ナチスが戦時中に建設した強制収容所といえば、アウシュビッツが有名ですよね。
しかしこのような収容所はヨーロッパ各地にあり、ベラルーシにもありました。
ミンスク郊外のマールィ・トロステネツがそれです。1941年に作られ、規模はヨーロッパで3番目に大きかったそうです。
ここにはユダヤ系以外にも、ベラルーシ人やロシア人、ポーランド人、チェコ人などが収容されていました。
マールィ・トロステネツのすぐそばにある二つの村でも、住民の大量虐殺があり、この三つの場所で犠牲になったのは2万1500人になります。
収容所は1944年に解放されましたが、ドイツ軍が逃走するときに施設を全て破壊していったため、アウシュビッツのように建物などが残っていません。
更地のようになっており、慰霊碑が建っているだけなので、私も行ったことがないのです。
(だからアウシュビッツのように世界的に有名な場所にはならないんですね。)
ミンスクからすぐ近くなので、行こうと思えばいつでも行けるのですが、更地の収容所跡を見てもねえ、というのが本音です。
それよりも貴重なのは収容されていた人の中には運よく生き延びた人もあり、その話を聞くことです。
ベラルーシには強制収容所に入れられていた人たちが会を作っており、さらに合唱団もあります。
その合唱団(メンバーのほとんどが女性)が70代後半の年齢とは思えない声で合唱をしています。
歌の合間に自分の体験談を何人かのメンバーが話してくれますが、聞くだけでつらくなります。
母親と5人兄弟全員が収容され、生き残ったのは私と姉だけ。
母は生き延びたが、発狂した。
幼かった弟は負傷したドイツ兵の献血のために血液を注射器で吸い取られ、死亡。
・・・などなど。話している途中で泣き出して、「これ以上話せません。」と言い出す人もいます。
子ども時代を収容所で生きたとは想像を絶する体験だと思います。
ドイツは戦後、謝罪をし収容されていたベラルーシ人で、生存した人全員に賠償金を払うことにしました。
毎月(ベラルーシの水準から言うと)かなりいい金額の賠償金を受け取っています。
毎日、いや今死ぬか生きるかという生活を強いられた代償なのだから、当然と言えば当然です。
ところでこの合唱団は戦後70年を記念して、今年の4月ポーランド、チェコ、ドイツへ公演へ行くことになりました。
各地のやはりナチス軍による大量虐殺があった場所で歌ったり、収容されていた生存者たちと交流したりしたそうです。
各地で歌声は絶賛されたそうです。
ところが・・・ドイツでは
「悪いが公演はしないでほしい。」
と言われたそうです。
ちゃんとした理由はなく、挙句には
「歌ったことにしてほしい。ギャラはあげる。」
とまで言われ、公演を中止したそうです。
ドイツからしたら、過去の汚点を現在見たくないのか、それを知らない世代に知ってほしくないのか・・・
合唱団のメンバーはがっかりしたそうですが、双方の協力あっての海外公演ですから、あきらめたそうです。
この話を聞いて私は、お金さえ出せば補償したことになるからいいだろうと、とドイツ側が思っているのでは、と感じました。
確かに強制収容所にベラルーシ人を入れましたよ。でも賠償金を払っているんだから、そして謝罪もしているんだから、もう過去のことは蒸し返さないでほしい。
合唱なんか今更しに来なくていい。ギャラ(賠償金)をあげるから、黙っておいてほしい。
・・・こういう考えをドイツ側が持っているのかなあ。と私は思いました。
謝罪した、賠償金も払った、戦争責任は取った、だからもう「なし」にしよう。
という考えは合理的で論理的である意味将来を前向きに捉えているのかもしれません。
でも、過去から学ぶことを避けている感じがするし、せっかく平和になったのだから、かつての敵同士の民族が今は仲良くしましょうよ・・・という考えを否定しているようにも思えます。
日本の場合、韓国や中国が日本政府に謝罪せよとか、賠償もちゃんとせよと求めており、日本政府はもう謝罪はしたし、賠償についても決着済みなのに・・・とこういう状況が戦後70年経っても、ずっと変わっていません。
日本政府の対応を批判するときにドイツ政府がよく引き合いに出されます。ドイツは賠償金を払ってるのに日本政府はねえ、という批判です。
しかしですよ、もし日本がドイツと同じようにすでに謝罪もして賠償金も払って、さらに賠償金を払ってるからもういいでしょ、もう文句言わないで、戦中の汚点を思い出させないで、という態度を取ったら、どうなんでしょうか。
金は出す、だからもう何も言わないでと言われて、納得するでしょうか。
戦争被害に対する賠償金を払え払えと言う人たちの気持ちも分かりますが、賠償金を受け取った時点で、もう文句や批判は言えなくなってしまう可能性も実はあることを分かって請求しているでしょうか。
謝罪もした、賠償もした。そしてその後に生まれる国同士の関係が、もっと友好的で建設的になるとは限らないことを、この合唱団の一件から感じました。
合唱団の後援がドイツの特に戦後世代に、収容所を生き伸びた人たちの存在を教え、さらには歌声を聞きながら、戦争とは平和とは何か考えるよいきっかけになればよかったのに、と私は思います。
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画像は写真雑誌「ソビエツコエ・フォト」(ソ連ジャーナリスト連盟編集)1982年3月号の表紙を飾った写真です。
撮影者はモスクワのカメラマン、Pavel Krivtsovで作品名は「女の子同士」。
戦争中従軍していた女性3人が戦後、再び集まって戦中撮ったときのように記念撮影したんですね。
表紙に選ばれるだけあって、とてもいい写真だと思います。戦後の時間、戦中の彼女らはどうだったのだろうと想像がめぐります。
そして戦争を生き延びた人は本当に運がよかったと思います。
しかしこのような収容所はヨーロッパ各地にあり、ベラルーシにもありました。
ミンスク郊外のマールィ・トロステネツがそれです。1941年に作られ、規模はヨーロッパで3番目に大きかったそうです。
ここにはユダヤ系以外にも、ベラルーシ人やロシア人、ポーランド人、チェコ人などが収容されていました。
マールィ・トロステネツのすぐそばにある二つの村でも、住民の大量虐殺があり、この三つの場所で犠牲になったのは2万1500人になります。
収容所は1944年に解放されましたが、ドイツ軍が逃走するときに施設を全て破壊していったため、アウシュビッツのように建物などが残っていません。
更地のようになっており、慰霊碑が建っているだけなので、私も行ったことがないのです。
(だからアウシュビッツのように世界的に有名な場所にはならないんですね。)
ミンスクからすぐ近くなので、行こうと思えばいつでも行けるのですが、更地の収容所跡を見てもねえ、というのが本音です。
それよりも貴重なのは収容されていた人の中には運よく生き延びた人もあり、その話を聞くことです。
ベラルーシには強制収容所に入れられていた人たちが会を作っており、さらに合唱団もあります。
その合唱団(メンバーのほとんどが女性)が70代後半の年齢とは思えない声で合唱をしています。
歌の合間に自分の体験談を何人かのメンバーが話してくれますが、聞くだけでつらくなります。
母親と5人兄弟全員が収容され、生き残ったのは私と姉だけ。
母は生き延びたが、発狂した。
幼かった弟は負傷したドイツ兵の献血のために血液を注射器で吸い取られ、死亡。
・・・などなど。話している途中で泣き出して、「これ以上話せません。」と言い出す人もいます。
子ども時代を収容所で生きたとは想像を絶する体験だと思います。
ドイツは戦後、謝罪をし収容されていたベラルーシ人で、生存した人全員に賠償金を払うことにしました。
毎月(ベラルーシの水準から言うと)かなりいい金額の賠償金を受け取っています。
毎日、いや今死ぬか生きるかという生活を強いられた代償なのだから、当然と言えば当然です。
ところでこの合唱団は戦後70年を記念して、今年の4月ポーランド、チェコ、ドイツへ公演へ行くことになりました。
各地のやはりナチス軍による大量虐殺があった場所で歌ったり、収容されていた生存者たちと交流したりしたそうです。
各地で歌声は絶賛されたそうです。
ところが・・・ドイツでは
「悪いが公演はしないでほしい。」
と言われたそうです。
ちゃんとした理由はなく、挙句には
「歌ったことにしてほしい。ギャラはあげる。」
とまで言われ、公演を中止したそうです。
ドイツからしたら、過去の汚点を現在見たくないのか、それを知らない世代に知ってほしくないのか・・・
合唱団のメンバーはがっかりしたそうですが、双方の協力あっての海外公演ですから、あきらめたそうです。
この話を聞いて私は、お金さえ出せば補償したことになるからいいだろうと、とドイツ側が思っているのでは、と感じました。
確かに強制収容所にベラルーシ人を入れましたよ。でも賠償金を払っているんだから、そして謝罪もしているんだから、もう過去のことは蒸し返さないでほしい。
合唱なんか今更しに来なくていい。ギャラ(賠償金)をあげるから、黙っておいてほしい。
・・・こういう考えをドイツ側が持っているのかなあ。と私は思いました。
謝罪した、賠償金も払った、戦争責任は取った、だからもう「なし」にしよう。
という考えは合理的で論理的である意味将来を前向きに捉えているのかもしれません。
でも、過去から学ぶことを避けている感じがするし、せっかく平和になったのだから、かつての敵同士の民族が今は仲良くしましょうよ・・・という考えを否定しているようにも思えます。
日本の場合、韓国や中国が日本政府に謝罪せよとか、賠償もちゃんとせよと求めており、日本政府はもう謝罪はしたし、賠償についても決着済みなのに・・・とこういう状況が戦後70年経っても、ずっと変わっていません。
日本政府の対応を批判するときにドイツ政府がよく引き合いに出されます。ドイツは賠償金を払ってるのに日本政府はねえ、という批判です。
しかしですよ、もし日本がドイツと同じようにすでに謝罪もして賠償金も払って、さらに賠償金を払ってるからもういいでしょ、もう文句言わないで、戦中の汚点を思い出させないで、という態度を取ったら、どうなんでしょうか。
金は出す、だからもう何も言わないでと言われて、納得するでしょうか。
戦争被害に対する賠償金を払え払えと言う人たちの気持ちも分かりますが、賠償金を受け取った時点で、もう文句や批判は言えなくなってしまう可能性も実はあることを分かって請求しているでしょうか。
謝罪もした、賠償もした。そしてその後に生まれる国同士の関係が、もっと友好的で建設的になるとは限らないことを、この合唱団の一件から感じました。
合唱団の後援がドイツの特に戦後世代に、収容所を生き伸びた人たちの存在を教え、さらには歌声を聞きながら、戦争とは平和とは何か考えるよいきっかけになればよかったのに、と私は思います。
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画像は写真雑誌「ソビエツコエ・フォト」(ソ連ジャーナリスト連盟編集)1982年3月号の表紙を飾った写真です。
撮影者はモスクワのカメラマン、Pavel Krivtsovで作品名は「女の子同士」。
戦争中従軍していた女性3人が戦後、再び集まって戦中撮ったときのように記念撮影したんですね。
表紙に選ばれるだけあって、とてもいい写真だと思います。戦後の時間、戦中の彼女らはどうだったのだろうと想像がめぐります。
そして戦争を生き延びた人は本当に運がよかったと思います。