【小浜城】こばまじょう
【別名】ー
【構造】海城
【築城者】土岐頼定
【築城年代】1493年(明応2年)
【指定史跡】ー
【場所】千葉県いすみ市大原10439 地図
小浜城は、万木城主土岐頼定が伊南領を守るために万木城の支城として築きました。
天正16年、当時の城主鑓田勝定は、館山城主里見義頼の命により
相模国三浦の北条氏直と合戦、小浜城の留守をついて勝浦城主正木左近大夫が
150騎で押し寄せ落城しました。
翌年、鑓田勝定は忍者を使って城内に潜入し、火を掛けて城を奪還しましたが
本多忠勝に攻められ、敗走したた城は壊滅、廃城となりました。
鳥居
八幡神社の入口にある鳥居です。
現代では八幡神社への参道として使われています。
周囲に駐車場がありませんので駐車には十分注意してください。
登り始めてすぐに、トイレや四阿があります。
虎口
コンクリートで固められた土塁は、
コンクリートのおかげ?でこの高さを保っているようです。
「小浜八幡さま 紅いもんが好きだ 染めてあげましょ 花染めに」は、
はだか祭りの代表的な祭り唄として知られています。
帆万千館跡
城内で一番広い郭です。
その後、ここには「帆万千館」という宿があり、文化人が多く訪れたといわれています。
確かに良い眺めですもん。
太平洋戦争の時代には、この辺りには小浜基地が置かれていたようです。
確かに、最初にナビで案内された場所は城の北側で、格納壕や基地の跡がある側でした。
これは入口を間違えたと思い、八幡神社の入口を目指してここまでやって来ました。
歌碑
若山牧水の歌碑です。
ありがたや今日満つる月と知らざりしこの大き月海にのぼれり
そして、歌碑の隣に小浜城の案内看板があります。
歌碑の説明かと思ったら、小浜城の説明だったので素通りしないように。
大原漁港
大原漁港はイセエビ日本一の水揚げ高で有名です。
神奈川県小田原市の「港の朝市」や神奈川県三浦市「三崎朝市」などを参考にした
港の朝市も賑わっています。(買った魚やイセエビをその場でバーベキューなど)
西側の土塁がそのまま尾根状に南の方へ続いています。
堀切
よ~く見ると橋が架かっている場所があります。
堀切られています。
石祠
先端にある石祠です。
海を見守る神様でしょうか。
石段の前に城址碑があります。
一度外に出て社務所側から八幡神社へと行って見ようと思います。
社務所
記念碑
手前には境内の工事に寄付された方のお名前が書かれた記念碑と
その奥には小さな洞窟、そして正面奥に八幡神社の拝殿が見えます。
洞窟
洞窟を覗いてみると、そこには沢山のお稲荷様がいらっしゃいました。
八幡神社
八幡神社のある一番高い場所が主郭です。
八幡神社には長寿の絵馬、刀、槍、大型の錨などが納められているとのことですが
大型の錨とはこれのことなのでしょうか?
でも外に置くかなあ。
私にとって、錨なんてめったにお目にかかるものではないので注目してみました。
主郭の周りをぐるりと一周出来ます。
切通
左手は更に郭があるとのことですが入って行くことは出来ません。
この切通は堀切になっていたとも考えられるようなので、郭と郭の間に出来ています。
こちらは主郭(八幡神社)の背面の郭になります。
主郭から南(背面)の先端に向かって二つの小郭も城館跡と推定されています。
眺望
水軍の根拠地として、船の出入りの監視や
船溜り、軍船の繋ぎ場として利用されていたと考えられています。
これで1週して八幡神社まで戻って来ました。
駐車場が無かったので、主人を車に残して私だけ城さんぽに出かけたのですが
登ってすぐに主人とさんぽしたかったなあと思いました。
天気も良かったので尚更です。
今度はぜひお弁当を持って主人と来たいです。
令和5年1月4日登城
【別名】ー
【構造】海城
【築城者】土岐頼定
【築城年代】1493年(明応2年)
【指定史跡】ー
【場所】千葉県いすみ市大原10439 地図
小浜城は、万木城主土岐頼定が伊南領を守るために万木城の支城として築きました。
天正16年、当時の城主鑓田勝定は、館山城主里見義頼の命により
相模国三浦の北条氏直と合戦、小浜城の留守をついて勝浦城主正木左近大夫が
150騎で押し寄せ落城しました。
翌年、鑓田勝定は忍者を使って城内に潜入し、火を掛けて城を奪還しましたが
本多忠勝に攻められ、敗走したた城は壊滅、廃城となりました。
鳥居
八幡神社の入口にある鳥居です。
現代では八幡神社への参道として使われています。
周囲に駐車場がありませんので駐車には十分注意してください。
登り始めてすぐに、トイレや四阿があります。
虎口
コンクリートで固められた土塁は、
コンクリートのおかげ?でこの高さを保っているようです。
「小浜八幡さま 紅いもんが好きだ 染めてあげましょ 花染めに」は、
はだか祭りの代表的な祭り唄として知られています。
帆万千館跡
城内で一番広い郭です。
その後、ここには「帆万千館」という宿があり、文化人が多く訪れたといわれています。
確かに良い眺めですもん。
太平洋戦争の時代には、この辺りには小浜基地が置かれていたようです。
確かに、最初にナビで案内された場所は城の北側で、格納壕や基地の跡がある側でした。
これは入口を間違えたと思い、八幡神社の入口を目指してここまでやって来ました。
歌碑
若山牧水の歌碑です。
ありがたや今日満つる月と知らざりしこの大き月海にのぼれり
そして、歌碑の隣に小浜城の案内看板があります。
歌碑の説明かと思ったら、小浜城の説明だったので素通りしないように。
大原漁港
大原漁港はイセエビ日本一の水揚げ高で有名です。
神奈川県小田原市の「港の朝市」や神奈川県三浦市「三崎朝市」などを参考にした
港の朝市も賑わっています。(買った魚やイセエビをその場でバーベキューなど)
西側の土塁がそのまま尾根状に南の方へ続いています。
堀切
よ~く見ると橋が架かっている場所があります。
堀切られています。
石祠
先端にある石祠です。
海を見守る神様でしょうか。
石段の前に城址碑があります。
一度外に出て社務所側から八幡神社へと行って見ようと思います。
社務所
記念碑
手前には境内の工事に寄付された方のお名前が書かれた記念碑と
その奥には小さな洞窟、そして正面奥に八幡神社の拝殿が見えます。
洞窟
洞窟を覗いてみると、そこには沢山のお稲荷様がいらっしゃいました。
八幡神社
八幡神社のある一番高い場所が主郭です。
八幡神社には長寿の絵馬、刀、槍、大型の錨などが納められているとのことですが
大型の錨とはこれのことなのでしょうか?
でも外に置くかなあ。
私にとって、錨なんてめったにお目にかかるものではないので注目してみました。
主郭の周りをぐるりと一周出来ます。
切通
左手は更に郭があるとのことですが入って行くことは出来ません。
この切通は堀切になっていたとも考えられるようなので、郭と郭の間に出来ています。
こちらは主郭(八幡神社)の背面の郭になります。
主郭から南(背面)の先端に向かって二つの小郭も城館跡と推定されています。
眺望
水軍の根拠地として、船の出入りの監視や
船溜り、軍船の繋ぎ場として利用されていたと考えられています。
これで1週して八幡神社まで戻って来ました。
駐車場が無かったので、主人を車に残して私だけ城さんぽに出かけたのですが
登ってすぐに主人とさんぽしたかったなあと思いました。
天気も良かったので尚更です。
今度はぜひお弁当を持って主人と来たいです。
令和5年1月4日登城