【小高城】おだかじょう
【別名】紅梅山浮舟城・浮舟城
【構造】平山城
【築城者】相馬重胤
【築城年代】14~16世紀
【指定史跡】県指定史跡
【場所】福島県南相馬市 地図
小高城は、相馬重胤が1326年(嘉暦元年)下総国から移り、以後相馬氏の本拠地としていました。
1597年(慶長2年)原町の牛越城に移り、小高城を支城としましたが、
慶長7年に再び小高城へと戻ることになりました。
慶長16年、拠点を中村城に移すと小高城は廃城となりました。
小高神社
現在、相馬小高神社がある場所がかつての小高城です。
境内案内図
「相馬野馬追」でも知られている神社で、駐車場もあるのでとても訪れやすい城址です。
駐車場の入口、大きな鳥居脇に境内の案内図が設置されています。
城址碑
南二の曲輪の登り口にある城址碑です。
この階段を登ると南二の曲輪です。
案内看板
本丸と南二の曲輪の境目に立てられた案内看板。
ここから社殿側が本丸になります。
神社本殿
小高神社は、国指定重要無形民俗文化財「相馬野馬追」の3日目の野馬懸の祭場地として広く知られています。
相馬野馬追は相馬氏の祖といわれている平将門が下総国に野馬を放ち、
敵兵に見立てて軍事訓練を行ったのが始まりと伝えられています。
相馬野馬追三日目のこの地では、「野馬懸」という放たれた野馬を神社境内に追い込み、
白装束の御小人が素手で神馬を捕らえ神前に奉納する神事が行われます。
よく神社に行くと「絵馬」に願い事を書いて奉納しますが、
「相馬野馬追」が絵馬祈願の原点だと言われています。
ちょっと幻想的な小道を入って行くと、辨天宮等鎮座があります。
左手には土塁があり、土塁の向こうには堀があります。
辨天宮等鎮座
この社の背後にも立派な土塁があります。
このお社をL字に巻込むような形で土塁が良好に残っているので
神様の背後に回るのはちょっと気が引けますがここでの見所となります。
堀切
北二の丸との間にある、唯一の堀切です。
縄張図を見ると、堀切はここだけのようです。
奥の院
寺社の本堂・本殿より奥にあって、開山祖師の霊像や神霊などを祭った所にあたります。
御神水舎
御神水は御利益のある水のことですが、
こちらでは馬追の儀式でも使用されます。
周囲を散策していたら、なんと、お馬さんがやってきました。
さすが相馬、イベントやお祭りではないのにまさかのお馬さん登場!とは。
このあと、普通に住宅路地を馬が歩いていたので相馬ならではの光景を堪能しました。
本丸
本丸は直角三角形で面積は約六千坪あります。
けっこう広いです。
棚機神社
棚機神社は、古くから伝わる七夕の織姫にちなんだ織物の神様で、
織物の技術や繁栄を願う儀式を伝える神社のようです。
北二の丸
城を囲む一段低い場所は水田になっていますが、
この水田が水堀の役割をはたしていたと思われています。
東側は「馬場」であったとも伝わります。
貴船神社
小高城の麓にある貴船神社は、五穀豊穣・出世・武芸を司る神様で、
現在は火災を防ぐ火伏せの神として崇められています。
一説には、相馬重胤がこの地に移るより以前から信仰があった神社と伝わります。
遠景
相馬一族が討死するなど、戦国時代は激戦地となった小高城。
中村城に比べると、かなりシンプルな造りです。
まだ牛越城へ行ったことが無いので比べられないのですが、
牛越城へ移って、また小高城に戻って来ているところをみると
使い勝手の良い城だったのかなと想像します。
廃城になっても、この地が風化することなく重要な場所となっていることをみても
相当の思い入れのある城であったのかなあと個人的には思っています。
令和3年10月31日登城
今回の参考本
【別名】紅梅山浮舟城・浮舟城
【構造】平山城
【築城者】相馬重胤
【築城年代】14~16世紀
【指定史跡】県指定史跡
【場所】福島県南相馬市 地図
小高城は、相馬重胤が1326年(嘉暦元年)下総国から移り、以後相馬氏の本拠地としていました。
1597年(慶長2年)原町の牛越城に移り、小高城を支城としましたが、
慶長7年に再び小高城へと戻ることになりました。
慶長16年、拠点を中村城に移すと小高城は廃城となりました。
小高神社
現在、相馬小高神社がある場所がかつての小高城です。
境内案内図
「相馬野馬追」でも知られている神社で、駐車場もあるのでとても訪れやすい城址です。
駐車場の入口、大きな鳥居脇に境内の案内図が設置されています。
城址碑
南二の曲輪の登り口にある城址碑です。
この階段を登ると南二の曲輪です。
案内看板
本丸と南二の曲輪の境目に立てられた案内看板。
ここから社殿側が本丸になります。
神社本殿
小高神社は、国指定重要無形民俗文化財「相馬野馬追」の3日目の野馬懸の祭場地として広く知られています。
相馬野馬追は相馬氏の祖といわれている平将門が下総国に野馬を放ち、
敵兵に見立てて軍事訓練を行ったのが始まりと伝えられています。
相馬野馬追三日目のこの地では、「野馬懸」という放たれた野馬を神社境内に追い込み、
白装束の御小人が素手で神馬を捕らえ神前に奉納する神事が行われます。
よく神社に行くと「絵馬」に願い事を書いて奉納しますが、
「相馬野馬追」が絵馬祈願の原点だと言われています。
ちょっと幻想的な小道を入って行くと、辨天宮等鎮座があります。
左手には土塁があり、土塁の向こうには堀があります。
辨天宮等鎮座
この社の背後にも立派な土塁があります。
このお社をL字に巻込むような形で土塁が良好に残っているので
神様の背後に回るのはちょっと気が引けますがここでの見所となります。
堀切
北二の丸との間にある、唯一の堀切です。
縄張図を見ると、堀切はここだけのようです。
奥の院
寺社の本堂・本殿より奥にあって、開山祖師の霊像や神霊などを祭った所にあたります。
御神水舎
御神水は御利益のある水のことですが、
こちらでは馬追の儀式でも使用されます。
周囲を散策していたら、なんと、お馬さんがやってきました。
さすが相馬、イベントやお祭りではないのにまさかのお馬さん登場!とは。
このあと、普通に住宅路地を馬が歩いていたので相馬ならではの光景を堪能しました。
本丸
本丸は直角三角形で面積は約六千坪あります。
けっこう広いです。
棚機神社
棚機神社は、古くから伝わる七夕の織姫にちなんだ織物の神様で、
織物の技術や繁栄を願う儀式を伝える神社のようです。
北二の丸
城を囲む一段低い場所は水田になっていますが、
この水田が水堀の役割をはたしていたと思われています。
東側は「馬場」であったとも伝わります。
貴船神社
小高城の麓にある貴船神社は、五穀豊穣・出世・武芸を司る神様で、
現在は火災を防ぐ火伏せの神として崇められています。
一説には、相馬重胤がこの地に移るより以前から信仰があった神社と伝わります。
遠景
相馬一族が討死するなど、戦国時代は激戦地となった小高城。
中村城に比べると、かなりシンプルな造りです。
まだ牛越城へ行ったことが無いので比べられないのですが、
牛越城へ移って、また小高城に戻って来ているところをみると
使い勝手の良い城だったのかなと想像します。
廃城になっても、この地が風化することなく重要な場所となっていることをみても
相当の思い入れのある城であったのかなあと個人的には思っています。
令和3年10月31日登城
今回の参考本