脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

근성 보여라 Show us what you're made of!!

2017-11-29 | Weblog

うちのせがれがたるんでいる時に言う言葉がある。それは「韓国軍に1週間体験入門させるぞ」だ。なさけないことをしたり言ったら、もちろんそんなことはできないが友達に頼んで特別許可がもらえると言っている。最近の若い男性ははおとなしい、どうおとなしいかというと草食系男子と言う言葉があるようにがつがつしていないのだが、うたれ弱い人間が多いように思う。こういことを書けば少し勘違いのもとになるが、最近のスポーツはどちらかと言えばゲーム的であるように思う。特にボクシングはルールも厳しくなってきたのでそう言えるが、しかしスポーツとは言えどそれは勝負事、もっともっと闘志をむき出しにしてもいいと思う。最近の若い人はたぶんボコボコに行かれると言う経験をしたことがない。ボコボコにされると言うのは暴力的なことではなく、実力差がある人間と本気でむきあって圧倒されてみじめな思いをするということである。前にやめた若い人が言っていた。自分はまけずぎらいでまけたくないから試合はしない、マスでもうまい人がいて勝てないからやめたそうだ。まあ続ける続けないは本人の自由であるが、しかしそういう理由で試合に出なかったり、ボクシングをやめると言うのはよくわからない。スポーツで得ることができる最も大きなものはファイティングスピリットだ。それは自分よりも強い相手や大きなものに向かって行くからこそ養えるスピリットである。ハワイのボクシングはそれこそいろいろな目的でボクシングをしててみんな自由であるが、しかし試合は結構シビアであったと思う。自慢ではないが私などは自分と同じぐらいの階級で強そうな相手がいたら、あいつは絶対にやっつけてやると虎視眈々とその機会を狙っていたし、少々階級が上でもたたきのめしてやるぐらいのことは思っていたものだ。でもしかし強い人間は強い、ハワイと言えどアメリカは広かった。スパーリングをしても全く相手にならないことに結構くやしい思いをしたものである。これは男性特有の性質かもしれないが、競技者はボコボコに行かれることで学ぶことが多い。そしてそういう大きな相手に闘志むき出しでかかって行くからこそ逆転劇があったりとそこにドラマが生まれる。今は天才と才能ばかりに目が言っているよな気がするが、しかし凡才が天才にまさるためにはこの闘志が必要だと思うのだが、最近のスポーツは初めに才能ありきの世界でそういう闘志むき出しで来る競技者が少なくなっているような気がしている。私などはくやしい思いをした時に「son of bitch」と唇が勝手に動いたものである。たぶん相手も「Go for it(やってみろ)」なんて思っていたのだろう。しかしどんなに闘志をむき出しにしても私の闘志はしょぼかったのでとどかなかったようだが、けれども自分で言うのも何だが強くなりたい絶対にやってやると言う気持ちが自分のボクシング人生を支えたのだと思う。言葉が違う文化も違う、そして外国人として異国で競技したらわかるが、多くの壁が存在する。そしてそこでやっていくためにはまず気持ちが強くなければできない。でなければ才能などない私など決してやっていくことはできなかったであろう。

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