齢者を鋳型にはめ込み、管理するのと同じ発想だ。ちまたにあふれる浅薄な性表現マンガ(詳細は本誌掲載のレポート記事などを参照)など、人間の必然としての性がド直球で描かれる高齢者性問題編の迫力で吹き飛ぶがいい。『ヘルプマン!』は「老い」を描きつつ、そこでスパークする人間の生き様を描きつくした傑作なのだ。

さそうあきら『神童』(双葉社、連載1997~1998年)
98年「文化庁メディア芸術祭」優秀賞
99年「手塚治虫文化賞」マンガ優秀賞
■新書版(全4巻、各580円)
■文庫版(全3巻、各600円)
※文庫版は演奏シーンを中心に加筆

くさか里樹『ヘルプマン!』(講談社、連載2004年~)
■単行本は第10巻(各540円)まで刊行。

2008年7月号(通巻437号):レポート

2008-07-01 20:29:25 | ├ レポート
『マンガ・雑誌の「性」情報と子どもたち』より
編集委員 杉浦 健


 「性」についてのさまざまな描写は、「暴力」や「死」といった禁断のカテゴリーと共に、ゲームやインターネットなどを通じて氾濫している。おそらく子どもたちの目に触れる機会は多いはずだ。
 マンガというメディアでも同じような状況なのだろう。昔は一部のマンガ同人誌でしか見られなかった、普通の人は知らない世界? しかし、今でもコミックマーケット(1975年からスタート。毎年8月と12月、東京ビッグサイトで開催 される世界最大規模の漫画・アニメ・ゲーム同人誌の即売会)は多くのマンガ少年、アニメ少女でにぎわっている。つまり、昔も今も道はあったわけで、それを、大人たちが知らなかっただけなのかも知れない。とにかく、過激な「性」描写はエスカレートする一方。それに対して歯止めをかけるのは難しいことなのだと推察する。
 そういう中で、ジェンダーという切り口でマンガにおける「性」を分析したのが本書。調査対象となったのは大阪近郊の中学生、約400人。中学生にとって、マンガ誌やファッション誌は、「恋人とのつき合い方や恋愛について」の身近にあふれる情報源となっており、それ故に、そこから発信されている「性」や「恋愛」に関する情報の影響を受けやすい環境にあるという。
 同時に、「性」をイメージできても、それは「異性」を限定するものであったり、「エロイ」「恥ずかしい」「いやらしい」といったマイナスイメージの方が多い。
 その後、マンガにおける「性」情報について、緻密な調査と分析が進められていく。事例はマンガ故に、ビジュアルとして目でも確認できるからおもしろい。いずれにしても、触れてはいけなかった領域にメスを入れるという、まさにパンドラの箱を開けるかのようなリポートなのだ。
 多くの「性」描写がジェンダーの視点から不適切な表現であることは否めない。しかし、男子にとって、また女子にとってのあこがれの男性像、女性像、そして「性」を越えた魅力ある中性のキャラクターも存在する。子どもたちの興味や好奇心は、単に異性のエッチなシーンだけに注がれるのではなく、「性」を越えたその中にある、何か自分にない魅力を見いだしているのではないだろうか? 
 リポートの締めくくりで、「性」に興味を持つことは、成長段階において重要な要素であるとしながらも、間違った情報、偏ったあるいは差別的な内容であっては困ると言及している。そして、さまざまなメディアから入手する「性」情報を読み解く力、また正しい「性」の知識などを学ぶための
教育を促している。
 子どもたちにとっての健全な「性」とは、いったい何なのか? 逆に、このリポートを読んだ大人たちが、その情報を興味本位に利用し、間違った情報を子どもたちに押しつけないことを祈らないではいられない。良薬も一つ使い方を間違えれば毒となる、ということだ。


『マンガ・雑誌の「性」情報と子どもたち』
目次
第1部 中学生の「性」に関する意識
第2部 マンガ・雑誌とジェンダー
第3部 若者を取り巻く「性」の社会状況
第4部 学校教育における性教育の現状
第5部 スタッフボイス
第6部 その他の取り組み
第7部 調査分析を終えて

購入の問い合わせ
発行者:特定非営利活動法人SEAN(シーン)
価  格:1800円

station@nop-sean.org
電話&FAX 072-684-8584

むだちしき第224回(2008年7月号)

2008-07-01 13:10:31 | └ むだちしき
《マンガ特集・番外編:ボランティアむだちしき》  最終回!

本誌1986年6月号(当時は『月刊ボランティア』)での連載スタートから21年…。
ことば担当のムーパパ氏と、イラスト担当の浅石ようじ氏の最強タッグで、
日本の世相、世界の動向をぶった斬ってきた「ボランティアむだちしき」。

 ムーパパ氏から生み出される幾多のアフォリズム(箴言警句)を、
 浅石氏の絶妙なるイラストが、その「ことば」の毒気をあおったり、またガス抜きしたり…。

連載21年、224回に及ぶ歴史の中で、イラスト(マンガ)のエンパワメント力を
見せ付けてくれた「ボランティアむだちしき」が、今月で最終回を迎えます。
長らくのご声援、ありがとうございました!