ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

日本文化情報センターの活動 チェルノブイリ30年式典に参加しました 3

2016-04-16 | 日本文化情報センター
 式典の後も懇談会にお邪魔していろいろなお話を聞くことができました。
 事故処理作業に従事した後、体調が悪化しキエフの病院に長く入院していた人、妻子を置いて任務だからと現地に向かった人、その後家族が避難して離れ離れになってお互いの所在が分からなくなり(今のように携帯電話もなかったですしね・・・)戦争のようだった、いや戦争よりひどいものだ、と話す人もいました。
 現在ベラルーシには事故処理作業員への福祉政策は全てなくなり、まだウクライナのほうが何某かの補償があるそうです。
 会場には幸運にも病気にならず、健康でしかもつらい体験を積極的に話してくれる人ばかりが集まっていると思うのですが、その背後にはそうではない事故処理作業員の方々が何倍もの数いるのだろうなあ、と思いました。

 4月26日を前にして記念の勲章が作られ、それを胸に下げている人もいました。勲章は25年のもの、20年のものなどいろいろあって、それを全部胸につけている人もいましたが、何だか事故処理作業員というより軍人のように見えました。
 これから10年後、20年後になると、この勲章をつけられる人の数も減っていきそうですが、ベラルーシ政府が作ったものではなく、ロシアやウクライナから表彰され、もらった勲章なのだそうです。事故が起きたときはソ連政府で一つの国でしたから、当然なのかもしれませんが、もうちょっとベラルーシ政府が特別なことをしてくれないかなあ、と思いました。
 ただ、ベラルーシの場合、事故処理作業の結果、けがをしたり発病して後遺症の残った人は身体障害者認定を受け、認められると身体障害者としての福利厚生を受けることができます。つまりただ事故処理作業に従事しただけ、被爆しただけでは補償はないけれど、障害者になった場合、国から支援がもらえるという形になっています。
 他にもベラルーシ国内には事故処理作業員の会があって、それぞれの活動をしたり、会員同士助け合ったり、他の会と連携しあったりしているそうです。結局は似たような立場の者同士助け合うのが一番早いのかもしれません。
 この会の人からは「福島第1原発の事故処理作業員たちと交流の場を持ちたい。」と話していましたが、まだ福島の原発が収束しておらず(チェルノブイリ原発も収束してないと言えばそのとおりなんですが。完全に収束するのは1万年後かもしれないし・・・。)今日この瞬間も必死で作業している真っ最中なので、まだ事故作業員の会のようなものはできていないと思います。数年経ったら、日本にも事故処理作業員の会ができるかもしれませんので、そのときにはぜひ、と話しておきました。

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