風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

映画『七人の侍』についてのイマドキ的考察

2017-06-18 03:52:52 | 時代劇





日本映画のみならず、世界の映画の歴史にその名を刻む金字塔的映画。それが『七人の侍』

決して小難しい映画ではない、基本的には娯楽作品なのだけれど、そこに描かれている「人」というものの姿や、込められているテーマ性というものは、時代を越えて常に今日的であり不変的であると云えます。


様々な視点から語れる映画だと思いますが、今という時代と絡めて、語ってみるのも面白いのではないかということで、本日の記事を進めてみたいと思います。










山間の小さな村。この村には秋の収穫期になると、毎年のように野武士の群れが襲ってきて、せっかく収穫した作物をあらかた持っていかれてしまっていました。

大人しく言うことを聞いていればなにもされないと思い、村人たちは唯々諾々と野武士に従っていました。しかし野武士どもは益々付けあがるばかり。村の若い娘や女房たちを浚って、自分たちの慰み者にする始末。


もうこれ以上は我慢できない!しかし百姓に野武士と戦う術はない。

ではどうする!?


その時、村の長老の発した一言が、村の運命を変えることになります。

長老の一言、それは

「さむれーやとーだよ(侍を雇うのだ)」






こうして集められた侍は七人。

年嵩の浪人、勘兵衛(志村喬)を筆頭に、勘兵衛の腹心・七郎次(加東大介)。いつも朗らかな笑みを浮かべている侍・五郎兵衛(稲葉義男)。飄々としたムードメーカー・平八(千秋実)。無口な剣術修行者・久蔵(宮口精二)。裕福な家庭に育ちながら、浪人に憧れ家を飛び出したお坊ちゃん侍・勝四郎(木村功)。そして野育ちの暴れん坊(予告編のまま)で、実は百姓出身の菊千代(三船敏郎)。


この七人の侍たちによって、村の防御が固められていき、村人たちは軍事訓練を施されていく。


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理不尽な要求に対し唯々諾々と従っていると、要求は益々エスカレートしていくばかりなのである。ダメなことはダメと最初からはっきり言わなければならない。そしてそのためには

「防衛力」が必要なのです。


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村全体を防衛するにおいて、水車小屋より向こう側にある4件の家が邪魔になるため、これらの家を放棄する決定が下されます。しかしそれに対し、その家の住人たちが不服を漏らし、軍事教練に参加しなくなってしまう。勘兵衛はこの者達に対し刀を抜いて迫ります。

その時の名セリフがコチラ。


「他人を守ってこそ自分も守れる。おのれのことばかりを考える奴は、おのれをも滅ぼす奴だ!」


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全体の利益のためには、一部負担を強いられなければならないこともある。しかしそれが延いては、自分自身の利益に最終的に繋がっていくのである。自分だけなにもしないで、いざというときだけ助けてもらおうなんて、そんな虫の良い話が通用するほど、世界は甘くない。


このセリフを聞かせてやりたい人たち、あっちこっちにいるよねえ……。


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こうして戦いのプロである侍七人と、村の百姓たちが力を合わせることによって、野武士たちは撃退され、村に平和が戻ります。

しかしながら、いくさはどうしても犠牲者を出してしまう。百姓たちも数人が命を落とし、侍たちも七人の内四人が討死しました。



村に春が訪れ、村人たちは総出で田植えに勤しむ中、村を去りゆく三人の侍。


勘兵衛「また負けいくさだったな」

七郎次「はっ?」

勘兵衛「勝ったのは儂らではない、あの百姓たちだ」


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生活を守るためには、「防衛力」は絶対必要だし、戦うべき時には戦わなければならない。

しかし、安易に戦いをすべきではない。


戦いは必ず犠牲者を生む。哀しみと虚しさを呼ぶ。


しっかりとした防衛力を持ちながら、戦に発展しないように努力をすることこそ肝要なのである。



人は大地を耕し、汗水流して働く姿がもっとも美しい。



【勝ったのは儂らではない、あの百姓たちだ】









是非にも御覧になっていただきたい。現代にも通じる、様々なメッセージを受取ることが出来るはず。


絶対のおススメ。







3時間28分ありますけどね……(笑)