仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

羅生門

2018年10月28日 | ムービー
『羅生門』(1950年/黒澤明監督)を見た。
物語は、「平安時代。京の都の荒れ果てた羅城門で、杣売り(そまうり/志村喬)、旅法師(千秋実)、下人(上田吉二郎)の三人が雨宿りをしていた。あまりの退屈さから、とある事件の参考人として検非違使に出廷したという杣売りと旅法師の話を聞いていた下人だったが・・・」という内容。
その事件とは、洛中洛外に噂の高い多襄丸(三船敏郎)という女好きの盗賊が武士・金沢武弘(森雅之)を縛り上げ、妻・真砂(京マチ子)を手篭めにし、さらに金沢を殺したというもので、その死体の発見者が杣売り、金沢夫妻の最後の目撃者が旅法師だったのだという。
杣売りは、各々の見栄のために一切真実を証言しようとしない当事者達を嘆き、「分からない・・・、分からない・・・、どうしてなんだろう・・・」と悩み続けるのだが、杣売りの男は、実は事件のすべてを見て知っていたことから、悩み続けるはめに陥ってしまっていたのだ。
まぁ、その辺りは自業自得だ。
自分も関り合いになるのは御免だからと、本当のことを話していないのだから。
面白いのは、裁きの場に巫女(本間文子)が呼ばれ、霊媒師として殺された金沢の霊を呼び込み、証言をおこなう場面。
そんなの有りかよ・・・というエピソードだ。
(^_^;)
どうやら正直なのは、旅法師と放免(加東大介)の二人だけだったらしいのだが、検非違使の場では誰が嘘をついているか、正直に証言しているかなどは分からない。
平安の世も、昭和でも平成でも、人間なんてものは、自分に都合の良いことを真実としているのだろう。
この作品は海外で高く評価され、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞(グランプリ)を受賞したらしい。
日本映画として初めて海外映画祭でグランプリに輝いたのだという。
素晴らしい。
(^_^)


男はつらいよ 寅次郎恋歌

2017年08月14日 | ムービー
シリーズ第8作『男はつらいよ 寅次郎恋歌』(1971年/山田洋次監督)を見た。
物語は、「母親が危篤との電報を受けた諏訪博(前田吟)は妻・さくら(倍賞千恵子)と共に故郷・岡山県高梁市へと向かったが、臨終には間に合わなかった。"母さんは幸せだった"と言う長男・毅(梅野泰靖)、次男・修(穂積隆信)に対し、"母さんは不幸な人生を送った。まるで家政婦だった"と反論する博。一人になった父・飈一郎(ひょういちろう/志村喬)は、たまたま近くにいたことから弔問に訪れた車寅次郎(寅さん/渥美清)と数日を過ごし、自身が幸せについて考えるきっかけになった話をする。"りんどうの花が咲き乱れ、夕げの明かりとともに笑い声が聞こえてくる・・・"と聞かされた寅次郎は故郷・柴又へと帰り・・・」という内容。
とらやの近所に新規開店した喫茶店の経営者・六波羅貴子(池内淳子)の存在を知ってしまえばまた一騒動が起きてしまうからと、何とか寅さんと出会わないように仕向ける車竜造(おいちゃん/森川信)と堤梅太郎(たこ社長/太宰久雄)だったが、それは無理な話。
出会ってしまうのは時間の問題だ。
(^_^;)
案の定すっかり貴子に惚れてしまい、何とか彼女の役に立ちたいと奮闘する寅さんなのだが、やはりどうにもうまくいかないのだった。
さて、本作撮影時のメイキング映像には「しっかりした自分が演じているおっちょこちょいで馬鹿な寅次郎に対しては、役者として優越感を持っていたんですが、最近は渥美清とフーテンの寅はあまり変わらないのではないかと思い始め、もっとしっかりしないと寅次郎に置いてきぼりにされてしまうのではないかという気がしてるんです」とか「寅と切っても切れない何か血の繋がりのようなものをだんだん感じてくるようになってしまった」という(確かそんな感じの)渥美清(1928年~1996年)のインタビューが収録されている。
観客側はいつしか、俳優・渥美清と映画の登場人物・車寅次郎を同一化するようになってしまったのかもしれないと思っていたが、永年演じ続けた役者さんの中にも作品のキャラクターがすっかり住み着いてしまっていったのかもしれない。
また、テレビ版からおいちゃんを演じていた森川信(1912年~1972年)の「ばかだねぇ・・・」という台詞は何とも味のある表現がされていたが、残念ながらこれがシリーズ最後の出演だったようだ。

悪の紋章

2017年07月06日 | ムービー
『悪の紋章』(1964年/堀川弘通監督)を見た。
物語は、「大田区内を流れる多摩川で若い女性の絞殺死体が発見され、城南署に捜査本部が設けられたものの、わずか40日で捜査本部は解散し、あっという間に迷宮入り事件となった。その後も捜査を続けていた警部補の菊地正明(山崎努)は、容疑者とにらんだ日進商事社長・柴田(戸浦六宏)の身柄確保に近づいたと思ったある日、暴力団員・花井和夫(清村耕次)の覚せい剤運搬に関わり賄賂を受け取った容疑をかけられて、逮捕、起訴され、裁判の結果、2年間服役することになる。人生を棒に振った菊地は、自分を罠にかけた人間を見つけ出し、復讐をしようと、2年前の事件を再び調べ始めるのだが・・・」という内容。
出所した菊地は、警察官時代の先輩・松野誠太郎(大坂志郎)のおかげで、"稲村清一"と名前を変え、大正7年創業だという"塚本興信所"に調査員として勤務することになる。
「何もかも承知してくれた塚本所長(志村喬)の取り計らいなので、昔のいざこざは忘れて頑張ってほしい」と言われるものの、彼の頭には"復讐"の文字しかないのだから、忘れろというのは無理な話だ。
稲村の最初の仕事は、高沢光江(岸田今日子)という女性の素行調査だったが、彼女は、先代が死亡し、跡を継いだ高沢コンツェルンの2代目会長・高沢重治(佐田啓二)の妻であり、政界の長老・海老原寛(柳永二郎)の一人娘なのだが、稲村はその調査の過程で、尾行に気づかれながらも、柴田と高沢のつながりを知る。
また、電車内で偶然見かけたスリの獲物(定期入れ)を追いかけた通路で奪い取り、ポケットに入れた数日後、その被害者らしき女性・浅井節子(新珠三千代)の自殺未遂事件を知るのだが、これらの人間達が複雑に絡み合う人間模様が面白い。
節子「暗い川ね」
稲村「そう。人生みたいにね」
この会話が、偶然に知り合ってしまった2人の人生を言い表しているようだった。
これは、『朝日新聞』で1962(昭和37)年に連載された同名小説(橋本忍/作)の小説が原作で、この映画化のあと、1965(昭和40)年と1979(昭和54)年にはテレビドラマ化されているらしい。
なかなかに面白い物語だった。

ゴジラ

2014年11月06日 | ムービー
『ゴジラ』(1954年/本多猪四郎監督)を見た。
物語は、「太平洋を航行中の貨物船や漁船の沈没事故が相次いだ。筏で大戸島に流れ着いた漁師の証言から、古老は島の伝説に伝わる怪物"ゴジラ"の仕業ではないかと話す。やがて、暴風雨の夜に巨大な生物が島に上陸し、家屋が破壊され、住民や家畜が襲われた。政府公聴会で未知の生物の仕業とする証言が次々と出され、古生物学者・山根恭平博士(志村喬)らによる調査団が結成された。毎朝新聞の記者・萩原(堺左千夫)、南海サルベージKK所長の尾形秀人(宝田明)ら同行者を含む一行は、上陸後、壊滅した村の一部だけにおびただしい放射能反応を確認し、残された巨大な足跡からはジュラ紀の古生物を発見した。その時、不気味な足音が鳴り響き、山の向こうから・・・」という内容。
この『ゴジラ』は日本における初の怪獣映画で、劇場公開は今から60年前の昭和29年11月3日だったようだ。
本作の5ヶ月後には早速続編『ゴジラの逆襲』(1955年/小田基義監督・円谷英二特技監督)が製作される等シリーズ化され、『ゴジラ FINAL WARS』(2004年/北村龍平監督)まで全28作品が作られるに至った。
シリーズ化され沢山の映画が作られた中で、ゴジラの顔つきは随分と変わっていったように思うが、この第1作のゴジラの顔つきは何だか左右が非対称なように見えて不気味だ。
ジュラ紀から現代まで生き長らえていた古代生物が水爆実験の放射能を大量に浴びて巨大化したという設定だから、あえてそのようにいびつな部位を作ったのだろうか。
とても迫力があるテーマ音楽の作曲は、日本を代表する作曲家の一人だという伊福部昭(1914年~2006年)。
北海道釧路町(現釧路市)で生まれ、音更村(現音更町)で育った彼は、北海道帝国大学(現北海道大学)農学部卒業後に勤務した帝室林野局北海道林業試験場(札幌市)でレントゲンを使った木材の研究に携わるが、連日放射線を浴びて病に倒れたという。
『NHKアーカイブス/あの人に会いたい』(File No,398)では、「突然血が出てきて医者に診てもらったら、"そんなことやってたんだ。それは放射線だ"と。一年間静養して。一生何か引いているようですけど。静養中に音楽の道で生きることを決めた。放射能というものに対してちょっと特殊な感情をもっている」等とコメントが紹介されていた。
劇中、夜間のゴジラの襲撃によって壊滅状態となった東京。
住む場所を失い、家族も殺された山田新吉(鈴木豊明)の「ちくしょう・・・ちくしょう・・・ちくしょう・・・」という台詞が何ともいえない無念さを現していた。
戦争で片目を失ったあと、山根恵美子(河内桃子)との婚約を破棄して自宅地下の研究室にこもり続ける科学者の芹沢大助(平田昭彦)など、この映画の登場人物には、伊福部を含めて、製作に関わった沢山の人達のいろいろな思いが込められていたのだろう。

ゴジラの逆襲

2014年08月02日 | ムービー
『ゴジラの逆襲』(1955年/小田基義監督・円谷英二特技監督)を見た。
物語は、「大阪に本社を置く"海洋漁業KK"の魚群探査機パイロット・月岡正一(小泉博)は、エンジン不調により岩戸島付近の海上に不時着した同僚・小林弘治(千秋実)の救助に向かった。小林は不時着後、無事に島へと上陸していたが、救助の際、2人は島で巨大怪獣のゴジラとアンギラスが戦っている様子を目撃する。1年前、芹沢大助博士(平田昭彦)が開発した"オキシジェン・デストロイヤー"によって死んだはずのゴジラだったが、"水爆実験が続けて行われるとしたら、ゴジラの同類がまた現れるかもしれない・・・"との古生物学者・山根恭平博士(志村喬)の不安が的中してしまい、ジュラ紀の巨大生物が再び蘇ったのだ。後日、レーダー探査によって、紀伊水道のはるか南方に潜むゴジラの姿が捉えられ、田所博士(清水将夫)はゴジラが紀州および紀伊水道沿岸に上陸すると予想したのだが・・・」という内容。
この作品の5ヶ月前に劇場公開された『ゴジラ』(1954年/本多猪四郎監督)が空前の大ヒットを記録したことから早速作られた続編とのことだが、第3作『キングコング対ゴジラ』(1962年/本多猪四郎監督・円谷英二特技監督)の劇場公開がこの7年後のことだったということは、本第2作はさほど好評を得られなかったということだったのだろうか。
1955(昭和30)年7月に設置された航空自衛隊を意識したようで、前作では描かれなかったゴジラ攻撃チームの人間関係が、月岡と小林のかつての軍の上官・寺沢隊長(恩田清二郎)や同僚・田島隊員(土屋嘉男)を登場させることによって描かれているのだが、月岡が航空自衛隊のジェット戦闘機に乗り込んでチームの一員になってしまうのが凄い。
(^。^)
また、大阪のあと再びゴジラが現れたのは、北緯53度東経148度の地点にある"神子島"という架空の離島だが、どうやらその位置は日本の領海内ではないらしいものの航空自衛隊機は躊躇なく山にミサイルを撃ち込む。
釧路なのか小樽なのか判然としない場所が舞台となっていたり、この辺りの舞台設定は随分といい加減だったようだ。
(^_^;)
特撮技術のパイオニア・円谷英二氏に"特技監督"という肩書きがついていたが、地下鉄の駅内に川水が流れ込む場面は素晴らしく良く出来ていると思った。

荒野の七人

2009年07月25日 | ムービー
『荒野の七人(原題The Magnificent seven)』(1960年/ジョン・スタージェス監督/アメリカ)を見た。
物語は、「メキシコの貧しい村イストラカンは、毎年収穫時期になると盗賊に襲われ、食料を奪われていた。村人は長老の助言に従って7人の凄腕ガンマンを雇い、盗賊に対抗しようとするのだが・・・」という物語。
これは、『七人の侍』(1954年/黒澤明監督)を西部劇として作り直した作品で、△印が描かれたのぼりは登場しないものの、登場人物や台詞もほぼ黒沢監督作品同様に表現されている。
『七人の侍』で強く印象に残った「奴らに食料の値段を教えてやろう」(確かそんな感じの言い回し)という勘兵衛(志村喬)の台詞も、勘兵衛に相当するリーダー格のクリス・アダムズ(ユル・ブリンナー)が、やはり同じ台詞を言っていた。
ただ、西部劇には何か暗黙の了解でもあるのだろうかと考えてしまうほど、同じ展開でありながらも、若い登場人物のエピソードについてだけは随分と変わっていたのだった。
また、メキシコが舞台とあって、画面から季節の移り変わりを感じ取ることができない。
この月日の流れが分かりずらいという点は、どうすることもできなかった部分なのだろう。
使われている音楽はとても力強さを感じさせる曲で、一度聴いたら忘れないだろう。
しかし、ここ何年か毎週日曜午後5時から『あ、安部礼司』のテーマ曲としてラジオから流れてくることから、これを『荒野の七人』ではなく、『あ、安部礼司』のテーマ曲だと思っている人が相当数いるのではないかと思う。
(^_^)

生きる

2009年03月05日 | ムービー
『生きる』(1952年/黒澤明監督)を見た。
物語は、「市民課長渡邊勘治(志村喬)は、自分の身体が胃癌に侵され、余命幾ばくもない無いことを悟る。ほぼ同時に、息子夫婦が自分の退職金等を当てに家を建て、別居しようと考えていることを知り、30年間無欠勤を続けたものの、形ある物を何も残してこなかった仕事ぶりや、一人で必死に育てた息子からの仕打ちに絶望した。貯金を下ろし夜の街へ繰り出した勘治だったが、これまでの数十年間、真面目一方だったため、遊び方すら分からないのだった・・・」という内容。
1952年を元号に当てはめると昭和27年のことで、30年間となると、大正11年から無欠勤ということか。
これはもう充分に時代劇だな。
(^o^)
冒頭では陳情書を持って市役所の窓口にやって来た市民達が、担当をたらい回しにされた揚句、最初の市民課に戻されてくるという笑えないようなエピソードが描かれていたが、これはもしかしたら平成の世の中になっても有り得る話なんじゃないかと勝手に想像して、笑ってしまった。
そうなると、時代劇というのは当てはまらないか。
(^_^;)
モノクロ作品なので少し見ずらいのだが、残り少ない時間の中で必死に仕事をやり遂げようと心機一転した渡邊課長の妙にギラギラした目つきがとても印象に残った。
やはり、ギラギラして生きなきゃ駄目だな。