むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

岩染城(群馬県)

2021年06月21日 | 百名城以外の城
岩染城いわぞめじょう
別名城山
構造山城
築城者不明
築城年代不明
指定史跡
場所群馬県富岡市岩染 地図

岩染城は、藤田氏の藤田城を守るための砦として築かれた城とも、小幡氏の国峰城の支城とも考えられ、
実際のところはどちらの説も確証のあるものはみつかっておらず、推論でしかありません。
しかし砦であった遺構は今も見事に残っていて、この地に城が築かれていたことは間違いありません。



入口

以前入口の確認にここまで来ました。
駐車スペースも何とか確保しましたが、路面は見た目と違い
赤土と舗装の境目が滑るので注意が必要です。



軽自動車であれば通れそうですが、途中倒木があるので車での通過は断念。
しかしながら、いつもHPを拝見させて頂いている余湖氏のアドバイスもいただき、
今回は、このルートから楽ちんに行くことが出来ました



このまま本線を進むと下岩染の集落へと抜けられるはずです。
少し先まで様子を見に行ったのですが、下りになる辺りから少し道が荒れていました。
とりあえず目的の城址へ行くには、ここで左手の登城路へと進みます。



登城路を登り始めて間も無く、平場が見えて来ます。


二の郭

平場に出て、まっすぐ目の前には主郭が見えます。
構造はかなり単純な造りと思われます。(この時点では)


マムシグサ

すごく特徴的な植物だなあと思い、調べてみるとマムシグサと呼ばれる
毒性のある植物でした。
茎の柄がマムシに似ていることからマムシグサと呼ばれているそうです。



主郭の方をよく見ると、石積みが見えます。


石積

石積に吸い寄せられ、二の郭、三の郭はさておき、
さっさと主郭虎口の石積へとまっしぐらにやって来ました。
この辺りでは、塩ノ入城でも石積を見ましたが、同じ位の時代のものでしょうか。


虎口

主郭虎口からは東側の下に二の郭が囲むように伸びているのが見下ろせます。


主郭

小ぶりかと思いきや、想像よりも広い。
この木が無かったら、すごくいい雰囲気の城跡なのになあ。
伐り倒したい…。


土塁

わずかしか残ってませんが、南側に土塁が残っています。
大手道が南側に開いているので防御と攻撃のための土塁が巡っていたと思われます。



主郭にもマムシグサ。
紫色がもっと黒ずんだものが多いのですが、ここのはわりと綺麗です。


三の郭

西側にある主郭下に帯郭のように見えるのが三の郭です。


四の郭

北側の主郭下には四の郭があり、その更に北には堀切と五の郭と続きます。


二の郭

南から入り、東から北にかけて二の郭がコの字を描いている囲んでいます。
その北側の先端部分は少し広くなっています。


竹の子

主郭に生える竹の子を見つけました。
二の郭の竹林からの延長で増え続けている様子。


虎口

よく見ると、先ほどの石積の延長でコーナー部分も石積になっていました。



この先に堀切があるはずなので行ってみたいと思います。



軽く藪化していますが、まだ行けるレベルです。


堀切

見えました‼
堀切です。
堀の先に尾根が郭状になっているようですが、ここから見ても緑しか見えません。
もうだいぶ草木が生い茂って来たので、ざっくりでしたが今回はここまでで帰還します。



さて、行きにも使ったこの道(城の西側の登城路)は堀切でした。
堀底を大手道とし、北(鞘戸)と南(下岩染)の集落へと行けるようになっています。



車を置いてきた場所まで戻って来ました。
主郭は樹木がいっぱいで眺望は望めませんでしたが、ここからでも十分に周囲の城が
睨みを利かせています。


西平城

北のちょっと東寄りにみえるのは西平城です。
標高はあちらの方が高いので、西平城からは岩染城がよく見える状態です。



そして、この方向には塩ノ入城大山城もあります。
しかしこれらの城の築城当時のことはあまりよくわかっていません。


今まで比高差もあまりないし、いつでも行けると思って後回しにしていた城でした。
遺構もあまり期待していなかったのですが、コロナで県外へ行くことも控えていたため
どこに行こうかなあ~と思って余湖氏のHPを見ながら入口の確認にだけ訪れました。
SNSに入口の投稿をすると、ご本人からHPに書いてある通りのことをアドバイスして下さったので
舞い上がって(調子に乗って)、意気込んで行って来ました。
行ってみたら、しっかり遺構が残っていたので整備して看板でも立てたら
すごく見栄えが良くなりそうなのになあと。
ただ、その場合説明文はどうなるのかと想像すると、あまりよく判っていないというところで
まとまらなくなるんだろうなあ。
造りとしては土塁・石積・堀切と分かりやすくコンパクトにまとめられた
土の城としては苦労なく行ける良い城でした。


令和3年5月23日登城


今回の参考本

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