脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

추억만이 남아시간이 흘러지만(思い出だけがたくさん残り、時間が流れるけど)

2021-02-05 | Weblog
ジムに入る前は体温をチェックします。37度以上はジムでトレーニングできません。入ったらアルコールで手と指先を消毒してください。アルコールは70%から75%のものを使用しています。 ジムではマスクを着用してトレーニングしてください。尚マスク着用に関してご事情のある方は遠慮なく申し出てください。

最近スポーツの世界もかなり女性の立場が顧みられることについての発言が目立ってきた。確かにスポーツはまだまだ男尊女卑のしきたりのようなものがある、例えばマネージャーはまわりの世話役、縁の下の力持ち的なポジションで昔から女性がその役を担ってきたと思うが、マネージャーと言う仕事はどちらかと言うと日本人が理想とする女性らしさが求められるポジションだ、前から言っているが日本の一番問題なのはシステムが家父長制だということだ。監督がお父さんでそして部員は子供たち、私から見たら何か変な世界が出来上がっている。寮生活を義務付けたり、監督の家に住まわせたり、強くなるためにはそうしろ、教えてほしかったらそうしろというのは横暴で私から見たら洗脳に近い。
うちのクラブはスポーツ共同体である、我々は年齢や性別、国籍、いろいろな人が持っている立場をこえてスポーツすると言う一つの目的をもって集まっている共同体、それがMOBである。
私は日ごろのストレスを発散させる場として運営しているが、目的がかわればそのやり方もかわるだろうが、大事なことは全体がその一つの方向に向いているかと言うこと、その方向に向かわなければいらぬ派閥やヒエラルキーが存在して不平等が出てくる。
うちのクラブではまず強者をつくらない、うちのクラブにはボクシングの賞状とかポスターや写真のようなたぐいのものはない、ボクシングがうまいとかそういうことが重要なことではなく、ひとりびとりがここでは主役でボクシングを楽しむ権利があるからだ。ふけばとぶようなアホな実績を壁にはったとて誰もそんなものには関心がない、中身のない人間はそういうことをしたがるが、はっきり言ってここでの主役はすべての会員、俺は何とかチャンピオンだとかエントリーが少ない大会で何々で優勝したと吠えてもみじめなだけ、ユダヤのことわざに「殻のツボほど大きな音がする」と言うことわざがあるが、ボクシングと言うルーラーだけで優劣をはかると、くだらない輩が跋扈する、そういう輩が出ないようにみなさんが安心してトレーニングできるように考えるのが私の仕事だ。私自身みなさんが主役になるようにきちんとその人の特別なすばらしさを見てレスペクトしている、人間はすべての人が年輪を持っている、その年輪はその人だけが体験した貴重なことで、我々のような社会的集団はボクシングよりもむしろそこをリスペクトしなければならないと思っている。ひとりびとりの価値を認めて集まっているのがMOBである、だからここに来た時は堂々と楽しくトレーニングしてほしい。

さらにジムで弱い立場の人を考えてサポートする。ジムでは女性とかにこだわらずどのような人たちが弱い立場かということを考えて配慮すべきであると考えている。格闘技はまだまだ男性優位な世界である。だからうちでは女性を基準に、こわがったり、いやがるようなことはしないさせない、裸でトレーニングしたり、奇声を発したり、けんかごしになぐりあうなんていうのは言語道断、武勇伝やスポーツ自慢なんてbullshit、うちでは乱暴な人の入会はお断りしているが、乱暴な人とはまさにそういう類の人のこと、普段からあいさつとか礼儀とか言っていてもこういうことを容認するのはコミュニティとしての質がわるいと思う。

ハワイの学生生活はすごく楽しかった。今でも思い出すのは試合の後にピーターの車でハンバーガーを食べながら海岸線沿いをドライブして帰ったことだ、夕暮れの海岸線はすごく気持ちがいい、さわやかな風にあたりながらたわいもない話をしながら帰って行ったことは今ではすごくいい思い出だ。私には先輩にしごかれたとかいじめられたようなそこでしか通用しないような意味のない思いではないし、理解もできない、私の経験は小さな島の小さな体験かも知れないが、しかしその経験は自分の貴重な経験だったと思っている。
ジョージが声をかけてきてくれたことではじまった彼と二人三脚で歩んだボクシング、そこそこ強豪のアメリカ人と対戦して勝った時は、単純だが、東洋人も彼ら彼女らと対等にやれると思ったし、メダルも取れた。そういった経験が私の中で自信になっていったことは確かである。けれども自分の実力なんて相対化されればされるほど小さくなっていく。そして一生懸命やればやるほど、自分の限界や現実を受けとめなくてはならない時があるのだ。人間は前に進むためには、時には大切なものを捨てなくてはならない時もある。でもしかしその捨てたものが正しければ年とともに思い出となり、その人の年輪となる。それは決して今しがみつくものではないが、それが年をとって思い出となって自分の軌跡を振り返った時に、自分の生きてきたことはよかったんだと振り返ることができる。それが年を取ってからの人間の幅や自信になると思う。私は本当に向こうでは小さい存在であったと思う。そしていくら頑張っても認められることはなかったそういう平凡なちっぽけな存在である。けれども一生懸命挑戦することで自分の軌跡をのこすことができた。そしてそのことを今振り返って後悔はない、それは私を語る上での本当の年輪になっていると思う。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする