いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

スマホ操作運転。 operation of smart phone in driving car

2017-11-11 20:40:43 | 日記
 (1)インターネットには理解が高いといわれるローマ法王(80)だが、世界行く先々でならばいざしらず本拠地のバチカンのサンピエトロ広場でのミサで集まった司教、神父、信者らがいっせいに法王に向けたスマホを掲げ撮影する姿に不快感をあらわにして「神父が信者に『心を高く掲げて』と呼び掛けることはあっても『スマホを高く掲げて』なんて間違っても言わない」(報道)とたしなめた。

 (2)バチカンも近年は宗教者の規律の低下、問題も聞かれて、法王のミサでもこの有り様では法王も頭の痛いところだ。若者に対しては、対面しての会話が失われれば社会は戦争に向かうと警告して、食事の間ぐらいスマホをしまうよう諭したといわれる。

 米国と中東との争いは石油のからむ利権戦争であると同時にキリスト教とイスラム教の宗教戦争でもあり、世界的に宗教にからむ戦争、紛争は絶えない。
 宗教が戦争抑止に対して無力なのは、こうしたパラドックス(paradox)な背景も見逃せない。

 (3)日本に限らないが歩行中、運転中のスマホ操作があらたまらずに社会問題となっている。歩行中のスマホ操作ももちろん事故につながる迷惑行為で、これに罰金刑を科す国もある。

 運転中のスマホ操作となると、即死亡事故につながる危険運転行為なだけに、日本では法改正して取り締まりを強化しているがスマホ操作運転(operation of smart phone in driving car)による追突事故で犠牲者を出すケースが相次いで、何ともやるせない思いだ。

 (4)これだけ悲惨な交通事故が相次いで社会問題化しているのにやまないというのも、どうかしている社会だ。一定速度以上になるとスマホ操作できない機能をつけれないものかとも思うが、いつでも、どこでも、どんな時でも情報収集、操作ができる機能特性、特徴を考えれば簡単にはいかないようだ。

 あとは操作する側、人間の倫理観、理性の問題ということになるが、冒頭のような事例もあり一般人にはなおさらにむずかしい自己コントロールの問題だ。

 (5)犠牲を払わなければなくならない、犠牲を払ってもなくならない運転中のスマホ操作事故の自分だけは別の利己主義社会では、一層の厳罰化が致し方のないところだ。
 加害者は被害者のことを考えれば一生重荷を背負って生きていかなければならずに、運転中のスマホ操作がそれに耐えうる比較意味のあるものであるのか、徹底した「教育」が必要だ。

 (6)運転する車にも自動停止装置は高年令化社会としても必需社会になっており、自動運転技術が稼働運転車にも取り入れられることは必要だ。といっても、今のところ即効性はないわけで、さらに先端的科学技術開発力、技術力は今後さらにいくつもの超近代化製品を開発していくことは間違いないことであり、考えもつかない社会問題を提起していくだろう。

 (7)米国では2020年には空飛ぶタクシーの実験も開始されるといわれており、実用化が近い空中配送のドローンでは集まった群衆の中に落下してケガ事故も起きている。

 人間の欲望、倫理、理性がまともに追いつけない超近代化社会が現実のものとなり、開発スピード・バランス克服が課題の社会を迎えている。
 

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