2009年11月号(通巻450号):この人に

映像で記録する。
それは「生きる手がかり」を
積み重ねていくことです。

民族文化映像研究所・所長
姫田忠義 さん

●プロフィール●
1928 年兵庫県神戸市生まれ。48 年旧制神戸高商(現兵庫県立大学)卒。住友金属工業勤務後、54 年に上京、新劇活動、テレビのシナリオライターのかたわら民俗学者宮本常一に師事。61 年から映像による民族文化の記録作業を始め、76 年民族文化映像研究所設立。以来、同研究所所長。代表作は『越後奥三み おもて面第一部・第二部(84・96)』、『イヨマンテ―熊おくり―(77)』、『椿山―焼畑に生きる―(77)』など。著書に『ほんとうの自分を求めて(77・筑摩書房)』、『野にありて目め みみ耳をすます 姫田忠義対談集1、2(86・はる書房)』、『忘れられた日本の文化―撮りつづけて三十年―(91・岩波ブックレット№ 193)』など多数。


大阪湾を一望する垂た るみ水塩屋のゲストハウス(注1)。
「昔はこの海を見ながら毎日学校(注2)に通っていたんだねえ…」
窓辺で、海の向こうに目をやりながら語る姫田さん。
視線の先に見えていたものは何だろう。
48 年間撮り続けた日本各地の情景、出会った人びと、
それとも旅を続ける自分の姿なのか。


■サラリーマン時代、職場演劇のサークルに入られていたんですね。でも結果的にそれが原因で、会社を辞めてしまわれたとか…。

 親父は終生の肉体労働者でしたから、工場で働く人に親近感があったんですね。だから卒業したら、そういう人たちがいるところで働きたいと常々思ってたんです。ところが垂水の神戸高商を出てますから、求人欄は、銀行か、貿易関係か、商事会社かっていう系統だけ。そん中にひとつだけあった「新扶桑金属工業株式会社(注3)」。ここだったら親父のような人がいるかもしれないと、どういう会社かもよくわからないままに入社したんです。そこで職場演劇に引っ張り込まれたんですが。でも中に居おると、知らず知らずのうちに会社に遠慮しながら生きてる自分に気づいてきたんです。
 たとえば、どうしても殺人事件が書けない。普通の作家だったらなんぼでも書くじゃないですか。それができないんですよ。住友は“お家のご法度”も多く、なかなか体制の厳しいところですから。もし書けば社内論議の的になるだろうし、何よりも演じるのは会社の同僚なわけでしょう。お前なんであんな台本書いたんだ、って攻撃されるのは目に見えてる。でもそんな中、あるストーリーをつくって兵庫県の職場演劇コンクールで優勝したなんてこともあったんですよ。ただそのときにすごく思ったのは、やっぱりおれは会社に遠慮してる、もっと自由になりたいっていう強い実感でした。それでとうとう辞めてしまったわけなんですが、親は泣きましたね。なんで、どうして住友さん辞めてしもたんや…って。

■初めから映画志望ではなかったんですか。

 東京へ出てから、ある新劇の劇団に入ったものの、いろいろあって方向転換しました。自分の生きる方向性につながる仕事を模索して、食うためにいろんなことやってた中で出会ったのが宮本常一先生であり、そして記録映画だったんです。映画館での映画じゃないんですね。54(昭和29)年頃、すでにテレビジョン放送が日本に登場していた時代でしたが、当時のテレビカメラはせいぜい首を動かすくらいで、スタジオの中でしか使えなかったんです。だからテレビに乗せる画像は全部映画フィルムで撮ってたんですね。映画は好きだからもちろんそれまでも見てるんですよ。でも、自分から映画をつくるなんて考えたこともなかったですから

■それから48年間、「歩き、見、聞く旅」を一筋に続けてこられた。

 民族文化映像研究所(以下民映研)は、日本列島の中での庶民の生活文化の基層を記録するんや、と、日々刻々やっているんですが、自問の連続ですよ、今もずっと。ときに「ずぼら(注4)」をしてるのに気づき、自分を叱咤するわけです。おまえはこんな大義名分を言ってるけど、どれほどのもんなんや、と。最近、ある有名な人が僕の活動のことを「渋い」とブログに書いてたらしくて(笑)。世の中の目というものですな。なんで今頃こんな古めかしいことをごそごそやってんねんとか、いろいろ言われます。で、それを聞くと、やっぱり揺さぶられますよね、人間ですから。しかしそこから立ち直ろうとするわけですよ。でないと死んでも死に切れんわ、とか思うわけ(笑)。
 こんなこともありました。今度の総選挙ではあんまり話題にならなかったですけどね。主要政党の公開討論会の席上、ある経済団体のリーダーの最近の発言を引用した「焼畑耕作(注5)のような遅れた経営じゃなくて、ちゃんとした管理ができる稲作農法のようなものをやれ」というような談話があった。相手の政党のマニフェストを揶揄するためのたとえとして焼畑が出てきたんです。僕ね、もう本当に仰天しましたよ。今まで日本経済がお手本にしてきたのはすべて工業、電子機器でしょ。その結果どんな問題、弊害をもたらしたかということは横に置いといて、まるで焼畑、すなわち農業を敵かたきにしたような言い方を経済界のトップともあろう人がやっている。現在、日本の多くの企業が第一次産業である農業に目を向け、さかんに投資をはじめていますね。日本の農業のさまざまなかたち、ひいては伝統農法についても深く考える土壌が企業内にも拡がりつつある時代なんです。かつて僕らは『椿つば山―焼畑に生きる―』の製作を通じて多くの学びを得ましたが、今や学界では、日本の焼畑のエコロジカルな特性について、多くの専門研究者たちが真剣な検討をやり始めています。つまり、大地に火を放つのは決して自然破壊の元凶などではなく、自然の循環に対応した意味の深い手法なんだということです。
 今は歴史の再評価の時代になってきていると思います。そのときどういうデータをもとに考えるべきなのか。間違った歴史認識、事実認識ではなくて、あるいは強者が弱者をばかにするような論法ではなくて、これから日本が歩む道を真剣に考えていかないと、10年20年の間にまた同じことをやりますよ。僕の生きてきたわずか80年間の中でも、よくない歴史、愚なる歴史が繰り返されてきてますから。

■人が人に会う。それを映像によって深めていくのが、民映研の映像表現の仕事と言えるでしょうか。

 つまり英雄物語はいらないということです。その時代の表舞台、つまり最先端と目される人ではなく、世の中から取り残され無視されている、さらに言えば基層にある人たちに、僕らは学んできました。農山漁村の人たちや、アイヌ民族の人たちですね。
 最近はテレビチームがどかどかと出かけて行って、カメラ向けて、やあやと聞きますよね。そんとき本当に当事者の話を聞いてるのか。自分たちの言いたいこと言ってるだけじゃないのか。いわば「ショー」。人の土俵で、人の生活の場でショーをしている。それでいいのか、と僕らは絶えず自戒するわけです。
 僕の場合、ひとつの記録作業に3年、5年、7年、14年、20年…というように、時間をかけてきたけど、それは、その「自戒」の結果です。名のあるテレビ局、新聞社、大学などではない、「一民間人」のできることです。そんな僕らが「お前、よう来たね」とか、むこうから言ってもらえるのは容易じゃない。内心うるさいなあと思いつつもとりあえずは迎えてくれますが、本当のところ、どう思われているか。極端に言えば死ぬまでわからんことです。
 で、僕らの場合は、記録した内容を映像作品として、まず現地の人に提出します。不特定多数の観衆に向けてではない。まずご本人に、僕らは何をしてきたか、というのを観ていただくんです。それでああお前、そういうことをしてたんか、と初めて解る。で、ずっとあとになって、ああ、あの人はこんな映像作品置いていったね、と思い出すとします。その時点で、その人が非常な苦しみを持っていたり、弱い立場にいたりしたとき、自分たちの映像を観ることによって、「よし、がんばろう!」と奮い立てるような手がかり。それを僕は「記録」だと思うわけですよ。「記録」することは、生きる手がかりなんです。それを積み重ねていくことなんです。そして、その感動がまわりの人間にも伝播する。たとえば農業やらない人でも、農業の話を聞いたりしてると、ああそうかね、すごいね、と思えてくるんですね。人類というのはそういうセンスというか、他者に共感できるひとつの精神作用というのを与えられ、培ってきていますから。他人が鏡になってくるんですよ。だから僕らの作品は、常にそういうような質のものにしないとだめだな、といつも思います。

■世の中の変化にさらされながら、「志」を持ち続けるということはなかなか大変です…。

 これは本当に大事なことと思ってやる活動も、時間の推移とともに変化していきます。とても非情なことでもあるんですが。やってる人が年を取る。変化していく。自分がなんとしてで
も、と思ったことが、だんだんできなくなる。決してずぼらしなくてもね。だから「物事は絶えず変化してるんだ」ということをわきまえてないと、「いつも同じ状態であってくれなければ困る」という意識から逃れられなくなってしまいます。それはどう考えても不可能なわけですから。それを心得つつ、活動を持続させていける「志」を持たなければいけないと思いますね。つまり「心」「指し」ということですな。「心が指す」というのは、「心が方向性を持つ」ことだと僕は理解しています。そしてその「心」はいつも、時代の変化変容にさらされ、絶えず動かされているものなんですね。
 「初心忘るべからず」というでしょ。「ぐらぐらしていて未熟だけれども素直だったころの心を忘れるなよ」ということですね。ボランティアの作業も「志」と言えますね。今は揺らいでいるから、最初の思いを忘れたかも知れんから、ここでひとつ洗いなおしてみようよ、という以
外にないんですね。僕の研究所も、いつもそのことを思って活動しています。

インタビュー・執筆 
編集委員 村岡 正司
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
すばらしい記事をありがとうございます! ()
2009-11-12 06:29:12
すばらしい記事をありがとうございます!

ところで3段目の民映研の話のなかで、以下のパラグラフがだぶってました。

「害をもたらしたかということは横に置いといて、まるで焼畑、すなわち農業を敵にしたような言い方を経済界のトップともあろう人がやっている。現在、日本の多くの企業が第一次産業である農業に目を向け、さかんに投資をはじめていますね。日本の農業のさまざまなかたち、ひいては伝統農法についても深く考える土
壌が企業内にも拡がりつつある時代なんです。かつて僕らは『椿山―焼畑に生きる―』の製作を通じて多くの学びを得ましたが、今や学界では、日本の焼畑のエコロジカルな特性について、多くの専門研究者たちが真剣な検討をやり始めています。つまり、大地に火を放つのは決して自然破壊の元凶などではなく、自然の循環に対応した意味の深い手法なんだと
いうことです。」
 
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