The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

ワープする宇宙 6

2013-01-30 11:45:53 | Weblog
                               
 私たちの宇宙は、3次元の膜のようなものに貼りついている、これが、リサの宇宙モデルである。

 私たちの世界は、その3次元の膜に貼りついているので、ここから飛び出して5次元空間に行く方法はない、たとえスペースシャトルで宇宙の果てまで行ったとしても、5次元空間に到達することはできない、まるで孫悟空とお釈迦さまのエピソードのようだ。

 ちなみに、タテ・ヨコ・タカサが3次元世界、これに時間軸が加わると4次元、また、5次元空間は、確かに存在しており、3次元の世界に驚くような影響を与えている可能性がある。

 私たちの3次元世界は、膜に張り付いた原子などの物質によって作られているのだが、
 「高次元世界における膜は、バスルームの中のシャワーカーテンのようなもので、私たちや原子などの物質は、そのシャワーカーテンに貼りついている水滴だと考えられる」

 巧みな比喩によって、宇宙の実相をデザインしているのだが、それは、これまでの人類の誰一人として想像しなかった、できなかった。

ワープする宇宙 5

2013-01-26 05:10:06 | Weblog
                               
 ハーバード大学の理論物理学者リサ・ランドールは、核分裂実験の過程で、一部の素粒子が突然、消滅するのを観察し、それらの素粒子は、我々の目には見えない五時元空間に飛んでいったと考えた。

 これまで、宇宙には異次元があるという学説はあったが、空間の余剰次元は無限大であるというリサの主張は、大変にセンセーションであった、
 「五時元空間は、私たちから遠く離れているわけではなく、すぐそばに存在するかもしれない、ただ、上手に隠されているので、私たちには見えないだけだ」

 スイスとフランスの国境付近の地下100メートルで最大規模の素粒子衝突型加速器・LHCの実験が行われたが、リサの五時元空間の仮説が証明されるかもしれない。

 一周が27キロメートルの環状のトンネルの中で、陽子を光速近くまで加速し、毎秒8億回の頻度でぶつけ合う、この衝撃によって、陽子より小さな素粒子が放出されるのだが、もし、この素粒子が消滅すれば、それは、五時元空間に移動したことの証明になる、らしい。

ワープする宇宙 4

2013-01-23 09:14:18 | Weblog
                               
 人類のこれまでの宇宙観をひっくり返す研究が発表された、
 「私たちの住む多次元世界は、人類の目に見えない五時元世界に組みこまれている」

 ならば、五時元世界とは、
 「五時元世界は、三次元世界・タテ・ヨコ・タカサに時間、そして五時元方向への距離で表される」

 どうやら、この数式が、現代物理学のベースのようだ、いつの間にか、とんでもないところに来てしまっていた、
 「人間が、五時元世界を実感することはできません」
 「だが、私は、それが、存在すると確信しているのです」

 そして、この仮説は、さまざまの調査と実験によって証明されつつある、なんとも驚くべきことではあるまいか。

ワープする宇宙 3

2013-01-21 08:42:19 | Weblog
                           
 リサ・ランド-ルの「ワープする宇宙・Waped Passages 」が大変な人気になったことがある、ヨコハマの有隣堂で売り切れ、しばらくしたら、全く売れなくなった、いくらやさしく書いたといっても、やはり、そーとーに難しい、思い切ってマンガにしたら良かったかもしれない。

 なぜ、難しいか、それは、地球的常識や人間的感覚では理解できないからだろう。

 ランドールは、この著書の中で、
 「われわれの宇宙は、バス・ルームのシャワーカーテンのような膜(まく)になっている」
 なんのことやら、どうやら三次元的ひろがりとは関係が無いらしい、驚いたことだ。

 宇宙の仕組みは、感覚では感知できない多次元構造であり、宇宙の構造を解明するヒントは重力、重力エネルギーだけが、我々の宇宙から、五次元宇宙に漏れている、
 「わたしたちの三次元宇宙のほかに、五次元時空には、別の三次元宇宙が存在しているかもしれない」 - 『異次元は存在する』 -

 あるいは、この世界の神秘体験の中には、たんなる錯覚や幻覚だけではなく、多次元宇宙との接触によるものがあるのかもしれない。 
 

ワープする宇宙 2

2013-01-17 05:21:20 | Weblog
                                    
 歌手の二葉あき子さんは広島の出身で、1945年8月6日、広島発の芸備線に乗っていたのだが、列車が、ちょうどトンネルにいた時に原爆が落下する、
 「トンネルを出たら、キノコ雲と落下傘を見た」

 こんなことがあるのだ、なんと運のいい人だろう、本人はなんの被害もない、放射能を被爆することもなかったようだ、しかし、彼女の友人・知人の多くが亡くなってしまった。

 戦後、初めてコンサートを開いた、ふと、会場の奥の壁をみた、すると薄暗い壁際に友人・知人がいるではないか、
 「ああ、見にきてくれたんだ、会いにきてくれたんだ」
 不思議な話しではないか、勿論、あの原爆で死んでしまった人たちだ。

 みな、「ニコニコと笑って、楽しそうだった」という、すごいエピソードではあるまいか。

 これは幻覚であろうか、事実だったのか、最先端の科学・原子物理学は、どのように解釈するのか、解釈できるのか。

ワープする宇宙 1

2013-01-15 09:42:02 | Weblog

 不思議な話しがある、その中には全くのデタラメではなさそうなものがある。

 旧約聖書の出来事はシナイ半島で起こったとは思えないような気配がしないか、この地球のシナイ半島ではなく、ちがった星のシナイ半島、ちがった次元のシナイ半島…いくつもの世界が重なり、同時に進行していて、そのひとつが「これ」、ややこしい。

 ところで、光より速いヒッグス粒子が注目を集めていたが、もっと身近なモノは「思い出すこと」、これが、実に不思議なのだ、「記憶粒子」というようなモノがあり、一瞬にシテ、数百年前に連れて行ってくれる、どうだろう。

 たとえば源氏物語、
 「野分だちて にはかにはださむき夕暮れのころ つねよりもおぼし出ることの多くて…」
 夏の終り、さっと風が吹いて、透明な馬が走りぬけたように草が割れる、しめつけられるようなさびしさ、そして、これ、現実の体験よりもリアルなことがある、この日常の生活よりも深く鋭く強い…

 外的世界と内的世界は、どこかでリンクしていて、記憶の粒子は、一瞬にして過去にいくチカラを持っているのではあるまいか。

ミデアンの荒野から 7

2013-01-12 09:10:48 | Weblog

 明治年間、アイヌの村で起こったことは事実であったのか、それとも、たんなる妄想や幻覚だったのか、なんとも判断ができない、妄想・幻覚であれば、それは、地上的なヒトの心理現象であり、この時間・空間の範囲内ということになる。

 だが、事実であったならば、どう考えたらいいか、まったく違う原理・次元の介在を設定しなければならない、どうだろう。

 古代文明には、現代の科学でも解明できないことがある、メソポタミアの数百トンの石柱、エジプトの壁画の大きな電球、そして、シュメールには、二人の神々の間に塩基配列が建立しており、手にはスマホのようなモノ、「遺伝子操作」の現場ではあるまいか。

 カミソリの刃一枚通さないインカの石の壁、その完成度の高さはどうだ、江戸城の石組みを見る度にインカの精密さの秘密を知りたくなる、なにが、あったのか。

 現代人とは、全く違う発想法か、そして、それ以外の可能性もあるのかもしれない・

ミデアンの荒野から 6

2013-01-12 09:03:57 | Weblog

 このエピソードを手島は、
 「私は思いました、『まことの伝道者とは、こうあるんだな、そうでない間は、本を読んだり知識を語ったり、何かの話をしたりする、どうしても本当の伝道ができない、しかし、キリストがともに居ましたもうならば、もっと神秘なことが伴うはずだ』と」

 バチュラーと手島は、この現実的世界以外の次元に足を踏みこんでいたのかもしれない。

ミデアンの荒野から 5

2013-01-08 12:50:40 | Weblog

 アイヌの娘・キミコが「先生、先生」と言っていると、自分の身体から自分が抜け出し、先生の後を追う、だが、そこに先生はいない、次の村に行く、
 「ここは、先生の伝道所だ」

 自分は、そこに立ち止まる、おおぜいの人が集まっていた、だが、先生はいない、おかしいと思って奥の部屋にいくとそこにいる、
 「ああ、先生」

 先生に按手してもらったら、ずいぶん楽になる、キミコが、そこに留まろうとすると、
 「大丈夫だ、安心して、早くお帰りなさい」

 ここからが不思議なのだが、
 「どうしようかと思ってふりかえると、白銀のヒモが野を越え山を越え、ずっと続いているではないか」
 「そして、自分の魂がそのヒモにしゅっと引き寄せられ、自分の身体にもどってきた」

 そこで、びっくりして目が覚めた、そして、それ以後、見違えるように元気になったという。