【長久手古戦場】ながくてこせんじょう
【別名】-
【構造】合戦場
【合戦者】羽柴秀吉vs徳川家康
【合戦年代】1584年(天正12年)
【指定史跡】ー
【場所】愛知県長久手市武蔵塚204 地図
本能寺の変で織田信長が明智光秀に討たれると、信長の後継者争いが起りました。
羽柴秀吉が山崎の戦いで明智光秀を討ち、賤ケ岳の戦いで柴田勝家を破ると、
脅威に思った信長の次男信雄は、同盟者の徳川家康に助けを求めました。
1584年(天正12年)3月、ついに羽柴軍と徳川軍が小牧で睨み合いとなりました。
4月9日、ついに長久手で激しい戦闘が起こりました。
古戦場公園
古戦場公園へやって来ました。
石碑
無形民俗文化財としてしていされている農民が棒や鎌などの得物を使って
一定の型を演じていたという伝統芸能の石碑です。
史跡案内図
周辺史跡の案内図です。
徒歩で来られた方も、こちらで自転車も借りられるので周辺史跡を巡ることも出来ます。
公園案内図
長久手公園の案内図です。
古戦場碑
1584年(天正12年)長久手の合戦がこの地で行われました。
三好秀次を総大将に、池田隊・森隊・堀隊ら総勢2万人の大軍を岡崎へ攻め込ませました。
家康は自ら1万3千人の軍を率いてこの地で秀吉軍と対戦し、家康が勝利しました。
この先は、古戦場縮景です。
長久手古戦場を縮小して再現されています。
色金山 床几石
「長久手の戦い」で徳川家康軍が陣を張り、軍議を開いたといわれる色金山にある
山頂の巨石を床机がわりに軍議を開いたといわれる巨石を模したものです。
現在現地は歴史公園として整備されています。
案内看板
長久手の戦いの縮景の案内看板です。
勝入塚・庄九郎塚・武蔵塚
周辺には勝入塚・庄九郎塚と公園を出て住宅街に武蔵塚があります。
池田之助(元助)の戦死地・池田勝入恒興の戦死地・森武蔵守長可の戦死地ということで
各地に塚(石碑)が建ってられいます。
御旗山
徳川家康が布陣した本陣です。
羽柴秀吉方の池田・森両隊の様子を伺いながら、
色金山に進軍した徳川家康は、この御旗山の頂上に金扇の馬標を立てました。
桧ヶ根
羽柴秀吉方の堀秀政の陣があった場所です。
山頂に立つと北から進軍してくる家康軍の様子が見えたという。
ここでは家康軍を打ち破っています。
こちらも、現在は桧ヶ根公園になっています。
仏ヶ根
ここ仏ヶ根に造られた公園が長久手古戦場公園です。
4ヶ所で起きた長久手の合戦で最も激戦地となった場所です。
レンタサイクル
長久手市史跡めぐり用の貸し出し自転車があります。
周辺に見所があり、駐車場の無いところもあるので車の人もここで
自転車に乗り換えて健康的に史跡めぐりをするのも良いかも。
長久手古戦場が縮小された庭園?のような公園になっていて、
ざっくり全体を学ぶと、それぞれの現場にも行ってみたくなりました。
周辺城跡を巡る時に、調整してそれぞれの陣地にも行ってみたいです。
令和2年7月19日訪問
【別名】-
【構造】合戦場
【合戦者】羽柴秀吉vs徳川家康
【合戦年代】1584年(天正12年)
【指定史跡】ー
【場所】愛知県長久手市武蔵塚204 地図
本能寺の変で織田信長が明智光秀に討たれると、信長の後継者争いが起りました。
羽柴秀吉が山崎の戦いで明智光秀を討ち、賤ケ岳の戦いで柴田勝家を破ると、
脅威に思った信長の次男信雄は、同盟者の徳川家康に助けを求めました。
1584年(天正12年)3月、ついに羽柴軍と徳川軍が小牧で睨み合いとなりました。
4月9日、ついに長久手で激しい戦闘が起こりました。
古戦場公園
古戦場公園へやって来ました。
石碑
無形民俗文化財としてしていされている農民が棒や鎌などの得物を使って
一定の型を演じていたという伝統芸能の石碑です。
史跡案内図
周辺史跡の案内図です。
徒歩で来られた方も、こちらで自転車も借りられるので周辺史跡を巡ることも出来ます。
公園案内図
長久手公園の案内図です。
古戦場碑
1584年(天正12年)長久手の合戦がこの地で行われました。
三好秀次を総大将に、池田隊・森隊・堀隊ら総勢2万人の大軍を岡崎へ攻め込ませました。
家康は自ら1万3千人の軍を率いてこの地で秀吉軍と対戦し、家康が勝利しました。
この先は、古戦場縮景です。
長久手古戦場を縮小して再現されています。
色金山 床几石
「長久手の戦い」で徳川家康軍が陣を張り、軍議を開いたといわれる色金山にある
山頂の巨石を床机がわりに軍議を開いたといわれる巨石を模したものです。
現在現地は歴史公園として整備されています。
案内看板
長久手の戦いの縮景の案内看板です。
勝入塚・庄九郎塚・武蔵塚
周辺には勝入塚・庄九郎塚と公園を出て住宅街に武蔵塚があります。
池田之助(元助)の戦死地・池田勝入恒興の戦死地・森武蔵守長可の戦死地ということで
各地に塚(石碑)が建ってられいます。
御旗山
徳川家康が布陣した本陣です。
羽柴秀吉方の池田・森両隊の様子を伺いながら、
色金山に進軍した徳川家康は、この御旗山の頂上に金扇の馬標を立てました。
桧ヶ根
羽柴秀吉方の堀秀政の陣があった場所です。
山頂に立つと北から進軍してくる家康軍の様子が見えたという。
ここでは家康軍を打ち破っています。
こちらも、現在は桧ヶ根公園になっています。
仏ヶ根
ここ仏ヶ根に造られた公園が長久手古戦場公園です。
4ヶ所で起きた長久手の合戦で最も激戦地となった場所です。
レンタサイクル
長久手市史跡めぐり用の貸し出し自転車があります。
周辺に見所があり、駐車場の無いところもあるので車の人もここで
自転車に乗り換えて健康的に史跡めぐりをするのも良いかも。
長久手古戦場が縮小された庭園?のような公園になっていて、
ざっくり全体を学ぶと、それぞれの現場にも行ってみたくなりました。
周辺城跡を巡る時に、調整してそれぞれの陣地にも行ってみたいです。
令和2年7月19日訪問