仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

司馬遼太郎と宗教

2017年03月25日 | 浄土真宗とは?
 『週刊朝日』に「司馬遼太郎と宗教」(2017.3.3)・「講演録 法然と親鸞 上」(2017.3.17)・「講演緑 法然と親鸞 下」(2017.3.24)が掲載されていたと、世話人のご門徒がコピーを持参してくれました。

「司馬遼太郎と宗教」(2017.3.3)の冒頭に次のようにあります。

 昭和20年代半ば、産紅新聞京都支局の記者だった司馬さんは、連合国単総司令部(GHQ)に呼び出されたことがあった。
〈白く焼きあげた丸パンのような顔〉をした中佐から、こんな質問をされたという。
 「親鸞という十三世紀の僧は、悪人をほめたたえて、悪人のほうが天国にゆけると説いたというのは、本当かね」
 なかなかのインテリらしい。 
「善人なほもって往生をとぐ、いはんや悪人をや」という、『歎異抄』の有名な一節を聞きつけたのだろう。
 東西本願寺の鬥徒数はざっと日本の総人口の!割を超える。
《それだけの勢力の教団が日夜「悪」を勧めているとなると、占領軍として見捨てておけなかったにちがいない》(『南蛮のみちI』)
 こうして、宗教記者会の若い記者だった司馬さんに、本願寺弁護”の重責か回ってきたようだ。
 もっとも、「善人でさえ浄上に往生することができるのです。まして悪人はいうまでもありません」
 という意味はなかなか通じない。 キーワードは『悪人』だった。
 《キリスト教でできあかっているはずのかれに、仏教や親鸞における悪人の意味を説くのは至難のことだった》
仏教の場合、悪人とは罪人を指す言葉ではない。悪の要素である利己心を持ち、貪欲であり、愚昧な人間といった意味になる。
 《たいていの人間は仏教的には悪人である》
 つまり、凡人ということだろう。 これに対し善人は悪から解脱する智慧を持ち、自力的な苦行にも耐えられる人であり、そんな天才はめったにいない。(以下省略)

興味のある方は、図書館で見てください。

 
コメント
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