中華帝国に隣接するこの国は、なぜ、曲がりなりにも独立を保持しえたのか、何度かの決定的な危機があった、
1、663年の白村江の大敗
2、1274・78年の元寇
3、室町期の明銭の大流行
4、策略と陰謀の明治政府
5、GHQの分割統治とマイント・コントロール
漢民族のタテマエが儒教でホンネは道教・原始道教、目的のためにはあらゆる詐術を行使する、東シナ海・南シナ海がそうで、尖閣諸島に中国の漁船がやって來て大きな石を放りこんでいく、その石には、
「この島は 中国領です」
そう刻まれているという、数百年後の証拠にするらしい、なんという狡猾(こうかつ)さであろうか。
漢民族の核性格・本質については、どういうわけか、この国のえらい人が沈黙してきた、最澄・空海・道元、知らないはずがない、彼らの滞在中も着々と大陸の侵略が進行していたからだ、
「王化に 染まらず」
なんとも冷酷で残忍な一句だ、それは、この大義名分の下に、何十・何百の種族・民族が殲滅(せんめつ)されてきたからだ。
最澄・空海・道元、一体、なにを見ていたのか、これでは「三バか・ボーズ」、なっちゃあいない、特に道元にいたっては、
「大宋国の在家は 日本国の出家に勝(まさ)れり」
上っ面(つら)しか見ていない、これほどのバカも珍しい、もっとも、宗教者には、こういうトコロがある、それにしてもいい気なもんだ。
では、なぜ侵略を免れたのか、それは、彼らの手の内を知りつくした渡来系中国人の尽力があったからではあるまいか、この国の歴史の陰で、彼の国の政争を逃れ、東海の島国にやって来た多くの中国系の人々の誠意と愛情・洞察があったのだ、彼らこそが、狡猾な式神の策略と陰謀を見破り、一手先の外交政策を打つ、それが、日本の裏面史だと私は思う。
その魂と伝統が、中央官庁の官僚の胸に秘蔵されていると、信じたいものだ。