のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
うたごえ ウォーキング ボランティア 時々花と金魚

寅さんが残した俳句 20年目の風天忌

2016年08月04日 08時37分21秒 | うたごえ

ヤケのヤンパチ 日焼けのなすび 色が黒くて食いつきたいが 私ゃ入れ歯で歯が立たぬ

チャラチャラ流れる御茶ノ水など あの寅さんの口上でお馴染みのテキヤのセリフである

全シリーズで48作品にも上り最後の映画は 寅次郎紅の花 マドンナは浅丘ルリ子さんであった

 

 

 

お盆や正月に主に上映され 私も全作品を観たもので今でも懐かしい

この最後の作品では がんが進行して あの映画の笑顔の裏は 壮絶な闘いであったようだ

休憩は長引き ロケ先で地元の方とも交わす言葉も無く 知らない方は冷たいねと囁いたそうだ

 

 

この映画の前には 寅さんシリーズはテレビで流れ 人気を得ていた

白黒画面ではあるが視聴率も高く 最後の画面では 寅さんは沖縄でハブに噛まれ死亡する

これも私は記憶しているが 局には抗議が殺到し のちに映画となって生き帰ってきた

 

 

添乗員での初期には ツアーの最終日 帰途のバスの中では必ず寅さん映画をビデオで流した

やがて著作権の問題もあり 各社ともバスの中で映画を上映することはなくなったのである

何度見ても愛される寅さん 渥美清は寅さん そのものだった

 

若いころは渥美清さんは 俳優を目指して 浅草のストリップ劇場で働いていた

現在の浅草演芸館の場所は 浅草フランスであり 周辺は六区と称され映画街でもある

ここで踊り子の演じる幕間に 寸劇などをしていたが やがて人気は上昇してくる

 

 

しかし肺結核を患い 片肺は手術で切除した 当時は これで社会復帰の例は無かった

この間に上野の車坂で生まれた彼は いつしかテキヤの演じる口上にも憧れた

これが昇華してあの映画での名セリフに活きてくるのである

 

上野や浅草でのテキヤのたたき売りは私も思い出に残る

衣料品やバナナが素材として多かった 何度も聴いていると 同じセリフ 偽の客も居た

じっと見ていると 私にはわかるし 邪魔だと追い返されたものだ

 

 

下町人情にあふれたシーンは 多くの共鳴や笑い そして 涙を誘っていたものである

時にはすぐにキレて 家族や隣の工場まで怒り散らして また 旅に出る

必ず 全編必ずマドンナが登場して すぐ惚れる 結果はいつも振られる

 

ロケ地はいつも私の興味を引いた もともと旅好きであるから ストーリーの他に興味がわく

ツアーなどで訪れると そこにブラリと寅さんが現れそうな気もしてくる

ちなみに全国都道府県でロケで行かなかった地は 富山県と埼玉県であるそうだ

 

49作目に高知県を予定したとある マドンナも田中裕子さんまで決まっていたが実現しなかった

そして山田洋二監督は50作目で 寅さんは幼稚園の用務員をしている姿を描く

子供たちとかくれんぼをしている時に息を引き取る 街の人たちが寅さんを偲び地蔵を作る

 

 

こんな寅さんの最終構想までしていたが 身体はボロボロ 後の2作品は幻となった

寅さんが旅に出る時 妹のさくらが見送る 京成電鉄の柴又駅に 寅さんの像が立った

寅さんがテレビに登場する前 私の若いころは この町の近くに住み たびたび帝釈天に行った

 

 

寅さんが あの渥美清さんが 俳句を残していたことは あまり知られていない

今回 テレビで紹介されたが 自由奔放な作風で 実に内容が深い

凡人の私には さらにはその奥を探ることはできないが 隠された才能をまた知らされた

 

独特の作風 観点が違う 感性が違う 

私には近づけない

とらや 寅さんの指定席に座らせて貰った 

 

20年前の 8月4日 渥美清さんは亡くなった

俳句の称号は 風天 と自分で決めて発表していた 晩年のことである

そして 今日は 風天忌 彼を偲んでの行事もあるらしい

 

       最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m

 

ブログランキングに参加しています

ご支援に下のボタンをクリックして頂ければ励みになります 

にほんブログ村 シニア日記ブログ 70歳代へ

にほんブログ村

コメントは伝言コーナーへもどうぞ!

(メルアドは入力しなくてもOKです)

 

 

コメント (18)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 娘から譲り受けたパソコンに... | トップ | 悲惨な体験は語らない 語れ... »

18 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
懐かしい・・ (屋根裏人のワイコマです)
2016-08-04 09:38:58
久しぶりに・・フーテンの寅さんを拝見し
当時は若くて逝かれた渥美清さんを偲び
させて頂きました。68歳だったと聞きますが
あれから20年ですか・・仮に元気でいられたら
どんなふうに笑わせてくれるのか・・・
映画史上に一つの金字塔を立てられた人
我々の昔懐かしい俳優たちが・・最近
一人 二人と 逝くのがなんとも自分の
年に重なりますね・・今日がその命日とは
いい思い出を、ありがとうございました。
「風天」 (mako)
2016-08-04 11:39:40
図書館で借りて読んだことがあります。

渥美清さん、句会の仲間に吉永小百合さん、俳号が「鬼百合」、
岸田今日子さん、「眠り姫」、などなど、言い得て妙のメンバーさんばかりですね。吉行和子さんも。

私が印象に残っている句は
「雪合戦好きな子に投げる」・・そんな句もあったような。
少年のような気持ち、いつまでもあったように感じました。

こんにちは~~~! (きみちゃん)
2016-08-04 12:24:39
そうですね?
バスツアーでは寅さんのビデオを見たもんでした。
写さなくなったのは・・・理由があったんですね?
俳句の番組も・・・みましたよ
こんにちは (kao)
2016-08-04 15:12:43
寅さん、うちの家族も好きでした。
特に父が。・・固い職業でしたから、
あこがれもあったのでしょうか。
わたしは寅さんが一回くらい
マドンナと結ばれる話はないかと
全シリーズ踏破したことあります。
なかったですね~・・・。
知らなかった裏話など (chidori)
2016-08-04 17:51:13
寅さん
こんなにもたくさんの人に愛された男はいないでしょう。
そういえばのびたさん、何となく寅さんの人柄に似ていませんか?
でも寅さんはきっとさびしがり屋で映画の中ではあのような性格でも、孤独?な性格?だったのではと思われます。

見事に寅さんを人気者にした山田監督も見上げてしまいます。

私も寅さん映画ほとんど見ています。一度見ていても何度でも見たい・・・見ています。

のびたさんの添乗員を通じて知る裏話が面白いですね。

この頃バスで映画が上映されない理由が初めてわかりました。
屋根裏人のワイコマさんへ (のびた)
2016-08-04 19:35:28

フーテンの寅さん 国民的人物ですね
渥美清さん そのものが 寅さんです
もう20年たちました
最近 有名人が次々と亡くなりましたが 自分の歳もふと思います
makoさんへ (のびた)
2016-08-04 19:40:40

この写真の特集はテレビで見ました
吉永小百合さんの朗読進行も入っています
雪合戦 好きな子に 投げる
確かにありました
ひそかに思う人へ 思いを載せて投げる・・
深い句ですね
きみちゃんさんへ (のびた)
2016-08-04 19:42:58

ひところは バスツアーの最後はビデオの上映でした
著作権の問題が浮上し 全体のバスに加算される課題があり いずこの会社も止めましたね
kaoさんへ (のびた)
2016-08-04 19:52:36

私の世代は 寅さんには郷愁のようなものを感じていましたね
寅さんのマドンナ 一度は結婚しようと決めた人はいましたね 相手もその気になりました
でも叶わなかったのです
cihidoriさんへ (のびた)
2016-08-04 19:55:16

私も寅さんは どことなくさびしがり屋のところもあると思っていました
そんなところが かすかに私もあります(笑)
添乗員の仕事 かなり私の人生で学ぶところが多くありましたね まさに天職でした

コメントを投稿

うたごえ」カテゴリの最新記事