The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

ドラヴィダ人の顔

2009-07-28 04:22:00 | Weblog

 日本人の多くが出雲タイプの女性に魅力を感じると述べたが、日本人と呼ばれる人間集団には、いくつかのタイプがある。

 広末涼子などは、まるで白人みたいだ、他には南方のマレー人みたいな顔、ここで取り上げた松本清張などはドラヴィダ人みたいだ。

 ともあれ、よく言われる縄文・弥生は。縄文が古いタイプのモンゴロイド、弥生は新しいモンゴロイドで比較的高い身長、色白で面長、毛は薄く髪の毛は直毛。

 だから、出雲美人は、大きなくくりでは、当然、弥生タイプになる。

ズーズー弁と出雲美人

2009-07-25 05:24:54 | Weblog

 なぜ、この二ヵ所にズーズー弁があるのか、ひとつは東北地方の秋田・青森・山形そして岩手の一部、もうひとつが出雲を中心とした地域、そして、ここには色白の人々が多かった、女性については東北美人であり出雲美人ということになる。

 平安の時代、京都の公卿は出雲の女を好んだという、色白でうりざね顔が出雲の顔であろうか、最近、活躍している戸田恵梨香がこのタイプ、ちょっと面長だが頬がふっくらしている、あれを横に膨らませれば「オカメ」。

 そして、どういう事情かは分からないが、多くの日本人は、この出雲タイプに惹かれるようだ、心の琴線に触れるみたいだ、これは、アングロサクソンの男たちがブロンドで青い目の女をBESTと思うのと似ている。

日本の原風景

2009-07-24 09:56:21 | Weblog

 松本清張の作品に出てくる昭和のシーンは、すでに貴重な歴史的証言になっている、それに、実に良く調べている、もっと評価されてもいいと思う。

 「砂の器」は、日本の原風景を切り取ったような作品であり、かつての日本人の営み・日本人の悲しみが、良く描かれている。

 「カメダ… 」という東北弁をヒントに東北の小都市を調査するが、なんの成果も得られない、ところが、この日本列島には、東北地方以外にズーズー弁を話す地域があった、それが出雲、出雲の「亀嵩」が「カメダ…」であった。

アングロサクソンからフリーメイソンへ

2009-07-11 04:24:49 | Weblog

 コンスタンティヌス帝は、ローマ帝国の支配のためにキリスト教を利用しようとした、そのために、325年のニケーア公会議では、キリストを人の子ではなく「神の子」とする。

 そして、父系的強権政治を完成させるために、母系的な古代世界を抹殺する、手始めは「アダムとイブ」のイブを悪女にすること、そして、女神たちの追放。

 女神から魔女へ、女性たちの受難の時代が続く、カトリック教団の拡大とともに女性への尊敬が消えていく。

 ところが、ヴァチカンの勢力の及ばない地域があった、そこでは、古代からの文化と伝統が持続されていた。

 ガリアの大地で生活していたゲルマンの諸族は古代の遺風を持続し、なかでもアングロサクソンたちはネルトゥス女神の信仰を保持していた。

 彼らは、カトリックを変形してイギリス国教とし、さらに女王を戴くことに成功する、さらに、彼らの経験主義・現実主義は人間のみによる社会の運営を目論む、それが、「友愛」を掲げるフリーメイソンだったのではあるまいか ― 美しきモネッタ ― 

中世の3つの階層

2009-07-09 04:41:13 | Weblog

 ヨーロッパの中世社会には、3つの階層があった、
 1、上層   貴族・知識人    科学・魔術、古典的知識
 2、中間層  都市の住民    カトリックの教えを信じる
 3、最下層  農村の人々    昔からの生活習慣・農業の神々

 この3者が並立していたのが中世の中身ではなかろうか、つまりゲルマンの社会には女神信仰があり、それは細々と受け継がれていたのであり、アングロサクソンの国家・イギリスが女王を戴くのは、この伝統のため、ということ。

 そして、ヴァチカンと結びついた中間層は魔女狩りを実行し、多くの女性を殺戮する。

キリストの血統

2009-07-07 05:08:51 | Weblog

 聖杯とは忘れ去られた女神の象徴であり、それを求める騎士の物語が中世のテーマとなる、ところでマグダラのマリアを女神・聖杯・薔薇・聖なる母として崇拝する人々がいた。
 
 一方、イエスに子がいたとすれば「神の子・キリスト」という教義が崩され、教会こそが、神に近づき、天国に行くことのできる唯ひとつの方法だという主張が成立しなくなる。

 一説では、マグダラのマリアの子孫はフランスで生活し、その血統は引き継がれて行き、メロヴィング王朝の成立になるという。

 ダコベルト2世の死をもってメロヴィング王朝は断絶するのだが、息子のジギベルト4世が王家の血を伝え、プランタール家・サン・クルール家となって受け継がれている、という。

女神の殺戮

2009-07-05 06:12:25 | Weblog

 古代世界では、「∧」は剣で男性原理、「V」は杯で女性原理、Vはハートでもある。
 このVが聖杯のシンボルになるのだが、それは女性と女神のシンボルでもあった、そのため、聖杯を求める騎士の旅は、失われた女神を探す旅・禁じられた旅ということになる。

 古代の世界では、子供を生みだす能力は神聖な力とされたが、男性の支配する教会では、邪悪・不浄とされ、聖なる女性も「敵」とされた。

 さらに異端を根絶やしにして、大衆をキリスト教徒に改宗させるために、あらゆる方法が動員される、そのなかに、異教の大切なシンボルを邪悪なものとする方針があった、
 1、ポセイドンの三叉の矛は悪魔の槍
 2、老賢女のとんがり帽子は魔女の帽子
 3、金星の五芒星は悪魔の記号

 こうして、豊かな古代世界は封じ込められていった。

大審問官の苦悩

2009-07-04 03:44:24 | Weblog

 権力に結びついた教団が民衆を支配していき、宗教の本質から遠くなっていくというテーマをさらに推し進めたものがドストエフスキーの『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』、ある街にキリストが現れ、早速、捕えられる。

 その牢獄に大審問官がやって来て、語り始める、
 1、人々を放っておくと争いを始める
 2、自制心が弱いので奪い合いをする
 3、精神の自由よりも命令されることを望む

 そこで、神と人の間に教団が立ち、人々を導いている、
 「本当は、いいことではないのだが、こうすることによって平和と秩序が保たれる」
 「・・・ 」
 「私は、罪を犯しているのだろうか」

 その時、キリストが老人の額に接吻をするというストーリであった。
 ここには、人間の営みと政治の関係に対する、深い考察があるように思える。

ニケーアの公会議

2009-07-02 04:59:11 | Weblog
 ニケーアの公会議ではさまざまのことが評決された、
 1、復活祭の日付
 2、司教の役割
 3、秘蹟の授与

 そして、イエスを神にするか、という投票が行われる、それ以前は、イエスを人間の預言者として受け止める人がいた、
 「神の子でないと」
 「そう、神の子というイエスの地位はニケーアの公会議で正式に提案され、投票で決まった」

 コンスタンティヌスはイエスが神の子であると公に宣告することによって、人間世界を超越した存在へとイエスを変身させる、そして、異教徒がイエスに刃向かえなくさせる、それは、ローマの政治支配を権威づけることであり、絶対者に変身したイエス・キリストを扱うことができるのは組織化された教会であり、キリストの信者ですら、ローマ・カトリック教会を通じてしか「救い」が得られないということであった。

 こうして、あのヴァチカンによる、ヨーロッパ中世の宗教支配の準備が完成する、そして、これは、純粋なキリスト信仰とは、別のものであった。