入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

    ’18年「冬」 (39)

2018年02月16日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 日の経つのが早い。明日はもう、また上に行かなければならない。入笠に関しては、2月の予定はそれで終わる。そしてさらに10日もすれば、3月が来る。そう思うと、冬の重圧からようやく解放されるという安堵感が湧いてくる。同時にその一方、いつの間にか5か月の休みがあまりにも呆気なく終わってしまうことへの焦慮もある。今冬のことだけではない。それは、10年以上も入笠に嵌まってしまっていたことへの、似たような気持ちでもある。

 前回に法華道を使わなかったのは、林道の方がスキーでは楽だろうと考えたからだが、その予想が正しかったかは微妙だ。今回スキーを止めて、法華道をスノーシューズで行くつもりでいるのは、登りもだが帰りのことが頭にあるからで、あの藪の多い尾根道を、あの傾斜を、スキーでは結構手古摺るのではないかと心配しているせいだが、これも実際は分からない。まだスキーの選択も完全に捨てたわけではないが、雪の状況次第だろう。滑走を主体にしている今の板はカービングしていて、そのため浮力が犠牲になってしまっている。スノーシューズと比較して、スキー板の方が全体の面積が広いという理由だけで、浮力が大きいという人もいたが、それは思い違い、錯覚だろう。
 とにかく、少しでも楽をして登りたい、下りたい、という思いがある。それも年々歳々その気持ちは強くなる。だから、それならもう年だし、富士見のゴンドラのお世話にでもなればいいと言ってくれる人もいる。しかし、今わの際に、蕎麦汁(つゆ)にたっぷりと浸けた蕎麦を一度だけ食べてみたかったと言った粋人のように、あるいは「赤い血潮に触れもせで」道を説く「寂しい」人のように、まだ痩せ我慢を終わらせるわけにはいかないと思っている。
 それに、あの誰も通らない冬の古道を行くのは、それなりの深い味わいがあって気に入っている。今年の冬が去っていく前に、もう少し見ておきたい風景が、まだあの凍(し)み雪の山路にはある。



 仄聞するに、前掲の「熱き血潮云々」の歌を俵万智サマは、晶子が夫の鉄幹に対して歌った作品として口語訳しているとか。どうすれば、こんな好色、淫乱、色摩、破廉恥が、「道」など説けると思うのか。

 そういうわけでこの独り言、来週火曜日まで休みます。

コメント
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