風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

小説 『残穢』 小野不由美著

2016-10-10 10:40:26 | 









死穢に限らず、穢れは伝播、伝染するという観念は、現代日本にも残っています。


私が子供の頃には「不幸の手紙」なんてのがありましたね。今でもあるのかな?まあ、似たような性質のものは今でもあるのでしょうね。


穢れは伝染病みたいなものですから、風邪と同じで誰かに染せば自分は穢れから解放されるということなのでしょうね。



この観念を上手く利用したのが、Jホラーの金字塔、『リング』です。


呪いのヴィデオを見てしまったものは、そのヴィデオを他人に見せることで、自分は呪いから逃れられる。こうして呪いは世界に伝播されてく。



この穢れの伝播をより強力にパワーアップさせたのが、清水崇監督の『呪怨』です。迦耶子の呪いは、直接触れた者ばかりではなく、その周辺にいる近しい人たちをも巻き込んで、次々と死の連鎖を巻引き起こしていく。

迦耶子の放つ死穢は猛烈な勢いで周囲の者たちを巻き込み、伝播伝染していく。そこには理屈も因果もへったくれもありません。清水監督はひたすら怖いシチュエーションを積み重ねることで物語を構成しており、ほとんどコメディと紙一重の恐怖描写には、強烈な破壊力がありました。


『呪怨』はJホラーの、一つのピークだったといっていいでしょう。




その「穢れ」の伝播、伝染を真正面から取り上げたのが、小野不由美の小説、『残穢』です。








ある女性編集者が、引っ越しをしたマンションの部屋で体験する怪異。和室の畳を、何かが「掃く」ような音がする……。

怪談蒐集家の女性作家とともに、その怪異の原因を探っていくと、怪異のもとはその部屋というより、マンションの建つ土地そのものにあるらしい。


一体この土地に、どのような曰く因縁があるのか、たどり着いた先には、明治時代に起こった、ある悲惨な事故があった……。




ほぼ人災といって間違いない事故のために多くの人が死んだ。その死んだ人々の無念、怨念が、一つの絵画を通じて時を超え伝播・伝染していく。


「穢れ」といい、「怪異」というけれど、それはつまり、突然死を迎えねばならなかった無辜の人々の「怒り」「苦しみ」であり、なにより「悲しみ」なんです。それを総じて「無念」というのです。


その「無念」の思いが、場所や物に籠り、それに触れた者になんらかの怪異を引き起こす。

場合によっては死に至らしめる。


「穢れ」「死穢」とはつまり、どうにも晴らすことのできぬ、人の「想い」なのです。



起こる怪異自体は、割とよくある怪談のシチュエーションで、畳を掃くような音であったり、床下を何かが「這う」ような音とか、昼夜を問わず赤ん坊の泣き声が聞こえるとか、おもに「音」に関するものなんです。

面白いのは、同じ部屋、同じ家に住んだとしても、人によって怪異を経験したりしなかったりすることなんです。


体験しない人はまったくなにも感じないし、体験する人は、場合によって死に引きずり込まれてしまい、新たな怪異の一つを形成するに至ってしまう。

その違いはなんなのか、わかりませんがおそらくは、その人自身が持っている「何か」が、その「無念」その「死穢」に感応してしまうのでしょうね。



怪異に遭遇した人々は、なんとかしてその怪異と闘い、祓おうとしますが、一向に怪異の止むことはありません。むしろ激しさを増していきます。

怪異に耐えかねて、その土地から越していく人たちも当然多いわけですが、時に怪異は、その越していった人々の引っ越し先に「追いかけて」行くことすらあるようなのです。


人の無念の想いは、簡単に祓ったりできるものではありません。ヘタに祓おうとすると、かえってより強くまとわりつかれることにもなりかねない。




無残な死に方をした人々の強い無念の想いは、その場に、物に籠り、時に人を引きずり込む。

日本人が古来恐れてきた「死穢」とは、悲しき人の「想い」なのです。





この作品には、貞子や迦耶子のような「幽霊」「化け物」の類いは一切登場しません。それであるがゆえに、その怪異はよりリアリティを増してこちらに迫ってきます。

怪異の原因を探り当てたものの、結局それ以上はなすすべもなく、二人はこの件から撤退します。女性編集者は引っ越しを二度繰り返し、引っ越し先の土地に「礼」を示すことで、ようやく怪異から解放され、女性作家は、この件を表ざたにしないよう「封印」します。ヘタに触れてはいけない「死穢」だから。





無残な亡くなり方をした方々の悲しき想いを、「穢れ」などといって簡単に祓おうとするべきではないのでしょう。

しかしだからといって、頻発する怪異に纏わりつかれるのも、たまったものではない。


やはり、その悲しき想いを昇華させ、浄化させ、成仏させるしかないのでしょう。


しかし、どうやって?……。






それは、賢明なる読者諸氏ならば、



ご存じ、ですよね?