【須賀尾宿】すがおじゅく
【街道名】信州街道・草津街道
【設置】1624年(元和10年)
【廃止】明治維新
【指定史跡】-
【場所】吾妻郡東吾妻町 地図
須賀尾宿は、信州街道と草津道の分岐点に位置し、峠下にある宿場です。
この街道は上州と信州を結ぶ最短距離の重要な街道で、大戸と大笹に関所が設けられていました。
現在、街道沿いには民家が軒を連ね、屋号の看板が建てられていて、
宿場町だった雰囲気が残されています。
待避出来るスペースがある場所に、須賀尾宿の案内看板が立っています。
この辺りを通過する際に、屋号が掲げられていたので宿場町なんだなと
通るたびに気になっていました。
俳人の小林一茶が草津への旅の途中『須賀尾宿』に泊まり、
「麦わらのマンダラもおれ筥根山」という句を詠んだことが伝わります。
屋号
私の生まれ育った信州高遠の家も、宿場に家があったこともあり屋号がありました。
ここを通るたびに同じ屋号を見かけて、気になっていました。
宿場の様子
宿場には茶屋・居酒屋・旅籠屋などが立ち並び、
旅客で大賑わいを見せていました。
幾度となく通っている道で、ようやく案内看板のある場所で足を止めてみました。
この日は旧草津街道の接する萩生城へも寄り道して須賀尾から大戸までの重要地点を散策しました。
宿場町の雰囲気がよく残り、通過するだけで宿場町であったことがわかります。
掘り下げて調べてはいないのですが、長年気になっていた通りなのでちょっと気が済みました。
次回は吉岡神社へ行って高遠の石工が造ったという灯篭を見て来たいと思います。
令和元年11月17日訪問
【街道名】信州街道・草津街道
【設置】1624年(元和10年)
【廃止】明治維新
【指定史跡】-
【場所】吾妻郡東吾妻町 地図
須賀尾宿は、信州街道と草津道の分岐点に位置し、峠下にある宿場です。
この街道は上州と信州を結ぶ最短距離の重要な街道で、大戸と大笹に関所が設けられていました。
現在、街道沿いには民家が軒を連ね、屋号の看板が建てられていて、
宿場町だった雰囲気が残されています。
待避出来るスペースがある場所に、須賀尾宿の案内看板が立っています。
この辺りを通過する際に、屋号が掲げられていたので宿場町なんだなと
通るたびに気になっていました。
俳人の小林一茶が草津への旅の途中『須賀尾宿』に泊まり、
「麦わらのマンダラもおれ筥根山」という句を詠んだことが伝わります。
屋号
私の生まれ育った信州高遠の家も、宿場に家があったこともあり屋号がありました。
ここを通るたびに同じ屋号を見かけて、気になっていました。
宿場の様子
宿場には茶屋・居酒屋・旅籠屋などが立ち並び、
旅客で大賑わいを見せていました。
幾度となく通っている道で、ようやく案内看板のある場所で足を止めてみました。
この日は旧草津街道の接する萩生城へも寄り道して須賀尾から大戸までの重要地点を散策しました。
宿場町の雰囲気がよく残り、通過するだけで宿場町であったことがわかります。
掘り下げて調べてはいないのですが、長年気になっていた通りなのでちょっと気が済みました。
次回は吉岡神社へ行って高遠の石工が造ったという灯篭を見て来たいと思います。
令和元年11月17日訪問
ウッディジョー ミニ建築 No.3 里の茶屋 木製模型 | |
ウッディジョー(Woody JOE) | |
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